SS / 風が描いた海の話【 桃咲みか / 青羽ひとみ 】続きを読む 空を駈けていく魚、ウィンドグライダーに乗って、誰かが今日も、戦っている。 ここは、光差す雲の上。魚と人間が護り続けた空中都市。 美しい街並み、スカイラヴィス。 私たちは、この広い世界で、きっとみんな、自分だけの海を探している。 風に乗って、どこまでも行こう。 私たちだけの海を探しに行こう。・・・「こんにちは。」「……」 げ。そんな声が聞こえてきそうな顔で、その少女――――みかはこちらを見上げた。 それを見て、少し首を傾げて、ひとみは改めて、隣に座ってもいいかと彼女に問うた。 好きにしたらいいよ、とつっけんどんな返答にありがとう、と感謝を返し隣に座る。 みかにとっては、居心地が悪いことこの上なかった。 ざわざわとした室内。それでも、何人かがこちらの様子を伺っているのをなんとなく察することが出来て、それがとても嫌だった。「桃崎さんだよね。ウミの絵を見たことがあるよ。素敵な絵だった。」「……、だったらどうしたの。私もあなたの事は知ってるよ、青羽さん」 青羽ひとみ。セレスティア騎士学院から編入してきた、天才少女としての評判。人と関わりがほとんどなくても、嫌でも噂が耳に入った。 ひとみは、少し驚いたような顔をして、こう言った。「知っていてくれてるの? 嬉しいな。……なんでそんな嫌そうな顔するの?」「嫌味かなと思ってさ」「そんなわけないでしょ」 怪訝そうにこちらを覗くひとみに、悪意は本当に無さそうだった。 それがよりタチが悪いように見えて、みかはそっと目を逸らした。「それで、海の絵がなんだって?」「ああ、そう。あれ、とても素敵だなと思ったんだ。どういう発想だったの?」 みかは目を伏せた。ひとみは言葉を続ける。「私は、あれは地上の景色かなって思ったの。じゃないと、あんなに大きな水たまりは出来ないから。そこに、空にいるはずのウィンドグライダーみたいな生き物が泳いでた。地面よりももっと深いところを泳いでいたんだ。」「……正直に言って、衝撃だったんだ。地上を見たことがあるんじゃないかって思ったくらい。」「どうしてあの発想が出たの? 私、この学院に発想力がすごい子がいるって聞いた時、貴方しかいないと思ってたの。」「……」 ひとつ、ため息が落ちた。それにより、少しの間ができた。少しして、みかが口を開く。「風が教えてくれたの。私は、それを映し出しただけ。」「あれは創作なんかじゃない。地上には海があって、魚が泳いでいて、夜になると、時折空を目指して飛び跳ねるの。」「地上の絵はいくつも描いてきたけど、先生も、友達も、みんなあれを私の創作だ、発想だ、って言うんだ。あなたも今、その一人になった。」「はあ、ほら、分かったでしょ。私に発想力なんてないの、もう関わらないでよね」 ふん。そっぽを向いて、荷物をまとめ直す。別の席に座ろう。これ以上、この人に付き合ってやる理由なんて、私にはない。 そうして立ち上がる。歩こうとして、ぐん、何かに引っ張られて、それは叶わなかった。 なにかではない。そこには、ひとみしかいない。 振り向けば、ひとみは興奮した面持ちで、それでも努めて冷静にこう言った。「――――風の記憶を、この目で見てみたくはない?」 みかは静かに眉を寄せた。「……なにを、馬鹿なことを」「あるんでしょ。この世界のどこかに、海は存在するんだってあなたが言った。」「じゃあ、見に行こうよ。それで、証明してやるんだ。私たちの魅せられた海は、創作なんかじゃないって」 真っ直ぐみかを見て、ひとみは言う。冗談には見えなかった。 そこで、チャイムが鳴る。考えておいて。そう言って、ひとみは手を離し、前を向き直した。・・・ 結果として、その後の授業は全然集中出来ずに終わった。聞かなくても問題ない範囲だったことだけがみかにとって救いだった。 海。 幼い頃から、風の声を聞くことが出来た。大人になるにつれ、会話を交わすことも、ごく稀にだができるようになった。 だからこそ、知っている。地上のこと。海のこと。昔こそ美しい光景が広がっていたはずの地上は、今や光も通さぬ雲に遮られ、真っ暗なのだと。 もう、風の教えてくれた、あの美しい海は存在しないかもしれない。 そう思うと、なぜだかとても苦しかった。でも、それをわざわざひとみに伝えてやる理由も無かった。 それでも。 もし、まだあの美しい海を見ることが出来るのなら、と、そこまで考えて、いやいや、と首を振る。 そもそも、子供二人が地上に降りるなんて前代未聞だ。危ないかもしれない。怒られるのも御免だ。「……やっぱり」 諦めよう。断って、もう彼女とは関わらないように――――。「あ、」「うわあっ!?」 曲がり角。考え事をしていた分気付くのが遅れたみかは、思いっきりひとみの足を踏んづけた。「ご、ごめん……!?」「や、別に……そこまでじゃないよ。大丈夫」「……そ、そう」 ひら。ひとみが手元に持っていた書類を振って、にこ、と笑う。「そういえば。地上に降りるための許可証はもぎ取ってきたから。これでなんのしがらみもなく地上に降りれるよ。」「っはあ!? 本気!? 地上に降りるためにはめちゃくちゃ厳しい審査が必要なんじゃなかった!? っていうか、そもそも騎士じゃないと無理なはず……!!」「みかなら知ってるかもしれないけど、私は元々はセレスティア騎士学院に居たんだよね。」「だ、だからって騎士の身分ってわけじゃ……!」「それがそんなわけなんだよ。学院の無い時間は自由騎士なんだ。騎士学院で学べることはだいたい学んだからこっちに来たんだ。」 勿論みかの絵を見たからでもあるけど。平然と言ってのけるひとみに頭を抱えたくなった。 まるで嘘みたいな話だ。でもひとみは本当だと宣う。いやいやいや、そんなわけない。本当にそうなら、こいつこそフィクションの人間じゃないのか。「……私を、信じてくれる?」「ウワーーッッッ、心が痛むからその顔をやめろ! 確信犯でしょ!」「バレちゃった」「バレるよ!!!」 でも。 それ以外は特に嘘をついてる様子ではなかった。書類を偽造をするような……能力はあってもおかしくなさそうだけど、そこまで不誠実な人じゃないと信じるしかない。「何かあったら、全部責任を取ってくれるのね?」「もちろん。まかせて」「……ふうん。なら、仕方なく、ついて行ってあげる。」「あはは、ありがとうございますって言ったらいいの?」「知らないわよ、好きにして」「じゃあ、来週のお休みの日に飛ぼう。楽しみにしてて。」 少しの間が空く。みかは、なにかを言おうとして、諦めた。そのかわり、呆れたように笑った。・・・ あっという間に、当日になった。「おいで。」「わあ……!」 ひとみは、カジキやイルカを思わせる、流線型のスマートな身体を持つウィンドグライダーを呼び寄せて、みかに向きなおる。「みか、この子が私のパートナーなの。名前はブルーライゾン。長いからブルーでいいよ」「……私、ウィンドグライダーをこんなに間近で見たの、始めて」 みかはまじまじとブルーを見つめた。ブルーはその体を魅せるように、その場で一回転してみせた。「ブルー、今日はよろしくね」 ブルーは、みかに返事をするようにもう一度くるりと回った。「じゃあ、行こうか。その道までに空賊が出てくるかもしれないから、その時は私から離れないでね。」 ひとみはそう言いながら、美しい形をした青白く輝く槍をブルーライゾンに持たせた。 軽快な動作でその上に跨り、みかに振り返る。みかは、慌ててその上にゆっくりと跨った。 最初はゆっくり進んでいたその道行も、徐々にスピードを上げていく。 その最中、何度か空賊の傍を通ったが、周囲の大人たちがそれらを片付ける手伝いをしてくれたため、ひとみが戦うことは無かった。 私が無茶を言って子供二人で行くと言い張ったから、みんなが手を回しておいてくれたのだろう、とひとみは笑っていた。 彼女には、仲間が沢山いるのだろうな、と少し羨ましくなった。 そうこうしているうちに、目的のポイントまで到達したらしい。「昔の地図をね、貰ってきたんだ。って言っても今どれくらいこれが正しいかは分からないんだけど……」 そう言いながら地図と空図を見比べる。よし、ここだ。なんて確認してから、ひとみはこちらを振り向いた。「今からこの雲を突っ切るんだ。突っ切った先は真っ暗だから、光を用意してくれる?」「……え」 やっぱり、真っ暗なんだ。少し不安な気持ちになりながら、ここまで来て引き返すのも良くない、と思い直して頷いた。 行くよと、ひとみの合図でブルーは斜め下に向かって降りていった。ぐんぐんと下に下に、雲を突っ切っていく。――――辺りが、徐々に暗くなっていく。今だよ、とひとみが指だけで合図した。「エルナ・ガルダ・ス!」 みかが呪文を唱えれば、光がブルーの周りを照らし出した。 まだ、雲の中だ。 ぐんぐんぐんぐん。下へ下へ、もっと下へ。 勢いは止まらない。分厚い雲はまだ先も見通せない。 それでも、終わりは来る。「サリス・メリア・ス!」 ひとみの声がした。その瞬間――――、 雲が明ける。光が溢れる。思わず目を瞑って、……けれど、光が溢れていた。 いや、待て。そんなはずは無いと、必死で目を開けた。光で何も見えなかった。目が慣れるまで、その光をずっと睨んでいた。 その間も、ブルーはずっと下へ降りているようだった。 ようやく目が慣れた頃にはもう、海はすぐそばにあった。沢山の光が私たちの周りを浮いて、空に飛んでいく。それはまるで灯篭のようで、星のようで、全てが風のおとぎ話のようで、とにかく美しかった。「……、す、すごい……!」「私、魔法を拡散するのが得意なんだ」 ひとみの自慢げな声がしたのを聞いてから、自分の口からはしゃいだ声が出たのに気付いて、少し恥ずかしくなった。 ざざ。そんな音を立てて、ブルーは地面に到着する。静かに風が吹いていた。この風なら、地上で野宿しなくとも直ぐに空に帰れるだろうね、とひとみが言った。 みかは、もうそんなことはどうでも良くなっていて、夢中で海に向かって走っていった。初めて踏みしめる砂は、思ったより歩きにくかった。 寄せては返す波の音がする。潮の匂い。水飛沫は光となって、空に向かって登っていく。 全てがリアルで、夢物語のようで、信じられない気持ちでしばらく黙って眺めていた。 ひとみはそれを邪魔しなかった。「――――絵が描きたいな。」 どれだけの時間が経ったか。ぽつり。そう零した自分の言葉で、ようやく我に返った。「あ〜……、桃咲さんは……持ってきた? スケッチブックとか……」 横からひとみが小首を傾げてそう聞いた。みかは、それら全てを持って来なかったことを心から悔やんでいた。「……青羽さんも持ってきてないの?」「あ〜、実は、楽しみすぎて忘れちゃってたんだ……。」 困ったように頬をひとつかいて、ひとみは答えた。それなら、この景色を焼き付けるまでだとみかはもう一度海に向き直った。 それを見ながら、ひとみはぽつりと言葉を零した。「桃咲さんの海が、本物なんだ、って一緒に知れてよかった。今までは地上に興味なんてなかったんだ」「……そういえば、申請すれば来れちゃう身分だったんだっけ。」「そうそう。今までは興味なかったし、子供だから、ってことで探索班からは外れてたの」「ふうん……。」「あとは……、答えを知るのが怖くてさ。私には風の声は聞こえないから、地上のことは……どうしても、想像するしかなくてさ。ほら、想像するのってワクワクするじゃん。」「でも、答えを知ることで今までの私の想像が全部だめになっちゃう気がしてさ。」 その気持ちは、分からなくもなかった。みかは、海を眺めながらそれを静かに聞いていた。「だけど、先輩方から聞いてはいたんだよね。『大きな水たまり』の話とかをさ。」「だから、それが海である可能性に賭けたの。それで桃咲さんの絵を肯定できるならと思って」「私、桃咲さんの絵が好きなんだ。表現の仕方も、題材も、全部全部」「だから、これからも絵を描いてね。全部本物だって私が信じるから。」 足りないかもしれないけど。そう言って困ったようにひとみは笑った。 みかは、少し不思議な心地になった。でも、何も言わなかった。代わりに、「……ありがと」 そう言って、照れ臭そうに笑った。・・・ 満足いくまで海を眺めて、そろそろ帰ろうかとブルーに跨り、学院に帰り着く頃にはすっかり日も暮れてくたくたになっていた。 先生たちが2人を出迎えて、暖かいご飯を食べて、それからは、2人とも夜遅くまで作品の制作をした。 それは、美しい海の絵と、その中にまで想像を巡らせた、ちいさな物語だった。 衝動だったと、次の日の2人は語った。 あの日、あの時、あの瞬間見たあの景色は、確かに私たちだけのものだった。 みかは、風のおとぎ話を誰かに話したくて作品を制作しているのかもしれない、と、改めて自分の創作の意義を知った。 後日、地上に再び行くために、護身術を学びたいのだとひとみに頼み込んで、一緒にウィンドグライダーに乗り込むふたりの姿があったりするのだが、それはまた、別のお話。畳む 2025.3.16(Sun) 22:46:12 文章,ふたつの翼、ひとつの空
【 桃咲みか / 青羽ひとみ 】
空を駈けていく魚、ウィンドグライダーに乗って、誰かが今日も、戦っている。
ここは、光差す雲の上。魚と人間が護り続けた空中都市。
美しい街並み、スカイラヴィス。
私たちは、この広い世界で、きっとみんな、自分だけの海を探している。
風に乗って、どこまでも行こう。
私たちだけの海を探しに行こう。
・・・
「こんにちは。」
「……」
げ。そんな声が聞こえてきそうな顔で、その少女――――みかはこちらを見上げた。
それを見て、少し首を傾げて、ひとみは改めて、隣に座ってもいいかと彼女に問うた。
好きにしたらいいよ、とつっけんどんな返答にありがとう、と感謝を返し隣に座る。
みかにとっては、居心地が悪いことこの上なかった。
ざわざわとした室内。それでも、何人かがこちらの様子を伺っているのをなんとなく察することが出来て、それがとても嫌だった。
「桃崎さんだよね。ウミの絵を見たことがあるよ。素敵な絵だった。」
「……、だったらどうしたの。私もあなたの事は知ってるよ、青羽さん」
青羽ひとみ。セレスティア騎士学院から編入してきた、天才少女としての評判。人と関わりがほとんどなくても、嫌でも噂が耳に入った。
ひとみは、少し驚いたような顔をして、こう言った。
「知っていてくれてるの? 嬉しいな。……なんでそんな嫌そうな顔するの?」
「嫌味かなと思ってさ」
「そんなわけないでしょ」
怪訝そうにこちらを覗くひとみに、悪意は本当に無さそうだった。
それがよりタチが悪いように見えて、みかはそっと目を逸らした。
「それで、海の絵がなんだって?」
「ああ、そう。あれ、とても素敵だなと思ったんだ。どういう発想だったの?」
みかは目を伏せた。ひとみは言葉を続ける。
「私は、あれは地上の景色かなって思ったの。じゃないと、あんなに大きな水たまりは出来ないから。そこに、空にいるはずのウィンドグライダーみたいな生き物が泳いでた。地面よりももっと深いところを泳いでいたんだ。」
「……正直に言って、衝撃だったんだ。地上を見たことがあるんじゃないかって思ったくらい。」
「どうしてあの発想が出たの? 私、この学院に発想力がすごい子がいるって聞いた時、貴方しかいないと思ってたの。」
「……」
ひとつ、ため息が落ちた。それにより、少しの間ができた。少しして、みかが口を開く。
「風が教えてくれたの。私は、それを映し出しただけ。」
「あれは創作なんかじゃない。地上には海があって、魚が泳いでいて、夜になると、時折空を目指して飛び跳ねるの。」
「地上の絵はいくつも描いてきたけど、先生も、友達も、みんなあれを私の創作だ、発想だ、って言うんだ。あなたも今、その一人になった。」
「はあ、ほら、分かったでしょ。私に発想力なんてないの、もう関わらないでよね」
ふん。そっぽを向いて、荷物をまとめ直す。別の席に座ろう。これ以上、この人に付き合ってやる理由なんて、私にはない。
そうして立ち上がる。歩こうとして、ぐん、何かに引っ張られて、それは叶わなかった。
なにかではない。そこには、ひとみしかいない。
振り向けば、ひとみは興奮した面持ちで、それでも努めて冷静にこう言った。
「――――風の記憶を、この目で見てみたくはない?」
みかは静かに眉を寄せた。
「……なにを、馬鹿なことを」
「あるんでしょ。この世界のどこかに、海は存在するんだってあなたが言った。」
「じゃあ、見に行こうよ。それで、証明してやるんだ。私たちの魅せられた海は、創作なんかじゃないって」
真っ直ぐみかを見て、ひとみは言う。冗談には見えなかった。
そこで、チャイムが鳴る。考えておいて。そう言って、ひとみは手を離し、前を向き直した。
・・・
結果として、その後の授業は全然集中出来ずに終わった。聞かなくても問題ない範囲だったことだけがみかにとって救いだった。
海。
幼い頃から、風の声を聞くことが出来た。大人になるにつれ、会話を交わすことも、ごく稀にだができるようになった。
だからこそ、知っている。地上のこと。海のこと。昔こそ美しい光景が広がっていたはずの地上は、今や光も通さぬ雲に遮られ、真っ暗なのだと。
もう、風の教えてくれた、あの美しい海は存在しないかもしれない。
そう思うと、なぜだかとても苦しかった。でも、それをわざわざひとみに伝えてやる理由も無かった。
それでも。
もし、まだあの美しい海を見ることが出来るのなら、と、そこまで考えて、いやいや、と首を振る。
そもそも、子供二人が地上に降りるなんて前代未聞だ。危ないかもしれない。怒られるのも御免だ。
「……やっぱり」
諦めよう。断って、もう彼女とは関わらないように――――。
「あ、」
「うわあっ!?」
曲がり角。考え事をしていた分気付くのが遅れたみかは、思いっきりひとみの足を踏んづけた。
「ご、ごめん……!?」
「や、別に……そこまでじゃないよ。大丈夫」
「……そ、そう」
ひら。ひとみが手元に持っていた書類を振って、にこ、と笑う。
「そういえば。地上に降りるための許可証はもぎ取ってきたから。これでなんのしがらみもなく地上に降りれるよ。」
「っはあ!? 本気!? 地上に降りるためにはめちゃくちゃ厳しい審査が必要なんじゃなかった!? っていうか、そもそも騎士じゃないと無理なはず……!!」
「みかなら知ってるかもしれないけど、私は元々はセレスティア騎士学院に居たんだよね。」
「だ、だからって騎士の身分ってわけじゃ……!」
「それがそんなわけなんだよ。学院の無い時間は自由騎士なんだ。騎士学院で学べることはだいたい学んだからこっちに来たんだ。」
勿論みかの絵を見たからでもあるけど。平然と言ってのけるひとみに頭を抱えたくなった。
まるで嘘みたいな話だ。でもひとみは本当だと宣う。いやいやいや、そんなわけない。本当にそうなら、こいつこそフィクションの人間じゃないのか。
「……私を、信じてくれる?」
「ウワーーッッッ、心が痛むからその顔をやめろ! 確信犯でしょ!」
「バレちゃった」
「バレるよ!!!」
でも。
それ以外は特に嘘をついてる様子ではなかった。書類を偽造をするような……能力はあってもおかしくなさそうだけど、そこまで不誠実な人じゃないと信じるしかない。
「何かあったら、全部責任を取ってくれるのね?」
「もちろん。まかせて」
「……ふうん。なら、仕方なく、ついて行ってあげる。」
「あはは、ありがとうございますって言ったらいいの?」
「知らないわよ、好きにして」
「じゃあ、来週のお休みの日に飛ぼう。楽しみにしてて。」
少しの間が空く。みかは、なにかを言おうとして、諦めた。そのかわり、呆れたように笑った。
・・・
あっという間に、当日になった。
「おいで。」
「わあ……!」
ひとみは、カジキやイルカを思わせる、流線型のスマートな身体を持つウィンドグライダーを呼び寄せて、みかに向きなおる。
「みか、この子が私のパートナーなの。名前はブルーライゾン。長いからブルーでいいよ」
「……私、ウィンドグライダーをこんなに間近で見たの、始めて」
みかはまじまじとブルーを見つめた。ブルーはその体を魅せるように、その場で一回転してみせた。
「ブルー、今日はよろしくね」
ブルーは、みかに返事をするようにもう一度くるりと回った。
「じゃあ、行こうか。その道までに空賊が出てくるかもしれないから、その時は私から離れないでね。」
ひとみはそう言いながら、美しい形をした青白く輝く槍をブルーライゾンに持たせた。
軽快な動作でその上に跨り、みかに振り返る。みかは、慌ててその上にゆっくりと跨った。
最初はゆっくり進んでいたその道行も、徐々にスピードを上げていく。
その最中、何度か空賊の傍を通ったが、周囲の大人たちがそれらを片付ける手伝いをしてくれたため、ひとみが戦うことは無かった。
私が無茶を言って子供二人で行くと言い張ったから、みんなが手を回しておいてくれたのだろう、とひとみは笑っていた。
彼女には、仲間が沢山いるのだろうな、と少し羨ましくなった。
そうこうしているうちに、目的のポイントまで到達したらしい。
「昔の地図をね、貰ってきたんだ。って言っても今どれくらいこれが正しいかは分からないんだけど……」
そう言いながら地図と空図を見比べる。よし、ここだ。なんて確認してから、ひとみはこちらを振り向いた。
「今からこの雲を突っ切るんだ。突っ切った先は真っ暗だから、光を用意してくれる?」
「……え」
やっぱり、真っ暗なんだ。少し不安な気持ちになりながら、ここまで来て引き返すのも良くない、と思い直して頷いた。
行くよと、ひとみの合図でブルーは斜め下に向かって降りていった。ぐんぐんと下に下に、雲を突っ切っていく。
――――辺りが、徐々に暗くなっていく。今だよ、とひとみが指だけで合図した。
「エルナ・ガルダ・ス!」
みかが呪文を唱えれば、光がブルーの周りを照らし出した。
まだ、雲の中だ。
ぐんぐんぐんぐん。下へ下へ、もっと下へ。
勢いは止まらない。分厚い雲はまだ先も見通せない。
それでも、終わりは来る。
「サリス・メリア・ス!」
ひとみの声がした。その瞬間――――、
雲が明ける。光が溢れる。思わず目を瞑って、……けれど、光が溢れていた。
いや、待て。そんなはずは無いと、必死で目を開けた。光で何も見えなかった。目が慣れるまで、その光をずっと睨んでいた。
その間も、ブルーはずっと下へ降りているようだった。
ようやく目が慣れた頃にはもう、海はすぐそばにあった。沢山の光が私たちの周りを浮いて、空に飛んでいく。それはまるで灯篭のようで、星のようで、全てが風のおとぎ話のようで、とにかく美しかった。
「……、す、すごい……!」
「私、魔法を拡散するのが得意なんだ」
ひとみの自慢げな声がしたのを聞いてから、自分の口からはしゃいだ声が出たのに気付いて、少し恥ずかしくなった。
ざざ。そんな音を立てて、ブルーは地面に到着する。静かに風が吹いていた。この風なら、地上で野宿しなくとも直ぐに空に帰れるだろうね、とひとみが言った。
みかは、もうそんなことはどうでも良くなっていて、夢中で海に向かって走っていった。初めて踏みしめる砂は、思ったより歩きにくかった。
寄せては返す波の音がする。潮の匂い。水飛沫は光となって、空に向かって登っていく。
全てがリアルで、夢物語のようで、信じられない気持ちでしばらく黙って眺めていた。
ひとみはそれを邪魔しなかった。
「――――絵が描きたいな。」
どれだけの時間が経ったか。ぽつり。そう零した自分の言葉で、ようやく我に返った。
「あ〜……、桃咲さんは……持ってきた? スケッチブックとか……」
横からひとみが小首を傾げてそう聞いた。みかは、それら全てを持って来なかったことを心から悔やんでいた。
「……青羽さんも持ってきてないの?」
「あ〜、実は、楽しみすぎて忘れちゃってたんだ……。」
困ったように頬をひとつかいて、ひとみは答えた。それなら、この景色を焼き付けるまでだとみかはもう一度海に向き直った。
それを見ながら、ひとみはぽつりと言葉を零した。
「桃咲さんの海が、本物なんだ、って一緒に知れてよかった。今までは地上に興味なんてなかったんだ」
「……そういえば、申請すれば来れちゃう身分だったんだっけ。」
「そうそう。今までは興味なかったし、子供だから、ってことで探索班からは外れてたの」
「ふうん……。」
「あとは……、答えを知るのが怖くてさ。私には風の声は聞こえないから、地上のことは……どうしても、想像するしかなくてさ。ほら、想像するのってワクワクするじゃん。」
「でも、答えを知ることで今までの私の想像が全部だめになっちゃう気がしてさ。」
その気持ちは、分からなくもなかった。みかは、海を眺めながらそれを静かに聞いていた。
「だけど、先輩方から聞いてはいたんだよね。『大きな水たまり』の話とかをさ。」
「だから、それが海である可能性に賭けたの。それで桃咲さんの絵を肯定できるならと思って」
「私、桃咲さんの絵が好きなんだ。表現の仕方も、題材も、全部全部」
「だから、これからも絵を描いてね。全部本物だって私が信じるから。」
足りないかもしれないけど。そう言って困ったようにひとみは笑った。
みかは、少し不思議な心地になった。でも、何も言わなかった。代わりに、
「……ありがと」
そう言って、照れ臭そうに笑った。
・・・
満足いくまで海を眺めて、そろそろ帰ろうかとブルーに跨り、学院に帰り着く頃にはすっかり日も暮れてくたくたになっていた。
先生たちが2人を出迎えて、暖かいご飯を食べて、それからは、2人とも夜遅くまで作品の制作をした。
それは、美しい海の絵と、その中にまで想像を巡らせた、ちいさな物語だった。
衝動だったと、次の日の2人は語った。
あの日、あの時、あの瞬間見たあの景色は、確かに私たちだけのものだった。
みかは、風のおとぎ話を誰かに話したくて作品を制作しているのかもしれない、と、改めて自分の創作の意義を知った。
後日、地上に再び行くために、護身術を学びたいのだとひとみに頼み込んで、一緒にウィンドグライダーに乗り込むふたりの姿があったりするのだが、それはまた、別のお話。畳む