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#TrendSync 四話
進捗 1155文字
「お祭り?」
「そう!」
学校の休み時間。地域のお祭りのポスターを見せつけながら、翼は二人に声を掛けた。
「お祭りのステージに立つトレンドシンカーを募集してるんだって! ボクはもう申し込んだんだけど、二人のステージも見れたらもっと嬉しいから」
朱希がふうん、と頷きながらスマホを操作する。開いたのはカレンダーアプリだ。何日? 再来週の土曜! いけるな、申し込むわ。ぽんぽんと二人の会話が続く。
「ももちゃんは?」
「えっ」
桃音はここしばらく、トレンドシンカーとしてステージに立つための覚悟を決めあぐねていた。翼と朱希は当然みたいに凄くて、自分が同じステージに立って見劣りするのが怖かったのもそうだ。
「私は……」
言葉に詰まる。翼は少しきょとんとしてから、仕方がないなというように笑って、話題を変えた。
「お母さんが、お姉ちゃんもお祭りに連れてきてくれるみたいなんだ」
「奏海さんが?」
「そう。ほら、お姉ちゃんって、ステージ好きでしょ。なにか変わったらいいなって」
「あ……」
夕空奏海。翼の姉である彼女は、不協和の影と呼ばれる人々のステージを見て、心を壊した。
それを見ることで心に不調を与えるステージをする人々をまとめて不協和の影と呼び、これは既に社会的な問題になっている。原因の早急な究明が急がれているが、進捗は芳しくはないらしかった。
「奏海さん元気?」
「うーん、変わらずかなあ」
「……そっか」
奏海が心を壊した日。翼にも、奏海にも、なにもできなかったことを、悔やんでいた。
「じゃあ、私も……ステージ、出る!」
「ええっ」
翼が首を傾げた。桃音は、翼と目を合わせて笑った。
「奏海お姉ちゃんに、見てほしいから」
そう言えば、翼も嬉しそうに、少しだけ申し訳なさそうに笑った。
*
「お姉ちゃん」
お祭り前日。練習から帰宅した翼は奏海の部屋へと向かった。奏海は変わらず外を見ている。
ぼんやりして、焦点の合わない瞳の中、彼女が何を考えているのかは、よく分からなかった。
「あのね、明日のお祭り、ボク、トレンドシンカーとして参加するんだ。朱希とももちゃんも一緒なの」
奏海から返事はない。
「お姉ちゃん、まだ、ステージのこと、好きかな」
奏海から返事はない。嫌というほど静かだった。
「楽しみにしてて、お姉ちゃん。最高のステージを届けるから」
奏海は窓の外を見ている。ぼうっとした瞳の奥に隠れている感情を探し当てようとして、諦める。
それからはしばらく今日あった面白いことや、楽しかったことの話をした。ある程度の話題が尽きたあたりで、翼は奏海の手を握る。
「……じゃあ、おやすみ、お姉ちゃん」
こうすると安心するでしょ、と、いつぞや奏海が教えてくれた仕草を返す。これも習慣だった。
自分の部屋に戻って、改めて窓の外を見た。星がきらきらと瞬いていて、こんな時まで能天気だなと思った。
*
畳む
進捗 1155文字
「お祭り?」
「そう!」
学校の休み時間。地域のお祭りのポスターを見せつけながら、翼は二人に声を掛けた。
「お祭りのステージに立つトレンドシンカーを募集してるんだって! ボクはもう申し込んだんだけど、二人のステージも見れたらもっと嬉しいから」
朱希がふうん、と頷きながらスマホを操作する。開いたのはカレンダーアプリだ。何日? 再来週の土曜! いけるな、申し込むわ。ぽんぽんと二人の会話が続く。
「ももちゃんは?」
「えっ」
桃音はここしばらく、トレンドシンカーとしてステージに立つための覚悟を決めあぐねていた。翼と朱希は当然みたいに凄くて、自分が同じステージに立って見劣りするのが怖かったのもそうだ。
「私は……」
言葉に詰まる。翼は少しきょとんとしてから、仕方がないなというように笑って、話題を変えた。
「お母さんが、お姉ちゃんもお祭りに連れてきてくれるみたいなんだ」
「奏海さんが?」
「そう。ほら、お姉ちゃんって、ステージ好きでしょ。なにか変わったらいいなって」
「あ……」
夕空奏海。翼の姉である彼女は、不協和の影と呼ばれる人々のステージを見て、心を壊した。
それを見ることで心に不調を与えるステージをする人々をまとめて不協和の影と呼び、これは既に社会的な問題になっている。原因の早急な究明が急がれているが、進捗は芳しくはないらしかった。
「奏海さん元気?」
「うーん、変わらずかなあ」
「……そっか」
奏海が心を壊した日。翼にも、奏海にも、なにもできなかったことを、悔やんでいた。
「じゃあ、私も……ステージ、出る!」
「ええっ」
翼が首を傾げた。桃音は、翼と目を合わせて笑った。
「奏海お姉ちゃんに、見てほしいから」
そう言えば、翼も嬉しそうに、少しだけ申し訳なさそうに笑った。
*
「お姉ちゃん」
お祭り前日。練習から帰宅した翼は奏海の部屋へと向かった。奏海は変わらず外を見ている。
ぼんやりして、焦点の合わない瞳の中、彼女が何を考えているのかは、よく分からなかった。
「あのね、明日のお祭り、ボク、トレンドシンカーとして参加するんだ。朱希とももちゃんも一緒なの」
奏海から返事はない。
「お姉ちゃん、まだ、ステージのこと、好きかな」
奏海から返事はない。嫌というほど静かだった。
「楽しみにしてて、お姉ちゃん。最高のステージを届けるから」
奏海は窓の外を見ている。ぼうっとした瞳の奥に隠れている感情を探し当てようとして、諦める。
それからはしばらく今日あった面白いことや、楽しかったことの話をした。ある程度の話題が尽きたあたりで、翼は奏海の手を握る。
「……じゃあ、おやすみ、お姉ちゃん」
こうすると安心するでしょ、と、いつぞや奏海が教えてくれた仕草を返す。これも習慣だった。
自分の部屋に戻って、改めて窓の外を見た。星がきらきらと瞬いていて、こんな時まで能天気だなと思った。
*
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#TrendSync 三話
7724文字
「おはよう……」
「おはよう、ももちゃん!」
「はよ〜」
三者三様の挨拶が響く。あんなに大きな宣言をした後日だったので、桃音は二人と顔を合わせるのがなんだか照れくさかった。
「桃ちゃん、トレンドシンカーを目指すんでしょ!?」
「ゆ、ゆうちゃん! 声が大きいって!」
「いやあ、楽しみだなあ、桃ちゃんのステージ……!」
翼のキラキラとした視線を一身に受けて、桃音は思わず苦笑した。それでなんだか気が抜けたのも事実だった。
うんうん、と勝手になにか納得したように頷いて、翼は拳を突き上げた。
「よーし、まず二人が目指すは来月のオーディション! というわけで今日から特訓、頑張らなくちゃね」
「おー!」
朱希と桃音は視線を合わせた。二人で笑いあってから、翼に合わせて拳を突き上げる。
三人はこの時、お互いに力強い味方に、そして、ライバルになった。
*
――――靴の音が響く。三人は、市内にある貸しレンタルスタジオまで来ていた。目的はひとつ、朱希と桃音のオーディション合格のため。
朱希は歌が、桃音はダンスと体力がお互いに課題だった。
特に、桃音のダンスを彼女の体力に合わせて調節しながら、作曲もしつつ、自身も練習をしなければならない朱希は大変そうだったが、それでも毎日楽しそうだった。
「つ、疲れた……!」
「お疲れ様、ももちゃん! 最初に比べたら随分体力もついてきたんじゃない?」
「ありがとう、ゆうちゃん……そうかな……」
「まだまだ課題アリアリって感じだけどな。ま、形にはなるだろ」
「……朱希だって、歌は全然まだまだなくせに」
「うるせえなあ」
翼が二人に差し入れとして水分を渡す。二人――――特に桃音は随分ヘロヘロで、ペットボトルの半分くらいを一気に飲み干してしまった。
「……形には、なるかな」
「誰がダンス見てると思ってんだよ。大丈夫だって、なんとかするから」
な、と朱希はにい、と笑って言った。それでも不安そうなままの桃音を差し置いて、翼は唇を尖らせた。
「ボクももっと朱希に見てもらえば良かったなあ」
「おっ、今からでもやるか? 俺は厳しいぜ」
「ももちゃんには甘々なくせに」
「桃音は体力ないからなあ」
不服そうな翼の様子に、呆れた朱希がデコピンをお見舞いする。痛い、だの、なんだの。翼が騒ぐのを放置して、朱希は桃音に向き直った。
「そんな顔しなくても、大丈夫だって。信じてくれよ、俺を」
「……朱希のことはもちろん、信じてるよ。信じられないのは自分の方」
困った顔をした桃音は、そう呟いてから、ぱちん、と自身の頬を叩いた。
「だから、もっともっと頑張らなくちゃ」
「おっ、いいぞ、その意気だ。だけど今日はもう休め。へろへろだろ」
立ち上がろうとした桃音を朱希が押し戻す。不満そうな桃音に、翼が時計を見てから笑ってこう言った。
「頑張ったから、今日はおやつ買って帰ろう。たまにはご褒美も必要だよ」
桃音は、ご褒美と練習を天秤にかけて、ご褒美を取ることにしたようだ。頷く桃音の隣で、朱希も賛成、とグッドサインを作った。
*
帰り道。他愛ない話をしながら、お菓子を買って、アイスも買って、少しお行儀悪く食べながら帰路に着く。
ふと、帰宅するために駅に群がる人間の集合体の中から一人、朱希は、目が合った。
「……あ」
目を逸らす。気付いているのか気付いて居ないのか、相手はまじまじとこちらを眺めているのが分かった。
「朱希?」
不思議そうに翼が声をかけてくる。朱希は、咄嗟に笑顔を取り繕って応えた。
「なんでもない。ちょっと……昔の知り合いっぽい人が」
「えっ、どれどれ」
「や、やっぱ朱希だよな!?」
気付けば近くにまで来ていたその人――――紫苑は、食いつくように声を掛けてきた。
「元気してたか? 急に辞めたって聞いたからびっくりしたぞ」
「えっ、……あ〜」
「ダンスは続けているんだよな?」
紫苑の目は真っ直ぐだった。なんだか後ろめたくて、朱希は思わず誤魔化すように目を逸らした。
桃音と翼は視線を交わした。まずいんじゃない? そうかも。
「……あー! あ、あの! そろそろ門限だから帰らないと怒られちゃうなー!」
「えっ」
「も、ももちゃんのお家って、厳しいもんねー! 行こう、朱希!」
二人して朱希の手を引っ掴んで走り出す。呆気に取られた紫苑を置いて、三人は人混みをかき分けてその場から逃げた。
「はあ……、はあ……っ」
「も、ももちゃん、大丈夫? ほら、深呼吸深呼吸!」
桃音はぜえぜえと上がった息を整えてから、ぼうっとしている朱希に声を掛けた。
「朱希、大丈夫?」
「……ああ」
「大丈夫じゃなさそ〜」
朱希の頭の中は紫苑のことでいっぱいだった。ハッキリ言うのであれば、動揺していた。まさか、こんなところで会うなんて。
「あの人、って」
「……」
朱希はなにも言わなかった。何を言うか悩んでいるようだった。しばらくの沈黙の後、口を開く。
「なんでもねえ。ごめん、帰るわ」
「え、ちょ、ちょっと!」
翼と桃音は顔を見合せた。朱希の後ろ姿を視線で追いながら、二人で首を傾げる。
「大丈夫かな……」
「うーん」
大丈夫には、見えなかったが。でも、深く言わなかったということは、放っておけと言うことなのだろう。少しの心配をそこに置いて、二人も帰路につくことにした。
*
――――ダンスを習っていた。小さい頃の話だ。
歌うのは得意ではなかったが、踊るのは好きだった。紫苑とはライバルで、親友だった。彼と一緒に踊るのが好きだった。
でも。本当にたまたま調子が悪くて、うまく踊れなかった日があった。――――緊張していたのだ。柄にもなく。
それは、親にダンスを辞めさせられるかもしれない、という恐怖からだった。
ダンスが好きだ。歌うことは得意じゃないけど、好きだ。いつかトップシンカーにだってなりたい。そんな話を親にした、後日、両親はこんな話をしていた。――――やめさせるべきなのではないか、と。
彼の、失望したような顔をよく覚えている。
また失敗して同じ思いをしたくなくて、あの日、もう、全部を諦めることにしたのだ。
そのはずだったのだ。翼のステージを見るまでは。
まさかまた会うことになるなんて。いや、彼の家がまだ変わっていないなら、当然のことかもしれないが。
あの時の感情がぐつぐつと煮え立つように湧き出る。ああ、怖いのだ。
ダンスが好きだった。それでも恐怖に負けて逃げた幼い頃のダサい自分を、もう誰にも見ないで欲しかった。
ピコン。スマホから音が鳴る。見れば、紫苑だった。ああ、こんなことならブロックしておけばよかった。スマホを手に取る。
『今日は急に声を掛けてごめんな』
『トレンドシンカーには、もうなれたのか?』
既読をつけずにその文章を読む。もう随分長いこと、彼からの連絡を無視していた。
しばらくして、また、通知が飛んでくる。
『怒ってる?』
『朱希のステージが見たいだけなんだ』
どうして。
『俺はもう、諦めたから』
どうしてお前が、そんなことを言うんだ。
見ていられなくて、通知を消してスマホを閉じる。明滅するだけになった画面には、『返信待ってる』と新たに表示されて、嫌になった朱希はそのまま電源を落とした。
*
――――そうして、オーディション最終審査、当日。
朱希は、あれからずっと調子が悪いようだった。翼と桃音は心配していたが、結局、朱希はなにも話してはくれなかった。
「朱希、調子はどう?」
「まあ、普通」
「普通か〜」
いつもなら、バッチリ、くらいは言ってくれるのにな。そう思いながらその隣でガチガチの桃音を見る。
「ももちゃん、大丈夫だよ。深呼吸深呼吸!」
「う、うん……! 大丈夫、大丈夫……」
息を吸って、吐く。いつもみたいに茶々を入れなかった代わりに、朱希は桃音の背中をさすった。
「……朱希、緊張してるの?」
その手が少し震えているのを感じて、桃音は思わず朱希を見上げた。表情はいつも通りだ。いつも通り、だけれど。
「……そうかもな」
ぽつり、言葉が漏れる。その言葉がなんだか意外で、桃音は急に朱希が心配になった。
「朱希、」
「お、そろそろ出番じゃねえの」
桃音の言葉に被せるように朱希が言う。慌てたように時計を確認すれば、確かにその通りだった。準備をしなければ。
「翼。俺も準備してくるから」
「あ、うん。行ってらっしゃい……」
こくん、と頷いて朱希は去っていった。桃音も慌てたように準備をする。翼は、ステージ脇まで、桃音について行くことにした。
「――――ももちゃん」
ステージの脇で、翼が声をかける。
「なあに?」
「これね、ももちゃんに」
桃音が目を見開く。翼の手に握られているのは、スタイルコードだった。
「ボクがデザインしたの。もちろん、ももちゃんにはももちゃんの衣装があると思うから、お守りになったらいいなと思って……」
桃音はまじまじとそのスタイルコードを眺める。ピンクの長めのスカートに、青いリボン。本当は、自分のためのデザインができなくて、オーディション用にと配られるスタイルコードを使う予定だったのだ。
「……ゆうちゃん。これ、使ってもいい?」
「えっ」
今度は翼が目を丸くする番だった。桃音は嬉しそうに目を細めて続ける。
「だって、とっても嬉しいし……その方が、安心するから。ね、いいでしょ」
翼はなんだかむず痒くて、目を逸らして頷いた。やった、と桃音がスタイルコードを抱きしめる。
「じゃあ、行ってくるね、ゆうちゃん」
「うん、頑張って」
桃音が貸し出されたレゾナンスマイクを持つ。翼が一歩離れたのを合図に、スイッチを押した。
桃音のステージは大盛況だった。ステラ・ノーツこそ出なかったものの、大きなミスもなく最後まで歌い踊った。得点は――――1003点。ギリギリとはいえ、合格は合格だ。
桃音が戻ってきたのと同時に、朱希がステージ脇までやってくる。
「桃音、おめでと」
「朱希……」
桃音も翼も、たくさん言いたいことがあった。でも、時間はなかった。
「俺も頑張んなきゃな」
言葉とは裏腹にどこか不安そうな朱希は、よし、と気合を入れて、レゾナンスマイクを握った。
「レゾナンスマイク!」
ボタンを押す。
「スタイルコードセット!」
読み込ませたカードはオーディションで配布されるものだ。
息を吸って、吐く。期待と不安を綯い交ぜにしたような、複雑な気持ちだった。いや、どちらかといえば不安の方が大きい。
それでも。
「――――オーディション、合格……!」
目指すのは、それだけだ。
「オン・ステージ!」
視線を上げれば、たくさんの人々の顔が見えて、それがよりプレッシャーだった。
曲が流れ出す。自分で作って、何度も聞いたから、問題なく歌えるはずだ。踊れるはずだ。
なのに、どうして。
どうしようもなく集中出来なかった。歌詞を間違えて、焦って音程がズレる。上手く歌えなかった。身体に染み付いたダンスだけが完璧で、それがなんだか、余計に恥ずかしかった。
ああ、無理だ。
どうしようもなくそう思った。気付けば曲は終わっていた。得点は――――869点。ああ、そうだろうな、と、ぼんやりと思った。
翼と桃音の元に戻るのが嫌で、でもステージの上に居座るのももっと嫌で、そそくさとステージから降りた。
「朱希!」
翼が声をかけてくる。ああ、惨めになるから心配なんかしないでくれ。
「朱希……あのね、私たち……」
「んだよ」
不機嫌な声が漏れる。ああ、いけない。当たってしまう。咄嗟に言葉を止めた。代わりに何を言おうか悩んで、絞り出すように、
「……ごめん、しばらくほっといてくれ」
それだけ言って、彼らの前を去ることにした。引き止める声はあったが、全てを無視する。冷静でいられる自信が、全くもってなかった。
背を向ける。歩き出す。そんな時、
「いやだ!」
がしりと手を掴まれる。桃音だった。翼が目を見開いているのが見えた。
「なっ、」
「朱希って全然私たちに相談してくれないんだから!」
拗ねたような顔で桃音が言う。面食らった朱希がなにか言い返す間もなく桃音は捲し立てた。
「私たち、朱希のこといっぱい心配してる! あの子と会ってから朱希ったらずっと様子がおかしいんだもの」
息継ぎ。勢いのまま言葉を続けた。
「どうして何も言ってくれないの、私じゃ……頼りないかもしれないけど! それでも、朱希の力になりたいよ」
朱希はなにか言おうとして、結局、何も言えなかった。後ろから翼が声を掛けてくる。
「ボクたち、ちょっと当たられたくらいで怒らないよ。朱希だって許してくれるでしょ」
それはそうかもしれないが。翼は続ける。
「それに、ひとりじゃ解決できない悩みを抱え続けるのは、きっと苦しいことだよ」
朱希はしばらく悩んだ。しばらく悩んでようやく、少しづつ言葉を口にする。
「いや……悪い。頼りないと思ってたとか、そんなつもりじゃなくて……」
目を伏せる。なんだか二人と目を合わせられなかった。
「自分が恥ずかしいんだ。ただそれだけで」
翼と桃音は顔を見合せた。少しの間をおいて、翼が口を開く。
「でも、朱希は変わろうとしてるじゃん」
「そ、そうだよ!」
桃音も拳を握りしめて言った。
「何の話かは……わかんないけどっ、かっこ悪い自分が嫌で変わろうとしてるのなら、朱希が恥ずかしいって思うようなこと、絶対にないんだから!」
翼も頷く。朱希は思わず顔を上げた。二人と目が合う。二人は、に、と笑って朱希の手を握った。
「ももちゃんの言う通り。大丈夫だよ、朱希はちゃんとかっこいいから」
そうだそうだと桃音がヤジを入れた。朱希は、一人で悩んでいたことがなんだか馬鹿らしくなって、ようやく苦笑した。
「お前らも、なんだかんだお人好しだよな」
「私たちがお人好しだからじゃなくて、相手が朱希だからこうしてるんだよ」
そう真正面から言われて、朱希は照れたように、くすぐったそうに視線を逸らして、それから、小さな声で感謝を述べた。
もうすっかり、いつも通りの朱希だった。
*
息を吸って、吐く。それから、紫苑からのLINEに既読をつけた。
『連絡出来なくてごめん』
『オーディション、落ちたよ』
とりあえず送る。既読はすぐついた。少し悩んでから、追加で送った。
『でも俺、諦めたくないから、諦めない』
誰に、とも言えない宣言だった。でも、紫苑に聞いて欲しかった。
『それでこそ!』
『俺もまた頑張ろうかな』
紫苑からはそんな言葉が返ってきた。
それでこそ、か。朱希は、自身の周りの人々って、こちらを信じすぎるところがあるんじゃないかとぼんやり思った。
なにはともあれ、友人が、自身のやりたいことを諦めないという選択をするのは嬉しいことなので、最高、のスタンプを送った。
それから。
『800点は越えたから、一応、もう一回だけチャンスがあるんだ』
TrendSync Performで、特に大切なのは素直な心だと言われている。そのために、800点を越した未来のトレンドシンカー候補は、その月のオーディションにもう一度だけチャンスを貰える。心は揺れるものだから。
『だから、見に来て』
勢いのまま、送ってしまった。でも、それで良かったと思った。知ってもらおう。今の、朱希のステージを。
『もちろん!』
その連絡を最後に、スマホの電源を落とす。そろそろ眠らねばならなかった。
不安で、なによりも怖かった前夜と比べて、どこか安心した心地だった。
*
オーディション会場に向かえば、当然のように、翼と桃音もそこに立っていた。
「お前ら……」
わざわざ言わなかったのに。翼はいたずらっぽく笑った。
「諦め悪い朱希のことだからと思ってね。調子良さそうで良かったよ」
桃音も嬉しそうに頷いてから、心を決めたように朱希に視線を合わせる。
「朱希、これ、ゆうちゃんと二人でデザインしたの!」
スタイルコードだった。
「本当は前回渡そうと思ってたんだけど、タイミングがなくて」
翼が補足する。そうだったのか。
「気持ちはいーっぱい込めといたから! 頑張ってね、朱希!」
桃音が押し付けるようにそれを渡して、朱希は思わず受け取った。それだけを言うと、二人は時間を見て、慌てて客席に向かって行った。
「……はは、やってやろうじゃん」
不安はもう無かった。ちゃんと、覚悟を決めることが出来そうだった。
その勢いを殺さぬようにと、走ってステージに向かうことにした。
*
真っ赤なサイリウムが広がる客席がよく見える。朱希はステージに躍り出た。
曲が流れ出す。覚悟を決める。上手く歌えなかったあの日から、更に曲を聞き込んだ。身体は勝手に動くのだから、課題である歌に集中する必要があった。
前回のステージを見ていた人はこの客席の中にどれくらいいるんだろう。
その人達すらあっと驚かせてやりたかった。――――見違えるようだと、思って欲しい。
ふと、客席に紫苑を見つけた。
ああ、紫苑、俺、悔しかった!
お前に失望されたのが悔しかった。ダンスで負けたのが悔しかった。なにより、そんなことで逃げていた自分の存在がいちばん悔しかった!
でも、変わるって決めたんだ。決めたから、変わるんだ。
客席に指を指す。指を指して、手拍子を誘導した。光のノーツが見えた。
伝われ、伝われ、伝われ! これが俺の決意で覚悟なのだと、ただ、それだけが伝わればなんでも良かった。
夢中で手拍子を取る。リズムを誘導する。
――――爆発的な光だった。
音を操るように、曲を作る時のように。飛び交う音符を操って、美しい旋律を作り出す。
そうして完成したその旋律を、ギターを掻き鳴らすみたいに鳴らす。鳴らす。
その音に合わせるみたいにステップを踏んだ。ああ、楽しい!
そうだ、そうだとも。
この瞬間を誰よりも楽しまなくちゃ、トップシンカーになんてなれない!
大きな歓声が鼓膜を揺らした。朱希はそれで我に返った。気付けば曲は終わっていて、自分の身体も、止まっていた。
得点は――――1360点。1360点?
「合格……!」
思わずガッツポーズを作ってから、客席の全員に頭を下げた。拍手は鳴り止まず、大きな拍手の中、朱希はそのステージを降りた。
「朱希!」
手続きを終えれば、翼と桃音が迎えてくれた。
「凄かったよ、朱希! まさかステラ・ノーツまで出しちゃうなんて!」
桃音が興奮した様子でそう言う。翼も隣でうんうんと頷いた。
「覚悟の伝わる良いステージだったよ、朱希」
「……おう、ありがとう」
2人は、どこか上の空の朱希を見て不思議そうな顔をした。朱希は、補足するように続ける。
「いや……、現実味がなくて。まだ夢なんじゃねえかなって」
「ああ……」
「わかるなあ……」
合格直後ってそうだよね、とトレンドシンカーになったばかりの三人は笑い合う。ともあれ、三人とも無事に合格したのだ。
「朱希〜!」
その声で振り返る。紫苑だった。翼と桃音がちょっと警戒したのを他所に、朱希は平然とそちらに向かって行く。
「どうだった?」
「めっちゃ良かった! 朱希は昔から才能あったからな、当然の結果だと思うぞ」
興奮冷めやらぬといわんばかりに紫苑は朱希に感想をぶつける。それをすかした態度で受け止めている朱希は、いつも通りだった。
「……解決したのかな」
「かもね?」
翼と桃音は顔を見合せて首を傾げた。それから二人して、解決したならそれがいいか、と納得する。
空には星が瞬いている。いつか、この中の誰かが、あの一番星みたいに。そんな想像をしてしまうほど浮かれたその日を、満喫するように伸びをした。
畳む
7724文字
「おはよう……」
「おはよう、ももちゃん!」
「はよ〜」
三者三様の挨拶が響く。あんなに大きな宣言をした後日だったので、桃音は二人と顔を合わせるのがなんだか照れくさかった。
「桃ちゃん、トレンドシンカーを目指すんでしょ!?」
「ゆ、ゆうちゃん! 声が大きいって!」
「いやあ、楽しみだなあ、桃ちゃんのステージ……!」
翼のキラキラとした視線を一身に受けて、桃音は思わず苦笑した。それでなんだか気が抜けたのも事実だった。
うんうん、と勝手になにか納得したように頷いて、翼は拳を突き上げた。
「よーし、まず二人が目指すは来月のオーディション! というわけで今日から特訓、頑張らなくちゃね」
「おー!」
朱希と桃音は視線を合わせた。二人で笑いあってから、翼に合わせて拳を突き上げる。
三人はこの時、お互いに力強い味方に、そして、ライバルになった。
*
――――靴の音が響く。三人は、市内にある貸しレンタルスタジオまで来ていた。目的はひとつ、朱希と桃音のオーディション合格のため。
朱希は歌が、桃音はダンスと体力がお互いに課題だった。
特に、桃音のダンスを彼女の体力に合わせて調節しながら、作曲もしつつ、自身も練習をしなければならない朱希は大変そうだったが、それでも毎日楽しそうだった。
「つ、疲れた……!」
「お疲れ様、ももちゃん! 最初に比べたら随分体力もついてきたんじゃない?」
「ありがとう、ゆうちゃん……そうかな……」
「まだまだ課題アリアリって感じだけどな。ま、形にはなるだろ」
「……朱希だって、歌は全然まだまだなくせに」
「うるせえなあ」
翼が二人に差し入れとして水分を渡す。二人――――特に桃音は随分ヘロヘロで、ペットボトルの半分くらいを一気に飲み干してしまった。
「……形には、なるかな」
「誰がダンス見てると思ってんだよ。大丈夫だって、なんとかするから」
な、と朱希はにい、と笑って言った。それでも不安そうなままの桃音を差し置いて、翼は唇を尖らせた。
「ボクももっと朱希に見てもらえば良かったなあ」
「おっ、今からでもやるか? 俺は厳しいぜ」
「ももちゃんには甘々なくせに」
「桃音は体力ないからなあ」
不服そうな翼の様子に、呆れた朱希がデコピンをお見舞いする。痛い、だの、なんだの。翼が騒ぐのを放置して、朱希は桃音に向き直った。
「そんな顔しなくても、大丈夫だって。信じてくれよ、俺を」
「……朱希のことはもちろん、信じてるよ。信じられないのは自分の方」
困った顔をした桃音は、そう呟いてから、ぱちん、と自身の頬を叩いた。
「だから、もっともっと頑張らなくちゃ」
「おっ、いいぞ、その意気だ。だけど今日はもう休め。へろへろだろ」
立ち上がろうとした桃音を朱希が押し戻す。不満そうな桃音に、翼が時計を見てから笑ってこう言った。
「頑張ったから、今日はおやつ買って帰ろう。たまにはご褒美も必要だよ」
桃音は、ご褒美と練習を天秤にかけて、ご褒美を取ることにしたようだ。頷く桃音の隣で、朱希も賛成、とグッドサインを作った。
*
帰り道。他愛ない話をしながら、お菓子を買って、アイスも買って、少しお行儀悪く食べながら帰路に着く。
ふと、帰宅するために駅に群がる人間の集合体の中から一人、朱希は、目が合った。
「……あ」
目を逸らす。気付いているのか気付いて居ないのか、相手はまじまじとこちらを眺めているのが分かった。
「朱希?」
不思議そうに翼が声をかけてくる。朱希は、咄嗟に笑顔を取り繕って応えた。
「なんでもない。ちょっと……昔の知り合いっぽい人が」
「えっ、どれどれ」
「や、やっぱ朱希だよな!?」
気付けば近くにまで来ていたその人――――紫苑は、食いつくように声を掛けてきた。
「元気してたか? 急に辞めたって聞いたからびっくりしたぞ」
「えっ、……あ〜」
「ダンスは続けているんだよな?」
紫苑の目は真っ直ぐだった。なんだか後ろめたくて、朱希は思わず誤魔化すように目を逸らした。
桃音と翼は視線を交わした。まずいんじゃない? そうかも。
「……あー! あ、あの! そろそろ門限だから帰らないと怒られちゃうなー!」
「えっ」
「も、ももちゃんのお家って、厳しいもんねー! 行こう、朱希!」
二人して朱希の手を引っ掴んで走り出す。呆気に取られた紫苑を置いて、三人は人混みをかき分けてその場から逃げた。
「はあ……、はあ……っ」
「も、ももちゃん、大丈夫? ほら、深呼吸深呼吸!」
桃音はぜえぜえと上がった息を整えてから、ぼうっとしている朱希に声を掛けた。
「朱希、大丈夫?」
「……ああ」
「大丈夫じゃなさそ〜」
朱希の頭の中は紫苑のことでいっぱいだった。ハッキリ言うのであれば、動揺していた。まさか、こんなところで会うなんて。
「あの人、って」
「……」
朱希はなにも言わなかった。何を言うか悩んでいるようだった。しばらくの沈黙の後、口を開く。
「なんでもねえ。ごめん、帰るわ」
「え、ちょ、ちょっと!」
翼と桃音は顔を見合せた。朱希の後ろ姿を視線で追いながら、二人で首を傾げる。
「大丈夫かな……」
「うーん」
大丈夫には、見えなかったが。でも、深く言わなかったということは、放っておけと言うことなのだろう。少しの心配をそこに置いて、二人も帰路につくことにした。
*
――――ダンスを習っていた。小さい頃の話だ。
歌うのは得意ではなかったが、踊るのは好きだった。紫苑とはライバルで、親友だった。彼と一緒に踊るのが好きだった。
でも。本当にたまたま調子が悪くて、うまく踊れなかった日があった。――――緊張していたのだ。柄にもなく。
それは、親にダンスを辞めさせられるかもしれない、という恐怖からだった。
ダンスが好きだ。歌うことは得意じゃないけど、好きだ。いつかトップシンカーにだってなりたい。そんな話を親にした、後日、両親はこんな話をしていた。――――やめさせるべきなのではないか、と。
彼の、失望したような顔をよく覚えている。
また失敗して同じ思いをしたくなくて、あの日、もう、全部を諦めることにしたのだ。
そのはずだったのだ。翼のステージを見るまでは。
まさかまた会うことになるなんて。いや、彼の家がまだ変わっていないなら、当然のことかもしれないが。
あの時の感情がぐつぐつと煮え立つように湧き出る。ああ、怖いのだ。
ダンスが好きだった。それでも恐怖に負けて逃げた幼い頃のダサい自分を、もう誰にも見ないで欲しかった。
ピコン。スマホから音が鳴る。見れば、紫苑だった。ああ、こんなことならブロックしておけばよかった。スマホを手に取る。
『今日は急に声を掛けてごめんな』
『トレンドシンカーには、もうなれたのか?』
既読をつけずにその文章を読む。もう随分長いこと、彼からの連絡を無視していた。
しばらくして、また、通知が飛んでくる。
『怒ってる?』
『朱希のステージが見たいだけなんだ』
どうして。
『俺はもう、諦めたから』
どうしてお前が、そんなことを言うんだ。
見ていられなくて、通知を消してスマホを閉じる。明滅するだけになった画面には、『返信待ってる』と新たに表示されて、嫌になった朱希はそのまま電源を落とした。
*
――――そうして、オーディション最終審査、当日。
朱希は、あれからずっと調子が悪いようだった。翼と桃音は心配していたが、結局、朱希はなにも話してはくれなかった。
「朱希、調子はどう?」
「まあ、普通」
「普通か〜」
いつもなら、バッチリ、くらいは言ってくれるのにな。そう思いながらその隣でガチガチの桃音を見る。
「ももちゃん、大丈夫だよ。深呼吸深呼吸!」
「う、うん……! 大丈夫、大丈夫……」
息を吸って、吐く。いつもみたいに茶々を入れなかった代わりに、朱希は桃音の背中をさすった。
「……朱希、緊張してるの?」
その手が少し震えているのを感じて、桃音は思わず朱希を見上げた。表情はいつも通りだ。いつも通り、だけれど。
「……そうかもな」
ぽつり、言葉が漏れる。その言葉がなんだか意外で、桃音は急に朱希が心配になった。
「朱希、」
「お、そろそろ出番じゃねえの」
桃音の言葉に被せるように朱希が言う。慌てたように時計を確認すれば、確かにその通りだった。準備をしなければ。
「翼。俺も準備してくるから」
「あ、うん。行ってらっしゃい……」
こくん、と頷いて朱希は去っていった。桃音も慌てたように準備をする。翼は、ステージ脇まで、桃音について行くことにした。
「――――ももちゃん」
ステージの脇で、翼が声をかける。
「なあに?」
「これね、ももちゃんに」
桃音が目を見開く。翼の手に握られているのは、スタイルコードだった。
「ボクがデザインしたの。もちろん、ももちゃんにはももちゃんの衣装があると思うから、お守りになったらいいなと思って……」
桃音はまじまじとそのスタイルコードを眺める。ピンクの長めのスカートに、青いリボン。本当は、自分のためのデザインができなくて、オーディション用にと配られるスタイルコードを使う予定だったのだ。
「……ゆうちゃん。これ、使ってもいい?」
「えっ」
今度は翼が目を丸くする番だった。桃音は嬉しそうに目を細めて続ける。
「だって、とっても嬉しいし……その方が、安心するから。ね、いいでしょ」
翼はなんだかむず痒くて、目を逸らして頷いた。やった、と桃音がスタイルコードを抱きしめる。
「じゃあ、行ってくるね、ゆうちゃん」
「うん、頑張って」
桃音が貸し出されたレゾナンスマイクを持つ。翼が一歩離れたのを合図に、スイッチを押した。
桃音のステージは大盛況だった。ステラ・ノーツこそ出なかったものの、大きなミスもなく最後まで歌い踊った。得点は――――1003点。ギリギリとはいえ、合格は合格だ。
桃音が戻ってきたのと同時に、朱希がステージ脇までやってくる。
「桃音、おめでと」
「朱希……」
桃音も翼も、たくさん言いたいことがあった。でも、時間はなかった。
「俺も頑張んなきゃな」
言葉とは裏腹にどこか不安そうな朱希は、よし、と気合を入れて、レゾナンスマイクを握った。
「レゾナンスマイク!」
ボタンを押す。
「スタイルコードセット!」
読み込ませたカードはオーディションで配布されるものだ。
息を吸って、吐く。期待と不安を綯い交ぜにしたような、複雑な気持ちだった。いや、どちらかといえば不安の方が大きい。
それでも。
「――――オーディション、合格……!」
目指すのは、それだけだ。
「オン・ステージ!」
視線を上げれば、たくさんの人々の顔が見えて、それがよりプレッシャーだった。
曲が流れ出す。自分で作って、何度も聞いたから、問題なく歌えるはずだ。踊れるはずだ。
なのに、どうして。
どうしようもなく集中出来なかった。歌詞を間違えて、焦って音程がズレる。上手く歌えなかった。身体に染み付いたダンスだけが完璧で、それがなんだか、余計に恥ずかしかった。
ああ、無理だ。
どうしようもなくそう思った。気付けば曲は終わっていた。得点は――――869点。ああ、そうだろうな、と、ぼんやりと思った。
翼と桃音の元に戻るのが嫌で、でもステージの上に居座るのももっと嫌で、そそくさとステージから降りた。
「朱希!」
翼が声をかけてくる。ああ、惨めになるから心配なんかしないでくれ。
「朱希……あのね、私たち……」
「んだよ」
不機嫌な声が漏れる。ああ、いけない。当たってしまう。咄嗟に言葉を止めた。代わりに何を言おうか悩んで、絞り出すように、
「……ごめん、しばらくほっといてくれ」
それだけ言って、彼らの前を去ることにした。引き止める声はあったが、全てを無視する。冷静でいられる自信が、全くもってなかった。
背を向ける。歩き出す。そんな時、
「いやだ!」
がしりと手を掴まれる。桃音だった。翼が目を見開いているのが見えた。
「なっ、」
「朱希って全然私たちに相談してくれないんだから!」
拗ねたような顔で桃音が言う。面食らった朱希がなにか言い返す間もなく桃音は捲し立てた。
「私たち、朱希のこといっぱい心配してる! あの子と会ってから朱希ったらずっと様子がおかしいんだもの」
息継ぎ。勢いのまま言葉を続けた。
「どうして何も言ってくれないの、私じゃ……頼りないかもしれないけど! それでも、朱希の力になりたいよ」
朱希はなにか言おうとして、結局、何も言えなかった。後ろから翼が声を掛けてくる。
「ボクたち、ちょっと当たられたくらいで怒らないよ。朱希だって許してくれるでしょ」
それはそうかもしれないが。翼は続ける。
「それに、ひとりじゃ解決できない悩みを抱え続けるのは、きっと苦しいことだよ」
朱希はしばらく悩んだ。しばらく悩んでようやく、少しづつ言葉を口にする。
「いや……悪い。頼りないと思ってたとか、そんなつもりじゃなくて……」
目を伏せる。なんだか二人と目を合わせられなかった。
「自分が恥ずかしいんだ。ただそれだけで」
翼と桃音は顔を見合せた。少しの間をおいて、翼が口を開く。
「でも、朱希は変わろうとしてるじゃん」
「そ、そうだよ!」
桃音も拳を握りしめて言った。
「何の話かは……わかんないけどっ、かっこ悪い自分が嫌で変わろうとしてるのなら、朱希が恥ずかしいって思うようなこと、絶対にないんだから!」
翼も頷く。朱希は思わず顔を上げた。二人と目が合う。二人は、に、と笑って朱希の手を握った。
「ももちゃんの言う通り。大丈夫だよ、朱希はちゃんとかっこいいから」
そうだそうだと桃音がヤジを入れた。朱希は、一人で悩んでいたことがなんだか馬鹿らしくなって、ようやく苦笑した。
「お前らも、なんだかんだお人好しだよな」
「私たちがお人好しだからじゃなくて、相手が朱希だからこうしてるんだよ」
そう真正面から言われて、朱希は照れたように、くすぐったそうに視線を逸らして、それから、小さな声で感謝を述べた。
もうすっかり、いつも通りの朱希だった。
*
息を吸って、吐く。それから、紫苑からのLINEに既読をつけた。
『連絡出来なくてごめん』
『オーディション、落ちたよ』
とりあえず送る。既読はすぐついた。少し悩んでから、追加で送った。
『でも俺、諦めたくないから、諦めない』
誰に、とも言えない宣言だった。でも、紫苑に聞いて欲しかった。
『それでこそ!』
『俺もまた頑張ろうかな』
紫苑からはそんな言葉が返ってきた。
それでこそ、か。朱希は、自身の周りの人々って、こちらを信じすぎるところがあるんじゃないかとぼんやり思った。
なにはともあれ、友人が、自身のやりたいことを諦めないという選択をするのは嬉しいことなので、最高、のスタンプを送った。
それから。
『800点は越えたから、一応、もう一回だけチャンスがあるんだ』
TrendSync Performで、特に大切なのは素直な心だと言われている。そのために、800点を越した未来のトレンドシンカー候補は、その月のオーディションにもう一度だけチャンスを貰える。心は揺れるものだから。
『だから、見に来て』
勢いのまま、送ってしまった。でも、それで良かったと思った。知ってもらおう。今の、朱希のステージを。
『もちろん!』
その連絡を最後に、スマホの電源を落とす。そろそろ眠らねばならなかった。
不安で、なによりも怖かった前夜と比べて、どこか安心した心地だった。
*
オーディション会場に向かえば、当然のように、翼と桃音もそこに立っていた。
「お前ら……」
わざわざ言わなかったのに。翼はいたずらっぽく笑った。
「諦め悪い朱希のことだからと思ってね。調子良さそうで良かったよ」
桃音も嬉しそうに頷いてから、心を決めたように朱希に視線を合わせる。
「朱希、これ、ゆうちゃんと二人でデザインしたの!」
スタイルコードだった。
「本当は前回渡そうと思ってたんだけど、タイミングがなくて」
翼が補足する。そうだったのか。
「気持ちはいーっぱい込めといたから! 頑張ってね、朱希!」
桃音が押し付けるようにそれを渡して、朱希は思わず受け取った。それだけを言うと、二人は時間を見て、慌てて客席に向かって行った。
「……はは、やってやろうじゃん」
不安はもう無かった。ちゃんと、覚悟を決めることが出来そうだった。
その勢いを殺さぬようにと、走ってステージに向かうことにした。
*
真っ赤なサイリウムが広がる客席がよく見える。朱希はステージに躍り出た。
曲が流れ出す。覚悟を決める。上手く歌えなかったあの日から、更に曲を聞き込んだ。身体は勝手に動くのだから、課題である歌に集中する必要があった。
前回のステージを見ていた人はこの客席の中にどれくらいいるんだろう。
その人達すらあっと驚かせてやりたかった。――――見違えるようだと、思って欲しい。
ふと、客席に紫苑を見つけた。
ああ、紫苑、俺、悔しかった!
お前に失望されたのが悔しかった。ダンスで負けたのが悔しかった。なにより、そんなことで逃げていた自分の存在がいちばん悔しかった!
でも、変わるって決めたんだ。決めたから、変わるんだ。
客席に指を指す。指を指して、手拍子を誘導した。光のノーツが見えた。
伝われ、伝われ、伝われ! これが俺の決意で覚悟なのだと、ただ、それだけが伝わればなんでも良かった。
夢中で手拍子を取る。リズムを誘導する。
――――爆発的な光だった。
音を操るように、曲を作る時のように。飛び交う音符を操って、美しい旋律を作り出す。
そうして完成したその旋律を、ギターを掻き鳴らすみたいに鳴らす。鳴らす。
その音に合わせるみたいにステップを踏んだ。ああ、楽しい!
そうだ、そうだとも。
この瞬間を誰よりも楽しまなくちゃ、トップシンカーになんてなれない!
大きな歓声が鼓膜を揺らした。朱希はそれで我に返った。気付けば曲は終わっていて、自分の身体も、止まっていた。
得点は――――1360点。1360点?
「合格……!」
思わずガッツポーズを作ってから、客席の全員に頭を下げた。拍手は鳴り止まず、大きな拍手の中、朱希はそのステージを降りた。
「朱希!」
手続きを終えれば、翼と桃音が迎えてくれた。
「凄かったよ、朱希! まさかステラ・ノーツまで出しちゃうなんて!」
桃音が興奮した様子でそう言う。翼も隣でうんうんと頷いた。
「覚悟の伝わる良いステージだったよ、朱希」
「……おう、ありがとう」
2人は、どこか上の空の朱希を見て不思議そうな顔をした。朱希は、補足するように続ける。
「いや……、現実味がなくて。まだ夢なんじゃねえかなって」
「ああ……」
「わかるなあ……」
合格直後ってそうだよね、とトレンドシンカーになったばかりの三人は笑い合う。ともあれ、三人とも無事に合格したのだ。
「朱希〜!」
その声で振り返る。紫苑だった。翼と桃音がちょっと警戒したのを他所に、朱希は平然とそちらに向かって行く。
「どうだった?」
「めっちゃ良かった! 朱希は昔から才能あったからな、当然の結果だと思うぞ」
興奮冷めやらぬといわんばかりに紫苑は朱希に感想をぶつける。それをすかした態度で受け止めている朱希は、いつも通りだった。
「……解決したのかな」
「かもね?」
翼と桃音は顔を見合せて首を傾げた。それから二人して、解決したならそれがいいか、と納得する。
空には星が瞬いている。いつか、この中の誰かが、あの一番星みたいに。そんな想像をしてしまうほど浮かれたその日を、満喫するように伸びをした。
畳む
〇自分が楽しむための物語の種を作ってみよう!
①キャラクターに喋らせながらキャラクターを作ってみよう!
・はじめに
キャラクターを作り、掘り下げるということは、時に自分を掘り下げることです。
キャラクターを動かすのに必要なのは納得感です。自分のキャラクターの気持ちや思想に納得感や理解が無いと、どう動かしていいか分からなくなります。
逆に言えば、どれだけ自分とかけ離れた思想をしていても、どれだけ自分が抱えないようにしているような嫌な気持ちを気持ちを抱えても、納得さえしてしまえば、理解さえしてしまえば書けるということです。
そのため、キャラクターを自分に寄せたり、自分がキャラクターに寄り添ったりする必要があります。そういう時、キャラクターは自分の傷や欲求を映し出しますが、キャラクターと自分は違う生き物だと信じ、恥を捨てましょう。
すぐに出来なくても構いません。長いことキャラクターと関わっていればキャラクターに愛着が湧き、慣れます。多分。それを待ちましょう。
・やりたいことを決める
ざっくりで大丈夫です! 関係性であれば少女漫画の男女みたいな雰囲気、少年漫画のライバルみたいな雰囲気、勇者パーティご一行、幼馴染、などの、雰囲気と大体の世界観があるとイメージがはっきりしていて良いと思います。
その方面でやりたいことがない場合は、最近見た好きな世界観(ファンタジー、SF、などのざっくりしたもの)や、職業などをイメージしてください。全ては目安なので、無かったことにしても良いものとします。
私はファンタジーの勇者パーティご一行が作りたいのでそれを作ります。
・口調を定めて喋らせてみる
口調を定めましょう。キャラクターのことを知るには喋らせてみるのが一番です。そこから読み取れるものからキャラクターにしていきましょう。ちなみに、私は基本的に自己紹介から始めています。
思い浮かばない場合は、好きな人(有名人でも、キャラクターでも構いません)の口調で、その人と被らないよう、名前、所属、好きなこと、もの、嫌いなこと、ものを喋らせてみてください。特に、好きなこと、嫌いなことが定まっていると良いかもしれません。
「は、初めまして、私は(名前)です……! (勇者の名前)様のパーティで、ヒーラーを務めさせていただいております! よ、よろしくお願いします……!」
例えば上記の言葉を話す女の子であれば、少し弱気で、勇者のことを慕っているんだな、という情報が読み取れます。少し吃っているので、自分に自信がない子だ、ということがここで決まりますね。
「俺は(名前)。(勇者の名前)んとこのパーティで魔道士やってるよ〜。お嬢ちゃん可愛いねえ、今から俺とデートしない? だめ? ケチ〜」
上記は軽薄な男の例ですね。自分の見目に自信があり、勇者とは友達関係なのでしょう。あるいは、腐れ縁などの可能性もありますね。
・口調が固まったら
個人的に、物語の種を作る鍵はギャップです。弱気な人の隣には強気な人を置くのが簡単ですが、例えどれだけ似た者同士でも違うところがあるから物語が生まれます。
もし「〇〇な子の裏に、実は〇〇な一面がある」がすぐ浮かぶなら、それでOKです。多分あなたの中に、好きな作品から吸収した「ギャップの在庫」があるので、それを引っ張り出しているだけです。
パッと浮かばない場合は、以下のどちらかを試してみてください。
(1)表の性格をひとつ決め、対義語を、3〜5個くらい機械的に書き出してみましょう。手っ取り早いのは調べてみることです。その中から好ましい、あるいは思いつきそうなもの、共感できるものを選んでみましょう。
共感できるものが一番良いと思います。動かしやすいので。
(2) 身近な人や有名人を思い浮かべてみましょう。推しでも大丈夫です。あなたの好きなその人のギャップを思いついたらそれをそのままモデルにしてOKです。エピソードや口調を足していくうちに、自然と原型は消えていきます。
ギャップの原型が決まったら、それに沿っていよいよ弱音を吐かせてみましょう。
「わ、私、力の制御ができなくて……っ、す、すみません、お役に立てないかもしれません、すみません、私……!」
弱気な女の子が実は強いとギャップがあって嬉しいですよね。
例えば、ヒーラーということは味方の回復をする役です。回復が出来るということはその逆もできてしまうこともあるし、過度に回復してしまうこともあるでしょう。それほどまでに魔力が強く、恐れられてきた優しい子、という設定をここで付与できますね。
じゃあ、ここでこれを解決する方法を模索します。お、ちょうどいいところに魔道士がいますね。
魔道士ということは、彼は魔法の扱いに長けているということです。もしかしたら助けてやれるかもしれません。
「はいはい、俺、俺! 俺魔道士だからめちゃくちゃ魔法の扱い得意だよ〜」
もしかしたらここで勇者の補足が入ったかもしれません。例えば、「こいつはこんなだけどちゃんとその道のプロなんだよ」「こんなってなんだよ」みたいな。もしこういうことを思いついたら、物語の種になるので取っておきましょう。いつか勇者を作るのに役立つかもしれません。
魔道士と一緒に修行することにより、ヒーラーとして強く育った女の子。では、魔道士の弱点も考えましょう。
「だって、仕方ねえじゃん、それが最善だったんだよ。俺、間違ってた? じゃあどうすれば良かった? あの時、ガキの俺一人で何が出来たってんだよ、教えてくれよ……」
弱音は、必ずしも職業の機能から出さなくても大丈夫です。他のキャラとの関係性から出しても構いません。
おや? 過去に何かがあったことを悔やんでいるみたいです。詳細を設定しましょう。
過去、幼馴染の女の子(=ヒーラーちゃん)を助けられなかったことを忘却させられている、とかだとアツいですね。勇者ご一行ということは魔王がいるかもしれませんから、一度ヒーラーちゃんは魔王の手に落ちており、そこからスパイとして派遣されている、でもアツいかもしれません。これも物語の種ですね。
記憶が抜け落ちているが、パーティの面々のピンチに人一倍敏感で、その分信頼が厚い、とかだと筋が通って良いかもしれません。
これを解決するのは物語の本筋に関わりそうですね。他のキャラクターも関わらせたいので、これは一度置いておくとして、大分この二人のキャラクターが見えてきたんじゃないでしょうか。
その他キャラクターもその調子で作ってみましょう。まずは自己紹介からキャラクターの性格を掘り下げ、弱音を聞いてバックグラウンドの設定をしてみましょう。
例:
○勇者
「僕は(名前)、今をときめく勇者様だよ。自分で言うかって? 最近(魔道士)にユーモアが足りないって怒られたんだよ。面白くなかった?」
→冗談は言わない、真面目な性格。パーティのことが好きで、メンバーに言われたことはとりあえず取り入れてみるようにしている。
「僕はごくごく普通の人間だよ。力がある訳でも、知識があるわけでもない。でも戦うんだ。いつかの平和な未来のために。……付き合わせてごめんね」
→自分に自信がない。
○戦士
「アタシ、(名前)! (勇者の名前)のとこで戦士やってんだ。よろしくな!」
→豪胆で明るく元気な女性。笑顔が素敵なお姉さんだと嬉しい。
「アタシ、(勇者の名前)みたいに人をまとめたりなんか出来ないし、(魔道士)みたいに知識が豊富な訳でもない。だからといって(ヒーラー)みたいな根性もないんだ。だけど、アタシにはアタシに出来ることがしたい!」
→よく言えば無垢、悪く言えばお馬鹿で、よくわからぬまま流されやすい。だけど自分の芯はしっかり持っていて、それにそぐわないものはしっかり断れる強気な女。
②関係性の掘り下げ
キャラクターの要素がある程度決まったら、次は関係性を決めましょう。関係性は物語を作る上で重要な鍵です。キャラクターの成長譚はみんな好きですよね。
関係性を深堀するにしても、また、キャラクターを喋らせてみましょう。今回は、他のキャラクターに何を思っているか、を知るために喋らせます。
さっき私は四人分キャラクターを作りましたので、四人分喋ってもらいます。
「勇者様は、とても素晴らしいお方で……! 私なんかがそばにいていいのかなっていつも思います、いや、あの人にとっては……パーティにとっては、本当は良くないんでしょうけど、……私は、離れられずにいる」
「(勇者の名前)はな〜、真面目すぎるんだよな。もっと肩の力抜けよ〜って俺は思ってるけど、まあアレは元来の質ってことで、変わんねえもんだろうな〜」
「(勇者の名前)はすげ〜奴だぜ。アタシとも互角に戦えるし、なにより根性がある! 諦めたくない時に諦めないことを選べるやつはすげ〜やつだ。アタシはアイツのこと、尊敬してるぜ」
上からヒーラー、魔道士、戦士です。ヒーラーは、魔王の手先であるという設定を採用して、それでも離れがたく思っている、という設定をつけました。
「(ヒーラーの名前)は、強くてかっこいい子だよ。自分の中に信念がある。最初はどうなる事やらと思っていたけど……、今は、彼女がどう思っていようと、僕たちは彼女の味方だ。」
「(ヒーラーの名前)……、あいつ見てるとなんかザワザワすんだよな。でもあいつは悪い奴じゃないんだ、根性があって良いと思う。ただ……、変な感じがするんだ、ずっと」
「(ヒーラーの名前)は本当に可愛いんだ! 本当はアタシにい〜っぱい甘えてくれ〜! って思ってるんだけど、なんかそうもいかないらしいんだよな。寂しい時は寂しい、辛い時は辛いって言えばいいのにな」
こちらは上から勇者、魔道士、戦士です。魔道士はヒーラーとは元々幼馴染であるという設定を採用しました。最も、お互いにその記憶はないでしょうが……。
「(魔道士の名前)は……あれでいて、悪いやつじゃないんだよ、本当に。ああいう振る舞いをすることで余裕を見せ掛けているだけだ。そうしなければならなかったんだ思う。だから僕は見過ごすようにしてるよ」
「(魔道士の名前)さん……、あの人を見てると、なんだか不思議な気持ちになるんです。これがなんなのか、分からないけど……。でも、(魔道士の名前)さんは良い人ですよ。上手く魔法が使えなかった私を、いっぱい助けてくれたので……!」
「(魔道士の名前)? 実はアイツのことちょっと苦手なんだよな、何考えてるか分からなくて。でもいつもアタシたちのために動いてくれてるから、悪いやつじゃないのは知ってる!」
こちらは勇者、ヒーラー、戦士です。
「(戦士の名前)は、何事にも真っ直ぐでかっこいい人だよ。誰よりも勘が鋭くて、危険を察知するのが早いんだ。自分のことをバカだって言うけど、(ヒーラーの名前)のことはわざと見過ごしてると思うから……、自分で選べる人は、バカでは無いと思う。」
「(戦士の名前)さんは……、私のこと、いっぱい可愛がってくれます。もし私にお姉ちゃんがいたらこんな感じなのかもしれないなあって、不相応ですけど……。いっぱい心配かけてることは知ってるんです。でも、……」
「(戦士の名前)は俺ちょっと苦手なんだよな。真っ直ぐ突っ込まれると誤魔化すしかねえじゃん。俺ってそういう素直なキャラじゃねえし。……ま、でも信頼はしてるよ。」
勇者、ヒーラー、魔道士ですね。
このように、それぞれの関係性が見えてきたら、物語のネタが落ちていないかを探します。
それぞれのセリフを見比べると、本人は気づいていないことに他のキャラが気づいていたり、逆に、気づいていながらあえて黙っていたりすることがあります(例えば、戦士がヒーラーの異変にわざと気づかないふりをしている、という勇者の指摘のように)。このズレこそが、物語の種になります。
例えば、魔道士とヒーラーの関係性が顕になるときってどんなだろう? とか、勇者がヒーラーに真実を話させるために外堀を埋めていたら嬉しい、とか。戦士が魔道士の弱い所を突いてちょっと喧嘩になったらどうだろう、とか、戦士が勇者を甘やかす日がたまに訪れていたら可愛い、とか。
これが物語の種です。もし、物語本編を作りたい! ということであれば、この物語の種を頭の中でも紙の上でもストックしておいて、なんとなく時系列順に並べてから、その間を埋める出来事を考えると良いと思います。その間に、世界観が更に深堀出来るとより良いでしょう。
例えば、私の考えた世界であれば倒すべき魔王のこと。勇者の世間的な立ち位置や、そもそもどんな国に住んでいるのか、どんな世界が広がっていて、どんなモンスターが存在しているのか、など。
自分が楽しむための創作として見るのであれば必ずしも必要ではないですが、本編を作るのであれば、加われば加わるほど物語に深みが出るので、時間のある時に考えてみましょう。
以上が、物語の種を作るための個人的な工程です。自分なりに流用できないかと思って書いてみましたが、いかがでしょうか。この文章が、なにかの参考になれば嬉しいです。
畳む
①キャラクターに喋らせながらキャラクターを作ってみよう!
・はじめに
キャラクターを作り、掘り下げるということは、時に自分を掘り下げることです。
キャラクターを動かすのに必要なのは納得感です。自分のキャラクターの気持ちや思想に納得感や理解が無いと、どう動かしていいか分からなくなります。
逆に言えば、どれだけ自分とかけ離れた思想をしていても、どれだけ自分が抱えないようにしているような嫌な気持ちを気持ちを抱えても、納得さえしてしまえば、理解さえしてしまえば書けるということです。
そのため、キャラクターを自分に寄せたり、自分がキャラクターに寄り添ったりする必要があります。そういう時、キャラクターは自分の傷や欲求を映し出しますが、キャラクターと自分は違う生き物だと信じ、恥を捨てましょう。
すぐに出来なくても構いません。長いことキャラクターと関わっていればキャラクターに愛着が湧き、慣れます。多分。それを待ちましょう。
・やりたいことを決める
ざっくりで大丈夫です! 関係性であれば少女漫画の男女みたいな雰囲気、少年漫画のライバルみたいな雰囲気、勇者パーティご一行、幼馴染、などの、雰囲気と大体の世界観があるとイメージがはっきりしていて良いと思います。
その方面でやりたいことがない場合は、最近見た好きな世界観(ファンタジー、SF、などのざっくりしたもの)や、職業などをイメージしてください。全ては目安なので、無かったことにしても良いものとします。
私はファンタジーの勇者パーティご一行が作りたいのでそれを作ります。
・口調を定めて喋らせてみる
口調を定めましょう。キャラクターのことを知るには喋らせてみるのが一番です。そこから読み取れるものからキャラクターにしていきましょう。ちなみに、私は基本的に自己紹介から始めています。
思い浮かばない場合は、好きな人(有名人でも、キャラクターでも構いません)の口調で、その人と被らないよう、名前、所属、好きなこと、もの、嫌いなこと、ものを喋らせてみてください。特に、好きなこと、嫌いなことが定まっていると良いかもしれません。
「は、初めまして、私は(名前)です……! (勇者の名前)様のパーティで、ヒーラーを務めさせていただいております! よ、よろしくお願いします……!」
例えば上記の言葉を話す女の子であれば、少し弱気で、勇者のことを慕っているんだな、という情報が読み取れます。少し吃っているので、自分に自信がない子だ、ということがここで決まりますね。
「俺は(名前)。(勇者の名前)んとこのパーティで魔道士やってるよ〜。お嬢ちゃん可愛いねえ、今から俺とデートしない? だめ? ケチ〜」
上記は軽薄な男の例ですね。自分の見目に自信があり、勇者とは友達関係なのでしょう。あるいは、腐れ縁などの可能性もありますね。
・口調が固まったら
個人的に、物語の種を作る鍵はギャップです。弱気な人の隣には強気な人を置くのが簡単ですが、例えどれだけ似た者同士でも違うところがあるから物語が生まれます。
もし「〇〇な子の裏に、実は〇〇な一面がある」がすぐ浮かぶなら、それでOKです。多分あなたの中に、好きな作品から吸収した「ギャップの在庫」があるので、それを引っ張り出しているだけです。
パッと浮かばない場合は、以下のどちらかを試してみてください。
(1)表の性格をひとつ決め、対義語を、3〜5個くらい機械的に書き出してみましょう。手っ取り早いのは調べてみることです。その中から好ましい、あるいは思いつきそうなもの、共感できるものを選んでみましょう。
共感できるものが一番良いと思います。動かしやすいので。
(2) 身近な人や有名人を思い浮かべてみましょう。推しでも大丈夫です。あなたの好きなその人のギャップを思いついたらそれをそのままモデルにしてOKです。エピソードや口調を足していくうちに、自然と原型は消えていきます。
ギャップの原型が決まったら、それに沿っていよいよ弱音を吐かせてみましょう。
「わ、私、力の制御ができなくて……っ、す、すみません、お役に立てないかもしれません、すみません、私……!」
弱気な女の子が実は強いとギャップがあって嬉しいですよね。
例えば、ヒーラーということは味方の回復をする役です。回復が出来るということはその逆もできてしまうこともあるし、過度に回復してしまうこともあるでしょう。それほどまでに魔力が強く、恐れられてきた優しい子、という設定をここで付与できますね。
じゃあ、ここでこれを解決する方法を模索します。お、ちょうどいいところに魔道士がいますね。
魔道士ということは、彼は魔法の扱いに長けているということです。もしかしたら助けてやれるかもしれません。
「はいはい、俺、俺! 俺魔道士だからめちゃくちゃ魔法の扱い得意だよ〜」
もしかしたらここで勇者の補足が入ったかもしれません。例えば、「こいつはこんなだけどちゃんとその道のプロなんだよ」「こんなってなんだよ」みたいな。もしこういうことを思いついたら、物語の種になるので取っておきましょう。いつか勇者を作るのに役立つかもしれません。
魔道士と一緒に修行することにより、ヒーラーとして強く育った女の子。では、魔道士の弱点も考えましょう。
「だって、仕方ねえじゃん、それが最善だったんだよ。俺、間違ってた? じゃあどうすれば良かった? あの時、ガキの俺一人で何が出来たってんだよ、教えてくれよ……」
弱音は、必ずしも職業の機能から出さなくても大丈夫です。他のキャラとの関係性から出しても構いません。
おや? 過去に何かがあったことを悔やんでいるみたいです。詳細を設定しましょう。
過去、幼馴染の女の子(=ヒーラーちゃん)を助けられなかったことを忘却させられている、とかだとアツいですね。勇者ご一行ということは魔王がいるかもしれませんから、一度ヒーラーちゃんは魔王の手に落ちており、そこからスパイとして派遣されている、でもアツいかもしれません。これも物語の種ですね。
記憶が抜け落ちているが、パーティの面々のピンチに人一倍敏感で、その分信頼が厚い、とかだと筋が通って良いかもしれません。
これを解決するのは物語の本筋に関わりそうですね。他のキャラクターも関わらせたいので、これは一度置いておくとして、大分この二人のキャラクターが見えてきたんじゃないでしょうか。
その他キャラクターもその調子で作ってみましょう。まずは自己紹介からキャラクターの性格を掘り下げ、弱音を聞いてバックグラウンドの設定をしてみましょう。
例:
○勇者
「僕は(名前)、今をときめく勇者様だよ。自分で言うかって? 最近(魔道士)にユーモアが足りないって怒られたんだよ。面白くなかった?」
→冗談は言わない、真面目な性格。パーティのことが好きで、メンバーに言われたことはとりあえず取り入れてみるようにしている。
「僕はごくごく普通の人間だよ。力がある訳でも、知識があるわけでもない。でも戦うんだ。いつかの平和な未来のために。……付き合わせてごめんね」
→自分に自信がない。
○戦士
「アタシ、(名前)! (勇者の名前)のとこで戦士やってんだ。よろしくな!」
→豪胆で明るく元気な女性。笑顔が素敵なお姉さんだと嬉しい。
「アタシ、(勇者の名前)みたいに人をまとめたりなんか出来ないし、(魔道士)みたいに知識が豊富な訳でもない。だからといって(ヒーラー)みたいな根性もないんだ。だけど、アタシにはアタシに出来ることがしたい!」
→よく言えば無垢、悪く言えばお馬鹿で、よくわからぬまま流されやすい。だけど自分の芯はしっかり持っていて、それにそぐわないものはしっかり断れる強気な女。
②関係性の掘り下げ
キャラクターの要素がある程度決まったら、次は関係性を決めましょう。関係性は物語を作る上で重要な鍵です。キャラクターの成長譚はみんな好きですよね。
関係性を深堀するにしても、また、キャラクターを喋らせてみましょう。今回は、他のキャラクターに何を思っているか、を知るために喋らせます。
さっき私は四人分キャラクターを作りましたので、四人分喋ってもらいます。
「勇者様は、とても素晴らしいお方で……! 私なんかがそばにいていいのかなっていつも思います、いや、あの人にとっては……パーティにとっては、本当は良くないんでしょうけど、……私は、離れられずにいる」
「(勇者の名前)はな〜、真面目すぎるんだよな。もっと肩の力抜けよ〜って俺は思ってるけど、まあアレは元来の質ってことで、変わんねえもんだろうな〜」
「(勇者の名前)はすげ〜奴だぜ。アタシとも互角に戦えるし、なにより根性がある! 諦めたくない時に諦めないことを選べるやつはすげ〜やつだ。アタシはアイツのこと、尊敬してるぜ」
上からヒーラー、魔道士、戦士です。ヒーラーは、魔王の手先であるという設定を採用して、それでも離れがたく思っている、という設定をつけました。
「(ヒーラーの名前)は、強くてかっこいい子だよ。自分の中に信念がある。最初はどうなる事やらと思っていたけど……、今は、彼女がどう思っていようと、僕たちは彼女の味方だ。」
「(ヒーラーの名前)……、あいつ見てるとなんかザワザワすんだよな。でもあいつは悪い奴じゃないんだ、根性があって良いと思う。ただ……、変な感じがするんだ、ずっと」
「(ヒーラーの名前)は本当に可愛いんだ! 本当はアタシにい〜っぱい甘えてくれ〜! って思ってるんだけど、なんかそうもいかないらしいんだよな。寂しい時は寂しい、辛い時は辛いって言えばいいのにな」
こちらは上から勇者、魔道士、戦士です。魔道士はヒーラーとは元々幼馴染であるという設定を採用しました。最も、お互いにその記憶はないでしょうが……。
「(魔道士の名前)は……あれでいて、悪いやつじゃないんだよ、本当に。ああいう振る舞いをすることで余裕を見せ掛けているだけだ。そうしなければならなかったんだ思う。だから僕は見過ごすようにしてるよ」
「(魔道士の名前)さん……、あの人を見てると、なんだか不思議な気持ちになるんです。これがなんなのか、分からないけど……。でも、(魔道士の名前)さんは良い人ですよ。上手く魔法が使えなかった私を、いっぱい助けてくれたので……!」
「(魔道士の名前)? 実はアイツのことちょっと苦手なんだよな、何考えてるか分からなくて。でもいつもアタシたちのために動いてくれてるから、悪いやつじゃないのは知ってる!」
こちらは勇者、ヒーラー、戦士です。
「(戦士の名前)は、何事にも真っ直ぐでかっこいい人だよ。誰よりも勘が鋭くて、危険を察知するのが早いんだ。自分のことをバカだって言うけど、(ヒーラーの名前)のことはわざと見過ごしてると思うから……、自分で選べる人は、バカでは無いと思う。」
「(戦士の名前)さんは……、私のこと、いっぱい可愛がってくれます。もし私にお姉ちゃんがいたらこんな感じなのかもしれないなあって、不相応ですけど……。いっぱい心配かけてることは知ってるんです。でも、……」
「(戦士の名前)は俺ちょっと苦手なんだよな。真っ直ぐ突っ込まれると誤魔化すしかねえじゃん。俺ってそういう素直なキャラじゃねえし。……ま、でも信頼はしてるよ。」
勇者、ヒーラー、魔道士ですね。
このように、それぞれの関係性が見えてきたら、物語のネタが落ちていないかを探します。
それぞれのセリフを見比べると、本人は気づいていないことに他のキャラが気づいていたり、逆に、気づいていながらあえて黙っていたりすることがあります(例えば、戦士がヒーラーの異変にわざと気づかないふりをしている、という勇者の指摘のように)。このズレこそが、物語の種になります。
例えば、魔道士とヒーラーの関係性が顕になるときってどんなだろう? とか、勇者がヒーラーに真実を話させるために外堀を埋めていたら嬉しい、とか。戦士が魔道士の弱い所を突いてちょっと喧嘩になったらどうだろう、とか、戦士が勇者を甘やかす日がたまに訪れていたら可愛い、とか。
これが物語の種です。もし、物語本編を作りたい! ということであれば、この物語の種を頭の中でも紙の上でもストックしておいて、なんとなく時系列順に並べてから、その間を埋める出来事を考えると良いと思います。その間に、世界観が更に深堀出来るとより良いでしょう。
例えば、私の考えた世界であれば倒すべき魔王のこと。勇者の世間的な立ち位置や、そもそもどんな国に住んでいるのか、どんな世界が広がっていて、どんなモンスターが存在しているのか、など。
自分が楽しむための創作として見るのであれば必ずしも必要ではないですが、本編を作るのであれば、加われば加わるほど物語に深みが出るので、時間のある時に考えてみましょう。
以上が、物語の種を作るための個人的な工程です。自分なりに流用できないかと思って書いてみましたが、いかがでしょうか。この文章が、なにかの参考になれば嬉しいです。
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#TrendSync 二話
7864文字
「昔、それこそ小学校までダンス習ってて。その頃、俺も、トレンドシンカーを目指してたんだ」
翼や桃音と出会う前の朱希の夢は、トレンドシンカーだった。色々あって、諦めてしまったそれを、憧れという感情を、翼のステージを見て、思い出した。
「俺、翼に、『好きなもんは好きだ、って、堂々としてた方がかっこいい』って言ったけど、どの口がって話だよな。それが、なんだか恥ずかしくなっちゃって」
そんな自分の言葉を、空気が重くならないよう軽く笑い飛ばしてから、朱希は言った。
「俺ももっかいトレンドシンカーを目指したい。歌って踊って、みんなに元気を与えるトレンドシンカーが好きだから!」
そこまで言って翼と桃音の反応を伺うと、多少なりとも驚いている様子だった。そんな二人を見て、朱希は急に急になんだか恥ずかしくなった。何かを訂正しようと開けた口が音を発する前に、翼がふ、と笑った。
「いいんじゃない?」
「……!」
「堂々としなよ。好きなものは好きだって堂々としてた方がかっこいい、んでしょ」
自分が発した言葉が返ってくる。ああ、そうだ。確かに自分はそう思っている。
「きっとなれるよ。朱希って普通にかっこいいし、なんでも器用にこなしちゃうんだもん、これは強力なライバルが増えちゃったな」
ね、と、翼は言葉を押した。言葉とは裏腹に心底嬉しそうで、朱希はなんだかむず痒かった。
「す、すごいね……!」
桃音も隣から声をかけてくる。
「朱希も、トレンドシンカーを目指すんだ……! 私、どっちを応援していいか分からなくなっちゃいそうだよ!」
そんなことを言う桃音の声は少し上擦っていて、朱希は思わず怪訝な顔になった。なんだか少し様子が変だ、と思った。
「さて、もう夜も遅いし、ひとまず帰ろう! ゆうちゃんも疲れてるだろうし、今日はゆっくり休まなくちゃでしょ?」
それについて追求しようと口を開けたところで、桃音にそう言われてしまって、朱希は思わず口を閉ざした。先に歩き始めてしまった桃音の表情は見えなくて、それが静かに不安を煽った。
*
ずっと、朱希の言葉がぐるぐると回っている。もし彼も、彼までトレンドシンカーになってしまったら、私は一人になってしまうのではないかと、嫌な想像ばかりが桃音の頭に浮かんでいた。
あまりにも長いこと上の空だったせいで、母親にまで心配されてしまった。これでは良くないと、なんとか思考を逸らすため、時間を勉強に費やす。
翼のことは良いのだ。いつか置いていかれることの覚悟を、決めていたから。でも、朱希は違う。
なんとなく、ずっと一緒にいてくれると思っていた。
そうじゃないかもしれないことが怖くて、ペンが止まる。集中出来ないからとベッドに倒れ込むと、なんだかとても眠たくなった。
ああ、今日ももう寝てしまおう。明日には、いつも通りの朝が来るのだから。
*
「おはよう、翼」
「おはよう朱希。ももちゃんは?」
「LINE見てねえの? 風邪だってよ」
そう言われて慌ててLINEを見ると、数分前に連絡が来ていた。了解、のスタンプをぽんと押して、じゃあ行こうか、と鞄を持ち直した。
学校に行く道すがら、朱希がううん、と唸る。
「なあ、こないだから桃音、変じゃないか」
「……そう?」
翼はピンとこなくて首を傾げた。翼の前では隠してるもんな、と、眉をひそめたまま、朱希は続ける。
「……下手に抱え込んでないといいけどな」
ま、気のせいだって思っとくよ。朱希はそう言って笑って、いつも通り雑談を始めた。
朱希の様子から冗談を言っている訳では無いのだろうと察した翼は、桃音のことが心配になった。すぐに話すことができないことがもどかしくて、翼は朱希に声をかける。
「ねえ、じゃあ、今日は放課後お見舞いに行こうよ」
「でも翼、今日は手続きあるって言ってたろ」
「あ」
そうだった。
「……じゃあ、朱希だけで行ってきて。ちゃんと大丈夫だったか教えてね」
「それも問題じゃね? いくら桃音とはいえ俺だけで行くの意味分かんねえだろ」
「なんで?」
「なんでって……」
なんで、と言われると答えられなかった。翼は呆れたように肩を竦めてみせた。
「いいじゃん、気になるならボクがお願いしたんだってことにしたらいいよ」
「……分かったよ」
朱希は渋々、というようにそう頷いた。よろしい、と翼が頷いた頃には学校が見えていた。
心配なのはお互い一緒だろうに、素直じゃないヤツ。そんなふうに思いながら、校舎へと歩を進めた。
*
「とはいえさあ……」
男女の区別くらいは朱希にもあった。確かに桃音は距離が近いところがあるが、それはそれ、これはこれだ。
女性の家に恋人でもない男性が一人で入るのってどうなんだよ。そんなことを思いながらチャイムを鳴らす。はい、と桃音の母親のものであろう声がして、扉が開いた。
「お見舞いです。翼は用があって来れなかったんですけど」
「あら、朱希くん。お見舞いありがとう、良ければ上がっていって」
そう言って、桃音の母親は朱希をリビングに案内した。
「桃音は風邪って言ってたけど……、多分、そうじゃないと思うの」
紅茶を入れながら、母親は話した。お菓子どれがいい? あ、どれでも大丈夫です。じゃあクッキーにしましょう。そんな雑談も挟みつつ、朱希は口を開いた。
「仮病? って、ことすか? 珍しいですね」
「そうなの。よければ会ってやってくれないかしら」
そう言いながらクッキーと紅茶をトレーに乗せた。桃音が仮病を使うことは、本当に珍しいので、何かを勘ぐりそうになってしまう。例えば、――――自分に会いたくなかったんじゃないか、とか。
「このまま仮病を続けられても困るもの。一日くらいは休んでも良いけど、勉強についていけなくなったら困るじゃない」
それもそうだ。もしそうであるのなら、向き合うのは早い方がいいだろう。
「分かりました」
朱希は頷いてトレーを受け取った。よろしくね、と彼女の母親は微笑んで、朱希を見送った。
*
「桃音? 入るぞ」
声をかけても応答はなかった。代わりにバタバタバタ、と音がしたのでしばらく待つ。
「どうぞ!」
そうしていると、そのうちに上擦った声が聞こえた。そこでようやく、朱希は扉を開けた。
「仮病だって?」
「……朱希」
茶化すように笑いながら部屋に入れば、困った顔をした桃音が目に入る。と言うよりは、なにか、思い詰めているような。
「なんか嫌なことでもあったか」
「……」
桃音は押し黙った。
「俺が……トレンドシンカー目指すって言ったのが、嫌だった?」
「……!」
びくり、と身体が動く。やっぱりな、と思った。ため息をつくと、怯えたような目が朱希を見上げた。
「ち、違うの」
「何が違うって?」
再び沈黙。これでは埒が明かない、と朱希は踏み込むことにした。
「なんで嫌なの」
責めるような物言いになってしまっているな、と自分でも思った。でも嫌だった。翼のことはちゃんと応援するのに、俺のことは応援してくんねえのか、と、拗ねた気持ちがそこにある。
「……置いていかれるみたいで」
観念したように、ポツリ、と言葉を漏らした。ぽつり、ぽつり、言葉が漏れる。
「ゆうちゃんはいいの。私、いつ置いていかれてもいいって思ってる、覚悟を決めてるの」
「でも、朱希は……一緒に置いて行かれてくれるって思ってた、から」
朱希は黙って聞いていた。ショックの方が近かった。
「そんなふうに……」
思っていたのか、ずっと。
でも、言われてみれば、と考える。
翼も朱希も男だ。トレンドシンカーになる以上、女性である上に一般人である桃音がそばに居続けるのは、あまり宜しくないだろう。
「わ、私は……トレンドシンカーには、なれないから」
「それは、そんなことないと思うけど」
「なれないよ」
桃音は首を横に振る。
「……なんで断言できんだよ。まだやったことないだろ」
「……それは」
そう、だけど。桃音は視線を逸らした。
「桃音もやってみたらいいじゃん、なれないって言葉が出るってことは、ちょっとはなりたいんだろ」
帰ってきたのは沈黙だった。桃音は下を向いていて表情が見えない。ぐす、と鼻をすする音がした。
「えっ」
「朱希には、分からないよ」
視線を上げた桃音の頬は涙に濡れていて、やってしまった、と思った。
「……悪い、でも」
「私、完璧じゃないとダメなの」
ぽつり。その言葉を、朱希は黙って聞くことにした。
「完璧じゃないと怒られちゃうから」
それは、誰にだろうか。相槌だけを打った。
「トレンドシンカーって、そもそもが不安定じゃない。そりゃなれるものならなりたいよ……!」
ず、と鼻をすするので、その辺にあったティッシュを渡した。ありがとう、と桃音が受け取る。律儀なやつ、と思った。
「怒られたくない……、見捨てられるのは怖いの」
「……」
朱希は困りきって何も言えなかった。何も言えないなりに考えて、考えた上で言葉が出てこなかった。
桃音のことはそれなりに、知っているつもりでいた。知らなかったんだ、知らなかったから傷つけたんだ、というショックが朱希の頭でぐるぐるとしていた。
「……ごめん、俺」
「いいの」
桃音の言葉はキッパリとしていた。
「私が勝手に怯えてるだけなの、分かってる、分かってるの」
それでも、と言葉は続く。
「私は誰にも見捨てられたくない……」
朱希は少し悩んで言葉を探した。何も言えないなりに、何も知らないなりに、桃音を安心させたかった。
「……俺らは」
少なくとも、俺と翼は、
「完璧じゃないお前も好きだよ」
別に完璧になりたいなら止めないけど。翼も同じことを言うはずだ、と確信があった。
桃音の目が少し見開かれて、それから笑みの形を作った。
「変なの。二人ともお人好しだよね」
でも、ありがとう。涙を拭って朱希に目線を合わせる。
「ごめんね、困らせちゃった」
「別に、いいよ、そんなの」
そんなことで謝らないでくれ、までは言えなかった。分かっている、というように頷いた桃音は多分、分かってはいないのだろう。
「そろそろ帰った方がいいんじゃない? 色々忙しいだろうし」
「……そうだな」
朱希は桃音が心配だったが、それ以上何かを言えるとも思えなかった。
「なあ」
「うん?」
桃音が首を傾げる。朱希は少し躊躇ってから、それでも言葉にした。
「いつでも相談しろよ」
なんでもいいから。見捨てるつもりはないぞ、という意思表示のつもりで言ってから、朱希は言葉を待たずに部屋を出た。
「……なんなの?」
桃音は、びっくりして言葉が出ないうちに部屋を出ていかれてしまって、思わずそんな言葉が漏れた。
でも、少しだけ気が楽になったのは確かだった。明日はちゃんと学校に行くから、安心してね。と朱希に連絡を送れば、OKのスタンプだけが返ってきた。
*
次の日、桃音は宣言通り学校に登校した。
「おはようももちゃん。体調は大丈夫?」
「あ……、うん、平気! 心配かけてごめんね」
「いいって、そんなことで謝らないでよ」
なんだか気まずくて、朱希に視線を合わせることは出来なかった。それを翼に悟られないよう話題を作る。
「そういえば、ゆうちゃん、今日レゾナンスマイク受け取るんでしょ!?」
「うん! ちょうど昨日必要な手続きはだいたい終わったからね。今日受け取って、希望者はお披露目のライブが出来るんだって」
もちろん、ボクも希望者の一人! と、翼は心から嬉しそうに笑った。桃音はその笑顔を見てなんだか心苦しくなった。
「……」
「下手くそな、お前」
後ろから朱希が声をかけてくる。じと、とした視線が桃音に刺さって、翼も眉をひそめた。
「ももちゃん、やっぱりまだ体調が……」
「ご、ごめん! そうじゃないの、そうじゃなくて」
何かを言おうとして、悩んで、は、と気付く。
「が、学校が始まっちゃうから! また後で話させて!」
そう言って桃音は翼と朱希を置いて走り出した。翼は、朱希をじと、と睨んだ。
「やっぱなんかあったでしょ」
「いやあ、そりゃねえ……」
桃音はお前には隠したがると思ったんだよな、と言えば、翼は少し傷ついたような顔をした。
「……そっか」
「そうなんだよ。あいつお前のこと大好きだからなあ」
ボクからすれば。そうして本音を話されていたり、頼られていたりする朱希の方が余程、羨ましいけど、と思って、言わなかった。
不安を抱えながらも、学校は始まる。大人しく授業を付けることにした。
*
授業が終わり、放課後。鞄を引っ掴んで朱希と二人、桃音のクラスへと迎えば、困った顔をした桃音が帰り支度をしていた。
「……ももちゃん」
「ゆうちゃん……」
桃音が鞄を持つ。視線が合わない。何かを言おうとしているのに、何も言えないような。翼は少し悩んで、自分から切り出してみることにした。
「言いたくないなら言わなくてもいいよ」
「えっ」
あ、目が合った。桃音は、どうしていいか分からないような顔をしている。
「その変わり、言いたくなったら教えてね。ボク、ももちゃんの話なら聞きたいから」
桃音は、少し迷ってから、口を開いた。
「……あのね!」
口を開けて、閉じる。しばらく迷って、小さく言葉を落とした。
「私、ゆうちゃんにも朱希にも置いていかれたくないって思ってる……!」
翼の目が見開かれる。桃音は言葉に詰まりながらも、少しずつ、しっかりと話した。
「置いていかれたくないよ、捨てられるのは怖いことだもん……、でも、でも、私、何も出来ないから……!」
翼は、そんなことないでしょ、と言おうとして、やめた。ひとまず黙って聞くことが先決な気がした。
「わ、私、デザインだって、そんなに上手くないし、……歌もダンスも、完璧には、出来ないから」
言葉が止まる。しばらくの沈黙の後、翼が口を開いた。
「……だから、置いていかれるって、思ってる?」
「……うん」
そうか、そんなふうに思っていたんだ。翼は確かなショックを頭に抱えながら、少しずつ言葉を続ける。
「……ももちゃん。ステージの上で、歌もダンスも完璧じゃなきゃダメだと思ってるの?」
「……うん」
翼は桃音の手を取った。桃音の肩がびくりと震えたのに苦笑して、翼は続ける。
「でも、ももちゃんはボクに、もしなにか失敗したとしても、楽しいステージだったらいいんだって教えてくれたよね」
「それは……、ゆうちゃんのステージだから」
「同じだよ、ももちゃん」
桃音の視線が上がる。目線が合う。翼は微笑んだ。
「ももちゃんのステージも、みんなが楽しければいいんだよ」
桃音が戸惑ったように視線を逸らした。翼は桃音の手を離して、よし、と気合いを入れるように頬を叩いた。
「ももちゃん、朱希、今日のステージ、ちゃんと見てくれるよね?」
「おう」
「えっ、あ、……うん」
頷く。翼は桃音を真っ直ぐ見て、にい、と笑った。
「ちゃんと見ててね、ももちゃん。ももちゃんは絶対大丈夫なんだって、ボクが証明するから」
突拍子も無い言葉に、桃音はきょとんとしていたが、翼はその答えも聞かずに歩き出した。
朱希に促されて、桃音も歩き出す。翼の言葉の真意は、はかれなかった。
*
ステージの裏。翼は、受け取ったばかりのレゾナンスマイクを握り締めて、一度、深呼吸した。
今日の衣装も、桃音のデザインしてくれたもの。オーディションの時とは違ってピンクを全面に出し、差し色に青を入れた、ヒラヒラのかわいい服。ふう、と息を整えてから、レゾナンスマイクを起動した。
「レゾナンスマイク!」
桃音が言ったのだ、「可愛い服は心の鎧だ」と。
「スタイルコードセット!」
だから、自分を信じて欲しいのだ。自分のことを、自分の思う可愛いものを、心の鎧を!
「――――心ときめくステージを目指して!」
ももちゃんの何かを変えられますように。
「オン・ステージ!」
*
曲が流れ出す。この曲は、オーディションの時と変わらない。手拍子を取りながら、光の中に躍り出る。
サイリウムの光、観客の期待に満ちた瞳、そのすべてがキラキラしていて眩しかった。その中に、――――桃音を見つけた。
*
「ゆうちゃん……」
桃音はなんだかとても不安だった。自分の考えた衣装を着て、翼がステージに立つ。あれだけ豪語しておいて、実感が追い付くと不安が勝った。
覚悟は決めたはずなのに。
「大丈夫だよ」
祈るような気持ちでステージを眺めていれば、朱希が隣であっさりと言った。なにがよ、と返せば、朱希は桃音を真っ直ぐ見て答えた。
「俺は翼を信じてるからさ」
そう言われてしまえば、桃音もそうするしかない。それでも不安は拭えずに、翼のステージが始まった。
光の中に現れた翼の、楽しそうな表情ときたら! 何回見たってなぜだか羨ましくて、まともに直視できなくなりそうで、その反面、とても綺麗だと思うのだ。桃音は、自分のこういうところが好きではなかった。そんなことを考えていたら、翼がこちらを見たような気がして、桃音は息を飲んだ。
ふわり。まさしく天使みたいに微笑んだ翼は、そのまま何事も無かったかのように歌い出す。
ひらりと衣装が揺れる。大きなリボンがふわりふわりと弛んで、誰よりも可愛いという言葉が似合う幼馴染に、この衣装をあてがったのは間違いじゃなかった、と桃音は少し安心した。
「あの衣装かわいいー!」
「リボン大きいのいいねえ」
ふと、そんな言葉が聞こえた。それでも自分がすごいとは思わなかった。
着こなしている翼がすごいのだ。誰よりも可愛くて、誰よりもかっこいい、私の幼馴染。
伸ばした指が、ひらめくフリルが、弾んだ声が、桃音を魅了する。ああ、これは私が好きなステージだ。――――私は、ゆうちゃんのステージが、好きだ。
翼が手拍子を誘導する。ぱち、ぱち、観客がリズムに乗って、星のノーツが現れる。
気付けば夢中になってそれを叩いていた。翼の、レゾナンスマイクを手に入れた初ステージだ。楽しまなければ、翼に失礼だ。
ステラ・ノーツが発動する間際――――
翼と目が合った気がした。
ステラ・ノーツが発動した瞬間、光の中に滲み出すように――――溢れたのは、たくさんの衣装。あれは、桃音がデザインしたものたちだ。翼は、たくさんの衣装の中から、ひとつの衣装を手に取った。それは、今着ているのとは違う、――――初めて、桃音がデザインしたもの。
なんで。
なんでそんなもの、
美しい光の中で、翼はその衣装を抱きしめて――――
*
翼のステージは圧倒的だった。翼は、誰よりもステージを楽しみ、誰よりも美しい光を放って、ステージをおりた。
桃音は、しばらく呆然として動けなかった。それを分かっているのかいないのか、朱希も何も言わなかった。
完璧でなければダメだと思っていた。でも、幼馴染である彼らは、きっと、桃音が完璧じゃなくても許してくれていた。今までも、ずっと。
簡単なことだ。簡単なことだったから、すっかり忘れていた。いいのだ、完璧じゃなくても。
「私も、トレンドシンカーになれるかなあ……」
ぽつり、と漏れた言葉。本心だった。あの光に焦がれている。あの光の中心に、立ってみたかった。
朱希は、仕方ないなと言うように笑った。
「桃音次第だろ、それは」
*
その後、結局翼とは会えなかった。感想は上手く言葉にならなかったから、それで良かったかもしれない。
帰ってきてからしばらく悩んで、ようやく桃音は決意した。LINEを開いて、翼と朱希のグループラインをタップする。
「私もトレンドシンカーになりたい。練習、付き合ってくれない?」
すぐに既読が着いた。OK、のスタンプが二人から送られてくる。翼からは、嬉しい、のスタンプも送られてきた。
――――お母さんに、なんて説明したらいいかな。
母は桃音に完璧を求める。トレンドシンカーという職は、そう簡単に認められるものではないだろう。
しばらくは何も言わなくてもいいか。
天井を見上げ、桃音はそう思った。そのまま目を閉じた。心は比較的穏やかだった。
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7864文字
「昔、それこそ小学校までダンス習ってて。その頃、俺も、トレンドシンカーを目指してたんだ」
翼や桃音と出会う前の朱希の夢は、トレンドシンカーだった。色々あって、諦めてしまったそれを、憧れという感情を、翼のステージを見て、思い出した。
「俺、翼に、『好きなもんは好きだ、って、堂々としてた方がかっこいい』って言ったけど、どの口がって話だよな。それが、なんだか恥ずかしくなっちゃって」
そんな自分の言葉を、空気が重くならないよう軽く笑い飛ばしてから、朱希は言った。
「俺ももっかいトレンドシンカーを目指したい。歌って踊って、みんなに元気を与えるトレンドシンカーが好きだから!」
そこまで言って翼と桃音の反応を伺うと、多少なりとも驚いている様子だった。そんな二人を見て、朱希は急に急になんだか恥ずかしくなった。何かを訂正しようと開けた口が音を発する前に、翼がふ、と笑った。
「いいんじゃない?」
「……!」
「堂々としなよ。好きなものは好きだって堂々としてた方がかっこいい、んでしょ」
自分が発した言葉が返ってくる。ああ、そうだ。確かに自分はそう思っている。
「きっとなれるよ。朱希って普通にかっこいいし、なんでも器用にこなしちゃうんだもん、これは強力なライバルが増えちゃったな」
ね、と、翼は言葉を押した。言葉とは裏腹に心底嬉しそうで、朱希はなんだかむず痒かった。
「す、すごいね……!」
桃音も隣から声をかけてくる。
「朱希も、トレンドシンカーを目指すんだ……! 私、どっちを応援していいか分からなくなっちゃいそうだよ!」
そんなことを言う桃音の声は少し上擦っていて、朱希は思わず怪訝な顔になった。なんだか少し様子が変だ、と思った。
「さて、もう夜も遅いし、ひとまず帰ろう! ゆうちゃんも疲れてるだろうし、今日はゆっくり休まなくちゃでしょ?」
それについて追求しようと口を開けたところで、桃音にそう言われてしまって、朱希は思わず口を閉ざした。先に歩き始めてしまった桃音の表情は見えなくて、それが静かに不安を煽った。
*
ずっと、朱希の言葉がぐるぐると回っている。もし彼も、彼までトレンドシンカーになってしまったら、私は一人になってしまうのではないかと、嫌な想像ばかりが桃音の頭に浮かんでいた。
あまりにも長いこと上の空だったせいで、母親にまで心配されてしまった。これでは良くないと、なんとか思考を逸らすため、時間を勉強に費やす。
翼のことは良いのだ。いつか置いていかれることの覚悟を、決めていたから。でも、朱希は違う。
なんとなく、ずっと一緒にいてくれると思っていた。
そうじゃないかもしれないことが怖くて、ペンが止まる。集中出来ないからとベッドに倒れ込むと、なんだかとても眠たくなった。
ああ、今日ももう寝てしまおう。明日には、いつも通りの朝が来るのだから。
*
「おはよう、翼」
「おはよう朱希。ももちゃんは?」
「LINE見てねえの? 風邪だってよ」
そう言われて慌ててLINEを見ると、数分前に連絡が来ていた。了解、のスタンプをぽんと押して、じゃあ行こうか、と鞄を持ち直した。
学校に行く道すがら、朱希がううん、と唸る。
「なあ、こないだから桃音、変じゃないか」
「……そう?」
翼はピンとこなくて首を傾げた。翼の前では隠してるもんな、と、眉をひそめたまま、朱希は続ける。
「……下手に抱え込んでないといいけどな」
ま、気のせいだって思っとくよ。朱希はそう言って笑って、いつも通り雑談を始めた。
朱希の様子から冗談を言っている訳では無いのだろうと察した翼は、桃音のことが心配になった。すぐに話すことができないことがもどかしくて、翼は朱希に声をかける。
「ねえ、じゃあ、今日は放課後お見舞いに行こうよ」
「でも翼、今日は手続きあるって言ってたろ」
「あ」
そうだった。
「……じゃあ、朱希だけで行ってきて。ちゃんと大丈夫だったか教えてね」
「それも問題じゃね? いくら桃音とはいえ俺だけで行くの意味分かんねえだろ」
「なんで?」
「なんでって……」
なんで、と言われると答えられなかった。翼は呆れたように肩を竦めてみせた。
「いいじゃん、気になるならボクがお願いしたんだってことにしたらいいよ」
「……分かったよ」
朱希は渋々、というようにそう頷いた。よろしい、と翼が頷いた頃には学校が見えていた。
心配なのはお互い一緒だろうに、素直じゃないヤツ。そんなふうに思いながら、校舎へと歩を進めた。
*
「とはいえさあ……」
男女の区別くらいは朱希にもあった。確かに桃音は距離が近いところがあるが、それはそれ、これはこれだ。
女性の家に恋人でもない男性が一人で入るのってどうなんだよ。そんなことを思いながらチャイムを鳴らす。はい、と桃音の母親のものであろう声がして、扉が開いた。
「お見舞いです。翼は用があって来れなかったんですけど」
「あら、朱希くん。お見舞いありがとう、良ければ上がっていって」
そう言って、桃音の母親は朱希をリビングに案内した。
「桃音は風邪って言ってたけど……、多分、そうじゃないと思うの」
紅茶を入れながら、母親は話した。お菓子どれがいい? あ、どれでも大丈夫です。じゃあクッキーにしましょう。そんな雑談も挟みつつ、朱希は口を開いた。
「仮病? って、ことすか? 珍しいですね」
「そうなの。よければ会ってやってくれないかしら」
そう言いながらクッキーと紅茶をトレーに乗せた。桃音が仮病を使うことは、本当に珍しいので、何かを勘ぐりそうになってしまう。例えば、――――自分に会いたくなかったんじゃないか、とか。
「このまま仮病を続けられても困るもの。一日くらいは休んでも良いけど、勉強についていけなくなったら困るじゃない」
それもそうだ。もしそうであるのなら、向き合うのは早い方がいいだろう。
「分かりました」
朱希は頷いてトレーを受け取った。よろしくね、と彼女の母親は微笑んで、朱希を見送った。
*
「桃音? 入るぞ」
声をかけても応答はなかった。代わりにバタバタバタ、と音がしたのでしばらく待つ。
「どうぞ!」
そうしていると、そのうちに上擦った声が聞こえた。そこでようやく、朱希は扉を開けた。
「仮病だって?」
「……朱希」
茶化すように笑いながら部屋に入れば、困った顔をした桃音が目に入る。と言うよりは、なにか、思い詰めているような。
「なんか嫌なことでもあったか」
「……」
桃音は押し黙った。
「俺が……トレンドシンカー目指すって言ったのが、嫌だった?」
「……!」
びくり、と身体が動く。やっぱりな、と思った。ため息をつくと、怯えたような目が朱希を見上げた。
「ち、違うの」
「何が違うって?」
再び沈黙。これでは埒が明かない、と朱希は踏み込むことにした。
「なんで嫌なの」
責めるような物言いになってしまっているな、と自分でも思った。でも嫌だった。翼のことはちゃんと応援するのに、俺のことは応援してくんねえのか、と、拗ねた気持ちがそこにある。
「……置いていかれるみたいで」
観念したように、ポツリ、と言葉を漏らした。ぽつり、ぽつり、言葉が漏れる。
「ゆうちゃんはいいの。私、いつ置いていかれてもいいって思ってる、覚悟を決めてるの」
「でも、朱希は……一緒に置いて行かれてくれるって思ってた、から」
朱希は黙って聞いていた。ショックの方が近かった。
「そんなふうに……」
思っていたのか、ずっと。
でも、言われてみれば、と考える。
翼も朱希も男だ。トレンドシンカーになる以上、女性である上に一般人である桃音がそばに居続けるのは、あまり宜しくないだろう。
「わ、私は……トレンドシンカーには、なれないから」
「それは、そんなことないと思うけど」
「なれないよ」
桃音は首を横に振る。
「……なんで断言できんだよ。まだやったことないだろ」
「……それは」
そう、だけど。桃音は視線を逸らした。
「桃音もやってみたらいいじゃん、なれないって言葉が出るってことは、ちょっとはなりたいんだろ」
帰ってきたのは沈黙だった。桃音は下を向いていて表情が見えない。ぐす、と鼻をすする音がした。
「えっ」
「朱希には、分からないよ」
視線を上げた桃音の頬は涙に濡れていて、やってしまった、と思った。
「……悪い、でも」
「私、完璧じゃないとダメなの」
ぽつり。その言葉を、朱希は黙って聞くことにした。
「完璧じゃないと怒られちゃうから」
それは、誰にだろうか。相槌だけを打った。
「トレンドシンカーって、そもそもが不安定じゃない。そりゃなれるものならなりたいよ……!」
ず、と鼻をすするので、その辺にあったティッシュを渡した。ありがとう、と桃音が受け取る。律儀なやつ、と思った。
「怒られたくない……、見捨てられるのは怖いの」
「……」
朱希は困りきって何も言えなかった。何も言えないなりに考えて、考えた上で言葉が出てこなかった。
桃音のことはそれなりに、知っているつもりでいた。知らなかったんだ、知らなかったから傷つけたんだ、というショックが朱希の頭でぐるぐるとしていた。
「……ごめん、俺」
「いいの」
桃音の言葉はキッパリとしていた。
「私が勝手に怯えてるだけなの、分かってる、分かってるの」
それでも、と言葉は続く。
「私は誰にも見捨てられたくない……」
朱希は少し悩んで言葉を探した。何も言えないなりに、何も知らないなりに、桃音を安心させたかった。
「……俺らは」
少なくとも、俺と翼は、
「完璧じゃないお前も好きだよ」
別に完璧になりたいなら止めないけど。翼も同じことを言うはずだ、と確信があった。
桃音の目が少し見開かれて、それから笑みの形を作った。
「変なの。二人ともお人好しだよね」
でも、ありがとう。涙を拭って朱希に目線を合わせる。
「ごめんね、困らせちゃった」
「別に、いいよ、そんなの」
そんなことで謝らないでくれ、までは言えなかった。分かっている、というように頷いた桃音は多分、分かってはいないのだろう。
「そろそろ帰った方がいいんじゃない? 色々忙しいだろうし」
「……そうだな」
朱希は桃音が心配だったが、それ以上何かを言えるとも思えなかった。
「なあ」
「うん?」
桃音が首を傾げる。朱希は少し躊躇ってから、それでも言葉にした。
「いつでも相談しろよ」
なんでもいいから。見捨てるつもりはないぞ、という意思表示のつもりで言ってから、朱希は言葉を待たずに部屋を出た。
「……なんなの?」
桃音は、びっくりして言葉が出ないうちに部屋を出ていかれてしまって、思わずそんな言葉が漏れた。
でも、少しだけ気が楽になったのは確かだった。明日はちゃんと学校に行くから、安心してね。と朱希に連絡を送れば、OKのスタンプだけが返ってきた。
*
次の日、桃音は宣言通り学校に登校した。
「おはようももちゃん。体調は大丈夫?」
「あ……、うん、平気! 心配かけてごめんね」
「いいって、そんなことで謝らないでよ」
なんだか気まずくて、朱希に視線を合わせることは出来なかった。それを翼に悟られないよう話題を作る。
「そういえば、ゆうちゃん、今日レゾナンスマイク受け取るんでしょ!?」
「うん! ちょうど昨日必要な手続きはだいたい終わったからね。今日受け取って、希望者はお披露目のライブが出来るんだって」
もちろん、ボクも希望者の一人! と、翼は心から嬉しそうに笑った。桃音はその笑顔を見てなんだか心苦しくなった。
「……」
「下手くそな、お前」
後ろから朱希が声をかけてくる。じと、とした視線が桃音に刺さって、翼も眉をひそめた。
「ももちゃん、やっぱりまだ体調が……」
「ご、ごめん! そうじゃないの、そうじゃなくて」
何かを言おうとして、悩んで、は、と気付く。
「が、学校が始まっちゃうから! また後で話させて!」
そう言って桃音は翼と朱希を置いて走り出した。翼は、朱希をじと、と睨んだ。
「やっぱなんかあったでしょ」
「いやあ、そりゃねえ……」
桃音はお前には隠したがると思ったんだよな、と言えば、翼は少し傷ついたような顔をした。
「……そっか」
「そうなんだよ。あいつお前のこと大好きだからなあ」
ボクからすれば。そうして本音を話されていたり、頼られていたりする朱希の方が余程、羨ましいけど、と思って、言わなかった。
不安を抱えながらも、学校は始まる。大人しく授業を付けることにした。
*
授業が終わり、放課後。鞄を引っ掴んで朱希と二人、桃音のクラスへと迎えば、困った顔をした桃音が帰り支度をしていた。
「……ももちゃん」
「ゆうちゃん……」
桃音が鞄を持つ。視線が合わない。何かを言おうとしているのに、何も言えないような。翼は少し悩んで、自分から切り出してみることにした。
「言いたくないなら言わなくてもいいよ」
「えっ」
あ、目が合った。桃音は、どうしていいか分からないような顔をしている。
「その変わり、言いたくなったら教えてね。ボク、ももちゃんの話なら聞きたいから」
桃音は、少し迷ってから、口を開いた。
「……あのね!」
口を開けて、閉じる。しばらく迷って、小さく言葉を落とした。
「私、ゆうちゃんにも朱希にも置いていかれたくないって思ってる……!」
翼の目が見開かれる。桃音は言葉に詰まりながらも、少しずつ、しっかりと話した。
「置いていかれたくないよ、捨てられるのは怖いことだもん……、でも、でも、私、何も出来ないから……!」
翼は、そんなことないでしょ、と言おうとして、やめた。ひとまず黙って聞くことが先決な気がした。
「わ、私、デザインだって、そんなに上手くないし、……歌もダンスも、完璧には、出来ないから」
言葉が止まる。しばらくの沈黙の後、翼が口を開いた。
「……だから、置いていかれるって、思ってる?」
「……うん」
そうか、そんなふうに思っていたんだ。翼は確かなショックを頭に抱えながら、少しずつ言葉を続ける。
「……ももちゃん。ステージの上で、歌もダンスも完璧じゃなきゃダメだと思ってるの?」
「……うん」
翼は桃音の手を取った。桃音の肩がびくりと震えたのに苦笑して、翼は続ける。
「でも、ももちゃんはボクに、もしなにか失敗したとしても、楽しいステージだったらいいんだって教えてくれたよね」
「それは……、ゆうちゃんのステージだから」
「同じだよ、ももちゃん」
桃音の視線が上がる。目線が合う。翼は微笑んだ。
「ももちゃんのステージも、みんなが楽しければいいんだよ」
桃音が戸惑ったように視線を逸らした。翼は桃音の手を離して、よし、と気合いを入れるように頬を叩いた。
「ももちゃん、朱希、今日のステージ、ちゃんと見てくれるよね?」
「おう」
「えっ、あ、……うん」
頷く。翼は桃音を真っ直ぐ見て、にい、と笑った。
「ちゃんと見ててね、ももちゃん。ももちゃんは絶対大丈夫なんだって、ボクが証明するから」
突拍子も無い言葉に、桃音はきょとんとしていたが、翼はその答えも聞かずに歩き出した。
朱希に促されて、桃音も歩き出す。翼の言葉の真意は、はかれなかった。
*
ステージの裏。翼は、受け取ったばかりのレゾナンスマイクを握り締めて、一度、深呼吸した。
今日の衣装も、桃音のデザインしてくれたもの。オーディションの時とは違ってピンクを全面に出し、差し色に青を入れた、ヒラヒラのかわいい服。ふう、と息を整えてから、レゾナンスマイクを起動した。
「レゾナンスマイク!」
桃音が言ったのだ、「可愛い服は心の鎧だ」と。
「スタイルコードセット!」
だから、自分を信じて欲しいのだ。自分のことを、自分の思う可愛いものを、心の鎧を!
「――――心ときめくステージを目指して!」
ももちゃんの何かを変えられますように。
「オン・ステージ!」
*
曲が流れ出す。この曲は、オーディションの時と変わらない。手拍子を取りながら、光の中に躍り出る。
サイリウムの光、観客の期待に満ちた瞳、そのすべてがキラキラしていて眩しかった。その中に、――――桃音を見つけた。
*
「ゆうちゃん……」
桃音はなんだかとても不安だった。自分の考えた衣装を着て、翼がステージに立つ。あれだけ豪語しておいて、実感が追い付くと不安が勝った。
覚悟は決めたはずなのに。
「大丈夫だよ」
祈るような気持ちでステージを眺めていれば、朱希が隣であっさりと言った。なにがよ、と返せば、朱希は桃音を真っ直ぐ見て答えた。
「俺は翼を信じてるからさ」
そう言われてしまえば、桃音もそうするしかない。それでも不安は拭えずに、翼のステージが始まった。
光の中に現れた翼の、楽しそうな表情ときたら! 何回見たってなぜだか羨ましくて、まともに直視できなくなりそうで、その反面、とても綺麗だと思うのだ。桃音は、自分のこういうところが好きではなかった。そんなことを考えていたら、翼がこちらを見たような気がして、桃音は息を飲んだ。
ふわり。まさしく天使みたいに微笑んだ翼は、そのまま何事も無かったかのように歌い出す。
ひらりと衣装が揺れる。大きなリボンがふわりふわりと弛んで、誰よりも可愛いという言葉が似合う幼馴染に、この衣装をあてがったのは間違いじゃなかった、と桃音は少し安心した。
「あの衣装かわいいー!」
「リボン大きいのいいねえ」
ふと、そんな言葉が聞こえた。それでも自分がすごいとは思わなかった。
着こなしている翼がすごいのだ。誰よりも可愛くて、誰よりもかっこいい、私の幼馴染。
伸ばした指が、ひらめくフリルが、弾んだ声が、桃音を魅了する。ああ、これは私が好きなステージだ。――――私は、ゆうちゃんのステージが、好きだ。
翼が手拍子を誘導する。ぱち、ぱち、観客がリズムに乗って、星のノーツが現れる。
気付けば夢中になってそれを叩いていた。翼の、レゾナンスマイクを手に入れた初ステージだ。楽しまなければ、翼に失礼だ。
ステラ・ノーツが発動する間際――――
翼と目が合った気がした。
ステラ・ノーツが発動した瞬間、光の中に滲み出すように――――溢れたのは、たくさんの衣装。あれは、桃音がデザインしたものたちだ。翼は、たくさんの衣装の中から、ひとつの衣装を手に取った。それは、今着ているのとは違う、――――初めて、桃音がデザインしたもの。
なんで。
なんでそんなもの、
美しい光の中で、翼はその衣装を抱きしめて――――
*
翼のステージは圧倒的だった。翼は、誰よりもステージを楽しみ、誰よりも美しい光を放って、ステージをおりた。
桃音は、しばらく呆然として動けなかった。それを分かっているのかいないのか、朱希も何も言わなかった。
完璧でなければダメだと思っていた。でも、幼馴染である彼らは、きっと、桃音が完璧じゃなくても許してくれていた。今までも、ずっと。
簡単なことだ。簡単なことだったから、すっかり忘れていた。いいのだ、完璧じゃなくても。
「私も、トレンドシンカーになれるかなあ……」
ぽつり、と漏れた言葉。本心だった。あの光に焦がれている。あの光の中心に、立ってみたかった。
朱希は、仕方ないなと言うように笑った。
「桃音次第だろ、それは」
*
その後、結局翼とは会えなかった。感想は上手く言葉にならなかったから、それで良かったかもしれない。
帰ってきてからしばらく悩んで、ようやく桃音は決意した。LINEを開いて、翼と朱希のグループラインをタップする。
「私もトレンドシンカーになりたい。練習、付き合ってくれない?」
すぐに既読が着いた。OK、のスタンプが二人から送られてくる。翼からは、嬉しい、のスタンプも送られてきた。
――――お母さんに、なんて説明したらいいかな。
母は桃音に完璧を求める。トレンドシンカーという職は、そう簡単に認められるものではないだろう。
しばらくは何も言わなくてもいいか。
天井を見上げ、桃音はそう思った。そのまま目を閉じた。心は比較的穏やかだった。
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#TrendSync 一話
7136文字
――――お姉ちゃん。
幼い声がした。今よりはるかに低い視点、姉と手をつないで帰る途中。翼は姉に声を掛けた。
――――なあに、翼。
翼の声に応えるように微笑みを返し振り返る姉の顔はぼやけている。よく見えない、よく思い出せないけれど、姉のことだから、きっと笑顔だった。
――――いつか一緒に、あのステージに立とうね。
TrendSync Perform。歌とダンスとファッションを組み合わせた、この世界における最も重要な未来を紡ぐ手段であり、競技のこと。姉は、その世界でも頂点である『トップシンカー』を目指していた。小さな間の後、姉は息を大きく吸った。
――――もちろん!
嬉しそうな声だったと、思う。もう思い出せない。ああ、これは過去の夢だ、だって、姉は、今――――……
「……ばさ、翼! 起きなさい!」
は、と目を覚ます。目の前には呆れた顔をした母親が立っている。頭が回らない。なんだか怒っているようだった。ぼんやりした翼を前に、母は、す、と時計を掲げてみせた。時間は遅刻ギリギリを示している。
「えっ、うわあ!」
「もう桃音ちゃんたちには先に行ってもらったからね。アンタも早く支度なさい」
ご飯はできてるから早く降りてくるのよと母は部屋を出て行った。翼も、慌ててベッドから出て支度をする。顔を洗って歯を磨き、雑に髪を整え制服に着替える。
先日買ったばかりのかわいいヘアピンを今日こそつけていくか悩んで断念する。顔が幼い方とはいえ、男である自分がこれをつけるという違和感がどうしても拭えなかった。
ふと、さっきまで見ていた夢を思い出して、そっと姉の部屋の扉を開けた。
静かだった。部屋に翼が入ってきて尚、視線は窓の外を向いている。
「お姉ちゃん、おはよう」
声を掛けても反応はなかった。普段だったらもう少し、一方的にでもおしゃべりをしてから行くのだが、今日はそうも言ってられない。行ってきます、とだけ声を掛けて、ご飯を済ませるべく階段を下りた。
*
「お、遅かったな、寝坊助さん」
教室に入れば、クラスメイト兼幼馴染の正城朱希が真っ先にこちらに気付いた。よう、と手を振ってくる彼の隣で、同じく幼馴染の結城桃音がぱあっと顔を明るくした。
「おはよう、ゆうちゃん!」
夕空翼の夕をとってゆうちゃん。その呼び方は幼稚園の頃から変わっておらず、いつも通りの教室内になんだか少し気が解けていくような気がした。
「おはよう。まさか遅刻するなんて思わなかったよ~……」
「なんだか珍しいよね、遅刻するの」
ちょっと心配したんだよ、と言う桃音の横で、朱希が意地悪気にこう言った。
「とか言って、授業中居眠りしがちじゃん。ちゃんと夜に眠らないと駄目だぜ」
「う……」
何も言い返せなかった。言葉に詰まった翼を見て、桃音は首を傾げた。
「夜、あんまり眠れてないの?」
「う~ん……」
眠れている、と言えば嘘になる。最近は、自分がステージに上がるための衣装デザインに苦戦しっぱなしで、夜更かしをしがちだった。そのせいで、授業もおろそかになっている、自覚がある。
「良くないってわかってるんだけどね」
「自分でデザインもやらなきゃなんねえのか。そりゃ大変だな」
翼の描いたデザイン画を見て朱希が唸る。そのまま、無理、専門外、と言いながら桃音にスライドした。桃音が言う。
「ゆうちゃん、トップシンカーになりたいんだもんね……」
まじまじとデザインを見ながら桃音も困った顔をした。それから少し悩んで、意を決したようによし、と気合を入れる。
「えっとね、ゆうちゃんさえ良ければなんだけど」
そう言いながらごそごそとカバンを漁る。カバンから出てきたのは一つの携帯端末だった。
「それは?」
「トレンドフォージ! これで衣装をデザインして、スタイルコード――――ええと、カードに印刷するの」
こうやって、と、桃音は一つのデータを選択して印刷する。朱希は興味深げにそれを眺めていた。
「へえ、桃音もそういうの持ってたのか」
「ボクでさえ自分のは持ってないのに……」
えへへ、と照れたように笑った桃音は、印刷したカードで口元を隠してこう言った。
「ゆうちゃんの役に立ちたくて。あのね、ゆうちゃん」
桃音はそのまま、そのカードを翼に差し出す。翼は、どこからどう見ても女の子のための服が印刷されたそれと、桃音の顔を見比べた。
「私のデザインを着て、オーディションのステージに立ってみてくれないかな!?」
「……え、」
再びスタイルコードに視線をやる。女の子の服だ。桃音の顔を見る。冗談を言っているようには見えなかった。
「あー、いいんじゃね? 似合うだろ」
朱希の他人事みたいな声がその後ろから響く。キーンコーンカーンコーン……と、そのタイミングでチャイムが鳴った。いけない、と桃音はスタイルコードを翼に押し付けた。
「考えておいて!」
「え、ちょっ」
桃音がバタバタと自分の教室に戻って行く。一人取り残されっぱなしの翼は、それを引き留めることも、朱希に助けを求めることも出来ずに、先生が入ってきて、授業が始まった。
*
トレンドシンカーになるには、レゾナンスマイクを手に入れる必要がある。レゾナンスマイクは、オーディションに参加することで手に入れられる、トレンドシンカーの証明だ。翼は、そのオーディションに、二回落ちている。
桃音の考えた衣装を着て、オーディションのステージに立つ。何度スタイルコードを確認してもそこに描かれているのはかわいいふわふわのスカートと大きなリボンで、翼は小さくため息をついた。
かわいいものは好きだ。でも、身に纏いたいと思うかと言われたら、分からない。だって、男がこんな服を着るのは、変だ。ううん、と声が漏れる。
「何悩んでんの。授業ちゃんと聞いてたか?」
スタイルコードを眺めてぼうとしていると、後ろから朱希が声を掛けてきた。開いている椅子をがたがたと引きずって隣に座る。翼は、少し悩んでから言葉を口にした。
「いや、ボクは男なのになあって……。授業は、あとでももちゃんに教えてもらうよ」
「贅沢な奴。んで、服だっけ、でもお前、可愛いの好きだろ」
「好きだけどさ……」
間髪入れずに入った言葉に尻込みする。朱希は、しばらく黙ってから、改めて口を開いた。
「俺は好きな物を好きだ! って堂々としてた方がかっこいいと思うぜ」
「……わかってるけど」
「それに、今更じゃね?」
じ、とこちらを見据える朱希はいたって真面目な顔をしていてなんだか居心地が悪い。
「今更?」
「トップシンカーになりたいなんて、笑われても仕方ないだろ」
それでもなるんだろ、翼は。そう言われてみて、考える。確かに、同じことかもしれない。トレンドシンカーになることは比較的簡単だが、トップシンカーとなると唯一だ。夢物語と笑われてもおかしくないだろう。
「利用できるもん利用したらいいんじゃねえの。俺はその辺、よく分かんねえけど」
「朱希ってこういうの興味ないもんね」
「裏方の方が性にあってんだよな。曲作るだけ~とかさ」
確かに、それで良いのかもしれない。可愛いものが好きだから、可愛い服を着る。そう言葉にすると、ごく単純な話のように思えた。
「ゆうちゃん、朱希、帰ろ~!」
がたがた、と扉が開かれ桃音が現れる。おう、と返事をして朱希も荷物をまとめ始めた。桃音が近づいてくる。
「何話してたの?」
「えーと……」
桃音はちら、とスタイルコードに目をやった。翼は、少し悩んで、思い切って聞いてみることにした。
「ももちゃんは、どうしてボクにこの衣装が似合うと思ったの?」
「えっ、そうだなあ……」
桃音は少し悩んだ。言葉を選んでいるようだったので、大人しく待つことにした。
「……、ゆうちゃんが、喜んでくれたらいいな、が一番だったの。もちろん、かっこいいのが似合わないと思ってるわけじゃなくて……。ゆうちゃんなら、こっちの方が喜んでくれるかなって」
違った? と小さく首を傾げて見せる桃音は翼のなりたい女の子の形をしていて、なんだか複雑だった。言葉が足りなかったのを察した桃音が、慌てて言葉を付け足す。
「ゆうちゃんに似合うと思ったからデザインしたんだよ! ゆうちゃんは世界一可愛いもの。私を信じて」
ね、と念を押す。翼は困ってしまって、スタイルコードに視線をやった。
「……えっと、まずね。嬉しいのは本当なんだ。ももちゃんがボクのためにデザインを持ってきてくれるなんて思ってなかったから……。でも、戸惑いと不安が強くて。だって、これを着て、ボクが失敗したら……」
「翼」
そんな言葉を、後ろから朱希が止めた。押し黙った翼に、桃音は少し考えてから言葉を発した。
「大丈夫よ、ゆうちゃん。私を信じて。ダメでもいいの、ゆうちゃんが心ときめくかどうかが一番大事なの」
「心ときめく……」
「そう。私、ゆうちゃんのステージが好き! 楽しく歌って踊ってるゆうちゃんが好き。見てると楽しくなって、嬉しくなって、がんばれーって、いっぱい応援したくなるの。ゆうちゃんなら、もしなにか失敗したとしても楽しいステージにできるって、信じてるから」
桃音はふわりと笑みを浮かべた。花のような笑みだった。
「だから、大丈夫。大丈夫よ、ゆうちゃん。それにほら、可愛い服は心の鎧だもの」
「……ももちゃん」
「俺もそう思うぜ」
桃音の言葉に、朱希も頷いた。
「一回やってみりゃいいじゃん。今までダメだったのが嘘みたいに楽しいかもしれないぜ」
かわいい感じの曲を作り直さなきゃな、と朱希は笑った。確かに、と桃音は頷く。翼は、少しだけ自分を――――ひいては、自分を信じてくれている二人を、信じてみることにした。
「……二人とも、ありがとう」
スタイルコードを掲げて、翼は宣言した。
「ボク、やってみる。最高に可愛いトップシンカーになってみせるよ!」
朱希と桃音は、目線を合わせて頷いた。ただ、その信頼が嬉しかった。
*
朱希が爆速で曲を作り、なんとか振り付けを完成させた頃にはオーディションが数週間後に迫っていた。
TrendSync Performのオーディションは一大イベントだ。未来のスターがここから生まれるかもしれない、と、大きなホールで未来のファンたちの視線の元、行われる。
オーディションでは、一次審査で書類を見、二次審査で課題曲をやり、最後にステージに立つ。観客のときめきがそのまま得点となり、それが1000を越せばレゾナンスマイクを手に入れられる。
だから、出来うる限り完璧に仕上げなければならない。翼は、小さくて華奢とはいえ男だ。女性らしい立ち振る舞いを習得するのにそこそこの時間がかかった。
朱希がダンスを見てくれたり、桃音が歌の練習を手伝ってくれたり。
最大限使えるものを使い、利用出来るものを利用し、そうして目まぐるしく時は過ぎ――――
――――気付けば最終審査の当日だった。
「頑張ってね、ゆうちゃん……!」
「ここまで残ったの初めてじゃね? すげえな」
変わらず応援してくれる桃音と朱希がそんなふうに見送ってくれる。翼は頷いて、親指を立てて二人に突き出した。
「ちゃんと寝たし、体調も万全! それに、ボクには二人がついてる。必ずレゾナンスマイクを手に入れて、トレンドシンカーになってみせるよ!」
だから、見てて。そう言って笑ってみせれば、笑顔が硬かったのか、桃音は仕方ないなと言うように笑って、翼の頬に指を当て、ぐいと上にあげた。
「でも緊張してる? 大丈夫、ゆうちゃん。今まで頑張ってきたもん、今まで通り、歌って踊るだけ、だよ」
そのままぐにぐにと顔をもみくちゃにされる。なんだかそれがおかしくて、思わず自然に笑みがこぼれた。
「うんうん、ゆうちゃんは自然体で笑ってるのがいちばんかわいいんだから」
「……緊張するなは無理な話かもしんねえけど、ま、信じろよ。積み上げてきた経験をさ」
「そうそう! あ、これはお守りね」
そう言いながら、桃音は翼に紙袋を突き出した。
「……これは?」
「ふふん。開けてみて!」
言われるがまま開けるとそこには羽根のヘアピンがふたつ、収まっていた。よくよく見れば少し縫い目がブレていたりするところがあって、手作りなのだろうと察することができた。
「……これ」
「朱希と一緒に作ったの! 朱希ったら玉留めもできないのよ。めちゃくちゃ苦戦したんだから」
「それは別にいいだろ、高校生男子の裁縫力なんてそんなもんだって」
二人はそこまで言ってから、オーディション開演の時間が迫っているのに気づいて目を合わせた。
「じゃあ、頑張ってね、ゆうちゃん!」
「見てるからな、ちゃんと」
「あ、……ありがとう!」
朱希と桃音はその言葉に誇らしげな顔をしてから客席に急ぐ。翼は、安心した心持ちで二人に手を振り、ステージへと向かった。
――――お姉ちゃん。
ボクは、お姉ちゃんの代わりに、トップシンカーになる。
トップシンカーになって――――お姉ちゃんを、助けるから。
どこか覚悟を決めた面持ちで、翼は貸し出されたレゾナンスマイクを起動した。
「レゾナンスマイク!」
手順は何度も動画で見たから知っている。翼にとって長く憧れだった、変身の手順。
「スタイルコードセット!」
マイクのボタンを押してからカードを読み込ませる。淡く光ったカードがその衣装を投影した。
息を吸う。吐く。想いはひとつだった。
「――――最高のステージを目指して!」
二人の気持ちを無駄にしないように。
「オン・ステージ!」
視線を上げれば、一面にピンクのサイリウムが広がっていた。
*
曲が流れ出す。朱希が翼のために作ってくれた曲だ。手拍子が多めの、リズムの取りやすい曲。翼はリズム感あんまないからこの方がいいだろ、と言った朱希の思惑は正しくて、翼でもそれなりに踊れるようになった。
「みんな! 今日は楽しんで行ってねー!」
わああ、と歓声が上がる。音に合わせて腕を運び、足を運び、歌う。
観客の顔が見える。楽しんでくれている人、そっぽを向いている人、様々だ。この視線を、全て、自分のものにしなければ、――――トップシンカーになんて、なれない!
指先まで綺麗に運ぶよう意識しながら、声を出す。歌え、歌え、誰にも負けぬように。
ああ、それにしたって、ステージがこんなに楽しいものだなんて知らなかった。
人の前で歌って踊るのがこんなに楽しいなんて知らなかった!
「みんなっ、もっともっと声を出して! もっともっと――――楽しんで!」
手拍子を誘導する。今なら何でもできる気がした。ぱち、ぱち、ぱち、手拍子が合って行く。観客の前にノーツが現れた。
光が見える。降り注ぐ星のノーツは観客の元に届き手元で弾ける。リズムを取りやすいよう夢中で誘導した。
そうしているうちに、
鮮烈。そんな言葉が似合うような、爆発的な光とともに、――――圧倒的なステラ・ノーツ!
翼の背後に羽が生えたように思えた。みにくいアヒルの子は、白鳥の真似をして美しく羽ばたいた。
あと少し頑張れば、光に届く。ぐうっと手を伸ばした翼の、光に届いた手の、先――――
「すごいよ、ゆうちゃん!」
そこにいたのは小さな生き物だった。マスコット、と言っても差し支えないだろう。
「いいなあ、ゆうちゃんの光は、希望って感じですごいなあ!」
「――――君は?」
そのマスコットは、その身体をふるりとさせてから答えた。
「ぼくはルミィ、メロディアに住んでいる、おとだまさ!」
おとだま――――ルミィは、翼の頬にすり、と頬擦りをして、笑った。
「ああ、君ならきっと、いつか壊れてしまった未来も紡げる……」
――――そんな言葉を最後に、翼の意識はステージに戻った。
わああ、と大歓声が響く。得点は――――1340点。1000点を、こえている。
「……嘘」
信じられない。
「合格……?」
呆然と呟いてから、はっとした。まだステージの上だ。慌てて観客に向き直り、丁寧に頭を下げた。そのままステージを下りれば、あのステージの光も、大歓声も、まるで夢だったかのように静かだった。
*
その後はすごくあっさりしていた。おめでとうございます、と頭を下げたのはレゾナンスマイクを製造する会社の社員さんで、桃音の作ってくれた衣装に合わせた装飾を頼めば快く快諾してくれた。
それが届くまで、数週間いただきますね。この度は本当におめでとうございます。と、そんな言葉を貰って外に出れば、朱希と桃音が駆け寄ってきた。
「ゆうちゃん!」
「翼! おっまえ、すげえなあ!」
朱希がばしばしと背中を叩く。桃音も翼の手を取りぶんぶんと振り回した。
「わ、わ、朱希、痛いし、ももちゃんもちょっと落ち着いて……」
「落ち着いてられないよー!」
そのまま桃音は翼に抱きついた。翼が固まったのを良いことに、桃音は話し出す。
「ゆうちゃん、本当に可愛かったし、本当に凄かった! 本当にステージに立つの初めてなの!? ってくらい、最強だった。私の見立ては正しかった!」
ぐう、と抱きしめて、離す。それから桃音は、心から嬉しそうに笑った。
「ゆうちゃんがトレンドシンカーになるお手伝いが出来て嬉しい! おめでとう、ゆうちゃん」
「ももちゃん……」
翼は、もう、夢なのではないかとばかり思っていたから、桃音の言葉で現実感がようやく追いついてきて、なんだかとても嬉しくなった。
「いや……」
朱希がぽつりと声を出した。少し悩んで、唸って、それからようやく話し出す。
「改めて、めちゃくちゃ良かったと思う。良かった、から……」
それからしばらく、沈黙。焦れた桃音が急かしてようやく、朱希は言葉を続けた。
「あー、えっと、……あのさ」
頬をかいて、朱希は首を傾げてこう言った。
「俺でもトレンドシンカーになれると思う?」
久々に踊りたくなっちゃって。そう続いた朱希の言葉を何度か反芻する。おれでもとれんどしんかーになれるとおもう?
「え――――っ!?」
言葉を咀嚼しおわってようやく、翼と桃音は顔を見合せて、それから二人で大きく声を上げた。
夢への道は始まったばかりだ。
畳む
7136文字
――――お姉ちゃん。
幼い声がした。今よりはるかに低い視点、姉と手をつないで帰る途中。翼は姉に声を掛けた。
――――なあに、翼。
翼の声に応えるように微笑みを返し振り返る姉の顔はぼやけている。よく見えない、よく思い出せないけれど、姉のことだから、きっと笑顔だった。
――――いつか一緒に、あのステージに立とうね。
TrendSync Perform。歌とダンスとファッションを組み合わせた、この世界における最も重要な未来を紡ぐ手段であり、競技のこと。姉は、その世界でも頂点である『トップシンカー』を目指していた。小さな間の後、姉は息を大きく吸った。
――――もちろん!
嬉しそうな声だったと、思う。もう思い出せない。ああ、これは過去の夢だ、だって、姉は、今――――……
「……ばさ、翼! 起きなさい!」
は、と目を覚ます。目の前には呆れた顔をした母親が立っている。頭が回らない。なんだか怒っているようだった。ぼんやりした翼を前に、母は、す、と時計を掲げてみせた。時間は遅刻ギリギリを示している。
「えっ、うわあ!」
「もう桃音ちゃんたちには先に行ってもらったからね。アンタも早く支度なさい」
ご飯はできてるから早く降りてくるのよと母は部屋を出て行った。翼も、慌ててベッドから出て支度をする。顔を洗って歯を磨き、雑に髪を整え制服に着替える。
先日買ったばかりのかわいいヘアピンを今日こそつけていくか悩んで断念する。顔が幼い方とはいえ、男である自分がこれをつけるという違和感がどうしても拭えなかった。
ふと、さっきまで見ていた夢を思い出して、そっと姉の部屋の扉を開けた。
静かだった。部屋に翼が入ってきて尚、視線は窓の外を向いている。
「お姉ちゃん、おはよう」
声を掛けても反応はなかった。普段だったらもう少し、一方的にでもおしゃべりをしてから行くのだが、今日はそうも言ってられない。行ってきます、とだけ声を掛けて、ご飯を済ませるべく階段を下りた。
*
「お、遅かったな、寝坊助さん」
教室に入れば、クラスメイト兼幼馴染の正城朱希が真っ先にこちらに気付いた。よう、と手を振ってくる彼の隣で、同じく幼馴染の結城桃音がぱあっと顔を明るくした。
「おはよう、ゆうちゃん!」
夕空翼の夕をとってゆうちゃん。その呼び方は幼稚園の頃から変わっておらず、いつも通りの教室内になんだか少し気が解けていくような気がした。
「おはよう。まさか遅刻するなんて思わなかったよ~……」
「なんだか珍しいよね、遅刻するの」
ちょっと心配したんだよ、と言う桃音の横で、朱希が意地悪気にこう言った。
「とか言って、授業中居眠りしがちじゃん。ちゃんと夜に眠らないと駄目だぜ」
「う……」
何も言い返せなかった。言葉に詰まった翼を見て、桃音は首を傾げた。
「夜、あんまり眠れてないの?」
「う~ん……」
眠れている、と言えば嘘になる。最近は、自分がステージに上がるための衣装デザインに苦戦しっぱなしで、夜更かしをしがちだった。そのせいで、授業もおろそかになっている、自覚がある。
「良くないってわかってるんだけどね」
「自分でデザインもやらなきゃなんねえのか。そりゃ大変だな」
翼の描いたデザイン画を見て朱希が唸る。そのまま、無理、専門外、と言いながら桃音にスライドした。桃音が言う。
「ゆうちゃん、トップシンカーになりたいんだもんね……」
まじまじとデザインを見ながら桃音も困った顔をした。それから少し悩んで、意を決したようによし、と気合を入れる。
「えっとね、ゆうちゃんさえ良ければなんだけど」
そう言いながらごそごそとカバンを漁る。カバンから出てきたのは一つの携帯端末だった。
「それは?」
「トレンドフォージ! これで衣装をデザインして、スタイルコード――――ええと、カードに印刷するの」
こうやって、と、桃音は一つのデータを選択して印刷する。朱希は興味深げにそれを眺めていた。
「へえ、桃音もそういうの持ってたのか」
「ボクでさえ自分のは持ってないのに……」
えへへ、と照れたように笑った桃音は、印刷したカードで口元を隠してこう言った。
「ゆうちゃんの役に立ちたくて。あのね、ゆうちゃん」
桃音はそのまま、そのカードを翼に差し出す。翼は、どこからどう見ても女の子のための服が印刷されたそれと、桃音の顔を見比べた。
「私のデザインを着て、オーディションのステージに立ってみてくれないかな!?」
「……え、」
再びスタイルコードに視線をやる。女の子の服だ。桃音の顔を見る。冗談を言っているようには見えなかった。
「あー、いいんじゃね? 似合うだろ」
朱希の他人事みたいな声がその後ろから響く。キーンコーンカーンコーン……と、そのタイミングでチャイムが鳴った。いけない、と桃音はスタイルコードを翼に押し付けた。
「考えておいて!」
「え、ちょっ」
桃音がバタバタと自分の教室に戻って行く。一人取り残されっぱなしの翼は、それを引き留めることも、朱希に助けを求めることも出来ずに、先生が入ってきて、授業が始まった。
*
トレンドシンカーになるには、レゾナンスマイクを手に入れる必要がある。レゾナンスマイクは、オーディションに参加することで手に入れられる、トレンドシンカーの証明だ。翼は、そのオーディションに、二回落ちている。
桃音の考えた衣装を着て、オーディションのステージに立つ。何度スタイルコードを確認してもそこに描かれているのはかわいいふわふわのスカートと大きなリボンで、翼は小さくため息をついた。
かわいいものは好きだ。でも、身に纏いたいと思うかと言われたら、分からない。だって、男がこんな服を着るのは、変だ。ううん、と声が漏れる。
「何悩んでんの。授業ちゃんと聞いてたか?」
スタイルコードを眺めてぼうとしていると、後ろから朱希が声を掛けてきた。開いている椅子をがたがたと引きずって隣に座る。翼は、少し悩んでから言葉を口にした。
「いや、ボクは男なのになあって……。授業は、あとでももちゃんに教えてもらうよ」
「贅沢な奴。んで、服だっけ、でもお前、可愛いの好きだろ」
「好きだけどさ……」
間髪入れずに入った言葉に尻込みする。朱希は、しばらく黙ってから、改めて口を開いた。
「俺は好きな物を好きだ! って堂々としてた方がかっこいいと思うぜ」
「……わかってるけど」
「それに、今更じゃね?」
じ、とこちらを見据える朱希はいたって真面目な顔をしていてなんだか居心地が悪い。
「今更?」
「トップシンカーになりたいなんて、笑われても仕方ないだろ」
それでもなるんだろ、翼は。そう言われてみて、考える。確かに、同じことかもしれない。トレンドシンカーになることは比較的簡単だが、トップシンカーとなると唯一だ。夢物語と笑われてもおかしくないだろう。
「利用できるもん利用したらいいんじゃねえの。俺はその辺、よく分かんねえけど」
「朱希ってこういうの興味ないもんね」
「裏方の方が性にあってんだよな。曲作るだけ~とかさ」
確かに、それで良いのかもしれない。可愛いものが好きだから、可愛い服を着る。そう言葉にすると、ごく単純な話のように思えた。
「ゆうちゃん、朱希、帰ろ~!」
がたがた、と扉が開かれ桃音が現れる。おう、と返事をして朱希も荷物をまとめ始めた。桃音が近づいてくる。
「何話してたの?」
「えーと……」
桃音はちら、とスタイルコードに目をやった。翼は、少し悩んで、思い切って聞いてみることにした。
「ももちゃんは、どうしてボクにこの衣装が似合うと思ったの?」
「えっ、そうだなあ……」
桃音は少し悩んだ。言葉を選んでいるようだったので、大人しく待つことにした。
「……、ゆうちゃんが、喜んでくれたらいいな、が一番だったの。もちろん、かっこいいのが似合わないと思ってるわけじゃなくて……。ゆうちゃんなら、こっちの方が喜んでくれるかなって」
違った? と小さく首を傾げて見せる桃音は翼のなりたい女の子の形をしていて、なんだか複雑だった。言葉が足りなかったのを察した桃音が、慌てて言葉を付け足す。
「ゆうちゃんに似合うと思ったからデザインしたんだよ! ゆうちゃんは世界一可愛いもの。私を信じて」
ね、と念を押す。翼は困ってしまって、スタイルコードに視線をやった。
「……えっと、まずね。嬉しいのは本当なんだ。ももちゃんがボクのためにデザインを持ってきてくれるなんて思ってなかったから……。でも、戸惑いと不安が強くて。だって、これを着て、ボクが失敗したら……」
「翼」
そんな言葉を、後ろから朱希が止めた。押し黙った翼に、桃音は少し考えてから言葉を発した。
「大丈夫よ、ゆうちゃん。私を信じて。ダメでもいいの、ゆうちゃんが心ときめくかどうかが一番大事なの」
「心ときめく……」
「そう。私、ゆうちゃんのステージが好き! 楽しく歌って踊ってるゆうちゃんが好き。見てると楽しくなって、嬉しくなって、がんばれーって、いっぱい応援したくなるの。ゆうちゃんなら、もしなにか失敗したとしても楽しいステージにできるって、信じてるから」
桃音はふわりと笑みを浮かべた。花のような笑みだった。
「だから、大丈夫。大丈夫よ、ゆうちゃん。それにほら、可愛い服は心の鎧だもの」
「……ももちゃん」
「俺もそう思うぜ」
桃音の言葉に、朱希も頷いた。
「一回やってみりゃいいじゃん。今までダメだったのが嘘みたいに楽しいかもしれないぜ」
かわいい感じの曲を作り直さなきゃな、と朱希は笑った。確かに、と桃音は頷く。翼は、少しだけ自分を――――ひいては、自分を信じてくれている二人を、信じてみることにした。
「……二人とも、ありがとう」
スタイルコードを掲げて、翼は宣言した。
「ボク、やってみる。最高に可愛いトップシンカーになってみせるよ!」
朱希と桃音は、目線を合わせて頷いた。ただ、その信頼が嬉しかった。
*
朱希が爆速で曲を作り、なんとか振り付けを完成させた頃にはオーディションが数週間後に迫っていた。
TrendSync Performのオーディションは一大イベントだ。未来のスターがここから生まれるかもしれない、と、大きなホールで未来のファンたちの視線の元、行われる。
オーディションでは、一次審査で書類を見、二次審査で課題曲をやり、最後にステージに立つ。観客のときめきがそのまま得点となり、それが1000を越せばレゾナンスマイクを手に入れられる。
だから、出来うる限り完璧に仕上げなければならない。翼は、小さくて華奢とはいえ男だ。女性らしい立ち振る舞いを習得するのにそこそこの時間がかかった。
朱希がダンスを見てくれたり、桃音が歌の練習を手伝ってくれたり。
最大限使えるものを使い、利用出来るものを利用し、そうして目まぐるしく時は過ぎ――――
――――気付けば最終審査の当日だった。
「頑張ってね、ゆうちゃん……!」
「ここまで残ったの初めてじゃね? すげえな」
変わらず応援してくれる桃音と朱希がそんなふうに見送ってくれる。翼は頷いて、親指を立てて二人に突き出した。
「ちゃんと寝たし、体調も万全! それに、ボクには二人がついてる。必ずレゾナンスマイクを手に入れて、トレンドシンカーになってみせるよ!」
だから、見てて。そう言って笑ってみせれば、笑顔が硬かったのか、桃音は仕方ないなと言うように笑って、翼の頬に指を当て、ぐいと上にあげた。
「でも緊張してる? 大丈夫、ゆうちゃん。今まで頑張ってきたもん、今まで通り、歌って踊るだけ、だよ」
そのままぐにぐにと顔をもみくちゃにされる。なんだかそれがおかしくて、思わず自然に笑みがこぼれた。
「うんうん、ゆうちゃんは自然体で笑ってるのがいちばんかわいいんだから」
「……緊張するなは無理な話かもしんねえけど、ま、信じろよ。積み上げてきた経験をさ」
「そうそう! あ、これはお守りね」
そう言いながら、桃音は翼に紙袋を突き出した。
「……これは?」
「ふふん。開けてみて!」
言われるがまま開けるとそこには羽根のヘアピンがふたつ、収まっていた。よくよく見れば少し縫い目がブレていたりするところがあって、手作りなのだろうと察することができた。
「……これ」
「朱希と一緒に作ったの! 朱希ったら玉留めもできないのよ。めちゃくちゃ苦戦したんだから」
「それは別にいいだろ、高校生男子の裁縫力なんてそんなもんだって」
二人はそこまで言ってから、オーディション開演の時間が迫っているのに気づいて目を合わせた。
「じゃあ、頑張ってね、ゆうちゃん!」
「見てるからな、ちゃんと」
「あ、……ありがとう!」
朱希と桃音はその言葉に誇らしげな顔をしてから客席に急ぐ。翼は、安心した心持ちで二人に手を振り、ステージへと向かった。
――――お姉ちゃん。
ボクは、お姉ちゃんの代わりに、トップシンカーになる。
トップシンカーになって――――お姉ちゃんを、助けるから。
どこか覚悟を決めた面持ちで、翼は貸し出されたレゾナンスマイクを起動した。
「レゾナンスマイク!」
手順は何度も動画で見たから知っている。翼にとって長く憧れだった、変身の手順。
「スタイルコードセット!」
マイクのボタンを押してからカードを読み込ませる。淡く光ったカードがその衣装を投影した。
息を吸う。吐く。想いはひとつだった。
「――――最高のステージを目指して!」
二人の気持ちを無駄にしないように。
「オン・ステージ!」
視線を上げれば、一面にピンクのサイリウムが広がっていた。
*
曲が流れ出す。朱希が翼のために作ってくれた曲だ。手拍子が多めの、リズムの取りやすい曲。翼はリズム感あんまないからこの方がいいだろ、と言った朱希の思惑は正しくて、翼でもそれなりに踊れるようになった。
「みんな! 今日は楽しんで行ってねー!」
わああ、と歓声が上がる。音に合わせて腕を運び、足を運び、歌う。
観客の顔が見える。楽しんでくれている人、そっぽを向いている人、様々だ。この視線を、全て、自分のものにしなければ、――――トップシンカーになんて、なれない!
指先まで綺麗に運ぶよう意識しながら、声を出す。歌え、歌え、誰にも負けぬように。
ああ、それにしたって、ステージがこんなに楽しいものだなんて知らなかった。
人の前で歌って踊るのがこんなに楽しいなんて知らなかった!
「みんなっ、もっともっと声を出して! もっともっと――――楽しんで!」
手拍子を誘導する。今なら何でもできる気がした。ぱち、ぱち、ぱち、手拍子が合って行く。観客の前にノーツが現れた。
光が見える。降り注ぐ星のノーツは観客の元に届き手元で弾ける。リズムを取りやすいよう夢中で誘導した。
そうしているうちに、
鮮烈。そんな言葉が似合うような、爆発的な光とともに、――――圧倒的なステラ・ノーツ!
翼の背後に羽が生えたように思えた。みにくいアヒルの子は、白鳥の真似をして美しく羽ばたいた。
あと少し頑張れば、光に届く。ぐうっと手を伸ばした翼の、光に届いた手の、先――――
「すごいよ、ゆうちゃん!」
そこにいたのは小さな生き物だった。マスコット、と言っても差し支えないだろう。
「いいなあ、ゆうちゃんの光は、希望って感じですごいなあ!」
「――――君は?」
そのマスコットは、その身体をふるりとさせてから答えた。
「ぼくはルミィ、メロディアに住んでいる、おとだまさ!」
おとだま――――ルミィは、翼の頬にすり、と頬擦りをして、笑った。
「ああ、君ならきっと、いつか壊れてしまった未来も紡げる……」
――――そんな言葉を最後に、翼の意識はステージに戻った。
わああ、と大歓声が響く。得点は――――1340点。1000点を、こえている。
「……嘘」
信じられない。
「合格……?」
呆然と呟いてから、はっとした。まだステージの上だ。慌てて観客に向き直り、丁寧に頭を下げた。そのままステージを下りれば、あのステージの光も、大歓声も、まるで夢だったかのように静かだった。
*
その後はすごくあっさりしていた。おめでとうございます、と頭を下げたのはレゾナンスマイクを製造する会社の社員さんで、桃音の作ってくれた衣装に合わせた装飾を頼めば快く快諾してくれた。
それが届くまで、数週間いただきますね。この度は本当におめでとうございます。と、そんな言葉を貰って外に出れば、朱希と桃音が駆け寄ってきた。
「ゆうちゃん!」
「翼! おっまえ、すげえなあ!」
朱希がばしばしと背中を叩く。桃音も翼の手を取りぶんぶんと振り回した。
「わ、わ、朱希、痛いし、ももちゃんもちょっと落ち着いて……」
「落ち着いてられないよー!」
そのまま桃音は翼に抱きついた。翼が固まったのを良いことに、桃音は話し出す。
「ゆうちゃん、本当に可愛かったし、本当に凄かった! 本当にステージに立つの初めてなの!? ってくらい、最強だった。私の見立ては正しかった!」
ぐう、と抱きしめて、離す。それから桃音は、心から嬉しそうに笑った。
「ゆうちゃんがトレンドシンカーになるお手伝いが出来て嬉しい! おめでとう、ゆうちゃん」
「ももちゃん……」
翼は、もう、夢なのではないかとばかり思っていたから、桃音の言葉で現実感がようやく追いついてきて、なんだかとても嬉しくなった。
「いや……」
朱希がぽつりと声を出した。少し悩んで、唸って、それからようやく話し出す。
「改めて、めちゃくちゃ良かったと思う。良かった、から……」
それからしばらく、沈黙。焦れた桃音が急かしてようやく、朱希は言葉を続けた。
「あー、えっと、……あのさ」
頬をかいて、朱希は首を傾げてこう言った。
「俺でもトレンドシンカーになれると思う?」
久々に踊りたくなっちゃって。そう続いた朱希の言葉を何度か反芻する。おれでもとれんどしんかーになれるとおもう?
「え――――っ!?」
言葉を咀嚼しおわってようやく、翼と桃音は顔を見合せて、それから二人で大きく声を上げた。
夢への道は始まったばかりだ。
畳む
#ふたつの翼、ひとつの空
後日談 5466文字
「魔法学校の学園祭?」
「そ!」
いつにもまして上機嫌なイズミ先生が笑顔で頷く。呼び出されたシーアとサーヤ、リアムとマシューは思わず顔を見合わせた。曰く、毎年開催されるエアリス魔法学校の学園祭に、騎士学校からも生徒が数名、招待されるのだという。
「仲良しの君たちにはぴったりだと思ってね。それに、それなりに真面目に授業も聞いてくれているだろう。興味があるなら是非、とのことだけど、どうする?」
エアリス魔法学校。確か、入寮案内の手伝いをしてくれたガロウ先生がいる学校だったはずだと、ふんわり思い出す。
「お祭りかあ、なんだか楽しそう! 私は行きたいわ」
「ぼ、ぼくも……!」
シーアとサーヤがそういえば、リアムとマシューも頷いた。
「ま、お前らを二人で行かせるのも不安だしな」
「はあ? 何よそれ、行きたくないならついてこなくてもいいのよ」
「行きたくねーとは言ってねえだろ!」
「あはは、まあまあ……」
マシューが二人をなだめる。イズミ先生は前向きな返事にうんうんと頷いて、じゃあ、と話を続けた。
「来月のこの日、丸一日開けておいてね~」
はーい、と全員で返事をする。サーヤは、久々にとっても楽しみな予定が増えて、なんだかとても嬉しかった。
*
――――それがあったのが、先月の、全てが起こる前のこと。時が過ぎるのは早いもので、また、いろんなことがあったのもあり随分長くも感じたが、当日はあっさりとやってきた。
魔法学校の大きなホールに座って待っていれば、大きな音楽とともに、魔法の光がホールを照らし、弾ける。司会を任せられたのであろう生徒が魔法学校に住み着いている幽霊に茶々を入れられながら何とか進めていくのを、客席のシーアたちは笑いながら眺めた。
「それでは――――エアリス魔法学校学園祭、開幕です!」
わぁっと拍手が弾け、いっせいに光が灯る。開会式は豪勢に終わり、はしゃぐシーアたちを先生は穏やかに眺めていた。
「すごいすごい! 魔法って使い方によってはこんなことも出来るのね!」
「そ、そうだよね……! ぼく、感動しちゃった」
「今のは星魔法だね。僕たちが基本的に使えるのは風魔法なんだけど、エアリス魔法学校では星魔法の研究も行われているんだ」
「へえ、そうなんだ……」
「星魔法と風魔法の違いってあるんですか?」
イズミ先生が補足を入れたのに、リアムが質問を重ねる。イズミ先生がうーん、と唸っていると、後ろから声が降ってきた。
「風魔法が生活などのいろいろな物事に役立つのと比べて、星魔法は基本的には役に立たないものだ。生活を彩るもの、とも言い換えられる。だけれど、時に星魔法は強力な魔法を発揮し俺たちを助けてくれる。だから俺たちはそれをもっと上手く生活に役立てられないかと研究している」
「ガロウ先生!」
シーアたちにぺこ、と軽く頭を下げて、ガロウ先生はイズミ先生に視線をやった。
「イズミ、今年の案内役も俺だ」
「やった。じゃ、例年通りよろしくね」
そうしてガロウ先生はシーアたちに向き直る。怖い先生ではないと分かってはいるが、向き合うと少し緊張してしまうのも事実だった。
「ガロウだ。覚えているかは分からないが、入寮の日にお手伝いをさせてもらった。薬草学の授業を担当している。よろしく」
それに倣ってシーアたちも自己紹介をした。ガロウ先生は頷いてから、少しだけ眉を下げた。
「イズミから聞いたが……、なんか色々大変だったらしいな。お前たちが無事で良かった。イズミもそれはそれは心配していて……」
「わーっ! その話はいいの! もう終わった話なんだから掘り返さないで! いいから、学園祭の説明をしてよ」
話を遮られたガロウ先生は目線をイズミ先生に向けたが特に何も言わず、彼の言葉に従って学園祭の説明を始めた。
学園祭は生徒たちが自主的に研究し制作した出し物を楽しむイベントであり、今回出されているのは、星魔法で作られたプラネタリウム、様々なことを占ってもらえるブース、魔法植物の展示・即売会、自由研究自費出版本の即売会、古代魔法の文字を習うコーナー、など。その他には魔法を駆使して作られた食べ物や飲み物が販売されるとの事だった。
その中でも今回の目玉は舞踏会だった。エアリス魔法学校のいちばん大きなホールを借りてみんなで踊る。だから正装指定だったのか、とリアムは納得した。正装は動きにくくて苦手だった。
「どこに行きたいかはお前たちで決めると良い」
「そうだよ〜。僕たちはあくまで引率だからね、決まったら教えてね」
先生方はそう言って邪魔にならないよう二人で話し始めた。シーアが貰ったパンフレットを開いて口を開く。
「さて、どこに行きたいかしら!」
「ぼ、ぼく、本が欲しいな……!」
「私はプラネタリウムに行きたいわ」
「僕は魔法植物が気になるかなあ」
「俺はどこでも……」
「どこでも!?」
リアムの言葉にシーアが食いつく。
「どこでもいいわけないでしょ、こんなにワクワクするんだから! 遠慮せずに行きたいとこ言いなさいよ」
そんなことを言われても。本当にどこでも良かったので、リアムはしばらく悩んで、こう言った。
「どこに行っても楽しいだろうし、どこでもいいよ」
あらま、素直。シーアが目を丸くしたのを見て、リアムはやらかしたと思った。思ったが、そのまま話が進み、訂正する隙もなく向かう場所は決まっていった。
*
まず本を見て買う。次にプラネタリウムに行って、古代文字を習って、ご飯を食べて、魔法植物は嵩張りそうなので最後でいい、とマシューは言った。
先生二人はそれを聞くと、計画的だね、と笑って、立ち上がった。
「じゃあまずは、本を買いに行こう」
並べられた自費出版の本たちは、サーヤの目にはキラキラ輝いて見えた。
風花の生態と分布に関する研究、ウィンドグライダーの飛行原理の解明、古代魔法の復元研究、星魔法の発現条件と遺伝的要因、雲の下に関する仮説、ウィンドグライダーの好む食べ物大全、など。
全員の好みがバラバラなので、それぞれで見て周り、時間を決めて出口に集合、ということになった。
サーヤは星魔法や図鑑を中心に気になるものを買ったし、マシューはウィンドグライダーに関係しそうな資料を気まぐれに買った。リアムは地上に関する資料を集めて、シーアは可愛いものや物語を中心に買った。
時間通り全員が集まったのを確認したイズミ先生もいくつか本を買っていた。
「いやいや、思ったより買っちゃった。面白そうなものが多いね」
「こういう場に来るとまだまだ学ぶべきことがあると実感させられるよな。これから楽しむのに本が嵩張るようなら俺が持つが」
視線がサーヤに集まる。サーヤは慌てて大丈夫です、と伝えたが、ガロウ先生はその荷物をそっと手に取った。
「いや、どう考えても重いだろう。任せてくれ」
そう言ってガロウ先生はその荷物を手にしていた本の中に収納した。おおーっと歓声が上がる。簡単に魔法を使う先生たちはやっぱりかっこよかった。便乗してシーアが荷物を差し出せば、ガロウ先生はそれも収納してみせた。
「お前たちは?」
リアムとマシューは目を見合わせた。二人はなんだか少し悔しくて、首を横に振って大丈夫だと伝えた。
*
プラネタリウムでは月と星座の話が主だった。終わった後、イズミ先生とガロウ先生は、自分たちの苗字には、月を意味する単語が入っているのだと話した。
古代文字を書いてみるワークショップでは、古代文字の五十音順が配られた。長らく研究の進んでいなかった古代文字は、最近になってぐんと進んだらしい。小さくヴェルタ先生の名前を見つけて、ナユタもこれに関わっているのだろうなとサーヤは思った。
ご飯を買って、魔法植物を買って、一通り満足したところで、イズミ先生がよし、と頷いた。
「そろそろ舞踏会の方行ってみる? 必要なら荷物はガロウ先生か僕が預かるし」
「そうね〜! 楽しみだわ、ね、サーヤ!」
「そうだね、シーア……!」
先生たち二人は、舞踏会、という響きだけでわくわくしているシーアとサーヤを微笑ましげに眺めて、それからホールまで足を進めることにした。
ホールは賑やかだった。
並べられた美味しそうな料理たち、楽しそうに踊る人々の靴の音と、談笑の声。みんながみんなこの時を楽しんでいて、活気で満ちていた。
「わああ……!」
思わず、と歓声が漏れた。シーアは、そんなサーヤを見て嬉しそうに笑った。
「まるでおとぎ話みたいね!」
「そうだね、シーア!」
くるくると音楽に合わせて踊る人々を眺めながら、ほうとため息をつく。手を取り合い踊る年上のお姉さんやお兄さんたちは、なんだかとてもきれいに見えた。
「僕たちも踊る?」
マシューがサーヤに声を掛けた。サーヤは少し慌てて首を横に振った。
「ええっ、ぼ、ぼく、踊ったことなんてないし……」
「大丈夫だよ、たとえ下手でも、誰も怒ったりしないさ」
どうしよう、とシーアの方を見れば、そこにシーアはおらず。代わりにそこにいたリアムがこう答えた。
「あいつはケーキ取りに行った。踊りたいんなら踊れば」
滅多にない機会だろ、とそっぽを向いたリアムの視線の先には、シーアがいた。サーヤは少し考えて、リアムにこう聞いた。
「リアムくんもシーアと踊りたいの?」
「なっ」
返ってきたのは沈黙だった。違う、ともそうだ、とも言わなかったが、沈黙は肯定だった。へえ、ふうん。薄々気づいてはいたけれど。
「シーア、踊るの好きだけど、リアムくんとは踊ってくれないかもね。いつも素直じゃないもん」
「は」
「素直じゃないリアムくんにはシーアはあげられないな」
リアムにじと、とした視線をやったサーヤは、マシューを向き直って手を引いた。
「行こう、マシューくん」
「えっ、あ、う、うん!」
マシューも驚いたまま手を引かれていく。そうして置いていけぼりにされたリアムの後ろで、イズミ先生が盛大に笑った。
「おい、イズミ」
「だ、だって……。ふふ、あはは!」
そこで戻ってきたシーアが楽しそうなイズミ先生に首を傾げた。
「なにかあった?」
「いや……」
どう答えてもよくなかった。結局なんでもない、と言ったリアムにシーアがむすくれる。リアムに同情気味のガロウ先生が助け舟を出した。
「……こほん。サーヤとマシューは二人で踊りに行ったぞ」
「え――――!?」
シーアの視線がサーヤを探す。踊るサーヤは思ったよりも楽しそうで、それが不服だった。
「何よ、マシューのやつ! サーヤは渡さないんだから」
流石双子というべきか、二人して同じような気持ちを抱えているらしい。そのくせ、自分に向けられたものにはお互い気づいていない様子だったのがなんだか恨めしかった。
「シーア」
リアムが声を掛ける。シーアはケーキを口に突っ込みながらリアムを見た。リアムは、あー、とか、んー、とか、しばらく唸った。先生方は空気に徹してくれている。
「……俺達も踊るか?」
結局出た言葉はそんなもので、シーアは少し考えた後にそれを断った。
「今ケーキ食べてるから、無理よ」
「……そうだな」
シーアは、しおらしくて変なリアム、と思った。
「リアムだって、別に積極的に踊りたいわけじゃないでしょ。私はこういう場は好きだけど、気を使わなくていいのよ」
サーヤが戻ってきたら少し一緒に踊ってもらおう、と心に決めながら、ケーキを次々と口に放り込んでいく。リアムは、しばらく黙っていたが、シーアがケーキを食べ終わったころにようやく立ち上がった。
そのまま、シーアのそばに膝をついて――――
「俺が踊りたいから! ――――……俺と、一緒に、踊りませんか」
ひゅう、と周囲から歓声が上がった。茶化されている。シーアは少し驚いてリアムをまじまじと見た。リアムは顔を真っ赤にしていて、珍しい顔、なんて思った。
「それなら、いいわよ。喜んで」
シーアが手を取って立ち上がる。それから、リアムを見てこう言った。
「踊りたいなら最初から素直にそういえばいいじゃない。誰だって手を取ってくれたでしょ」
サーヤもマシューも。付け加えられた言葉にそうじゃないとまでは言えず、リアムは小さく、おう、とだけ返した。
*
「いや、青春だね。なんだか懐かしいな」
イズミがガロウに向かってそう言った。ガロウも目を細めてそうだなと同意を返す。
「俺達も踊る?」
「仕事中だろ、イズミ先生」
「つれないなあ、ガロウ先生は」
そんな言葉の反面、二人は楽しそうだった。穏やかな空気がその場に漂っている。
「俺も跪いてお誘いしたらいい?」
「生徒にからかわれるのが目に見えてるからなあ」
ガロウが唸る。イズミは悪戯っぽく笑ってこう聞いた。
「恥ずかしい?」
「そうじゃないが、億劫が勝つ」
「うわ、ちょっと分かるな」
イズミは自分の持つ生徒たちの顔を思い浮かべて頷いた。だろ、とガロウが困ったように笑う。
「そんなふうに誇示しなくても、俺は恋人を信じているので。ちゃんと帰ってきてくれると」
「そうじゃなくて、普通にガロウ君と踊りたいだけだよ。下手そう」
「醜態を晒せと?」
「かわいいとこが見たいって話だよ」
じと、と睨んだガロウに、イズミがにこやかに返す。しばらく睨み合ってから、観念したようにガロウは目を逸らした。
「機会があったらな」
「お、言質」
せんせー! と、遠くから声がかかる。シーアたちが戻ってきているのを、少しだけ惜しく思いながら、二人は立ち上がって彼らの方へと向かって行った。
――――そうして、平和な日常は続いていく。
いつか彼らも、自分たちと同じようになるのだろうかと、不確定な未来に思いを馳せながら。先生方もまた、まだ小さな生徒たちのために奔走する日々を、平和と呼んでいるのであった。
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後日談 5466文字
「魔法学校の学園祭?」
「そ!」
いつにもまして上機嫌なイズミ先生が笑顔で頷く。呼び出されたシーアとサーヤ、リアムとマシューは思わず顔を見合わせた。曰く、毎年開催されるエアリス魔法学校の学園祭に、騎士学校からも生徒が数名、招待されるのだという。
「仲良しの君たちにはぴったりだと思ってね。それに、それなりに真面目に授業も聞いてくれているだろう。興味があるなら是非、とのことだけど、どうする?」
エアリス魔法学校。確か、入寮案内の手伝いをしてくれたガロウ先生がいる学校だったはずだと、ふんわり思い出す。
「お祭りかあ、なんだか楽しそう! 私は行きたいわ」
「ぼ、ぼくも……!」
シーアとサーヤがそういえば、リアムとマシューも頷いた。
「ま、お前らを二人で行かせるのも不安だしな」
「はあ? 何よそれ、行きたくないならついてこなくてもいいのよ」
「行きたくねーとは言ってねえだろ!」
「あはは、まあまあ……」
マシューが二人をなだめる。イズミ先生は前向きな返事にうんうんと頷いて、じゃあ、と話を続けた。
「来月のこの日、丸一日開けておいてね~」
はーい、と全員で返事をする。サーヤは、久々にとっても楽しみな予定が増えて、なんだかとても嬉しかった。
*
――――それがあったのが、先月の、全てが起こる前のこと。時が過ぎるのは早いもので、また、いろんなことがあったのもあり随分長くも感じたが、当日はあっさりとやってきた。
魔法学校の大きなホールに座って待っていれば、大きな音楽とともに、魔法の光がホールを照らし、弾ける。司会を任せられたのであろう生徒が魔法学校に住み着いている幽霊に茶々を入れられながら何とか進めていくのを、客席のシーアたちは笑いながら眺めた。
「それでは――――エアリス魔法学校学園祭、開幕です!」
わぁっと拍手が弾け、いっせいに光が灯る。開会式は豪勢に終わり、はしゃぐシーアたちを先生は穏やかに眺めていた。
「すごいすごい! 魔法って使い方によってはこんなことも出来るのね!」
「そ、そうだよね……! ぼく、感動しちゃった」
「今のは星魔法だね。僕たちが基本的に使えるのは風魔法なんだけど、エアリス魔法学校では星魔法の研究も行われているんだ」
「へえ、そうなんだ……」
「星魔法と風魔法の違いってあるんですか?」
イズミ先生が補足を入れたのに、リアムが質問を重ねる。イズミ先生がうーん、と唸っていると、後ろから声が降ってきた。
「風魔法が生活などのいろいろな物事に役立つのと比べて、星魔法は基本的には役に立たないものだ。生活を彩るもの、とも言い換えられる。だけれど、時に星魔法は強力な魔法を発揮し俺たちを助けてくれる。だから俺たちはそれをもっと上手く生活に役立てられないかと研究している」
「ガロウ先生!」
シーアたちにぺこ、と軽く頭を下げて、ガロウ先生はイズミ先生に視線をやった。
「イズミ、今年の案内役も俺だ」
「やった。じゃ、例年通りよろしくね」
そうしてガロウ先生はシーアたちに向き直る。怖い先生ではないと分かってはいるが、向き合うと少し緊張してしまうのも事実だった。
「ガロウだ。覚えているかは分からないが、入寮の日にお手伝いをさせてもらった。薬草学の授業を担当している。よろしく」
それに倣ってシーアたちも自己紹介をした。ガロウ先生は頷いてから、少しだけ眉を下げた。
「イズミから聞いたが……、なんか色々大変だったらしいな。お前たちが無事で良かった。イズミもそれはそれは心配していて……」
「わーっ! その話はいいの! もう終わった話なんだから掘り返さないで! いいから、学園祭の説明をしてよ」
話を遮られたガロウ先生は目線をイズミ先生に向けたが特に何も言わず、彼の言葉に従って学園祭の説明を始めた。
学園祭は生徒たちが自主的に研究し制作した出し物を楽しむイベントであり、今回出されているのは、星魔法で作られたプラネタリウム、様々なことを占ってもらえるブース、魔法植物の展示・即売会、自由研究自費出版本の即売会、古代魔法の文字を習うコーナー、など。その他には魔法を駆使して作られた食べ物や飲み物が販売されるとの事だった。
その中でも今回の目玉は舞踏会だった。エアリス魔法学校のいちばん大きなホールを借りてみんなで踊る。だから正装指定だったのか、とリアムは納得した。正装は動きにくくて苦手だった。
「どこに行きたいかはお前たちで決めると良い」
「そうだよ〜。僕たちはあくまで引率だからね、決まったら教えてね」
先生方はそう言って邪魔にならないよう二人で話し始めた。シーアが貰ったパンフレットを開いて口を開く。
「さて、どこに行きたいかしら!」
「ぼ、ぼく、本が欲しいな……!」
「私はプラネタリウムに行きたいわ」
「僕は魔法植物が気になるかなあ」
「俺はどこでも……」
「どこでも!?」
リアムの言葉にシーアが食いつく。
「どこでもいいわけないでしょ、こんなにワクワクするんだから! 遠慮せずに行きたいとこ言いなさいよ」
そんなことを言われても。本当にどこでも良かったので、リアムはしばらく悩んで、こう言った。
「どこに行っても楽しいだろうし、どこでもいいよ」
あらま、素直。シーアが目を丸くしたのを見て、リアムはやらかしたと思った。思ったが、そのまま話が進み、訂正する隙もなく向かう場所は決まっていった。
*
まず本を見て買う。次にプラネタリウムに行って、古代文字を習って、ご飯を食べて、魔法植物は嵩張りそうなので最後でいい、とマシューは言った。
先生二人はそれを聞くと、計画的だね、と笑って、立ち上がった。
「じゃあまずは、本を買いに行こう」
並べられた自費出版の本たちは、サーヤの目にはキラキラ輝いて見えた。
風花の生態と分布に関する研究、ウィンドグライダーの飛行原理の解明、古代魔法の復元研究、星魔法の発現条件と遺伝的要因、雲の下に関する仮説、ウィンドグライダーの好む食べ物大全、など。
全員の好みがバラバラなので、それぞれで見て周り、時間を決めて出口に集合、ということになった。
サーヤは星魔法や図鑑を中心に気になるものを買ったし、マシューはウィンドグライダーに関係しそうな資料を気まぐれに買った。リアムは地上に関する資料を集めて、シーアは可愛いものや物語を中心に買った。
時間通り全員が集まったのを確認したイズミ先生もいくつか本を買っていた。
「いやいや、思ったより買っちゃった。面白そうなものが多いね」
「こういう場に来るとまだまだ学ぶべきことがあると実感させられるよな。これから楽しむのに本が嵩張るようなら俺が持つが」
視線がサーヤに集まる。サーヤは慌てて大丈夫です、と伝えたが、ガロウ先生はその荷物をそっと手に取った。
「いや、どう考えても重いだろう。任せてくれ」
そう言ってガロウ先生はその荷物を手にしていた本の中に収納した。おおーっと歓声が上がる。簡単に魔法を使う先生たちはやっぱりかっこよかった。便乗してシーアが荷物を差し出せば、ガロウ先生はそれも収納してみせた。
「お前たちは?」
リアムとマシューは目を見合わせた。二人はなんだか少し悔しくて、首を横に振って大丈夫だと伝えた。
*
プラネタリウムでは月と星座の話が主だった。終わった後、イズミ先生とガロウ先生は、自分たちの苗字には、月を意味する単語が入っているのだと話した。
古代文字を書いてみるワークショップでは、古代文字の五十音順が配られた。長らく研究の進んでいなかった古代文字は、最近になってぐんと進んだらしい。小さくヴェルタ先生の名前を見つけて、ナユタもこれに関わっているのだろうなとサーヤは思った。
ご飯を買って、魔法植物を買って、一通り満足したところで、イズミ先生がよし、と頷いた。
「そろそろ舞踏会の方行ってみる? 必要なら荷物はガロウ先生か僕が預かるし」
「そうね〜! 楽しみだわ、ね、サーヤ!」
「そうだね、シーア……!」
先生たち二人は、舞踏会、という響きだけでわくわくしているシーアとサーヤを微笑ましげに眺めて、それからホールまで足を進めることにした。
ホールは賑やかだった。
並べられた美味しそうな料理たち、楽しそうに踊る人々の靴の音と、談笑の声。みんながみんなこの時を楽しんでいて、活気で満ちていた。
「わああ……!」
思わず、と歓声が漏れた。シーアは、そんなサーヤを見て嬉しそうに笑った。
「まるでおとぎ話みたいね!」
「そうだね、シーア!」
くるくると音楽に合わせて踊る人々を眺めながら、ほうとため息をつく。手を取り合い踊る年上のお姉さんやお兄さんたちは、なんだかとてもきれいに見えた。
「僕たちも踊る?」
マシューがサーヤに声を掛けた。サーヤは少し慌てて首を横に振った。
「ええっ、ぼ、ぼく、踊ったことなんてないし……」
「大丈夫だよ、たとえ下手でも、誰も怒ったりしないさ」
どうしよう、とシーアの方を見れば、そこにシーアはおらず。代わりにそこにいたリアムがこう答えた。
「あいつはケーキ取りに行った。踊りたいんなら踊れば」
滅多にない機会だろ、とそっぽを向いたリアムの視線の先には、シーアがいた。サーヤは少し考えて、リアムにこう聞いた。
「リアムくんもシーアと踊りたいの?」
「なっ」
返ってきたのは沈黙だった。違う、ともそうだ、とも言わなかったが、沈黙は肯定だった。へえ、ふうん。薄々気づいてはいたけれど。
「シーア、踊るの好きだけど、リアムくんとは踊ってくれないかもね。いつも素直じゃないもん」
「は」
「素直じゃないリアムくんにはシーアはあげられないな」
リアムにじと、とした視線をやったサーヤは、マシューを向き直って手を引いた。
「行こう、マシューくん」
「えっ、あ、う、うん!」
マシューも驚いたまま手を引かれていく。そうして置いていけぼりにされたリアムの後ろで、イズミ先生が盛大に笑った。
「おい、イズミ」
「だ、だって……。ふふ、あはは!」
そこで戻ってきたシーアが楽しそうなイズミ先生に首を傾げた。
「なにかあった?」
「いや……」
どう答えてもよくなかった。結局なんでもない、と言ったリアムにシーアがむすくれる。リアムに同情気味のガロウ先生が助け舟を出した。
「……こほん。サーヤとマシューは二人で踊りに行ったぞ」
「え――――!?」
シーアの視線がサーヤを探す。踊るサーヤは思ったよりも楽しそうで、それが不服だった。
「何よ、マシューのやつ! サーヤは渡さないんだから」
流石双子というべきか、二人して同じような気持ちを抱えているらしい。そのくせ、自分に向けられたものにはお互い気づいていない様子だったのがなんだか恨めしかった。
「シーア」
リアムが声を掛ける。シーアはケーキを口に突っ込みながらリアムを見た。リアムは、あー、とか、んー、とか、しばらく唸った。先生方は空気に徹してくれている。
「……俺達も踊るか?」
結局出た言葉はそんなもので、シーアは少し考えた後にそれを断った。
「今ケーキ食べてるから、無理よ」
「……そうだな」
シーアは、しおらしくて変なリアム、と思った。
「リアムだって、別に積極的に踊りたいわけじゃないでしょ。私はこういう場は好きだけど、気を使わなくていいのよ」
サーヤが戻ってきたら少し一緒に踊ってもらおう、と心に決めながら、ケーキを次々と口に放り込んでいく。リアムは、しばらく黙っていたが、シーアがケーキを食べ終わったころにようやく立ち上がった。
そのまま、シーアのそばに膝をついて――――
「俺が踊りたいから! ――――……俺と、一緒に、踊りませんか」
ひゅう、と周囲から歓声が上がった。茶化されている。シーアは少し驚いてリアムをまじまじと見た。リアムは顔を真っ赤にしていて、珍しい顔、なんて思った。
「それなら、いいわよ。喜んで」
シーアが手を取って立ち上がる。それから、リアムを見てこう言った。
「踊りたいなら最初から素直にそういえばいいじゃない。誰だって手を取ってくれたでしょ」
サーヤもマシューも。付け加えられた言葉にそうじゃないとまでは言えず、リアムは小さく、おう、とだけ返した。
*
「いや、青春だね。なんだか懐かしいな」
イズミがガロウに向かってそう言った。ガロウも目を細めてそうだなと同意を返す。
「俺達も踊る?」
「仕事中だろ、イズミ先生」
「つれないなあ、ガロウ先生は」
そんな言葉の反面、二人は楽しそうだった。穏やかな空気がその場に漂っている。
「俺も跪いてお誘いしたらいい?」
「生徒にからかわれるのが目に見えてるからなあ」
ガロウが唸る。イズミは悪戯っぽく笑ってこう聞いた。
「恥ずかしい?」
「そうじゃないが、億劫が勝つ」
「うわ、ちょっと分かるな」
イズミは自分の持つ生徒たちの顔を思い浮かべて頷いた。だろ、とガロウが困ったように笑う。
「そんなふうに誇示しなくても、俺は恋人を信じているので。ちゃんと帰ってきてくれると」
「そうじゃなくて、普通にガロウ君と踊りたいだけだよ。下手そう」
「醜態を晒せと?」
「かわいいとこが見たいって話だよ」
じと、と睨んだガロウに、イズミがにこやかに返す。しばらく睨み合ってから、観念したようにガロウは目を逸らした。
「機会があったらな」
「お、言質」
せんせー! と、遠くから声がかかる。シーアたちが戻ってきているのを、少しだけ惜しく思いながら、二人は立ち上がって彼らの方へと向かって行った。
――――そうして、平和な日常は続いていく。
いつか彼らも、自分たちと同じようになるのだろうかと、不確定な未来に思いを馳せながら。先生方もまた、まだ小さな生徒たちのために奔走する日々を、平和と呼んでいるのであった。
畳む
#ふたつの翼、ひとつの空
11話 9549文字
ジゼルが大慌てで寮に戻ってきたのと、フェリシア含む先輩方が二人の捜索に出ようとするタイミングは同じだった。
「……ッ、はあ、はあ、なあ!」
「貴方……!?」
フェリシアが目を丸くする。ジゼルはいてもたってもいられずに彼女に縋った。
「くそ、あいつ、俺を囮にするつもりだったみたいで……おれの代わりにシーアとサーヤが……!」
どこに行くのかも、何が目的なのかも、満足に知れなかった。おれなんか放っておけば良かったのに! と駄々をこねたい気持ちも、今は邪魔でしかない。
「……分かりました」
ざわめく先輩方の中で、フェリシアは唯一冷静だった。それぞれを班に分け的確に指示を飛ばす。それに従って全員が飛び立っていったのを見て、信頼されているんだなとぼんやり思った。
「ジゼルさん。ひとまず先生方のもとへ向かいましょう。あなたの知っていることを話してもらいます」
ジゼルは頷いた。今回ばかりは、自分でどうにもならなかった手前、大人しく従わなければならないと思った。
*
――――あいつ、多分、俺の父さんを嵌めた張本人だ。
ジゼルの話はそこから始まった。
ジゼルの家系はもともと貴族だったらしい。らしい、というのは、ジゼルはもう覚えていないからだった。
父は豪胆だったが、まじめな人だった。仕事仲間からの信頼も厚かったのだと本人は酒を口にしながら語った。そこに現れた父の友人が、今回の事件の首謀者だ、とジゼルは言う。
最初は友人として。やがてはビジネスパートナーとして。信頼できるやつだと思ったから、家の財産の管理を任せたのだ、とジゼルの父は悔しそうに何度も話した。
男は少しずつ資産を横領していった。気づいた時にはもう手遅れで、家の財産はほとんど空になってしまった。手順を踏んで抗議しようとすれば、今度は逆に証拠を捏造された。
横領したのは父の方だ、という話を貴族社会に広められて、どれだけ違うと主張しても、誰も父の言葉を信じなかった。母は気づけば居なかったらしい。逃げられたのだと父はずっと悔しそうだった。最愛の人だった、と、何度も話す父の言葉を、今でもよく覚えている。
地位も財産も失った父は、それでも家族を養うために空賊団に入るしかなかった。仕事ができる人だったからか、気付けば空賊団の中での地位が確かなものになっていた。
沈黙が落ちる。――――部屋にいる大人たち全員が、思い当たる事件があった。それを振り切るようにジゼルは話した。
「あいつ、貴族だったはずなんすよ。でも身なりは整ってなかった。あいつも没落したのかもしれないっすね……」
「……そうか、分かった」
レナード先生が話を受け取った。話してくれてありがとう、と置いてから、共有も兼ねて話し出す。
「イズミ先生が、『金が目的なのかもしれない』と言っていたから、君の推測は正しいかもしれないな」
「そうですね……」
ヴェルタ先生も唸っている。だとしても、所在が分からなければ意味がない。今は捜索班を信じて待ちましょう、とジゼルをなだめて、それから、彼を部屋に送るように、とフェリシアに指示した。先生方だけで話したいことがあるのかもしれない。
分かりました、とだけ言って部屋を出る。ジゼルは珍しく大人しくて、なんだか心配だった。
「……おれが、もっと賢くて、強かったら、こんなことになってないんすかね」
思わず漏れてしまったような独り言だった。フェリシアはその感情に覚えがあった。目を伏せる。それでも、前を向かねばならないのだ、今は。
風が強くなっている。窓ががたがたと音を立てていて、フェリシアは、今日は少しだけ悪い子になると決めた。
「……作戦を立てましょう」
ジゼルが顔を上げる。フェリシアは目も合わせず言い放った。
「わたくしたち子供が、良いように手のひらで転がされ続けるばかりじゃないって、証明しなくちゃ」
なめられては困るでしょう、と言う彼女の瞳には、確かに怒りが籠っていた。
*
使えるものは何でも使いましょう、とフェリシアが言うので、ジゼルは絶対に裏切らない味方として、リアムとマシューを指名した。使えるかどうかはさておき、あの二人のこととなると過保護だから、居ても立っても居られないだろう、というのが、指名の理由だった。
リアムとマシューの部屋に行けば、二人して携帯端末を持って何やら話し合っているようだった。ジゼルの顔を見てほかん、とした後、矢継ぎ早に何かを聞こうとした二人を制してフェリシアはこう言った。
「二人を助けに行くの。先生方には内緒で。――――協力してくれますね」
有無を言わさない口調に、二人は思わず顔を見合わせ頷いた。ジゼルとともに扉を締めれば、作戦会議が始まる。
「――――これが、ことの顛末」
フェリシアは簡単に要約して二人に今までのことを共有した。二人は難しい顔をして黙り込んだ。
実は、とマシューが手を上げる。フェリシアとジゼルは黙って聞く体制を取った。
「ついさっき、シーアさんから連絡が来て……それが、これ」
それは、電話の録音だった。ジゼルはその男の声に眉をひそめた。会話には、覚えがある。
それと一緒にメッセージが一通。――――何かあったら先生に伝えて、と、座標のメールのスクショ、GPS機能共有のURL。
「たぶん、予約機能を使って送ってくれたんだと思う。今から先生に見せに行くところだったんです」
「抜けがねえすね……」
フェリシアは頷いた。それでは同じようにしましょう、とデータをもらい、先生方の連絡先に転送する予約を――――一時間後。
「GPSは今どちらに?」
「それが……」
マシューが画面を見せる。どうやら同じところをゆったりと飛び回ってるらしい。何かを待っているようにも思えた。今、この条件で、何かを待っている――――? そこで不意に、部屋にノックが響く。端末を隠してリアムが出れば、ナユタが顔をのぞかせた。
「誰にも言わないからボクもいれてくれない? きっと役に立つ情報を持っているよ」
フェリシアは少し悩んだが、今は情報が欲しい。仕方なく招き入れることにした。ありがとう、と扉を締めながら、ナユタは話す。
ひとつのいのちわかたれた
ふたつの子らが出会うとき
我が一対のつばさとなりて
閉ざされし道解き放たれん
地上の空が語る声
雲上の海の紡ぐ音
今ふたたびひとつとならん
なにかの詩のようだったが、リアムたちにはさっぱりだった。フェリシアだけが、その意味を理解していた。
「嵐の日は、風の力で地上の魔法は不安定になる。だからきっと、誰かが地上の扉を開けようとしているんだろうね」
「それって……」
「……めっちゃまずい状況、ってことか?」
ナユタは頷く。それから、静かに目を伏せた。
「地上から雲上への出入りは鍵さえあれば扉が開くんだけど――――雲上からは違う。必要なのは双子の心なんだ」
ナユタ曰く。地上と雲上それぞれに同じ顔の子どもが1人ずつ産まれるのが一般的なのであって、同じ地に双子が生まれるのはとても珍しい。だから、特別仲の良かった風の民と地の民の生まれ変わりとされていた。しかし、争いが起きてから、双子は災いをもたらすとされ差別の対象になった。これは確か雲上も同じだったはずだと、ナユタは言った。
「そもそもその希少性が、扉を開かないようにさせていたんだ、今までは」
だけど、とナユタはそこで言葉を止めた。フェリシアは、その言葉を継いで話し出す。
「雲上でその言い伝えは、王家や一部の貴族しか知らないはず。その一部に彼がいたのでしょう。彼は二人を使って扉を開け、希少な財産を搔っ攫ってお金を儲けようとしているのでしょうね……」
沈黙が落ちる。振り切るように、フェリシアは言った。
「作戦はこう――――」
その説明に全員が頷いた。納得のできる策だった。それじゃあ、向かいましょう、とフェリシアの言葉を皮切りに、彼らは外に飛び立っていった。
*
「――――こんなことになるんだったら、魔法の使い方を習っておくべきだったわね」
シーアが悪態をついた。嵐の中、ゆっくりと遺跡が出現して、その中で転がされたのがついさっきのこと。サーヤは心底不安だった。
「僕らを使って扉を開ける、って言ってたけど……」
「……」
シーアは難しい顔をしてしばらく考え込んだが、やがてため息をついた。
「もう、信じるしかないわね。はーあ、嫌になっちゃう!」
そんな折、別の部屋にいた男がこちらにやってくる。不敵な笑みを浮かべて彼はこう言った。
「こんな嵐の中、まともな大人は飛ばないだろうね」
勝利を確信しているようだった。シーアがぎり、とそれを睨む。そんな視線もどこ吹く風の男は、楽しそうに笑ってこう言った。
「風で扉が開きそうなくらいの嵐だ。上手いこと行ったら、君たちも解放してやるさ」
最も、嵐が晴れたらこの遺跡を見つけるのはウィンドグライダーでも難しいだろうが。それを聞いて空を見上げるが、遺跡の中、見えるのは重苦しい天井ばかりで不安が増すばかりだった。
遺跡の中を移動していき、大きな空間に出た。祭壇には重苦しい空気が漂っている。
「ほら、ここに立って、心を合わせるんだ。それだけでいいんだって、これが封印っていうのもちゃちだよねえ」
シーアとサーヤは顔を見合わせた。なんとかして時間を稼がなければ、この扉は簡単に開いてしまう気がした。だって、今も、同じことを考えて――――
「見つけた!」
ふと、声がした。ジゼルの声だ。遅れて、リアム、マシュー、ナユタとフェリシア。
「シーアさん、サーヤさん、魔法を使うんだ! 呪文は君たちが知っているはず!」
ナユタが叫ぶ。サーヤは思わず戸惑ったが、シーアはやってみることにしたらしい。ええい、ままよ、とサーヤも叫ぶ。
「――――トゥラン・ヴォラ・ス!」
「――――トゥラン・リファル・ヴィノ・ス!」
拘束が外れる。なんだ、簡単なことじゃないかと安心したのも束の間、リアム、ジゼルと戦っていた男がシーアにぶつかり、……その衝撃で、祭壇に倒れこんだ。サーヤは慌ててシーアに駆け寄ったが、――――それが良くなかった。
魔法陣が光る。これが地上の魔法なのだろう。地響きがして、……あっさりとその扉は開かれていく。――――シーアとサーヤを乗せたまま。
「サーヤさん!」
「シーア!」
ここに二人のウィンドグライダーは居ない。落ちる、と覚悟を決めて受け身の体勢を取ろうとする二人のもとに、リアムとマシューが飛び出した。
マシューはあっさりとサーヤを抱えたが、リアムは一歩遅かった。恐怖が勝っている。このスピードでシーアを助けるのは無理だ。
「シーア……!」
サーヤの慌てた声がする・ノーヴァはリアムを気遣ってかそれ以上の速度を出さない。―――間に合うためには。
「……、信じてるぜ、相棒!」
そう叫び、リアムはノーヴァから飛び降りた。この方が早い。今本気で飛ばなくて、いつ飛ぶっていうんだ! シーアに手を伸ばす。シーアは目を見開いていたが、それでもリアムに手を伸ばした。
手をつかむ。ぎゅ、とその手を確かに握りこんで、そこでノーヴァが二人を拾った。
そのまま遺跡に戻れば、男はナユタとジゼルの手によって完全に鎮圧されていた。バクバクとなる心臓を抑えつけて、リアムとシーアは地面に足を付けた。
「は~~~~……」
「リアム!」
マシューとサーヤが駆け寄ってくる。リアムはその場に座り込んだ。
「あ、ありがとう……。大丈夫?」
「……おう」
シーアは戸惑ったように礼を言った。リアムからはそっけない返事が返ってくる。いてもたってもいられず、サーヤはシーアを抱きしめた。
「シーア~~~……良かった……」
「わ、サーヤ……。もう、心配かけたわね」
苦笑するシーアたちのもとにナユタが近づいてきた。盛り上がっているところに申し訳ないんだけれど、と前置いて話出す。
「扉を封印しなくてはならなくてね。力を貸してくれるかい」
「もちろん」
そう返事をして、シーアとサーヤはそちらに駆け寄った。男はずっと何事かを喚いていたが、そのうち、フェリシアとジゼルの魔法によって黙らされていた。
*
「本当は、二人でこの鍵を開けないと開かないはずなんだけれど」
ナユタはそういいながら風の鍵を二人に渡した。本物だ、と顔を見合わせる。
「昔の魔法だし、ひどい嵐だから、この魔法も緩んでるんだろうね」
後でかけ直さないとな、とナユタは言った。サーヤはふと疑問に思ったことを口にした。
「ナユタさんはこっちに来た時、どうやってここを封印したの?」
ナユタは寂しそうな顔で答えた。
「兄に協力してもらったんだ。多分、もういないんだけれどね」
「……え」
そんな話は後だよ、と笑って、彼は封印のために魔法陣を描きなおした。そのまま、その中央に立って、二人に指示をする。
「扉が閉まったら、鍵をかけてね。鍵穴は真ん中にある。あんま長くかかるとまた落ちちゃうかもだから注意して。ボクは魔力がそう多くないんだ」
頷く。そばでリアムとマシューがウィンドグライダーを呼び寄せてるのが見えた。
「じゃあ、いくよ」
「――――オルナ・メイ・ゼア・ス!」
魔法陣が淡く光る。ゴゴゴゴ、と音がして、大きな扉が閉まっていく。完全にしまったところで、二人はその鍵穴に駆け寄った。鍵を差し込んで、回す――――、回らない。
「……なんで?」
シーアが慌てて零す。サーヤはちら、とシーアの表情を窺った。顔色が悪い。表情も硬い。ああ、怖いのだろう、と思った。――――それもそうか。
地上に落ちれば、どんな扱いを受けるか分からない。だけれどあの時、助からなかった時のために一度覚悟を決めたのだろう。
しかし、今、それが揺らいでいる。シーアとサーヤで、違うことを考えていた。
「……シーア」
あいているシーアの手をきゅっ、と握る。手は震えていた。シーアがこちらを見た。サーヤは微笑みかけた。
「ぼくも怖いけど……きっと大丈夫。また落ちても、リアムくんも、マシューくんも、きっとちゃんと助けてくれる」
それに、と続ける。
「落ちるときは一緒だよ、シーア」
「――――……!」
シーアが目を見開いた。しかし、すぐにぱっと目を逸らす。
「馬鹿なこと言わないで!」
差し込んだ鍵がゆっくりと回り出す。
「そんなことにはならない。ならないのよ」
言い聞かせるような言葉だったが、それで覚悟が決まったようだった。かちり。鍵がかかったような音。
「ヴィナ・ガルナ・ス」
「――――セルナ・ノウ・ト・クロザ・ス!」
ナユタが声を張り上げた。魔法陣がひときわ光って、――――ぐわん、と大きな揺れ。それからしばらくして、魔法陣派から光が失われる。
「終わったよ」
シーアとサーヤは顔を合わせて抱きしめ合った。リアムとマシューが安堵したのを見て、ジゼルが過保護っすねえ、と零す。フェリシアもそれには同意だった。
ふいに、遺跡内が騒がしくなる。人の声だ。今度はなんだと全員が警戒すればセラ校長が先頭を切って室内に突入してくる。レナード先生、ティア先生、イズミ先生も一緒だった。
「こら――――!! 先生に相談もせず無茶したガキども!! 怪我はないか!?」
ティア先生が真っ先に全員の怪我の心配をしつつ怒った。イズミ先生とレナード先生が男を連行して行き、セラ校長はティア先生の説教に時折茶々を入れつつ見守る。
ぷんぷんと怒るティア先生に、状況の説明を求められたフェリシアは、あくまで冷静に詳細を答えた。自分が全員を引き連れていったことも含めて、綺麗に事実を並べ立てる。
「馬鹿! 先生、めっちゃ心配したんだからね!! 今回は何事もなかったからいいけど、何事もなかったのは運が良かったに過ぎないってこと、忘れないで。もうこんなことしちゃだめだからね」
「そうだよ~」
後ろからイズミ先生が戻って来る。
「これからレナード先生に詰められるだろうから甘く言うけど、本当に危ないから。君たちはまだ成長中の身なんだから、こういうことは大人に任せてくれよ。まあ、とはいえ――――」
そこでイズミ先生は言葉を切った。ふ、と笑って彼は言う。
「みんなが無事でよかったよ。よく頑張ったね」
「イズミ先生は甘すぎなんですよ!!」
すかさずティア先生が噛みつく。その勢いにイズミ先生がたじろいだのをセラ校長は高らかに笑った。
「人のこと言えないものな、君は!」
「ちょっと校長! 校長もなんとか言ってくださいよ」
「それはレナードくんの役目だろう」
校長は悪びれもしない。疲れたと言わんばかりにティア先生がため息をついたので、セラ校長はシーアたちにウィンクを飛ばした。
「たまに冒険してほどほどに痛い目に合うのも子供の役目だとも。ま、ほどほどで済んだのは結果論だが」
帰ろうか。そう言った先生方に連れられて、全員で寮に帰ることとなった。嵐の中を飛ぶのは骨が折れたが、そんなことよりもその後に待っていたレナード先生の説教の方が余程だったと、後にリアムは語った。
*
「よっす」
「わ、」
後日。フェリシアが廊下を歩いていると、上からジゼルが降ってきた。
「あ、あなた……!?」
「へへ~ん、びっくりしたっすか?」
なぜか得意げなジゼルに、フェリシアはため息をついた。彼の態度は軟化したが、それでも扱いにくいことに変わりない。
「今日はなんですか……」
「ン? ああ、そう、お礼言ってねえなって」
お礼。思っても見なかった言葉にフェリシアは目を丸くした。ジゼルはがしがしと頭を掻きながら言いにくそうに話し出す。
「いや、なんか、色々? あんなこと言って悪かったっすよ~っていうのは先に言わなきゃっすよねえ。アンタは違ったんだな」
違った、といった言葉の真理は分からなかったが、ひとまず黙って聞くことにした。続きを促す。
「あと……、あの時、連れてってくれてありがとう。おれまたなんも出来ねえんだって落ち込むとこだったっすよ~」
へら、と笑う。フェリシアは目を伏せた。
「いいえ。結局わたくしはなにも出来ませんでしたし」
「……」
ジゼルはしばらく顔色を窺ってから、うーん、としばらく唸った。
「アンタって、頭良さそうなのにな」
「はあ?」
かちん。思わずフェリシアからガラの悪い反応が飛び出したが、全く気にせずジゼルは続ける。
「策を練れるのも、情報をまとめられるのも、頭がいいからでしょ。俺一人じゃ出来なかったっすよ。アンタ一人でも無理だったかもしれませんけど」
うーん、ともう一回唸る。
「まあ、だから、おれも勉強頑張んなきゃな〜って思ったんすよねってだけなんすけど。人一人変えてんだから、何もできてないは嘘でしょ」
そもそもアンタは人に信頼される方じゃないすか。彼にとっては正直な言葉なのだろうが、フェリシアは以前との落差に面食らってしまった。
「まあ……それなら良かったのかしら……」
「うんうん、そう思うといいすよ」
上から目線だ。なんなんだ、と思っていると、授業開始のチャイムが鳴る。やべ、とジゼルは零した。
「あれすよ、一人でできることには限りがあるんで。あんま背負い込んだら大変すよ〜ってことで! じゃ!」
「は、あ、ちょっと!」
フェリシアが声を掛けてもジゼルは止まらない。あっさりと姿を消した彼に唖然としながら、それでも悪い気はしなかった。
フェリシアも授業を受けねばならない、と、気を取り直して走り出す。以前と比べて、少し気分が軽いような気がした。
*
ナユタは一人、教室のベランダでぼんやりとしていた。クラスメイトは外にいる。授業時間中だから、要するに、さぼりだった。
シーアとサーヤが一緒に扉を封印したのを見て、双子の兄のことを思い出した。きっともう、この空にはいないだろう、兄。
兄は、遺跡を封印した後に、地上に設置していたワープゲートを繋げて地上に戻った。それが使命だと、兄は言った。もうとっくに燃えただろう記録を守るために、そこまでする理由が、ナユタには分からなかった。
はたして、地上でどんな扱いを受けているのかは、――――考えたくないから、考えない。首を横に振って嫌な想像を誤魔化す。
彼は賢いから、きっと何とかする術を残しているのだろう、と、信じることしかできない。
寂しくないと言ったら嘘になる。悲しくないかと言ったら、嘘になる。
ボクたちは違う道を行くことになった。ずっと一緒に過ごしてきた兄のことを想って、彼女たちが、こんな気持ちになるようなことがなければ良いと祈った。
今日の風はなんだか静かで、地上の兄も同じものを感じていたらいいと思うのだった。
*
大人たちの間では、遺跡が見つかったことが大きなトピックになっているようだった。
とはいえ、知っているのはごく一部だ。そのごく一部で、次の嵐の日に、調査のためと銘打って同じ場所に飛んだが、遺跡は見つからなかったらしい。
では、なぜ男は遺跡の場所を知っていたのか。大人たちは問い詰めたが、帰ってきた答えはこうだった。
「嵐の中を飛び回ることを避けるようなお利口さんの頭じゃ、わからんだろうね」
結局答えは分からずじまいで、大人たちはそのまま調査を続けることにしたようだった。
遺跡の扉が開かれぬように。
「でも地上って、ロマンあるわよね」
「なんだよ、藪から棒に」
やめろよ、とリアムがじとりと睨んだのをものともせず、シーアは言葉を続けた。
「だって! お父様だってきっとまだ冒険したことないはずよ! そんな場所がこの世にあるなんて、考えただけでわくわくするわ!」
何があったら嬉しいかしら、と自分の世界に入り込んだシーアを見ながら、サーヤはぽつりと呟いた。
「怖かったくせに……」
「ま! 実際行くのと考えるのでは違うでしょ!」
むすくれたシーアにリアムが言う。
「実際、行くとしてもお前ひとりじゃ無理だろうな」
「なんですって!?」
あんただって一人じゃ無理でしょうに! 俺はそもそも行く気はないからな、と、いつも通りぎゃんぎゃんやりだした二人の後ろで、マシューが声を掛ける。
「ちなみに、サーヤさんは大丈夫だったの?」
「? ぼくは大丈夫だよ。怖かったのはそうだけど……隣にはシーアがいたし、みんな助けてくれるって、信じてたから」
なるほど、と頷く。確かにな、と思いながら、マシューは言った。
「それなら、僕の方が怯えてたかもね。本当に不安だったよ」
「そうなの? でもマシューくんは飛ぶの上手じゃん」
あはは、と笑ってマシューは答えた。
「大切な友人だからね、君も、彼らも」
サーヤはきょとんとしてから、なんだかそれが嬉しくなって、顔を綻ばせた。
「うん、ありがとう」
気づけばシーアとリアムも静かにこっちを見ていた。シーアが意外そうに言う。
「マシュー、あんた、サーヤにはそういうこと言うのね」
「えっ」
あー……。しばらくごまかしの言葉を考えてから、マシューはようやく言葉を吐いた。
「ほら、サーヤさんは素直に受け取ってくれるから……」
「ふうん」
シーアはサーヤの隣に立って、サーヤの手を取る。手を取って、――――走り出した。
「アンタなんかにサーヤはあげないんだから! サーヤは私の大切な妹だもの!」
「ちょ、ちょっとシーア! 絶対そういうことじゃないって!」
サーヤの言葉もろくに聞かず、シーアはマシューにべ、と舌を出した。そのまま二人を置き去りにして、彼女たちは寮へと帰っていく。
「あー……。フ、どんまい」
「……」
唖然とするマシューに半笑いのリアムが肩をポンとたたいた。マシューはなんだかそれが腹立たしくなったので、払いのけて走り出す。
「リアムがシーアさんを想って最近あんま眠れてないってちくってやる……!」
「はあ!? おい待てお前、お前もそういう類の弱みいっぱいあるだろ!」
バタバタと走り出した二人を、空を飛ぶウィンドグライダーたちが眺めていた。まだまだ先は長いようだ、と呆れたように飛んでいく。
風は彼女たちを祝福するように穏やかで、きっと明日もこんな日が続いていくのだろうと思った。
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11話 9549文字
ジゼルが大慌てで寮に戻ってきたのと、フェリシア含む先輩方が二人の捜索に出ようとするタイミングは同じだった。
「……ッ、はあ、はあ、なあ!」
「貴方……!?」
フェリシアが目を丸くする。ジゼルはいてもたってもいられずに彼女に縋った。
「くそ、あいつ、俺を囮にするつもりだったみたいで……おれの代わりにシーアとサーヤが……!」
どこに行くのかも、何が目的なのかも、満足に知れなかった。おれなんか放っておけば良かったのに! と駄々をこねたい気持ちも、今は邪魔でしかない。
「……分かりました」
ざわめく先輩方の中で、フェリシアは唯一冷静だった。それぞれを班に分け的確に指示を飛ばす。それに従って全員が飛び立っていったのを見て、信頼されているんだなとぼんやり思った。
「ジゼルさん。ひとまず先生方のもとへ向かいましょう。あなたの知っていることを話してもらいます」
ジゼルは頷いた。今回ばかりは、自分でどうにもならなかった手前、大人しく従わなければならないと思った。
*
――――あいつ、多分、俺の父さんを嵌めた張本人だ。
ジゼルの話はそこから始まった。
ジゼルの家系はもともと貴族だったらしい。らしい、というのは、ジゼルはもう覚えていないからだった。
父は豪胆だったが、まじめな人だった。仕事仲間からの信頼も厚かったのだと本人は酒を口にしながら語った。そこに現れた父の友人が、今回の事件の首謀者だ、とジゼルは言う。
最初は友人として。やがてはビジネスパートナーとして。信頼できるやつだと思ったから、家の財産の管理を任せたのだ、とジゼルの父は悔しそうに何度も話した。
男は少しずつ資産を横領していった。気づいた時にはもう手遅れで、家の財産はほとんど空になってしまった。手順を踏んで抗議しようとすれば、今度は逆に証拠を捏造された。
横領したのは父の方だ、という話を貴族社会に広められて、どれだけ違うと主張しても、誰も父の言葉を信じなかった。母は気づけば居なかったらしい。逃げられたのだと父はずっと悔しそうだった。最愛の人だった、と、何度も話す父の言葉を、今でもよく覚えている。
地位も財産も失った父は、それでも家族を養うために空賊団に入るしかなかった。仕事ができる人だったからか、気付けば空賊団の中での地位が確かなものになっていた。
沈黙が落ちる。――――部屋にいる大人たち全員が、思い当たる事件があった。それを振り切るようにジゼルは話した。
「あいつ、貴族だったはずなんすよ。でも身なりは整ってなかった。あいつも没落したのかもしれないっすね……」
「……そうか、分かった」
レナード先生が話を受け取った。話してくれてありがとう、と置いてから、共有も兼ねて話し出す。
「イズミ先生が、『金が目的なのかもしれない』と言っていたから、君の推測は正しいかもしれないな」
「そうですね……」
ヴェルタ先生も唸っている。だとしても、所在が分からなければ意味がない。今は捜索班を信じて待ちましょう、とジゼルをなだめて、それから、彼を部屋に送るように、とフェリシアに指示した。先生方だけで話したいことがあるのかもしれない。
分かりました、とだけ言って部屋を出る。ジゼルは珍しく大人しくて、なんだか心配だった。
「……おれが、もっと賢くて、強かったら、こんなことになってないんすかね」
思わず漏れてしまったような独り言だった。フェリシアはその感情に覚えがあった。目を伏せる。それでも、前を向かねばならないのだ、今は。
風が強くなっている。窓ががたがたと音を立てていて、フェリシアは、今日は少しだけ悪い子になると決めた。
「……作戦を立てましょう」
ジゼルが顔を上げる。フェリシアは目も合わせず言い放った。
「わたくしたち子供が、良いように手のひらで転がされ続けるばかりじゃないって、証明しなくちゃ」
なめられては困るでしょう、と言う彼女の瞳には、確かに怒りが籠っていた。
*
使えるものは何でも使いましょう、とフェリシアが言うので、ジゼルは絶対に裏切らない味方として、リアムとマシューを指名した。使えるかどうかはさておき、あの二人のこととなると過保護だから、居ても立っても居られないだろう、というのが、指名の理由だった。
リアムとマシューの部屋に行けば、二人して携帯端末を持って何やら話し合っているようだった。ジゼルの顔を見てほかん、とした後、矢継ぎ早に何かを聞こうとした二人を制してフェリシアはこう言った。
「二人を助けに行くの。先生方には内緒で。――――協力してくれますね」
有無を言わさない口調に、二人は思わず顔を見合わせ頷いた。ジゼルとともに扉を締めれば、作戦会議が始まる。
「――――これが、ことの顛末」
フェリシアは簡単に要約して二人に今までのことを共有した。二人は難しい顔をして黙り込んだ。
実は、とマシューが手を上げる。フェリシアとジゼルは黙って聞く体制を取った。
「ついさっき、シーアさんから連絡が来て……それが、これ」
それは、電話の録音だった。ジゼルはその男の声に眉をひそめた。会話には、覚えがある。
それと一緒にメッセージが一通。――――何かあったら先生に伝えて、と、座標のメールのスクショ、GPS機能共有のURL。
「たぶん、予約機能を使って送ってくれたんだと思う。今から先生に見せに行くところだったんです」
「抜けがねえすね……」
フェリシアは頷いた。それでは同じようにしましょう、とデータをもらい、先生方の連絡先に転送する予約を――――一時間後。
「GPSは今どちらに?」
「それが……」
マシューが画面を見せる。どうやら同じところをゆったりと飛び回ってるらしい。何かを待っているようにも思えた。今、この条件で、何かを待っている――――? そこで不意に、部屋にノックが響く。端末を隠してリアムが出れば、ナユタが顔をのぞかせた。
「誰にも言わないからボクもいれてくれない? きっと役に立つ情報を持っているよ」
フェリシアは少し悩んだが、今は情報が欲しい。仕方なく招き入れることにした。ありがとう、と扉を締めながら、ナユタは話す。
ひとつのいのちわかたれた
ふたつの子らが出会うとき
我が一対のつばさとなりて
閉ざされし道解き放たれん
地上の空が語る声
雲上の海の紡ぐ音
今ふたたびひとつとならん
なにかの詩のようだったが、リアムたちにはさっぱりだった。フェリシアだけが、その意味を理解していた。
「嵐の日は、風の力で地上の魔法は不安定になる。だからきっと、誰かが地上の扉を開けようとしているんだろうね」
「それって……」
「……めっちゃまずい状況、ってことか?」
ナユタは頷く。それから、静かに目を伏せた。
「地上から雲上への出入りは鍵さえあれば扉が開くんだけど――――雲上からは違う。必要なのは双子の心なんだ」
ナユタ曰く。地上と雲上それぞれに同じ顔の子どもが1人ずつ産まれるのが一般的なのであって、同じ地に双子が生まれるのはとても珍しい。だから、特別仲の良かった風の民と地の民の生まれ変わりとされていた。しかし、争いが起きてから、双子は災いをもたらすとされ差別の対象になった。これは確か雲上も同じだったはずだと、ナユタは言った。
「そもそもその希少性が、扉を開かないようにさせていたんだ、今までは」
だけど、とナユタはそこで言葉を止めた。フェリシアは、その言葉を継いで話し出す。
「雲上でその言い伝えは、王家や一部の貴族しか知らないはず。その一部に彼がいたのでしょう。彼は二人を使って扉を開け、希少な財産を搔っ攫ってお金を儲けようとしているのでしょうね……」
沈黙が落ちる。振り切るように、フェリシアは言った。
「作戦はこう――――」
その説明に全員が頷いた。納得のできる策だった。それじゃあ、向かいましょう、とフェリシアの言葉を皮切りに、彼らは外に飛び立っていった。
*
「――――こんなことになるんだったら、魔法の使い方を習っておくべきだったわね」
シーアが悪態をついた。嵐の中、ゆっくりと遺跡が出現して、その中で転がされたのがついさっきのこと。サーヤは心底不安だった。
「僕らを使って扉を開ける、って言ってたけど……」
「……」
シーアは難しい顔をしてしばらく考え込んだが、やがてため息をついた。
「もう、信じるしかないわね。はーあ、嫌になっちゃう!」
そんな折、別の部屋にいた男がこちらにやってくる。不敵な笑みを浮かべて彼はこう言った。
「こんな嵐の中、まともな大人は飛ばないだろうね」
勝利を確信しているようだった。シーアがぎり、とそれを睨む。そんな視線もどこ吹く風の男は、楽しそうに笑ってこう言った。
「風で扉が開きそうなくらいの嵐だ。上手いこと行ったら、君たちも解放してやるさ」
最も、嵐が晴れたらこの遺跡を見つけるのはウィンドグライダーでも難しいだろうが。それを聞いて空を見上げるが、遺跡の中、見えるのは重苦しい天井ばかりで不安が増すばかりだった。
遺跡の中を移動していき、大きな空間に出た。祭壇には重苦しい空気が漂っている。
「ほら、ここに立って、心を合わせるんだ。それだけでいいんだって、これが封印っていうのもちゃちだよねえ」
シーアとサーヤは顔を見合わせた。なんとかして時間を稼がなければ、この扉は簡単に開いてしまう気がした。だって、今も、同じことを考えて――――
「見つけた!」
ふと、声がした。ジゼルの声だ。遅れて、リアム、マシュー、ナユタとフェリシア。
「シーアさん、サーヤさん、魔法を使うんだ! 呪文は君たちが知っているはず!」
ナユタが叫ぶ。サーヤは思わず戸惑ったが、シーアはやってみることにしたらしい。ええい、ままよ、とサーヤも叫ぶ。
「――――トゥラン・ヴォラ・ス!」
「――――トゥラン・リファル・ヴィノ・ス!」
拘束が外れる。なんだ、簡単なことじゃないかと安心したのも束の間、リアム、ジゼルと戦っていた男がシーアにぶつかり、……その衝撃で、祭壇に倒れこんだ。サーヤは慌ててシーアに駆け寄ったが、――――それが良くなかった。
魔法陣が光る。これが地上の魔法なのだろう。地響きがして、……あっさりとその扉は開かれていく。――――シーアとサーヤを乗せたまま。
「サーヤさん!」
「シーア!」
ここに二人のウィンドグライダーは居ない。落ちる、と覚悟を決めて受け身の体勢を取ろうとする二人のもとに、リアムとマシューが飛び出した。
マシューはあっさりとサーヤを抱えたが、リアムは一歩遅かった。恐怖が勝っている。このスピードでシーアを助けるのは無理だ。
「シーア……!」
サーヤの慌てた声がする・ノーヴァはリアムを気遣ってかそれ以上の速度を出さない。―――間に合うためには。
「……、信じてるぜ、相棒!」
そう叫び、リアムはノーヴァから飛び降りた。この方が早い。今本気で飛ばなくて、いつ飛ぶっていうんだ! シーアに手を伸ばす。シーアは目を見開いていたが、それでもリアムに手を伸ばした。
手をつかむ。ぎゅ、とその手を確かに握りこんで、そこでノーヴァが二人を拾った。
そのまま遺跡に戻れば、男はナユタとジゼルの手によって完全に鎮圧されていた。バクバクとなる心臓を抑えつけて、リアムとシーアは地面に足を付けた。
「は~~~~……」
「リアム!」
マシューとサーヤが駆け寄ってくる。リアムはその場に座り込んだ。
「あ、ありがとう……。大丈夫?」
「……おう」
シーアは戸惑ったように礼を言った。リアムからはそっけない返事が返ってくる。いてもたってもいられず、サーヤはシーアを抱きしめた。
「シーア~~~……良かった……」
「わ、サーヤ……。もう、心配かけたわね」
苦笑するシーアたちのもとにナユタが近づいてきた。盛り上がっているところに申し訳ないんだけれど、と前置いて話出す。
「扉を封印しなくてはならなくてね。力を貸してくれるかい」
「もちろん」
そう返事をして、シーアとサーヤはそちらに駆け寄った。男はずっと何事かを喚いていたが、そのうち、フェリシアとジゼルの魔法によって黙らされていた。
*
「本当は、二人でこの鍵を開けないと開かないはずなんだけれど」
ナユタはそういいながら風の鍵を二人に渡した。本物だ、と顔を見合わせる。
「昔の魔法だし、ひどい嵐だから、この魔法も緩んでるんだろうね」
後でかけ直さないとな、とナユタは言った。サーヤはふと疑問に思ったことを口にした。
「ナユタさんはこっちに来た時、どうやってここを封印したの?」
ナユタは寂しそうな顔で答えた。
「兄に協力してもらったんだ。多分、もういないんだけれどね」
「……え」
そんな話は後だよ、と笑って、彼は封印のために魔法陣を描きなおした。そのまま、その中央に立って、二人に指示をする。
「扉が閉まったら、鍵をかけてね。鍵穴は真ん中にある。あんま長くかかるとまた落ちちゃうかもだから注意して。ボクは魔力がそう多くないんだ」
頷く。そばでリアムとマシューがウィンドグライダーを呼び寄せてるのが見えた。
「じゃあ、いくよ」
「――――オルナ・メイ・ゼア・ス!」
魔法陣が淡く光る。ゴゴゴゴ、と音がして、大きな扉が閉まっていく。完全にしまったところで、二人はその鍵穴に駆け寄った。鍵を差し込んで、回す――――、回らない。
「……なんで?」
シーアが慌てて零す。サーヤはちら、とシーアの表情を窺った。顔色が悪い。表情も硬い。ああ、怖いのだろう、と思った。――――それもそうか。
地上に落ちれば、どんな扱いを受けるか分からない。だけれどあの時、助からなかった時のために一度覚悟を決めたのだろう。
しかし、今、それが揺らいでいる。シーアとサーヤで、違うことを考えていた。
「……シーア」
あいているシーアの手をきゅっ、と握る。手は震えていた。シーアがこちらを見た。サーヤは微笑みかけた。
「ぼくも怖いけど……きっと大丈夫。また落ちても、リアムくんも、マシューくんも、きっとちゃんと助けてくれる」
それに、と続ける。
「落ちるときは一緒だよ、シーア」
「――――……!」
シーアが目を見開いた。しかし、すぐにぱっと目を逸らす。
「馬鹿なこと言わないで!」
差し込んだ鍵がゆっくりと回り出す。
「そんなことにはならない。ならないのよ」
言い聞かせるような言葉だったが、それで覚悟が決まったようだった。かちり。鍵がかかったような音。
「ヴィナ・ガルナ・ス」
「――――セルナ・ノウ・ト・クロザ・ス!」
ナユタが声を張り上げた。魔法陣がひときわ光って、――――ぐわん、と大きな揺れ。それからしばらくして、魔法陣派から光が失われる。
「終わったよ」
シーアとサーヤは顔を合わせて抱きしめ合った。リアムとマシューが安堵したのを見て、ジゼルが過保護っすねえ、と零す。フェリシアもそれには同意だった。
ふいに、遺跡内が騒がしくなる。人の声だ。今度はなんだと全員が警戒すればセラ校長が先頭を切って室内に突入してくる。レナード先生、ティア先生、イズミ先生も一緒だった。
「こら――――!! 先生に相談もせず無茶したガキども!! 怪我はないか!?」
ティア先生が真っ先に全員の怪我の心配をしつつ怒った。イズミ先生とレナード先生が男を連行して行き、セラ校長はティア先生の説教に時折茶々を入れつつ見守る。
ぷんぷんと怒るティア先生に、状況の説明を求められたフェリシアは、あくまで冷静に詳細を答えた。自分が全員を引き連れていったことも含めて、綺麗に事実を並べ立てる。
「馬鹿! 先生、めっちゃ心配したんだからね!! 今回は何事もなかったからいいけど、何事もなかったのは運が良かったに過ぎないってこと、忘れないで。もうこんなことしちゃだめだからね」
「そうだよ~」
後ろからイズミ先生が戻って来る。
「これからレナード先生に詰められるだろうから甘く言うけど、本当に危ないから。君たちはまだ成長中の身なんだから、こういうことは大人に任せてくれよ。まあ、とはいえ――――」
そこでイズミ先生は言葉を切った。ふ、と笑って彼は言う。
「みんなが無事でよかったよ。よく頑張ったね」
「イズミ先生は甘すぎなんですよ!!」
すかさずティア先生が噛みつく。その勢いにイズミ先生がたじろいだのをセラ校長は高らかに笑った。
「人のこと言えないものな、君は!」
「ちょっと校長! 校長もなんとか言ってくださいよ」
「それはレナードくんの役目だろう」
校長は悪びれもしない。疲れたと言わんばかりにティア先生がため息をついたので、セラ校長はシーアたちにウィンクを飛ばした。
「たまに冒険してほどほどに痛い目に合うのも子供の役目だとも。ま、ほどほどで済んだのは結果論だが」
帰ろうか。そう言った先生方に連れられて、全員で寮に帰ることとなった。嵐の中を飛ぶのは骨が折れたが、そんなことよりもその後に待っていたレナード先生の説教の方が余程だったと、後にリアムは語った。
*
「よっす」
「わ、」
後日。フェリシアが廊下を歩いていると、上からジゼルが降ってきた。
「あ、あなた……!?」
「へへ~ん、びっくりしたっすか?」
なぜか得意げなジゼルに、フェリシアはため息をついた。彼の態度は軟化したが、それでも扱いにくいことに変わりない。
「今日はなんですか……」
「ン? ああ、そう、お礼言ってねえなって」
お礼。思っても見なかった言葉にフェリシアは目を丸くした。ジゼルはがしがしと頭を掻きながら言いにくそうに話し出す。
「いや、なんか、色々? あんなこと言って悪かったっすよ~っていうのは先に言わなきゃっすよねえ。アンタは違ったんだな」
違った、といった言葉の真理は分からなかったが、ひとまず黙って聞くことにした。続きを促す。
「あと……、あの時、連れてってくれてありがとう。おれまたなんも出来ねえんだって落ち込むとこだったっすよ~」
へら、と笑う。フェリシアは目を伏せた。
「いいえ。結局わたくしはなにも出来ませんでしたし」
「……」
ジゼルはしばらく顔色を窺ってから、うーん、としばらく唸った。
「アンタって、頭良さそうなのにな」
「はあ?」
かちん。思わずフェリシアからガラの悪い反応が飛び出したが、全く気にせずジゼルは続ける。
「策を練れるのも、情報をまとめられるのも、頭がいいからでしょ。俺一人じゃ出来なかったっすよ。アンタ一人でも無理だったかもしれませんけど」
うーん、ともう一回唸る。
「まあ、だから、おれも勉強頑張んなきゃな〜って思ったんすよねってだけなんすけど。人一人変えてんだから、何もできてないは嘘でしょ」
そもそもアンタは人に信頼される方じゃないすか。彼にとっては正直な言葉なのだろうが、フェリシアは以前との落差に面食らってしまった。
「まあ……それなら良かったのかしら……」
「うんうん、そう思うといいすよ」
上から目線だ。なんなんだ、と思っていると、授業開始のチャイムが鳴る。やべ、とジゼルは零した。
「あれすよ、一人でできることには限りがあるんで。あんま背負い込んだら大変すよ〜ってことで! じゃ!」
「は、あ、ちょっと!」
フェリシアが声を掛けてもジゼルは止まらない。あっさりと姿を消した彼に唖然としながら、それでも悪い気はしなかった。
フェリシアも授業を受けねばならない、と、気を取り直して走り出す。以前と比べて、少し気分が軽いような気がした。
*
ナユタは一人、教室のベランダでぼんやりとしていた。クラスメイトは外にいる。授業時間中だから、要するに、さぼりだった。
シーアとサーヤが一緒に扉を封印したのを見て、双子の兄のことを思い出した。きっともう、この空にはいないだろう、兄。
兄は、遺跡を封印した後に、地上に設置していたワープゲートを繋げて地上に戻った。それが使命だと、兄は言った。もうとっくに燃えただろう記録を守るために、そこまでする理由が、ナユタには分からなかった。
はたして、地上でどんな扱いを受けているのかは、――――考えたくないから、考えない。首を横に振って嫌な想像を誤魔化す。
彼は賢いから、きっと何とかする術を残しているのだろう、と、信じることしかできない。
寂しくないと言ったら嘘になる。悲しくないかと言ったら、嘘になる。
ボクたちは違う道を行くことになった。ずっと一緒に過ごしてきた兄のことを想って、彼女たちが、こんな気持ちになるようなことがなければ良いと祈った。
今日の風はなんだか静かで、地上の兄も同じものを感じていたらいいと思うのだった。
*
大人たちの間では、遺跡が見つかったことが大きなトピックになっているようだった。
とはいえ、知っているのはごく一部だ。そのごく一部で、次の嵐の日に、調査のためと銘打って同じ場所に飛んだが、遺跡は見つからなかったらしい。
では、なぜ男は遺跡の場所を知っていたのか。大人たちは問い詰めたが、帰ってきた答えはこうだった。
「嵐の中を飛び回ることを避けるようなお利口さんの頭じゃ、わからんだろうね」
結局答えは分からずじまいで、大人たちはそのまま調査を続けることにしたようだった。
遺跡の扉が開かれぬように。
「でも地上って、ロマンあるわよね」
「なんだよ、藪から棒に」
やめろよ、とリアムがじとりと睨んだのをものともせず、シーアは言葉を続けた。
「だって! お父様だってきっとまだ冒険したことないはずよ! そんな場所がこの世にあるなんて、考えただけでわくわくするわ!」
何があったら嬉しいかしら、と自分の世界に入り込んだシーアを見ながら、サーヤはぽつりと呟いた。
「怖かったくせに……」
「ま! 実際行くのと考えるのでは違うでしょ!」
むすくれたシーアにリアムが言う。
「実際、行くとしてもお前ひとりじゃ無理だろうな」
「なんですって!?」
あんただって一人じゃ無理でしょうに! 俺はそもそも行く気はないからな、と、いつも通りぎゃんぎゃんやりだした二人の後ろで、マシューが声を掛ける。
「ちなみに、サーヤさんは大丈夫だったの?」
「? ぼくは大丈夫だよ。怖かったのはそうだけど……隣にはシーアがいたし、みんな助けてくれるって、信じてたから」
なるほど、と頷く。確かにな、と思いながら、マシューは言った。
「それなら、僕の方が怯えてたかもね。本当に不安だったよ」
「そうなの? でもマシューくんは飛ぶの上手じゃん」
あはは、と笑ってマシューは答えた。
「大切な友人だからね、君も、彼らも」
サーヤはきょとんとしてから、なんだかそれが嬉しくなって、顔を綻ばせた。
「うん、ありがとう」
気づけばシーアとリアムも静かにこっちを見ていた。シーアが意外そうに言う。
「マシュー、あんた、サーヤにはそういうこと言うのね」
「えっ」
あー……。しばらくごまかしの言葉を考えてから、マシューはようやく言葉を吐いた。
「ほら、サーヤさんは素直に受け取ってくれるから……」
「ふうん」
シーアはサーヤの隣に立って、サーヤの手を取る。手を取って、――――走り出した。
「アンタなんかにサーヤはあげないんだから! サーヤは私の大切な妹だもの!」
「ちょ、ちょっとシーア! 絶対そういうことじゃないって!」
サーヤの言葉もろくに聞かず、シーアはマシューにべ、と舌を出した。そのまま二人を置き去りにして、彼女たちは寮へと帰っていく。
「あー……。フ、どんまい」
「……」
唖然とするマシューに半笑いのリアムが肩をポンとたたいた。マシューはなんだかそれが腹立たしくなったので、払いのけて走り出す。
「リアムがシーアさんを想って最近あんま眠れてないってちくってやる……!」
「はあ!? おい待てお前、お前もそういう類の弱みいっぱいあるだろ!」
バタバタと走り出した二人を、空を飛ぶウィンドグライダーたちが眺めていた。まだまだ先は長いようだ、と呆れたように飛んでいく。
風は彼女たちを祝福するように穏やかで、きっと明日もこんな日が続いていくのだろうと思った。
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#ふたつの翼、ひとつの空
10話 5264文字
寮に戻れば、険しい顔の先生方がロビーで話をしている最中だった。マシューに気付いたティア先生は、表情が和らげておかえり、と声を掛けてくる。
「サーヤさんたちは!?」
「部屋にいるよ~。リアムとジゼルも一緒じゃないかな? ほんとはだめだけど、今は特別にね」
ありがとうございます、とだけ答えて、マシューは彼女たちの部屋に急いだ。
「にしても、もっと早く相談出来たのでは?」
じと、とした顔でヴェルタが言う。イズミは気まずそうに目線をうろつかせた。
「いや……。すみません」
何も言えずに観念したように謝ると、ティアが助け舟を出した。
「でも私たちには共有してくれましたよ、彼」
「えっ」
レナードも頷く。
「……あなたは忙しくしているようだから、職員会議で改めて共有しようかと言っていた」
「ああ~……」
ヴェルタは頭を抱えた。イズミは気まずくて仕方なかった。フォローする言葉が見つからない。
「私も知っていたぞ、ヴェルタ」
いつの間にいたのか、後ろからセラ校長までやって来る。くつくつと笑う彼女はあまりにも楽しそうだった。
「君はいつもそういう役回りだよな。まあ、君はもう現役の騎士ではないわけだし、今回は対処できたんだろう? それはひとまず褒められるべきだ。まあ、対策を立てるべきでもあるが……、なあ、イズミ君」
「やめてくださいよ、先生……」
巻き込まれたイズミは困った顔をした。そうすることでやり過ごそうとしている。変わらないしぐさに、セラはわっはっはと大きく笑った。
「あ……貴方も現役じゃないでしょう……!! ふん、役立たずだと言いたいんですか! 私だって騎士だったわけです、知識であなたをぎゃふんと言わせることだって容易いんですから」
「あはは、悪かったって。ぎゃふんと言わされたくはないからこの辺でやめとくか」
セラの物言いに不満そうなヴェルタをあっさりといなして、セラは全員と顔を合わせた。
「さて、残業だよ、諸君。生徒のためを思うと腕が鳴るねえ」
全員が自然と姿勢を正して返事をした。彼女は不敵にほほ笑む。
「うちの生徒を攫おうととした不届き者の所在を突き止めてやろうじゃないか」
*
「二人とも!」
「うわっ、……なによ、マシューじゃない」
「びっくりした……」
大きく音を立てて扉を開けば、先生の言葉通り、シーアとサーヤ、リアム、ジゼルがいた。マシューは驚かせたことを謝りながらも、大慌てのまま問うた。
「なんか、襲われたって聞いたよ!? 大丈夫だったの、怪我とかは」
「先生方とジゼルがなんとかしてくれたから問題ないわよ」
「ま、慣れっこっすわな」
シーアが答えればジゼルが胸を張る。胸を張ってから、そのまま静かになった。何かを考え込んでいるようだった。
「オマエ、どうしたんだよ」
リアムが聞く。ジゼルはしばらく黙っていたが、リアムの視線が自分に向いていると気づいて顔を上げた。
「……あ、俺すか? いや、……」
そうしてしばらく考え込む。それから、改めてジゼルはこう言った。
「……確証が持てないことは言うべきではないと思うんすよね~。シーアとサーヤって、なんで襲われたかとか分かってんすか?」
ジゼルはそう言って首を傾げた。全員が怪訝そうな顔したが、彼に話す気は無いようだった。
「……まあ、それが分かってたらここで頭付き合わせて悩んだりしてないわよね」
シーアはうーん、と唸ってから答えた。
「ぼくたちも戸惑ってるんだ」
サーヤも困り顔だ。不安そうな二人は顔を見合わせて同時に首を傾げた。
「……」
ほかの四人がああじゃないこうじゃないと憶測を立てる中で、ジゼルだけが静かに何事かを思案していた。
四人ともそれに気付いていたが、深入りしても仕方ないだろうと分かっていたので、気付かないふりをして話を続けた。
*
「ごきげんよう、シーアさん、サーヤさん」
次の日の朝。シーアとサーヤが支度をして寮を出た先で、フェリシア先輩が待っていた。リアムとマシューも一緒だ。
「昨日は大変だったそうですね。お話は聞いております。先生方が悩まれていた様子だったので、わたくしが送迎を申し出ましたの」
疑問が顔に出ていたのか、フェリシアは二人が聞くより先にそう答えた。それに照れたように笑ったサーヤは、シーアと顔を合わせて言った。
「フェリシア先輩が一緒なら安心できるね、シーア!」
「そうね。よろしくお願いします、先輩」
フェリシアは頷いて、そのまま一緒に学校に向かうことになる。いつもなら後ろからジゼルが話しかけてくるのだが、フェリシア先輩が一緒だからか、今日はそれは無かった。
何事もなく校舎へ着く。二人を教室まで送り届けて、フェリシアはこう言った。
「校内には先生方がいらっしゃいますが、それでも十分にお気を付けて。帰りも迎えに参りますから」
「はい、先輩!」
それでは、とフェリシア先輩は上品に手を振って自身の教室へ向かって行った。ジゼルはいつのまにか教室にいたが、特に話しかけては来なかった。クラスメイト達の心配の言葉を受けていると、イズミ先生がホームルームにやって来る。
その日、ジゼルはずっと静かだった。リアムやマシューがそれとなく声を掛けても上の空で、なんだかずいぶんと嫌な予感がした。
*
昼休み。先生たちの監視の目を潜り抜け、屋上で昼食を食べるのがジゼルの日課だった。
「……」
ぼう、っと空を見上げるのは気持ちいい。授業では空の上には宇宙があるのだと言っていたが、どこまでも高く続く青に天井があるようには思えなくて、それをそのまま口にすれば、先生は空に天井はないのだと教えた。そのあとの話はよく分からなかった。
天井がないなら、上って概念もないんじゃねえの。どこからどこまでが俺たちの空で、どこを超えたら宇宙なんだろうか。
よく分からないことばかりだ、と思う。父はジゼルにいろいろなことを教えたが、それらは生きるために必要な技術でしかなかった。
よく分からないことは、知らなくても生きていける。だが、頭を使えたら状況が有利になることもある。これが、ジゼルにとって、新しい学びだった。
もし、自分の頭が良かったら。
今抱えている悩みも、父の後悔も、その他のたくさんのことが、上手くいったりするのだろうか。
ふと、見上げていた空に人の影が差す。――――気づかなかった。顔を上げる。
「やあ、ジゼル。久しぶりだね、覚えているかな」
「――――アンタ、あの時の」
それは、シーアとサーヤを襲った張本人だった。咄嗟にナイフを出そうとして武器の所持を禁止されていたことに気付く。
彼はそれを見てにんまりと笑った。
「覚えているわけではなさそうだね。まあどっちでもいのさ、そんなことは」
不意を衝いて、が、と胸ぐらを捕まれる。声が出せないよう手を口で覆われれば、もう後は何もできなかった。
「おとなしくしていてくれ。そうじゃなきゃ、痛い目に合うと思えよ」
男は小さな声で呪文を唱える。そうすれば、あっという間にジゼルは拘束されてしまった。ろくに抵抗も出来ぬまま、ウィンドグライダーに乗せられる。
「さあ、行こうか」
ね、と男はジゼルに微笑みかけ、ウィンドグライダーに跨ろうとしたところで、
「待ちなさい!」
「おっと」
フェリシアだった。だが一歩遅い、と男はそのまま飛び立った。フェリシアも負けじと飛び立つ。ああ、良い連携ができている、と場違いにもジゼルは思った。
「はあ、面倒だな」
男がぐんぐんと上に飛ぶ。それこそ、宇宙にでも届くんじゃないかと思うほどだった。
フェリシアもそれを追ってきたが、これは罠だった。
ぐい、と方向転換。男が呪文を唱えながらフェリシアに突っ込んだ。思いっきり吹っ飛ぶ。――――それも、地面がある方に。
こんな高さで落ちたら死んでしまう、とジゼルは焦った。その気持ちを汲んだのか、ジゼルのウィンドグライダーがそれを拾った。それに安心した自分がいるのがなんだか居心地悪かった。
フェリシアは態勢を立て直し、ジゼルのウィンドグライダーに跨ったまま負けじとこちらを追おうとする、が――――
「残念だったな、姫様」
一歩遅い。男はあっさりとそこに置いていたワープゲートに突っ込んで、
――――彼らの姿は見えなくなった。
*
ジゼルが攫われてしまったと報告を受けて、校内は騒然としていた。なるべく一斉に帰宅すること。できれば上級生と一緒に、ということで、その日は集団下校となった。
「お前ら、今日は寮から出るなよ」
「そうだよ、変なことがあったらすぐ先生に言ってね」
リアムもマシューも、特にリアムは珍しく素直に二人を心配してから部屋に戻って行った。
「どうする、シーア」
「ひとまず部屋に戻りましょ、サーヤ。きっと大丈夫よ」
そうだろうか。なんだかとっても不安な気持ちで部屋に戻る。部屋に戻っても二人とも落ち着かなくて、ずっとそわそわと過ごしていた。
ふと、着信が鳴る。おばあちゃんだろうかと顔をほころばせて二人が画面を見れば、そこにはジゼル、と表記があった。
顔を見合わせる。それから、スピーカーにして、録音しながらその電話を取った。
「もしもし?」
「誰よ、アンタ」
知らない声だ。男、だろうか。くつくつと笑う男は、それでもあっさりとネタバラシをした。
「学校、大変そうだね。ジゼル君は無事だよ。最も、生きているだけに過ぎないけれど」
「……要件は何ですか」
サーヤも表情が硬い。おや、と男は意外そうな声を出した。
「もしかしてそんなに心配じゃない? じゃあ別にいいか。このまま彼一人いなくなっても」
「馬鹿なこと言わないで。サーヤはあなたの用件を聞いたの。心配じゃないなんて一言も言ってない」
「おやおや……」
血の気が多いな。向こうはこちらを逆なでする言葉を選んでいるようだった。乗っては思うツボだとシーアは小さく息を吐いた。
「簡単さ、彼を無事に返してほしかったら二人だけでここまで来なさい。場所はメールで送ってあげようとも」
ぽこん、通知が鳴る。確かにメールには座標が表示されていた。
「ほかの人に伝えたり、万が一君たちが来ないようなら、彼はここで一人死んでしまうことになるだろうね」
ね、という声とともに鈍い音、呻き声。
「……っ、分かったからもうジゼルくんに触らないで!」
サーヤも限界のようだった。ふふ、と笑みをこぼした男は、最後に待ってるよと言い残して電話を切った。
「……行きましょ、サーヤ。窓から出ればきっとバレないわ」
「……うん」
不安そうにしながらも、シーアとサーヤは顔を見合わせて頷いた。窓を開けて、木々を伝って外に出る。ドジは踏まなかった。
そのままこそこそと座標の場所まで走った。着いた頃にはジゼルはもう、なんて想像が頭をよぎっては消える。それでも言葉にはせずに走った。言葉にしたら現実になってしまう気がした。
そんな頃。ナユタはなんだか唐突にものすごく嫌な予感がして、寮の中でサーヤを探し回っていた。ノックをする。返事はない。風の音がする。声を掛けてからドアを開ければ、窓が開けっぱなしだった。二人はいない。
「部屋にはいないか……」
開けっぱなしにするなんて、と窓を閉める。それから、リアムとマシュ―を探しに行った。
二人は部屋にいた。息を切らして訪問してきた思ってもいなかった客に目を丸くする。
「――――シーアとサーヤは?」
「は? ここにはいねえけど。部屋じゃね?」
遅かったかもしれない。ナユタの顔色が悪くなったのを見て、マシューが心配そうに声を掛けた。
「もしかして……」
「部屋にはいなかったんだ」
その言葉に、リアムとマシューは目を見合わせて立ち上がる。
「先生呼んできてくれ、俺らは寮の中をもう一度探してみる」
「僕、二階行くよ」
「まかせた」
そう言ってあっという間に走って行った。ナユタもなるべく早く先生方に伝えるべく走り出した。
*
「ああ、来たね」
「ジゼル!」
「ジゼルくん!」
のんびりとした動きで男は二人を制した。拘束されたまま驚いた顔をしているジゼルは思ったより元気そうだった。
「じゃあ、約束通りだ。こっちにおいで」
「……ジゼルを先に開放しなさいよ」
「おや、君たちはそんなことを言える立場じゃないだろう」
男はそう言って、ジゼルにナイフを突きつけた。
「……わかったわよ」
二人が近づいていけば、男は再び呪文を唱えた。身構えることも出来ずに拘束された二人とは反対に、ジゼルの拘束は外されていた。
「ほら、帰りたまえよ。君はもう必要ないから」
「お前……ッ」
「いいのか? この二人の命は今、私が握っているんだよ」
咄嗟に襲い掛かろうとしたジゼルをそんな言葉一つで制する。
「絶対に助けに行くんで。首洗って待ってろ」
悔しそうに言葉を吐いて、ジゼルはウィンドグライダーに乗って行った。不安そうにそれを眺める二人に、男はこう言った。
「いや、いや、みんなして馬鹿で助かるね。君たちには無事でいてもらわないといけないから乱暴はしないけれど、抵抗したら容赦しないよ」
男はそのまま、ウィンドグライダーに二人を乗せて、どこかに飛び立った。行く先も、男の目的も分からないまま飛んでいる中、シーアとサーヤは身を寄せ合うことで何とか恐怖を耐え忍んでいた。
外は風が強くて、嵐が近いことを予感させていた。
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10話 5264文字
寮に戻れば、険しい顔の先生方がロビーで話をしている最中だった。マシューに気付いたティア先生は、表情が和らげておかえり、と声を掛けてくる。
「サーヤさんたちは!?」
「部屋にいるよ~。リアムとジゼルも一緒じゃないかな? ほんとはだめだけど、今は特別にね」
ありがとうございます、とだけ答えて、マシューは彼女たちの部屋に急いだ。
「にしても、もっと早く相談出来たのでは?」
じと、とした顔でヴェルタが言う。イズミは気まずそうに目線をうろつかせた。
「いや……。すみません」
何も言えずに観念したように謝ると、ティアが助け舟を出した。
「でも私たちには共有してくれましたよ、彼」
「えっ」
レナードも頷く。
「……あなたは忙しくしているようだから、職員会議で改めて共有しようかと言っていた」
「ああ~……」
ヴェルタは頭を抱えた。イズミは気まずくて仕方なかった。フォローする言葉が見つからない。
「私も知っていたぞ、ヴェルタ」
いつの間にいたのか、後ろからセラ校長までやって来る。くつくつと笑う彼女はあまりにも楽しそうだった。
「君はいつもそういう役回りだよな。まあ、君はもう現役の騎士ではないわけだし、今回は対処できたんだろう? それはひとまず褒められるべきだ。まあ、対策を立てるべきでもあるが……、なあ、イズミ君」
「やめてくださいよ、先生……」
巻き込まれたイズミは困った顔をした。そうすることでやり過ごそうとしている。変わらないしぐさに、セラはわっはっはと大きく笑った。
「あ……貴方も現役じゃないでしょう……!! ふん、役立たずだと言いたいんですか! 私だって騎士だったわけです、知識であなたをぎゃふんと言わせることだって容易いんですから」
「あはは、悪かったって。ぎゃふんと言わされたくはないからこの辺でやめとくか」
セラの物言いに不満そうなヴェルタをあっさりといなして、セラは全員と顔を合わせた。
「さて、残業だよ、諸君。生徒のためを思うと腕が鳴るねえ」
全員が自然と姿勢を正して返事をした。彼女は不敵にほほ笑む。
「うちの生徒を攫おうととした不届き者の所在を突き止めてやろうじゃないか」
*
「二人とも!」
「うわっ、……なによ、マシューじゃない」
「びっくりした……」
大きく音を立てて扉を開けば、先生の言葉通り、シーアとサーヤ、リアム、ジゼルがいた。マシューは驚かせたことを謝りながらも、大慌てのまま問うた。
「なんか、襲われたって聞いたよ!? 大丈夫だったの、怪我とかは」
「先生方とジゼルがなんとかしてくれたから問題ないわよ」
「ま、慣れっこっすわな」
シーアが答えればジゼルが胸を張る。胸を張ってから、そのまま静かになった。何かを考え込んでいるようだった。
「オマエ、どうしたんだよ」
リアムが聞く。ジゼルはしばらく黙っていたが、リアムの視線が自分に向いていると気づいて顔を上げた。
「……あ、俺すか? いや、……」
そうしてしばらく考え込む。それから、改めてジゼルはこう言った。
「……確証が持てないことは言うべきではないと思うんすよね~。シーアとサーヤって、なんで襲われたかとか分かってんすか?」
ジゼルはそう言って首を傾げた。全員が怪訝そうな顔したが、彼に話す気は無いようだった。
「……まあ、それが分かってたらここで頭付き合わせて悩んだりしてないわよね」
シーアはうーん、と唸ってから答えた。
「ぼくたちも戸惑ってるんだ」
サーヤも困り顔だ。不安そうな二人は顔を見合わせて同時に首を傾げた。
「……」
ほかの四人がああじゃないこうじゃないと憶測を立てる中で、ジゼルだけが静かに何事かを思案していた。
四人ともそれに気付いていたが、深入りしても仕方ないだろうと分かっていたので、気付かないふりをして話を続けた。
*
「ごきげんよう、シーアさん、サーヤさん」
次の日の朝。シーアとサーヤが支度をして寮を出た先で、フェリシア先輩が待っていた。リアムとマシューも一緒だ。
「昨日は大変だったそうですね。お話は聞いております。先生方が悩まれていた様子だったので、わたくしが送迎を申し出ましたの」
疑問が顔に出ていたのか、フェリシアは二人が聞くより先にそう答えた。それに照れたように笑ったサーヤは、シーアと顔を合わせて言った。
「フェリシア先輩が一緒なら安心できるね、シーア!」
「そうね。よろしくお願いします、先輩」
フェリシアは頷いて、そのまま一緒に学校に向かうことになる。いつもなら後ろからジゼルが話しかけてくるのだが、フェリシア先輩が一緒だからか、今日はそれは無かった。
何事もなく校舎へ着く。二人を教室まで送り届けて、フェリシアはこう言った。
「校内には先生方がいらっしゃいますが、それでも十分にお気を付けて。帰りも迎えに参りますから」
「はい、先輩!」
それでは、とフェリシア先輩は上品に手を振って自身の教室へ向かって行った。ジゼルはいつのまにか教室にいたが、特に話しかけては来なかった。クラスメイト達の心配の言葉を受けていると、イズミ先生がホームルームにやって来る。
その日、ジゼルはずっと静かだった。リアムやマシューがそれとなく声を掛けても上の空で、なんだかずいぶんと嫌な予感がした。
*
昼休み。先生たちの監視の目を潜り抜け、屋上で昼食を食べるのがジゼルの日課だった。
「……」
ぼう、っと空を見上げるのは気持ちいい。授業では空の上には宇宙があるのだと言っていたが、どこまでも高く続く青に天井があるようには思えなくて、それをそのまま口にすれば、先生は空に天井はないのだと教えた。そのあとの話はよく分からなかった。
天井がないなら、上って概念もないんじゃねえの。どこからどこまでが俺たちの空で、どこを超えたら宇宙なんだろうか。
よく分からないことばかりだ、と思う。父はジゼルにいろいろなことを教えたが、それらは生きるために必要な技術でしかなかった。
よく分からないことは、知らなくても生きていける。だが、頭を使えたら状況が有利になることもある。これが、ジゼルにとって、新しい学びだった。
もし、自分の頭が良かったら。
今抱えている悩みも、父の後悔も、その他のたくさんのことが、上手くいったりするのだろうか。
ふと、見上げていた空に人の影が差す。――――気づかなかった。顔を上げる。
「やあ、ジゼル。久しぶりだね、覚えているかな」
「――――アンタ、あの時の」
それは、シーアとサーヤを襲った張本人だった。咄嗟にナイフを出そうとして武器の所持を禁止されていたことに気付く。
彼はそれを見てにんまりと笑った。
「覚えているわけではなさそうだね。まあどっちでもいのさ、そんなことは」
不意を衝いて、が、と胸ぐらを捕まれる。声が出せないよう手を口で覆われれば、もう後は何もできなかった。
「おとなしくしていてくれ。そうじゃなきゃ、痛い目に合うと思えよ」
男は小さな声で呪文を唱える。そうすれば、あっという間にジゼルは拘束されてしまった。ろくに抵抗も出来ぬまま、ウィンドグライダーに乗せられる。
「さあ、行こうか」
ね、と男はジゼルに微笑みかけ、ウィンドグライダーに跨ろうとしたところで、
「待ちなさい!」
「おっと」
フェリシアだった。だが一歩遅い、と男はそのまま飛び立った。フェリシアも負けじと飛び立つ。ああ、良い連携ができている、と場違いにもジゼルは思った。
「はあ、面倒だな」
男がぐんぐんと上に飛ぶ。それこそ、宇宙にでも届くんじゃないかと思うほどだった。
フェリシアもそれを追ってきたが、これは罠だった。
ぐい、と方向転換。男が呪文を唱えながらフェリシアに突っ込んだ。思いっきり吹っ飛ぶ。――――それも、地面がある方に。
こんな高さで落ちたら死んでしまう、とジゼルは焦った。その気持ちを汲んだのか、ジゼルのウィンドグライダーがそれを拾った。それに安心した自分がいるのがなんだか居心地悪かった。
フェリシアは態勢を立て直し、ジゼルのウィンドグライダーに跨ったまま負けじとこちらを追おうとする、が――――
「残念だったな、姫様」
一歩遅い。男はあっさりとそこに置いていたワープゲートに突っ込んで、
――――彼らの姿は見えなくなった。
*
ジゼルが攫われてしまったと報告を受けて、校内は騒然としていた。なるべく一斉に帰宅すること。できれば上級生と一緒に、ということで、その日は集団下校となった。
「お前ら、今日は寮から出るなよ」
「そうだよ、変なことがあったらすぐ先生に言ってね」
リアムもマシューも、特にリアムは珍しく素直に二人を心配してから部屋に戻って行った。
「どうする、シーア」
「ひとまず部屋に戻りましょ、サーヤ。きっと大丈夫よ」
そうだろうか。なんだかとっても不安な気持ちで部屋に戻る。部屋に戻っても二人とも落ち着かなくて、ずっとそわそわと過ごしていた。
ふと、着信が鳴る。おばあちゃんだろうかと顔をほころばせて二人が画面を見れば、そこにはジゼル、と表記があった。
顔を見合わせる。それから、スピーカーにして、録音しながらその電話を取った。
「もしもし?」
「誰よ、アンタ」
知らない声だ。男、だろうか。くつくつと笑う男は、それでもあっさりとネタバラシをした。
「学校、大変そうだね。ジゼル君は無事だよ。最も、生きているだけに過ぎないけれど」
「……要件は何ですか」
サーヤも表情が硬い。おや、と男は意外そうな声を出した。
「もしかしてそんなに心配じゃない? じゃあ別にいいか。このまま彼一人いなくなっても」
「馬鹿なこと言わないで。サーヤはあなたの用件を聞いたの。心配じゃないなんて一言も言ってない」
「おやおや……」
血の気が多いな。向こうはこちらを逆なでする言葉を選んでいるようだった。乗っては思うツボだとシーアは小さく息を吐いた。
「簡単さ、彼を無事に返してほしかったら二人だけでここまで来なさい。場所はメールで送ってあげようとも」
ぽこん、通知が鳴る。確かにメールには座標が表示されていた。
「ほかの人に伝えたり、万が一君たちが来ないようなら、彼はここで一人死んでしまうことになるだろうね」
ね、という声とともに鈍い音、呻き声。
「……っ、分かったからもうジゼルくんに触らないで!」
サーヤも限界のようだった。ふふ、と笑みをこぼした男は、最後に待ってるよと言い残して電話を切った。
「……行きましょ、サーヤ。窓から出ればきっとバレないわ」
「……うん」
不安そうにしながらも、シーアとサーヤは顔を見合わせて頷いた。窓を開けて、木々を伝って外に出る。ドジは踏まなかった。
そのままこそこそと座標の場所まで走った。着いた頃にはジゼルはもう、なんて想像が頭をよぎっては消える。それでも言葉にはせずに走った。言葉にしたら現実になってしまう気がした。
そんな頃。ナユタはなんだか唐突にものすごく嫌な予感がして、寮の中でサーヤを探し回っていた。ノックをする。返事はない。風の音がする。声を掛けてからドアを開ければ、窓が開けっぱなしだった。二人はいない。
「部屋にはいないか……」
開けっぱなしにするなんて、と窓を閉める。それから、リアムとマシュ―を探しに行った。
二人は部屋にいた。息を切らして訪問してきた思ってもいなかった客に目を丸くする。
「――――シーアとサーヤは?」
「は? ここにはいねえけど。部屋じゃね?」
遅かったかもしれない。ナユタの顔色が悪くなったのを見て、マシューが心配そうに声を掛けた。
「もしかして……」
「部屋にはいなかったんだ」
その言葉に、リアムとマシューは目を見合わせて立ち上がる。
「先生呼んできてくれ、俺らは寮の中をもう一度探してみる」
「僕、二階行くよ」
「まかせた」
そう言ってあっという間に走って行った。ナユタもなるべく早く先生方に伝えるべく走り出した。
*
「ああ、来たね」
「ジゼル!」
「ジゼルくん!」
のんびりとした動きで男は二人を制した。拘束されたまま驚いた顔をしているジゼルは思ったより元気そうだった。
「じゃあ、約束通りだ。こっちにおいで」
「……ジゼルを先に開放しなさいよ」
「おや、君たちはそんなことを言える立場じゃないだろう」
男はそう言って、ジゼルにナイフを突きつけた。
「……わかったわよ」
二人が近づいていけば、男は再び呪文を唱えた。身構えることも出来ずに拘束された二人とは反対に、ジゼルの拘束は外されていた。
「ほら、帰りたまえよ。君はもう必要ないから」
「お前……ッ」
「いいのか? この二人の命は今、私が握っているんだよ」
咄嗟に襲い掛かろうとしたジゼルをそんな言葉一つで制する。
「絶対に助けに行くんで。首洗って待ってろ」
悔しそうに言葉を吐いて、ジゼルはウィンドグライダーに乗って行った。不安そうにそれを眺める二人に、男はこう言った。
「いや、いや、みんなして馬鹿で助かるね。君たちには無事でいてもらわないといけないから乱暴はしないけれど、抵抗したら容赦しないよ」
男はそのまま、ウィンドグライダーに二人を乗せて、どこかに飛び立った。行く先も、男の目的も分からないまま飛んでいる中、シーアとサーヤは身を寄せ合うことで何とか恐怖を耐え忍んでいた。
外は風が強くて、嵐が近いことを予感させていた。
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#ふたつの翼、ひとつの空
9話 7521文字
耳元で、最大限に小さくされた目覚まし時計が鳴る。ウィンドグライダー――――アルヴィのため、相当早い時間に一度起きて世話をするのがマシューの日課だった。
この時間はまだリアムも寝ている。最近はたまに目を覚まして一緒に彼らの手入れをすることも増えたのだが……今日はそうじゃないらしかった。ぐっすりだ。
「おはよう、アルヴィ」
アルヴィは無口で不愛想なほうだった。それが個性ってやつなんじゃねえの、と、いつだかジゼルが言っていた。それまでは大きな反応を引き出すためにあれやこれやと頑張っていたが、そうじゃなくてもいいのだと気づいてからはそのままにしている。
「今日も林檎を持ってきたんだ。……そんな顔しないで、他のは売り切れてたんだよ」
連日林檎で不服そうなアルヴィは、それでも受け取りはするらしかった。そんなところがかわいいんだよなあ、と撫でる。特に嫌がられはしなかった。機嫌が良いようだ。
彼とも随分仲良くなったものだ。その一方で、アルヴィと関わるたび思い出すのは母親のことだ。はあ、と思わずため息を吐けば、アルヴィがそれに反応してこちらを見た。なんでもないよ、と笑っても、彼はしばらくこちらをじっと見ている。――――ああ、アルヴィのこういうところはすごく分かりやすい。心配をかけているなあ、と思わず苦笑した。
「はよー。毎日毎日はえーな……」
「わ、おはよう。もう習慣だからね」
後ろから声がかかる。リアムだ。ふわあ、と大きく欠伸をした彼のもとに、ノーヴァがやってきて頭を乗せる。リアムももう慣れたもので、朝の挨拶をしながらその頭を撫でてやるのだった。
「なんか落ち込んでた?」
そのままリアムがこちらに問う。アルヴィとの会話を見られていたのだろう。
「いや、落ち込んでたっていうか……。両親のことを考えてたんだよ、どうしたらわかってくれるのかなあって」
「ふうん」
それからしばらくリアムは静かだった。ノーヴァにご飯を渡し、簡単に毛づくろいをする。その隣でマシューもアルヴィの体を綺麗にしてやる。わざわざ深入りしてこない空気が心地よかった。
「そういえば、」
リアムが口を開く。
「サーヤが心配してたぜ。お前のお母さんのこと」
「えっ」
「なんつったかなあ、なんか気がかりなことがあるんだとよ。――――ああ、あれだぜ、こないだの授業で話す機会があったから知ってるだけ」
なんでそれを知ってるのがリアムなんだよ。少しだけ漏れそうになった疑問はあっさりバレて、訂正されたのが少し恥ずかしくなった。そういえば、サーヤとは最近あまりゆっくり話していない。
「母親にも母親の苦労があんのかねえ、それでも俺にはわかんねえや」
それだけ言って、リアムはもうひと眠りするからとその場を去った。それを見送ってから、マシューは母親のことを考えながら、アルヴィと並んで、ぼうっと空を見ているのだった。
*
「おはよう、マシュー。ちょっといいかな」
教室に着いた矢先、イズミ先生はマシューを呼び出した。不思議そうな顔をした四人を置いて立ち上がる。なんかしたんすか、と野次を飛ばすジゼルに否定を返す。
イズミ先生は隣の空き教室までマシューを連れて行くと、小さくため息をついた。
「マシュー。お母さんがね、授業を見学したいんだってさ」
「えっ」
どういう心境の変化なんだ。彼女の意図を図りかねていれば、だよねえ、とイズミ先生も同調する。
「でも、今までに比べるとなんだか随分しおらしかったよ。君が嫌ならもう少し交渉してみるけど」
早朝のリアムの言葉が頭をよぎった。マシューは意を決してイズミと目を合わせる。
「いえ……。一度、母と話してきてもいいですか?」
イズミ先生は頷いた
「君がそう言うならそうしよう。応接室にいるよ、今はレナード先生が対応してくれてる」
わかりました、と頷く。マシューは、そのまま教室を出て、応接室まで行くことにした。
*
「失礼します」
カタン、と音を立ててマシューが扉を開ければ、イズミ先生の言葉通りレナード先生と目が合った。
「おお、マシュー」
レナード先生が椅子を勧めてくれたのをありがたく受け取って座る。その間、母は一言も発さなかった。
「マシュー、貴方は……」
母は何かを言おうとしては口を閉ざす。マシューは静かにそれを待った。
「いえ、……お父さんがね、あの、姫様と会った日からおかしいの。マシューにはマシューの人生がある、って……。だけど私、やっぱりあなたには絵を描いて欲しいの、あなたの絵が好きだったから。それは、……お父さんも、きっとそうだった」
でも、と、再び口を閉ざす。しばらくして、再び口を開いた。
「あなたは、そうじゃないって言うから……」
困ったように視線をうろつかせて、母は問う。
「あなたは、もう絵は描きたくない?」
「そんなことないよ」
「じゃあどうして、」
沈黙。静かに息を吸って、マシューは答えた。
「もっと好きなことがあるからだよ」
「……」
何度も話したのに、まだ分かってくれないのだろうか。どうすれば分かってくれるのだろうか。マシューが悲しい顔をしているのを見て、母親は首を横に振った。
「違う、そうじゃないのよ、そうじゃない」
落ち着かせるように母はしばらく深呼吸をして、マシューに目を合わせた。
「私、あなたには才能があると思ってるの。いつでも絵に戻ってきて欲しい。――――これは、私にとっては変わらない。私たちの家柄なら、騎士になるより楽に幸せになれると思ってる。これも、本当」
けれど。目を合わせたまま、彼女は言う。
「あなたがやりたいこと、何も知らないまま否定するのは違うって、……言われて」
そうして彼女は気まずそうに目を逸らした。
「だから、知ろうと思ったの」
最大限、歩み寄ろうとしてくれているのだろう。マシューは思った。信じられないくらいの進歩だった。先生方は、後ろで静かに見守っている。
「……分かった」
母は顔を上げた。マシューは立ち上がる。
「先生方の迷惑にならないなら……僕も、そのほうが嬉しい」
どうですか、と先生方を振り返れば、うんうんと頷かれた。
「子供が迷惑なんて考えなくていい。……ここの先生方は、みんなそう言って歓迎してくれるはずだ」
ヴェルタ先生も頷いている。マシューもなんだか安心して、照れたように笑った。
そうしているうちに、授業開始のチャイムが鳴る。今彼でも準備をしてきなさいとマシューを教室に返した後、ヴェルタ先生は茫然とそれを見守る彼女に声を掛けた。
「彼の……確実な幸せを願ってのことだったんですね」
「……」
「親って、そういう生き物ですよね。親の心子知らず、なんて言葉がありますが……子の心親知らず、でもあります。ちゃんと知ろうとしてくれるなら、私たちも歓迎しますよ」
大変だったでしょう、認めるまで。
素直な労いだった。悪意がないのはなんとなく分かったので反発はしなかったが、なんだかむずがゆくて、自身の親のことを――――彼女が子供だった頃を、思い出した。
*
「――――というわけで、今日はウィンドグライダーちゃんたちのお手入れがしっかり出来てるかをチェックするよー!」
ティア先生が高々と宣言する。曰く、彼らも生き物なので、ちゃんと必要な世話を出来ているかは上手く飛ぶのに大切な要素らしい。
とはいえ、マシューの母親に配慮した授業内容であることも間違いないのだろう。
「お前のかーちゃん、今度はどういう風の吹き回しなの」
見学に来ている母を視線だけで指しながらリアムが言う。マシューは、さあ、と答えながら首を傾げた。彼女の急な心境の変化に戸惑っているのは、マシューも同じだった。
サーヤは心配そうにマシューを見た。シーアも同じように様子を伺う。マシューは二人を安心させるように微笑んだ。大丈夫だと頷く。シーアはそれで視線を元に戻したが、サーヤは心配そうなままだった。
「まあ。でも。話を聞いてくれる気にはなったみたいだよ」
よく分かんないけど。それを聞いたリアムはふうん、と頷いて視線を戻した。こんな会話の間もティア先生は次々に生徒たちの間を回りウィンドグライダーの様子をチェックしてはアドバイスをしている。彼女のアドバイスは的確だった。
シーアはちょっと無茶をさせすぎ。サーヤは偏ったご飯を食べさせすぎ。ジゼルはもっと甘やしてあげなさいと言われて首を傾げていた。
「ハイ次、リアム!」
呼ばれたリアムが少し姿勢を正す。ふむふむとティア先生は上から下までノーヴァを見た。
「思ったより良い感じじゃん? 入学して飛び始めた当初はもうほんとにどうなることかと思ってたけど……」
最近は結構仲良くしてるもんね。はあ、そうですかね、と愛想のない返事をしたリアムの頭にはノーヴァの頭が乗っている。照れちゃって、とからかわれて居心地が悪かった。
「しいていうなら栄養バランスとか考えてあげなさいね。まだ全然詳しくないだろうから、また今度授業で教えてあげるよ」
リアムはありがとうございます、と一礼をした。うんうんと頷いたティア先生は、ナユタの方にも歩いていく。
「ナユタは……、あらあなたも、思ったよりいい感じね。彼との付き合いには慣れた?」
「はい、それなりには」
うんうんと頷く。大切にしてるのがよく分かるわ、と彼女が言えば、ナユタはどこか嬉しそうに顔をほころばせた。
「今は言うことないかな。いっぱい大切にしてあげてね」
「はい」
そして、とマシューの方へと歩いてくる。自信はあったが、心配でもあった。ティア先生はそれを感じ取ったのか、安心させるように微笑んだ。
「貴方は心配いらないと思ってたけど、本当に問題なさそうね? むしろ何か困ってることはない?」
「……最近は……。彼らのためのご飯の争奪戦が激しくて、なかなかバランスを取るのが難しいですね。それくらいかな」
「分かる~!! もっと市場広げてくれたっていいのにねえ。うんうん、まあいつか慣れるわ。よくなついているみたいだし、問題なし!」
よしよし。と言いながら他の生徒たちにも確認を取っていく。終わった生徒たちは好きなように(とはいえウィンドグライダーの話題が多いが)話していて、ふう、とため息をつく。
いつの間にか近くにいたサーヤがそれに反応した。
「マシューくん、あの……」
「ああ、サーヤさん。……リアムから聞いたよ、心配してくれてたんだってね」
「うん。リアムくんも心配してたよ」
頷く。あれは素直じゃないだけだと、長い付き合いでようやくわかってきたことだった。
「あのね、お母さんのことなんだけど。……もしかしたら、ちゃんと追い詰められてるのかもしれないなと、思って」
サーヤはそう前置いて、以前の彼女の様子について話した。
――――あなたも、私が悪いって言うの?
そんなことを、言っていただろうか。少なくともマシューの記憶にはないが、彼女が言うならそうなんだろう。彼女がこんなところで嘘をつくような性格でないのはちゃんと知っていた。
そうしているうちに授業が終わる鐘が鳴る。ティア先生は慌てて生徒たちに休憩を取るように伝えた。
次の時間はこのまま飛行訓練だ。とりあえず一息つこう、と、水を取りに行くことにした。
*
子供の頃、父は、あんまり家に帰ってくるような人ではなかったと記憶している。
重要な行事の日だけ帰ってきて、気づいたらどこかに旅立っている。聞くたびにお仕事よ、と教えてくれる母は、いつも何かに追われていた。
それでも、母はよくマシューに画材を与え、一緒に絵を描く時間をひときわ大切にしてくれていた。
マシューが描いた絵を褒めてくれる時の、母の嬉しそうな顔を、よく覚えている。
「貴方には才能がある。いつか立派な画家になるのね」
きっと私たちも追い越すような、素敵な画家に。今思えば、あれは彼女なりの祈りだったのだろう。
ある日。本当になんでもない日に父が突然帰ってきて、マシューをウィンドグライダーに乗せ、少しの間、空の散歩をした。それまでは、王都ほどではないにしろ、そこそこ大きな家の立ち並ぶ住宅街に住んでいたので、飛ぶ必要がなかった。
その分、衝撃は大きかった。
父にあれやこれやと質問した。この風はどこから来るの。あの飛んでる花はなんで飛んでるの。この乗り物は生きてるの。生きてるってことはご飯を食べるの。好きなご飯は何?
ちょこっと景色の話をした。その方が喜ばれると知っていたからだった。でも好奇心に負けて、気付けばウィンドグライダーの話ばかりを聞いていた。
帰り際、父はこう言った。
「その気持ちを忘れないうちに絵を描きなさい。おまえには絵の才能がある。ほかにやりたいことができるならその時は、母さんには隠すようにしなさい」
どうして、と問うても答えは返ってこなかった。静かに頭を撫でて、飛び去って行く父を、姿が見えなくなるまで見守った。
その背中が少しかっこよく見えたのと同時に、父が自分たちを置いてどこまでも飛べてしまうことが、なんだか寂しかった。
その日の授業の終わりを知らせる鐘が鳴る。ヴェルタ先生は、ちょっと時間が足りなかったですね、なんて言いながら授業を終えた。いつも通りだ。
授業が終わるや否やリアムはしれっと教室を抜け出した。お手洗いだろう、と判断して、近くにいたシーアとサーヤに声を掛ける。
「シーアさん、サーヤさん。リアムとジゼルに先に帰ってって伝えといてくれる?」
「え、それ俺に直接言えば良くないすか」
ジゼルがひょいと姿を現す。面倒だったのでマシューは笑顔のままその場から抜け出した。シーアとサーヤは目線を合わせてからシーアが口を開き、ジゼルにこう言った。
「先に帰ってって、マシューが言ってるわよ」
「はー!? 無視すか、ちょっと!」
不満たらたらなジゼルの声が後ろからついてくるのを無視して母親のほうに歩いていく。母親は心配そうにマシューを見た。
「良かったの?」
「うん、いつもこんなだし、彼も分かってるよ」
「そう、そうなの……」
母は何を言ったものか迷っているようだった。マシューも何を言えばいいかわからなくて、ひとまず、と切り出す。
「疲れてない? まだ体力が残ってるなら、見てほしいものがあるんだ」
母は少し悩んでから、ついてくることに決めたようだった。頷く。
マシューも頷いて、教室の外に出た。アルヴィのことを知って欲しかった。
*
「アルヴィ」
呼びかければ、バサバサと音を立てて彼はマシューの近くに降り立った。
「近くで見ると思ったより大きいわね……」
母は少し瞠目して、それからまじまじと見た。確かに、彼女はウィンドグライダーを毛嫌いしていたので、近くで見ることは少なかったかもしれない。
――――彼女にとっては。
ウィンドグライダーは父を奪っていく邪魔者だったのかもしれない。いつかの自分と同じようなことを、母も思っていたのかも。
ぼんやりとそんなことを考えた。
そうであるなら、彼女にとっては、僕も、同じなのだろう。
「……紹介するよ。彼はアルヴィ、僕のウィンドグライダー。―――パートナーだ」
母は戸惑ったようにしてから、会釈をした。アルヴィもそれを真似る。彼は彼なりに、マシューたちの関係性を心配してくれていたので、気を使ってくれているのがマシューには良く分かった。
「彼は、林檎よりは、蜜柑とか、柚子とか、柑橘系のおやつをとても好むよ」
アルヴィを撫でながら、ポツリ、ポツリ、言葉をこぼす。撫でられるのは首周りが好きなこと。こちらを心配する時はじっと様子を伺ってくること。感情表現が少し分かりにくくてたまにちょっと困ること。彼らも生き物で、僕らも生き物だ。でも、ちゃんと違う個体だから、知ろうと思わなければ分からないことがあることを。
「……――――」
母は黙っていた。相槌を打ちながら、なんだか目の前のマシューが知らない人のように楽しそうなのを見て、彼とアルヴィが確かにお互いを信頼しているのを見て、悔しくなっていた。
ああ、わたしのマシュー。あなたは一人で勝手にどこかに行ってしまうのね……。
悔しくて目を伏せる。それでも、前を向かなければならないことは分かっていた。
「――――分かったわ」
マシューと目を合わす。マシューは少し緊張した面持ちになった。それがなんだか嫌で、でも、自業自得であるのも事実だった。
「私、あなたのこと何も知らなかった。彼……アルヴィと遊ぶのが好きなのは知ってたけど、あなたたちがこんなに仲良くなってるなんて」
そして、息をつく。
「ウィンドグライダーが好きだなんて、ありえないと思っていたの。お父さんはそれを口実にあなたを置いていくから」
でも、と顔を上げる。
「それは私の尺度だった」
悔しいけれど、事実だった。
「ごめんなさい、マシュー。私、もうあなたの夢に口は出さないわ。一人で好きなところに飛び立てばいい。それがきっと、私に求められることなのね」
マシューはしばらく黙って何事か考えてから、口を開いた。
「……、僕、母さんのことも、父さんのことも守れるようになりたいんだ」
突拍子も無い言葉だった。マシューは続ける。
「空賊の取り締まりは強化され続けているし、それ以外の脅威は、少なくとも王都セレスティアには無い。それでも、人が織り成す歴史の中で、争いは沢山あったから」
目を伏せる。王都セレスティアは大きな都市だ。――――それは、今まで、争いに勝ってきたからでもある。
「父さんと母さんが自由に絵を描く場所を守りたいんだ。父さんと母さんの絵が好きだから。もちろん自分の絵も好きだけど……」
しばらく言葉を探す。やがてマシューは口を開いた。
「自由に絵が描けない世界になって欲しくない。少なくとも、僕が生きている限りは。いつだって他人のことは分からないし、情勢だってどう変わっていくか分からない」
だから、と言葉を続けた。
「僕は騎士になりたい。――――でも、母さんを一人にするつもりでもない。そのつもりだよ」
母はしばらく言葉を失っているようだった。しばらく視線をうろつかせて、少し困ったように微笑んだ。
「……子供の成長は早いっていうものね」
それだけ言って、母はあっさり帰って行った。
マシューが安心して教室に戻る。誰もいないかと思ったが、ヴェルタ先生がマシューを待っていた。いつもよりどこか険しい顔つきのヴェルタ先生は、落ち着いて聞いてくださいね、と前置いてからこう言った。
「―――シーアさんとサーヤさんが襲われたらしくて」
頭が真っ白になる。襲われた? 誰が? ――――二人が?
「もちろん、事態はイズミ先生が把握していたみたいで、無事ではあるんですが……」
念のためね、と話すヴェルタ先生は、マシューの帰り支度を促した。慌てて支度をして教室を出る。怪我はしていないだろうか。尋常じゃない事態がなんだかとても心配で、心臓がばくばくとしていた。
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9話 7521文字
耳元で、最大限に小さくされた目覚まし時計が鳴る。ウィンドグライダー――――アルヴィのため、相当早い時間に一度起きて世話をするのがマシューの日課だった。
この時間はまだリアムも寝ている。最近はたまに目を覚まして一緒に彼らの手入れをすることも増えたのだが……今日はそうじゃないらしかった。ぐっすりだ。
「おはよう、アルヴィ」
アルヴィは無口で不愛想なほうだった。それが個性ってやつなんじゃねえの、と、いつだかジゼルが言っていた。それまでは大きな反応を引き出すためにあれやこれやと頑張っていたが、そうじゃなくてもいいのだと気づいてからはそのままにしている。
「今日も林檎を持ってきたんだ。……そんな顔しないで、他のは売り切れてたんだよ」
連日林檎で不服そうなアルヴィは、それでも受け取りはするらしかった。そんなところがかわいいんだよなあ、と撫でる。特に嫌がられはしなかった。機嫌が良いようだ。
彼とも随分仲良くなったものだ。その一方で、アルヴィと関わるたび思い出すのは母親のことだ。はあ、と思わずため息を吐けば、アルヴィがそれに反応してこちらを見た。なんでもないよ、と笑っても、彼はしばらくこちらをじっと見ている。――――ああ、アルヴィのこういうところはすごく分かりやすい。心配をかけているなあ、と思わず苦笑した。
「はよー。毎日毎日はえーな……」
「わ、おはよう。もう習慣だからね」
後ろから声がかかる。リアムだ。ふわあ、と大きく欠伸をした彼のもとに、ノーヴァがやってきて頭を乗せる。リアムももう慣れたもので、朝の挨拶をしながらその頭を撫でてやるのだった。
「なんか落ち込んでた?」
そのままリアムがこちらに問う。アルヴィとの会話を見られていたのだろう。
「いや、落ち込んでたっていうか……。両親のことを考えてたんだよ、どうしたらわかってくれるのかなあって」
「ふうん」
それからしばらくリアムは静かだった。ノーヴァにご飯を渡し、簡単に毛づくろいをする。その隣でマシューもアルヴィの体を綺麗にしてやる。わざわざ深入りしてこない空気が心地よかった。
「そういえば、」
リアムが口を開く。
「サーヤが心配してたぜ。お前のお母さんのこと」
「えっ」
「なんつったかなあ、なんか気がかりなことがあるんだとよ。――――ああ、あれだぜ、こないだの授業で話す機会があったから知ってるだけ」
なんでそれを知ってるのがリアムなんだよ。少しだけ漏れそうになった疑問はあっさりバレて、訂正されたのが少し恥ずかしくなった。そういえば、サーヤとは最近あまりゆっくり話していない。
「母親にも母親の苦労があんのかねえ、それでも俺にはわかんねえや」
それだけ言って、リアムはもうひと眠りするからとその場を去った。それを見送ってから、マシューは母親のことを考えながら、アルヴィと並んで、ぼうっと空を見ているのだった。
*
「おはよう、マシュー。ちょっといいかな」
教室に着いた矢先、イズミ先生はマシューを呼び出した。不思議そうな顔をした四人を置いて立ち上がる。なんかしたんすか、と野次を飛ばすジゼルに否定を返す。
イズミ先生は隣の空き教室までマシューを連れて行くと、小さくため息をついた。
「マシュー。お母さんがね、授業を見学したいんだってさ」
「えっ」
どういう心境の変化なんだ。彼女の意図を図りかねていれば、だよねえ、とイズミ先生も同調する。
「でも、今までに比べるとなんだか随分しおらしかったよ。君が嫌ならもう少し交渉してみるけど」
早朝のリアムの言葉が頭をよぎった。マシューは意を決してイズミと目を合わせる。
「いえ……。一度、母と話してきてもいいですか?」
イズミ先生は頷いた
「君がそう言うならそうしよう。応接室にいるよ、今はレナード先生が対応してくれてる」
わかりました、と頷く。マシューは、そのまま教室を出て、応接室まで行くことにした。
*
「失礼します」
カタン、と音を立ててマシューが扉を開ければ、イズミ先生の言葉通りレナード先生と目が合った。
「おお、マシュー」
レナード先生が椅子を勧めてくれたのをありがたく受け取って座る。その間、母は一言も発さなかった。
「マシュー、貴方は……」
母は何かを言おうとしては口を閉ざす。マシューは静かにそれを待った。
「いえ、……お父さんがね、あの、姫様と会った日からおかしいの。マシューにはマシューの人生がある、って……。だけど私、やっぱりあなたには絵を描いて欲しいの、あなたの絵が好きだったから。それは、……お父さんも、きっとそうだった」
でも、と、再び口を閉ざす。しばらくして、再び口を開いた。
「あなたは、そうじゃないって言うから……」
困ったように視線をうろつかせて、母は問う。
「あなたは、もう絵は描きたくない?」
「そんなことないよ」
「じゃあどうして、」
沈黙。静かに息を吸って、マシューは答えた。
「もっと好きなことがあるからだよ」
「……」
何度も話したのに、まだ分かってくれないのだろうか。どうすれば分かってくれるのだろうか。マシューが悲しい顔をしているのを見て、母親は首を横に振った。
「違う、そうじゃないのよ、そうじゃない」
落ち着かせるように母はしばらく深呼吸をして、マシューに目を合わせた。
「私、あなたには才能があると思ってるの。いつでも絵に戻ってきて欲しい。――――これは、私にとっては変わらない。私たちの家柄なら、騎士になるより楽に幸せになれると思ってる。これも、本当」
けれど。目を合わせたまま、彼女は言う。
「あなたがやりたいこと、何も知らないまま否定するのは違うって、……言われて」
そうして彼女は気まずそうに目を逸らした。
「だから、知ろうと思ったの」
最大限、歩み寄ろうとしてくれているのだろう。マシューは思った。信じられないくらいの進歩だった。先生方は、後ろで静かに見守っている。
「……分かった」
母は顔を上げた。マシューは立ち上がる。
「先生方の迷惑にならないなら……僕も、そのほうが嬉しい」
どうですか、と先生方を振り返れば、うんうんと頷かれた。
「子供が迷惑なんて考えなくていい。……ここの先生方は、みんなそう言って歓迎してくれるはずだ」
ヴェルタ先生も頷いている。マシューもなんだか安心して、照れたように笑った。
そうしているうちに、授業開始のチャイムが鳴る。今彼でも準備をしてきなさいとマシューを教室に返した後、ヴェルタ先生は茫然とそれを見守る彼女に声を掛けた。
「彼の……確実な幸せを願ってのことだったんですね」
「……」
「親って、そういう生き物ですよね。親の心子知らず、なんて言葉がありますが……子の心親知らず、でもあります。ちゃんと知ろうとしてくれるなら、私たちも歓迎しますよ」
大変だったでしょう、認めるまで。
素直な労いだった。悪意がないのはなんとなく分かったので反発はしなかったが、なんだかむずがゆくて、自身の親のことを――――彼女が子供だった頃を、思い出した。
*
「――――というわけで、今日はウィンドグライダーちゃんたちのお手入れがしっかり出来てるかをチェックするよー!」
ティア先生が高々と宣言する。曰く、彼らも生き物なので、ちゃんと必要な世話を出来ているかは上手く飛ぶのに大切な要素らしい。
とはいえ、マシューの母親に配慮した授業内容であることも間違いないのだろう。
「お前のかーちゃん、今度はどういう風の吹き回しなの」
見学に来ている母を視線だけで指しながらリアムが言う。マシューは、さあ、と答えながら首を傾げた。彼女の急な心境の変化に戸惑っているのは、マシューも同じだった。
サーヤは心配そうにマシューを見た。シーアも同じように様子を伺う。マシューは二人を安心させるように微笑んだ。大丈夫だと頷く。シーアはそれで視線を元に戻したが、サーヤは心配そうなままだった。
「まあ。でも。話を聞いてくれる気にはなったみたいだよ」
よく分かんないけど。それを聞いたリアムはふうん、と頷いて視線を戻した。こんな会話の間もティア先生は次々に生徒たちの間を回りウィンドグライダーの様子をチェックしてはアドバイスをしている。彼女のアドバイスは的確だった。
シーアはちょっと無茶をさせすぎ。サーヤは偏ったご飯を食べさせすぎ。ジゼルはもっと甘やしてあげなさいと言われて首を傾げていた。
「ハイ次、リアム!」
呼ばれたリアムが少し姿勢を正す。ふむふむとティア先生は上から下までノーヴァを見た。
「思ったより良い感じじゃん? 入学して飛び始めた当初はもうほんとにどうなることかと思ってたけど……」
最近は結構仲良くしてるもんね。はあ、そうですかね、と愛想のない返事をしたリアムの頭にはノーヴァの頭が乗っている。照れちゃって、とからかわれて居心地が悪かった。
「しいていうなら栄養バランスとか考えてあげなさいね。まだ全然詳しくないだろうから、また今度授業で教えてあげるよ」
リアムはありがとうございます、と一礼をした。うんうんと頷いたティア先生は、ナユタの方にも歩いていく。
「ナユタは……、あらあなたも、思ったよりいい感じね。彼との付き合いには慣れた?」
「はい、それなりには」
うんうんと頷く。大切にしてるのがよく分かるわ、と彼女が言えば、ナユタはどこか嬉しそうに顔をほころばせた。
「今は言うことないかな。いっぱい大切にしてあげてね」
「はい」
そして、とマシューの方へと歩いてくる。自信はあったが、心配でもあった。ティア先生はそれを感じ取ったのか、安心させるように微笑んだ。
「貴方は心配いらないと思ってたけど、本当に問題なさそうね? むしろ何か困ってることはない?」
「……最近は……。彼らのためのご飯の争奪戦が激しくて、なかなかバランスを取るのが難しいですね。それくらいかな」
「分かる~!! もっと市場広げてくれたっていいのにねえ。うんうん、まあいつか慣れるわ。よくなついているみたいだし、問題なし!」
よしよし。と言いながら他の生徒たちにも確認を取っていく。終わった生徒たちは好きなように(とはいえウィンドグライダーの話題が多いが)話していて、ふう、とため息をつく。
いつの間にか近くにいたサーヤがそれに反応した。
「マシューくん、あの……」
「ああ、サーヤさん。……リアムから聞いたよ、心配してくれてたんだってね」
「うん。リアムくんも心配してたよ」
頷く。あれは素直じゃないだけだと、長い付き合いでようやくわかってきたことだった。
「あのね、お母さんのことなんだけど。……もしかしたら、ちゃんと追い詰められてるのかもしれないなと、思って」
サーヤはそう前置いて、以前の彼女の様子について話した。
――――あなたも、私が悪いって言うの?
そんなことを、言っていただろうか。少なくともマシューの記憶にはないが、彼女が言うならそうなんだろう。彼女がこんなところで嘘をつくような性格でないのはちゃんと知っていた。
そうしているうちに授業が終わる鐘が鳴る。ティア先生は慌てて生徒たちに休憩を取るように伝えた。
次の時間はこのまま飛行訓練だ。とりあえず一息つこう、と、水を取りに行くことにした。
*
子供の頃、父は、あんまり家に帰ってくるような人ではなかったと記憶している。
重要な行事の日だけ帰ってきて、気づいたらどこかに旅立っている。聞くたびにお仕事よ、と教えてくれる母は、いつも何かに追われていた。
それでも、母はよくマシューに画材を与え、一緒に絵を描く時間をひときわ大切にしてくれていた。
マシューが描いた絵を褒めてくれる時の、母の嬉しそうな顔を、よく覚えている。
「貴方には才能がある。いつか立派な画家になるのね」
きっと私たちも追い越すような、素敵な画家に。今思えば、あれは彼女なりの祈りだったのだろう。
ある日。本当になんでもない日に父が突然帰ってきて、マシューをウィンドグライダーに乗せ、少しの間、空の散歩をした。それまでは、王都ほどではないにしろ、そこそこ大きな家の立ち並ぶ住宅街に住んでいたので、飛ぶ必要がなかった。
その分、衝撃は大きかった。
父にあれやこれやと質問した。この風はどこから来るの。あの飛んでる花はなんで飛んでるの。この乗り物は生きてるの。生きてるってことはご飯を食べるの。好きなご飯は何?
ちょこっと景色の話をした。その方が喜ばれると知っていたからだった。でも好奇心に負けて、気付けばウィンドグライダーの話ばかりを聞いていた。
帰り際、父はこう言った。
「その気持ちを忘れないうちに絵を描きなさい。おまえには絵の才能がある。ほかにやりたいことができるならその時は、母さんには隠すようにしなさい」
どうして、と問うても答えは返ってこなかった。静かに頭を撫でて、飛び去って行く父を、姿が見えなくなるまで見守った。
その背中が少しかっこよく見えたのと同時に、父が自分たちを置いてどこまでも飛べてしまうことが、なんだか寂しかった。
その日の授業の終わりを知らせる鐘が鳴る。ヴェルタ先生は、ちょっと時間が足りなかったですね、なんて言いながら授業を終えた。いつも通りだ。
授業が終わるや否やリアムはしれっと教室を抜け出した。お手洗いだろう、と判断して、近くにいたシーアとサーヤに声を掛ける。
「シーアさん、サーヤさん。リアムとジゼルに先に帰ってって伝えといてくれる?」
「え、それ俺に直接言えば良くないすか」
ジゼルがひょいと姿を現す。面倒だったのでマシューは笑顔のままその場から抜け出した。シーアとサーヤは目線を合わせてからシーアが口を開き、ジゼルにこう言った。
「先に帰ってって、マシューが言ってるわよ」
「はー!? 無視すか、ちょっと!」
不満たらたらなジゼルの声が後ろからついてくるのを無視して母親のほうに歩いていく。母親は心配そうにマシューを見た。
「良かったの?」
「うん、いつもこんなだし、彼も分かってるよ」
「そう、そうなの……」
母は何を言ったものか迷っているようだった。マシューも何を言えばいいかわからなくて、ひとまず、と切り出す。
「疲れてない? まだ体力が残ってるなら、見てほしいものがあるんだ」
母は少し悩んでから、ついてくることに決めたようだった。頷く。
マシューも頷いて、教室の外に出た。アルヴィのことを知って欲しかった。
*
「アルヴィ」
呼びかければ、バサバサと音を立てて彼はマシューの近くに降り立った。
「近くで見ると思ったより大きいわね……」
母は少し瞠目して、それからまじまじと見た。確かに、彼女はウィンドグライダーを毛嫌いしていたので、近くで見ることは少なかったかもしれない。
――――彼女にとっては。
ウィンドグライダーは父を奪っていく邪魔者だったのかもしれない。いつかの自分と同じようなことを、母も思っていたのかも。
ぼんやりとそんなことを考えた。
そうであるなら、彼女にとっては、僕も、同じなのだろう。
「……紹介するよ。彼はアルヴィ、僕のウィンドグライダー。―――パートナーだ」
母は戸惑ったようにしてから、会釈をした。アルヴィもそれを真似る。彼は彼なりに、マシューたちの関係性を心配してくれていたので、気を使ってくれているのがマシューには良く分かった。
「彼は、林檎よりは、蜜柑とか、柚子とか、柑橘系のおやつをとても好むよ」
アルヴィを撫でながら、ポツリ、ポツリ、言葉をこぼす。撫でられるのは首周りが好きなこと。こちらを心配する時はじっと様子を伺ってくること。感情表現が少し分かりにくくてたまにちょっと困ること。彼らも生き物で、僕らも生き物だ。でも、ちゃんと違う個体だから、知ろうと思わなければ分からないことがあることを。
「……――――」
母は黙っていた。相槌を打ちながら、なんだか目の前のマシューが知らない人のように楽しそうなのを見て、彼とアルヴィが確かにお互いを信頼しているのを見て、悔しくなっていた。
ああ、わたしのマシュー。あなたは一人で勝手にどこかに行ってしまうのね……。
悔しくて目を伏せる。それでも、前を向かなければならないことは分かっていた。
「――――分かったわ」
マシューと目を合わす。マシューは少し緊張した面持ちになった。それがなんだか嫌で、でも、自業自得であるのも事実だった。
「私、あなたのこと何も知らなかった。彼……アルヴィと遊ぶのが好きなのは知ってたけど、あなたたちがこんなに仲良くなってるなんて」
そして、息をつく。
「ウィンドグライダーが好きだなんて、ありえないと思っていたの。お父さんはそれを口実にあなたを置いていくから」
でも、と顔を上げる。
「それは私の尺度だった」
悔しいけれど、事実だった。
「ごめんなさい、マシュー。私、もうあなたの夢に口は出さないわ。一人で好きなところに飛び立てばいい。それがきっと、私に求められることなのね」
マシューはしばらく黙って何事か考えてから、口を開いた。
「……、僕、母さんのことも、父さんのことも守れるようになりたいんだ」
突拍子も無い言葉だった。マシューは続ける。
「空賊の取り締まりは強化され続けているし、それ以外の脅威は、少なくとも王都セレスティアには無い。それでも、人が織り成す歴史の中で、争いは沢山あったから」
目を伏せる。王都セレスティアは大きな都市だ。――――それは、今まで、争いに勝ってきたからでもある。
「父さんと母さんが自由に絵を描く場所を守りたいんだ。父さんと母さんの絵が好きだから。もちろん自分の絵も好きだけど……」
しばらく言葉を探す。やがてマシューは口を開いた。
「自由に絵が描けない世界になって欲しくない。少なくとも、僕が生きている限りは。いつだって他人のことは分からないし、情勢だってどう変わっていくか分からない」
だから、と言葉を続けた。
「僕は騎士になりたい。――――でも、母さんを一人にするつもりでもない。そのつもりだよ」
母はしばらく言葉を失っているようだった。しばらく視線をうろつかせて、少し困ったように微笑んだ。
「……子供の成長は早いっていうものね」
それだけ言って、母はあっさり帰って行った。
マシューが安心して教室に戻る。誰もいないかと思ったが、ヴェルタ先生がマシューを待っていた。いつもよりどこか険しい顔つきのヴェルタ先生は、落ち着いて聞いてくださいね、と前置いてからこう言った。
「―――シーアさんとサーヤさんが襲われたらしくて」
頭が真っ白になる。襲われた? 誰が? ――――二人が?
「もちろん、事態はイズミ先生が把握していたみたいで、無事ではあるんですが……」
念のためね、と話すヴェルタ先生は、マシューの帰り支度を促した。慌てて支度をして教室を出る。怪我はしていないだろうか。尋常じゃない事態がなんだかとても心配で、心臓がばくばくとしていた。
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#ふたつの翼、ひとつの空
8話 6194文字
朝。ナユタはなんだか落ち着かなくて、早くに登校してはベランダでぼんやりと風に当たっていた。
先生たちの話を思い出す。隠し通すのは、難しいかもしれない。――――ということは、つまり、彼には聞かれて、いただろうか。
風の鍵。隠された遺跡。雲の下の世界。この雲上では誰も知らない知識を、ナユタ一人が持っている。
だから先生方も丁重に扱う。分かっている。
孤独だ、と思った。
ここで感じているのも、地上で感じていたのも、似たような類のなにかだ。それに名前をつけるのなら孤独だ。ボクは、普通じゃないから。
言い聞かせるように思い出す。思い出してから、この行為にももう何ら意味がないことに気づいた。
ここは地上じゃない。
「おはようございます、ナユタさん」
後ろから声がかかる。ヴェルタ先生だ。
彼女が来ることは、風が教えてくれていたから、特に驚かない。振り返る。彼女には特にお世話になっていた。
「度々すみません。貴方も疲れているでしょう」
そんなことは無い。そう否定すれば、ヴェルタ先生は困ったように笑った。
「でも、疲れてるって顔してますよ。もしかしたら、これくらいは慣れてしまっているかもしれませんが」
そう、だろうか。顔に手を添えてみても、自分の表情はよく分からなかった。
「先生方はあなたの味方です。まだ、信頼は出来ないかもしれませんが……それでも、私たちにとっては、――――私にとっては、あなたも一人の子供なので」
ナユタは不思議に思った。自分が子供であることが、彼らにとって何になるのだろう。
それをそのまま伝えれば、先生はまた笑ってこう言った。
「大人は子供を守るものですよ、それが誰であっても」
彼女の周りは、どこまでも穏やかな風が吹いていた。
*
「なー、聞いてくれよ!」
シーアとサーヤ、リアムとマシューが登校する時間を狙い、わざわざ寮の前で全員を待ち伏せしていたジゼルが、わくわくとした様子でそう言った。
「なによ、わざわざ待ち伏せたりして」
「いや、オマエらもこういう話、聞きてえかなと思ったんだよなー! 聞きてえだろ、地上に関連する話」
つってもまだ詳しくは分かんねえんだけどさ。わはは。ジゼルがそう言うのに合わせて、シーアとサーヤは目を合わせた。
「詳しく分かんねえならそんな勿体ぶる必要もねえだろ」
「おっ、知りたいすか?」
「バカバカしいとは思うな」
「返答になってねえすよそれは!」
リアムが呆れたように肩を竦めた。ジゼルは少しの間拗ねたような態度を取ってから、誰も取りなしてくれる相手がいないので咳払いをする。
「聞いて驚け! あの変な時期に来た転入生、実は地上の民だったっぽいんすよね~!」
シーアとサーヤは再び目を合わせた。やばい? やばい。名前をつけるなら双子テレパシー。そうして、目線だけで会話しているのを見たジゼルはあれ? と首を傾げる。
「もしかして知ってたっすか?」
「いや……」
「むしろなんでアンタも知ってるのよ」
じと、とシーアがジゼルを睨む。
「それに、変な時期に来た転入生に関してはアンタも人のこと言えないでしょ」
「だはは! それもそうすね」
リアムとマシューは置いてけぼりだった。マシューが、えっと、と言葉を挟む。
「それで、なんで急にそんな話になってるの?」
ジゼルは昨日のことを、時に脚色しながら事細かに話した。思ったよりなにも分かってないな、とシーアとサーヤは思ったが、言葉には出さないことにした。
「へえ、先生方すら巻き込んだドッキリは考えにくいし……、君が嘘をついてないなら、本当なんだろうね」
「嘘じゃねえっすよ!」
ふうん。マシューはそれだけ言って何事かを考え始めてしまった。
「でも、ナユタさん、あんまり言いふらしてほしそうな感じではなかったから……」
サーヤがそう言うと、それにジゼルが食いつく。
「そういや、なんでアンタらは知ってんすか」
「本人に聞いたの。ちょっと、そういうタイミングがあって……」
「ふうん、なに、逢い引き的な?」
「違う!」
慌ててサーヤが否定したのと同時、話半分に聞いていたマシューが酷く咳き込んだ。慌てて背中をさすろうとすれば、ごめん、大丈夫、とマシューはそれを手を上げて制した。
「……はあ、ジゼル、冗談でもそういうこと言うのは良くないよ」
ははん、さてはこいつ、サーヤに気があるんだな。ジゼルはそれで全てを察してニヤリと表情を変えた。
「なんすか、だって別に、マシューには関係がないでしょ」
「セクハラするおじさんみてーなこと言いやがって」
マシューに同情的なリアムがそう言ったのすらわはは! と笑い飛ばして、ジゼルはシーアとサーヤに向き直った。
「それで、やっぱ気になりません? あの人、多分もっと沢山隠してますよ」
シーアとサーヤは目を合わせた。二人ともどうするかを悩んで、ギリギリで好奇心が勝ったようだった。
「休み時間にでも聞きに行きましょうよ」
こうして、ジゼルにほとんど押される形で、その日の昼休みの予定が決まった。
*
いくら変わった出来事があったとしても授業はいつも通りだ。
ティア先生は手をパチリと鳴らして生徒の注目を集めた。
「今日からはレナード先生と一緒に授業していきますよ~! 飛行の訓練と合わせて戦術の授業もやりますからね!」
隣でレナード先生が頷く。
「君たちはまだまだ飛行に不慣れだろうから、先輩方とも一緒に授業をすることになる。私たちも注意は払うが、もし誰かが落ちることがあったら各自助け合うように!」
はい! 生徒たちは一斉に返事をした。先輩方の中にはフェリシアもいて、シーアとサーヤと目が合うとにこりと微笑んだ。
それでは班に分けて訓練をします、とティア先生は言って、今日の班分けを発表した。シーアとリアム、ジゼル、フェリシアが同じ班、サーヤとマシュー、ナユタ、あとはもう一人知らない先輩が同じ班だった。
「ごきげんよう、シーアさん。お久しぶりです」
「はい! お久しぶりです、フェリシア先輩」
今回は切迫した状況じゃなくて嬉しいわ、と微笑んだフェリシア先輩は、リアムとジゼルにも向き直った。
「あなた方とは……初めまして、ですよね? わたくしはフェリシア。よろしくお願いします」
「俺はリアム。よろしくお願いします」
「……」
パッと返事を返したリアムの後ろで、ジゼルがまじまじとフェリシアを見ていた。少し首を傾げてみせれば、ジゼルは、あ! と何かを思い出したように声をあげる。
「どっかで見たことあると思ったら、オヒメサマじゃん」
ぴしり。フェリシアが固まる。リアムは眉をひそめた。
「おい、ジゼル」
「オヒメサマがこんなとこで訓練して大丈夫なの? おれらなんか気使った方が良い?」
窘めようとするリアムの言葉を遮って、あけすけな物言いをするジゼルのその態度に、流石のフェリシアの方もムッとして言い返した。
「お気遣いは結構ですよ。この立場だからこそ、皆さんと同じ環境で訓練がしたいのです。この国を、より良くするために」
「は~ん」
ジゼルは話半分、といった態度だった。完全になめている。
「……はあ、まあいいでしょう。よろしくお願いしますね、ジゼル」
ため息を着いて、フェリシアは手を差し出し握手を求めた。ジゼルはその手を取らなかった。
「なんか上からじゃん? 気に入らないすね~、守られてばかりのオヒメサマはなにかを成し遂げたんすか」
「ちょっと!」
再びフェリシアが固まった。シーアが仲裁に入ろうとはしたが、それよりも先にジゼルは何も言い返せないフェリシアを鼻で笑った。
「ま、おれらにも立場がありますもんね~。よろしくお願いしますよ、オヒメサマ」
フェリシアはどうにもできずに、ジゼルはそのまま彼女に背を向けた。
「……集中できなくない?」
シーアがぼやく。リアムも流石に素直に頷かざるを得なかった。――――ただでさえ空中戦の訓練、飛ばねばならないというのに。
ジゼルが勝手に刺々しい態度を取っているので、フェリシアも困っているようだった。普段の彼からは想像もできない態度だった。
「次の班~! 準備して!」
ティア先生が声を掛ける。シーアたちの番だ。はい、と返事して四人は準備を始める。
「リアム、大丈夫よ」
「うるせーな、分かってるよ」
緊張で少しカチコチなリアムにシーアが声を掛ける。それをリアムは跳ねのけた。
「はい、行きますよー!」
ティア先生が笛を吹く。――――訓練の始まりだ。
*
飛び立ってしばらく、シーアとリアムが前衛、フェリシアが後衛、ジゼルが好き勝手飛び回って翻弄、という形で落ち着いた。戦術としてはまだまだぎこちないシーアとリアムを、フェリシアがサポートする。ジゼルに指示は飛ばなかったが、ジゼルの意図を汲んで二人に指示をしているのか邪魔なく飛びやすくて、それがなんだか悔しかった。
リアムも意外と上手くやっているようだった。フェリシアは彼に無理をさせないことを選んだらしい。正解だ、と思う。たまに体が浮くと焦ったように声を出すので、ノーヴァはなるべく彼を怯えさせないようにしているようだった。
それにしても。なんとかフェリシアに一泡吹かせてやりたい。このまま何もなく終わってしまうのは嫌だ。
ジゼルはもはや意地になっていた。どこまで突飛な飛び方をしても対応してくるフェリシアに悔しさを募らせて、くそ、と誰にも聞こえぬように、吐き捨てるように言葉を吐く。
「――――シーアさん、後ろ!」
ふと、フェリシアが焦ったように叫ぶ。
シーアの方を見る。いつのまにかそこにいた生徒は、容赦なくシーアを吹き飛ばした。
「シーア!」
リアムが慌ててシーアを追う。受ける体制も整っていなかったシーアはあらぬ方向に飛んでいく。彼女のウィンドグライダーもぐんと速度を上げて受け取りに行く――――が、あれでは間に合わない。先生方も飛び出した、が――――……。
今、確実に間に合うのは、ジゼルしかいない。
「ジゼルさん!」
フェリシアの声がする。それよりも先に飛び出していたジゼルは、あっさりとシーアを受け止めて、陸地に戻ってきた。
「――――……アンタの指示に従ったわけではないすからね」
ジゼルは戻ってくるなりこれだった。シーアが咎めようと口を開いたのを、フェリシアが制した。
「分かっています。でも、今は彼女が無事だったことが大事です。ありがとう、ジゼルさん」
「……」
ジゼルは拗ねたような顔をして返事をしなかった。リアムが戻ってくる。
「お前、すげーな」
「そりゃ、実戦経験が違うんで」
そうかよ。リアムはなんだか悔しそうだった。
「ありがとう、ジゼル。認めたくないけど、助かったわ」
シーアが礼を言う。ジゼルはなんだか居心地が悪かったが、それをごまかすようにふざけることを選んだ。
「あんた、素直に礼とか言えるんすね。おれの舎弟にしてやってもいいすよ!」
「なんですって!? 誰が!」
フェリシアはそんな様子をぼうっと見ていた。ジゼルの言葉を反芻する。
――――守られてばかりのオヒメサマはなにかを成し遂げたんすか。
何も言い返せない。まだなにも成し遂げていないから。それが悔しくて、ぎゅっと手を握り締めた。
*
気づけば昼休みになっていた。サーヤはなんだか気が重くてため息をついた。
「ナユタさん! ちょっといいすか」
とっくにいつも通りのジゼルがナユタに話しかけている。やっぱり今からでも止めたほうがいいだろうか。立ち上がろうとしたところでナユタが言う。
「ああ……。いいよ。場所を移そうか、気になるなら、君たちも来ると良い」
ナユタはシーアたちを見ていた。バレている。これも風向きというやつなのかもしれない。どうするか悩んだようにみんなで顔を見合わせて、結局全員外に出ることにした。
「どこまで聞いていたのかな、君は」
「意外とあっさり認めるんすね」
「言わなかったら勝手に調べるだろう」
ジゼルは照れたように頭を掻いて、それほどでも、と言った。褒めてねえだろとリアムが突っ込む。
「ごめん、ぼく……」
サーヤが言いかけたのを、ナユタが止める。
「君のせいじゃないさ、ボクの不注意だ。ごめんね」
そう言われては、サーヤは何も言えなかった。それで、とマシューが間に入る。
「地上から来たって、本当?」
「――――ああ、本当さ」
ナユタは本当にあっさりと頷いた。ジゼルが得意げに胸を張る。
「やっぱ地上って存在するんすねえ」
「じゃあ、何で雲上まで来たんだ? 地上の話は、こっちではほとんど言い伝えられてないけど、行き帰りができるなんてもっと聞いたことがない」
リアムがそう問う。ナユタは困ったように頬を掻いた。
「それは、……」
沈黙。しばらく言葉を探して、ナユタはこういった。
「君たちは、勝ったからじゃないかな」
「勝った……?」
シーアのつぶやきに反応して、ナユタは語り始める。要約すると、こうだ。
かつて。大きな争いがあった。争いの種は――――地上の食糧難。地上から争いを仕掛けたが、地上と雲上では技術の差も大きく、また土地の高さが功を成したか、雲上の人々は抵抗として地上を焼いた。
そのため、地上の……ナユタの先祖たちは、互いを行き来するための道を封鎖した。そうして時は過ぎ去り、――――気づけばその歴史は忘れ去られ……今に至る。
「地上では雲上には近づかないほうがいいってことになってるんだ。恐ろしい目にあうから、って。過度に高い建物を作るのも禁止されているね。僕がこういう歴史に詳しいのは、たまたま僕が鍵を守る種族だったからだ」
「鍵を守る種族?」
「雲上と地上の鍵を、ね」
聞いたこともない話だった。唖然としているシーアたちを置いて、ナユタは続ける。
「地上の技術も発達している。雲上を焼くための計画がひそかに進められていて、ボクはそれが嫌だったから、記録をすべて燃やして逃げてきたんだ。――――復讐のための争いなんて無意味だ」
だから、と一呼吸おいてナユタは言う。
「地上に行く、なんて、馬鹿なことを考えるのはやめたほうがいいよ」
ナユタはそう言って、それじゃあ、と去って行った。
「なんか……とんでもない話だったな」
「聞いてよかったのかな」
「少なくとも、好奇心は満たされたっすね」
「そりゃ良かった」
シーアとサーヤは目を合わせた。お互いが懐に入れていた鍵のレプリカを取り出す。
「――――地上、ねえ」
言葉は見つからなかった。少なくとも今、彼の言葉が確かなことだけはなんとなく感じていて、不穏な空気を振り払うように首を横に振った。
*
「お兄さん。何してるの」
その陰で。イズミは不審な動きをする男性に声を掛けた。
「うわっ、びっくりした。いやちょっと、見てくださいよ!」
イズミがその人の視線の先、手元を辿る。――――虫?
「俺、コイツの研究者だったんすけど……久々に飛んでるのを見てしまって。ここって、騎士学校の敷地内でしたっけ、すみません!」
「ああ、なるほど? じゃあ今回は見逃すけど、次はちゃんと申請してね」
ありがとうございます! 元気に返事をした男性は、そのまま悠々と歩きだした。
「そうだ先生、知ってますか?」
――――こいつ、地上にもいるらしいですよ。高値で売れるんですって。
は、としてイズミが振り返ってももうそいつはいなくて、逃がしたか、と一人舌打ちをする。彼がしゃがんでいた場所に行けばシーアたちの声が聞こえた。どうやら手を打つのが遅かったようだ。
「こら、君たち~! もうそろそろ昼休み終わるよ~」
イズミが声を掛ければ慌てたように返事が返ってくる。どうしようもなく嫌な予感を抱えながら、午後の授業の準備に取り掛かるのだった。
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8話 6194文字
朝。ナユタはなんだか落ち着かなくて、早くに登校してはベランダでぼんやりと風に当たっていた。
先生たちの話を思い出す。隠し通すのは、難しいかもしれない。――――ということは、つまり、彼には聞かれて、いただろうか。
風の鍵。隠された遺跡。雲の下の世界。この雲上では誰も知らない知識を、ナユタ一人が持っている。
だから先生方も丁重に扱う。分かっている。
孤独だ、と思った。
ここで感じているのも、地上で感じていたのも、似たような類のなにかだ。それに名前をつけるのなら孤独だ。ボクは、普通じゃないから。
言い聞かせるように思い出す。思い出してから、この行為にももう何ら意味がないことに気づいた。
ここは地上じゃない。
「おはようございます、ナユタさん」
後ろから声がかかる。ヴェルタ先生だ。
彼女が来ることは、風が教えてくれていたから、特に驚かない。振り返る。彼女には特にお世話になっていた。
「度々すみません。貴方も疲れているでしょう」
そんなことは無い。そう否定すれば、ヴェルタ先生は困ったように笑った。
「でも、疲れてるって顔してますよ。もしかしたら、これくらいは慣れてしまっているかもしれませんが」
そう、だろうか。顔に手を添えてみても、自分の表情はよく分からなかった。
「先生方はあなたの味方です。まだ、信頼は出来ないかもしれませんが……それでも、私たちにとっては、――――私にとっては、あなたも一人の子供なので」
ナユタは不思議に思った。自分が子供であることが、彼らにとって何になるのだろう。
それをそのまま伝えれば、先生はまた笑ってこう言った。
「大人は子供を守るものですよ、それが誰であっても」
彼女の周りは、どこまでも穏やかな風が吹いていた。
*
「なー、聞いてくれよ!」
シーアとサーヤ、リアムとマシューが登校する時間を狙い、わざわざ寮の前で全員を待ち伏せしていたジゼルが、わくわくとした様子でそう言った。
「なによ、わざわざ待ち伏せたりして」
「いや、オマエらもこういう話、聞きてえかなと思ったんだよなー! 聞きてえだろ、地上に関連する話」
つってもまだ詳しくは分かんねえんだけどさ。わはは。ジゼルがそう言うのに合わせて、シーアとサーヤは目を合わせた。
「詳しく分かんねえならそんな勿体ぶる必要もねえだろ」
「おっ、知りたいすか?」
「バカバカしいとは思うな」
「返答になってねえすよそれは!」
リアムが呆れたように肩を竦めた。ジゼルは少しの間拗ねたような態度を取ってから、誰も取りなしてくれる相手がいないので咳払いをする。
「聞いて驚け! あの変な時期に来た転入生、実は地上の民だったっぽいんすよね~!」
シーアとサーヤは再び目を合わせた。やばい? やばい。名前をつけるなら双子テレパシー。そうして、目線だけで会話しているのを見たジゼルはあれ? と首を傾げる。
「もしかして知ってたっすか?」
「いや……」
「むしろなんでアンタも知ってるのよ」
じと、とシーアがジゼルを睨む。
「それに、変な時期に来た転入生に関してはアンタも人のこと言えないでしょ」
「だはは! それもそうすね」
リアムとマシューは置いてけぼりだった。マシューが、えっと、と言葉を挟む。
「それで、なんで急にそんな話になってるの?」
ジゼルは昨日のことを、時に脚色しながら事細かに話した。思ったよりなにも分かってないな、とシーアとサーヤは思ったが、言葉には出さないことにした。
「へえ、先生方すら巻き込んだドッキリは考えにくいし……、君が嘘をついてないなら、本当なんだろうね」
「嘘じゃねえっすよ!」
ふうん。マシューはそれだけ言って何事かを考え始めてしまった。
「でも、ナユタさん、あんまり言いふらしてほしそうな感じではなかったから……」
サーヤがそう言うと、それにジゼルが食いつく。
「そういや、なんでアンタらは知ってんすか」
「本人に聞いたの。ちょっと、そういうタイミングがあって……」
「ふうん、なに、逢い引き的な?」
「違う!」
慌ててサーヤが否定したのと同時、話半分に聞いていたマシューが酷く咳き込んだ。慌てて背中をさすろうとすれば、ごめん、大丈夫、とマシューはそれを手を上げて制した。
「……はあ、ジゼル、冗談でもそういうこと言うのは良くないよ」
ははん、さてはこいつ、サーヤに気があるんだな。ジゼルはそれで全てを察してニヤリと表情を変えた。
「なんすか、だって別に、マシューには関係がないでしょ」
「セクハラするおじさんみてーなこと言いやがって」
マシューに同情的なリアムがそう言ったのすらわはは! と笑い飛ばして、ジゼルはシーアとサーヤに向き直った。
「それで、やっぱ気になりません? あの人、多分もっと沢山隠してますよ」
シーアとサーヤは目を合わせた。二人ともどうするかを悩んで、ギリギリで好奇心が勝ったようだった。
「休み時間にでも聞きに行きましょうよ」
こうして、ジゼルにほとんど押される形で、その日の昼休みの予定が決まった。
*
いくら変わった出来事があったとしても授業はいつも通りだ。
ティア先生は手をパチリと鳴らして生徒の注目を集めた。
「今日からはレナード先生と一緒に授業していきますよ~! 飛行の訓練と合わせて戦術の授業もやりますからね!」
隣でレナード先生が頷く。
「君たちはまだまだ飛行に不慣れだろうから、先輩方とも一緒に授業をすることになる。私たちも注意は払うが、もし誰かが落ちることがあったら各自助け合うように!」
はい! 生徒たちは一斉に返事をした。先輩方の中にはフェリシアもいて、シーアとサーヤと目が合うとにこりと微笑んだ。
それでは班に分けて訓練をします、とティア先生は言って、今日の班分けを発表した。シーアとリアム、ジゼル、フェリシアが同じ班、サーヤとマシュー、ナユタ、あとはもう一人知らない先輩が同じ班だった。
「ごきげんよう、シーアさん。お久しぶりです」
「はい! お久しぶりです、フェリシア先輩」
今回は切迫した状況じゃなくて嬉しいわ、と微笑んだフェリシア先輩は、リアムとジゼルにも向き直った。
「あなた方とは……初めまして、ですよね? わたくしはフェリシア。よろしくお願いします」
「俺はリアム。よろしくお願いします」
「……」
パッと返事を返したリアムの後ろで、ジゼルがまじまじとフェリシアを見ていた。少し首を傾げてみせれば、ジゼルは、あ! と何かを思い出したように声をあげる。
「どっかで見たことあると思ったら、オヒメサマじゃん」
ぴしり。フェリシアが固まる。リアムは眉をひそめた。
「おい、ジゼル」
「オヒメサマがこんなとこで訓練して大丈夫なの? おれらなんか気使った方が良い?」
窘めようとするリアムの言葉を遮って、あけすけな物言いをするジゼルのその態度に、流石のフェリシアの方もムッとして言い返した。
「お気遣いは結構ですよ。この立場だからこそ、皆さんと同じ環境で訓練がしたいのです。この国を、より良くするために」
「は~ん」
ジゼルは話半分、といった態度だった。完全になめている。
「……はあ、まあいいでしょう。よろしくお願いしますね、ジゼル」
ため息を着いて、フェリシアは手を差し出し握手を求めた。ジゼルはその手を取らなかった。
「なんか上からじゃん? 気に入らないすね~、守られてばかりのオヒメサマはなにかを成し遂げたんすか」
「ちょっと!」
再びフェリシアが固まった。シーアが仲裁に入ろうとはしたが、それよりも先にジゼルは何も言い返せないフェリシアを鼻で笑った。
「ま、おれらにも立場がありますもんね~。よろしくお願いしますよ、オヒメサマ」
フェリシアはどうにもできずに、ジゼルはそのまま彼女に背を向けた。
「……集中できなくない?」
シーアがぼやく。リアムも流石に素直に頷かざるを得なかった。――――ただでさえ空中戦の訓練、飛ばねばならないというのに。
ジゼルが勝手に刺々しい態度を取っているので、フェリシアも困っているようだった。普段の彼からは想像もできない態度だった。
「次の班~! 準備して!」
ティア先生が声を掛ける。シーアたちの番だ。はい、と返事して四人は準備を始める。
「リアム、大丈夫よ」
「うるせーな、分かってるよ」
緊張で少しカチコチなリアムにシーアが声を掛ける。それをリアムは跳ねのけた。
「はい、行きますよー!」
ティア先生が笛を吹く。――――訓練の始まりだ。
*
飛び立ってしばらく、シーアとリアムが前衛、フェリシアが後衛、ジゼルが好き勝手飛び回って翻弄、という形で落ち着いた。戦術としてはまだまだぎこちないシーアとリアムを、フェリシアがサポートする。ジゼルに指示は飛ばなかったが、ジゼルの意図を汲んで二人に指示をしているのか邪魔なく飛びやすくて、それがなんだか悔しかった。
リアムも意外と上手くやっているようだった。フェリシアは彼に無理をさせないことを選んだらしい。正解だ、と思う。たまに体が浮くと焦ったように声を出すので、ノーヴァはなるべく彼を怯えさせないようにしているようだった。
それにしても。なんとかフェリシアに一泡吹かせてやりたい。このまま何もなく終わってしまうのは嫌だ。
ジゼルはもはや意地になっていた。どこまで突飛な飛び方をしても対応してくるフェリシアに悔しさを募らせて、くそ、と誰にも聞こえぬように、吐き捨てるように言葉を吐く。
「――――シーアさん、後ろ!」
ふと、フェリシアが焦ったように叫ぶ。
シーアの方を見る。いつのまにかそこにいた生徒は、容赦なくシーアを吹き飛ばした。
「シーア!」
リアムが慌ててシーアを追う。受ける体制も整っていなかったシーアはあらぬ方向に飛んでいく。彼女のウィンドグライダーもぐんと速度を上げて受け取りに行く――――が、あれでは間に合わない。先生方も飛び出した、が――――……。
今、確実に間に合うのは、ジゼルしかいない。
「ジゼルさん!」
フェリシアの声がする。それよりも先に飛び出していたジゼルは、あっさりとシーアを受け止めて、陸地に戻ってきた。
「――――……アンタの指示に従ったわけではないすからね」
ジゼルは戻ってくるなりこれだった。シーアが咎めようと口を開いたのを、フェリシアが制した。
「分かっています。でも、今は彼女が無事だったことが大事です。ありがとう、ジゼルさん」
「……」
ジゼルは拗ねたような顔をして返事をしなかった。リアムが戻ってくる。
「お前、すげーな」
「そりゃ、実戦経験が違うんで」
そうかよ。リアムはなんだか悔しそうだった。
「ありがとう、ジゼル。認めたくないけど、助かったわ」
シーアが礼を言う。ジゼルはなんだか居心地が悪かったが、それをごまかすようにふざけることを選んだ。
「あんた、素直に礼とか言えるんすね。おれの舎弟にしてやってもいいすよ!」
「なんですって!? 誰が!」
フェリシアはそんな様子をぼうっと見ていた。ジゼルの言葉を反芻する。
――――守られてばかりのオヒメサマはなにかを成し遂げたんすか。
何も言い返せない。まだなにも成し遂げていないから。それが悔しくて、ぎゅっと手を握り締めた。
*
気づけば昼休みになっていた。サーヤはなんだか気が重くてため息をついた。
「ナユタさん! ちょっといいすか」
とっくにいつも通りのジゼルがナユタに話しかけている。やっぱり今からでも止めたほうがいいだろうか。立ち上がろうとしたところでナユタが言う。
「ああ……。いいよ。場所を移そうか、気になるなら、君たちも来ると良い」
ナユタはシーアたちを見ていた。バレている。これも風向きというやつなのかもしれない。どうするか悩んだようにみんなで顔を見合わせて、結局全員外に出ることにした。
「どこまで聞いていたのかな、君は」
「意外とあっさり認めるんすね」
「言わなかったら勝手に調べるだろう」
ジゼルは照れたように頭を掻いて、それほどでも、と言った。褒めてねえだろとリアムが突っ込む。
「ごめん、ぼく……」
サーヤが言いかけたのを、ナユタが止める。
「君のせいじゃないさ、ボクの不注意だ。ごめんね」
そう言われては、サーヤは何も言えなかった。それで、とマシューが間に入る。
「地上から来たって、本当?」
「――――ああ、本当さ」
ナユタは本当にあっさりと頷いた。ジゼルが得意げに胸を張る。
「やっぱ地上って存在するんすねえ」
「じゃあ、何で雲上まで来たんだ? 地上の話は、こっちではほとんど言い伝えられてないけど、行き帰りができるなんてもっと聞いたことがない」
リアムがそう問う。ナユタは困ったように頬を掻いた。
「それは、……」
沈黙。しばらく言葉を探して、ナユタはこういった。
「君たちは、勝ったからじゃないかな」
「勝った……?」
シーアのつぶやきに反応して、ナユタは語り始める。要約すると、こうだ。
かつて。大きな争いがあった。争いの種は――――地上の食糧難。地上から争いを仕掛けたが、地上と雲上では技術の差も大きく、また土地の高さが功を成したか、雲上の人々は抵抗として地上を焼いた。
そのため、地上の……ナユタの先祖たちは、互いを行き来するための道を封鎖した。そうして時は過ぎ去り、――――気づけばその歴史は忘れ去られ……今に至る。
「地上では雲上には近づかないほうがいいってことになってるんだ。恐ろしい目にあうから、って。過度に高い建物を作るのも禁止されているね。僕がこういう歴史に詳しいのは、たまたま僕が鍵を守る種族だったからだ」
「鍵を守る種族?」
「雲上と地上の鍵を、ね」
聞いたこともない話だった。唖然としているシーアたちを置いて、ナユタは続ける。
「地上の技術も発達している。雲上を焼くための計画がひそかに進められていて、ボクはそれが嫌だったから、記録をすべて燃やして逃げてきたんだ。――――復讐のための争いなんて無意味だ」
だから、と一呼吸おいてナユタは言う。
「地上に行く、なんて、馬鹿なことを考えるのはやめたほうがいいよ」
ナユタはそう言って、それじゃあ、と去って行った。
「なんか……とんでもない話だったな」
「聞いてよかったのかな」
「少なくとも、好奇心は満たされたっすね」
「そりゃ良かった」
シーアとサーヤは目を合わせた。お互いが懐に入れていた鍵のレプリカを取り出す。
「――――地上、ねえ」
言葉は見つからなかった。少なくとも今、彼の言葉が確かなことだけはなんとなく感じていて、不穏な空気を振り払うように首を横に振った。
*
「お兄さん。何してるの」
その陰で。イズミは不審な動きをする男性に声を掛けた。
「うわっ、びっくりした。いやちょっと、見てくださいよ!」
イズミがその人の視線の先、手元を辿る。――――虫?
「俺、コイツの研究者だったんすけど……久々に飛んでるのを見てしまって。ここって、騎士学校の敷地内でしたっけ、すみません!」
「ああ、なるほど? じゃあ今回は見逃すけど、次はちゃんと申請してね」
ありがとうございます! 元気に返事をした男性は、そのまま悠々と歩きだした。
「そうだ先生、知ってますか?」
――――こいつ、地上にもいるらしいですよ。高値で売れるんですって。
は、としてイズミが振り返ってももうそいつはいなくて、逃がしたか、と一人舌打ちをする。彼がしゃがんでいた場所に行けばシーアたちの声が聞こえた。どうやら手を打つのが遅かったようだ。
「こら、君たち~! もうそろそろ昼休み終わるよ~」
イズミが声を掛ければ慌てたように返事が返ってくる。どうしようもなく嫌な予感を抱えながら、午後の授業の準備に取り掛かるのだった。
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#ふたつの翼、ひとつの空
7話 6357文字
その日の夜、なんだか寝付けなくてサーヤはそっと部屋を抜け出した。シーアは一度寝たらそう簡単には起きない。食堂で少し水を飲んで、また寝よう。
食堂まで向かえば、珍しく先客がいるようで、明かりがついていた。そういえば、今日は寮母さんの代わりにヴェルタ先生が入っていた。なんでも、睡眠がおろそかになりがちだからと無理矢理入れられることがあるらしい。お恥ずかしい、困ったものです、とヴェルタ先生は笑っていた。
ヴェルタ先生が眠れずにいるのかもしれない。こんこん、軽くノックをして、食堂に入る。
そこに居たのは、予想通り、ヴェルタ先生と、ナユタだった。きょとん、とした顔で二人はこちらを見る。
「サーヤさん。どうしましたか、こんな時間に」
「こちらのセリフですが……」
机の上には紙が散らばっていた。その横に、制服らしき衣服がちょこん。机を追いやられるように置かれていた。
「ああ……、制服が届いたのと、勉学が遅れているから教えてくれとナユタさんから希望がありましてね。あら? いけない、もうこんな時間ですか」
ヴェルタ先生は時計を見て、慌てて紙を整理しだした。
「ナユタさん、続きはまた学校で。大丈夫、あなたは賢いから、すぐに慣れるわ」
「はい、ありがとうございます」
ナユタもそれを整理するのを手伝い始めたので、流れでサーヤもお手伝いをすることにした。
「あ、これ」
ぱっと手に取ったそこに書かれていたのは古代文字だった。たどたどしく書かれた古代文字がいくつか。文章を紡ぐのにも慣れたように紡がれている古代文字がいくつか。サーヤには読めないが、二人には読めるのだろうか。
「ああ、授業でも少しお話しましたが……。興味深く聞いてくれるので、楽しくなってしまって。悪い癖です」
お恥ずかしい、と笑いながら、彼女は頬をかいた。
「これ、なんて書いてあるんですか?」
ヴェルタ先生にそう聞けば、彼女は少し固まる。隣からナユタが声を掛けた。
「風の誓約の日に使う祈りの言葉なんだって先程先生が仰られたよ。風の誓約の日って、君も経験があるの?」
なるほど。頷いてから、サーヤは答えた。
「あるよ。もう、大変だったんだから……」
そう言ってから、気づく。騎士学校に入ったとはいえ、彼は風の誓約の日を経験していない。
「先生、ナユタさんのウィンドグライダーって、どういう扱いになるんですか?」
「ああ、ええと、風の誓約の日に風翼の誓いを結べなかった生徒と同じ扱いになりますね。簡単に言うと、補習みたいな感じで。またフェリシアさんにお願いしないといけませんね」
そのままの話の流れてで、そういえばサーヤさんはどうして食堂に? と、ヴェルタ先生は改めてサーヤに聞いた。眠れなかったのでなにか飲もうと思って、と答えれば、なるほど、と納得したようだった。
散らばっていた紙たちを整理して、よいしょ、と抱える。
「じゃあ、お二人も早く眠られてくださいね。私も早く眠らないと怒られちゃうわ」
にこ、と微笑んで、ヴェルタ先生は部屋を出ていった。
「……きみも、寝れそう?」
サーヤはなんとなくナユタに声をかけた。
「うーん、慣れない土地では眠りづらいね」
困ったような返答が返ってきた。サーヤは、彼の分の水も汲んで渡した。ありがとう、と返答が返ってきた。
それからしばらく静かな時間が続いた。サーヤにとっては、聞きたいことは沢山あったが、聞いていいのか分からなくて思案している時間だった。
「何も聞かないの?」
座ったままのナユタが言った。
「聞いていいの?」
サーヤが言った言葉に、失言だったと気付いたのか、ナユタは困った顔をした。
「聞いて欲しくないなら聞かないよ」
ナユタはさらに困ったといったふうに頭をかいて、思考を巡らせ始めた。沈黙。
「……、人と関わるのは難しいね」
沈黙の末、ナユタはそう言った。
「ボクは今まで、本当に、人と関わってこなかったから。人と話す、ということそのものに戸惑っているんだ」
多分ね、と付け加えてナユタが話す。
「それは、聞いてもいいやつ?」
「うーん、多分、聞いて欲しいやつ」
サーヤが聞けば、そう答えが返ってくる。ならいいか、とサーヤは椅子を引いて座った。
「……、サーヤさん、ボクは、雲の下から来たんだよ」
少し視線を彷徨わせてから、意を決したように、ナユタはそう言った。サーヤは、少し目を開いて、続きを促した。
「ボクも……、こんなふうになるとは思っていなかったけれどね。この風向きが悪いようには感じないんだ」
少し寂しくはあるけれどね。しばしの沈黙。サーヤはちょっとの間悩んでから、結局、聞きたいことを聞くことにした。
「雲の下には、どんな世界が広がってるの?」
ナユタは思い出すように目を細めた。
「うーん、でも、想像通りかな。陽の光の当たらない、真っ暗な土地さ。その分、人工の灯りがよく映えて綺麗なんだよ」
「……じゃあ、どうして雲の上まで?」
ナユタは再び困った顔をした。そうして、なにか言葉を探すように悩んでから、こう言った。
「地上は、ボクには合わなかったんだよ」
そうして、サーヤに目を合わせて、さらに言葉を重ねる。
「あそこには、きっとここの誰もが行かない方がいい」
サーヤは何も言えなくなった。そんなサーヤにふと微笑んで、ナユタは立ち上がる。
「もう遅いから眠ろう。きっとまた話す時が来るさ」
おやすみ、と出て行ったナユタをなんとなく引き止められなくて、サーヤも仕方なく部屋に戻ることにした。
*
次の日。寝ぼけ眼を擦ってサーヤは目を覚ました。シーアはまだ寝ている。いつも通りの時間だ。
ナユタの言葉を思い出す。わくわくでどきどきの大冒険を想像していたが、彼の言葉は重かった。きっとそれだけではないのだろう。
あの雲の下に、行けるとしたら。
父や祖父母へののお土産話には大きすぎる大冒険が、待っているのかもしれない。
それだけではないとしても、好奇心が駆り立てられて抑えられなかった。
シーアであれば。
シーアであれば、どうしただろうか。
なんとなく誰かに話すのは憚られる気がして、サーヤはぼうっと彼の言葉を思い返すことしか出来なかった。
そんなタイミングで、目指し時計が鳴る。シーアが起きる時間だ。
「んん……、うるさあい」
バチン。目指し時計を勢いよく止めて、いつも通りシーアは二度寝をしようとした。
「シーア、起きて」
「んえ〜ん……」
布団を剥がせば、渋々とシーアは目を覚ます。目を覚まして、ぱちぱちと瞬きをして、サーヤと目を合わせた。
「あんま眠れなかった?」
「えっ」
なんで。なんとなく。ふああ、と大きく欠伸をして、そのままシーアは顔を洗いに行った。
いつも通りシーアの髪を結う準備をしながら、サーヤはぼんやりと考える。
シーアになら、話しても良いかもしれない。ナユタへの言い訳を心の中で述べながら、顔を洗って戻ってきたシーアに声を掛けた。
「シーア、あのね……」
*
「それってとんでもないことじゃないの!?」
朝の寮にシーアの声はよく響いた。
「シ、シーア、声がでかい!」
「あら、ごめんなさい」
慌ててシーアは声を小さくしたが、それでも興奮は抑えられないようだった。
「でも、だって、それって確かに雲の下の世界があるってことでしょ」
「うん……」
「鍵の伝説も本当なのかしら」
「どうだろう、そこまでは聞けなかったな」
ふうん、とシーアは少し考え込んだ。そうして、サーヤに向き直って、
「これは私たちだけの秘密にしましょ。間違ってもアイツらには教えてやんないんだから!」
「うーん、そうだね。そもそもあんまり勝手に話すようなことじゃないし……」
「そうそう。それに、アイツら最近隠し事が多いのよ、全く……」
同じようなこと隠してたりしてないかしらね。そう言うシーアはもう冒険のことで頭がいっぱいらしかった。
「でも、地上には行かない方がいいって言ってたよ」
「そうねえ、それについては、機を伺って問いただしましょ。気になるもの」
「問いただす……かはさておき、気になるのには同意だな」
シーアとサーヤは目を合わせて頷いた。それから、シーアは何かを思い出したように慌てて自分の荷物を漁り始めた。
「そうだ、これ、サーヤにあげるわ!」
そう言って取り出したのは、入寮の時に売店で見かけた風の鍵のレプリカだった。
「最近の頑張りのおかげで、無事お小遣いが目標まで届いたのよ! だからこれは私からの入学祝い。自分の分も買ってるから安心して受け取りなさいね」
シーアはとても嬉しそうだった。サーヤは、ありがとう、と受け取って、少し悩んで、こう言った。
「シーア、ぼく、出来れば一緒に頑張りたかったよ」
シーアは少しきょとんとした。そうして、少しばつが悪そうな顔をした。
「あー……。そ、そうよね! ごめんなさい、私、これが早く欲しくて……」
もう少し待つべきだったわね、とシーアは言った。そうじゃない。
「ぼく、ちゃんと体力もついたし、昔の弱い身体のままじゃないもん。それに、ちゃんと自分で体調の管理くらいできるよ」
シーアは困った顔をした。
「それは、知っているけれど……」
少し悩んで、シーアは言葉を重ねた。
「それでもなんだか心配だったのよ、ただそれだけで」
言い訳だ、とシーアは思った。でもそれ以上に言葉が浮かばなくて困ってしまった。
「ぼくのこと、もっと信頼してほしいよ、シーア」
サーヤはなんだかむっとして、少し語気を強めてそう言った。シーアは何も言えなかった。何も言わなかった。それが更に良くなくて、サーヤは先に外に出ることにした。お互いに、冷静になるべきだと思った。
シーアは、自分の手元にある鍵と、静かに閉められた扉の先を交互に見て、なんだか少し途方に暮れてしまった。
*
サーヤが寮の外に出て、一人で学校に向かっていると、リアムとマシューにバッタリと出会った。
「おはよう、サーヤさん」
「はよ。シーアは?」
「おはよう。別に、いつも一緒じゃないもん」
自分でも分かるような、拗ねたような口調だった。リアムとマシューは顔を見合せた。
「……あ、俺、ペンケース忘れたかも」
リアムが唐突にそんなことを言った。マシューもサーヤもきょとんとしたが、マシューがそれに乗っかった。
「じゃあ、取りに戻らないと。今からならまだギリギリ間に合うよ」
「おー、走るわ。んじゃ」
行ってらっしゃい。マシューがそれを見送って、じゃあ行こっか、とサーヤを促した。
気を使われているのが分かって、なんだかそれが情けなかった。
「大丈夫だよ」
唐突にマシューが言った。サーヤに目を合わせて、彼は笑った。
「僕もリアムも好きでやってるから」
それに、と付け加える。
「すぐ仲直りするでしょ。いつもみたいに」
シーアさんもちゃんと考える人だから、大丈夫だよ。マシューはそれだけ言って、いつも通り雑談を始めた。
それに少し安心したのと同時に、無くしていた冷静さが戻ってきた気がした。
*
「あ」
「おっ、舎弟」
マシューとサーヤが見えなくなったあたりで、リアムは足を止めてシーアを待つことにした。そこで、登校中のジゼルと鉢合わせた。
「何してんすか、こんなとこで立ち止まって」
「別に関係ねえだろ」
「授業に遅れるっすよ〜」
「そうなったら走るって」
ふうん。不審そうに頭からつま先までじろじろと見たジゼルは、特に変わった点が見つけられなくて首を傾げた。
「えー。やっぱなんかあったんすか?」
「なんもねえって」
「嘘だ〜」
こいつが居るとややこしくなる、と判断したリアムは断固として教えたくはなかったが、ジゼルもその身を引かなかった。
むむむ。睨み合いっ子をしていると、後ろからシーアに声をかけられた。
「なにしてんの」
「げ」
「あ」
「げって何よ」
一人で登校しているシーアに、ジゼルは納得したような顔をした。リアムはなんだかばつが悪くて目を逸らした。
「あんた、喧嘩でもしたんすか」
「うるさいわね」
「だから心配して待ってたんだ!」
ジゼルがリアムを指さしてそう言った。全力で揶揄っている。
「うるせーよ! そんなんじゃねえって」
「ほんとすか? どう考えたってそんなんでしょ」
「ちげーって、ああもう!」
てんやわんやだった。シーアもぱちくりと目を丸くしている。リアムは時計を見るふりをした。
「急ぐぞ、授業が始まるから!」
「誤魔化しっすかあ!?」
「うるせえってお前なあ!」
やいのやいの。騒がしく道を走り出した二人に釣られてシーアも慌てて走り出した。
いつも二人の通学が、一人じゃなくて少しだけ安心していた。
*
最後の授業はイズミ先生の剣術だった。タイミングの悪いことに、二人一組でそれぞれ戦ってみる、という内容だった。
更に、シーアとサーヤはペアだった。間が悪い。気まずいったらありゃしないしない。たどたどしく礼をして、武器を構える。相手の生徒もそれぞれ武器を構え、先生の合図で訓練が始まった。
シーアが双剣で突っ込んでいく。突っ込まれた生徒はそれを避けて槍でシーアを吹き飛ばした。
それに追い討ちをかけようとしたもう片方の生徒の双剣をサーヤが盾で受け止めた。
その影からシーアが飛び出て迎撃し、一人落とし、二人落とした。
笛の音が鳴る。礼をして、二人目を合わせ、拳を合わせて、気付く。
そうだ、今、喧嘩してたんだった!
慌てて目を逸らしたシーアを見てサーヤなんだかおかしくなって笑ってしまった。
それを見てシーアはしばらく拗ねたような顔を作ったが、それもなんだかおかしくて、そのうち二人で笑い始めた。なんだか全部がおかしかった。
リアムとマシューは、それを見て少し安心したように顔を見合せた。世話のやける奴らだな、とリアムが言ったのに、どの口が、とジゼルが突っ込んで、こっちも騒がしくなる。
最後に、仲が良いのは良いことだけど、授業はちゃんと受けてね、とイズミ先生に名指しで注意をされて、少し恥ずかしい思いをしながら、その日の授業は終わっていった。
*
「サーヤ」
放課後。シーアはサーヤに声を掛けた。
「ごめんなさい、私、反省したわ。信頼してない訳じゃないつもりだったの、本当よ」
困ったようにシーアは目線をうろつかせる。
「いいよ、シーア」
そんなつもりじゃなかったことなんて、とっくに知っていた。分かっていて、拗ねたかったから、拗ねた。シーアは頷いて、言葉を続けた。
「でも、これからは信頼できるように努めるわ。今のサーヤは今のサーヤだもの」
サーヤも頷いた。
「帰ろう。今日は私も売店のお手伝いしちゃおうかな」
「良いと思うわ、私、随分慣れたのよ! 教えてあげるから一緒に頑張りましょ」
そう笑って、扉を開ける。帰路に着く。
色んなことがあるけれど、その日も、穏やかな日常の延長線で、二人がその事実になんだか少しだけ、安心しているのも事実だった。
*
「では、風の鍵は封印してきたのですね?」
ジゼルが校内をふらついていると、そんな声が聞こえた。彼はその身に染み着いた気配を隠す術をフル活用して、その会話を聞くことにした。
「はい。地上にとっても、ここ、雲上にとっても、その方が良いかと思いまして」
会話の相手はナユタだった。地上。地上って言ったか、今。じ、と息を殺して会話に集中する。
「ジゼル?」
「うわっ」
声を掛けてきたのはイズミ先生だった。何してるの、と怪しむ視線にべ、と舌をだす。
「なんもしてないすよ、ほんとほんと」
「……まあ、信じるけれど」
この先生もなんだかんだお人好しだな。そんなことを思いながら、そそくさとその場を去った。
地上。やっぱりこの雲の下には、大きななにかが隠れている!
リアムたちにも教えてやろう。そんなことを考えながら、上機嫌でジゼルも帰路に着いた。
その傍ら、イズミ先生と、音に気付いて出てきたヴェルタ先生は困った顔をしていた。
「隠し通すのは難しいかもしれないね」
「そうですね……」
ナユタは、なにか、とんでもないことが起きる前のような風向きを感じて不安になった。
刻一刻と嵐は近付いている。
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7話 6357文字
その日の夜、なんだか寝付けなくてサーヤはそっと部屋を抜け出した。シーアは一度寝たらそう簡単には起きない。食堂で少し水を飲んで、また寝よう。
食堂まで向かえば、珍しく先客がいるようで、明かりがついていた。そういえば、今日は寮母さんの代わりにヴェルタ先生が入っていた。なんでも、睡眠がおろそかになりがちだからと無理矢理入れられることがあるらしい。お恥ずかしい、困ったものです、とヴェルタ先生は笑っていた。
ヴェルタ先生が眠れずにいるのかもしれない。こんこん、軽くノックをして、食堂に入る。
そこに居たのは、予想通り、ヴェルタ先生と、ナユタだった。きょとん、とした顔で二人はこちらを見る。
「サーヤさん。どうしましたか、こんな時間に」
「こちらのセリフですが……」
机の上には紙が散らばっていた。その横に、制服らしき衣服がちょこん。机を追いやられるように置かれていた。
「ああ……、制服が届いたのと、勉学が遅れているから教えてくれとナユタさんから希望がありましてね。あら? いけない、もうこんな時間ですか」
ヴェルタ先生は時計を見て、慌てて紙を整理しだした。
「ナユタさん、続きはまた学校で。大丈夫、あなたは賢いから、すぐに慣れるわ」
「はい、ありがとうございます」
ナユタもそれを整理するのを手伝い始めたので、流れでサーヤもお手伝いをすることにした。
「あ、これ」
ぱっと手に取ったそこに書かれていたのは古代文字だった。たどたどしく書かれた古代文字がいくつか。文章を紡ぐのにも慣れたように紡がれている古代文字がいくつか。サーヤには読めないが、二人には読めるのだろうか。
「ああ、授業でも少しお話しましたが……。興味深く聞いてくれるので、楽しくなってしまって。悪い癖です」
お恥ずかしい、と笑いながら、彼女は頬をかいた。
「これ、なんて書いてあるんですか?」
ヴェルタ先生にそう聞けば、彼女は少し固まる。隣からナユタが声を掛けた。
「風の誓約の日に使う祈りの言葉なんだって先程先生が仰られたよ。風の誓約の日って、君も経験があるの?」
なるほど。頷いてから、サーヤは答えた。
「あるよ。もう、大変だったんだから……」
そう言ってから、気づく。騎士学校に入ったとはいえ、彼は風の誓約の日を経験していない。
「先生、ナユタさんのウィンドグライダーって、どういう扱いになるんですか?」
「ああ、ええと、風の誓約の日に風翼の誓いを結べなかった生徒と同じ扱いになりますね。簡単に言うと、補習みたいな感じで。またフェリシアさんにお願いしないといけませんね」
そのままの話の流れてで、そういえばサーヤさんはどうして食堂に? と、ヴェルタ先生は改めてサーヤに聞いた。眠れなかったのでなにか飲もうと思って、と答えれば、なるほど、と納得したようだった。
散らばっていた紙たちを整理して、よいしょ、と抱える。
「じゃあ、お二人も早く眠られてくださいね。私も早く眠らないと怒られちゃうわ」
にこ、と微笑んで、ヴェルタ先生は部屋を出ていった。
「……きみも、寝れそう?」
サーヤはなんとなくナユタに声をかけた。
「うーん、慣れない土地では眠りづらいね」
困ったような返答が返ってきた。サーヤは、彼の分の水も汲んで渡した。ありがとう、と返答が返ってきた。
それからしばらく静かな時間が続いた。サーヤにとっては、聞きたいことは沢山あったが、聞いていいのか分からなくて思案している時間だった。
「何も聞かないの?」
座ったままのナユタが言った。
「聞いていいの?」
サーヤが言った言葉に、失言だったと気付いたのか、ナユタは困った顔をした。
「聞いて欲しくないなら聞かないよ」
ナユタはさらに困ったといったふうに頭をかいて、思考を巡らせ始めた。沈黙。
「……、人と関わるのは難しいね」
沈黙の末、ナユタはそう言った。
「ボクは今まで、本当に、人と関わってこなかったから。人と話す、ということそのものに戸惑っているんだ」
多分ね、と付け加えてナユタが話す。
「それは、聞いてもいいやつ?」
「うーん、多分、聞いて欲しいやつ」
サーヤが聞けば、そう答えが返ってくる。ならいいか、とサーヤは椅子を引いて座った。
「……、サーヤさん、ボクは、雲の下から来たんだよ」
少し視線を彷徨わせてから、意を決したように、ナユタはそう言った。サーヤは、少し目を開いて、続きを促した。
「ボクも……、こんなふうになるとは思っていなかったけれどね。この風向きが悪いようには感じないんだ」
少し寂しくはあるけれどね。しばしの沈黙。サーヤはちょっとの間悩んでから、結局、聞きたいことを聞くことにした。
「雲の下には、どんな世界が広がってるの?」
ナユタは思い出すように目を細めた。
「うーん、でも、想像通りかな。陽の光の当たらない、真っ暗な土地さ。その分、人工の灯りがよく映えて綺麗なんだよ」
「……じゃあ、どうして雲の上まで?」
ナユタは再び困った顔をした。そうして、なにか言葉を探すように悩んでから、こう言った。
「地上は、ボクには合わなかったんだよ」
そうして、サーヤに目を合わせて、さらに言葉を重ねる。
「あそこには、きっとここの誰もが行かない方がいい」
サーヤは何も言えなくなった。そんなサーヤにふと微笑んで、ナユタは立ち上がる。
「もう遅いから眠ろう。きっとまた話す時が来るさ」
おやすみ、と出て行ったナユタをなんとなく引き止められなくて、サーヤも仕方なく部屋に戻ることにした。
*
次の日。寝ぼけ眼を擦ってサーヤは目を覚ました。シーアはまだ寝ている。いつも通りの時間だ。
ナユタの言葉を思い出す。わくわくでどきどきの大冒険を想像していたが、彼の言葉は重かった。きっとそれだけではないのだろう。
あの雲の下に、行けるとしたら。
父や祖父母へののお土産話には大きすぎる大冒険が、待っているのかもしれない。
それだけではないとしても、好奇心が駆り立てられて抑えられなかった。
シーアであれば。
シーアであれば、どうしただろうか。
なんとなく誰かに話すのは憚られる気がして、サーヤはぼうっと彼の言葉を思い返すことしか出来なかった。
そんなタイミングで、目指し時計が鳴る。シーアが起きる時間だ。
「んん……、うるさあい」
バチン。目指し時計を勢いよく止めて、いつも通りシーアは二度寝をしようとした。
「シーア、起きて」
「んえ〜ん……」
布団を剥がせば、渋々とシーアは目を覚ます。目を覚まして、ぱちぱちと瞬きをして、サーヤと目を合わせた。
「あんま眠れなかった?」
「えっ」
なんで。なんとなく。ふああ、と大きく欠伸をして、そのままシーアは顔を洗いに行った。
いつも通りシーアの髪を結う準備をしながら、サーヤはぼんやりと考える。
シーアになら、話しても良いかもしれない。ナユタへの言い訳を心の中で述べながら、顔を洗って戻ってきたシーアに声を掛けた。
「シーア、あのね……」
*
「それってとんでもないことじゃないの!?」
朝の寮にシーアの声はよく響いた。
「シ、シーア、声がでかい!」
「あら、ごめんなさい」
慌ててシーアは声を小さくしたが、それでも興奮は抑えられないようだった。
「でも、だって、それって確かに雲の下の世界があるってことでしょ」
「うん……」
「鍵の伝説も本当なのかしら」
「どうだろう、そこまでは聞けなかったな」
ふうん、とシーアは少し考え込んだ。そうして、サーヤに向き直って、
「これは私たちだけの秘密にしましょ。間違ってもアイツらには教えてやんないんだから!」
「うーん、そうだね。そもそもあんまり勝手に話すようなことじゃないし……」
「そうそう。それに、アイツら最近隠し事が多いのよ、全く……」
同じようなこと隠してたりしてないかしらね。そう言うシーアはもう冒険のことで頭がいっぱいらしかった。
「でも、地上には行かない方がいいって言ってたよ」
「そうねえ、それについては、機を伺って問いただしましょ。気になるもの」
「問いただす……かはさておき、気になるのには同意だな」
シーアとサーヤは目を合わせて頷いた。それから、シーアは何かを思い出したように慌てて自分の荷物を漁り始めた。
「そうだ、これ、サーヤにあげるわ!」
そう言って取り出したのは、入寮の時に売店で見かけた風の鍵のレプリカだった。
「最近の頑張りのおかげで、無事お小遣いが目標まで届いたのよ! だからこれは私からの入学祝い。自分の分も買ってるから安心して受け取りなさいね」
シーアはとても嬉しそうだった。サーヤは、ありがとう、と受け取って、少し悩んで、こう言った。
「シーア、ぼく、出来れば一緒に頑張りたかったよ」
シーアは少しきょとんとした。そうして、少しばつが悪そうな顔をした。
「あー……。そ、そうよね! ごめんなさい、私、これが早く欲しくて……」
もう少し待つべきだったわね、とシーアは言った。そうじゃない。
「ぼく、ちゃんと体力もついたし、昔の弱い身体のままじゃないもん。それに、ちゃんと自分で体調の管理くらいできるよ」
シーアは困った顔をした。
「それは、知っているけれど……」
少し悩んで、シーアは言葉を重ねた。
「それでもなんだか心配だったのよ、ただそれだけで」
言い訳だ、とシーアは思った。でもそれ以上に言葉が浮かばなくて困ってしまった。
「ぼくのこと、もっと信頼してほしいよ、シーア」
サーヤはなんだかむっとして、少し語気を強めてそう言った。シーアは何も言えなかった。何も言わなかった。それが更に良くなくて、サーヤは先に外に出ることにした。お互いに、冷静になるべきだと思った。
シーアは、自分の手元にある鍵と、静かに閉められた扉の先を交互に見て、なんだか少し途方に暮れてしまった。
*
サーヤが寮の外に出て、一人で学校に向かっていると、リアムとマシューにバッタリと出会った。
「おはよう、サーヤさん」
「はよ。シーアは?」
「おはよう。別に、いつも一緒じゃないもん」
自分でも分かるような、拗ねたような口調だった。リアムとマシューは顔を見合せた。
「……あ、俺、ペンケース忘れたかも」
リアムが唐突にそんなことを言った。マシューもサーヤもきょとんとしたが、マシューがそれに乗っかった。
「じゃあ、取りに戻らないと。今からならまだギリギリ間に合うよ」
「おー、走るわ。んじゃ」
行ってらっしゃい。マシューがそれを見送って、じゃあ行こっか、とサーヤを促した。
気を使われているのが分かって、なんだかそれが情けなかった。
「大丈夫だよ」
唐突にマシューが言った。サーヤに目を合わせて、彼は笑った。
「僕もリアムも好きでやってるから」
それに、と付け加える。
「すぐ仲直りするでしょ。いつもみたいに」
シーアさんもちゃんと考える人だから、大丈夫だよ。マシューはそれだけ言って、いつも通り雑談を始めた。
それに少し安心したのと同時に、無くしていた冷静さが戻ってきた気がした。
*
「あ」
「おっ、舎弟」
マシューとサーヤが見えなくなったあたりで、リアムは足を止めてシーアを待つことにした。そこで、登校中のジゼルと鉢合わせた。
「何してんすか、こんなとこで立ち止まって」
「別に関係ねえだろ」
「授業に遅れるっすよ〜」
「そうなったら走るって」
ふうん。不審そうに頭からつま先までじろじろと見たジゼルは、特に変わった点が見つけられなくて首を傾げた。
「えー。やっぱなんかあったんすか?」
「なんもねえって」
「嘘だ〜」
こいつが居るとややこしくなる、と判断したリアムは断固として教えたくはなかったが、ジゼルもその身を引かなかった。
むむむ。睨み合いっ子をしていると、後ろからシーアに声をかけられた。
「なにしてんの」
「げ」
「あ」
「げって何よ」
一人で登校しているシーアに、ジゼルは納得したような顔をした。リアムはなんだかばつが悪くて目を逸らした。
「あんた、喧嘩でもしたんすか」
「うるさいわね」
「だから心配して待ってたんだ!」
ジゼルがリアムを指さしてそう言った。全力で揶揄っている。
「うるせーよ! そんなんじゃねえって」
「ほんとすか? どう考えたってそんなんでしょ」
「ちげーって、ああもう!」
てんやわんやだった。シーアもぱちくりと目を丸くしている。リアムは時計を見るふりをした。
「急ぐぞ、授業が始まるから!」
「誤魔化しっすかあ!?」
「うるせえってお前なあ!」
やいのやいの。騒がしく道を走り出した二人に釣られてシーアも慌てて走り出した。
いつも二人の通学が、一人じゃなくて少しだけ安心していた。
*
最後の授業はイズミ先生の剣術だった。タイミングの悪いことに、二人一組でそれぞれ戦ってみる、という内容だった。
更に、シーアとサーヤはペアだった。間が悪い。気まずいったらありゃしないしない。たどたどしく礼をして、武器を構える。相手の生徒もそれぞれ武器を構え、先生の合図で訓練が始まった。
シーアが双剣で突っ込んでいく。突っ込まれた生徒はそれを避けて槍でシーアを吹き飛ばした。
それに追い討ちをかけようとしたもう片方の生徒の双剣をサーヤが盾で受け止めた。
その影からシーアが飛び出て迎撃し、一人落とし、二人落とした。
笛の音が鳴る。礼をして、二人目を合わせ、拳を合わせて、気付く。
そうだ、今、喧嘩してたんだった!
慌てて目を逸らしたシーアを見てサーヤなんだかおかしくなって笑ってしまった。
それを見てシーアはしばらく拗ねたような顔を作ったが、それもなんだかおかしくて、そのうち二人で笑い始めた。なんだか全部がおかしかった。
リアムとマシューは、それを見て少し安心したように顔を見合せた。世話のやける奴らだな、とリアムが言ったのに、どの口が、とジゼルが突っ込んで、こっちも騒がしくなる。
最後に、仲が良いのは良いことだけど、授業はちゃんと受けてね、とイズミ先生に名指しで注意をされて、少し恥ずかしい思いをしながら、その日の授業は終わっていった。
*
「サーヤ」
放課後。シーアはサーヤに声を掛けた。
「ごめんなさい、私、反省したわ。信頼してない訳じゃないつもりだったの、本当よ」
困ったようにシーアは目線をうろつかせる。
「いいよ、シーア」
そんなつもりじゃなかったことなんて、とっくに知っていた。分かっていて、拗ねたかったから、拗ねた。シーアは頷いて、言葉を続けた。
「でも、これからは信頼できるように努めるわ。今のサーヤは今のサーヤだもの」
サーヤも頷いた。
「帰ろう。今日は私も売店のお手伝いしちゃおうかな」
「良いと思うわ、私、随分慣れたのよ! 教えてあげるから一緒に頑張りましょ」
そう笑って、扉を開ける。帰路に着く。
色んなことがあるけれど、その日も、穏やかな日常の延長線で、二人がその事実になんだか少しだけ、安心しているのも事実だった。
*
「では、風の鍵は封印してきたのですね?」
ジゼルが校内をふらついていると、そんな声が聞こえた。彼はその身に染み着いた気配を隠す術をフル活用して、その会話を聞くことにした。
「はい。地上にとっても、ここ、雲上にとっても、その方が良いかと思いまして」
会話の相手はナユタだった。地上。地上って言ったか、今。じ、と息を殺して会話に集中する。
「ジゼル?」
「うわっ」
声を掛けてきたのはイズミ先生だった。何してるの、と怪しむ視線にべ、と舌をだす。
「なんもしてないすよ、ほんとほんと」
「……まあ、信じるけれど」
この先生もなんだかんだお人好しだな。そんなことを思いながら、そそくさとその場を去った。
地上。やっぱりこの雲の下には、大きななにかが隠れている!
リアムたちにも教えてやろう。そんなことを考えながら、上機嫌でジゼルも帰路に着いた。
その傍ら、イズミ先生と、音に気付いて出てきたヴェルタ先生は困った顔をしていた。
「隠し通すのは難しいかもしれないね」
「そうですね……」
ナユタは、なにか、とんでもないことが起きる前のような風向きを感じて不安になった。
刻一刻と嵐は近付いている。
畳む
#ふたつの翼、ひとつの空
6話 5451文字
「それでは、ホームルームを始めるよ~」
今日も今日とて、学校が始まる。イズミ先生が教卓に出席簿を置いた。かたん、音が鳴る。
「今日は……、ていうか、ついこの間ジゼルが来たばかりだけど、今日もまた、転入生を紹介します」
ざわめきが広がる。イズミ先生は、おいで~、と教室の外に声を掛けた。がらり。入ってきた中世的な見た目のその人は、どこか古びた布地の服をまとった、いかにも旅人といった風貌をしていた。
「先日、王都セレスティアの入り口近くで倒れていたところを僕たちが保護しました。ええと、簡単に言うと、記憶がないんだってさ。まだ子供だし、というヴェルタ先生の意向で、騎士学校が保護することになったの」
よろしくね、とイズミ先生は生徒たちにウィンクを飛ばした。転入生は、一つ丁寧に頭を下げた。
「ナユタです。記憶がないのは確かだけど、名前がないのも不便なので、ひとまず、そう呼んでもらえると嬉しいです。よろしく」
どこかぎこちない発音で挨拶した彼を空いている席に座らせ、先生は補足した。
「急なことで彼は制服が用意できてないんだ、ジゼル。君はもう少しちゃんと制服を着ること」
へいへい、と聞き流したジゼルにため息をついて、そのままホームルームは続く。
いつも通り、時間ぴったりでそれは終わった。ちら、とナユタの方を盗み見る。ナユタは背筋を伸ばしてまっすぐ前を向いていた。どこの島から来たんだろう。なんで倒れていたんだろう。生徒たちの好奇心は尽きることなく、浮ついた空気のまま授業は始まった。
*
「さて、ちゃんと時間通り集まったね、よしよし。ここ数週間で散々基礎はやったから、そろそろ飽きてくる頃だろうし……。今日は実際に、それぞれの武器との適性を見ていこうと思います!」
わあっ、と声が上がる。シーアも楽しみにしていた授業だったので、不安そうなサーヤの隣でシーアは大はしゃぎだった。
「ふふ。いいかい、これは人を殺せる武器だからね。真面目に授業を受け、人を守るために使うこと。覚えておいて」
生徒たちの様子を満足気に眺めてから、イズミ先生は釘を刺すことも忘れない。はーい、とみんな揃って返事をすれば、先生は手元に武器を模したおもちゃを出現させた。
「おもちゃだからといって人を傷つけないわけではないから、今日は一人ずつ先生と戦ってもらいます。剣道場にいるからわかってると思うけど、陸の上での戦いをイメージしてね」
空中戦はティア先生の許可が出てからね。そんな先生の言葉に、心なしかリアムが胸を撫で下ろした気がした。
「でも先生、先生も危ねえんじゃねえの? 先生がそんな強そうには見えないし……」
一人の生徒がそう発言した。イズミ先生はそれを笑い飛ばして、
「あまり先生を舐めない方がいいよ~。じゃあ君からやってみる?」
そうして、模擬戦が開始された。
*
ダン。硬い音がして生徒が投げ飛ばされた。次いで、はい終わり、とイズミ先生の声。
「君は双剣が合ってるかもしれないね~」
呑気な先生は沢山の生徒を相手しているにも関わらず息ひとつ上げておらず、床に手を付きぜえぜえと息をする生徒たちは彼の実力を思い知らされるばかりだった。
なんとか礼をして終わった列に戻る。ジゼルは空賊時代と変わらず槍、シーアは生き生きと楽しそうに戦って双剣、サーヤは苦戦を強いられ盾と剣、時々弓もやってみようか、と先生は言った。少し不安だったリアムは平然とそれを乗り越え剣。マシューは危ないところはありつつも盾と槍。
お揃いだな、とジゼルがからかうように言ったのを、マシューは少し嫌そうな顔をして流した。正直なものだ。
「じゃあ最後にナユタ……って言いたいところだけど、君、戦える?」
「ええと……」
クラスメイトの視線が一斉にナユタに集まる。ナユタは少し何事かを考えるように間を開けて、
「多分、剣であれば、それなりに」
と答えた。
ナユタの戦い方は言葉通りそれなりだった。先生ほどではないが生徒たちよりもはるかに上の実力を持っている。覚えてないのにすごいね、と声を掛けたクラスメイトには、体が覚えてるみたいなんだよ、と返答していた。
「あいつ、やるわね」
シーアも悔しげだ。その隣でサーヤは、自分のことなんかよりもシーアが怪我をするんじゃないかと心配していたので、杞憂に終わって安心していた。
「うんうん、これで全員武器が選べたかな。」
次は戦術の授業だから、早めに着替えて移動するように。そうやって授業を締め括ったイズミ先生は、さっさと出した武器たちの片付けを始めた。
なんとなく気になってナユタの方を見れば、ふらりとその場を抜け出しているところだった。
「……ぼく、ちょっとお手洗い行ってくるね」
「あら、行ってらっしゃい」
来たばかりなら、教室のことも分からないだろう。そうやってナユタを案じたサーヤは、その後を追っていくことにした。
*
「ナユタ……さん!」
サーヤが声を掛ければ、あっさりとその彼は振り返り小さく首を傾げた。
「君は……」
「あ、えっと、ぼく、サーヤっていうんだ。」
教室の場所が分からないんじゃないかと思って、と言えば、ああ、とナユタは頷いた。
「それでわざわざ追ってきてくれたのかい? ありがとう、大丈夫だよ。君たちの集まっているところに行けばいいんだろう?」
「そ、そうだけど……。不思議な言い方をするんだね、分かるものなの?」
その言葉に、ナユタは少し戸惑ったようにして、少しなにごとかを悩んでから、言葉を選ぶようにして答えた。
「……風が、教えてくれるんだ。元々そういうのが得意でね。……ええと、みんなは……あんまり、そういう感覚ってないんだっけ」
今度はサーヤが戸惑う番だった。しかし、そんな感覚はサーヤには備わっていないし、他の子達からも聞いたことがない。もし彼が本当にそれができるとしたら、とんでもないことのように思えた。
「……すごいね。少なくともぼくにはできないかな」
「そうか……。」
ナユタはそのまま何かを考え始めてしまったので、サーヤは何を言うか悩んでしまった。
「……それって、ぼくでも、出来るようになる?」
ナユタはそれに不思議そうな顔をした。
「出来るようになりたいの?」
サーヤは咄嗟に出た疑問を口にしただけだったので、気に触ったかと少し慌ててしまった。
「ああ、ええと、違くて……。いや、でも、できるようになりたいって言うか、みんなの役に立ちそうで、いいなって」
「……そうかな」
役に立つ、か。ナユタはそれをもう一度繰り返してから、何かを言いかけて、やめた。その様子に、サーヤは更に慌てて言葉を重ねる。
「ご、ごめん! 好奇心だったんだ。なんか、えっと、もし本当は隠したいことだったらごめんね……」
その様子を見てか、彼は弁明を始めた。
「……ほら、だって、みんなと違うなら普通じゃないだろ。普通と違うのはヘンだ、って」
村の子供たちは、と、そこまで言ってから彼は失言に気付いたようだった。
「……いや、……、……すまない、忘れておくれ」
青ざめてこちらを伺ってくる彼の様子に、なにか事情があるのだろうと汲んだサーヤは、困った顔をしながらも、頷いた。
「……うん、今言ってたことは聞かなかったことにするけど、」
ひとつ呼吸を置いて、
「もし仮に、それ……が、その子たちにとってはヘン? だとしても、ぼくたちがそう思うかどうかは別の問題だよ」
それだけ言ってから、教室の場所を軽く説明して、サーヤはその場を去ることにした。
ナユタの表情はそう変わらなかったが、それでも最後に掛けられた感謝の言葉は嘘じゃなさそうだった。
「なあ、サーヤ」
去り際。ナユタが声を掛けてくる。
「嵐が来るみたいだ。気を付けてね」
サーヤは首を傾げた。天気予報では今日は晴れ間が続くはずだったが……。と、窓の外を見て、彼の方を再び見る。ナユタは既にどこかに歩き出していて、こちらを見てはいなかった。
なんだと言うんだ。不穏な言葉に胸をざわつかせながら、サーヤは授業の準備をすることにした。
*
レナード先生の戦術の授業はシンプルだった。空図を見ながら駒を動かし、仮想の敵を倒していく。いずれは実戦形式になるだろう、と初回の授業で先生は言った。
「今日は武器を持ったらしいな」
出席簿を取り出すがてら、先生は雑談としてそんな話題を出した。
「今日から実戦にしても良かったが……、転入生が居てその実力が分からない以上、急に実戦形式を取るのは褒められたことではないだろう。というわけで、今日はちょっとやり方を変えてみようと思う」
さて、と、全員の出席を確認してから、先生はいつも通り生徒たちを奥の大きな机に集めた。
「エオル・ナ・ガルディア・イ」
先生が呪文を唱えれば、そこに空図と駒が出現する。魔法で動くこの駒は、先生の指示により、生徒の戦術を再現してくれるものだ。
「今日はこれを使って、敵に囲まれた時の突破の方法を考える授業だ。簡単なテストだな」
それでは、と先生は駒を動かす。ひとつの青い駒がいくつかの赤い駒に囲まれた。
「この状況になったら、お前たちはどうする」
いつもは率先して発言するシーアも、戦術の授業は苦手だった。それはほとんどの生徒が同じで、しんとした室内に唸った声が思ったより大きく響いた。
「囲まれてるから、正面から突破は厳しいと思うのよね」
シーアがそう言った。先生は頷いて駒を動かす。赤い駒が反応して動いて、あっという間に青い駒を囲んでしまった。
「その通りだ。敵の飛ぶ速度がわからない以上、得策とは言えないな」
それを皮切りに、他の生徒たちも次々と答えていく。リアムは囮を使うと言って、先生が駒を動かしてみせた。悪くはないが、囮になった駒はどうなる。それも助ける。どうやって。リアムは黙り込んだ。
しんとした室内で、先生の視線がゆっくりと動く。
「サーヤ」
名前を呼ばれた瞬間、心臓が跳ねた。
「え、ええと……」
サーヤは、自身の作戦にいまいち自信がなかった。先生に促されて、仕方なくそれを発表する。
「周りの様子を観察して、できる限り逃げます。追いかけてきたところで、風の流れが複雑な場所に引き込んで、動きを鈍らせる……かな」
風の強い場所や風向きが複雑な場所に誘い込む。ウィンドグライダーで飛ぶ敵にとって、風の流れが読めない場所は動きにくい。
先生は目を細めて駒を動かした。青い駒が逃げるふりをして、一方向にだけ穴を開ける。敵は追いかけてくる。でも、その先は風の乱れが強い場所で、敵の動きが鈍くなる。そこで一気に振り返って反撃する。
「これをやるなら、地理に詳しい必要があるな」
「そ、そうですよね……」
「だが、悪くはない。知識は常に武器だ。このように、実技だけではなく座学も真面目に受けた方がいい」
サーヤがほっと胸を撫で下ろした。シーアが背中をポンポンと叩いて、親指を立てる。サーヤはなんだか誇らしくなって、同じように親指を立ててみせた。
そこで、授業の終わりを知らせるチャイムが鳴った。
「今日の授業はここまでだ。次は先輩方と実技も合わせて授業をするから、各自、基礎のおさらいをしておくように」
はーい、と元気の良い返事。そうして、戦術の授業が終わった。
*
放課後。シーアは売店のお仕事を手伝って来るからとバタバタと出ていった。一緒に行きたい、と言えば、疲れてるでしょ、と断られた。シーアは最近ずっとこの調子で、サーヤはなんだか寂しかった。
シーアの中では、サーヤは身体が弱かった子供の頃のままなのだろう。理解はしているが、もうそう心配される程ではなくなった。
よし、と立ち上がる。こうなったら直談判だ。売店のおばちゃんなら分かってくれる!
そう決めて、売店まで行く道中のことだった。
「だから、いい加減にしなさいって言ってるでしょ!」
寮の外からそんな大きな声が聞こえた。聞き覚えがあった。マシューのお母さんだ。
サーヤは慌てて寮の扉を開けた。案の定、マシューとリアムがそこに立っていた。彼のお母さんはサーヤに背を向けていたが、リアムとマシューの視線に気づいたのか振り返る。
「あなた……」
「あっ、えっと……、こんにちは」
挨拶をする。マシューのお母さんは何事かを思いついたような顔をして、挨拶も返さずマシューに向き直った。
「マシュー、あなた、もしかしてこの子たちがいるから騎士学校に入ったんじゃないの? やめときなさい、そんなのは。子供の勘違いよ、やっぱりあなたはゼフィルアート学校に入るべきだわ!」
その方が、あなたもきっと幸せよ。サーヤは何を言っているのかよくわからなくて、マシューたちの方を見た。リアムがぽそっと、あーあ、と呟いた。
「違うよ、母さん」
「何が違うっていうの」
マシューが彼女に向き直る。怒っている、とサーヤでも分かった。
「僕がセレスティア騎士学校に入ったのは、ウィンドグライダーが好きだからだ。彼らに触れ合うためにこの学校に入った。これは何度も説明したと思うよ」
至って冷静で、静かな口調だった。
「母さんは、僕が選んだことが気に入らない? 気に入らないから、僕には選ばせてくれないの?」
その声色に、悲しみが滲んだ。
「僕が好きなものは認めてもらえないかな。このままじゃ、僕も、母さんたちの好きなものが認められなくなっちゃうよ。ねえ、母さん、僕はここにいたいんだ」
マシューはそのまま頭を下げた。
「帰ってください。学校に必要な経費を払ってくれてるのも、ちゃんと僕のことを好きで育ててくれてたのも知ってる。必要なら経費は返すから、僕をここに居させて欲しいんだ」
マシューのお母さんははくはくを口を開けたり閉じたりして、何かを言おうとしていた。それでも、全くもって言葉が見つからなくて、口を閉ざして、開いて、……。
「……帰ったら?」
リアムが言う。マシューのお母さんはかっとなって、しかし、すぐにしおらしくなった。
「あなたも、私が悪いって言うの?」
困ったような声色で、ぽつり。小さい声で漏れた言葉は、サーヤにしか聞き取れなかった。
首を横に振って、ため息。そうして、彼女は帰って行った。
「マシューくん……」
サーヤは、彼女の言葉をどう伝えるかで悩んで、とりあえず声を掛けた。マシューは、困ったように笑った。
「サーヤさん。気にしないで」
いつものことだ。そう言って、寮の中に入っていく。リアムも、じゃあな、とあっさり部屋に戻って行った。
サーヤは結局それを伝え損ねて、彼の母親が帰って行った方向をしばらく眺めていた。
ナユタの言葉を思い出す。嵐だった。どうしようも無かった。どうしようも無かったが、なにか、とんでもなく大きななにかを見落としている気がした。
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6話 5451文字
「それでは、ホームルームを始めるよ~」
今日も今日とて、学校が始まる。イズミ先生が教卓に出席簿を置いた。かたん、音が鳴る。
「今日は……、ていうか、ついこの間ジゼルが来たばかりだけど、今日もまた、転入生を紹介します」
ざわめきが広がる。イズミ先生は、おいで~、と教室の外に声を掛けた。がらり。入ってきた中世的な見た目のその人は、どこか古びた布地の服をまとった、いかにも旅人といった風貌をしていた。
「先日、王都セレスティアの入り口近くで倒れていたところを僕たちが保護しました。ええと、簡単に言うと、記憶がないんだってさ。まだ子供だし、というヴェルタ先生の意向で、騎士学校が保護することになったの」
よろしくね、とイズミ先生は生徒たちにウィンクを飛ばした。転入生は、一つ丁寧に頭を下げた。
「ナユタです。記憶がないのは確かだけど、名前がないのも不便なので、ひとまず、そう呼んでもらえると嬉しいです。よろしく」
どこかぎこちない発音で挨拶した彼を空いている席に座らせ、先生は補足した。
「急なことで彼は制服が用意できてないんだ、ジゼル。君はもう少しちゃんと制服を着ること」
へいへい、と聞き流したジゼルにため息をついて、そのままホームルームは続く。
いつも通り、時間ぴったりでそれは終わった。ちら、とナユタの方を盗み見る。ナユタは背筋を伸ばしてまっすぐ前を向いていた。どこの島から来たんだろう。なんで倒れていたんだろう。生徒たちの好奇心は尽きることなく、浮ついた空気のまま授業は始まった。
*
「さて、ちゃんと時間通り集まったね、よしよし。ここ数週間で散々基礎はやったから、そろそろ飽きてくる頃だろうし……。今日は実際に、それぞれの武器との適性を見ていこうと思います!」
わあっ、と声が上がる。シーアも楽しみにしていた授業だったので、不安そうなサーヤの隣でシーアは大はしゃぎだった。
「ふふ。いいかい、これは人を殺せる武器だからね。真面目に授業を受け、人を守るために使うこと。覚えておいて」
生徒たちの様子を満足気に眺めてから、イズミ先生は釘を刺すことも忘れない。はーい、とみんな揃って返事をすれば、先生は手元に武器を模したおもちゃを出現させた。
「おもちゃだからといって人を傷つけないわけではないから、今日は一人ずつ先生と戦ってもらいます。剣道場にいるからわかってると思うけど、陸の上での戦いをイメージしてね」
空中戦はティア先生の許可が出てからね。そんな先生の言葉に、心なしかリアムが胸を撫で下ろした気がした。
「でも先生、先生も危ねえんじゃねえの? 先生がそんな強そうには見えないし……」
一人の生徒がそう発言した。イズミ先生はそれを笑い飛ばして、
「あまり先生を舐めない方がいいよ~。じゃあ君からやってみる?」
そうして、模擬戦が開始された。
*
ダン。硬い音がして生徒が投げ飛ばされた。次いで、はい終わり、とイズミ先生の声。
「君は双剣が合ってるかもしれないね~」
呑気な先生は沢山の生徒を相手しているにも関わらず息ひとつ上げておらず、床に手を付きぜえぜえと息をする生徒たちは彼の実力を思い知らされるばかりだった。
なんとか礼をして終わった列に戻る。ジゼルは空賊時代と変わらず槍、シーアは生き生きと楽しそうに戦って双剣、サーヤは苦戦を強いられ盾と剣、時々弓もやってみようか、と先生は言った。少し不安だったリアムは平然とそれを乗り越え剣。マシューは危ないところはありつつも盾と槍。
お揃いだな、とジゼルがからかうように言ったのを、マシューは少し嫌そうな顔をして流した。正直なものだ。
「じゃあ最後にナユタ……って言いたいところだけど、君、戦える?」
「ええと……」
クラスメイトの視線が一斉にナユタに集まる。ナユタは少し何事かを考えるように間を開けて、
「多分、剣であれば、それなりに」
と答えた。
ナユタの戦い方は言葉通りそれなりだった。先生ほどではないが生徒たちよりもはるかに上の実力を持っている。覚えてないのにすごいね、と声を掛けたクラスメイトには、体が覚えてるみたいなんだよ、と返答していた。
「あいつ、やるわね」
シーアも悔しげだ。その隣でサーヤは、自分のことなんかよりもシーアが怪我をするんじゃないかと心配していたので、杞憂に終わって安心していた。
「うんうん、これで全員武器が選べたかな。」
次は戦術の授業だから、早めに着替えて移動するように。そうやって授業を締め括ったイズミ先生は、さっさと出した武器たちの片付けを始めた。
なんとなく気になってナユタの方を見れば、ふらりとその場を抜け出しているところだった。
「……ぼく、ちょっとお手洗い行ってくるね」
「あら、行ってらっしゃい」
来たばかりなら、教室のことも分からないだろう。そうやってナユタを案じたサーヤは、その後を追っていくことにした。
*
「ナユタ……さん!」
サーヤが声を掛ければ、あっさりとその彼は振り返り小さく首を傾げた。
「君は……」
「あ、えっと、ぼく、サーヤっていうんだ。」
教室の場所が分からないんじゃないかと思って、と言えば、ああ、とナユタは頷いた。
「それでわざわざ追ってきてくれたのかい? ありがとう、大丈夫だよ。君たちの集まっているところに行けばいいんだろう?」
「そ、そうだけど……。不思議な言い方をするんだね、分かるものなの?」
その言葉に、ナユタは少し戸惑ったようにして、少しなにごとかを悩んでから、言葉を選ぶようにして答えた。
「……風が、教えてくれるんだ。元々そういうのが得意でね。……ええと、みんなは……あんまり、そういう感覚ってないんだっけ」
今度はサーヤが戸惑う番だった。しかし、そんな感覚はサーヤには備わっていないし、他の子達からも聞いたことがない。もし彼が本当にそれができるとしたら、とんでもないことのように思えた。
「……すごいね。少なくともぼくにはできないかな」
「そうか……。」
ナユタはそのまま何かを考え始めてしまったので、サーヤは何を言うか悩んでしまった。
「……それって、ぼくでも、出来るようになる?」
ナユタはそれに不思議そうな顔をした。
「出来るようになりたいの?」
サーヤは咄嗟に出た疑問を口にしただけだったので、気に触ったかと少し慌ててしまった。
「ああ、ええと、違くて……。いや、でも、できるようになりたいって言うか、みんなの役に立ちそうで、いいなって」
「……そうかな」
役に立つ、か。ナユタはそれをもう一度繰り返してから、何かを言いかけて、やめた。その様子に、サーヤは更に慌てて言葉を重ねる。
「ご、ごめん! 好奇心だったんだ。なんか、えっと、もし本当は隠したいことだったらごめんね……」
その様子を見てか、彼は弁明を始めた。
「……ほら、だって、みんなと違うなら普通じゃないだろ。普通と違うのはヘンだ、って」
村の子供たちは、と、そこまで言ってから彼は失言に気付いたようだった。
「……いや、……、……すまない、忘れておくれ」
青ざめてこちらを伺ってくる彼の様子に、なにか事情があるのだろうと汲んだサーヤは、困った顔をしながらも、頷いた。
「……うん、今言ってたことは聞かなかったことにするけど、」
ひとつ呼吸を置いて、
「もし仮に、それ……が、その子たちにとってはヘン? だとしても、ぼくたちがそう思うかどうかは別の問題だよ」
それだけ言ってから、教室の場所を軽く説明して、サーヤはその場を去ることにした。
ナユタの表情はそう変わらなかったが、それでも最後に掛けられた感謝の言葉は嘘じゃなさそうだった。
「なあ、サーヤ」
去り際。ナユタが声を掛けてくる。
「嵐が来るみたいだ。気を付けてね」
サーヤは首を傾げた。天気予報では今日は晴れ間が続くはずだったが……。と、窓の外を見て、彼の方を再び見る。ナユタは既にどこかに歩き出していて、こちらを見てはいなかった。
なんだと言うんだ。不穏な言葉に胸をざわつかせながら、サーヤは授業の準備をすることにした。
*
レナード先生の戦術の授業はシンプルだった。空図を見ながら駒を動かし、仮想の敵を倒していく。いずれは実戦形式になるだろう、と初回の授業で先生は言った。
「今日は武器を持ったらしいな」
出席簿を取り出すがてら、先生は雑談としてそんな話題を出した。
「今日から実戦にしても良かったが……、転入生が居てその実力が分からない以上、急に実戦形式を取るのは褒められたことではないだろう。というわけで、今日はちょっとやり方を変えてみようと思う」
さて、と、全員の出席を確認してから、先生はいつも通り生徒たちを奥の大きな机に集めた。
「エオル・ナ・ガルディア・イ」
先生が呪文を唱えれば、そこに空図と駒が出現する。魔法で動くこの駒は、先生の指示により、生徒の戦術を再現してくれるものだ。
「今日はこれを使って、敵に囲まれた時の突破の方法を考える授業だ。簡単なテストだな」
それでは、と先生は駒を動かす。ひとつの青い駒がいくつかの赤い駒に囲まれた。
「この状況になったら、お前たちはどうする」
いつもは率先して発言するシーアも、戦術の授業は苦手だった。それはほとんどの生徒が同じで、しんとした室内に唸った声が思ったより大きく響いた。
「囲まれてるから、正面から突破は厳しいと思うのよね」
シーアがそう言った。先生は頷いて駒を動かす。赤い駒が反応して動いて、あっという間に青い駒を囲んでしまった。
「その通りだ。敵の飛ぶ速度がわからない以上、得策とは言えないな」
それを皮切りに、他の生徒たちも次々と答えていく。リアムは囮を使うと言って、先生が駒を動かしてみせた。悪くはないが、囮になった駒はどうなる。それも助ける。どうやって。リアムは黙り込んだ。
しんとした室内で、先生の視線がゆっくりと動く。
「サーヤ」
名前を呼ばれた瞬間、心臓が跳ねた。
「え、ええと……」
サーヤは、自身の作戦にいまいち自信がなかった。先生に促されて、仕方なくそれを発表する。
「周りの様子を観察して、できる限り逃げます。追いかけてきたところで、風の流れが複雑な場所に引き込んで、動きを鈍らせる……かな」
風の強い場所や風向きが複雑な場所に誘い込む。ウィンドグライダーで飛ぶ敵にとって、風の流れが読めない場所は動きにくい。
先生は目を細めて駒を動かした。青い駒が逃げるふりをして、一方向にだけ穴を開ける。敵は追いかけてくる。でも、その先は風の乱れが強い場所で、敵の動きが鈍くなる。そこで一気に振り返って反撃する。
「これをやるなら、地理に詳しい必要があるな」
「そ、そうですよね……」
「だが、悪くはない。知識は常に武器だ。このように、実技だけではなく座学も真面目に受けた方がいい」
サーヤがほっと胸を撫で下ろした。シーアが背中をポンポンと叩いて、親指を立てる。サーヤはなんだか誇らしくなって、同じように親指を立ててみせた。
そこで、授業の終わりを知らせるチャイムが鳴った。
「今日の授業はここまでだ。次は先輩方と実技も合わせて授業をするから、各自、基礎のおさらいをしておくように」
はーい、と元気の良い返事。そうして、戦術の授業が終わった。
*
放課後。シーアは売店のお仕事を手伝って来るからとバタバタと出ていった。一緒に行きたい、と言えば、疲れてるでしょ、と断られた。シーアは最近ずっとこの調子で、サーヤはなんだか寂しかった。
シーアの中では、サーヤは身体が弱かった子供の頃のままなのだろう。理解はしているが、もうそう心配される程ではなくなった。
よし、と立ち上がる。こうなったら直談判だ。売店のおばちゃんなら分かってくれる!
そう決めて、売店まで行く道中のことだった。
「だから、いい加減にしなさいって言ってるでしょ!」
寮の外からそんな大きな声が聞こえた。聞き覚えがあった。マシューのお母さんだ。
サーヤは慌てて寮の扉を開けた。案の定、マシューとリアムがそこに立っていた。彼のお母さんはサーヤに背を向けていたが、リアムとマシューの視線に気づいたのか振り返る。
「あなた……」
「あっ、えっと……、こんにちは」
挨拶をする。マシューのお母さんは何事かを思いついたような顔をして、挨拶も返さずマシューに向き直った。
「マシュー、あなた、もしかしてこの子たちがいるから騎士学校に入ったんじゃないの? やめときなさい、そんなのは。子供の勘違いよ、やっぱりあなたはゼフィルアート学校に入るべきだわ!」
その方が、あなたもきっと幸せよ。サーヤは何を言っているのかよくわからなくて、マシューたちの方を見た。リアムがぽそっと、あーあ、と呟いた。
「違うよ、母さん」
「何が違うっていうの」
マシューが彼女に向き直る。怒っている、とサーヤでも分かった。
「僕がセレスティア騎士学校に入ったのは、ウィンドグライダーが好きだからだ。彼らに触れ合うためにこの学校に入った。これは何度も説明したと思うよ」
至って冷静で、静かな口調だった。
「母さんは、僕が選んだことが気に入らない? 気に入らないから、僕には選ばせてくれないの?」
その声色に、悲しみが滲んだ。
「僕が好きなものは認めてもらえないかな。このままじゃ、僕も、母さんたちの好きなものが認められなくなっちゃうよ。ねえ、母さん、僕はここにいたいんだ」
マシューはそのまま頭を下げた。
「帰ってください。学校に必要な経費を払ってくれてるのも、ちゃんと僕のことを好きで育ててくれてたのも知ってる。必要なら経費は返すから、僕をここに居させて欲しいんだ」
マシューのお母さんははくはくを口を開けたり閉じたりして、何かを言おうとしていた。それでも、全くもって言葉が見つからなくて、口を閉ざして、開いて、……。
「……帰ったら?」
リアムが言う。マシューのお母さんはかっとなって、しかし、すぐにしおらしくなった。
「あなたも、私が悪いって言うの?」
困ったような声色で、ぽつり。小さい声で漏れた言葉は、サーヤにしか聞き取れなかった。
首を横に振って、ため息。そうして、彼女は帰って行った。
「マシューくん……」
サーヤは、彼女の言葉をどう伝えるかで悩んで、とりあえず声を掛けた。マシューは、困ったように笑った。
「サーヤさん。気にしないで」
いつものことだ。そう言って、寮の中に入っていく。リアムも、じゃあな、とあっさり部屋に戻って行った。
サーヤは結局それを伝え損ねて、彼の母親が帰って行った方向をしばらく眺めていた。
ナユタの言葉を思い出す。嵐だった。どうしようも無かった。どうしようも無かったが、なにか、とんでもなく大きななにかを見落としている気がした。
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#ふたつの翼、ひとつの空
5.5話 幕間 4808文字
次の日。風の誓約の日を結果的には無事に終えて、今日は振替の休日だった。
久々にゆっくり眠れるからと遅くまで勉強をしていたサーヤは、珍しく、そう、本当に珍しく、七時を過ぎても眠りこけていた。穏やかな睡眠、まどろみ、このままこのベッドと一体化して泥のように眠り続けたい――――
「起きなさい、サーヤ!」
――――それを、シーアの大きな声に邪魔される。うるさい、と抵抗するように声を上げたが、既に目の覚めたシーアにとってはそんな ことは知ったことではない。
無理矢理布団を剥がし、身体を起こさせればあっさりとサーヤは目を覚ます。朝に強い自分の身体を少しだけ恨んだ。
「なに、もう……。今日はいっぱい寝るつもりだったのに……」
「あら、そうなの? でも残念、私、良いことを思いついたのよ!」
シーアはそう言いながら一枚の紙を掲げる。外出届、とプリントされたその紙には既に、シーアとサーヤ、リアム、マシューの名前が記入されていた。
「せっかくの休日だし、遊びに行きましょ。ほら、最近、リアムもマシューもなんだか大変そうだし」
どうせあいつらも暇だろうし、きっと気分転換になるわよ。楽しそうに笑うシーアの突飛な発言は、これでもみんなのことを考えた結果らしかった。
うーん、責められない……。そんなことを思いながら、ぼんやりと外出届を眺める。
「……外出届って、前日までじゃなかった?」
「大丈夫大丈夫、出し忘れましたって言って出せば、軽めの注意くらいで済むでしょ」
必要なら私が怒られるから! 出掛けることはもうシーアにとっては決定事項のようで、サーヤは抵抗をやめ、大人しく外出の準備をすることにした。
*
サーヤが準備をしている間に、さっくりと外出届は提出された。シーアは、このために寮母さんと仲良くしていたのよ、とウィンクをした。
マシューは乗り気だったが、リアムはしばらく噛み付いていた。いきなりすぎる、とか、なんでそれを先に相談せずに外出届を出したんだ、とか、他に予定があったらどうするんだ、とか。サーヤは全く持ってごもっともだ、と思ったが、シーアにはどこ吹く風だった。
「どうせ暇だったんだし、いいでしょ。それに、入学してからずっと勉強に身を詰めてたじゃない? たまには遊ばなくちゃ!」
気分転換よ、良いでしょ? シーアがあまりに楽しそうに笑うので、リアムはそれ以上何も言えなくなって、黙ることにした。
寮を出て、しばらく橋を伝っていくつかの島を渡る。そうすれば、王都セレスティアの商業区に辿り着いた。
頑丈な建造物は大きめのテントたちによってカラフルに彩られている。ショッピングモールはそれなりに人で賑わっていた。シーアはこの場所が好きで、今までも、気分転換と称してたまにサーヤを誘ってはウィンドウショッピングをしていた。
「僕、初めて来たな。大きな建物だね」
目を輝かせてそう言うマシューは、きょろ、と辺りを見渡しているさなか、見知った顔を見つけた。ジゼルだ。
向こうもこちらに気づいたようで、こちらに寄ってくる。手には食べかけのチュロスが握られていた。一人で来ていたらしい。
「おー、お前ら、なにしてんすか?」
「げ」
「げ、ってなんすか」
嫌そうな顔をしたシーアに、不服そうな顔でジゼルが言う。べつに、嫌われるようなことした覚えはないんすけど、と追撃。シーアはリアムとマシューもまとめて指さしこう言った。
「だってあんたたち、揃って私たちに隠し事するじゃない」
言ってないこと、沢山あるでしょ。そう言えば、きょとん、と三人は顔を合わせた。たしかに。言わなかったことは、たくさんあるし、言ってないことも、たくさん――――
「……ま、それは僕たちの秘密、ってことに、なんとなくなってるよね」
「言ってやる理由もなくね?」
「おれのせいじゃなくねえすか、それ」
三人揃って首を傾げる。なにが悪いのか分からなかった。この、こっちが心配してるのも知らないで。シーアはそう思ったが、それを言ってやるのもなんだか癪で、ただただ不満そうな顔をすることしか出来なかった。
「ま、まあまあ、みんな……。とりあえず、なにか見に行こうよ。今日は気分転換、だもんね」
振り上げた拳をどこに下ろせばいいか分からなくなっているシーアを見かねて、サーヤが助け舟を出す。シーアは助かったと言うように頷いた。
「そうよ、今日は気分転換なんだから。来たいって言うなら別に同行も許可してあげるわよ」
「なんでそんな偉そうなんすか、あんたって」
不服なジゼルはそれでも着いてくることにしたらしい。シーアは手を上げてこう宣言した。
「私、新しいお洋服が欲しいわ」
*
ショッピングモールの中は、寮なんかよりもさらに大きく、広い。なんせ、王都セレスティア唯一のショッピングモールだ。
まずはお洋服! というシーアの強い希望により、手頃な店にチラホラと入ってはこれが可愛い、あれが可愛い、これはサーヤに似合いそう、だの、好き勝手歩き回る。
そういうものに興味のないリアムとジゼルは、ただただ着いていくのに必死だった。
「シーア、これも似合うと思うよ」
サーヤはさすが双子というところか、平然とそれについて行っている。
マシューの方を見れば、それを穏やかに眺めては、二人の発言をたまに拾って意見を出しているのだから、手慣れたもののようだった。
「お前、すげーな……」
「見直したっすよ……」
ようやく会計に進み、会計待ちの中マシューにそう言うと、マシューは小さく苦笑いを浮かべた。
「あはは……。昔から姉ちゃんによく付き合わされてたんだよね」
だから、慣れだよ。そう言ってから会計の終わったシーアとサーヤの荷物を持つ。どこまでもスマートだった。
なるほど、慣れか。仮にそうなのだとしても、しばらくは慣れなさそうだな、とリアムは思った。その隣で、ジゼルがゲームセンターを指さした。
「おれ、ああいうゲームがどんなもんか、見てみたいっす」
見たこともあんまないんで。そう言ったジゼルに、なるほど、と頷いて、次はゲームセンターに行くことにした。
*
「ほへえ、こんなほっせえアームでこんなでけ~ぬいぐるみがとれるんすか」
思わず、といったようにジゼルはまじまじとそのアームを観察した。まあぬいぐるみって意外と軽いか? と首を傾げて、シーアたちに向き直る。
「おれ、ぬいぐるみとか持ってたことないんすけど、これはかわいいすね」
そう言って指差すのは彼のウィンドグライダーに似たぬいぐるみだ。
「ラスカリオンに嫉妬されない?」
シーアがからかうようにそう言う。
「おれとラスカリオンの絆をなめないでくださいよ」
ジゼルはふん、と胸を張った。
「そ~お? でもあたし、そんなにお金使えないわ」
「僕もあんまりやったことないなあ」
「ぼくも……」
自然と視線がリアムに集まる。リアムはぬいぐるみの位置を改めて確認して、財布を確認してから、
「……俺、取れると思う」
ジゼルの表情がパッと明るくなる。が、とリアムの肩を組んで、バシバシと背中をたたいた。
「流石おれの舎弟! かっこいい! 認めてやるっすよ~!」
「うるせえな、舎弟じゃねえっての!」
ぱっとそれを振り払うと、リアムはクレーンゲームにお金を入れた。
軽快な音楽が鳴りだす中、アームを操作する。一回目。二回目。三回目で惜しいところまで行って、見事、四回目でそれを確保した。
「うおお~ッ、すげえ!」
はい、とぬいぐるみを渡したリアムによくやったすよ、とジゼルが受け取る。その反応に、お前も大概上からだよな、と思ったが言わなかった。
「上手いじゃない、リアム。こういうの好きなの?」
「別に、妹にせがまれることが多かっただけだ。まあでもなんやかんや楽しいとは思うよ」
ふうん。シーアがニヤニヤこちらを見ているのを見て、しまった、と思った。
「じゃあ私たちの分も取ってよ、リアム!」
「はあ!? なんでそうなんだよ、自分で取ればいいだろ!」
「私たち、やったことないもの」
ね、とサーヤの方を見る。後ろからマシューが僕も、と声を掛けた。
「リアムお兄ちゃん、僕も欲しいな~」
「うわやめろ、誰だよ!」
「ぼくもほしいのあるんだけど、だめかな」
「……」
後ろでジゼルが大変すねえ、と傍観を決め込んでいる。結局三人分の期待の視線に抗えずに、三人分のぬいぐるみを取る羽目になった。
*
リアムがぬいぐるみを取っている間、シーアはその輪を少し抜け出して、彼の分のぬいぐるみを取ることにした。
「きっと喜ぶわよ~」
まあ、ノーヴァには嫉妬されるかもしれないけど。そんなことを考えながらご機嫌にお金を入れる。一回目。二回目。三回目。シーアは忘れていた。自分が極端に不器用であることを。
そもそもアームがぬいぐるみに引っかからない。四回目。五回目。ここまでくると後には引けない気持ちになって、躍起になってクレーンゲームと格闘した。
十回に行くか行かないか。そろそろ諦める選択肢を考え始めた頃、
「なにやってんだよ、下手くそ」
「げ」
とっくに全員分のぬいぐるみを取ってしまったリアムたちは、帰りの遅いシーアを心配して探していたらしい。げってなんだよ、と言いながらリアムがお金を入れる。一回目。二回目。
「なんで取れるのよ……」
「歴がちげーな」
ふん、とぬいぐるみを取り出してシーアに渡そうとするリアムに、もう、とシーアはふてくされた。
「あんたのに決まってるでしょ、馬鹿」
リアムは、そのぬいぐるみとシーアの顔を交互に見た。ああ、もう! シーアはなんだか恥ずかしくて、わっと大きな声を出した。
「ノーヴァに似てるなと思ったから取りたかったの! あんたなんか、ノーヴァにそれ見せつけて嫉妬されちゃえばいいんだから!」
シーアはふん、とそっぽを向いて、サーヤの後ろに逃げた。サーヤがヴァルカに似たぬいぐるみをわたせば、ぎゅっと抱きしめてからシーアは言う。
「さっさと帰るわよ!」
もう話を聞く気のないシーアはサーヤを連れて一緒に歩き出す。
お礼も、なにもかもを言うタイミングを無くし、引き留められず行き場のない手をそっと下げたリアムに、マシューとジゼルがポン、と肩をたたいた。
*
寮に戻ってきた。寮母さんに挨拶して、帰ってきたことを報告する。
「昨日の夜は急な嵐だったから、少し心配してたのだけど……。何もなくてよかったわあ」
サーヤはそれで昨夜の嵐のことを思い出した。やっぱり変でしたよね、といえば、そうねえ、と寮母さんは頷く。
「きっと大人の誰かが解明してくれるわ。気になるようだったら気に留めておくわね」
そう言いながらハンコを押して、よし、大丈夫よ、と解放される。
ありがとうございます、と礼をしてから、全員で寮母室を出た。
「よしよし、各々気分転換になったかしら! じゃあ今日は解散!」
「うん。また明日ね、三人とも」
シーアとサーヤはそう言って部屋に戻ろうとする。
「うす」
「……」
「良いの?」
ジゼルはさっさと部屋に戻った。マシューはリアムに声を掛ける。
「……、や、……よくない」
先に戻っててくれ、と、リアムはシーアを追うことにした。マシューはなんだかそれがうれしくて、少し上機嫌に部屋に戻った。
「シーア!」
部屋の前ギリギリで追いついたリアムは、とりあえず声を掛けて言葉を探す。それを見て、サーヤは先に部屋に戻ることにした。
「……なによ」
さっきのことなんてとっくに忘れているシーアは、怪訝そうな顔を向けている。それがなんだかさらにいたたまれなくて、リアムはがしがしと頭を掻いた。
「あー……ええと、あれだ、」
心配かけて悪い、ありがとう。
聞こえるか聞こえないか。とても小さな声でそう言うものだから、シーアもきょとんとしてしまった。
「ああ、もう! なんでもねえ、こんなの柄じゃねえんだよ!」
おやすみ! それだけ言い残して、逃げるようにリアムは走って行った。
「あ、ちょ、ちょっと!?」
取り残されたシーアは、なんなの、と思いながら、確かに聞こえた言葉を反芻した。
なんだ、ずいぶん素直じゃない。
少し機嫌がよくなったシーアは、ベッドにぬいぐるみを飾って、今日こそめいいっぱい眠ることにした。
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5.5話 幕間 4808文字
次の日。風の誓約の日を結果的には無事に終えて、今日は振替の休日だった。
久々にゆっくり眠れるからと遅くまで勉強をしていたサーヤは、珍しく、そう、本当に珍しく、七時を過ぎても眠りこけていた。穏やかな睡眠、まどろみ、このままこのベッドと一体化して泥のように眠り続けたい――――
「起きなさい、サーヤ!」
――――それを、シーアの大きな声に邪魔される。うるさい、と抵抗するように声を上げたが、既に目の覚めたシーアにとってはそんな ことは知ったことではない。
無理矢理布団を剥がし、身体を起こさせればあっさりとサーヤは目を覚ます。朝に強い自分の身体を少しだけ恨んだ。
「なに、もう……。今日はいっぱい寝るつもりだったのに……」
「あら、そうなの? でも残念、私、良いことを思いついたのよ!」
シーアはそう言いながら一枚の紙を掲げる。外出届、とプリントされたその紙には既に、シーアとサーヤ、リアム、マシューの名前が記入されていた。
「せっかくの休日だし、遊びに行きましょ。ほら、最近、リアムもマシューもなんだか大変そうだし」
どうせあいつらも暇だろうし、きっと気分転換になるわよ。楽しそうに笑うシーアの突飛な発言は、これでもみんなのことを考えた結果らしかった。
うーん、責められない……。そんなことを思いながら、ぼんやりと外出届を眺める。
「……外出届って、前日までじゃなかった?」
「大丈夫大丈夫、出し忘れましたって言って出せば、軽めの注意くらいで済むでしょ」
必要なら私が怒られるから! 出掛けることはもうシーアにとっては決定事項のようで、サーヤは抵抗をやめ、大人しく外出の準備をすることにした。
*
サーヤが準備をしている間に、さっくりと外出届は提出された。シーアは、このために寮母さんと仲良くしていたのよ、とウィンクをした。
マシューは乗り気だったが、リアムはしばらく噛み付いていた。いきなりすぎる、とか、なんでそれを先に相談せずに外出届を出したんだ、とか、他に予定があったらどうするんだ、とか。サーヤは全く持ってごもっともだ、と思ったが、シーアにはどこ吹く風だった。
「どうせ暇だったんだし、いいでしょ。それに、入学してからずっと勉強に身を詰めてたじゃない? たまには遊ばなくちゃ!」
気分転換よ、良いでしょ? シーアがあまりに楽しそうに笑うので、リアムはそれ以上何も言えなくなって、黙ることにした。
寮を出て、しばらく橋を伝っていくつかの島を渡る。そうすれば、王都セレスティアの商業区に辿り着いた。
頑丈な建造物は大きめのテントたちによってカラフルに彩られている。ショッピングモールはそれなりに人で賑わっていた。シーアはこの場所が好きで、今までも、気分転換と称してたまにサーヤを誘ってはウィンドウショッピングをしていた。
「僕、初めて来たな。大きな建物だね」
目を輝かせてそう言うマシューは、きょろ、と辺りを見渡しているさなか、見知った顔を見つけた。ジゼルだ。
向こうもこちらに気づいたようで、こちらに寄ってくる。手には食べかけのチュロスが握られていた。一人で来ていたらしい。
「おー、お前ら、なにしてんすか?」
「げ」
「げ、ってなんすか」
嫌そうな顔をしたシーアに、不服そうな顔でジゼルが言う。べつに、嫌われるようなことした覚えはないんすけど、と追撃。シーアはリアムとマシューもまとめて指さしこう言った。
「だってあんたたち、揃って私たちに隠し事するじゃない」
言ってないこと、沢山あるでしょ。そう言えば、きょとん、と三人は顔を合わせた。たしかに。言わなかったことは、たくさんあるし、言ってないことも、たくさん――――
「……ま、それは僕たちの秘密、ってことに、なんとなくなってるよね」
「言ってやる理由もなくね?」
「おれのせいじゃなくねえすか、それ」
三人揃って首を傾げる。なにが悪いのか分からなかった。この、こっちが心配してるのも知らないで。シーアはそう思ったが、それを言ってやるのもなんだか癪で、ただただ不満そうな顔をすることしか出来なかった。
「ま、まあまあ、みんな……。とりあえず、なにか見に行こうよ。今日は気分転換、だもんね」
振り上げた拳をどこに下ろせばいいか分からなくなっているシーアを見かねて、サーヤが助け舟を出す。シーアは助かったと言うように頷いた。
「そうよ、今日は気分転換なんだから。来たいって言うなら別に同行も許可してあげるわよ」
「なんでそんな偉そうなんすか、あんたって」
不服なジゼルはそれでも着いてくることにしたらしい。シーアは手を上げてこう宣言した。
「私、新しいお洋服が欲しいわ」
*
ショッピングモールの中は、寮なんかよりもさらに大きく、広い。なんせ、王都セレスティア唯一のショッピングモールだ。
まずはお洋服! というシーアの強い希望により、手頃な店にチラホラと入ってはこれが可愛い、あれが可愛い、これはサーヤに似合いそう、だの、好き勝手歩き回る。
そういうものに興味のないリアムとジゼルは、ただただ着いていくのに必死だった。
「シーア、これも似合うと思うよ」
サーヤはさすが双子というところか、平然とそれについて行っている。
マシューの方を見れば、それを穏やかに眺めては、二人の発言をたまに拾って意見を出しているのだから、手慣れたもののようだった。
「お前、すげーな……」
「見直したっすよ……」
ようやく会計に進み、会計待ちの中マシューにそう言うと、マシューは小さく苦笑いを浮かべた。
「あはは……。昔から姉ちゃんによく付き合わされてたんだよね」
だから、慣れだよ。そう言ってから会計の終わったシーアとサーヤの荷物を持つ。どこまでもスマートだった。
なるほど、慣れか。仮にそうなのだとしても、しばらくは慣れなさそうだな、とリアムは思った。その隣で、ジゼルがゲームセンターを指さした。
「おれ、ああいうゲームがどんなもんか、見てみたいっす」
見たこともあんまないんで。そう言ったジゼルに、なるほど、と頷いて、次はゲームセンターに行くことにした。
*
「ほへえ、こんなほっせえアームでこんなでけ~ぬいぐるみがとれるんすか」
思わず、といったようにジゼルはまじまじとそのアームを観察した。まあぬいぐるみって意外と軽いか? と首を傾げて、シーアたちに向き直る。
「おれ、ぬいぐるみとか持ってたことないんすけど、これはかわいいすね」
そう言って指差すのは彼のウィンドグライダーに似たぬいぐるみだ。
「ラスカリオンに嫉妬されない?」
シーアがからかうようにそう言う。
「おれとラスカリオンの絆をなめないでくださいよ」
ジゼルはふん、と胸を張った。
「そ~お? でもあたし、そんなにお金使えないわ」
「僕もあんまりやったことないなあ」
「ぼくも……」
自然と視線がリアムに集まる。リアムはぬいぐるみの位置を改めて確認して、財布を確認してから、
「……俺、取れると思う」
ジゼルの表情がパッと明るくなる。が、とリアムの肩を組んで、バシバシと背中をたたいた。
「流石おれの舎弟! かっこいい! 認めてやるっすよ~!」
「うるせえな、舎弟じゃねえっての!」
ぱっとそれを振り払うと、リアムはクレーンゲームにお金を入れた。
軽快な音楽が鳴りだす中、アームを操作する。一回目。二回目。三回目で惜しいところまで行って、見事、四回目でそれを確保した。
「うおお~ッ、すげえ!」
はい、とぬいぐるみを渡したリアムによくやったすよ、とジゼルが受け取る。その反応に、お前も大概上からだよな、と思ったが言わなかった。
「上手いじゃない、リアム。こういうの好きなの?」
「別に、妹にせがまれることが多かっただけだ。まあでもなんやかんや楽しいとは思うよ」
ふうん。シーアがニヤニヤこちらを見ているのを見て、しまった、と思った。
「じゃあ私たちの分も取ってよ、リアム!」
「はあ!? なんでそうなんだよ、自分で取ればいいだろ!」
「私たち、やったことないもの」
ね、とサーヤの方を見る。後ろからマシューが僕も、と声を掛けた。
「リアムお兄ちゃん、僕も欲しいな~」
「うわやめろ、誰だよ!」
「ぼくもほしいのあるんだけど、だめかな」
「……」
後ろでジゼルが大変すねえ、と傍観を決め込んでいる。結局三人分の期待の視線に抗えずに、三人分のぬいぐるみを取る羽目になった。
*
リアムがぬいぐるみを取っている間、シーアはその輪を少し抜け出して、彼の分のぬいぐるみを取ることにした。
「きっと喜ぶわよ~」
まあ、ノーヴァには嫉妬されるかもしれないけど。そんなことを考えながらご機嫌にお金を入れる。一回目。二回目。三回目。シーアは忘れていた。自分が極端に不器用であることを。
そもそもアームがぬいぐるみに引っかからない。四回目。五回目。ここまでくると後には引けない気持ちになって、躍起になってクレーンゲームと格闘した。
十回に行くか行かないか。そろそろ諦める選択肢を考え始めた頃、
「なにやってんだよ、下手くそ」
「げ」
とっくに全員分のぬいぐるみを取ってしまったリアムたちは、帰りの遅いシーアを心配して探していたらしい。げってなんだよ、と言いながらリアムがお金を入れる。一回目。二回目。
「なんで取れるのよ……」
「歴がちげーな」
ふん、とぬいぐるみを取り出してシーアに渡そうとするリアムに、もう、とシーアはふてくされた。
「あんたのに決まってるでしょ、馬鹿」
リアムは、そのぬいぐるみとシーアの顔を交互に見た。ああ、もう! シーアはなんだか恥ずかしくて、わっと大きな声を出した。
「ノーヴァに似てるなと思ったから取りたかったの! あんたなんか、ノーヴァにそれ見せつけて嫉妬されちゃえばいいんだから!」
シーアはふん、とそっぽを向いて、サーヤの後ろに逃げた。サーヤがヴァルカに似たぬいぐるみをわたせば、ぎゅっと抱きしめてからシーアは言う。
「さっさと帰るわよ!」
もう話を聞く気のないシーアはサーヤを連れて一緒に歩き出す。
お礼も、なにもかもを言うタイミングを無くし、引き留められず行き場のない手をそっと下げたリアムに、マシューとジゼルがポン、と肩をたたいた。
*
寮に戻ってきた。寮母さんに挨拶して、帰ってきたことを報告する。
「昨日の夜は急な嵐だったから、少し心配してたのだけど……。何もなくてよかったわあ」
サーヤはそれで昨夜の嵐のことを思い出した。やっぱり変でしたよね、といえば、そうねえ、と寮母さんは頷く。
「きっと大人の誰かが解明してくれるわ。気になるようだったら気に留めておくわね」
そう言いながらハンコを押して、よし、大丈夫よ、と解放される。
ありがとうございます、と礼をしてから、全員で寮母室を出た。
「よしよし、各々気分転換になったかしら! じゃあ今日は解散!」
「うん。また明日ね、三人とも」
シーアとサーヤはそう言って部屋に戻ろうとする。
「うす」
「……」
「良いの?」
ジゼルはさっさと部屋に戻った。マシューはリアムに声を掛ける。
「……、や、……よくない」
先に戻っててくれ、と、リアムはシーアを追うことにした。マシューはなんだかそれがうれしくて、少し上機嫌に部屋に戻った。
「シーア!」
部屋の前ギリギリで追いついたリアムは、とりあえず声を掛けて言葉を探す。それを見て、サーヤは先に部屋に戻ることにした。
「……なによ」
さっきのことなんてとっくに忘れているシーアは、怪訝そうな顔を向けている。それがなんだかさらにいたたまれなくて、リアムはがしがしと頭を掻いた。
「あー……ええと、あれだ、」
心配かけて悪い、ありがとう。
聞こえるか聞こえないか。とても小さな声でそう言うものだから、シーアもきょとんとしてしまった。
「ああ、もう! なんでもねえ、こんなの柄じゃねえんだよ!」
おやすみ! それだけ言い残して、逃げるようにリアムは走って行った。
「あ、ちょ、ちょっと!?」
取り残されたシーアは、なんなの、と思いながら、確かに聞こえた言葉を反芻した。
なんだ、ずいぶん素直じゃない。
少し機嫌がよくなったシーアは、ベッドにぬいぐるみを飾って、今日こそめいいっぱい眠ることにした。
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・言語について
#ふたつの翼、ひとつの空
5話 5029文字
朝方。サーヤは、ふと、目が覚めた。授業が始まってから数週間。今日は、風の誓約の日だ。ぐうぐうと寝息が聞こえる。シーアはまだ寝ているようだった。相変わらず肝が据わっている。緊張感がないとも言うだろう。
なんだか緊張するから、少し、散歩でもしようかな。そうして、サーヤはベッドから出て歩き出した。なんとも静かだ。まだみんな寝ているのだろう。足音を立てぬよう廊下を歩いて外に出る。朝の空気が気持ち良かった。
ふと、裏庭の方から声が聞こえた。顔を出してみれば、リアムだった。ウィンドグライダーと一緒にいる。彼の手元には、ウィンドグライダーのための食べ物がたくさん入った籠があった。
「お前、全部好きじゃん。なんかないの、特別にこれが好き、とか」
普段の彼とは違い、落ち着いていて、少し困ったような声色だった。ウィンドグライダーは呆れたように彼の頭を小突いた。だからいてえって。
そういえば、彼がウィンドグライダーと仲良しているのなんて見たことがなかった。
飛べなくても、実は仲良しなんだな。少し安心したサーヤは、邪魔してもよくないな、と踵を返した。
今日は、風の誓約の日。
彼のために与える名前を、リアムはまだ決めあぐねていた。
*
大聖堂に向かい、風の神に祈りを捧げる。中心で祈りを捧げているのはフェリシア先輩だった。
儀式として形式が決まっているとはいえ、信仰に熱くない生徒だってそれなりだ。それはシーアとサーヤもそうで、サーヤがあくびをかみ殺した横で、シーアがふわあ、と大きなあくびをした。
「ゼフィル・ラ・カイラ・ト・アーラ・ス」
フェリシアが祈りの言葉を捧げる。それに続いて全員で復唱。ヴェルタ先生は、これを昔から続く伝統の言葉なのだと生徒に教えた。
「ウィスカ・ナ・リファル・ラ・ルミナ・ト・フォーレ・ス」
文字も少し教わったが、授業の本筋には関係ないからと、ヴェルタ先生はその話をさっさと畳んでしまった。
「ヴィナ・ラ・エテルナ・ル・タリア・カレン・アルナ」
風の神よ、流れを空へ。そよ風の舞は星へと進め。絆は永遠へと、信じる仲間とともに。
「ヴェリア・オフィラ・ス、ヴェリア・オフィラ・ス。タリア・ソルナ・トゥリア・ドナリア」
祈りを捧げよ。祈りを捧げよ。信じる者に試練は与えられる。授業で教わった言葉の意味を反芻しながら言葉を紡ぐ。
紡ぎ終えた。そう気づけば、風が吹き抜けていった。しばらく風を感じていれば、静かに空気を震わす音楽が、最期の旋律に入る。フェリシア先輩は静かに礼をして、その舞台から降りて行った。
「――――それでは」
校長先生が一歩前に歩み出る。
「諸君。今日は、風の誓約の日だ。喜ばしいことに、今日は風に恵まれている。これより、風翼の誓いのための儀式を開始する!」
わっと、それを見に来た人々が拍手をした。王都セレスティアの民にとって、風の誓約の日は、数少ない催しごとだった。
ざわめきが広がる中、一人ずつ前に呼ばれていく。ウィンドグライダーに認められる者、そうではない者。反応も結果も様々だった。
シーア、サーヤ、ジゼル、マシューはあっさりと認められた。常日頃彼に尽くしているマシューなんかは、ウィンドグライダーにキスをもらってしまって、たいそう喜んでいる様子だった。
「これからもよろしくね、ヴァルカ!」
会場の外に出て、シーアは彼女のウィンドグライダー――――もとい、ヴァルカに声を掛けた。ヴァルカはすり、とシーアに寄り添った。
「ぼ、ぼくも、よろしくね、ティネラ」
ティネラはサーヤの周りをぐるりと軽快に回った。
「素敵な名前だね、二人とも」
そう声を掛けたマシューの隣でアルヴィがふわりと漂っている。
「おれのラスカリオンには負けるな」
会話に参加してきたのはジゼルだった。長いんじゃないの、とシーアが抗議すれば、その方がかっこいいだろ、ロボットみたいで、と返事が来る。呆れたように肩をすくめるシーアの隣で、マシューは分からなくもないな、と思った。
そうしていれば、ふと会場の方が騒がしくなる。
なんだなんだと見に行けば、騒ぎの中心にいるのはリアムだった。
*
少し時は遡る。顔馴染みの面々が次々とウィンドグライダーに認められていて、リアムは不安で唾をのんだ。隣にいるウィンドグライダーを見ても、まったく目が合わない。何を考えているのかもわからなくて、それがさらに不安を助長させた。
こいつの、名前。
名前を付けるのは決して強制ではなく、特につけないでそのままにしている生徒も多くはないが存在している。
名前なんか、ねえ。俺なんかが、わざわざ付けてやるのもなんだかかわいそうだし、と、そんな思考の最中、リアムの名前が呼ばれた。
儀式の進行を務めるのもフェリシアの役目だった。彼女はリアムの目をまっすぐ見て、それから、問いかける。
「……あなたは、ウィンドグライダーを信じますか」
信じます、と答える。本心だった。
フェリシアがウィンドグライダーの方に目を向ける。彼はものは言わないが、それでも殊更静かにリアムを見ていた。
其れでは、と儀式は続く。
「あなたのウィンドグライダー――――パートナーに、命名を」
リアムはウィンドグライダーの方を見た。まっすぐ目を見て、こう言った。
「彼には、名前はつけません」――――と。
それからは、なぜだか怒ったようにウィンドグライダーが暴れ出して、会場がにわかに騒がしくなる。その会場の中、こんな状況でようやくリアムは自身の祖母を見つけた。
見に来てたのか、と思ったのも束の間、ウィンドグライダーは外へと飛び立っていってしまった。
残されたリアムは、ただ、惨めな気持ちで退場するしかなかった。
「リアムくん!」
いの一番にサーヤが声を掛けた。シーアは声はかけなかったが、うしろで見守っていた。
「振られてやんの。なにしたんすか」
「うるせえ」
リアムはもう相当参っているようで、反発する声は小さかった。
「……リアム」
「だって、あいつ、好きな食べ物だって教えてくんねえし」
幼い子供がぐずるような、拗ねたような声だった。誰も何も言えなくなる。いや、言いたいことはたくさんあったが、そのどれもが彼を傷つける気がした。
「俺、騎士になりてえのは確かだけど、空飛ぶの、怖いんだよな。はは、こんな奴に名前つけられたって、あいつだって困るだろ……!」
吐き出すように彼は言葉を口にした。そんなことないよ、も、そうじゃなくていいんだよ、も届かない気がして、サーヤは言葉を選ぼうとした。
言葉を吐き切ったことによって、リアムがいちばん傷ついたような顔をしていた。
と、その時。
「それは違うんじゃないかい、リアム」
後ろから声がかけられた。リアムが振り向けば、自身の祖母が、イズミ先生に付き添われて、そこに立っていた。
「あれは自分の名前が正式になる日を待っておったはずだよ、ほら、覚えておらんのか」
リアムは狼狽したように黙りこくる。焦れた彼の祖母は、ああもう、というと、イズミ先生にカバンを開くよう指示した。
「わたしはね、あんたのこんな姿を見るためにここに来たんじゃないよ」
そういいながら取り出したのは、汚い字で書かれたノートだった。男の子が、ドキドキのまま乱雑に書き殴ったであろうそれは、一見すると読めないが――――書いた本人には、分かった。ノーヴァの研究ノート、と題されている。
思い出す。ああ、そうだ。ノーヴァ――――ウィンドグライダーと出会ってすぐ、空を飛べるのがうれしくて、リアムは彼に名前を付けた。
彼にノーヴァを預けた、元パートナーだった祖父は、それを聞いて、きっとおまえは立派な騎士になるのだろうとリアムの頭をよく撫でた。
だからだ。
女の子は守るべきものだと祖父に教わった。祖母がその横で呆れた顔をしていたのをよく覚えている。
だからこそ、女の子に――――シーアに負けるのが悔しかった。
守られておけばいいのに。自分の周りには強くたくましい人しかいなくて、誰も守られてくれやしない。
むしろ、守られてばかりだった。それが悔しくて、いろんなものに反発した。
そうしてまた空で競い合っていたある日、無理な飛び方をしてふいに落下した。
誰も間に合わなかった。唯一それについていけたシーアが雲の中に入りかけたリアムをさらって、それからだ。
空を飛ぶのが、怖くなった。
リアムは、震える手でそれを受け取った。開けば、好きな食べ物から、苦手な物、嫌いなこと、全部書いてあった。ああ、俺はもう、忘れていただけで、全部、ぜんぶ、知っていた。
「――――……」
「リアム」
おばあちゃんはそっと手を重ねた。暖かった。
「あんたなら、できるさ」
信じているよ、おばあちゃんも、きっと、――――おじいちゃんも、ね。
風が吹き抜けた。リアムは、その風に押されるように頷いた。
「ふん、お友達に心配かけるんじゃないよ」
そう言ってから、大きな指笛を吹いた。ピューッ。ピューッ。ピューッ。と、三回。
そうすれば、ばさばさとはためかせてウィンドグライダーが飛んでくる。――――ノーヴァだ。
「おまえ、これ覚えてたのか」
と、リアムが問う。ノーヴァは呆れたように、いつもよりも強めにリアムを小突いた。いてえって、とよろけたリアムを、シーアが支えた。
「ふん、情けない顔」
「……うるせえなあ!」
態勢を立て直して、リアムはノーヴァの方を見た。この名前を正式なものにする火を、彼が待ち望んでいるというのなら。
「いこうぜ、相棒」
待っててくれてありがとう。早くしねえと、今日が終わっちまう。そう言って走り出したリアムを追って、ノーヴァもまた、飛び立った。
*
「いつも孫をありがとうねえ、あんたがシーアで、あんたがサーヤだろう」
そしてあんたがマシュー。生徒全員が、とはいかなかったが、少なくともリアムも含むシーアたちは無事、風翼の誓いを結び、和気あいあいとした祭りの雰囲気の中。そうして一人一人を正しく指差したリアムのおばあちゃんは、ジゼルを見てこう言った。
「あんたは騎士学校でできた友達かい? 初めまして」
「おう、ジゼルって言います。俺が親分なんすよ」
「ちげーよ、誰が舎弟だ!」
リアムが不満そうに突っ込む。ジゼルはどこ吹く風だった。ばあちゃんも、とリアムは祖母を指さした。
「もういいだろ、挨拶とか! 気まずいって、もうそろそろ暗くなるしさっさと帰れよ」
「そんなそんな、ねえ。わたしゃまだまだ動けるよ」
そう言いがら彼女は杖をひょいとあげてみせた。おお、と小さく感心の声が上がって、リアムは頭を抱えた。四面楚歌だ。
「うちのは素直じゃないからねえ。たまにはこうやって挨拶しとかないと」
ね、と祖母はシーアに同意を求める。完全におちょくっているのが分かったので、シーアも頷いた。
「そうね、たまには素直に感謝の言葉でも吐いたらどう?」
「何に対してだよ!」
「しいていうなら心配をかけてること、かしら」
ねえ、とサーヤを見る。サーヤはそれを困り笑いで流した。
「まあまあ。でもほら、僕たち、そろそろ寮に帰らなくちゃだよ」
「そ、そうだよな!」
マシューが助け舟を出せば、リアムがそれに食いつく。シーアが不満そうな声を漏らしたが、門限は門限だった。
「ちぇっ、残念。でもそうね、帰りましょ」
「そ、そうだね……」
リアムのおばあちゃんは、もうそんな時間かい、と驚いてから、そのまま見送る姿勢を取った。
「じゃあ、リアムのおばあちゃん。またねー!」
「また!」
「はいはい、またね」
そうして、全員が歩き出す。リアムはついていかずに、三人と距離ができたあたりで、祖母に声を掛けた。
「来てくれて、ありがとう……それと、」
心配かけてごめん。小さな声で紡がれたその言葉を、祖母は鼻で笑った。
「当然だろ、馬鹿!」
ほら早く帰んな、と背中を押される。リアムがいないことに気づいたシーアたちが呼びながら待っている。
リアムはそれがなんだかうれしくて、でも素直に認められなくて、それ以上は言葉にせず帰路についた。
祖母であり育て親の彼女は、そんなリアムの心境なんかとっくに知っていて、素直じゃないねえ、と笑い飛ばしながら、その背中を見送った。
*
「もう一度お聞きしますが、あなたは何者ですか? 何か、身分を証明できるものは……」
ヴェルタ先生がそう問う。部屋の中には、一人の中性的な容姿の子供と、騎士学校の先生たちが全員、集まっていた。
「ボクはナユタ。身分を証明できるものは特に持ってない。でも、信じてもらえないかもしれないけど、お願いがあるんだ。」
逃げてきたんだ。あの分厚い雲の下から、この空の上まで。役目も、期待も、全部を置いて。そう言う子供―――便宜上、彼、と表記する―――に、先生たちは顔を見合わせた。
「お願いだ。ボクをこの雲上の世界に置いてほしい」
それ以上には何も求めないから。
誰もが困ったように首を傾げる室内で、ヴェルタ先生だけが、真剣なまなざしをしていた。
外ではびゅうびゅうと風が吹き荒んでいて、まるで嵐の様相だった。
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5話 5029文字
朝方。サーヤは、ふと、目が覚めた。授業が始まってから数週間。今日は、風の誓約の日だ。ぐうぐうと寝息が聞こえる。シーアはまだ寝ているようだった。相変わらず肝が据わっている。緊張感がないとも言うだろう。
なんだか緊張するから、少し、散歩でもしようかな。そうして、サーヤはベッドから出て歩き出した。なんとも静かだ。まだみんな寝ているのだろう。足音を立てぬよう廊下を歩いて外に出る。朝の空気が気持ち良かった。
ふと、裏庭の方から声が聞こえた。顔を出してみれば、リアムだった。ウィンドグライダーと一緒にいる。彼の手元には、ウィンドグライダーのための食べ物がたくさん入った籠があった。
「お前、全部好きじゃん。なんかないの、特別にこれが好き、とか」
普段の彼とは違い、落ち着いていて、少し困ったような声色だった。ウィンドグライダーは呆れたように彼の頭を小突いた。だからいてえって。
そういえば、彼がウィンドグライダーと仲良しているのなんて見たことがなかった。
飛べなくても、実は仲良しなんだな。少し安心したサーヤは、邪魔してもよくないな、と踵を返した。
今日は、風の誓約の日。
彼のために与える名前を、リアムはまだ決めあぐねていた。
*
大聖堂に向かい、風の神に祈りを捧げる。中心で祈りを捧げているのはフェリシア先輩だった。
儀式として形式が決まっているとはいえ、信仰に熱くない生徒だってそれなりだ。それはシーアとサーヤもそうで、サーヤがあくびをかみ殺した横で、シーアがふわあ、と大きなあくびをした。
「ゼフィル・ラ・カイラ・ト・アーラ・ス」
フェリシアが祈りの言葉を捧げる。それに続いて全員で復唱。ヴェルタ先生は、これを昔から続く伝統の言葉なのだと生徒に教えた。
「ウィスカ・ナ・リファル・ラ・ルミナ・ト・フォーレ・ス」
文字も少し教わったが、授業の本筋には関係ないからと、ヴェルタ先生はその話をさっさと畳んでしまった。
「ヴィナ・ラ・エテルナ・ル・タリア・カレン・アルナ」
風の神よ、流れを空へ。そよ風の舞は星へと進め。絆は永遠へと、信じる仲間とともに。
「ヴェリア・オフィラ・ス、ヴェリア・オフィラ・ス。タリア・ソルナ・トゥリア・ドナリア」
祈りを捧げよ。祈りを捧げよ。信じる者に試練は与えられる。授業で教わった言葉の意味を反芻しながら言葉を紡ぐ。
紡ぎ終えた。そう気づけば、風が吹き抜けていった。しばらく風を感じていれば、静かに空気を震わす音楽が、最期の旋律に入る。フェリシア先輩は静かに礼をして、その舞台から降りて行った。
「――――それでは」
校長先生が一歩前に歩み出る。
「諸君。今日は、風の誓約の日だ。喜ばしいことに、今日は風に恵まれている。これより、風翼の誓いのための儀式を開始する!」
わっと、それを見に来た人々が拍手をした。王都セレスティアの民にとって、風の誓約の日は、数少ない催しごとだった。
ざわめきが広がる中、一人ずつ前に呼ばれていく。ウィンドグライダーに認められる者、そうではない者。反応も結果も様々だった。
シーア、サーヤ、ジゼル、マシューはあっさりと認められた。常日頃彼に尽くしているマシューなんかは、ウィンドグライダーにキスをもらってしまって、たいそう喜んでいる様子だった。
「これからもよろしくね、ヴァルカ!」
会場の外に出て、シーアは彼女のウィンドグライダー――――もとい、ヴァルカに声を掛けた。ヴァルカはすり、とシーアに寄り添った。
「ぼ、ぼくも、よろしくね、ティネラ」
ティネラはサーヤの周りをぐるりと軽快に回った。
「素敵な名前だね、二人とも」
そう声を掛けたマシューの隣でアルヴィがふわりと漂っている。
「おれのラスカリオンには負けるな」
会話に参加してきたのはジゼルだった。長いんじゃないの、とシーアが抗議すれば、その方がかっこいいだろ、ロボットみたいで、と返事が来る。呆れたように肩をすくめるシーアの隣で、マシューは分からなくもないな、と思った。
そうしていれば、ふと会場の方が騒がしくなる。
なんだなんだと見に行けば、騒ぎの中心にいるのはリアムだった。
*
少し時は遡る。顔馴染みの面々が次々とウィンドグライダーに認められていて、リアムは不安で唾をのんだ。隣にいるウィンドグライダーを見ても、まったく目が合わない。何を考えているのかもわからなくて、それがさらに不安を助長させた。
こいつの、名前。
名前を付けるのは決して強制ではなく、特につけないでそのままにしている生徒も多くはないが存在している。
名前なんか、ねえ。俺なんかが、わざわざ付けてやるのもなんだかかわいそうだし、と、そんな思考の最中、リアムの名前が呼ばれた。
儀式の進行を務めるのもフェリシアの役目だった。彼女はリアムの目をまっすぐ見て、それから、問いかける。
「……あなたは、ウィンドグライダーを信じますか」
信じます、と答える。本心だった。
フェリシアがウィンドグライダーの方に目を向ける。彼はものは言わないが、それでも殊更静かにリアムを見ていた。
其れでは、と儀式は続く。
「あなたのウィンドグライダー――――パートナーに、命名を」
リアムはウィンドグライダーの方を見た。まっすぐ目を見て、こう言った。
「彼には、名前はつけません」――――と。
それからは、なぜだか怒ったようにウィンドグライダーが暴れ出して、会場がにわかに騒がしくなる。その会場の中、こんな状況でようやくリアムは自身の祖母を見つけた。
見に来てたのか、と思ったのも束の間、ウィンドグライダーは外へと飛び立っていってしまった。
残されたリアムは、ただ、惨めな気持ちで退場するしかなかった。
「リアムくん!」
いの一番にサーヤが声を掛けた。シーアは声はかけなかったが、うしろで見守っていた。
「振られてやんの。なにしたんすか」
「うるせえ」
リアムはもう相当参っているようで、反発する声は小さかった。
「……リアム」
「だって、あいつ、好きな食べ物だって教えてくんねえし」
幼い子供がぐずるような、拗ねたような声だった。誰も何も言えなくなる。いや、言いたいことはたくさんあったが、そのどれもが彼を傷つける気がした。
「俺、騎士になりてえのは確かだけど、空飛ぶの、怖いんだよな。はは、こんな奴に名前つけられたって、あいつだって困るだろ……!」
吐き出すように彼は言葉を口にした。そんなことないよ、も、そうじゃなくていいんだよ、も届かない気がして、サーヤは言葉を選ぼうとした。
言葉を吐き切ったことによって、リアムがいちばん傷ついたような顔をしていた。
と、その時。
「それは違うんじゃないかい、リアム」
後ろから声がかけられた。リアムが振り向けば、自身の祖母が、イズミ先生に付き添われて、そこに立っていた。
「あれは自分の名前が正式になる日を待っておったはずだよ、ほら、覚えておらんのか」
リアムは狼狽したように黙りこくる。焦れた彼の祖母は、ああもう、というと、イズミ先生にカバンを開くよう指示した。
「わたしはね、あんたのこんな姿を見るためにここに来たんじゃないよ」
そういいながら取り出したのは、汚い字で書かれたノートだった。男の子が、ドキドキのまま乱雑に書き殴ったであろうそれは、一見すると読めないが――――書いた本人には、分かった。ノーヴァの研究ノート、と題されている。
思い出す。ああ、そうだ。ノーヴァ――――ウィンドグライダーと出会ってすぐ、空を飛べるのがうれしくて、リアムは彼に名前を付けた。
彼にノーヴァを預けた、元パートナーだった祖父は、それを聞いて、きっとおまえは立派な騎士になるのだろうとリアムの頭をよく撫でた。
だからだ。
女の子は守るべきものだと祖父に教わった。祖母がその横で呆れた顔をしていたのをよく覚えている。
だからこそ、女の子に――――シーアに負けるのが悔しかった。
守られておけばいいのに。自分の周りには強くたくましい人しかいなくて、誰も守られてくれやしない。
むしろ、守られてばかりだった。それが悔しくて、いろんなものに反発した。
そうしてまた空で競い合っていたある日、無理な飛び方をしてふいに落下した。
誰も間に合わなかった。唯一それについていけたシーアが雲の中に入りかけたリアムをさらって、それからだ。
空を飛ぶのが、怖くなった。
リアムは、震える手でそれを受け取った。開けば、好きな食べ物から、苦手な物、嫌いなこと、全部書いてあった。ああ、俺はもう、忘れていただけで、全部、ぜんぶ、知っていた。
「――――……」
「リアム」
おばあちゃんはそっと手を重ねた。暖かった。
「あんたなら、できるさ」
信じているよ、おばあちゃんも、きっと、――――おじいちゃんも、ね。
風が吹き抜けた。リアムは、その風に押されるように頷いた。
「ふん、お友達に心配かけるんじゃないよ」
そう言ってから、大きな指笛を吹いた。ピューッ。ピューッ。ピューッ。と、三回。
そうすれば、ばさばさとはためかせてウィンドグライダーが飛んでくる。――――ノーヴァだ。
「おまえ、これ覚えてたのか」
と、リアムが問う。ノーヴァは呆れたように、いつもよりも強めにリアムを小突いた。いてえって、とよろけたリアムを、シーアが支えた。
「ふん、情けない顔」
「……うるせえなあ!」
態勢を立て直して、リアムはノーヴァの方を見た。この名前を正式なものにする火を、彼が待ち望んでいるというのなら。
「いこうぜ、相棒」
待っててくれてありがとう。早くしねえと、今日が終わっちまう。そう言って走り出したリアムを追って、ノーヴァもまた、飛び立った。
*
「いつも孫をありがとうねえ、あんたがシーアで、あんたがサーヤだろう」
そしてあんたがマシュー。生徒全員が、とはいかなかったが、少なくともリアムも含むシーアたちは無事、風翼の誓いを結び、和気あいあいとした祭りの雰囲気の中。そうして一人一人を正しく指差したリアムのおばあちゃんは、ジゼルを見てこう言った。
「あんたは騎士学校でできた友達かい? 初めまして」
「おう、ジゼルって言います。俺が親分なんすよ」
「ちげーよ、誰が舎弟だ!」
リアムが不満そうに突っ込む。ジゼルはどこ吹く風だった。ばあちゃんも、とリアムは祖母を指さした。
「もういいだろ、挨拶とか! 気まずいって、もうそろそろ暗くなるしさっさと帰れよ」
「そんなそんな、ねえ。わたしゃまだまだ動けるよ」
そう言いがら彼女は杖をひょいとあげてみせた。おお、と小さく感心の声が上がって、リアムは頭を抱えた。四面楚歌だ。
「うちのは素直じゃないからねえ。たまにはこうやって挨拶しとかないと」
ね、と祖母はシーアに同意を求める。完全におちょくっているのが分かったので、シーアも頷いた。
「そうね、たまには素直に感謝の言葉でも吐いたらどう?」
「何に対してだよ!」
「しいていうなら心配をかけてること、かしら」
ねえ、とサーヤを見る。サーヤはそれを困り笑いで流した。
「まあまあ。でもほら、僕たち、そろそろ寮に帰らなくちゃだよ」
「そ、そうだよな!」
マシューが助け舟を出せば、リアムがそれに食いつく。シーアが不満そうな声を漏らしたが、門限は門限だった。
「ちぇっ、残念。でもそうね、帰りましょ」
「そ、そうだね……」
リアムのおばあちゃんは、もうそんな時間かい、と驚いてから、そのまま見送る姿勢を取った。
「じゃあ、リアムのおばあちゃん。またねー!」
「また!」
「はいはい、またね」
そうして、全員が歩き出す。リアムはついていかずに、三人と距離ができたあたりで、祖母に声を掛けた。
「来てくれて、ありがとう……それと、」
心配かけてごめん。小さな声で紡がれたその言葉を、祖母は鼻で笑った。
「当然だろ、馬鹿!」
ほら早く帰んな、と背中を押される。リアムがいないことに気づいたシーアたちが呼びながら待っている。
リアムはそれがなんだかうれしくて、でも素直に認められなくて、それ以上は言葉にせず帰路についた。
祖母であり育て親の彼女は、そんなリアムの心境なんかとっくに知っていて、素直じゃないねえ、と笑い飛ばしながら、その背中を見送った。
*
「もう一度お聞きしますが、あなたは何者ですか? 何か、身分を証明できるものは……」
ヴェルタ先生がそう問う。部屋の中には、一人の中性的な容姿の子供と、騎士学校の先生たちが全員、集まっていた。
「ボクはナユタ。身分を証明できるものは特に持ってない。でも、信じてもらえないかもしれないけど、お願いがあるんだ。」
逃げてきたんだ。あの分厚い雲の下から、この空の上まで。役目も、期待も、全部を置いて。そう言う子供―――便宜上、彼、と表記する―――に、先生たちは顔を見合わせた。
「お願いだ。ボクをこの雲上の世界に置いてほしい」
それ以上には何も求めないから。
誰もが困ったように首を傾げる室内で、ヴェルタ先生だけが、真剣なまなざしをしていた。
外ではびゅうびゅうと風が吹き荒んでいて、まるで嵐の様相だった。
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#ふたつの翼、ひとつの空
4話 6873文字
朝を告げる鐘が鳴る。同時に、目覚まし時計がわんわんと騒ぎ出した。シーアは慌てて目を覚まし、目を擦りながらベッドから出る。サーヤは先に起きていたようで、起きてきたシーアに挨拶をした。
「おはよう、シーア」
「おはよー……。サーヤはいつも早いわね」
「シーアが寝坊助なんだよ」
朝弱いもんね、と付け足したサーヤに、うるさいなあ、とシーアはぼやきを返した。頭は働いていなさそうだ。
顔を洗いに行ったシーアのために、サーヤは櫛を用意して待つことにした。出てきたシーアをこっち、と手招いて髪の毛を梳かし、結ぶ。いつものシュシュをつけてやれば、シーアも目が覚めてきたようだった。これも、もはやいつものことだった。
「今日から授業が始まるね~」
「そうね。どう、サーヤ。楽しみ?」
シーアが振り返ってサーヤを見れば、に、と笑ってサーヤは言った。
「そりゃもちろん、楽しみだよ!」
*
リアムとマシューとも合流して、学校に向かう。そわそわした空気の中、しばらく教室で待っていれば、ガタガタガタ! と音を立てて教室の扉が開かれた。
知らない子だ。入学式の時にも見なかったような気がするが……? 教室を間違えたのだろうか。
その少年はずかずかと入って来ては、ぐるりとあたりを見渡す。見渡して、ばちり、と目のあったリアムに近づいてきた。
「なああんた、ここって一年の教室であってる?」
「……合ってるけど。あんた、誰だよ」
その少年が答える前に、ぱたぱたとイズミ先生が教室に入ってきた。
「ああ。いたいた、ジゼル! 急にどこかに行ったから心配したよ」
ジゼルと呼ばれた少年は、特に悪びれもせず先生の方を見た。
「えー、でも、先生。授業を受けるのってここじゃないんすかあ? 間違ってはないでしょ~」
「だとしても、だよ。まだ話さなきゃいけないことがあったんだから」
イズミ先生は呆れたようにそう言った。ジセルははいはい、とそれを流した。
「分かってるって、迷惑かけなきゃいいんすよね」
イズミ先生はちょっと困った顔をして、一瞬だけ押し黙ってしまった。そうではなくて、と改めて説明しようとしたのを、ジゼルは面倒くさそうに聞き流す体制をとった。
それを見た先生は、諦めたように首を横に振った。
「まあ君はよほど下手なことはしないだろうけどね」
それから、他の生徒たちに向けて彼の紹介を始めた。
「彼はジゼル。ちょっと事情があって入学式には来れなかったけど、この学校の生徒だよ」
「ジゼルで~す」
へら、と笑った彼――――ジゼルは、先生の方を見てこう言った。
「あれは言わなくていいの?」
「……どれ?」
そんな発言を聞き返したはいいものの、なんとなく嫌な予感がして、止めようとするよりも先にジゼルが口を開いた。
「ほら、最近捕まった空賊の首領の息子さんだよって」
みんな、もっと警戒したほうがいいすよ、ねえ。けたけたと笑いながらあっさりと大きな暴露をしたジゼルにイズミ先生は頭を抱えた。
生徒たちといえば、ぽかん、と口を開けてジゼルを見ていたが、しばらくして理解が追いついたのかざわざわと騒ぎ出す。え、空賊ってあの? 首領の息子って言った? ――――であればどうして騎士学校に?
そんな生徒たちの前でイズミ先生は仕切り直すように大きく咳払いをした。
「はあ、だからまだ話さなきゃいけないことがあるって……。まあいいや、ええと、説明するね」
先生の話をまとめると、こうだった。騎士学校の先生方の努力で一つの大きな空賊の集団が解散となった。大人たちは全員捕まったが、ジゼルはまだ子供だったため、更生のためという名目で騎士学校に入ることになった。
「これでも授業はちゃんと受けるつもりっすよ。だってそうじゃないと捕まるらしいし」
あっさりとそう言ったジゼルは、に、と笑って、よろしく、と言葉を続けた。
シーアとサーヤは顔を合わせて、お互いを何とも言えない顔をしているな、と思った。
*
ホームルームを終えて、初めての授業はティア先生のウィンドグライダーの扱いだった。本来は操縦、と題されているらしいが、ティア先生が操縦はちょっとね、と言って勝手に時間割の名称を変えているらしい。
「みんなは今、それぞれのウィンドグライダーに子供向けの装備を搭載して飛んでいると思うんだけど、今日からはそれを外して、戦闘用の装備を載せて飛んでもらうからねー」
ティア先生はそう言って自身のウィンドグライダーを呼んだ。戦闘用の装備は大きくて硬そうだった。重たくないんですか、と生徒の一人が問えば、負担にならないように作られてるから大丈夫よ、と先生は答えた。
「子供向けの装備は落ちにくいようになっているけど、その分、戦闘用の装備はかなり落ちる可能性が上がるからね。飛ぶときは一人ずつ飛ぶように!」
そう言って先生はひとまずと生徒たちにウィンドグライダーの装備を配った。装備のつけ方を順に説明していった。無事に全員が装備を終え、さて飛んでみよう、と、先生が見守る列にシーアとサーヤは並んだ。
「上手く飛べるかしらね~」
「ね、楽しみだね」
そんなほのぼのとした二人の後ろで、ふと、こんな声が聞こえた。
「え、なに。あんた、怖いんすか!」
ジゼルだった。振り向けば、リアムとマシューとなにやら話しているようだった。
「ちげーし! 馬鹿! んなわけねえだろうが!」
「え~、でもだってあんた、ずっとあの列に並ばないために言い訳してるじゃないすか。怖い以外の何でもなくないすか? それは素直に認めた方が……」
「ッはア!? うるせえなあ、そうじゃないって言ってんだろ!」
「ええ~~~……」
リアムはずかずかとこちらに近づいてくる。シーアは不思議そうな顔をしていたが、サーヤはなんとなく思い当たる節があってリアムに声を掛けた。
「リ、リアムくん」
「んだよ」
「……」
そのままサーヤは言葉が見つからず黙ってしまった。大丈夫かと聞いてもやめた方がといっても今の彼には意味がないだろう。それに、――――彼も騎士になりたいはずだ。
「なに、あんた。ほんとに怖いの? やめたって笑いやしないわよ」
シーアがそう言ったのと、次の生徒を呼ぶ先生の声が同時だった。
「だから……ッ うるせえな、見てろよ!」
そういってリアムは空へ走り出して行ってしまった。
「お、いい勢いだねえ!」
先生が笑いながら追いかける。リアムはしばらく安定して飛んでいたので、なーんだ、とその場の全員が安心したのも束の間、彼はぐらり、と姿勢を崩した。
それを後ろを飛んでいた先生がとっ捕まえて、彼のウィンドグライダーと共に戻ってくる。
戻ってきたリアムの顔色は相当で、心配していたサーヤとマシューは慌てて彼に駆け寄った。先生は、少し考えてからマシューにリアムを任せ、他の生徒の指導に戻って行った。
「おれも着いてっていい?」
ジゼルがそう聞いたのを、マシューは断ろうとした、が、リアムがそれを制した。マシューは少し悩んでから、好きにさせることにした。
*
「なーにもあんな無茶に飛ぶことねえすよ」
訓練所の隅っこ。逸る鼓動を落ち着かせるように水を飲んで、リアムは答えた。
「飛べねえと、騎士にだってなれねえだろ」
不服そうだった。悔しさ故かもしれないし、それ以上の何かでもある気がした。ジゼルは不思議そうに首をかしげた。
「騎士になりたいんすか」
「じゃなきゃこんなとこに居ねえって」
「じゃ、なにがそんなダメなんすか?」
「……」
こいつ。なにかしらでは覚えてろよ、と、リアムはいつかの逆襲を誓った。マシューが口をはさむ。
「ジゼルくんは、飛ぶの得意なの?」
「ンえ、まあ、得意というか、飛べないと賊出来ないっしょ」
これでもある程度の訓練は受けてますよ、とジゼルは言った。ああ、だからか、と一人納得して言葉を付け加える。
「おれなら、あんたのそれ、なんとかできるかもよ」
ほら、おれって、落ちるのも別に怖くないし。そう付け加えたジゼルにリアムは瞠目した。思ってもない言葉だった。
「……なんの真似だよ」
「えー。別に、興味本位? おれも舎弟がほしいんすよね」
「誰が舎弟だ」
「あんた」
「……」
ああ、もう。話にならない、とリアムは頭を抱えた。空ではシーアが訓練として飛んでいて、あいつはいいよな、と拗ねるような気持ちが湧いた。
しばらく無言の時間が流れた。空を飛ぶシーアはなんだか楽しそうで、高笑いがここまで聞こえてくるようだった。いや、実際に楽しくなっているのかもしれない。あんまりにも縦横無尽に飛ぶので、先生さえルートを定めておけばよかったかもしれない、と思っていた。
と、そんなとき、ぐらりとシーアが体勢を崩した。
「!」
「あ、」
落ちるっすねえ、あれ。ジゼルがつぶやいた声がやけに大きく聞こえた。先生がそばを飛んでいるのだから、大丈夫だと知っている。それなのに、なんだかすごく不安になった。
自分が今から飛んでも先生の速さには間に合わない。そもそもあそこまでたどり着けるか怪しい。危うく雲の中を突っ込みかけたシーアを、先生が拾った。当然だ。戻ってきたシーアは楽しそうにしたまま、サーヤに話しかけに行った。
それを見て、少し安心して息をつけば、それを見ていたジゼルがさらに声を掛けた。
「優しいっすねえ、そんなすか」
「……なにがだよ」
「え、だって、怖いんでしょ」
自分が落ちるのも、誰かが落ちるのも。自己責任だと思いますけどねえ、とジゼルが言うのはあまり聞こえなかった。その通りだな、と思考にふけってしまったからだ。
ウィンドグライダーの乗り方の本を、片っ端から集めて読んでいる。落ちないために。みじめな姿を晒さなくていいように。
それでも、落ちた。そうであるのなら、この恐怖には、慣れるしかないのだろうか。
いつか、慣れる日が来るだろうか。
「リアム」
マシューの声で我に返る。彼は少し悩んで、言葉を続けた。
「ジゼルくんの言う通り、なんで怖いのか、僕も知りたいな。それを知れば、解決できる何かがあるかもしれない」
「……」
人を頼るなんてごめんだと思っていたが、一人では手詰まりなのも事実だった。……確かに、そうかもしれない。納得すれば、言葉は自然と出てきた。
「……本当に誰もいないところで落ちたら、見つけてもらえねえんじゃねえかなって、思ったことがあるんだ」
スカイラヴィスの世界の人々にとって、雲の下は未知だ。しかし、雲は雲だ。突っ切って落ちれば、何かにはぶつかるだろう。
それがとても恐ろしく思えた。実は何も無いかもしれないのが怖くて、本を読み漁った。
分かったのは、地上、と呼ばれるなにかがあること。そこにたどり着けば、もう帰ってこれないことだけだった。
未知は怖い。もし、先生のいないところで飛んで、落ちて、見つけてもらえなかったら。
一人ぼっちになるのだとしたら。
そんなリアムの話を、二人は静かに聞いていた。やがてジゼルが口を開く。
「へえ、想像力豊かすねえ、たしかに」
なるほど、と彼は頷いた。頷いてから、こう言った。
「リアムって、ウィンドグライダーのこと、あんま信用してないでしょ」
「……え」
思ってもない言葉だった。思わず自身のウィンドグライダーの方を見る。目は合わなかった。
「おれはあいつが拾ってくれると思ってるから」
な、と彼は自身のウィンドグライダーを見る。彼のウィンドグライダーは嬉しそうにパタパタと近くに寄ってきた。
「おれらって、二つで一つだからさ。なんせ、落ちたら拾ってもらえるのなんて、子供の時まで、すからね」
そう言ってから、ウィンドグライダーを撫でる。喜びを表現するように、彼もくるる、と震えた。
「だからあんたも交流増やしたら? 見た感じ、まだあんまお互いのこと知らないでしょ」
思ったよりも有用なアドバイスだった。意外な気持ちが勝ってしまって、リアムが唖然としていると、後ろからマシューが口を開いた。
「悔しい……ッ」
「は?」
珍しい声だった。思わず振り返る。わなわなと手を震わせた彼は、ジゼルに噛みつくように近づいた。
「どうやってそこまでの信頼関係を築いたの!? 手入れはどうやってしてる? 好きな食べ物と嫌いな食べ物の把握ってどうやってしてる!? うちの子ほんとに表情が変わらなくて困ってるんだよ、ちょ、ちょっと、ああもう、聞きたいことがありすぎる!!」
矢継ぎ早だった。さすがのジゼルも目を白黒とさせていたので、仕方なくリアムが止めに入る。
「お、おい、マシュー。少し落ち着けよ」
「落ち着けないよ! 答えてくれるまでこの手を離さないから」
「えー、それは困るすねえ……?」
首を傾げてからジゼルは答えだした。
「でもあんたら別に仲悪くないでしょ。それくらいわかりますよ。表情が分かりにくいのはそういう個性なんじゃないすかねえ」
ジゼルがそう言えば、マシューはなるほど、と納得したように手を離した。それから、少し恥ずかしそうに照れ笑いをした。彼のウィンドグライダーは気づけばマシューのそばにいて、一気に詰め寄りすぎだと軽く頭突きをした。
「そこの男ども――――!! 休憩が終わったなら戻ってきなさーい!!」
ティア先生が叫ぶ。思ったよりも時間を使ってしまった。全員ではーい、と返事をして、授業に戻ることにした。
*
その後の授業では、マシューもジゼルも訓練として飛んだが、二人は落ちることなく戻ってきた。シーアは、サーヤがうまく飛べたのをまるで自分ごとのように自慢していた。
「うんうん。このように、ウィンドグライダーたちはその人その人との関係性で飛びやすくなることもあるからね。今回の訓練で一回でも落ちた子たちは、彼らとの関係性を見直してみるのも手だよ~」
相談は適宜受け付けるからねー、と、そう言ってティア先生は授業を締めた。
「楽しかったわね、サーヤ!」
「そ、そうだね、シーア」
マシューはリアムの方をちらと向いたが、リアムは何かを考えこむように、ティア先生の方には向かわなかった。
「あ、リアム。大丈夫だったの、あんた」
「……おー」
シーアが声を掛けてもリアムの返事はほとんど上の空で、シーアとサーヤは顔を合わせ首を傾げた。
「大丈夫かな、リアムくん」
「ねえ」
そんなシーアとサーヤの後ろからマシューが声を掛けた。
「大丈夫だよ、多分ね……」
「まあ何とかする気はあるみたいすよ」
ジゼルも後ろから声を掛けてくる。シーアは、本当に怖かったのか、あれ、とリアムに思いを馳せて、まあでもそんなこともあるか、と考え直した。空の上で彼を煽るのはやめようと思った。
*
次の授業はヴェルタ先生だった。
「あら、あらら、出席簿はどこに行ったかしら……?」
あわ……あわ……、という効果音が似合いそうな、ゆったりした動きで出席簿を探し、あ、あった、とその小さな袋の中から大きさに見合わない出席簿を取り出した。
「よしよし、見つかりましたね」
そういって出席を取り、うんうん、と頷きながらそれをしまう。それから、こちらを向いてにこりと微笑み、はじめまして、と自己紹介を始める。
「ヴェルタです。歴史とか、文化とか、教養とかの授業を担当しています。担当授業が多いのは、私がいちばん秀でているからよ」
今日はねえ、風の誓約の日の話をしようと思ってねえ、と彼女が話す傍ら、黒板にさらさらとペンで書き記されていく。
「みなさんはまだご自身のウィンドグライダーに、正式には名前をつけていませんね」
はい、と生徒たちが頷く。ヴェルタ先生は続ける。
「みなさんの中には知ってる方も多いと思いますが、彼らの名前は風の誓約の日、正式に命名することができます。要するに、ウィンドグライダーと風翼の誓いを結ぶ日、ですね」
風翼の誓いのことはご存じかしら。先生はあたりを見渡した。マシューがはい、と手を上げる。
「ウィンドグライダーを武装させて乗るための免許みたいなもの、ですよね。ウィンドグライダーたちが僕たちを選んでくれたら結べるもので、彼らとの絆が試されたりもすると聞いています」
ヴェルタ先生は頷く。素晴らしい、その通りです。とマシューを褒めた後、補足として説明を始めた。
「風翼の誓いを結んだ人々には、彼らからの承認を得たことを証明するためのピンバッチが配られます。それがこれね」
ヴェルタ先生は自身の胸についたピンバッチを掲げた。教室内がおお、とどよめく。シーアもサーヤも知ってはいたが、いざ説明されて見せられると、なんだかいっそうかっこ良く見えた。
「先生も飛べるんすねえ」
ジゼルが声を掛ける。先生は笑って、これでも冒険者で研究者だったのよ、と言った。
*
その後の授業は何事もなく、無事に楽しく終えられた。
その帰り道、リアムはそそくさと訓練所に向かった。自身を選んだウィンドグライダーが飛んでいる。リアムが来たのを見て、彼は飛び近づいてきた。
「お前、何が好きなの」
突然の問いかけに、彼は首を傾げた。リアムは言葉を重ねる。
「何の食べ物が好きなのかだけでも、知れれば」
歩み寄れるかなって。彼の声は小さくて、聞き取れるかもわからなかったが、それでも聞き取ったらしい彼は、リアムの頭にとん、と自身の頭を乗せた。
リアムは困り果てたようにそれを受けて、思い出す。そういえば、昔はよく林檎を持ってきてやっていた。空を飛ぶのが楽しくて、こいつと一緒にどこまでも行けると思っていた頃のことだ。こいつはこれが好きだった。大人になってから、いつしか振り払うようになって、――――そういえば、昔は仲が良かったっけ。
「お前、変わんないんだな」
もう俺は、空が怖くて、お前に乗ることなんて、いつか夢のまた夢になるかもしれないのに。そんなことを思えば、何かを察した彼は、乗せていた頭をごん、とぶつけた。いて、とよろけたリアムを放置して、彼は飛び去って行った。
今からでも、歩み寄ったとして。自分はまた空を飛べるだろうか。
とりあえず次は、好きそうな食べ物を持ってきてみよう、と心に決めて、リアムは寮に戻ることにした。
畳む
4話 6873文字
朝を告げる鐘が鳴る。同時に、目覚まし時計がわんわんと騒ぎ出した。シーアは慌てて目を覚まし、目を擦りながらベッドから出る。サーヤは先に起きていたようで、起きてきたシーアに挨拶をした。
「おはよう、シーア」
「おはよー……。サーヤはいつも早いわね」
「シーアが寝坊助なんだよ」
朝弱いもんね、と付け足したサーヤに、うるさいなあ、とシーアはぼやきを返した。頭は働いていなさそうだ。
顔を洗いに行ったシーアのために、サーヤは櫛を用意して待つことにした。出てきたシーアをこっち、と手招いて髪の毛を梳かし、結ぶ。いつものシュシュをつけてやれば、シーアも目が覚めてきたようだった。これも、もはやいつものことだった。
「今日から授業が始まるね~」
「そうね。どう、サーヤ。楽しみ?」
シーアが振り返ってサーヤを見れば、に、と笑ってサーヤは言った。
「そりゃもちろん、楽しみだよ!」
*
リアムとマシューとも合流して、学校に向かう。そわそわした空気の中、しばらく教室で待っていれば、ガタガタガタ! と音を立てて教室の扉が開かれた。
知らない子だ。入学式の時にも見なかったような気がするが……? 教室を間違えたのだろうか。
その少年はずかずかと入って来ては、ぐるりとあたりを見渡す。見渡して、ばちり、と目のあったリアムに近づいてきた。
「なああんた、ここって一年の教室であってる?」
「……合ってるけど。あんた、誰だよ」
その少年が答える前に、ぱたぱたとイズミ先生が教室に入ってきた。
「ああ。いたいた、ジゼル! 急にどこかに行ったから心配したよ」
ジゼルと呼ばれた少年は、特に悪びれもせず先生の方を見た。
「えー、でも、先生。授業を受けるのってここじゃないんすかあ? 間違ってはないでしょ~」
「だとしても、だよ。まだ話さなきゃいけないことがあったんだから」
イズミ先生は呆れたようにそう言った。ジセルははいはい、とそれを流した。
「分かってるって、迷惑かけなきゃいいんすよね」
イズミ先生はちょっと困った顔をして、一瞬だけ押し黙ってしまった。そうではなくて、と改めて説明しようとしたのを、ジゼルは面倒くさそうに聞き流す体制をとった。
それを見た先生は、諦めたように首を横に振った。
「まあ君はよほど下手なことはしないだろうけどね」
それから、他の生徒たちに向けて彼の紹介を始めた。
「彼はジゼル。ちょっと事情があって入学式には来れなかったけど、この学校の生徒だよ」
「ジゼルで~す」
へら、と笑った彼――――ジゼルは、先生の方を見てこう言った。
「あれは言わなくていいの?」
「……どれ?」
そんな発言を聞き返したはいいものの、なんとなく嫌な予感がして、止めようとするよりも先にジゼルが口を開いた。
「ほら、最近捕まった空賊の首領の息子さんだよって」
みんな、もっと警戒したほうがいいすよ、ねえ。けたけたと笑いながらあっさりと大きな暴露をしたジゼルにイズミ先生は頭を抱えた。
生徒たちといえば、ぽかん、と口を開けてジゼルを見ていたが、しばらくして理解が追いついたのかざわざわと騒ぎ出す。え、空賊ってあの? 首領の息子って言った? ――――であればどうして騎士学校に?
そんな生徒たちの前でイズミ先生は仕切り直すように大きく咳払いをした。
「はあ、だからまだ話さなきゃいけないことがあるって……。まあいいや、ええと、説明するね」
先生の話をまとめると、こうだった。騎士学校の先生方の努力で一つの大きな空賊の集団が解散となった。大人たちは全員捕まったが、ジゼルはまだ子供だったため、更生のためという名目で騎士学校に入ることになった。
「これでも授業はちゃんと受けるつもりっすよ。だってそうじゃないと捕まるらしいし」
あっさりとそう言ったジゼルは、に、と笑って、よろしく、と言葉を続けた。
シーアとサーヤは顔を合わせて、お互いを何とも言えない顔をしているな、と思った。
*
ホームルームを終えて、初めての授業はティア先生のウィンドグライダーの扱いだった。本来は操縦、と題されているらしいが、ティア先生が操縦はちょっとね、と言って勝手に時間割の名称を変えているらしい。
「みんなは今、それぞれのウィンドグライダーに子供向けの装備を搭載して飛んでいると思うんだけど、今日からはそれを外して、戦闘用の装備を載せて飛んでもらうからねー」
ティア先生はそう言って自身のウィンドグライダーを呼んだ。戦闘用の装備は大きくて硬そうだった。重たくないんですか、と生徒の一人が問えば、負担にならないように作られてるから大丈夫よ、と先生は答えた。
「子供向けの装備は落ちにくいようになっているけど、その分、戦闘用の装備はかなり落ちる可能性が上がるからね。飛ぶときは一人ずつ飛ぶように!」
そう言って先生はひとまずと生徒たちにウィンドグライダーの装備を配った。装備のつけ方を順に説明していった。無事に全員が装備を終え、さて飛んでみよう、と、先生が見守る列にシーアとサーヤは並んだ。
「上手く飛べるかしらね~」
「ね、楽しみだね」
そんなほのぼのとした二人の後ろで、ふと、こんな声が聞こえた。
「え、なに。あんた、怖いんすか!」
ジゼルだった。振り向けば、リアムとマシューとなにやら話しているようだった。
「ちげーし! 馬鹿! んなわけねえだろうが!」
「え~、でもだってあんた、ずっとあの列に並ばないために言い訳してるじゃないすか。怖い以外の何でもなくないすか? それは素直に認めた方が……」
「ッはア!? うるせえなあ、そうじゃないって言ってんだろ!」
「ええ~~~……」
リアムはずかずかとこちらに近づいてくる。シーアは不思議そうな顔をしていたが、サーヤはなんとなく思い当たる節があってリアムに声を掛けた。
「リ、リアムくん」
「んだよ」
「……」
そのままサーヤは言葉が見つからず黙ってしまった。大丈夫かと聞いてもやめた方がといっても今の彼には意味がないだろう。それに、――――彼も騎士になりたいはずだ。
「なに、あんた。ほんとに怖いの? やめたって笑いやしないわよ」
シーアがそう言ったのと、次の生徒を呼ぶ先生の声が同時だった。
「だから……ッ うるせえな、見てろよ!」
そういってリアムは空へ走り出して行ってしまった。
「お、いい勢いだねえ!」
先生が笑いながら追いかける。リアムはしばらく安定して飛んでいたので、なーんだ、とその場の全員が安心したのも束の間、彼はぐらり、と姿勢を崩した。
それを後ろを飛んでいた先生がとっ捕まえて、彼のウィンドグライダーと共に戻ってくる。
戻ってきたリアムの顔色は相当で、心配していたサーヤとマシューは慌てて彼に駆け寄った。先生は、少し考えてからマシューにリアムを任せ、他の生徒の指導に戻って行った。
「おれも着いてっていい?」
ジゼルがそう聞いたのを、マシューは断ろうとした、が、リアムがそれを制した。マシューは少し悩んでから、好きにさせることにした。
*
「なーにもあんな無茶に飛ぶことねえすよ」
訓練所の隅っこ。逸る鼓動を落ち着かせるように水を飲んで、リアムは答えた。
「飛べねえと、騎士にだってなれねえだろ」
不服そうだった。悔しさ故かもしれないし、それ以上の何かでもある気がした。ジゼルは不思議そうに首をかしげた。
「騎士になりたいんすか」
「じゃなきゃこんなとこに居ねえって」
「じゃ、なにがそんなダメなんすか?」
「……」
こいつ。なにかしらでは覚えてろよ、と、リアムはいつかの逆襲を誓った。マシューが口をはさむ。
「ジゼルくんは、飛ぶの得意なの?」
「ンえ、まあ、得意というか、飛べないと賊出来ないっしょ」
これでもある程度の訓練は受けてますよ、とジゼルは言った。ああ、だからか、と一人納得して言葉を付け加える。
「おれなら、あんたのそれ、なんとかできるかもよ」
ほら、おれって、落ちるのも別に怖くないし。そう付け加えたジゼルにリアムは瞠目した。思ってもない言葉だった。
「……なんの真似だよ」
「えー。別に、興味本位? おれも舎弟がほしいんすよね」
「誰が舎弟だ」
「あんた」
「……」
ああ、もう。話にならない、とリアムは頭を抱えた。空ではシーアが訓練として飛んでいて、あいつはいいよな、と拗ねるような気持ちが湧いた。
しばらく無言の時間が流れた。空を飛ぶシーアはなんだか楽しそうで、高笑いがここまで聞こえてくるようだった。いや、実際に楽しくなっているのかもしれない。あんまりにも縦横無尽に飛ぶので、先生さえルートを定めておけばよかったかもしれない、と思っていた。
と、そんなとき、ぐらりとシーアが体勢を崩した。
「!」
「あ、」
落ちるっすねえ、あれ。ジゼルがつぶやいた声がやけに大きく聞こえた。先生がそばを飛んでいるのだから、大丈夫だと知っている。それなのに、なんだかすごく不安になった。
自分が今から飛んでも先生の速さには間に合わない。そもそもあそこまでたどり着けるか怪しい。危うく雲の中を突っ込みかけたシーアを、先生が拾った。当然だ。戻ってきたシーアは楽しそうにしたまま、サーヤに話しかけに行った。
それを見て、少し安心して息をつけば、それを見ていたジゼルがさらに声を掛けた。
「優しいっすねえ、そんなすか」
「……なにがだよ」
「え、だって、怖いんでしょ」
自分が落ちるのも、誰かが落ちるのも。自己責任だと思いますけどねえ、とジゼルが言うのはあまり聞こえなかった。その通りだな、と思考にふけってしまったからだ。
ウィンドグライダーの乗り方の本を、片っ端から集めて読んでいる。落ちないために。みじめな姿を晒さなくていいように。
それでも、落ちた。そうであるのなら、この恐怖には、慣れるしかないのだろうか。
いつか、慣れる日が来るだろうか。
「リアム」
マシューの声で我に返る。彼は少し悩んで、言葉を続けた。
「ジゼルくんの言う通り、なんで怖いのか、僕も知りたいな。それを知れば、解決できる何かがあるかもしれない」
「……」
人を頼るなんてごめんだと思っていたが、一人では手詰まりなのも事実だった。……確かに、そうかもしれない。納得すれば、言葉は自然と出てきた。
「……本当に誰もいないところで落ちたら、見つけてもらえねえんじゃねえかなって、思ったことがあるんだ」
スカイラヴィスの世界の人々にとって、雲の下は未知だ。しかし、雲は雲だ。突っ切って落ちれば、何かにはぶつかるだろう。
それがとても恐ろしく思えた。実は何も無いかもしれないのが怖くて、本を読み漁った。
分かったのは、地上、と呼ばれるなにかがあること。そこにたどり着けば、もう帰ってこれないことだけだった。
未知は怖い。もし、先生のいないところで飛んで、落ちて、見つけてもらえなかったら。
一人ぼっちになるのだとしたら。
そんなリアムの話を、二人は静かに聞いていた。やがてジゼルが口を開く。
「へえ、想像力豊かすねえ、たしかに」
なるほど、と彼は頷いた。頷いてから、こう言った。
「リアムって、ウィンドグライダーのこと、あんま信用してないでしょ」
「……え」
思ってもない言葉だった。思わず自身のウィンドグライダーの方を見る。目は合わなかった。
「おれはあいつが拾ってくれると思ってるから」
な、と彼は自身のウィンドグライダーを見る。彼のウィンドグライダーは嬉しそうにパタパタと近くに寄ってきた。
「おれらって、二つで一つだからさ。なんせ、落ちたら拾ってもらえるのなんて、子供の時まで、すからね」
そう言ってから、ウィンドグライダーを撫でる。喜びを表現するように、彼もくるる、と震えた。
「だからあんたも交流増やしたら? 見た感じ、まだあんまお互いのこと知らないでしょ」
思ったよりも有用なアドバイスだった。意外な気持ちが勝ってしまって、リアムが唖然としていると、後ろからマシューが口を開いた。
「悔しい……ッ」
「は?」
珍しい声だった。思わず振り返る。わなわなと手を震わせた彼は、ジゼルに噛みつくように近づいた。
「どうやってそこまでの信頼関係を築いたの!? 手入れはどうやってしてる? 好きな食べ物と嫌いな食べ物の把握ってどうやってしてる!? うちの子ほんとに表情が変わらなくて困ってるんだよ、ちょ、ちょっと、ああもう、聞きたいことがありすぎる!!」
矢継ぎ早だった。さすがのジゼルも目を白黒とさせていたので、仕方なくリアムが止めに入る。
「お、おい、マシュー。少し落ち着けよ」
「落ち着けないよ! 答えてくれるまでこの手を離さないから」
「えー、それは困るすねえ……?」
首を傾げてからジゼルは答えだした。
「でもあんたら別に仲悪くないでしょ。それくらいわかりますよ。表情が分かりにくいのはそういう個性なんじゃないすかねえ」
ジゼルがそう言えば、マシューはなるほど、と納得したように手を離した。それから、少し恥ずかしそうに照れ笑いをした。彼のウィンドグライダーは気づけばマシューのそばにいて、一気に詰め寄りすぎだと軽く頭突きをした。
「そこの男ども――――!! 休憩が終わったなら戻ってきなさーい!!」
ティア先生が叫ぶ。思ったよりも時間を使ってしまった。全員ではーい、と返事をして、授業に戻ることにした。
*
その後の授業では、マシューもジゼルも訓練として飛んだが、二人は落ちることなく戻ってきた。シーアは、サーヤがうまく飛べたのをまるで自分ごとのように自慢していた。
「うんうん。このように、ウィンドグライダーたちはその人その人との関係性で飛びやすくなることもあるからね。今回の訓練で一回でも落ちた子たちは、彼らとの関係性を見直してみるのも手だよ~」
相談は適宜受け付けるからねー、と、そう言ってティア先生は授業を締めた。
「楽しかったわね、サーヤ!」
「そ、そうだね、シーア」
マシューはリアムの方をちらと向いたが、リアムは何かを考えこむように、ティア先生の方には向かわなかった。
「あ、リアム。大丈夫だったの、あんた」
「……おー」
シーアが声を掛けてもリアムの返事はほとんど上の空で、シーアとサーヤは顔を合わせ首を傾げた。
「大丈夫かな、リアムくん」
「ねえ」
そんなシーアとサーヤの後ろからマシューが声を掛けた。
「大丈夫だよ、多分ね……」
「まあ何とかする気はあるみたいすよ」
ジゼルも後ろから声を掛けてくる。シーアは、本当に怖かったのか、あれ、とリアムに思いを馳せて、まあでもそんなこともあるか、と考え直した。空の上で彼を煽るのはやめようと思った。
*
次の授業はヴェルタ先生だった。
「あら、あらら、出席簿はどこに行ったかしら……?」
あわ……あわ……、という効果音が似合いそうな、ゆったりした動きで出席簿を探し、あ、あった、とその小さな袋の中から大きさに見合わない出席簿を取り出した。
「よしよし、見つかりましたね」
そういって出席を取り、うんうん、と頷きながらそれをしまう。それから、こちらを向いてにこりと微笑み、はじめまして、と自己紹介を始める。
「ヴェルタです。歴史とか、文化とか、教養とかの授業を担当しています。担当授業が多いのは、私がいちばん秀でているからよ」
今日はねえ、風の誓約の日の話をしようと思ってねえ、と彼女が話す傍ら、黒板にさらさらとペンで書き記されていく。
「みなさんはまだご自身のウィンドグライダーに、正式には名前をつけていませんね」
はい、と生徒たちが頷く。ヴェルタ先生は続ける。
「みなさんの中には知ってる方も多いと思いますが、彼らの名前は風の誓約の日、正式に命名することができます。要するに、ウィンドグライダーと風翼の誓いを結ぶ日、ですね」
風翼の誓いのことはご存じかしら。先生はあたりを見渡した。マシューがはい、と手を上げる。
「ウィンドグライダーを武装させて乗るための免許みたいなもの、ですよね。ウィンドグライダーたちが僕たちを選んでくれたら結べるもので、彼らとの絆が試されたりもすると聞いています」
ヴェルタ先生は頷く。素晴らしい、その通りです。とマシューを褒めた後、補足として説明を始めた。
「風翼の誓いを結んだ人々には、彼らからの承認を得たことを証明するためのピンバッチが配られます。それがこれね」
ヴェルタ先生は自身の胸についたピンバッチを掲げた。教室内がおお、とどよめく。シーアもサーヤも知ってはいたが、いざ説明されて見せられると、なんだかいっそうかっこ良く見えた。
「先生も飛べるんすねえ」
ジゼルが声を掛ける。先生は笑って、これでも冒険者で研究者だったのよ、と言った。
*
その後の授業は何事もなく、無事に楽しく終えられた。
その帰り道、リアムはそそくさと訓練所に向かった。自身を選んだウィンドグライダーが飛んでいる。リアムが来たのを見て、彼は飛び近づいてきた。
「お前、何が好きなの」
突然の問いかけに、彼は首を傾げた。リアムは言葉を重ねる。
「何の食べ物が好きなのかだけでも、知れれば」
歩み寄れるかなって。彼の声は小さくて、聞き取れるかもわからなかったが、それでも聞き取ったらしい彼は、リアムの頭にとん、と自身の頭を乗せた。
リアムは困り果てたようにそれを受けて、思い出す。そういえば、昔はよく林檎を持ってきてやっていた。空を飛ぶのが楽しくて、こいつと一緒にどこまでも行けると思っていた頃のことだ。こいつはこれが好きだった。大人になってから、いつしか振り払うようになって、――――そういえば、昔は仲が良かったっけ。
「お前、変わんないんだな」
もう俺は、空が怖くて、お前に乗ることなんて、いつか夢のまた夢になるかもしれないのに。そんなことを思えば、何かを察した彼は、乗せていた頭をごん、とぶつけた。いて、とよろけたリアムを放置して、彼は飛び去って行った。
今からでも、歩み寄ったとして。自分はまた空を飛べるだろうか。
とりあえず次は、好きそうな食べ物を持ってきてみよう、と心に決めて、リアムは寮に戻ることにした。
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#ふたつの翼、ひとつの空
3話 6130文字
風が、吹き抜けて行った。
セレスティア騎士学校の大広間に、盛大な音楽が流れ始める。高い天井から差し込む光が、整列した生徒たちの上に降り注いで、まるで祝福のようだった。
その光景に、シーアとサーヤは思わず息を飲んだ。
今日は、記念すべきセレスティア騎士学校の入学式だ。
おじいちゃんもおばあちゃんも、ウィンドグライダーに乗って王都まで見に来てくれているようだった。
彼らに小さく手を振ってから辺りを見渡す。クラスメイトたちはみんな、まっすぐ前を向いていた。
ここにいる人たちはみんな、強くなりたくてここにいるんだ。
そう思うとわくわくして、今にも走り出したくなった。
「続いては、校長先生のお話です」
アナウンスが流れて、校長先生らしき細身の綺麗な女性が壇上に上がった。少しの驚きが、空気をざわつかせた。
少しばかりマイクの確認をしてから、ふう、と一つ息をついた彼女は、声を出す。
「風は、行き先を選ばない」
強く、芯のある声だった。校長先生――――セラ校長は、壇上からゆっくりと生徒たちを見渡した。
「どんな者にも等しく吹き、どんな者にも等しく翼を与える。強い者にも、弱い者にも。正しい者にも、そうでない者にも」
一拍。
「だから、風に恥じない騎士になりなさい。それだけでいい」
「――――アタシを失望させないように」
以上。彼女はその言葉でスピーチを締めた。ぱちぱちと拍手がおきて、来賓の挨拶、校歌斉唱、その後に先生方の紹介。
一年生の授業を担当する先生はイズミ先生を含め四人だった。
「レナードだ。戦術や作戦の立案の授業を担当をしている。最も、そんなことは必要にならない方がいいんだが……」
ガタイの良い怖い顔の先生がそう語り出そうとして、ひとつ咳払いをした。
「こほん。この話は長くなりそうだ。えーと、一年生の諸君、よろしく頼む」
「相変わらずお堅いなあ、レナード先生は!」
隣で楽しそうに笑う女性につつかれて、レナード先生は少し眉間に皺を寄せた。
気にも止めない彼女は前に出る。
「ティアです! ウィンドグライダーの操縦の授業をします。操縦って言うと機械みたいでやだよねえ、彼らは生き物なのにね~」
あっはっは。そんな言葉も一人で笑い飛ばして、よろしくね、と言葉が付け加えられた。
その隣で、穏やかな表情をした先生が一歩前に出る。
「ヴェルタです。座学的なところはおおよそ担当なんじゃないでしょうか」
うーん、そうですね、と首を捻ってから、言葉がまとまったのかこちらに向き直る。
「歴史や文化、教養、あと魔法の授業を担当しています。よろしくお願いしますね」
最後にイズミ先生が前に出た。
「はあい、イズミで~す。先に寮に入ってる子達には言ったけど、今年の一年生の担任の先生をやります。あと武道・剣道の授業もやるからね~」
ひと呼吸。
「分かってる子もいるかもしれないけど、君たちが今日から学ぶ技術は人を殺す技術だからね。授業は真面目に受けること。そうじゃないと、自分の命が守れないからね」
よろしくね、と念を押して、先生方の自己紹介は締められた。拍手が響く。
その空気のまま入学式は終わり、新入生の生徒、そしてその保護者たちは、先生に連れられて教室に行くことになった。
シーアとサーヤはそわそわと辺りを見渡した。今年の一年生は一クラスだけのようだった。
席順はみんなバラバラで、サーヤはなんだか少し寂しかったが、いやいや、でも、と思い直す。イズミ先生の言う通り、真面目に授業を受けるための計らいなのだろうと思うことにした。
ざわざわと騒がしい教室の中、イズミ先生がパチリと手を叩く。
「はい、静かに! 色々と話したいことがあるかもしれないけど、一旦僕の話を聞いてねー」
静かになった生徒たちを見て、イズミ先生はうんうんと頷いた。
「さて、今日からこのクラスのみんなで授業を受けてもらいます。なので、まずは自己紹介からだよね」
生徒一人一人の顔を見て、にっこりと先生は笑った。
「仲良くするにはある程度をお互いを知ってもらうことが一番! じゃあ君から、どうぞ」
席の端っこに座っていた生徒が指され、自己紹介をしていく。みんながみんな堂々と自己紹介するので、慌てて自分の自己紹介を考える羽目になった。
「シーアよ。いつかお父様のように立派な冒険者になるために騎士学校に入ったわ! よろしくね」
シーアがサーヤにウィンクを飛ばした。
「マシューです。ウィンドグライダーと沢山触れ合いたくて騎士学校に入りました。よろしくお願いします」
「俺はリアム。……そんな大それた理由はないけど、戦えたらかっけえなと思って騎士学校に入りました。よろしく」
二人もあっさりと自己紹介をこなした。
そうしているうちに、気付けばサーヤの番になってしまっていて、慌てて立ち上がる。
「ええっと、サーヤです! シーアと一緒で、いつか立派な冒険者になるために騎士学校に入りました。よろしくお願いします!」
無事、自己紹介を終えて座る。自分の自己紹介考えるのに必死で、他の子達の自己紹介はあまり頭に残らなかった。
あとでシーアに教えてもらおう。そう静かに決心していれば、全員の自己紹介が終わっていた。
よしよしと満足気なイズミ先生は、その後の連絡事項をさっさと済ませて、パタリと出席簿を畳んだ。
「さて、今日はこれでおしまい! 明日から授業だから気を引き締めて来るように。それじゃあね~」
手をひらひらと振ってイズミ先生は生徒を解散させる。シーアとサーヤは真っ直ぐにおじいちゃんとおばあちゃんの元に駆け寄った。
「おじいちゃん! おばあちゃん!」
彼らは嬉しそうに顔を綻ばせ、二人を穏やかに迎え入れた。
「見てたかしら! 私たち、無事に入学したのよ!」
「ええ、ええ、見てたわよ~」
「……」
おばあちゃんがニコニコ笑ってそう言った横で、無言で立っているおじいちゃんの目元は少し赤かった。
「おじいちゃんたら、入学式の時ずっと泣いてたんだから。私も泣きそうになっちゃったわ~」
「こ、こら、その話はいいだろう」
シーアとサーヤは顔を見合せて笑った。しばらくの寮暮らしであまり会えていなかったが、彼らは変わらずだった。
寮の部屋が広くて嬉しいこと。それでも屋根裏部屋が恋しいこと。おじいちゃんとおばあちゃんがいなくて寂しいこと。でも、楽しみな気持ちが勝っていること。そんな話を次々二人でしていれば、おじいちゃんもおばあちゃんも安心したように笑った。
「二人とも、楽しそうねえ。私たちまで寂しくなっちゃうわ~」
「先生方に迷惑はかけないようにするんだぞ」
「もちろん!」
「当然だわ」
まあ、なんだ、二人なら大丈夫だろう。とおじいちゃんが言ったあたりで、帰りのウィンドグライダーのタクシーが来たことを告げるアナウンスが鳴る。
「ああ、そろそろね。」
「ああ……。それじゃ、二人とも、また」
「うん、おじいちゃん、おばあちゃん!」
「またね!」
おじいちゃんとおばあちゃんを見送れば、二人だけ、というのが急に寂しく感じた。
それでも、きっと、大丈夫だ。
「ねえ、サーヤ! せっかく学園に来たことだし、少しだけ探検してから帰らない!?」
「え、あ、それって良いのかな!?」
「だって、もう私たちの学校でしょ!」
に、と笑ってシーアが駆け出す。サーヤはそれを慌てて追うことになった。
シーアがぱたぱたと廊下を走っていけば、どん、と誰かにぶつかる。わ、とシーアがよろけたのを受け止めて、その人は、安心したように微笑んだ。
「ああ、良かった。すみません、よそ見をしていたもので」
大丈夫でしたか? と、シーアに問う。ふと、思い出した。試験の日、リアムが落ちかけた時に駆けつけてくれた先輩だ。
「だ、大丈夫です! こちらこそ、すみません」
自然と敬語になったシーアに、先輩はこう言った。
「廊下を走るのは危ないので、なるべくやめましょうね」
その綺麗な所作に見惚れていたシーアとサーヤにそうやって念を押す。すみません、と答えれば、彼女はまた微笑んだ。
「あの時は受験生でしたね。入学おめでとうございます、わたくしはフェリシア。」
「は、はい! 私はシーアです」
「ぼくはサーヤです」
「いつかきっとなにかで一緒になる日も来るでしょう、頼もしい一年生のおふたりさん。その時はよろしくお願いいたしますね」
それでは、とフェリシアが去ろうとしたところで、
「ああ、あなたは本当に馬鹿な子!」
と、近くから怒鳴り声が聞こえた。
眉根を潜めたフェリシアは、ため息をひとつ着いて、二人に向き直る。
「……念の為、先生を呼んできてもらえますか」
「は、はい!」
誰かに何かがあったら大変だからと、指示通り、シーアとサーヤは先生を呼びに行くことにした。
*
フェリシアがその声の方に向かえば、一人の生徒とその母親であろう人物が立っていた。揉めているようだ。怒鳴り声がきんきんとしていて耳に悪い。
「本当にこんな場所に通うなんて! あなたは本当は絵を描くべきだって、なんで分かってくれないのかしら」
生徒――――マシューは事態を悪化させたくないのか、ただ、黙りこくっていた。
母親の方を見る。フェリシアも見たことがある。確か、著名な画家だったはずだ。あまり良い噂は聞いたことがない。こんなところで人目もはばからず喚いているのだから、おおよそは真実なのかもしれない、と思った。
だとしても、自身の顔くらいは知っているだろう、と判断して、フェリシアはひとつ、前に出る。
「ご家族でのご歓談中、失礼いたしますわ。今、わたくしの通う学校に何と?」
突然の乱入に眉を顰めてフェリシアの方を見た彼の母親は、分かりやすく慌てて笑顔を浮かべた。
「姫様!? ど、どうして……、ふふ、いえ、嫌だ、姫様ともなれば、私たちのことだってご存知でしょう。この子に言ってやってくれないかしら、我が家に生まれておきながら、ゼフィルアート学校に入らないのはおかしい、って」
この子は才能に恵まれているんです、他の子達と違って。彼女はそう言って笑った。噂通りだな、と思った。
フェリシアは小さくため息をついた。ああ、波風を立ててしまう。しかし、火のないところに煙は立たない。フェリシアは意を決して、口を開いた。
「失礼、わたくしは彼の意思が尊重されるべきと思いますわ」
あなたはどうしたいの。そうしてマシューに視線を向ければ、彼はまっすぐ母親を見てこう言った。
「母さん、前々から言ってるけど、僕はここで学びたいことがあるんだ」
彼の母親は口元をひくりと引き攣らせた。
「家系、血筋問わず、子供にはやりたいことをやらせるのが一番、とわたくしは考えます。それが本当にやりたいことなら、尚更。彼の人生はあなたがたのものではございませんよ」
ところで、とフェリシアはマシューの方を見る。
「貴方のことを先生がお呼びです。ついてきてくださるかしら」
マシューは慌てて頷いた。それじゃあ、と両親に断りを入れて、踵を返す。
残された母親の方はなんだかんだと騒いでいたが、そのうち先生方が駆け付け、騒ぎは半ば無理矢理な形で収束した。
*
「マシュー!」
「マシューくん!」
シーアとサーヤがイズミ先生を連れてきた頃には、騒ぎは終わっていた。
「あちゃあ、ごめんね。ちょっと用事があって出ていたんだ、他の先生方が対応してくれて良かったよ」
大丈夫だった? とイズミ先生は二人――――フェリシアとマシューに問う。フェリシアは頷いた。マシューは静かに頭を下げた。
「ごめんなさい、先生。うちの家族が……」
「ああ、いやいや、いいんだよ。顔を上げて」
イズミ先生にそう言われて顔を上げたマシューは、心底困り果てているようだった。
「僕、どうしたらいいんでしょうか」
フェリシアがひとつ、息をついた。
「あなたがやりたいことは明確なんでしょう」
「……はい、ですが」
マシューは彼女に視線を合わせずに頷いた。続く言葉を制して彼女は話す。
「困っている子供を助けるのが大人の役目、ですよね、先生」
「……そうだね。強いて言うなら、君も子供だよ、ということくらいかな」
笑って頷いたイズミ先生は、フェリシアに釘を刺すことも忘れない。フェリシアは少し不満気な顔をしたが、特に何も言わなかった。
「沢山迷惑をかけてくれよ、マシューくん。先生たちは大丈夫だから」
マシューは少し迷ってから頷いた。シーアとサーヤは、その光景を見ていることしか出来なかった。
そのうち、今日の終わりを告げる鐘が鳴る。イズミ先生は、もうそんな時間か、と零した。
「じゃあ、今日は解散! 疲れたでしょう、寮でいっぱい休んでね」
そうだ、と良いことを思いついたと言わんばかりに先生は指先を振った。
「ゼフィ・ドラヴァン・フォーレ・ス!」
その言葉と共に、ふ、と身体が軽くなる。翼が生えたよう、とはこのことだろうか。
本物の魔法だ。おじいちゃんとおばあちゃんが使っていたみたいな。シーアとサーヤは驚いて、イズミ先生の方を見た。
「イズミ先生って魔法使えるんですか!?」
「使えるよー。君たちもそのうち学ぶことになるからね」
それじゃ、先生は仕事してくるから。そう言って手を振って去っていく彼の背を見送ってから、フェリシアは三人に向き直った。
「寮まで送りましょう。どうせ目的地は同じですから」
*
寮に戻れば、大広間でリアムが待っていた。
読んでいた本から顔を上げて、咎めるようにリアムは言う。
「どこ行ってたんだよ」
俺一人ですげ~気まずかったけど。言葉の外にそんな雰囲気を醸しつつ彼はこちらを見た。
「それ、何読んでるの?」
そんなことは知ったことでは無いシーアが強引に話題を変えた。
「話聞けよ。……別に、何読んでてもいいだろ」
む、としたリアムは、それでも深入りはしなかった。
「えー! 気になるじゃない、教えなさいよ」
「嫌だよ! シーアには絶対教えてやらないね」
「なんでよ!」
ぎゃんぎゃん。いつも通りやり合い始めた二人をよそに、サーヤはマシューに声をかけた。
「マシューくん」
「なに?」
「ぼくたちにも頼ってね。リアムくんも、シーアも、きっとその方が嬉しいから」
マシューは一瞬だけ驚いたような表情を浮かべたが、すぐに破顔して頷いた。
「ありがとう。そうさせてもらおうかな」
サーヤはそれに頷いてから、シーアとリアムにご飯を食べようと誘いに行った。
フェリシアは、しばらくそれを眺めてから、ああいう距離の近さが、自分にはまだ分からなくて、少し羨ましい気がした。
*
「リアム」
夕食を済ませ、寮の部屋に戻ったマシューは、リアムに声を掛けた。
なんだよ。言葉にせずに視線だけを寄越したリアムに、マシューは苦笑してからこう言った。
「気を回してくれてありがとう」
「はあ?」
「踏み込まなかったでしょ」
別に、お前のためじゃない、と、リアムはそっぽを向いた。ああ、拗ねているなあ、とマシューは思った。
「いつか解決したら、笑い話として聞いてくれたら嬉しいよ。今は、……ちょっと情けなくてね」
リアムはそっぽを向いたままだ。
しばらくの沈黙。後、リアムが口を開いた。
「マシューだって、踏み込んで来ねえじゃん」
だから、これはお前のためじゃない。そう言ったリアムは、マシューがリアムの読んでいる本の内容とその意味を理解していることを知っていた。
再び沈黙。マシューは何を言うか悩んで、結局何も言わずに、おやすみ、と声をかけた。
帰ってくる声は、なかった。
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3話 6130文字
風が、吹き抜けて行った。
セレスティア騎士学校の大広間に、盛大な音楽が流れ始める。高い天井から差し込む光が、整列した生徒たちの上に降り注いで、まるで祝福のようだった。
その光景に、シーアとサーヤは思わず息を飲んだ。
今日は、記念すべきセレスティア騎士学校の入学式だ。
おじいちゃんもおばあちゃんも、ウィンドグライダーに乗って王都まで見に来てくれているようだった。
彼らに小さく手を振ってから辺りを見渡す。クラスメイトたちはみんな、まっすぐ前を向いていた。
ここにいる人たちはみんな、強くなりたくてここにいるんだ。
そう思うとわくわくして、今にも走り出したくなった。
「続いては、校長先生のお話です」
アナウンスが流れて、校長先生らしき細身の綺麗な女性が壇上に上がった。少しの驚きが、空気をざわつかせた。
少しばかりマイクの確認をしてから、ふう、と一つ息をついた彼女は、声を出す。
「風は、行き先を選ばない」
強く、芯のある声だった。校長先生――――セラ校長は、壇上からゆっくりと生徒たちを見渡した。
「どんな者にも等しく吹き、どんな者にも等しく翼を与える。強い者にも、弱い者にも。正しい者にも、そうでない者にも」
一拍。
「だから、風に恥じない騎士になりなさい。それだけでいい」
「――――アタシを失望させないように」
以上。彼女はその言葉でスピーチを締めた。ぱちぱちと拍手がおきて、来賓の挨拶、校歌斉唱、その後に先生方の紹介。
一年生の授業を担当する先生はイズミ先生を含め四人だった。
「レナードだ。戦術や作戦の立案の授業を担当をしている。最も、そんなことは必要にならない方がいいんだが……」
ガタイの良い怖い顔の先生がそう語り出そうとして、ひとつ咳払いをした。
「こほん。この話は長くなりそうだ。えーと、一年生の諸君、よろしく頼む」
「相変わらずお堅いなあ、レナード先生は!」
隣で楽しそうに笑う女性につつかれて、レナード先生は少し眉間に皺を寄せた。
気にも止めない彼女は前に出る。
「ティアです! ウィンドグライダーの操縦の授業をします。操縦って言うと機械みたいでやだよねえ、彼らは生き物なのにね~」
あっはっは。そんな言葉も一人で笑い飛ばして、よろしくね、と言葉が付け加えられた。
その隣で、穏やかな表情をした先生が一歩前に出る。
「ヴェルタです。座学的なところはおおよそ担当なんじゃないでしょうか」
うーん、そうですね、と首を捻ってから、言葉がまとまったのかこちらに向き直る。
「歴史や文化、教養、あと魔法の授業を担当しています。よろしくお願いしますね」
最後にイズミ先生が前に出た。
「はあい、イズミで~す。先に寮に入ってる子達には言ったけど、今年の一年生の担任の先生をやります。あと武道・剣道の授業もやるからね~」
ひと呼吸。
「分かってる子もいるかもしれないけど、君たちが今日から学ぶ技術は人を殺す技術だからね。授業は真面目に受けること。そうじゃないと、自分の命が守れないからね」
よろしくね、と念を押して、先生方の自己紹介は締められた。拍手が響く。
その空気のまま入学式は終わり、新入生の生徒、そしてその保護者たちは、先生に連れられて教室に行くことになった。
シーアとサーヤはそわそわと辺りを見渡した。今年の一年生は一クラスだけのようだった。
席順はみんなバラバラで、サーヤはなんだか少し寂しかったが、いやいや、でも、と思い直す。イズミ先生の言う通り、真面目に授業を受けるための計らいなのだろうと思うことにした。
ざわざわと騒がしい教室の中、イズミ先生がパチリと手を叩く。
「はい、静かに! 色々と話したいことがあるかもしれないけど、一旦僕の話を聞いてねー」
静かになった生徒たちを見て、イズミ先生はうんうんと頷いた。
「さて、今日からこのクラスのみんなで授業を受けてもらいます。なので、まずは自己紹介からだよね」
生徒一人一人の顔を見て、にっこりと先生は笑った。
「仲良くするにはある程度をお互いを知ってもらうことが一番! じゃあ君から、どうぞ」
席の端っこに座っていた生徒が指され、自己紹介をしていく。みんながみんな堂々と自己紹介するので、慌てて自分の自己紹介を考える羽目になった。
「シーアよ。いつかお父様のように立派な冒険者になるために騎士学校に入ったわ! よろしくね」
シーアがサーヤにウィンクを飛ばした。
「マシューです。ウィンドグライダーと沢山触れ合いたくて騎士学校に入りました。よろしくお願いします」
「俺はリアム。……そんな大それた理由はないけど、戦えたらかっけえなと思って騎士学校に入りました。よろしく」
二人もあっさりと自己紹介をこなした。
そうしているうちに、気付けばサーヤの番になってしまっていて、慌てて立ち上がる。
「ええっと、サーヤです! シーアと一緒で、いつか立派な冒険者になるために騎士学校に入りました。よろしくお願いします!」
無事、自己紹介を終えて座る。自分の自己紹介考えるのに必死で、他の子達の自己紹介はあまり頭に残らなかった。
あとでシーアに教えてもらおう。そう静かに決心していれば、全員の自己紹介が終わっていた。
よしよしと満足気なイズミ先生は、その後の連絡事項をさっさと済ませて、パタリと出席簿を畳んだ。
「さて、今日はこれでおしまい! 明日から授業だから気を引き締めて来るように。それじゃあね~」
手をひらひらと振ってイズミ先生は生徒を解散させる。シーアとサーヤは真っ直ぐにおじいちゃんとおばあちゃんの元に駆け寄った。
「おじいちゃん! おばあちゃん!」
彼らは嬉しそうに顔を綻ばせ、二人を穏やかに迎え入れた。
「見てたかしら! 私たち、無事に入学したのよ!」
「ええ、ええ、見てたわよ~」
「……」
おばあちゃんがニコニコ笑ってそう言った横で、無言で立っているおじいちゃんの目元は少し赤かった。
「おじいちゃんたら、入学式の時ずっと泣いてたんだから。私も泣きそうになっちゃったわ~」
「こ、こら、その話はいいだろう」
シーアとサーヤは顔を見合せて笑った。しばらくの寮暮らしであまり会えていなかったが、彼らは変わらずだった。
寮の部屋が広くて嬉しいこと。それでも屋根裏部屋が恋しいこと。おじいちゃんとおばあちゃんがいなくて寂しいこと。でも、楽しみな気持ちが勝っていること。そんな話を次々二人でしていれば、おじいちゃんもおばあちゃんも安心したように笑った。
「二人とも、楽しそうねえ。私たちまで寂しくなっちゃうわ~」
「先生方に迷惑はかけないようにするんだぞ」
「もちろん!」
「当然だわ」
まあ、なんだ、二人なら大丈夫だろう。とおじいちゃんが言ったあたりで、帰りのウィンドグライダーのタクシーが来たことを告げるアナウンスが鳴る。
「ああ、そろそろね。」
「ああ……。それじゃ、二人とも、また」
「うん、おじいちゃん、おばあちゃん!」
「またね!」
おじいちゃんとおばあちゃんを見送れば、二人だけ、というのが急に寂しく感じた。
それでも、きっと、大丈夫だ。
「ねえ、サーヤ! せっかく学園に来たことだし、少しだけ探検してから帰らない!?」
「え、あ、それって良いのかな!?」
「だって、もう私たちの学校でしょ!」
に、と笑ってシーアが駆け出す。サーヤはそれを慌てて追うことになった。
シーアがぱたぱたと廊下を走っていけば、どん、と誰かにぶつかる。わ、とシーアがよろけたのを受け止めて、その人は、安心したように微笑んだ。
「ああ、良かった。すみません、よそ見をしていたもので」
大丈夫でしたか? と、シーアに問う。ふと、思い出した。試験の日、リアムが落ちかけた時に駆けつけてくれた先輩だ。
「だ、大丈夫です! こちらこそ、すみません」
自然と敬語になったシーアに、先輩はこう言った。
「廊下を走るのは危ないので、なるべくやめましょうね」
その綺麗な所作に見惚れていたシーアとサーヤにそうやって念を押す。すみません、と答えれば、彼女はまた微笑んだ。
「あの時は受験生でしたね。入学おめでとうございます、わたくしはフェリシア。」
「は、はい! 私はシーアです」
「ぼくはサーヤです」
「いつかきっとなにかで一緒になる日も来るでしょう、頼もしい一年生のおふたりさん。その時はよろしくお願いいたしますね」
それでは、とフェリシアが去ろうとしたところで、
「ああ、あなたは本当に馬鹿な子!」
と、近くから怒鳴り声が聞こえた。
眉根を潜めたフェリシアは、ため息をひとつ着いて、二人に向き直る。
「……念の為、先生を呼んできてもらえますか」
「は、はい!」
誰かに何かがあったら大変だからと、指示通り、シーアとサーヤは先生を呼びに行くことにした。
*
フェリシアがその声の方に向かえば、一人の生徒とその母親であろう人物が立っていた。揉めているようだ。怒鳴り声がきんきんとしていて耳に悪い。
「本当にこんな場所に通うなんて! あなたは本当は絵を描くべきだって、なんで分かってくれないのかしら」
生徒――――マシューは事態を悪化させたくないのか、ただ、黙りこくっていた。
母親の方を見る。フェリシアも見たことがある。確か、著名な画家だったはずだ。あまり良い噂は聞いたことがない。こんなところで人目もはばからず喚いているのだから、おおよそは真実なのかもしれない、と思った。
だとしても、自身の顔くらいは知っているだろう、と判断して、フェリシアはひとつ、前に出る。
「ご家族でのご歓談中、失礼いたしますわ。今、わたくしの通う学校に何と?」
突然の乱入に眉を顰めてフェリシアの方を見た彼の母親は、分かりやすく慌てて笑顔を浮かべた。
「姫様!? ど、どうして……、ふふ、いえ、嫌だ、姫様ともなれば、私たちのことだってご存知でしょう。この子に言ってやってくれないかしら、我が家に生まれておきながら、ゼフィルアート学校に入らないのはおかしい、って」
この子は才能に恵まれているんです、他の子達と違って。彼女はそう言って笑った。噂通りだな、と思った。
フェリシアは小さくため息をついた。ああ、波風を立ててしまう。しかし、火のないところに煙は立たない。フェリシアは意を決して、口を開いた。
「失礼、わたくしは彼の意思が尊重されるべきと思いますわ」
あなたはどうしたいの。そうしてマシューに視線を向ければ、彼はまっすぐ母親を見てこう言った。
「母さん、前々から言ってるけど、僕はここで学びたいことがあるんだ」
彼の母親は口元をひくりと引き攣らせた。
「家系、血筋問わず、子供にはやりたいことをやらせるのが一番、とわたくしは考えます。それが本当にやりたいことなら、尚更。彼の人生はあなたがたのものではございませんよ」
ところで、とフェリシアはマシューの方を見る。
「貴方のことを先生がお呼びです。ついてきてくださるかしら」
マシューは慌てて頷いた。それじゃあ、と両親に断りを入れて、踵を返す。
残された母親の方はなんだかんだと騒いでいたが、そのうち先生方が駆け付け、騒ぎは半ば無理矢理な形で収束した。
*
「マシュー!」
「マシューくん!」
シーアとサーヤがイズミ先生を連れてきた頃には、騒ぎは終わっていた。
「あちゃあ、ごめんね。ちょっと用事があって出ていたんだ、他の先生方が対応してくれて良かったよ」
大丈夫だった? とイズミ先生は二人――――フェリシアとマシューに問う。フェリシアは頷いた。マシューは静かに頭を下げた。
「ごめんなさい、先生。うちの家族が……」
「ああ、いやいや、いいんだよ。顔を上げて」
イズミ先生にそう言われて顔を上げたマシューは、心底困り果てているようだった。
「僕、どうしたらいいんでしょうか」
フェリシアがひとつ、息をついた。
「あなたがやりたいことは明確なんでしょう」
「……はい、ですが」
マシューは彼女に視線を合わせずに頷いた。続く言葉を制して彼女は話す。
「困っている子供を助けるのが大人の役目、ですよね、先生」
「……そうだね。強いて言うなら、君も子供だよ、ということくらいかな」
笑って頷いたイズミ先生は、フェリシアに釘を刺すことも忘れない。フェリシアは少し不満気な顔をしたが、特に何も言わなかった。
「沢山迷惑をかけてくれよ、マシューくん。先生たちは大丈夫だから」
マシューは少し迷ってから頷いた。シーアとサーヤは、その光景を見ていることしか出来なかった。
そのうち、今日の終わりを告げる鐘が鳴る。イズミ先生は、もうそんな時間か、と零した。
「じゃあ、今日は解散! 疲れたでしょう、寮でいっぱい休んでね」
そうだ、と良いことを思いついたと言わんばかりに先生は指先を振った。
「ゼフィ・ドラヴァン・フォーレ・ス!」
その言葉と共に、ふ、と身体が軽くなる。翼が生えたよう、とはこのことだろうか。
本物の魔法だ。おじいちゃんとおばあちゃんが使っていたみたいな。シーアとサーヤは驚いて、イズミ先生の方を見た。
「イズミ先生って魔法使えるんですか!?」
「使えるよー。君たちもそのうち学ぶことになるからね」
それじゃ、先生は仕事してくるから。そう言って手を振って去っていく彼の背を見送ってから、フェリシアは三人に向き直った。
「寮まで送りましょう。どうせ目的地は同じですから」
*
寮に戻れば、大広間でリアムが待っていた。
読んでいた本から顔を上げて、咎めるようにリアムは言う。
「どこ行ってたんだよ」
俺一人ですげ~気まずかったけど。言葉の外にそんな雰囲気を醸しつつ彼はこちらを見た。
「それ、何読んでるの?」
そんなことは知ったことでは無いシーアが強引に話題を変えた。
「話聞けよ。……別に、何読んでてもいいだろ」
む、としたリアムは、それでも深入りはしなかった。
「えー! 気になるじゃない、教えなさいよ」
「嫌だよ! シーアには絶対教えてやらないね」
「なんでよ!」
ぎゃんぎゃん。いつも通りやり合い始めた二人をよそに、サーヤはマシューに声をかけた。
「マシューくん」
「なに?」
「ぼくたちにも頼ってね。リアムくんも、シーアも、きっとその方が嬉しいから」
マシューは一瞬だけ驚いたような表情を浮かべたが、すぐに破顔して頷いた。
「ありがとう。そうさせてもらおうかな」
サーヤはそれに頷いてから、シーアとリアムにご飯を食べようと誘いに行った。
フェリシアは、しばらくそれを眺めてから、ああいう距離の近さが、自分にはまだ分からなくて、少し羨ましい気がした。
*
「リアム」
夕食を済ませ、寮の部屋に戻ったマシューは、リアムに声を掛けた。
なんだよ。言葉にせずに視線だけを寄越したリアムに、マシューは苦笑してからこう言った。
「気を回してくれてありがとう」
「はあ?」
「踏み込まなかったでしょ」
別に、お前のためじゃない、と、リアムはそっぽを向いた。ああ、拗ねているなあ、とマシューは思った。
「いつか解決したら、笑い話として聞いてくれたら嬉しいよ。今は、……ちょっと情けなくてね」
リアムはそっぽを向いたままだ。
しばらくの沈黙。後、リアムが口を開いた。
「マシューだって、踏み込んで来ねえじゃん」
だから、これはお前のためじゃない。そう言ったリアムは、マシューがリアムの読んでいる本の内容とその意味を理解していることを知っていた。
再び沈黙。マシューは何を言うか悩んで、結局何も言わずに、おやすみ、と声をかけた。
帰ってくる声は、なかった。
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#ふたつの翼、ひとつの空
2話 10823文字
目覚まし時計がやかましく音を鳴らす。シーアはまだまだこの暖かい布団の中でくるまっていたくて、目覚まし時計を止め、二度寝をしようとする――――。
「シーア! もう、早く起きてよ! 間に合わなかったら寮に入れなくなっちゃうよ~!」
「はっ」
そうだった。
あの合格発表から数週間。今日は寮に入る日だ。シーアは慌てて起き上がる。
合格してからというもの、シーアはすっかり気が抜けてしまっていてダメだった。毎朝サーヤに起こされ、荷造りを後回しにし、昨晩もつい遅くまで起きていたせいで、このザマだ。
「そ、そうよ! ああ、急いで準備しなくちゃ、おばあちゃ~ん!」
微睡んでいたのが嘘のように立ち上がったシーアは、慌てて階段を駆け下りた。駆け下りたせいで、どすん。と、大きな音。
「シーア!」
「いった~~い!! もう! なんだっていうのよ!」
「あらあら……」
サーヤが救急キットを持ってすっ飛んでくる。悔しそうにシーアは呻いた。膝に綺麗な擦り傷が出来ていた。
「慌てるからだよ、もう……」
「まさかこんなに綺麗に擦り傷作るなんてねえ」
「うう……」
おじいちゃんが心配そうにこちらを見ている。今日はめでたい門出だというのにねえ、とおばあちゃんが笑った。その隣で、サーヤは大きくため息をついた。
荷造りは昨晩のうちに終わっている。身支度を整え、大きなカバンを引っ掴んで、二人は玄関から外に出た。
「おじいちゃん、おばあちゃん、行ってきます!」
「行ってきま~す!」
おじいちゃんとおばあちゃんは家の外まで出て見送りをしてくれた。おばあちゃんはあっさりと手を振り、見送る姿勢をとってくれたが、おじいちゃんは、忘れ物が無いかとか、先生たちに失礼のないようにするんだぞだとか、そんな小さな心配をいっぱいいっぱいまでしていて、ずいぶんと落ち着かなさそうにしていた。
「大丈夫よ、おじいちゃん。私たち、きっと立派な騎士になって帰ってくるわ!」
「そうだよ。定期的に手紙出すからね。ちゃんと受け取ってね」
シーアとサーヤがそう言えば、おじいちゃんは少し照れたように咳払いをして、ようやく手を振り、見送ってくれた。
騎士学校まで、寮の部屋のことを二人で話しながら飛んだ。部屋が綺麗だといいね。広いと嬉しいよね。ちゃんと片付けができるか不安だな。そんな話をしながら飛んでいれば、あっさりと王都が見えてきた。白い塔の群れが朝の光に照らされていて、今日からあそこに住むのだと思うと、不思議な気持ちになった。二人が王都に来るのは、試験の時以来だった。
「あっ、シーアさん! サーヤさん!」
「ふん、不合格じゃなかったか」
王都のグライダー広場には、リアムとマシューが二人で立っていた。どうやらシーアとサーヤを待っていたらしい。
二人の顔には、分かりやすく安堵が滲んでいた。随分と心配をされていたらしかった。
「マシュー! リアムもいるじゃない!」
「良かった~! 二人も合格したんだね……!」
「当たり前だろ!」
リアムがそう吠えるのをはいはいと聞き流して、ウィンドグライダーから降り、お疲れ様、とひとつ撫でる。彼らはふるりと身体を震わせてみせた。
「でも僕もほんとに良かったと思ってるよ、リアム。試験の日のこと、忘れたわけじゃないよね?」
「うっ」
マシューが呆れたように窘める。ぐぬぬ。リアムが悔しがれば、シーアが勝ち誇ったように笑った。
「ふふん、この私に感謝することね!」
「うるせえな、感謝はしてるよ!」
ふん。リアムは一度そっぽを向いて、ふ、となにかに気づいたかのように慌ててこちらを振り向いた。
「のんびりしてっけどそろそろ集合時間来るんじゃねえの!?」
「あっ、そうだ、そうだよ! シーアが寝坊するから……」
「はあ!? サーヤが起こしてくれないからじゃない!」
「何度も起こしたよ!」
「あはは。はいはい、ほら、シーアさん、サーヤさん。急ぐよ」
マシューが二人の背中をぽんと叩く。シーアとサーヤは揃って慌て、「分かった!」と返事をし、バタバタと走り出した。
*
「さて、これで全員かな。みんな優秀だね~」
生徒を到着順に並べて、点呼を取る。シーアとサーヤ、リアムとマシューは最後の到着だったので、四人固まって列に並んでいた。
名簿を見ながら、全員到着していることを確認したイズミ先生は、うんうん、といくつか頷いてからこちらを見た。
「今年の一年は僕が担当することになってるんだよね~。はい、今日のみんなの入寮及び案内を担当します。イズミだよ~。気軽にイズミ先生って呼んでね」
これは前回も言ったか、と笑ってから、ちらりと横を見る。イズミ先生とは対称的に、目付きの悪い先生が立っている。彼はああ、と頷いた。
「ガロウです。エアリス魔法学院で薬草学を教えています。今日は、イズミ先生のお手伝いをしに来ました」
「この人数を一人で見るのは厳しいだろうと思ってね。騎士学校の先生方にも声を掛けたんだけど、ちょっとこの時期忙しいみたいだったから」
顔は怖いけどいい先生だよ、とイズミ先生は笑う。そんなイズミ先生をじと、と睨んでから、よろしくお願いします、とガロウ先生は頭を下げた。イズミ先生は全く気にせず話を続ける。
「さて、まず、寮の部屋分けだけど……」
イズミ先生によると、寮の部屋はある程度近しい仲の人と組まれているらしい。どこでそんな情報を、と質問した生徒に、「いつでも見てるってことだよ」と先生はウィンクをした。
「鍵に書いてある部屋番号が同じ人を探してみてね。おそらくは、おおよそ隣同士になってるはずだよ」
そう言われて改めて確認してみれば、シーアとサーヤは同じ部屋のようだった。ということは、と振り返ると、リアムとマシューも同じ部屋のようだ。
周りの生徒たちも同じように確認し終わったのを見計らって、イズミ先生は笑って手を叩き、視線を集めた。
「今日は記念すべき一日目だからね。部屋に荷物を置いて、一息ついたら大広間に集合するように。今から案内するからね。さ、善は急げって言うし、今から行こうか」
はーい。生徒たちは揃って返事をして、先生のあとをついて歩き出した。
寮は広かった。広すぎて迷子になるのではないかと不安になるほどだ。
入ってすぐに大広間があり、大広間を通り過ぎて食堂、食事を作るための大きなキッチン、文房具などを取り扱う売店、階段を登れば居住スペース。
案内中、後ろからガロウ先生が怖い顔で生徒たちをずっと見ていたので、下手なことは出来ない、と変な緊張感を持ったまま案内は終えられた。
シーアとサーヤの部屋番号は二〇六だった。リアムとマシューは階が変わって三〇四。イズミ先生は生徒を解散させ、荷物を置きに部屋に行くよう促した。
「はーっ、広いよな。俺らはさっさと荷物を置いてくるよ」
「うん。シーアさん、サーヤさん。また後で!」
リアムとマシューが走っていくのを見送ってから、シーアはキラキラとした顔でサーヤを振り返った。
「さ、私達も行きましょ!」
シーアは意気揚々と部屋とは反対方向に歩き出した。それをサーヤが止める。
「シーア、違う違う、こっちだよ!」
「あ、あれ!? そうだったかしら」
「そうだよ。……荷物片付けたら、しばらく探索して道覚えようね」
「うう……どうせ方向音痴ですよ~だ」
「シーア、いつもちゃんと慣れたら分かるようになるじゃん。大丈夫だよ」
サーヤに慰められて、シーアは悔しそうな、拗ねたような顔をした。それでもそれ以上に何も言えずに、大人しくサーヤについていくことにした。
寮が広ければ部屋も広い。二人の自慢の屋根裏部屋よりも、寮の部屋の方が少し大きく見えた。
「わくわく感は屋根裏部屋の勝ちね」
「そうだね、ぼくもそう思う」
そんな会話をしながら自分たちのベッドに荷物を放る。備え付けの収納に持ってきた大切なものたちを並べたり、服をしまったりしていれば、慣れない部屋も少しずつ自分たちに馴染むような気がした。
「さっさと終わらせて探検しましょ!」
と、最初に言ったシーアはサーヤよりも荷物が多く、どこに何をしまうか苦労しているようだったので、サーヤは自分の分をさっさとしまってシーアを手伝うことにした。
シーアが持ってきた思い出の品の数々。おじいちゃんとおばあちゃんの写真、父からもらったお守り、二人でお揃いで作った栞。それらを棚に並べていれば、早くもホームシックになりそうだった。
*
二人が荷物の整理を終えたタイミングで、コンコン、と部屋がノックされた。時間をかけすぎただろうかと慌てて時計を見たが、集合時間にはまだ早いようだ。
扉を開けば、ガロウ先生が立っていた。
「シーア、サーヤ、……合ってるか?」
「そうよ」
サーヤが息を飲む。シーアも少し緊張しているようだった。それを感じ取ったのか、ガロウ先生は困ったように頭をひとつかいて、こちらに向き直る。
「いや、なにか困ったことはないか、と……聞いてこいって」
「へ」
イズミ先生が、と付け加えられた言葉があまりにも小さくて、シーアとサーヤは二人で目を見合わせた。
意外と怖くないかも。そうかも。目線だけで頷きあっていれば、ガロウ先生は居心地が悪そうに視線を彷徨わせてこう言った。
「……特にないなら、別に」
「今のところは大丈夫だと思います……! あ、でも、一応なにかあった時のために防災設備は確認しておきたくて」
サーヤがそう答えれば、ガロウ先生はぱちくり、と目を瞬かせてから、頷いた。
「ああ、分かった。……いや、なんだ、ちゃんとそういうものを確認するのは、とても良いことだと思う。他の部屋の子たちにも確認させよう」
ありがとう、と彼は二人の頭を撫でて、はっとする。
「……これ、セクハラとかになるか?」
すまない、そういうくせなんだ、つい、と慌てて弁明するガロウ先生を、もうとっくに緊張なんて解けてしまったシーアが笑い飛ばした。
「あははっ、大丈夫よ、先生!」
「褒めて貰えるのは嬉しいので。私たちは好意として受け取りますね」
サーヤもそう付け加える。ガロウ先生は安心したように頷いて、部屋の防災設備を説明した後、あっさりと部屋から出て行った。騎士学校なだけあって、防災設備や、防犯の設備は充実していたが、なるべく先生を頼るように、と念を押された。
顔が怖いだけで、真面目な良い先生なのだろう。そんなことを二人で話してから、寮の探検に出た。
*
入ってすぐに大広間があり、大広間を通り過ぎて食堂、食事を作るための大きなキッチン、文房具などを取り扱う売店、階段を登れば居住スペース。
大広間から全部をぐるりと回って、最後に売店に寄れば、こちらに気付いたリアムとマシューが手を振った。
「おーい! シーア、サーヤ、これ見ろよ」
「ちょうど、こういうの好きそうだよねって話してたの」
二人の手元を見れば、ふたつの鍵が握られていた。繊細な意匠が施された、ちょっとアンティークっぽい鍵。持ってみると思ったより軽くて、でもどことなく冒険心がくすぐられるものだった。
「どっかの遺跡の鍵だって言い伝えられてるんだってさ。これはレプリカらしいんだけど」
「その遺跡から雲の下の世界に行けるんだって! なんだかわくわくするよね」
「そうか?」
リアムとマシューがそう話しかけてくるのをそっちのけに、シーアとサーヤはその鍵に見とれてしまった。鍵から、わくわくがふわふわと溢れてくるようだった。
分厚い分厚い雲の下。一体、そこにはどんな世界が広がっているのだろう!
「ああ、ああ、とっても素敵よ! いつか雲の下に行けたらいいわね~!」
「あ、危ないかもしれないけど……、ちょっとワクワクしちゃうな……!」
「ふふ、二人は冒険が好きだもんね」
「は~、よく分かんねえの」
「あら、怖いの?」
「はァ!?」
リアムが食いついてこないのが意外だったので、ちょっと煽ってみる。素直じゃないんだから、とシーアは思った。
「そんなんじゃねーよ! 子供っぽいなって思ってんのさ。雲の下なんて、なにもないかもしれないだろ」
「行ってみなくちゃ分からないでしょ! ロマンがないんだから~」
「ぐぐ……」
行ってみなくちゃ分からないのは事実、そうだ。言い返す言葉が見つからずに悔しそうにするリアムを見て、もっと素直になればいいのに、と三人は顔を見合せた。
「それ、買うの?」
「うわあっ」
そんな四人の後ろからひょこりと顔を出したのはイズミ先生だった。
「あはは、ごめんごめん。びっくりした?」
何ら反省してないような声色でひら、と手を振ってみせたイズミ先生は、その鍵に視線を戻した。
「それはレプリカだけど、風の鍵は本当にあるんだよ」
じ、と鍵を見つめながら話すイズミ先生の声はどこまでも穏やかだった。
「でも、遺跡の場所はまだ分かってないんだ。古い言い伝えだから、本当かどうかも怪しいくらいだけど……。僕たちはそれがあるって信じて、冒険し、旅をする」
調査の役目は、時に騎士とはちょっとズレるかもしれないけど。そう言ってから、イズミ先生は四人に目を合わせた。
「意外と、君たちみたいなのがあっさりと遺跡を見つけちゃったりしてね」
話を聞きながら、シーアとサーヤはわくわくが止まらなくなって、目をきらきらと輝かせてしまった。
「先生、私たち、きっといつかその遺跡を見つけてみせるわ!」
「ま、まだ、そうやって言い切るには早いと思うけど……冒険の日々が待ちきれないな……!」
うんうん、とイズミ先生は頷いた。そんな話をしていると、奥から売店の管理をしているらしいおばちゃんが出てきて、二人にこう言った。
「あらあら、懐かしいお話が聞こえると思ったら。可愛いお二人さん、それを買うのかい?」
「はっ」
二人は顔を見合わせた。おやつを買うためにとお金は持たせてもらったが、ここでこれを買ってしまっては、歯止めが効かなくなって無駄遣いが増えてしまうのではないか。
そんなことを二人同時に考えて、困り果てたように黙り込む。
おばちゃんもイズミ先生もそれを分かっていたかのように頷いた。
「彼女は一人で売店をやっているんだけど、一人だと大変なことも多いらしくてね。学校が始まってからになるけど、たまにお仕事を募集することがあるんだよ」
おばちゃんも頷いてにこやかに付け加える。
「もちろん、手伝ってくれたらお小遣いが出るよ。それを貯めれば、心置き無く買えるかもしれないねえ」
シーアとサーヤの表情が分かりやすく明るくなる。リアムが「鍵ひとつで一喜一憂しすぎだろ」と呟いたのを、シーアが睨んで黙らせた。
「それじゃ、いっぱいお手伝いするわ!」
「まかせて! ぼくたち、お手伝いは得意だから」
「頼もしいねえ。それじゃ、この風の鍵はふたつ、取っておこうかな」
うんうんと頷きながら、おばちゃんは風の鍵と呼ばれたそれをふたつ手に取った。
「手に入るのが楽しみね!」
「うん!」
マシューもニコニコと見守っている。リアムは態度こそ悪いものの静かに見守っていた。イズミ先生は楽しそうに笑って、将来が楽しみだな、なんて呑気に考えているのだった。
*
気付けばそこそこの時間が過ぎていたようで、そのままシーアたちは大広間に集まった。パンパンと手を叩いてイズミ先生が注目を集める。
「はいはい、静かに! 今日は記念すべき入寮の日だからね。ここからの流れを説明します」
こほん。わざとらしく咳払いをしてから、先生は話を進めた。
「まずご飯ね。今日は特別に豪華な食事になっているから、沢山堪能すると良いよ。この後すぐ、食堂に行って食べることになるから、楽しみにしててね」
ぱちり、ウィンク。室内が少しだけ浮ついた空気になった。
「それで、それが終わったら……なんと! 肝試し大会だよ~!」
「ええ――――っ」
ここでいくつか生徒から抗議の声が飛んだ。シーアとサーヤも声を上げたうちの一人だった。イズミ先生はそれを笑って流し、話を続ける。
「まあまあ、大丈夫だって! 肝試しって言っても隠れるのは僕らと何人かの先輩方だから! 幽霊なんて居ないよ」
まさかね、と笑い飛ばしてから、す、と挑戦的な目つきになる。
「騎士になるのに、幽霊が怖いなんて言ってられないよね?」
それを言われてしまっては弱い。ぐ、と黙り込んだ生徒たちを見て楽しそうに笑った先生は、テキパキと班を分けて、じゃあ僕は準備があるから、とその後をガロウ先生に任せて行ってしまった。
ガロウ先生はガロウ先生で、呆れたように首を横に振ってからそれ以上には特に何もせず、生徒を食堂に案内して最低限の説明を済ませたと思ったらあっさり居なくなってしまった。
イズミ先生のこと止めてくださいよ、と絡んだ生徒には、あれはもう俺じゃ止まらん、と答えを返していた。彼らは付き合いが長いらしい。
食事の席は特に決められていなかった。シーアとサーヤ、リアムとマシューはなんとなく近くに座って食事を取った。
肝試しのことを思うと食事の味はしない……とでも言いたいところだったが、寮の食事はとても美味しくて、それがまた悔しかった。
「肝試しか。初めて参加するからなんだか緊張するな」
「とか言って、余裕の構えじゃん。シーアとサーヤを見てみろよ」
「ええっ、別になんでもないよ! これは……武者震いだから!」
「そ、そうよ、リアム! 別に怖くなんてないけれど、特別に前を歩かせてあげるんだから」
「な」
「……うーん、この中だと余裕な方かもね」
おばけなんてよく分からないもの、攻撃できるかも分からないのに出てこられたら困るじゃない。シーアがそう喚くのを全力で揶揄うリアムは意外にも平気そうだった。
マシューはそれに少し安堵しながら、サーヤに声をかけた。
「サーヤさん、そんなに怯えなくても、大丈夫だよ。おばけなんていないさ。いるのは先生だけ」
「うう……分かってはいるんだけど、やっぱどうしても怖くて……。マシューくんはすごいね、怖くないの?」
「いいや、怖いよ。平気そうに見えるだけだと思う。そう振る舞ってるからね」
「……」
笑ってマシューはそう言った。あまりにもあっさりしている。でも、嘘をついているようには見えなかった。
「まあ、確かにシーアさんとサーヤさんよりはマシかもしれないけど」
人並みにはね、と付け加えられた言葉を咀嚼する。そうか、ちゃんと怖いのか。
「……じゃあ、びっくりすることもあるかもね」
「ふふふ、大きな声が出ちゃうかもしれないね。驚かせたらごめんよ」
「いいよ、きっとお互い様だし……」
話していれば、サーヤの緊張も落ち着いてきたらしい。
「安心した?」
「え? ああ、うん。そう言われてみれば、ちょっとマシかも……」
ありがとう、とサーヤはマシューに笑いかける。マシューはこの花のような笑顔が好きだった。
「ちょっと、マシュー、サーヤ! リアムったら、おばけなんて全然怖くないって言うのよ!」
「そりゃそうだろ、この世に存在しないものに怯えても仕方ないんだから」
は、と鼻で笑ったリアムを指さしてシーアはぎゃんぎゃん騒ぐ。マシューとサーヤは顔を見合せて少し笑った。
*
寮は広い。この広い寮の中を一周して、大広間に戻ってくること。大きな声は出してもいいが、基本的には先生や先輩がお化け役をやるので、なるべく無闇に攻撃はしないこと。それが肝試しのルールだった。
暗い廊下を、リアムとマシューを先頭にして恐る恐る進む。多少マシになったとはいえ怖いものは怖いので、シーアとサーヤは後ろで手を繋いでいた。
二人が恐る恐る歩いていく先、リアムとマシューは平然とお喋りなんかしながら歩いていく。
そんな二人を見て、シーアが「なんで怖くないのよ、ありえない……」と恨み言を漏らしていた。
ひたり、ひたり。足音が聞こえる。
「お、先生かな」
「会ったことない先生も隠れてたりするのかな。楽しみだね」
「楽しみ!? そんなわけないでしょ、こんな状況じゃなければ素直に楽しみにしたのに!」
「そ、そうだよ! 肝試しなんかじゃなければ……っ うわあっ、シーア、後ろっ」
「な、何よ……ぎゃ――――!!」
ばあ、と出てきた先輩にシーアが遠慮なく拳をとばす。うわっ、と、先輩の声が漏れて、その拳はあっさりと捉えられた。冷たい。
「シーア!」
「コラ、あんま暴力振るうなよー。生きてたらどうすんだ」
おそらくは先輩らしき人影はそのままシーアの手を解放する。そんな言葉とは裏腹に、彼は楽しそうだった。おばけジョーク付きだ。
「私を驚かすからでしょ!? でも、怪我させなくて良かった……です」
慣れない敬語を使って、シーアがそう言う。
「後輩に怪我させられるほど生半可な訓練は受けてないからね」
先輩はあっさりとそう言って、満足げに笑うとその場を離れた。しばらくして、後ろの方から他の班のものであろう悲鳴が聞こえた。
「かっこいい……!」
「くっ、そうね……。私たちもいつかああなりたいわね……」
「……今の」
「……」
羨望の眼差しを向けるシーアとサーヤとは裏腹に、今度はリアムとマシューが真っ青な顔をしていた。
「なによ、どうしたの」
「……いや……」
「ふん、まあ、見間違いだろ」
リアムが鼻で笑う。強がりだ、と思った。
「ええー! なに!? 気になるんだけど」
「……いや、」
「リアムくん、マシューくん、顔色悪いよ」
サーヤがそう言えば、リアムとマシューは二人して顔を見合せた。
観念したようにマシューが口を開く。
「……今の人、足、なかったなって」
「……」
シーアとサーヤは目を見開いて、さっきの人が歩いていった方を見る。が、もう既にそこは暗闇が広がるばかりで、特に何も見えないのだった。
「もしかして、本当に」
「……生きてたらどうすんだ、って言ってた」
ぽつり。シーアが呟く。そういえば、触れた手は冷たかった。
「で、でも、触れられる幽霊なんているわけないじゃない、馬鹿ねえ!」
「そ、そうだよね、きのせい……」
「……」
四人全員顔を合わせて沈黙していれば、ふと影が落ちた。
「……お前たち、」
「ぎゃ―――!!」
大きな背丈の、ツギハギの顔。頭に刺さったネジ。昔、父に聞いた話を思い出す。まさか、本物のフランケンシュタイン!?
「……」
「いや、ガロウ先生じゃん」
リアムに言われて改めてまじまじと観察する。フランケンシュタイン――――もとい、ガロウ先生は、シーアとサーヤが悲鳴を上げたので、申し訳なさそうに縮こまっていた。
「……いや、これは、イズミ先生が……」
しどろもどろな言い訳つきである。
「な、なんだ、ガロウ先生だったんだ……! ビックリした、イズミ先生ってメイクがお上手なんですね……」
「そんなことより、ガロウ先生、大変よ! 私たち、本物の幽霊を見たの、ねえ、リアム、マシュー!」
マシューがそれにうんうんと頷く。リアムは呆れた素振りで首を横に振った。それを聞いて、ガロウ先生もひとつ頷いた。
「ああ……、エアリス魔法学院にいるやつらだ。イズミ先生にこの役を頼まれた時に、盗み聞きしていたらしくて……」
ガロウ先生は、困ったようにポリポリと頬をかいた。
「あんまり本気で驚かすことはしないだろうが、楽しくなってしまっては良くないから。釘を刺しに行こうかと思って」
そうなれば、うちの生徒も困るだろうから、と先生は言った。
「……先生、幽霊って触れるんですか?」
「ん? ああ……聞いたことはあるが、そうでなければポルターガイストを起こせないだろう、と答えられた」
じゃあ、シーアは本当に幽霊に拳を……。シーアの方を見れば、顔を真っ青にして自分の手を見てから、
「私、殴ろうとしちゃったわ。祟られたりしない?」
ガロウ先生は吹き出すように笑ってから首を横に振った。
「そこまで悪い奴らじゃないから、大丈夫だ」
そうして、ガロウ先生が暗闇の奥に消えていくのを見届けた四人は顔を見合わせた。
しばらくして、遠くの方でけたけたという笑い声が聞こえた気がしたが――――気のせいだということにした。
*
「さて、これにて今日の肝試しを閉幕といたします!」
しっかり怖いメイクを施して、ノリノリで生徒をおどかし回ったイズミ先生が、楽しかったと言わんばかりの笑顔で高らかに宣言する。疲れた生徒達にもしっかりと拍手を求めてきたので、多少間を置いてからまばらな拍手が起こった。一番楽しんだであろう幽霊は、一体どこから取り出したのか、ピロピロと笛を吹き回っていた。
「今日はゆっくり休んで。授業が始まるまでしばらく間があるから、その間にここでの生活に慣れること。先生もたまに顔出すようにするし、寮の管理人さんはいつでもいるから、なにかあれば大人を頼ること。分かったね?」
それじゃ、解散! 先生が手をパン、と叩いたのをきっかけに、辺りがゆるやかに騒がしくなる。
「お、終わった~!」
「シーア、今日は早く寝よう……」
「そうね……」
「俺らも部屋戻るか」
「そうだね、そうしよう」
四人が解散しようかといったところに、イズミ先生が近付いてくる。
「マシューくん。ちょっとだけ先生と話せるかな」
「あ、はい! じゃ、リアム、後で」
「おー」
「また明日、マシューくん!」
「また明日~」
シーアとサーヤが声を掛ければ、マシューは控えめに手を振って去っていった。
*
「マシューくん。君の家族のことなんだけれど」
「ああ……」
マシューは遠い目をした。イズミ先生はひとつ頷いて、事情の説明を始めた。
「学校に対してさんざん連絡が来ているんだ。君を返してくれ、と。でもこの学校への入学は君が決めたことなんだろう」
「そう、ですね。……すみません、ご迷惑を」
「いやいや、大丈夫だよ。いくらでも頼って。……それで、こちらとしても僕たちができる限りの対応をしようと思うんだ」
イズミ先生はひとつ息をつく。そして、真剣な眼差しでマシューを見た。
「君はどうしたいかな。なるべく、解決してやりたいんだ」
「……」
マシューは少し黙って考えた。どうしたい。どう、したい?
「僕は、ウィンドグライダーが好きなんです。彼らと触れ合いたいから騎士になりたいと思いました」
「だから、……家族には、感謝しているけど、僕は、」
「……」
そこで、マシューは言葉に詰まった。
「……うん。そうだよね」
イズミ先生が言う。
「ありがとう、じゃあ、君がここに居られるように全力を尽くすよ」
「ありがとうございます」
「ただ、ね」
イズミ先生は、その声に少しの心配を乗せてこう言った。
「ご家族の理解を得るためには、きっと僕一人じゃ足りないと思うんだ。君の力ももちろん必要だと思う」
「はい、もちろんです」
マシューは頷く。イズミ先生はため息をついて、あんまり力になれなくてごめんね、と笑った。
部屋に戻れば、リアムが本を読んで待っていた。
「起きてたの?」
「ん、や、気使われるのもだりいなって」
「あはは、そう」
「寝る?」
「うん、寝よっか」
そうして、それぞれのベッドに潜り込んで、目を瞑る。
家族のことを考えて、先生方の苦労のことを考えて、それから、自分がいますべきことを考える。
考えれば考えるほど、よく分からなくなりそうだった。
もう、さっさと寝てしまおう。布団を深く被り直して、マシューは目を瞑った。
畳む
2話 10823文字
目覚まし時計がやかましく音を鳴らす。シーアはまだまだこの暖かい布団の中でくるまっていたくて、目覚まし時計を止め、二度寝をしようとする――――。
「シーア! もう、早く起きてよ! 間に合わなかったら寮に入れなくなっちゃうよ~!」
「はっ」
そうだった。
あの合格発表から数週間。今日は寮に入る日だ。シーアは慌てて起き上がる。
合格してからというもの、シーアはすっかり気が抜けてしまっていてダメだった。毎朝サーヤに起こされ、荷造りを後回しにし、昨晩もつい遅くまで起きていたせいで、このザマだ。
「そ、そうよ! ああ、急いで準備しなくちゃ、おばあちゃ~ん!」
微睡んでいたのが嘘のように立ち上がったシーアは、慌てて階段を駆け下りた。駆け下りたせいで、どすん。と、大きな音。
「シーア!」
「いった~~い!! もう! なんだっていうのよ!」
「あらあら……」
サーヤが救急キットを持ってすっ飛んでくる。悔しそうにシーアは呻いた。膝に綺麗な擦り傷が出来ていた。
「慌てるからだよ、もう……」
「まさかこんなに綺麗に擦り傷作るなんてねえ」
「うう……」
おじいちゃんが心配そうにこちらを見ている。今日はめでたい門出だというのにねえ、とおばあちゃんが笑った。その隣で、サーヤは大きくため息をついた。
荷造りは昨晩のうちに終わっている。身支度を整え、大きなカバンを引っ掴んで、二人は玄関から外に出た。
「おじいちゃん、おばあちゃん、行ってきます!」
「行ってきま~す!」
おじいちゃんとおばあちゃんは家の外まで出て見送りをしてくれた。おばあちゃんはあっさりと手を振り、見送る姿勢をとってくれたが、おじいちゃんは、忘れ物が無いかとか、先生たちに失礼のないようにするんだぞだとか、そんな小さな心配をいっぱいいっぱいまでしていて、ずいぶんと落ち着かなさそうにしていた。
「大丈夫よ、おじいちゃん。私たち、きっと立派な騎士になって帰ってくるわ!」
「そうだよ。定期的に手紙出すからね。ちゃんと受け取ってね」
シーアとサーヤがそう言えば、おじいちゃんは少し照れたように咳払いをして、ようやく手を振り、見送ってくれた。
騎士学校まで、寮の部屋のことを二人で話しながら飛んだ。部屋が綺麗だといいね。広いと嬉しいよね。ちゃんと片付けができるか不安だな。そんな話をしながら飛んでいれば、あっさりと王都が見えてきた。白い塔の群れが朝の光に照らされていて、今日からあそこに住むのだと思うと、不思議な気持ちになった。二人が王都に来るのは、試験の時以来だった。
「あっ、シーアさん! サーヤさん!」
「ふん、不合格じゃなかったか」
王都のグライダー広場には、リアムとマシューが二人で立っていた。どうやらシーアとサーヤを待っていたらしい。
二人の顔には、分かりやすく安堵が滲んでいた。随分と心配をされていたらしかった。
「マシュー! リアムもいるじゃない!」
「良かった~! 二人も合格したんだね……!」
「当たり前だろ!」
リアムがそう吠えるのをはいはいと聞き流して、ウィンドグライダーから降り、お疲れ様、とひとつ撫でる。彼らはふるりと身体を震わせてみせた。
「でも僕もほんとに良かったと思ってるよ、リアム。試験の日のこと、忘れたわけじゃないよね?」
「うっ」
マシューが呆れたように窘める。ぐぬぬ。リアムが悔しがれば、シーアが勝ち誇ったように笑った。
「ふふん、この私に感謝することね!」
「うるせえな、感謝はしてるよ!」
ふん。リアムは一度そっぽを向いて、ふ、となにかに気づいたかのように慌ててこちらを振り向いた。
「のんびりしてっけどそろそろ集合時間来るんじゃねえの!?」
「あっ、そうだ、そうだよ! シーアが寝坊するから……」
「はあ!? サーヤが起こしてくれないからじゃない!」
「何度も起こしたよ!」
「あはは。はいはい、ほら、シーアさん、サーヤさん。急ぐよ」
マシューが二人の背中をぽんと叩く。シーアとサーヤは揃って慌て、「分かった!」と返事をし、バタバタと走り出した。
*
「さて、これで全員かな。みんな優秀だね~」
生徒を到着順に並べて、点呼を取る。シーアとサーヤ、リアムとマシューは最後の到着だったので、四人固まって列に並んでいた。
名簿を見ながら、全員到着していることを確認したイズミ先生は、うんうん、といくつか頷いてからこちらを見た。
「今年の一年は僕が担当することになってるんだよね~。はい、今日のみんなの入寮及び案内を担当します。イズミだよ~。気軽にイズミ先生って呼んでね」
これは前回も言ったか、と笑ってから、ちらりと横を見る。イズミ先生とは対称的に、目付きの悪い先生が立っている。彼はああ、と頷いた。
「ガロウです。エアリス魔法学院で薬草学を教えています。今日は、イズミ先生のお手伝いをしに来ました」
「この人数を一人で見るのは厳しいだろうと思ってね。騎士学校の先生方にも声を掛けたんだけど、ちょっとこの時期忙しいみたいだったから」
顔は怖いけどいい先生だよ、とイズミ先生は笑う。そんなイズミ先生をじと、と睨んでから、よろしくお願いします、とガロウ先生は頭を下げた。イズミ先生は全く気にせず話を続ける。
「さて、まず、寮の部屋分けだけど……」
イズミ先生によると、寮の部屋はある程度近しい仲の人と組まれているらしい。どこでそんな情報を、と質問した生徒に、「いつでも見てるってことだよ」と先生はウィンクをした。
「鍵に書いてある部屋番号が同じ人を探してみてね。おそらくは、おおよそ隣同士になってるはずだよ」
そう言われて改めて確認してみれば、シーアとサーヤは同じ部屋のようだった。ということは、と振り返ると、リアムとマシューも同じ部屋のようだ。
周りの生徒たちも同じように確認し終わったのを見計らって、イズミ先生は笑って手を叩き、視線を集めた。
「今日は記念すべき一日目だからね。部屋に荷物を置いて、一息ついたら大広間に集合するように。今から案内するからね。さ、善は急げって言うし、今から行こうか」
はーい。生徒たちは揃って返事をして、先生のあとをついて歩き出した。
寮は広かった。広すぎて迷子になるのではないかと不安になるほどだ。
入ってすぐに大広間があり、大広間を通り過ぎて食堂、食事を作るための大きなキッチン、文房具などを取り扱う売店、階段を登れば居住スペース。
案内中、後ろからガロウ先生が怖い顔で生徒たちをずっと見ていたので、下手なことは出来ない、と変な緊張感を持ったまま案内は終えられた。
シーアとサーヤの部屋番号は二〇六だった。リアムとマシューは階が変わって三〇四。イズミ先生は生徒を解散させ、荷物を置きに部屋に行くよう促した。
「はーっ、広いよな。俺らはさっさと荷物を置いてくるよ」
「うん。シーアさん、サーヤさん。また後で!」
リアムとマシューが走っていくのを見送ってから、シーアはキラキラとした顔でサーヤを振り返った。
「さ、私達も行きましょ!」
シーアは意気揚々と部屋とは反対方向に歩き出した。それをサーヤが止める。
「シーア、違う違う、こっちだよ!」
「あ、あれ!? そうだったかしら」
「そうだよ。……荷物片付けたら、しばらく探索して道覚えようね」
「うう……どうせ方向音痴ですよ~だ」
「シーア、いつもちゃんと慣れたら分かるようになるじゃん。大丈夫だよ」
サーヤに慰められて、シーアは悔しそうな、拗ねたような顔をした。それでもそれ以上に何も言えずに、大人しくサーヤについていくことにした。
寮が広ければ部屋も広い。二人の自慢の屋根裏部屋よりも、寮の部屋の方が少し大きく見えた。
「わくわく感は屋根裏部屋の勝ちね」
「そうだね、ぼくもそう思う」
そんな会話をしながら自分たちのベッドに荷物を放る。備え付けの収納に持ってきた大切なものたちを並べたり、服をしまったりしていれば、慣れない部屋も少しずつ自分たちに馴染むような気がした。
「さっさと終わらせて探検しましょ!」
と、最初に言ったシーアはサーヤよりも荷物が多く、どこに何をしまうか苦労しているようだったので、サーヤは自分の分をさっさとしまってシーアを手伝うことにした。
シーアが持ってきた思い出の品の数々。おじいちゃんとおばあちゃんの写真、父からもらったお守り、二人でお揃いで作った栞。それらを棚に並べていれば、早くもホームシックになりそうだった。
*
二人が荷物の整理を終えたタイミングで、コンコン、と部屋がノックされた。時間をかけすぎただろうかと慌てて時計を見たが、集合時間にはまだ早いようだ。
扉を開けば、ガロウ先生が立っていた。
「シーア、サーヤ、……合ってるか?」
「そうよ」
サーヤが息を飲む。シーアも少し緊張しているようだった。それを感じ取ったのか、ガロウ先生は困ったように頭をひとつかいて、こちらに向き直る。
「いや、なにか困ったことはないか、と……聞いてこいって」
「へ」
イズミ先生が、と付け加えられた言葉があまりにも小さくて、シーアとサーヤは二人で目を見合わせた。
意外と怖くないかも。そうかも。目線だけで頷きあっていれば、ガロウ先生は居心地が悪そうに視線を彷徨わせてこう言った。
「……特にないなら、別に」
「今のところは大丈夫だと思います……! あ、でも、一応なにかあった時のために防災設備は確認しておきたくて」
サーヤがそう答えれば、ガロウ先生はぱちくり、と目を瞬かせてから、頷いた。
「ああ、分かった。……いや、なんだ、ちゃんとそういうものを確認するのは、とても良いことだと思う。他の部屋の子たちにも確認させよう」
ありがとう、と彼は二人の頭を撫でて、はっとする。
「……これ、セクハラとかになるか?」
すまない、そういうくせなんだ、つい、と慌てて弁明するガロウ先生を、もうとっくに緊張なんて解けてしまったシーアが笑い飛ばした。
「あははっ、大丈夫よ、先生!」
「褒めて貰えるのは嬉しいので。私たちは好意として受け取りますね」
サーヤもそう付け加える。ガロウ先生は安心したように頷いて、部屋の防災設備を説明した後、あっさりと部屋から出て行った。騎士学校なだけあって、防災設備や、防犯の設備は充実していたが、なるべく先生を頼るように、と念を押された。
顔が怖いだけで、真面目な良い先生なのだろう。そんなことを二人で話してから、寮の探検に出た。
*
入ってすぐに大広間があり、大広間を通り過ぎて食堂、食事を作るための大きなキッチン、文房具などを取り扱う売店、階段を登れば居住スペース。
大広間から全部をぐるりと回って、最後に売店に寄れば、こちらに気付いたリアムとマシューが手を振った。
「おーい! シーア、サーヤ、これ見ろよ」
「ちょうど、こういうの好きそうだよねって話してたの」
二人の手元を見れば、ふたつの鍵が握られていた。繊細な意匠が施された、ちょっとアンティークっぽい鍵。持ってみると思ったより軽くて、でもどことなく冒険心がくすぐられるものだった。
「どっかの遺跡の鍵だって言い伝えられてるんだってさ。これはレプリカらしいんだけど」
「その遺跡から雲の下の世界に行けるんだって! なんだかわくわくするよね」
「そうか?」
リアムとマシューがそう話しかけてくるのをそっちのけに、シーアとサーヤはその鍵に見とれてしまった。鍵から、わくわくがふわふわと溢れてくるようだった。
分厚い分厚い雲の下。一体、そこにはどんな世界が広がっているのだろう!
「ああ、ああ、とっても素敵よ! いつか雲の下に行けたらいいわね~!」
「あ、危ないかもしれないけど……、ちょっとワクワクしちゃうな……!」
「ふふ、二人は冒険が好きだもんね」
「は~、よく分かんねえの」
「あら、怖いの?」
「はァ!?」
リアムが食いついてこないのが意外だったので、ちょっと煽ってみる。素直じゃないんだから、とシーアは思った。
「そんなんじゃねーよ! 子供っぽいなって思ってんのさ。雲の下なんて、なにもないかもしれないだろ」
「行ってみなくちゃ分からないでしょ! ロマンがないんだから~」
「ぐぐ……」
行ってみなくちゃ分からないのは事実、そうだ。言い返す言葉が見つからずに悔しそうにするリアムを見て、もっと素直になればいいのに、と三人は顔を見合せた。
「それ、買うの?」
「うわあっ」
そんな四人の後ろからひょこりと顔を出したのはイズミ先生だった。
「あはは、ごめんごめん。びっくりした?」
何ら反省してないような声色でひら、と手を振ってみせたイズミ先生は、その鍵に視線を戻した。
「それはレプリカだけど、風の鍵は本当にあるんだよ」
じ、と鍵を見つめながら話すイズミ先生の声はどこまでも穏やかだった。
「でも、遺跡の場所はまだ分かってないんだ。古い言い伝えだから、本当かどうかも怪しいくらいだけど……。僕たちはそれがあるって信じて、冒険し、旅をする」
調査の役目は、時に騎士とはちょっとズレるかもしれないけど。そう言ってから、イズミ先生は四人に目を合わせた。
「意外と、君たちみたいなのがあっさりと遺跡を見つけちゃったりしてね」
話を聞きながら、シーアとサーヤはわくわくが止まらなくなって、目をきらきらと輝かせてしまった。
「先生、私たち、きっといつかその遺跡を見つけてみせるわ!」
「ま、まだ、そうやって言い切るには早いと思うけど……冒険の日々が待ちきれないな……!」
うんうん、とイズミ先生は頷いた。そんな話をしていると、奥から売店の管理をしているらしいおばちゃんが出てきて、二人にこう言った。
「あらあら、懐かしいお話が聞こえると思ったら。可愛いお二人さん、それを買うのかい?」
「はっ」
二人は顔を見合わせた。おやつを買うためにとお金は持たせてもらったが、ここでこれを買ってしまっては、歯止めが効かなくなって無駄遣いが増えてしまうのではないか。
そんなことを二人同時に考えて、困り果てたように黙り込む。
おばちゃんもイズミ先生もそれを分かっていたかのように頷いた。
「彼女は一人で売店をやっているんだけど、一人だと大変なことも多いらしくてね。学校が始まってからになるけど、たまにお仕事を募集することがあるんだよ」
おばちゃんも頷いてにこやかに付け加える。
「もちろん、手伝ってくれたらお小遣いが出るよ。それを貯めれば、心置き無く買えるかもしれないねえ」
シーアとサーヤの表情が分かりやすく明るくなる。リアムが「鍵ひとつで一喜一憂しすぎだろ」と呟いたのを、シーアが睨んで黙らせた。
「それじゃ、いっぱいお手伝いするわ!」
「まかせて! ぼくたち、お手伝いは得意だから」
「頼もしいねえ。それじゃ、この風の鍵はふたつ、取っておこうかな」
うんうんと頷きながら、おばちゃんは風の鍵と呼ばれたそれをふたつ手に取った。
「手に入るのが楽しみね!」
「うん!」
マシューもニコニコと見守っている。リアムは態度こそ悪いものの静かに見守っていた。イズミ先生は楽しそうに笑って、将来が楽しみだな、なんて呑気に考えているのだった。
*
気付けばそこそこの時間が過ぎていたようで、そのままシーアたちは大広間に集まった。パンパンと手を叩いてイズミ先生が注目を集める。
「はいはい、静かに! 今日は記念すべき入寮の日だからね。ここからの流れを説明します」
こほん。わざとらしく咳払いをしてから、先生は話を進めた。
「まずご飯ね。今日は特別に豪華な食事になっているから、沢山堪能すると良いよ。この後すぐ、食堂に行って食べることになるから、楽しみにしててね」
ぱちり、ウィンク。室内が少しだけ浮ついた空気になった。
「それで、それが終わったら……なんと! 肝試し大会だよ~!」
「ええ――――っ」
ここでいくつか生徒から抗議の声が飛んだ。シーアとサーヤも声を上げたうちの一人だった。イズミ先生はそれを笑って流し、話を続ける。
「まあまあ、大丈夫だって! 肝試しって言っても隠れるのは僕らと何人かの先輩方だから! 幽霊なんて居ないよ」
まさかね、と笑い飛ばしてから、す、と挑戦的な目つきになる。
「騎士になるのに、幽霊が怖いなんて言ってられないよね?」
それを言われてしまっては弱い。ぐ、と黙り込んだ生徒たちを見て楽しそうに笑った先生は、テキパキと班を分けて、じゃあ僕は準備があるから、とその後をガロウ先生に任せて行ってしまった。
ガロウ先生はガロウ先生で、呆れたように首を横に振ってからそれ以上には特に何もせず、生徒を食堂に案内して最低限の説明を済ませたと思ったらあっさり居なくなってしまった。
イズミ先生のこと止めてくださいよ、と絡んだ生徒には、あれはもう俺じゃ止まらん、と答えを返していた。彼らは付き合いが長いらしい。
食事の席は特に決められていなかった。シーアとサーヤ、リアムとマシューはなんとなく近くに座って食事を取った。
肝試しのことを思うと食事の味はしない……とでも言いたいところだったが、寮の食事はとても美味しくて、それがまた悔しかった。
「肝試しか。初めて参加するからなんだか緊張するな」
「とか言って、余裕の構えじゃん。シーアとサーヤを見てみろよ」
「ええっ、別になんでもないよ! これは……武者震いだから!」
「そ、そうよ、リアム! 別に怖くなんてないけれど、特別に前を歩かせてあげるんだから」
「な」
「……うーん、この中だと余裕な方かもね」
おばけなんてよく分からないもの、攻撃できるかも分からないのに出てこられたら困るじゃない。シーアがそう喚くのを全力で揶揄うリアムは意外にも平気そうだった。
マシューはそれに少し安堵しながら、サーヤに声をかけた。
「サーヤさん、そんなに怯えなくても、大丈夫だよ。おばけなんていないさ。いるのは先生だけ」
「うう……分かってはいるんだけど、やっぱどうしても怖くて……。マシューくんはすごいね、怖くないの?」
「いいや、怖いよ。平気そうに見えるだけだと思う。そう振る舞ってるからね」
「……」
笑ってマシューはそう言った。あまりにもあっさりしている。でも、嘘をついているようには見えなかった。
「まあ、確かにシーアさんとサーヤさんよりはマシかもしれないけど」
人並みにはね、と付け加えられた言葉を咀嚼する。そうか、ちゃんと怖いのか。
「……じゃあ、びっくりすることもあるかもね」
「ふふふ、大きな声が出ちゃうかもしれないね。驚かせたらごめんよ」
「いいよ、きっとお互い様だし……」
話していれば、サーヤの緊張も落ち着いてきたらしい。
「安心した?」
「え? ああ、うん。そう言われてみれば、ちょっとマシかも……」
ありがとう、とサーヤはマシューに笑いかける。マシューはこの花のような笑顔が好きだった。
「ちょっと、マシュー、サーヤ! リアムったら、おばけなんて全然怖くないって言うのよ!」
「そりゃそうだろ、この世に存在しないものに怯えても仕方ないんだから」
は、と鼻で笑ったリアムを指さしてシーアはぎゃんぎゃん騒ぐ。マシューとサーヤは顔を見合せて少し笑った。
*
寮は広い。この広い寮の中を一周して、大広間に戻ってくること。大きな声は出してもいいが、基本的には先生や先輩がお化け役をやるので、なるべく無闇に攻撃はしないこと。それが肝試しのルールだった。
暗い廊下を、リアムとマシューを先頭にして恐る恐る進む。多少マシになったとはいえ怖いものは怖いので、シーアとサーヤは後ろで手を繋いでいた。
二人が恐る恐る歩いていく先、リアムとマシューは平然とお喋りなんかしながら歩いていく。
そんな二人を見て、シーアが「なんで怖くないのよ、ありえない……」と恨み言を漏らしていた。
ひたり、ひたり。足音が聞こえる。
「お、先生かな」
「会ったことない先生も隠れてたりするのかな。楽しみだね」
「楽しみ!? そんなわけないでしょ、こんな状況じゃなければ素直に楽しみにしたのに!」
「そ、そうだよ! 肝試しなんかじゃなければ……っ うわあっ、シーア、後ろっ」
「な、何よ……ぎゃ――――!!」
ばあ、と出てきた先輩にシーアが遠慮なく拳をとばす。うわっ、と、先輩の声が漏れて、その拳はあっさりと捉えられた。冷たい。
「シーア!」
「コラ、あんま暴力振るうなよー。生きてたらどうすんだ」
おそらくは先輩らしき人影はそのままシーアの手を解放する。そんな言葉とは裏腹に、彼は楽しそうだった。おばけジョーク付きだ。
「私を驚かすからでしょ!? でも、怪我させなくて良かった……です」
慣れない敬語を使って、シーアがそう言う。
「後輩に怪我させられるほど生半可な訓練は受けてないからね」
先輩はあっさりとそう言って、満足げに笑うとその場を離れた。しばらくして、後ろの方から他の班のものであろう悲鳴が聞こえた。
「かっこいい……!」
「くっ、そうね……。私たちもいつかああなりたいわね……」
「……今の」
「……」
羨望の眼差しを向けるシーアとサーヤとは裏腹に、今度はリアムとマシューが真っ青な顔をしていた。
「なによ、どうしたの」
「……いや……」
「ふん、まあ、見間違いだろ」
リアムが鼻で笑う。強がりだ、と思った。
「ええー! なに!? 気になるんだけど」
「……いや、」
「リアムくん、マシューくん、顔色悪いよ」
サーヤがそう言えば、リアムとマシューは二人して顔を見合せた。
観念したようにマシューが口を開く。
「……今の人、足、なかったなって」
「……」
シーアとサーヤは目を見開いて、さっきの人が歩いていった方を見る。が、もう既にそこは暗闇が広がるばかりで、特に何も見えないのだった。
「もしかして、本当に」
「……生きてたらどうすんだ、って言ってた」
ぽつり。シーアが呟く。そういえば、触れた手は冷たかった。
「で、でも、触れられる幽霊なんているわけないじゃない、馬鹿ねえ!」
「そ、そうだよね、きのせい……」
「……」
四人全員顔を合わせて沈黙していれば、ふと影が落ちた。
「……お前たち、」
「ぎゃ―――!!」
大きな背丈の、ツギハギの顔。頭に刺さったネジ。昔、父に聞いた話を思い出す。まさか、本物のフランケンシュタイン!?
「……」
「いや、ガロウ先生じゃん」
リアムに言われて改めてまじまじと観察する。フランケンシュタイン――――もとい、ガロウ先生は、シーアとサーヤが悲鳴を上げたので、申し訳なさそうに縮こまっていた。
「……いや、これは、イズミ先生が……」
しどろもどろな言い訳つきである。
「な、なんだ、ガロウ先生だったんだ……! ビックリした、イズミ先生ってメイクがお上手なんですね……」
「そんなことより、ガロウ先生、大変よ! 私たち、本物の幽霊を見たの、ねえ、リアム、マシュー!」
マシューがそれにうんうんと頷く。リアムは呆れた素振りで首を横に振った。それを聞いて、ガロウ先生もひとつ頷いた。
「ああ……、エアリス魔法学院にいるやつらだ。イズミ先生にこの役を頼まれた時に、盗み聞きしていたらしくて……」
ガロウ先生は、困ったようにポリポリと頬をかいた。
「あんまり本気で驚かすことはしないだろうが、楽しくなってしまっては良くないから。釘を刺しに行こうかと思って」
そうなれば、うちの生徒も困るだろうから、と先生は言った。
「……先生、幽霊って触れるんですか?」
「ん? ああ……聞いたことはあるが、そうでなければポルターガイストを起こせないだろう、と答えられた」
じゃあ、シーアは本当に幽霊に拳を……。シーアの方を見れば、顔を真っ青にして自分の手を見てから、
「私、殴ろうとしちゃったわ。祟られたりしない?」
ガロウ先生は吹き出すように笑ってから首を横に振った。
「そこまで悪い奴らじゃないから、大丈夫だ」
そうして、ガロウ先生が暗闇の奥に消えていくのを見届けた四人は顔を見合わせた。
しばらくして、遠くの方でけたけたという笑い声が聞こえた気がしたが――――気のせいだということにした。
*
「さて、これにて今日の肝試しを閉幕といたします!」
しっかり怖いメイクを施して、ノリノリで生徒をおどかし回ったイズミ先生が、楽しかったと言わんばかりの笑顔で高らかに宣言する。疲れた生徒達にもしっかりと拍手を求めてきたので、多少間を置いてからまばらな拍手が起こった。一番楽しんだであろう幽霊は、一体どこから取り出したのか、ピロピロと笛を吹き回っていた。
「今日はゆっくり休んで。授業が始まるまでしばらく間があるから、その間にここでの生活に慣れること。先生もたまに顔出すようにするし、寮の管理人さんはいつでもいるから、なにかあれば大人を頼ること。分かったね?」
それじゃ、解散! 先生が手をパン、と叩いたのをきっかけに、辺りがゆるやかに騒がしくなる。
「お、終わった~!」
「シーア、今日は早く寝よう……」
「そうね……」
「俺らも部屋戻るか」
「そうだね、そうしよう」
四人が解散しようかといったところに、イズミ先生が近付いてくる。
「マシューくん。ちょっとだけ先生と話せるかな」
「あ、はい! じゃ、リアム、後で」
「おー」
「また明日、マシューくん!」
「また明日~」
シーアとサーヤが声を掛ければ、マシューは控えめに手を振って去っていった。
*
「マシューくん。君の家族のことなんだけれど」
「ああ……」
マシューは遠い目をした。イズミ先生はひとつ頷いて、事情の説明を始めた。
「学校に対してさんざん連絡が来ているんだ。君を返してくれ、と。でもこの学校への入学は君が決めたことなんだろう」
「そう、ですね。……すみません、ご迷惑を」
「いやいや、大丈夫だよ。いくらでも頼って。……それで、こちらとしても僕たちができる限りの対応をしようと思うんだ」
イズミ先生はひとつ息をつく。そして、真剣な眼差しでマシューを見た。
「君はどうしたいかな。なるべく、解決してやりたいんだ」
「……」
マシューは少し黙って考えた。どうしたい。どう、したい?
「僕は、ウィンドグライダーが好きなんです。彼らと触れ合いたいから騎士になりたいと思いました」
「だから、……家族には、感謝しているけど、僕は、」
「……」
そこで、マシューは言葉に詰まった。
「……うん。そうだよね」
イズミ先生が言う。
「ありがとう、じゃあ、君がここに居られるように全力を尽くすよ」
「ありがとうございます」
「ただ、ね」
イズミ先生は、その声に少しの心配を乗せてこう言った。
「ご家族の理解を得るためには、きっと僕一人じゃ足りないと思うんだ。君の力ももちろん必要だと思う」
「はい、もちろんです」
マシューは頷く。イズミ先生はため息をついて、あんまり力になれなくてごめんね、と笑った。
部屋に戻れば、リアムが本を読んで待っていた。
「起きてたの?」
「ん、や、気使われるのもだりいなって」
「あはは、そう」
「寝る?」
「うん、寝よっか」
そうして、それぞれのベッドに潜り込んで、目を瞑る。
家族のことを考えて、先生方の苦労のことを考えて、それから、自分がいますべきことを考える。
考えれば考えるほど、よく分からなくなりそうだった。
もう、さっさと寝てしまおう。布団を深く被り直して、マシューは目を瞑った。
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【夕空翼/結城桃音/正城朱希】
・夕空翼
一人称はボク、二人称はキミ、アンタ、など
〜だよね、〜だよ、〜だからさ、あたりの口調が基本です。焦ったりとかで荒々しくなるとちょっと男の子っぽくなったりもする。〜だろ! とか。
好きな景色や心躍る瞬間:名前に入っているからという簡単な理由で幼い頃から夕空が好きです。心躍るのはやっぱりステージ上で歌ったり踊ったりしているときなのではと思います。それ以外なら美味しいご飯を食べているときです。
クラスメイトの名前:一通り覚えています。が、顔と名前は一致しません
好印象を抱く人の特徴:自分の好きに正直であるとか、強い信念を持っているとかにプラスして、彼自身の好みについてとやかく言わない人がだいたい好印象です。それ以外はおおよそあまり興味がありません。
・結城桃音
一人称は私、二人称はあなた、君、など
夕空翼と似たような口調を使います。でも夕空翼よりは女の子らしいです。〜よね、〜だよ、〜だからね、のような……
好きな景色や心躍る瞬間:かわいい服のたくさん売っているお店なんかが好きなんじゃないでしょうか。心躍るのは特に気に入ったデザインを翼が着ている時とかだと思います
クラスメイトの名前:顔まで含めて覚えています。
好印象を抱く人の特徴:この世界のあらゆる人々が基本的に好印象からスタートします。幼馴染さえ傷つけなければ「いい人なんだよな……」で止まってくれるでしょう。
・正城朱希
一人称は俺、二人称はお前、あんた、など
〜だろ、〜だよな?、〜だな、など、男の子らしい口調で話します。
好きな景色や心躍る瞬間:好きな景色 景色? 幼馴染といる時間がなんだかんだ好きなんじゃないでしょうか。あるいは、翼の姉である奏海の歌を聞くのが嫌いではなかった、とか
心躍るのはやっぱりダンスをしているその瞬間だろうなと思います。それ以外であれば……、友人に作曲を褒められるのは嫌いじゃないだろうなと思います
クラスメイトの名前:顔とエピソードは覚えています、が、名前はたまに忘れがちです。
好印象を抱く人の特徴:フラットにおおよその他人に興味が無いので、彼が憧れを持つほどの何かがなければ好印象は難しいかもしれません。強い熱を持っている人を好ましく思う傾向があります。
・三人共通
三点リーダーも使うだろうし、伸ばし棒もその時々によって使い分けて頂いて構いません。
また、三人とも声色に出やすいタイプだと思います。
好印象を抱く人の特徴:三人とも、いちばん大きなところに言葉を選んで会話が出来る、という項目が入ります。
また、衣装や髪型については好きにしていただいて構いません。畳む
・夕空翼
一人称はボク、二人称はキミ、アンタ、など
〜だよね、〜だよ、〜だからさ、あたりの口調が基本です。焦ったりとかで荒々しくなるとちょっと男の子っぽくなったりもする。〜だろ! とか。
好きな景色や心躍る瞬間:名前に入っているからという簡単な理由で幼い頃から夕空が好きです。心躍るのはやっぱりステージ上で歌ったり踊ったりしているときなのではと思います。それ以外なら美味しいご飯を食べているときです。
クラスメイトの名前:一通り覚えています。が、顔と名前は一致しません
好印象を抱く人の特徴:自分の好きに正直であるとか、強い信念を持っているとかにプラスして、彼自身の好みについてとやかく言わない人がだいたい好印象です。それ以外はおおよそあまり興味がありません。
・結城桃音
一人称は私、二人称はあなた、君、など
夕空翼と似たような口調を使います。でも夕空翼よりは女の子らしいです。〜よね、〜だよ、〜だからね、のような……
好きな景色や心躍る瞬間:かわいい服のたくさん売っているお店なんかが好きなんじゃないでしょうか。心躍るのは特に気に入ったデザインを翼が着ている時とかだと思います
クラスメイトの名前:顔まで含めて覚えています。
好印象を抱く人の特徴:この世界のあらゆる人々が基本的に好印象からスタートします。幼馴染さえ傷つけなければ「いい人なんだよな……」で止まってくれるでしょう。
・正城朱希
一人称は俺、二人称はお前、あんた、など
〜だろ、〜だよな?、〜だな、など、男の子らしい口調で話します。
好きな景色や心躍る瞬間:好きな景色 景色? 幼馴染といる時間がなんだかんだ好きなんじゃないでしょうか。あるいは、翼の姉である奏海の歌を聞くのが嫌いではなかった、とか
心躍るのはやっぱりダンスをしているその瞬間だろうなと思います。それ以外であれば……、友人に作曲を褒められるのは嫌いじゃないだろうなと思います
クラスメイトの名前:顔とエピソードは覚えています、が、名前はたまに忘れがちです。
好印象を抱く人の特徴:フラットにおおよその他人に興味が無いので、彼が憧れを持つほどの何かがなければ好印象は難しいかもしれません。強い熱を持っている人を好ましく思う傾向があります。
・三人共通
三点リーダーも使うだろうし、伸ばし棒もその時々によって使い分けて頂いて構いません。
また、三人とも声色に出やすいタイプだと思います。
好印象を抱く人の特徴:三人とも、いちばん大きなところに言葉を選んで会話が出来る、という項目が入ります。
また、衣装や髪型については好きにしていただいて構いません。畳む
#宇宙の箱、しあわせのかけら
562文字
「これ、違くないか」
テオが設計図を指さしてそう言った。言ってから、余計だったか、と焦った。ミラのものだったからだ。
駆け寄ってきたミラは、どこが、とテオに聞く。作りたいのはデジタルな手紙をとどける機械だ。破綻している箇所を指さしつつ、上手くいかない理由を話す。ミラはなるほどと頷いて、設計図に何かを書き足し始めた。
ミラは、設計の天才だ。しかし、そのための知識は圧倒的に足りていない。だから、たまにこういう破綻がうまれる。それなのに、たまにしかうまれないから彼女は化け物なのだ。
「これでどう?」
ミラがそれを見せてくる。確認すれば、発生していた問題はあっさりと解決されていた。
「……お前、本当に、そのアイデアはどこから……」
「……? 考えたら、分かる」
不思議そうな顔でミラは首を傾げる。悔しくて黙れば、ミラは、は、と口を抑えた。
「嫌なことだった?」
「……いや、」
お前のそれに嫉妬しているだけで、嫌ではない。弁明すれば、ミラは理解したというように頷いて、それから胸を張った。
ミラのこの清々しいところは好きだった。
「でも、テオの知識は頼りにしているから」
ミラはそう言った。テオはなんとも言えない気持ちになってまた黙った。
「嫌?」
「嫌じゃないけど……」
お前と話すと劣等感が刺激されるから嫌だ。そう言えば、ミラは珍しく笑ってピースを作った。
畳む
▼本編
>250
562文字
「これ、違くないか」
テオが設計図を指さしてそう言った。言ってから、余計だったか、と焦った。ミラのものだったからだ。
駆け寄ってきたミラは、どこが、とテオに聞く。作りたいのはデジタルな手紙をとどける機械だ。破綻している箇所を指さしつつ、上手くいかない理由を話す。ミラはなるほどと頷いて、設計図に何かを書き足し始めた。
ミラは、設計の天才だ。しかし、そのための知識は圧倒的に足りていない。だから、たまにこういう破綻がうまれる。それなのに、たまにしかうまれないから彼女は化け物なのだ。
「これでどう?」
ミラがそれを見せてくる。確認すれば、発生していた問題はあっさりと解決されていた。
「……お前、本当に、そのアイデアはどこから……」
「……? 考えたら、分かる」
不思議そうな顔でミラは首を傾げる。悔しくて黙れば、ミラは、は、と口を抑えた。
「嫌なことだった?」
「……いや、」
お前のそれに嫉妬しているだけで、嫌ではない。弁明すれば、ミラは理解したというように頷いて、それから胸を張った。
ミラのこの清々しいところは好きだった。
「でも、テオの知識は頼りにしているから」
ミラはそう言った。テオはなんとも言えない気持ちになってまた黙った。
「嫌?」
「嫌じゃないけど……」
お前と話すと劣等感が刺激されるから嫌だ。そう言えば、ミラは珍しく笑ってピースを作った。
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▼本編
>250
#宇宙の箱、しあわせのかけら
1012文字
兄は自分の前で無理しがちなところがある。ミラは嫌という程知っていた。
ルイに手伝ってもらって、確証を得たことがある。人の心の正体は箱のようなものだ。そこから必要なものだけを抜き出し、別の箱に入れる。それだけなら、装置を作るのも簡単なことだった。
長いこと見ていたから知っていた。兄が最近疲労していたこと。ため息が多くなって、笑顔に無理が滲むようになって、最終的に、彼は弱音を吐いた。
お兄ちゃんは、やっぱり、幸せじゃなかった。
これだけは、ミラの中で揺るぎのない真実だった。
小人たちに手伝ってもらって、その装置を作る。小人たちは、ものを作る技術は高いが、設計するための技術はそこまで持っていないようだった。
出来たものを迷いなく起動する。その場の誰も止めなかった。
次の瞬間、ぐわん、と大きな振動がして、箱にそれが集まったことを確認して、立ち上がる。こんなところで留まっている訳にはいかなかった。
次の星では、一人で起動した。どの星でも、周りのことはあまり見なかった。あの時、ちゃんと現実を見ていれば、こんなことにはならなかったのだろう。
自分のせいでのたうち回る彼を見て、自分は何を思ったのだろう。心配? どの面を下げて。悔しさ? それはそうかもしれない。が、そんな場合ではなかっただろう。ひとつずつ感情を否定しては何も残らなくなる。
兄を、幸せにしたかった。本当にそれだけだった。ほとんどの人々はミラを責めなかったが、遠くから刺すような視線を感じた。彼らにも、自身にとっての兄のように、大切な人がいたのだろう。
考えることは好きだ。けれど、それは技術のことだけだった。それ以外は要らなかった。どちらかといえば、それは兄の得意分野だった。
「お兄ちゃん」
「なあに、ミラ」
だから、兄に聞くのが早いと思った。
「お兄ちゃんにとって、昔の方が幸せだった?」
「……それは、」
兄は少し黙って考えた。しばらくして、首を横に振った。
「それは、無いよ。星にミサイルが降ったから、今は、テオたちとも友達でいられるんだ。……でも、」
「いや、そもそも幸せって言うのはきっと、比べるものじゃないんだよ。きっといつだって、その時の幸せがあるものだからね」
なんとなく納得のいく説だった。ミラは続けてこう聞いた。
「それで、納得してる?」
「うん、そうなるかな」
ノアは頷いた。じゃあ、いいか。ミラも納得したので、それ以上のことは何も言わなかった。畳む
▼本編
>250
1012文字
兄は自分の前で無理しがちなところがある。ミラは嫌という程知っていた。
ルイに手伝ってもらって、確証を得たことがある。人の心の正体は箱のようなものだ。そこから必要なものだけを抜き出し、別の箱に入れる。それだけなら、装置を作るのも簡単なことだった。
長いこと見ていたから知っていた。兄が最近疲労していたこと。ため息が多くなって、笑顔に無理が滲むようになって、最終的に、彼は弱音を吐いた。
お兄ちゃんは、やっぱり、幸せじゃなかった。
これだけは、ミラの中で揺るぎのない真実だった。
小人たちに手伝ってもらって、その装置を作る。小人たちは、ものを作る技術は高いが、設計するための技術はそこまで持っていないようだった。
出来たものを迷いなく起動する。その場の誰も止めなかった。
次の瞬間、ぐわん、と大きな振動がして、箱にそれが集まったことを確認して、立ち上がる。こんなところで留まっている訳にはいかなかった。
次の星では、一人で起動した。どの星でも、周りのことはあまり見なかった。あの時、ちゃんと現実を見ていれば、こんなことにはならなかったのだろう。
自分のせいでのたうち回る彼を見て、自分は何を思ったのだろう。心配? どの面を下げて。悔しさ? それはそうかもしれない。が、そんな場合ではなかっただろう。ひとつずつ感情を否定しては何も残らなくなる。
兄を、幸せにしたかった。本当にそれだけだった。ほとんどの人々はミラを責めなかったが、遠くから刺すような視線を感じた。彼らにも、自身にとっての兄のように、大切な人がいたのだろう。
考えることは好きだ。けれど、それは技術のことだけだった。それ以外は要らなかった。どちらかといえば、それは兄の得意分野だった。
「お兄ちゃん」
「なあに、ミラ」
だから、兄に聞くのが早いと思った。
「お兄ちゃんにとって、昔の方が幸せだった?」
「……それは、」
兄は少し黙って考えた。しばらくして、首を横に振った。
「それは、無いよ。星にミサイルが降ったから、今は、テオたちとも友達でいられるんだ。……でも、」
「いや、そもそも幸せって言うのはきっと、比べるものじゃないんだよ。きっといつだって、その時の幸せがあるものだからね」
なんとなく納得のいく説だった。ミラは続けてこう聞いた。
「それで、納得してる?」
「うん、そうなるかな」
ノアは頷いた。じゃあ、いいか。ミラも納得したので、それ以上のことは何も言わなかった。畳む
▼本編
>250
#宇宙の箱、しあわせのかけら
1768文字
ああ、夢だ。ノアは自覚した。
こんな昔の記憶を掘り起こすなんて、今日の僕はナイーブなのかもしれない。そんなことを思いながら、夢の中を漂う。目の前には小さな頃のテオがいた。
―――僕たちは、親友なんかじゃなかった。
父さんは、この星に君臨する王様だった。だけれど、自由を愛していた。子供が好き勝手知らない家の子供と遊ぶのを咎めなかった。
テオとルイは、城の近くに住んでいる、普通の家の子供だった。たまたま、城から抜け出し遊びに出かけた時に出会った歳も知らない友達。
父さんも母さんも、勉強をサボったことしか咎めなかった。友達と遊ぶのは見過ごしてくれていた。
しかし、周りの意見は厳しいものだった。
王子様なのに、普通の家の子と遊んでいる。きっとあっちの子が金目のものを渡したんだ。いやいや、王子様が好き好んで遊んでるだけだ。品格がない。
それでも友達は友達だった。僕たちがあんまり気にしなかったのが、良くなかった。
気づけばテオとルイは、なにやら勉強をしているのだとか言って、家から出てこなくなった。
遊び相手が居なくなったので、自然と勉強に身を入れた。特に、身体のことを学ぶのが好きだった。この頃から、医者という将来の夢は決まっていた。
ある日のことだ。
新しい従者がやって来るのだと父から聞いてはいた。ミラと一緒に会いに行けば、テオとルイだった。
また遊べるのだと喜んだのも束の間、彼らは似合いもしない敬語を使って首を横に振った。
王子様と王女様のイメージが落ちてしまうから、と。
しばらく拗ねてみた。ダメだった。ちょっとだけ荒れた。それでもダメだった。嗜められて終わった。どうしても納得のいかない僕を、ミラが困った顔で見ていたのを覚えている。
でも、それはきっと、友達と一緒に居るための、父の配慮だった。それでいて、彼らの気遣いだったのだ。
しばらく時が経ち、その関係性にも慣れた頃―――突然、この星にミサイルの雨が降るようになった。
父は即座にその星を突き止め一人で交渉に向かった。母は国民たちを大きな船に乗せ他の星へ避難するべく奔走した。
幼い僕たちは何も出来なかった。知識を振り絞って重傷な怪我人たちを診ている間、ミラとルイが船の点検をしていた。
テオは、何を言っても僕のそばを離れなかった。
その船が飛び立つ間際、テオとルイだけでも一緒に乗って行けと説得した。僕たちは、父のために残ることを決めていた。
彼らは頑として乗らなかった。どこまでも頑固なやつらだった。命令だと言っても、もうそんなのなしだろ、とかえってくる。
そして、どうして、と聞けば、必ずこう返ってくるのだ。
お前たちは子供だからだ、と。
歴史に名を残すような大喧嘩だった。テオはそれでも船には乗らなかった。悔しくて、なんでだよ、とぼやけば、心配だからだ! と返ってきた。痺れを切らしたような声だった。
僕が何も言えなくなった隙に、彼らは船を飛ばした。そもそも時間がなかった。
ミラが僕の手を握る。それまで、悔しくて泣いていることに気付かなかった。ああ、これでは本当に子供みたいだ。テオが呆れたようにため息をついて、ルイがおろおろと僕の頭を撫でる。それでも止まらない涙が悔しくて憎かった。
船を見送った後、僕を振り返ったテオは、敬語も王子様呼びも全てを外して、あんま情けない顔すんなよ、と言った。これで友達に戻れるのだから、とも。
ああ、遠くで、誰かが呼ぶ声がする。―――テオだ。
その瞬間、スコン、と頭に衝撃が走った。
「ノア、こら、この寝坊助!」
「いてっ」
目を覚ます。不機嫌そうなテオが、丸めた設計図を手にこちらを見ている。これで殴られたのだろう。
「寝坊助って……、まだそんなに寝てないじゃんか」
テオは不機嫌そうな眉間のシワをさらに寄せた。
「あんまりにも魘されてるもんだから、嫌な夢でも見てんのかと思って起こしてやったのに?」
「はあ? ……ああ、」
どうやら、魘されていたらしい。うるさかっただろうかと謝れば、別に、と返ってくる。
「心配してただけだしな」
彼らのこういうところを見ると、僕たちはまだ、彼らにとっては子供なのかもしれないと思う。
「スープあるけど、いる?」
「……いる」
それ自体は多少不満ではあったが、それが一番子供っぽいことをもう知っていた。心配は素直に嬉しかったので、仕方なく、仕方なく受け取ってやることにした。
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▼本編
>250
1768文字
ああ、夢だ。ノアは自覚した。
こんな昔の記憶を掘り起こすなんて、今日の僕はナイーブなのかもしれない。そんなことを思いながら、夢の中を漂う。目の前には小さな頃のテオがいた。
―――僕たちは、親友なんかじゃなかった。
父さんは、この星に君臨する王様だった。だけれど、自由を愛していた。子供が好き勝手知らない家の子供と遊ぶのを咎めなかった。
テオとルイは、城の近くに住んでいる、普通の家の子供だった。たまたま、城から抜け出し遊びに出かけた時に出会った歳も知らない友達。
父さんも母さんも、勉強をサボったことしか咎めなかった。友達と遊ぶのは見過ごしてくれていた。
しかし、周りの意見は厳しいものだった。
王子様なのに、普通の家の子と遊んでいる。きっとあっちの子が金目のものを渡したんだ。いやいや、王子様が好き好んで遊んでるだけだ。品格がない。
それでも友達は友達だった。僕たちがあんまり気にしなかったのが、良くなかった。
気づけばテオとルイは、なにやら勉強をしているのだとか言って、家から出てこなくなった。
遊び相手が居なくなったので、自然と勉強に身を入れた。特に、身体のことを学ぶのが好きだった。この頃から、医者という将来の夢は決まっていた。
ある日のことだ。
新しい従者がやって来るのだと父から聞いてはいた。ミラと一緒に会いに行けば、テオとルイだった。
また遊べるのだと喜んだのも束の間、彼らは似合いもしない敬語を使って首を横に振った。
王子様と王女様のイメージが落ちてしまうから、と。
しばらく拗ねてみた。ダメだった。ちょっとだけ荒れた。それでもダメだった。嗜められて終わった。どうしても納得のいかない僕を、ミラが困った顔で見ていたのを覚えている。
でも、それはきっと、友達と一緒に居るための、父の配慮だった。それでいて、彼らの気遣いだったのだ。
しばらく時が経ち、その関係性にも慣れた頃―――突然、この星にミサイルの雨が降るようになった。
父は即座にその星を突き止め一人で交渉に向かった。母は国民たちを大きな船に乗せ他の星へ避難するべく奔走した。
幼い僕たちは何も出来なかった。知識を振り絞って重傷な怪我人たちを診ている間、ミラとルイが船の点検をしていた。
テオは、何を言っても僕のそばを離れなかった。
その船が飛び立つ間際、テオとルイだけでも一緒に乗って行けと説得した。僕たちは、父のために残ることを決めていた。
彼らは頑として乗らなかった。どこまでも頑固なやつらだった。命令だと言っても、もうそんなのなしだろ、とかえってくる。
そして、どうして、と聞けば、必ずこう返ってくるのだ。
お前たちは子供だからだ、と。
歴史に名を残すような大喧嘩だった。テオはそれでも船には乗らなかった。悔しくて、なんでだよ、とぼやけば、心配だからだ! と返ってきた。痺れを切らしたような声だった。
僕が何も言えなくなった隙に、彼らは船を飛ばした。そもそも時間がなかった。
ミラが僕の手を握る。それまで、悔しくて泣いていることに気付かなかった。ああ、これでは本当に子供みたいだ。テオが呆れたようにため息をついて、ルイがおろおろと僕の頭を撫でる。それでも止まらない涙が悔しくて憎かった。
船を見送った後、僕を振り返ったテオは、敬語も王子様呼びも全てを外して、あんま情けない顔すんなよ、と言った。これで友達に戻れるのだから、とも。
ああ、遠くで、誰かが呼ぶ声がする。―――テオだ。
その瞬間、スコン、と頭に衝撃が走った。
「ノア、こら、この寝坊助!」
「いてっ」
目を覚ます。不機嫌そうなテオが、丸めた設計図を手にこちらを見ている。これで殴られたのだろう。
「寝坊助って……、まだそんなに寝てないじゃんか」
テオは不機嫌そうな眉間のシワをさらに寄せた。
「あんまりにも魘されてるもんだから、嫌な夢でも見てんのかと思って起こしてやったのに?」
「はあ? ……ああ、」
どうやら、魘されていたらしい。うるさかっただろうかと謝れば、別に、と返ってくる。
「心配してただけだしな」
彼らのこういうところを見ると、僕たちはまだ、彼らにとっては子供なのかもしれないと思う。
「スープあるけど、いる?」
「……いる」
それ自体は多少不満ではあったが、それが一番子供っぽいことをもう知っていた。心配は素直に嬉しかったので、仕方なく、仕方なく受け取ってやることにした。
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▼本編
>250
SS / 本編のちょっと前、朱希と奏海の話
1049文字
彼女のことが、好きだった。
幼馴染である夕空翼の姉。夕空奏海。
トップシンカーになりたいのだと、翼を引っ張って、夢に向かって一直線なその姿勢が好きだった。
自分より周りを優先してしまうようなちょっと危なっかしいところも、困っている人に手を差し伸べる時の察しの早さも、その青くてまっすぐで綺麗な瞳も。
彼女の全部が好きだった。
「ごめんね」
一度だけ、わがままを言ったことがある。
それで察してしまったのだろうと思う。彼女は酷く困った様子で、それでもはっきりそう言った。
「それ、……貰っても、私からは何も返せないんだ」
言葉は出なかった。
黙って頷くことしか出来なかった。自分がどんな顔をしていたかも分からない。ただ、分かっていても苦しかったのだけは、覚えている。
そうだ。
本当に、分かっていたんだ。あんたは、心からトップシンカーになりたいんだもんな。
いいんだ。それで。それでいい。そういうところが好きだから。それでよかった。
今のままで良い。
今のままで、良かったんだ。
好きでいさせてくれるだけで十分だった。
それを知った時にはもう遅かった。彼女は既に朱希を避けていたし、朱希にもそれは分かっていた。無理に追うことは、しなかった。
そうこうしているうちに、彼女は心を壊した。原因は不協和の影のパフォーマンスだった。
驚きはあったが、当時にしては冷静に飲み込んだように思う。彼女なら、下手に落ち込まれたくないからと無理やりにでも励ますのだろうと思ったからだ。
そうして、今となっては過去のこととなってしまった思い出をなぞっては捨てた。
終わってしまったんだ、もう。
彼女のことが、好きだった。
もう、今となっては、昔の話。
目を覚ました。
息を詰めていたのか。大きくため息をついて安堵した様子の彼らは、記憶の中より少し大人になっているように思えた。
翼がトップシンカーになったらしい。
それと同時に、桃音も朱希も一緒にトレンドシンカーになって、ライバルとしてやりあっているらしかった。驚きだった。
少し見ないうちに、世界の未来が大変なことになって、それをなんとかするべく頑張ったのだと話す弟の笑顔が愛らしくて、昔より背筋の伸びた桃音の気遣いが嬉しくて、朱希のその赤い瞳の奥にあったあの熱が、今はダンスに向けられているのを感じて、私は少し安堵してしまった。
酷い女でごめんね。でも、私にあなたは勿体なかったよ。
そんなこと言ったらまた怒られちゃうだろうか。
でも、彼は一人でも幸せを掴める人だと知っているからこそ、私に出来るのはそれを祈ることくらいだった。畳む
1049文字
彼女のことが、好きだった。
幼馴染である夕空翼の姉。夕空奏海。
トップシンカーになりたいのだと、翼を引っ張って、夢に向かって一直線なその姿勢が好きだった。
自分より周りを優先してしまうようなちょっと危なっかしいところも、困っている人に手を差し伸べる時の察しの早さも、その青くてまっすぐで綺麗な瞳も。
彼女の全部が好きだった。
「ごめんね」
一度だけ、わがままを言ったことがある。
それで察してしまったのだろうと思う。彼女は酷く困った様子で、それでもはっきりそう言った。
「それ、……貰っても、私からは何も返せないんだ」
言葉は出なかった。
黙って頷くことしか出来なかった。自分がどんな顔をしていたかも分からない。ただ、分かっていても苦しかったのだけは、覚えている。
そうだ。
本当に、分かっていたんだ。あんたは、心からトップシンカーになりたいんだもんな。
いいんだ。それで。それでいい。そういうところが好きだから。それでよかった。
今のままで良い。
今のままで、良かったんだ。
好きでいさせてくれるだけで十分だった。
それを知った時にはもう遅かった。彼女は既に朱希を避けていたし、朱希にもそれは分かっていた。無理に追うことは、しなかった。
そうこうしているうちに、彼女は心を壊した。原因は不協和の影のパフォーマンスだった。
驚きはあったが、当時にしては冷静に飲み込んだように思う。彼女なら、下手に落ち込まれたくないからと無理やりにでも励ますのだろうと思ったからだ。
そうして、今となっては過去のこととなってしまった思い出をなぞっては捨てた。
終わってしまったんだ、もう。
彼女のことが、好きだった。
もう、今となっては、昔の話。
目を覚ました。
息を詰めていたのか。大きくため息をついて安堵した様子の彼らは、記憶の中より少し大人になっているように思えた。
翼がトップシンカーになったらしい。
それと同時に、桃音も朱希も一緒にトレンドシンカーになって、ライバルとしてやりあっているらしかった。驚きだった。
少し見ないうちに、世界の未来が大変なことになって、それをなんとかするべく頑張ったのだと話す弟の笑顔が愛らしくて、昔より背筋の伸びた桃音の気遣いが嬉しくて、朱希のその赤い瞳の奥にあったあの熱が、今はダンスに向けられているのを感じて、私は少し安堵してしまった。
酷い女でごめんね。でも、私にあなたは勿体なかったよ。
そんなこと言ったらまた怒られちゃうだろうか。
でも、彼は一人でも幸せを掴める人だと知っているからこそ、私に出来るのはそれを祈ることくらいだった。畳む
SS / #双界の灯
1235文字
ミハネが物をよく贈ってくるようになった。
自身の綺麗な羽根をふたつ、貰ったのが始まりだったように思う。
最初の方こそは返せるものはないよと遠慮したが、とても悲しげな顔をするので、受け取るだけ受け取るようになって、数ヶ月が経って―――。
「よお、アウル」
「ああ、どうも、カゲリさん。何か用かな」
「いやいや、たまたま見掛けたから声掛けただけだよ。元気そうでなによりだ、装飾が増えたか?」
「あはは……ミハネがさ、なんだか沢山くれるんだよね。とても嬉しいのだけど、最近は持ち余してるかもな」
ぱちくり。カゲリは不思議そうに目を瞬かせて首を傾げた。
「へえ、お前らいつから付き合ってんの?」
「えっ」
今度はアウルが首を傾げた。付き合う。付き合う? ―――ミハネと?
「……いや、彼女はそういうのじゃないよ」
「え!?」
ギョッとしたカゲリは、慌てて周囲を見渡すと、ひとまず、とアウルを陰の方に引っ張って行った。
「な、なんだよ、急に改まって」
「あのな、お前。カラスの求愛行動って知らないか」
「はあ?」
び、と指を立ててカゲリは言う。
「いくつかあるにはあるんだが……、そのうちひとつに、物を贈る、があるんだ。きっとミハネちゃんはそのつもりだぞ」
「……ええ!?」
珍しく、大きな声が出た。困り果てたアウルはすっかり自身の羽飾りとなった羽根に触れながら、
「……そんなこと言われても。知らなかったよ」
「はー……」
呆れたようにカゲリはため息をついた。
「んでもさ、そこはちゃんとハッキリしてやれよ。じゃないとホントに嫌われるぜ?」
「分かってるよ。……にしても、どうしよう、困ったな……」
「お前はそのつもり無いの?」
しばらく考え込む。ミハネが、そういうのになる。恋人に、なる……。
「……どっちかって言うと、妹みたいに思ってるんだよな。それに、僕は旅人だよ。きっと向いてない」
本当に困り果てたようにアウルはそう言った。それに珍しい表情だなと思いながら、カゲリはこう問う。
「ほ〜ん? じゃ、ミハネちゃんが他の子に取られてもいいんだ」
「……、どう、だろう。あんまり考えたこと無かったや」
「贅沢なやつ!」
呆れ果てたと言うようにカゲリが言う。考え込んだままのアウルはふと零した。
「でも、……」
「あ?」
こうやって、贈り物を嬉しく受け取ってしまうのも。彼女に笑っていて欲しいと願うのも。
欲しいと言うのなら、この身一つくらいあげたっていいと、思ってしまうのも。
「愛、なのかなあ」
そんなことを呟いて、まあ、それもまた、本人に言うしかないかと立ち上がる。
「なあ、話が見えねえって」
「君に言うことでは無いからね」
「はあ!?」
「それじゃ」
「あ、おい待て!」
慌てて止めつつも追いかけない。気にはなるが、言葉通り自身が最初に聞いて良いものでは無いのだろう。
これから、いつも通りにアウルはミハネの所まで行くのだろうし、ミハネもそれを待ち望んでいるのだろうな。
カゲリは、そんな二人に想いを馳せながら、これが甘酸っぱいってやつなのかも、と思うのであった。畳む
1235文字
ミハネが物をよく贈ってくるようになった。
自身の綺麗な羽根をふたつ、貰ったのが始まりだったように思う。
最初の方こそは返せるものはないよと遠慮したが、とても悲しげな顔をするので、受け取るだけ受け取るようになって、数ヶ月が経って―――。
「よお、アウル」
「ああ、どうも、カゲリさん。何か用かな」
「いやいや、たまたま見掛けたから声掛けただけだよ。元気そうでなによりだ、装飾が増えたか?」
「あはは……ミハネがさ、なんだか沢山くれるんだよね。とても嬉しいのだけど、最近は持ち余してるかもな」
ぱちくり。カゲリは不思議そうに目を瞬かせて首を傾げた。
「へえ、お前らいつから付き合ってんの?」
「えっ」
今度はアウルが首を傾げた。付き合う。付き合う? ―――ミハネと?
「……いや、彼女はそういうのじゃないよ」
「え!?」
ギョッとしたカゲリは、慌てて周囲を見渡すと、ひとまず、とアウルを陰の方に引っ張って行った。
「な、なんだよ、急に改まって」
「あのな、お前。カラスの求愛行動って知らないか」
「はあ?」
び、と指を立ててカゲリは言う。
「いくつかあるにはあるんだが……、そのうちひとつに、物を贈る、があるんだ。きっとミハネちゃんはそのつもりだぞ」
「……ええ!?」
珍しく、大きな声が出た。困り果てたアウルはすっかり自身の羽飾りとなった羽根に触れながら、
「……そんなこと言われても。知らなかったよ」
「はー……」
呆れたようにカゲリはため息をついた。
「んでもさ、そこはちゃんとハッキリしてやれよ。じゃないとホントに嫌われるぜ?」
「分かってるよ。……にしても、どうしよう、困ったな……」
「お前はそのつもり無いの?」
しばらく考え込む。ミハネが、そういうのになる。恋人に、なる……。
「……どっちかって言うと、妹みたいに思ってるんだよな。それに、僕は旅人だよ。きっと向いてない」
本当に困り果てたようにアウルはそう言った。それに珍しい表情だなと思いながら、カゲリはこう問う。
「ほ〜ん? じゃ、ミハネちゃんが他の子に取られてもいいんだ」
「……、どう、だろう。あんまり考えたこと無かったや」
「贅沢なやつ!」
呆れ果てたと言うようにカゲリが言う。考え込んだままのアウルはふと零した。
「でも、……」
「あ?」
こうやって、贈り物を嬉しく受け取ってしまうのも。彼女に笑っていて欲しいと願うのも。
欲しいと言うのなら、この身一つくらいあげたっていいと、思ってしまうのも。
「愛、なのかなあ」
そんなことを呟いて、まあ、それもまた、本人に言うしかないかと立ち上がる。
「なあ、話が見えねえって」
「君に言うことでは無いからね」
「はあ!?」
「それじゃ」
「あ、おい待て!」
慌てて止めつつも追いかけない。気にはなるが、言葉通り自身が最初に聞いて良いものでは無いのだろう。
これから、いつも通りにアウルはミハネの所まで行くのだろうし、ミハネもそれを待ち望んでいるのだろうな。
カゲリは、そんな二人に想いを馳せながら、これが甘酸っぱいってやつなのかも、と思うのであった。畳む
世界観概要
〇街の特徴
舞台:糸紡ぎの街「リュシエル」
石畳と小さな工房が並ぶ、川辺の穏やかな街。
通りには「糸の市」があり、糸や布、ボタンや木片が売られ、人形師たちが材料を集める。
夜になると、窓辺に座るドールたちがランプの光を反射し、まるで街じゅうの心が灯っているように見える。
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〇ドールの「こころ」
ドールに魔力の籠った任意の宝石を埋め込み、それにキスをすることでドールは目覚める。眠りにつく時も同様である。
また、宝石を埋め込む場所は任意である。
宝石に込められた魔力の強さによってドールの髪の長さが変わる。この世界では、長い髪は魔力の象徴である。
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登場人物
〇ティアナ
病弱な少年の夢を叶えるため、生み出されたドール。
健気で穏やかで、まるでミルフィとは正反対。絵本作家になりたかった彼の夢を手伝っている。そんな自分のことを誇らしく思っているし、ミルフィのことを気高く美しいひとだと思っている。
可愛くて優しくて素直だが、その笑顔の裏にはある程度の打算が隠れている。
こうすれば相手は黙る。こうすれば相手は喜ぶ。こうすれば相手は。
なるべく痛みの少ない選択肢を選ぶことによりなるべく誰も傷つかないようにしているが、それは彼女だけがより傷つくことと同義である。
彼女がそうであるのは、ミルフィがそうであったためである。
彼女の心は、もとはミルフィのものだ。彼女はミルフィから生まれたドールだ。
彼が捨てたくても捨てられなかった打算的な優しさの部分を、ティアナが引き継いだ。
それを苦には思っていないティアナだが、ミルフィにとっては苦しいものに映るのかもしれない。
「ミルフィさまの悪口ですか!? 良くないですよ、ティアナは悲しいです」
「ミルフィさま、今日はどんなお話を書かれますか?」
「どうか、悲しまないで。後悔も、しないで。わたしはあなたのドール、あなたの夢は私の夢ですから!」
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〇ミルフィ
ティアナの主人。周囲には冷たい性格だと思われているが、言葉が足らないだけである。
病弱故に手が震えて動かず、絵を描けなくなった絵本作家。ひとりぼっちは寂しいので、旧知の仲であるノエルに頼み人形を作ってもらった。
素直でかわいいティアナのことを羨ましく、また、眩しく思っている。
それと同時に、いつだって欲しい言葉をくれるティアナに不安を抱えている。
自身と同じように、それで壊れはしないかと。
言葉が足らないのはわざとだ。もう自分としか仲良くできない。他人となんか仲良くしたくない。
だからドールを作ってもらった。自分の片割れのような存在を。
家族は、治療の金は出せど彼のことを理解はしてくれなかった。友達はみんな彼が療養している間に忙しくなって離れていった。
薄情なものだ。でも、現実というのはきっとそういうものなのだろう。
自分とたくさん対話した。彼らに諦めをつけるには、最初からなかったことにするのが一番だった。
自分しか信じなくなった。
創作は自分との対話だ。創作ばかりにかまけていたら、今度は手を壊した。
絵の描けない絵本作家に、生きている価値はない。
そう判断した彼は自死を試みようとしたが恐怖が勝ちうまくいかなかったところを家族に発見され保護された。
そこで家族に紹介されたのが―――ドールのことだった。
頼むから死んでくれるなと泣く両親の顔を今も覚えている。分かってもらえなくて悔しかったことも。
自分ともうまく話せなくなったのなら、この苦しみはだれに聞いてもらうんだ。
「自分の世界に閉じこもってる、んだってさ。それの何が悪いって言うんだよ……」
「ティアナ、声をもう少し小さくできるか?」
「馬鹿にしないで。可哀想だなんて言わないで。僕のこと、救えもしないくせに。責任だって取れないくせに!」
畳む
〇ノエル
リュシエルで働く人形師。元気で豪胆な女性だが、自分の感情を軽く扱うところがある。
よく言えば感情の切り替えが上手い。悪く言えば我慢しがちだ。
本人はそれを自覚しながらそれで良いと思っている。切り替えられるような感情は、そう重要なものではないのだろうから。
悲しくても苦しくても、腹が立っても、笑って流せる。そう、笑って流せばいい。
そんなお荷物はいらない。歩くときは身軽なほうがいい。
美しく楽しく生きよう。全てに蓋をしても、今日という日は美しいのだから。
「あっはっは! ミルフィ、またそんなこと言ってるのか? もっと言葉を大切に使ったほうがいいぜ。」
「あたしはアンタたちに幸せになってもらえたらそれでいーの!」
「あたしが怒ったって、あんた、なんも変わんないだろ。だから怒んないよ」
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〇ステラ
ノエルのライバルとなった人形師兼魔術師。穏やかだが正直な男性。時にそれは冷たく見えるのかもしれない。
個人的に健康でありたいと思っているようでもあるので、それが甲を制しているのかもしれない。
良くも悪くも自身の正しさを貫くが為に言葉が鋭くなりがちだが、それ以外では技術としても人としてもそれなりに出来た人である。
ノエルとは幼馴染なため、彼女のことはよく知っている。彼女が感情を抑え込みがちなことも、魔力が少ないことも。
当時、髪が短くて人見知りな彼女は、いじめの格好の的だった。
それを守っていたのがステラなのだが、ノエルは段々と処世術を身につけ、一人でも生きていけるようになっていった。
気付けば人形作りの技術は先を越されていた。
それを嬉しく思いつつ寂しく思うようになってようやく、そこにあった恋心に気が付いた。
でも、今更だ。彼女は一人で生きていけるし、それを選ぶだろう。
臆病な彼は伝えることはせず、静かに日々を過ごしている。
「俺はステラだよ〜。君たちが来た理由を当ててやろう、ノエルのお使いかな。……違う? そう、残念」
「死にたいなら死ねばいいよ。怖いなら一緒に死んであげるし。俺は君の人生の責任は取れないからね。ほら、どうする?」
「……今更だよ。今更だ。ね、ノエル。そうだろ」
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〇エトワ
遠い街から、ノエルを尋ねて来た少年。
火事で家と家族を亡くした。目の前で瓦礫に挟まれた父が「リュシエルに向かいなさい、いいね、お前は決してひとりじゃない」「ノエルさん、という人形師を尋ねなさい。父さんは大丈夫だ」と言いながら彼は強く背を押した。伝わる感触を今でも覚えている。
歩き回って、時々誰かに助けて貰って、必死に歩いた先、リュシエルで働くノエルを見つけた。
父は、エトワへの誕生日プレゼントに人形を用意していた。
父の魔力の沢山籠った、少女の人形だった。
「〜〜!! う、うるさい! じゃあなんだ、お前、俺がガキだって言いてえのかよ!」
「は〜? 絵本作家のくせに、そんな簡単なことも言えねえってわけ?」
「父さんが少しでも楽に死んでたらいいなあ……! 俺のことなんか、心配しないでさ、後悔とかもなくて、なんか、……幸せだったかなあ!?」
畳む
〇セレネ
エトワのドール。ちょっとクールな女の子。
エトワの友達になってやってくれと頼まれたので、仕方なく友達になるつもりだった。父の魔力が籠っているからか、思ったより思い入れができてしまったからか、いつか魔力が尽きる瞬間が来ることを惜しく思うようになってしまって、困っている。
彼の父のことは魔力越しにしか知らないが、エトワのことを愛していたことだけを知っている。彼の後悔を見る度に心が痛むが、何もしてやれない自分が嫌い。
「エトワ、申し訳ないけど、キミはまだまだ子供だよ。」
「ティアナ、ミルフィも、うちのがごめんね。」
「お父さんのこと、僕はちゃんと知らないけど……。ほら、キミはひとりじゃないんだろう。だから、大丈夫だって思うしかないよ。……無責任かな、ごめんね」
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〇街の特徴
舞台:糸紡ぎの街「リュシエル」
石畳と小さな工房が並ぶ、川辺の穏やかな街。
通りには「糸の市」があり、糸や布、ボタンや木片が売られ、人形師たちが材料を集める。
夜になると、窓辺に座るドールたちがランプの光を反射し、まるで街じゅうの心が灯っているように見える。
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〇ドールの「こころ」
ドールに魔力の籠った任意の宝石を埋め込み、それにキスをすることでドールは目覚める。眠りにつく時も同様である。
また、宝石を埋め込む場所は任意である。
宝石に込められた魔力の強さによってドールの髪の長さが変わる。この世界では、長い髪は魔力の象徴である。
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登場人物
〇ティアナ
病弱な少年の夢を叶えるため、生み出されたドール。
健気で穏やかで、まるでミルフィとは正反対。絵本作家になりたかった彼の夢を手伝っている。そんな自分のことを誇らしく思っているし、ミルフィのことを気高く美しいひとだと思っている。
可愛くて優しくて素直だが、その笑顔の裏にはある程度の打算が隠れている。
こうすれば相手は黙る。こうすれば相手は喜ぶ。こうすれば相手は。
なるべく痛みの少ない選択肢を選ぶことによりなるべく誰も傷つかないようにしているが、それは彼女だけがより傷つくことと同義である。
彼女がそうであるのは、ミルフィがそうであったためである。
彼女の心は、もとはミルフィのものだ。彼女はミルフィから生まれたドールだ。
彼が捨てたくても捨てられなかった打算的な優しさの部分を、ティアナが引き継いだ。
それを苦には思っていないティアナだが、ミルフィにとっては苦しいものに映るのかもしれない。
「ミルフィさまの悪口ですか!? 良くないですよ、ティアナは悲しいです」
「ミルフィさま、今日はどんなお話を書かれますか?」
「どうか、悲しまないで。後悔も、しないで。わたしはあなたのドール、あなたの夢は私の夢ですから!」
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〇ミルフィ
ティアナの主人。周囲には冷たい性格だと思われているが、言葉が足らないだけである。
病弱故に手が震えて動かず、絵を描けなくなった絵本作家。ひとりぼっちは寂しいので、旧知の仲であるノエルに頼み人形を作ってもらった。
素直でかわいいティアナのことを羨ましく、また、眩しく思っている。
それと同時に、いつだって欲しい言葉をくれるティアナに不安を抱えている。
自身と同じように、それで壊れはしないかと。
言葉が足らないのはわざとだ。もう自分としか仲良くできない。他人となんか仲良くしたくない。
だからドールを作ってもらった。自分の片割れのような存在を。
家族は、治療の金は出せど彼のことを理解はしてくれなかった。友達はみんな彼が療養している間に忙しくなって離れていった。
薄情なものだ。でも、現実というのはきっとそういうものなのだろう。
自分とたくさん対話した。彼らに諦めをつけるには、最初からなかったことにするのが一番だった。
自分しか信じなくなった。
創作は自分との対話だ。創作ばかりにかまけていたら、今度は手を壊した。
絵の描けない絵本作家に、生きている価値はない。
そう判断した彼は自死を試みようとしたが恐怖が勝ちうまくいかなかったところを家族に発見され保護された。
そこで家族に紹介されたのが―――ドールのことだった。
頼むから死んでくれるなと泣く両親の顔を今も覚えている。分かってもらえなくて悔しかったことも。
自分ともうまく話せなくなったのなら、この苦しみはだれに聞いてもらうんだ。
「自分の世界に閉じこもってる、んだってさ。それの何が悪いって言うんだよ……」
「ティアナ、声をもう少し小さくできるか?」
「馬鹿にしないで。可哀想だなんて言わないで。僕のこと、救えもしないくせに。責任だって取れないくせに!」
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〇ノエル
リュシエルで働く人形師。元気で豪胆な女性だが、自分の感情を軽く扱うところがある。
よく言えば感情の切り替えが上手い。悪く言えば我慢しがちだ。
本人はそれを自覚しながらそれで良いと思っている。切り替えられるような感情は、そう重要なものではないのだろうから。
悲しくても苦しくても、腹が立っても、笑って流せる。そう、笑って流せばいい。
そんなお荷物はいらない。歩くときは身軽なほうがいい。
美しく楽しく生きよう。全てに蓋をしても、今日という日は美しいのだから。
「あっはっは! ミルフィ、またそんなこと言ってるのか? もっと言葉を大切に使ったほうがいいぜ。」
「あたしはアンタたちに幸せになってもらえたらそれでいーの!」
「あたしが怒ったって、あんた、なんも変わんないだろ。だから怒んないよ」
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〇ステラ
ノエルのライバルとなった人形師兼魔術師。穏やかだが正直な男性。時にそれは冷たく見えるのかもしれない。
個人的に健康でありたいと思っているようでもあるので、それが甲を制しているのかもしれない。
良くも悪くも自身の正しさを貫くが為に言葉が鋭くなりがちだが、それ以外では技術としても人としてもそれなりに出来た人である。
ノエルとは幼馴染なため、彼女のことはよく知っている。彼女が感情を抑え込みがちなことも、魔力が少ないことも。
当時、髪が短くて人見知りな彼女は、いじめの格好の的だった。
それを守っていたのがステラなのだが、ノエルは段々と処世術を身につけ、一人でも生きていけるようになっていった。
気付けば人形作りの技術は先を越されていた。
それを嬉しく思いつつ寂しく思うようになってようやく、そこにあった恋心に気が付いた。
でも、今更だ。彼女は一人で生きていけるし、それを選ぶだろう。
臆病な彼は伝えることはせず、静かに日々を過ごしている。
「俺はステラだよ〜。君たちが来た理由を当ててやろう、ノエルのお使いかな。……違う? そう、残念」
「死にたいなら死ねばいいよ。怖いなら一緒に死んであげるし。俺は君の人生の責任は取れないからね。ほら、どうする?」
「……今更だよ。今更だ。ね、ノエル。そうだろ」
畳む
〇エトワ
遠い街から、ノエルを尋ねて来た少年。
火事で家と家族を亡くした。目の前で瓦礫に挟まれた父が「リュシエルに向かいなさい、いいね、お前は決してひとりじゃない」「ノエルさん、という人形師を尋ねなさい。父さんは大丈夫だ」と言いながら彼は強く背を押した。伝わる感触を今でも覚えている。
歩き回って、時々誰かに助けて貰って、必死に歩いた先、リュシエルで働くノエルを見つけた。
父は、エトワへの誕生日プレゼントに人形を用意していた。
父の魔力の沢山籠った、少女の人形だった。
「〜〜!! う、うるさい! じゃあなんだ、お前、俺がガキだって言いてえのかよ!」
「は〜? 絵本作家のくせに、そんな簡単なことも言えねえってわけ?」
「父さんが少しでも楽に死んでたらいいなあ……! 俺のことなんか、心配しないでさ、後悔とかもなくて、なんか、……幸せだったかなあ!?」
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〇セレネ
エトワのドール。ちょっとクールな女の子。
エトワの友達になってやってくれと頼まれたので、仕方なく友達になるつもりだった。父の魔力が籠っているからか、思ったより思い入れができてしまったからか、いつか魔力が尽きる瞬間が来ることを惜しく思うようになってしまって、困っている。
彼の父のことは魔力越しにしか知らないが、エトワのことを愛していたことだけを知っている。彼の後悔を見る度に心が痛むが、何もしてやれない自分が嫌い。
「エトワ、申し訳ないけど、キミはまだまだ子供だよ。」
「ティアナ、ミルフィも、うちのがごめんね。」
「お父さんのこと、僕はちゃんと知らないけど……。ほら、キミはひとりじゃないんだろう。だから、大丈夫だって思うしかないよ。……無責任かな、ごめんね」
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#ふたつの翼、ひとつの空
1話 6992文字
ピピピピ。ピピピピ。
目覚まし時計がやかましく朝を告げる。
サーヤは、まだ眠たい目を擦りながら、眠りを阻害する音を止めようと手を伸ばした――――その寸前で、誰かの手が先にボタンを押した。音が止む。
「おはよう、サーヤ! はやく起きなさい!」
その手の主は、サーヤの双子の姉、シーアだ。うるさい。薄く目を開けてみれば、彼女の髪は既に二つに結われていて、いかにも準備万端といった風合いだった。
いつもなら、もっと眠たそうな顔をして、隣でうだうだ駄々をこねているはずなのに。
時計を見る。いつも起きる時間だ、学校があっても遅刻はしない。
安心したのも束の間、は、とサーヤは思い出す。
それと同時、シーアはにかりと笑ってこう言った。
「今日は騎士学校の実技試験があるんだから!」
そうだ。そうだった。
「じ、じゃあ、もっと早く起こしてよ~~!!」
サーヤは慌ただしく身体を起こして、バタバタと階段を下りていった。
シーアとサーヤは孤児だった。冒険家の養父に拾われて、今は彼の祖父と祖母が二人の世話をしている。
「おじいちゃん、おばあちゃん、おはようっ」
「おはよう、サーヤちゃん。ふふ、今日も時間通りの早起きさんね」
リビングに向かえば、おばあちゃんが笑顔で出迎えてくれる。
「シーアの方が早起きだもん」
「あらま、比べるものじゃないのよ。ねえおじいちゃん」
「……それに、まだまだ間に合うだろう」
拗ねたように言うと、二人からはあっさりとフォローが返ってくる。これが大人の余裕なのかもしれない、と思いながら焼き立てのパンを齧った。流石はおばあちゃん、バッチリの焼き加減だ。
「それより、今日はセレスティア騎士学校の実技試験の日でしょう?」
「う」
「……サーヤ、大丈夫なのか。調子は」
セレスティア騎士学校。王都セレスティアを守る騎士から冒険者まで、様々な人々が集まる、武道の名門校。シーアとサーヤは、二人してその学校に志願しているのだった。
「だいじょうぶ……じゃない。ちょっと……かなり……緊張するなあ……! うう、不安だよ~!」
「でも、風の具合は良さそうだわ!」
そう言いながらシーアがリビングに降りてくる。
「きっと私たちの門出を祝福してくれてるのね! きっと大丈夫よ、サーヤ!」
ぐ、とガッツポーズを作り、シーアはそう笑った。サーヤは困ってしまって俯いた。
「シーア、ぼくが受からなかったら……」
「サーヤ!」
最悪の仮定をぴしゃりとシーアが止める。そう強く止められてしまっては、サーヤはそれを飲み込むしか無かった。
「だいじょうぶ。大丈夫よ、サーヤ。だって、いつも通りの空だもの」
そう言われても。緊張は緊張だ。何も言えなくなってしまったサーヤを見ながら、おじいちゃんとおばあちゃんは静かに顔を見合わせた。
*
騎士学校のある王都までは少し距離がある。二人は、子供向け装備を搭載したそれぞれの空飛ぶ魚のような、鳥のような生き物――――ウィンドグライダーに跨り、風に乗って行くのだ。
おじいちゃんとおばあちゃんに見送られて、シーアとサーヤは試験会場まで飛び立つ。
眼下にぽつぽつと島が浮かんでいる。その下には、分厚い大きな雲がいっぱいに広がっていて、そこを突き抜けていくことはできない。
そう、ここはスカイラヴィス。
ウィンドグライダーで行き交う冒険者たちには挨拶を。時々騎士のお兄さんお姉さんに敬礼をしたり、空賊を避けつつ飛んでいけば、目的地はすぐそこだ。
風と星の信仰、空の都。
王都セレスティアの美しい街並みが目の前に広がる。
白い塔がいくつも連なって、その間を無数のウィンドグライダーが行き交っている。風車が緩やかに回って、街全体が風と一緒に息をしているみたいだった。
これは、何度も見ている光景だと言うのに、サーヤは毎度毎度、息を飲んでしまうのだ。
飛んでいる最中もシーアは好きなようにぺちゃくちゃ喋るし、サーヤはそれで彼女が落っこちてしまわないかを気にしながら飛ぶので、道中は大変だった。
でも、それにいつも通りを感じてしまって、実は本当に、大丈夫なのかもしれないと、少しだけ思った。
王都のグライダー広場に降り立つ。ウィンドグライダーからぱっと降りて、お疲れ様、とひとつ撫でる。はあ、とため息をひとつ吐いたと同時、後ろからバン、と背中を叩かれて悲鳴を上げた。
「お~! シーアとサーヤじゃん。 お前らも騎士学校の試験受けんの?」
その手の主はリアムだった。その黒い髪によく映える赤い瞳が、にい、と笑みの形を作った。
「リアム! サーヤは今日、とても緊張してるんだから、下手に驚かさないで!」
「へ~んだ。そんなの、勢いで吹き飛ばすしかね~だろ!」
ふん、と彼――――リアムは鼻を鳴らしてサーヤを見た。その後ろからぱたぱたともう一人の少年――――マシューが駆けてくる。
「リアム、ちょっと早いよ……! あ、シーアさん、サーヤさん! おはよう!」
きちんと手入れされているであろう綺麗な金髪を揺らした彼は、二人を見つけるとにこやかに挨拶をした。
「お、おはよう」
「おはよう、マシュー!」
彼は息を整えてからにこやかに挨拶をした。それに挨拶を返せば、彼はサーヤの方を見て微笑む。
「緊張するね……。でも、きっと大丈夫。頑張ろうね」
「う、うん。もちろん。マシューくんも、頑張ろうね」
その後ろで、シーアとリアムがぎゃんぎゃんとやり合う。
いつも通り、だ。
でも、誰も彼もいつも通りを装っているのだ、とも思った。
ああ、きっと大丈夫だ。
「ふんっ、もう行くわよ。ほら、サーヤ!」
「わ、うん!」
「マシューも行くぜ。絶対にシーアには負けねえんだからな」
「うーん、変わらないなあ」
少しだけ。少しだけ安心して、サーヤはシーアの隣に並んで歩き出した。
*
「はい、並んで並んで~! 始めるよ~!」
試験会場は人でごった返している。
騎士学校の先生らしい長髪の男性が、声を掛けて生徒を集め、二列に並べていた。
指示に従って並べば、サーヤの隣はリアムだった。シーアの隣には、マシューがいる。マシューはこちらを心配していたのかバッチリと目が合って、少しだけ微笑まれてしまった。目をそらす。
なにかリアムに茶々を入れられるかと思ったが、その時の彼は思いのほか静かであった。
「さて、無事にみんな並べたかな? 今回の試験監督を務めます、イズミです。気軽にイズミ先生って呼んでね~」
イズミと名乗った先生が、その場が静かになったのを見計らってゆるく説明を始める。
「事前に聞いていたと思うけど、今日は筆記テストはやりません。みなさんは、風花と呼ばれる綺麗な花々があちらこちらに舞っているのを見たことがありますね〜?」
頷く。風花畑からたまに飛んでくるものだ。主に装飾に使われる。シーアとサーヤも、それを使ってお揃いの栞を作ったことがあるほど、身近なものだ。
「今回は、それを沢山集めてもらいます。ウィンドグライダーとの連携と、どこまで地理の感覚が染み付いているか、あるいは知識があるかを知るための試験です」
筆記のテストは事前に終わっている。この試験が終わった後に、軽い面接があって、後日また合否が発表される、という流れだ。
「もちろん先生や先輩方が総出で確認して回るけれど、一人でなにかに巻き込まれたら大変なので、隣の人とペアになってもらいます。丁度割り切れるからね」
これには不満の声が上がったが、それを先生は笑顔でかわした。
リアムとサーヤも思わず顔を見合わせた。
「さて、これで説明は終わり! 時計の針が半になったら、そこの橋から出発してね。あと……十秒くらいかな?」
ごめん、みんな、撤回させてください。
あんまりにも不安しかない!
先生が時計を見ながら十を始めた。生徒たちは慌てて橋の方へ走り出す。
「サーヤ、頑張りましょっ」
「サーヤさん、リアム、また後で!」
シーアとマシューがそう声を掛けて追い抜いていく。
「ぼ、ぼくたちも行かなきゃ!」
「……」
普段なら、もっとこちらを引っ張っていくのに。意外にも、帰ってきたのは沈黙だった。
「……リアムくん……?」
そう声を掛ければ、は、として彼はこちらを見る。少し青ざめているように感じた。
「……緊張してるの?」
「ふ、ふん、そんなわけないだろ! おい、シーアたちには勝つぞ、いいな!」
慌てて返事を返した彼のそれは取り繕っているようにしか見えなくて、サーヤはさらに心配になった。それ以上の詮索を避けるように、リアムは走り出した。
「あ、わわ、待ってよ~!」
サーヤは、それを慌てて追うことになった。
そうして、実技試験が始まったのである。
「それで?」
「え?」
ウィンドグライダーに跨り、とりあえずと空へと飛び出し、飛行が安定した頃。
「風花なんて俺は拾ったことねえし、具体的にどこが沢山拾えるかなんて分かんねえけど」
リアムがこちらを見ることも無くそう言った。
「……そ、そっか、そうだよね!」
たしかに、彼はそういうものに興味を持つ質には見えない。
「ぼく、良いところならたくさん知ってるよ。着いてきて!」
「ふん、仕方ねえからな。いいか、これはシーアたちに勝つためだぞ!」
「分かってるってば!」
普段の彼なら、シーアにもサーヤにもこんなに従順じゃない。そんなことは言われなくても分かっていた。拗ねたように先を飛べば、後ろから慌てた声が追いかけてきた。
風を切って飛ぶ。朝にシーアが言っていた通り、風向きはサーヤたちの味方をしていた。
しばらく飛べば、風花がたくさん舞っている場所に出る。風花畑だ。先生によれば、畑の主さんにはしっかり話を通してあるらしいので、ある程度、しかしたくさん貰って行こう。
「ハンカチとかで取ると取りやすいよ」
「ふうん、ハンカチねえ」
持っていただろうかとリアムがポケットを漁る。くしゃくしゃのハンカチがそこから出てきた。
「よし、取ろう!」
「さて、どっちが多く取れるかな」
そう言いながら飛び回る。ハンカチに風花が引っ付いて、あっという間に沢山集めることが出来た。
「取れた?」
「もちろん。……くそ、引き分けだな」
それを瓶に入れれば、舞い散る花がスノードームみたいで綺麗だった。
「もう少し集めに行く?」
「う~ん、ま、そうするか。お前が詳しいならシーアも詳しいだろうし」
「うーん、そうだね~。次の場所の方が量としては多いかも」
じゃあ、と次の場所に飛べば、シーアとマシューが先にそこに居た。
「サーヤさん、リアム!」
「来たわね、サーヤ!」
向こうのふたりが反応して手を振る。サーヤはそれに手を振り返した。
「シーア、マシューくん!」
「おい、俺も居るんだからな!」
シーアはそう言うリアムを笑ってスルーした。
「はいはい、ほら、二人はどれくらい集まったのかしら!」
集めた風花の瓶を二人に見せびらかす。サーヤたちの分より少し多めに集まっていた。それを見たリアムが悔しそうにうめく。
「わ、いっぱい集まったね」
「くっ」
「ふふん、やっぱりここが一番集まるわよね」
綺麗だし、と言いながらシーアは瓶を仕舞う。リアムは悔しがって、ぐぬぬ、と唸った後、シーアを指さしてこう言った。
「まだまだ勝負は終わってないんだからな!」
「ふふ、今からここのを集めるんでしょ? 楽しみにしてるわっ」
リアムはふん、とそっぽを向いて、またハンカチを取りだして集めに飛び出して行った。
「全く、いつまで経ってもガキなんだから」
「ははは……」
「ぼくも集めてくる! シーア、マシューくん、またね」
シーアとマシューは頷いて、その場を離れようとした――――その時。
「うわあっ」
悲鳴が聞こえた。リアムのものだ。そちらを見れば、ハンカチをいっぱいに広げて、少し遠くの風花に手を伸ばした瞬間だった。重心がずれて、ウィンドグライダーとの息が合わなかったのだろう。リアムの身体が、ぐらりと傾いた。
ウィンドグライダーから転落しかけている。
「! リアム!」
「え、」
「バカ!」
シーアが飛び出す。それに続いてサーヤとマシュー、リアムの身体がどんどん傾いて、落ちて――――その先で、シーアが彼の身体を抱き止めた。
「バカ、アンタ、なにやってんのよ!?」
「……あ? お、おう、ごめん……」
「大丈夫、二人とも!?」
「怪我は!?」
流石のリアムも目を白黒とさせている。遠くから見回りの先輩が飛んできているのが見えた。
「私は大丈夫、リアムのウィンドグライダーは!?」
「ざっと見たけど、平気そうだよ」
そう言いながらマシューがウィンドグライダーを連れてくる。彼は申し訳なさそうに震えてみせた。
リアムは真っ青な顔のままウィンドグライダーに跨り直し、そのうちに先輩が近くまで飛んできていた。
「大丈夫ですか? 怪我は?」
「全員無事です!」
「そう、良かったです。どうかお気をつけて」
「はーい!」
全員で返事をする。リアムの顔色を見て、その先輩は少し考え込んだ。その後、
「貴方のペアは?」
「ぼくです」
サーヤが手を挙げる。先輩は頷いて、リアムが手に持っていたハンカチを受け取った。
それを二人用の瓶に入れてから、もう一度頷いて、
「これであれば問題ないでしょう。大幅に時間は余りますが、全員、私について一緒に島に戻りましょう」
「は~い!」
再びの返事。そうして、四人の実技試験は幕を閉じたのだった。
*
「……悪かったよ」
あの後。
医務室で軽く検査をし、特に怪我は無いからと解放されて戻ってきたリアムが不貞腐れたようにそう言った。
「なにが?」
「ッ、お前……!」
「ちゃ~んと言葉にしないと伝わらないわよ~」
「ぐ……」
シーアがからかうようにそう言う。リアムはしばらく拳を握りしめ震えていたが、そのうち、その手を解いて、
「だから、迷惑かけて悪かったよ!」
そう言った。
「そうじゃないわよ」
「はあ!?」
「助けてくれてありがとう、でしょ?」
シーアがさらに言葉を重ねる。
「はあ!? ……ま、まあ助かったとは思ってるけど……」
「じゃ、ありがとうくらい貰わなくちゃ!」
クソ、こいつ。調子に乗りやがって。リアムはそんなことをぼやいた。
「……でも、まあ、ふん、助けてくれてありがとう」
「どういたしまして! 私にはそれだけでいいわよ」
「分かってるよ!」
ぷんすこ怒りながらリアムはそのままサーヤを見て、
「大切な試験だったっつーのに、ハプニング起こして悪かったな」
お前も、とマシューの方も見る。サーヤとマシューはぱちくりと目を瞬かせ、顔を合わせた。
「うーん……でもほら、先輩もこれだけあれば大丈夫って言ってくれたし……無事だったならいいよ」
「心配なのは今回よりも筆記の方じゃない? リアムくんって勉強出来たっけ」
「ぐぐ、なにを~~!!」
ひとしきりそうやって騒いでから、リアムはすっかり調子を取り戻したらしく、全員を指さしてこう言った。
「次は負けないんだからな!」
やれやれとばかりにシーアが肩を竦めた。サーヤも思わず笑ってしまったし、マシューも呆れている。
それでも、いつも通りが戻ってきて、少し安心したのは事実だった。
*
「シーア!」
「んん……何よ、サーヤ、まだ起きる時間じゃないわ……」
「起きる時間はとっくに過ぎてるよ! そんなことはいいの、今日は騎士学校の合否が来るんだよ!」
バタバタと部屋に入ってきたサーヤの言葉を聞いて、ようやくシーアは目覚める。
そうだった。
「ちょ、ちょっと、サーヤ! もっと早く起こしなさいよ!」
「何回も起こしたもん……」
不満そうにサーヤが呟いたのを綺麗にスルーして、シーアは慌ててベッドから飛び出る。
その時、おばあちゃんが部屋をノックしてこう言った。
「シーアちゃん、サーヤちゃん。来たわよ」
「本当!?」
「……!」
合否の通知は郵送で、風花と共に寮の鍵が入っていれば合格。そうでなければ――――不合格。
「おばあちゃんっ、どう!? 鍵、二つ入ってそう!?」
「う~ん、封筒が分厚くて外からじゃ分からないわね……開けてみましょう」
「うわ――――!! ちょっと待って!! 顔洗ってくるっ」
「あらあら、慌ただしいんだから」
ドタバタと洗面台にシーアが駆けていく。サーヤはもう、とても緊張してしまってその場で震えているところだった。
「サーヤちゃん」
「な、なに!?」
「きっと大丈夫よ」
「……」
おばあちゃんの言葉で少しだけ落ち着きを取り戻す。そうだ。大丈夫だと、信じることしか出来ない。信じるしかない。
「うん」
そうしていると、シーアとおじいちゃんがそわそわしながら戻ってきた。
「ど、どうだったんだ」
「まだ開けてないわよね!?」
「まだよ~、開けるわね」
ドキドキ。おばあちゃんがハサミで封筒を切っていくのを、緊張しながら見ることしか出来ない。
心臓の音が近い。シーアも緊張しているようだった。
「あら!」
「……!」
「ど、どう!?」
「おめでとう、シーアちゃん、サーヤちゃん!」
そうしておばあちゃんが鍵をふたつ、掲げてみせた。
つまりは、――――合格、だ。
シーアとサーヤはしばらく、何も言えなかった。ほっとして、うれしくて、それだけで胸がいっぱいになってしまって。気づいたら二人でぎゅっと抱き合っていた。おじいちゃんは何も言わなかったけれど、目が少し赤くなっていた。おばあちゃんはそれを見てふふ、と笑った。
「やったわ~! サーヤ! 私たち、無事に合格したのよ!」
「う、うん……! 嬉しいね、シーア!」
「それじゃ、荷造りをしなくちゃね。ちょっと早めに入寮出来るみたいだから、慣れておいた方が良いわ」
「はーい!」
そうして今日も、日常は動いていく。不思議と、リアムとマシューもきっと、大丈夫だと思えた。
騎士学校にはどんな先生がいて、どんな人がクラスメイトになるのだろう!
ドキドキとワクワクを抱えながら、入学式までの時を過ごすことになるのだった。
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1話 6992文字
ピピピピ。ピピピピ。
目覚まし時計がやかましく朝を告げる。
サーヤは、まだ眠たい目を擦りながら、眠りを阻害する音を止めようと手を伸ばした――――その寸前で、誰かの手が先にボタンを押した。音が止む。
「おはよう、サーヤ! はやく起きなさい!」
その手の主は、サーヤの双子の姉、シーアだ。うるさい。薄く目を開けてみれば、彼女の髪は既に二つに結われていて、いかにも準備万端といった風合いだった。
いつもなら、もっと眠たそうな顔をして、隣でうだうだ駄々をこねているはずなのに。
時計を見る。いつも起きる時間だ、学校があっても遅刻はしない。
安心したのも束の間、は、とサーヤは思い出す。
それと同時、シーアはにかりと笑ってこう言った。
「今日は騎士学校の実技試験があるんだから!」
そうだ。そうだった。
「じ、じゃあ、もっと早く起こしてよ~~!!」
サーヤは慌ただしく身体を起こして、バタバタと階段を下りていった。
シーアとサーヤは孤児だった。冒険家の養父に拾われて、今は彼の祖父と祖母が二人の世話をしている。
「おじいちゃん、おばあちゃん、おはようっ」
「おはよう、サーヤちゃん。ふふ、今日も時間通りの早起きさんね」
リビングに向かえば、おばあちゃんが笑顔で出迎えてくれる。
「シーアの方が早起きだもん」
「あらま、比べるものじゃないのよ。ねえおじいちゃん」
「……それに、まだまだ間に合うだろう」
拗ねたように言うと、二人からはあっさりとフォローが返ってくる。これが大人の余裕なのかもしれない、と思いながら焼き立てのパンを齧った。流石はおばあちゃん、バッチリの焼き加減だ。
「それより、今日はセレスティア騎士学校の実技試験の日でしょう?」
「う」
「……サーヤ、大丈夫なのか。調子は」
セレスティア騎士学校。王都セレスティアを守る騎士から冒険者まで、様々な人々が集まる、武道の名門校。シーアとサーヤは、二人してその学校に志願しているのだった。
「だいじょうぶ……じゃない。ちょっと……かなり……緊張するなあ……! うう、不安だよ~!」
「でも、風の具合は良さそうだわ!」
そう言いながらシーアがリビングに降りてくる。
「きっと私たちの門出を祝福してくれてるのね! きっと大丈夫よ、サーヤ!」
ぐ、とガッツポーズを作り、シーアはそう笑った。サーヤは困ってしまって俯いた。
「シーア、ぼくが受からなかったら……」
「サーヤ!」
最悪の仮定をぴしゃりとシーアが止める。そう強く止められてしまっては、サーヤはそれを飲み込むしか無かった。
「だいじょうぶ。大丈夫よ、サーヤ。だって、いつも通りの空だもの」
そう言われても。緊張は緊張だ。何も言えなくなってしまったサーヤを見ながら、おじいちゃんとおばあちゃんは静かに顔を見合わせた。
*
騎士学校のある王都までは少し距離がある。二人は、子供向け装備を搭載したそれぞれの空飛ぶ魚のような、鳥のような生き物――――ウィンドグライダーに跨り、風に乗って行くのだ。
おじいちゃんとおばあちゃんに見送られて、シーアとサーヤは試験会場まで飛び立つ。
眼下にぽつぽつと島が浮かんでいる。その下には、分厚い大きな雲がいっぱいに広がっていて、そこを突き抜けていくことはできない。
そう、ここはスカイラヴィス。
ウィンドグライダーで行き交う冒険者たちには挨拶を。時々騎士のお兄さんお姉さんに敬礼をしたり、空賊を避けつつ飛んでいけば、目的地はすぐそこだ。
風と星の信仰、空の都。
王都セレスティアの美しい街並みが目の前に広がる。
白い塔がいくつも連なって、その間を無数のウィンドグライダーが行き交っている。風車が緩やかに回って、街全体が風と一緒に息をしているみたいだった。
これは、何度も見ている光景だと言うのに、サーヤは毎度毎度、息を飲んでしまうのだ。
飛んでいる最中もシーアは好きなようにぺちゃくちゃ喋るし、サーヤはそれで彼女が落っこちてしまわないかを気にしながら飛ぶので、道中は大変だった。
でも、それにいつも通りを感じてしまって、実は本当に、大丈夫なのかもしれないと、少しだけ思った。
王都のグライダー広場に降り立つ。ウィンドグライダーからぱっと降りて、お疲れ様、とひとつ撫でる。はあ、とため息をひとつ吐いたと同時、後ろからバン、と背中を叩かれて悲鳴を上げた。
「お~! シーアとサーヤじゃん。 お前らも騎士学校の試験受けんの?」
その手の主はリアムだった。その黒い髪によく映える赤い瞳が、にい、と笑みの形を作った。
「リアム! サーヤは今日、とても緊張してるんだから、下手に驚かさないで!」
「へ~んだ。そんなの、勢いで吹き飛ばすしかね~だろ!」
ふん、と彼――――リアムは鼻を鳴らしてサーヤを見た。その後ろからぱたぱたともう一人の少年――――マシューが駆けてくる。
「リアム、ちょっと早いよ……! あ、シーアさん、サーヤさん! おはよう!」
きちんと手入れされているであろう綺麗な金髪を揺らした彼は、二人を見つけるとにこやかに挨拶をした。
「お、おはよう」
「おはよう、マシュー!」
彼は息を整えてからにこやかに挨拶をした。それに挨拶を返せば、彼はサーヤの方を見て微笑む。
「緊張するね……。でも、きっと大丈夫。頑張ろうね」
「う、うん。もちろん。マシューくんも、頑張ろうね」
その後ろで、シーアとリアムがぎゃんぎゃんとやり合う。
いつも通り、だ。
でも、誰も彼もいつも通りを装っているのだ、とも思った。
ああ、きっと大丈夫だ。
「ふんっ、もう行くわよ。ほら、サーヤ!」
「わ、うん!」
「マシューも行くぜ。絶対にシーアには負けねえんだからな」
「うーん、変わらないなあ」
少しだけ。少しだけ安心して、サーヤはシーアの隣に並んで歩き出した。
*
「はい、並んで並んで~! 始めるよ~!」
試験会場は人でごった返している。
騎士学校の先生らしい長髪の男性が、声を掛けて生徒を集め、二列に並べていた。
指示に従って並べば、サーヤの隣はリアムだった。シーアの隣には、マシューがいる。マシューはこちらを心配していたのかバッチリと目が合って、少しだけ微笑まれてしまった。目をそらす。
なにかリアムに茶々を入れられるかと思ったが、その時の彼は思いのほか静かであった。
「さて、無事にみんな並べたかな? 今回の試験監督を務めます、イズミです。気軽にイズミ先生って呼んでね~」
イズミと名乗った先生が、その場が静かになったのを見計らってゆるく説明を始める。
「事前に聞いていたと思うけど、今日は筆記テストはやりません。みなさんは、風花と呼ばれる綺麗な花々があちらこちらに舞っているのを見たことがありますね〜?」
頷く。風花畑からたまに飛んでくるものだ。主に装飾に使われる。シーアとサーヤも、それを使ってお揃いの栞を作ったことがあるほど、身近なものだ。
「今回は、それを沢山集めてもらいます。ウィンドグライダーとの連携と、どこまで地理の感覚が染み付いているか、あるいは知識があるかを知るための試験です」
筆記のテストは事前に終わっている。この試験が終わった後に、軽い面接があって、後日また合否が発表される、という流れだ。
「もちろん先生や先輩方が総出で確認して回るけれど、一人でなにかに巻き込まれたら大変なので、隣の人とペアになってもらいます。丁度割り切れるからね」
これには不満の声が上がったが、それを先生は笑顔でかわした。
リアムとサーヤも思わず顔を見合わせた。
「さて、これで説明は終わり! 時計の針が半になったら、そこの橋から出発してね。あと……十秒くらいかな?」
ごめん、みんな、撤回させてください。
あんまりにも不安しかない!
先生が時計を見ながら十を始めた。生徒たちは慌てて橋の方へ走り出す。
「サーヤ、頑張りましょっ」
「サーヤさん、リアム、また後で!」
シーアとマシューがそう声を掛けて追い抜いていく。
「ぼ、ぼくたちも行かなきゃ!」
「……」
普段なら、もっとこちらを引っ張っていくのに。意外にも、帰ってきたのは沈黙だった。
「……リアムくん……?」
そう声を掛ければ、は、として彼はこちらを見る。少し青ざめているように感じた。
「……緊張してるの?」
「ふ、ふん、そんなわけないだろ! おい、シーアたちには勝つぞ、いいな!」
慌てて返事を返した彼のそれは取り繕っているようにしか見えなくて、サーヤはさらに心配になった。それ以上の詮索を避けるように、リアムは走り出した。
「あ、わわ、待ってよ~!」
サーヤは、それを慌てて追うことになった。
そうして、実技試験が始まったのである。
「それで?」
「え?」
ウィンドグライダーに跨り、とりあえずと空へと飛び出し、飛行が安定した頃。
「風花なんて俺は拾ったことねえし、具体的にどこが沢山拾えるかなんて分かんねえけど」
リアムがこちらを見ることも無くそう言った。
「……そ、そっか、そうだよね!」
たしかに、彼はそういうものに興味を持つ質には見えない。
「ぼく、良いところならたくさん知ってるよ。着いてきて!」
「ふん、仕方ねえからな。いいか、これはシーアたちに勝つためだぞ!」
「分かってるってば!」
普段の彼なら、シーアにもサーヤにもこんなに従順じゃない。そんなことは言われなくても分かっていた。拗ねたように先を飛べば、後ろから慌てた声が追いかけてきた。
風を切って飛ぶ。朝にシーアが言っていた通り、風向きはサーヤたちの味方をしていた。
しばらく飛べば、風花がたくさん舞っている場所に出る。風花畑だ。先生によれば、畑の主さんにはしっかり話を通してあるらしいので、ある程度、しかしたくさん貰って行こう。
「ハンカチとかで取ると取りやすいよ」
「ふうん、ハンカチねえ」
持っていただろうかとリアムがポケットを漁る。くしゃくしゃのハンカチがそこから出てきた。
「よし、取ろう!」
「さて、どっちが多く取れるかな」
そう言いながら飛び回る。ハンカチに風花が引っ付いて、あっという間に沢山集めることが出来た。
「取れた?」
「もちろん。……くそ、引き分けだな」
それを瓶に入れれば、舞い散る花がスノードームみたいで綺麗だった。
「もう少し集めに行く?」
「う~ん、ま、そうするか。お前が詳しいならシーアも詳しいだろうし」
「うーん、そうだね~。次の場所の方が量としては多いかも」
じゃあ、と次の場所に飛べば、シーアとマシューが先にそこに居た。
「サーヤさん、リアム!」
「来たわね、サーヤ!」
向こうのふたりが反応して手を振る。サーヤはそれに手を振り返した。
「シーア、マシューくん!」
「おい、俺も居るんだからな!」
シーアはそう言うリアムを笑ってスルーした。
「はいはい、ほら、二人はどれくらい集まったのかしら!」
集めた風花の瓶を二人に見せびらかす。サーヤたちの分より少し多めに集まっていた。それを見たリアムが悔しそうにうめく。
「わ、いっぱい集まったね」
「くっ」
「ふふん、やっぱりここが一番集まるわよね」
綺麗だし、と言いながらシーアは瓶を仕舞う。リアムは悔しがって、ぐぬぬ、と唸った後、シーアを指さしてこう言った。
「まだまだ勝負は終わってないんだからな!」
「ふふ、今からここのを集めるんでしょ? 楽しみにしてるわっ」
リアムはふん、とそっぽを向いて、またハンカチを取りだして集めに飛び出して行った。
「全く、いつまで経ってもガキなんだから」
「ははは……」
「ぼくも集めてくる! シーア、マシューくん、またね」
シーアとマシューは頷いて、その場を離れようとした――――その時。
「うわあっ」
悲鳴が聞こえた。リアムのものだ。そちらを見れば、ハンカチをいっぱいに広げて、少し遠くの風花に手を伸ばした瞬間だった。重心がずれて、ウィンドグライダーとの息が合わなかったのだろう。リアムの身体が、ぐらりと傾いた。
ウィンドグライダーから転落しかけている。
「! リアム!」
「え、」
「バカ!」
シーアが飛び出す。それに続いてサーヤとマシュー、リアムの身体がどんどん傾いて、落ちて――――その先で、シーアが彼の身体を抱き止めた。
「バカ、アンタ、なにやってんのよ!?」
「……あ? お、おう、ごめん……」
「大丈夫、二人とも!?」
「怪我は!?」
流石のリアムも目を白黒とさせている。遠くから見回りの先輩が飛んできているのが見えた。
「私は大丈夫、リアムのウィンドグライダーは!?」
「ざっと見たけど、平気そうだよ」
そう言いながらマシューがウィンドグライダーを連れてくる。彼は申し訳なさそうに震えてみせた。
リアムは真っ青な顔のままウィンドグライダーに跨り直し、そのうちに先輩が近くまで飛んできていた。
「大丈夫ですか? 怪我は?」
「全員無事です!」
「そう、良かったです。どうかお気をつけて」
「はーい!」
全員で返事をする。リアムの顔色を見て、その先輩は少し考え込んだ。その後、
「貴方のペアは?」
「ぼくです」
サーヤが手を挙げる。先輩は頷いて、リアムが手に持っていたハンカチを受け取った。
それを二人用の瓶に入れてから、もう一度頷いて、
「これであれば問題ないでしょう。大幅に時間は余りますが、全員、私について一緒に島に戻りましょう」
「は~い!」
再びの返事。そうして、四人の実技試験は幕を閉じたのだった。
*
「……悪かったよ」
あの後。
医務室で軽く検査をし、特に怪我は無いからと解放されて戻ってきたリアムが不貞腐れたようにそう言った。
「なにが?」
「ッ、お前……!」
「ちゃ~んと言葉にしないと伝わらないわよ~」
「ぐ……」
シーアがからかうようにそう言う。リアムはしばらく拳を握りしめ震えていたが、そのうち、その手を解いて、
「だから、迷惑かけて悪かったよ!」
そう言った。
「そうじゃないわよ」
「はあ!?」
「助けてくれてありがとう、でしょ?」
シーアがさらに言葉を重ねる。
「はあ!? ……ま、まあ助かったとは思ってるけど……」
「じゃ、ありがとうくらい貰わなくちゃ!」
クソ、こいつ。調子に乗りやがって。リアムはそんなことをぼやいた。
「……でも、まあ、ふん、助けてくれてありがとう」
「どういたしまして! 私にはそれだけでいいわよ」
「分かってるよ!」
ぷんすこ怒りながらリアムはそのままサーヤを見て、
「大切な試験だったっつーのに、ハプニング起こして悪かったな」
お前も、とマシューの方も見る。サーヤとマシューはぱちくりと目を瞬かせ、顔を合わせた。
「うーん……でもほら、先輩もこれだけあれば大丈夫って言ってくれたし……無事だったならいいよ」
「心配なのは今回よりも筆記の方じゃない? リアムくんって勉強出来たっけ」
「ぐぐ、なにを~~!!」
ひとしきりそうやって騒いでから、リアムはすっかり調子を取り戻したらしく、全員を指さしてこう言った。
「次は負けないんだからな!」
やれやれとばかりにシーアが肩を竦めた。サーヤも思わず笑ってしまったし、マシューも呆れている。
それでも、いつも通りが戻ってきて、少し安心したのは事実だった。
*
「シーア!」
「んん……何よ、サーヤ、まだ起きる時間じゃないわ……」
「起きる時間はとっくに過ぎてるよ! そんなことはいいの、今日は騎士学校の合否が来るんだよ!」
バタバタと部屋に入ってきたサーヤの言葉を聞いて、ようやくシーアは目覚める。
そうだった。
「ちょ、ちょっと、サーヤ! もっと早く起こしなさいよ!」
「何回も起こしたもん……」
不満そうにサーヤが呟いたのを綺麗にスルーして、シーアは慌ててベッドから飛び出る。
その時、おばあちゃんが部屋をノックしてこう言った。
「シーアちゃん、サーヤちゃん。来たわよ」
「本当!?」
「……!」
合否の通知は郵送で、風花と共に寮の鍵が入っていれば合格。そうでなければ――――不合格。
「おばあちゃんっ、どう!? 鍵、二つ入ってそう!?」
「う~ん、封筒が分厚くて外からじゃ分からないわね……開けてみましょう」
「うわ――――!! ちょっと待って!! 顔洗ってくるっ」
「あらあら、慌ただしいんだから」
ドタバタと洗面台にシーアが駆けていく。サーヤはもう、とても緊張してしまってその場で震えているところだった。
「サーヤちゃん」
「な、なに!?」
「きっと大丈夫よ」
「……」
おばあちゃんの言葉で少しだけ落ち着きを取り戻す。そうだ。大丈夫だと、信じることしか出来ない。信じるしかない。
「うん」
そうしていると、シーアとおじいちゃんがそわそわしながら戻ってきた。
「ど、どうだったんだ」
「まだ開けてないわよね!?」
「まだよ~、開けるわね」
ドキドキ。おばあちゃんがハサミで封筒を切っていくのを、緊張しながら見ることしか出来ない。
心臓の音が近い。シーアも緊張しているようだった。
「あら!」
「……!」
「ど、どう!?」
「おめでとう、シーアちゃん、サーヤちゃん!」
そうしておばあちゃんが鍵をふたつ、掲げてみせた。
つまりは、――――合格、だ。
シーアとサーヤはしばらく、何も言えなかった。ほっとして、うれしくて、それだけで胸がいっぱいになってしまって。気づいたら二人でぎゅっと抱き合っていた。おじいちゃんは何も言わなかったけれど、目が少し赤くなっていた。おばあちゃんはそれを見てふふ、と笑った。
「やったわ~! サーヤ! 私たち、無事に合格したのよ!」
「う、うん……! 嬉しいね、シーア!」
「それじゃ、荷造りをしなくちゃね。ちょっと早めに入寮出来るみたいだから、慣れておいた方が良いわ」
「はーい!」
そうして今日も、日常は動いていく。不思議と、リアムとマシューもきっと、大丈夫だと思えた。
騎士学校にはどんな先生がいて、どんな人がクラスメイトになるのだろう!
ドキドキとワクワクを抱えながら、入学式までの時を過ごすことになるのだった。
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3336文字
私は、宇宙人だ。
――いや、正確には、君たちと同じく地球に住んでいる。地球も宇宙にあるといえばそうだけれど、宇宙という名称は地球のものであり、私が宇宙人を名乗るのは、変だ。
それでも、私は宇宙人なのだ。心の中にたった一つ、自分だけの星を持っている。
――だというのに。
「おや?」
「……な、」
「こんにちは。君、なんでこんな所にいるんだい」
「なんでこの星に私以外の人間がいるのよ――!!」
*
「落ち着いたかい」
「ええ……」
肩で息をする私を他所に、その男は平然とお茶なんかを差し出してくる。それをぶんどって口に含めば、思ったより苦くて思わず舌を出した。
「さて、……本題だが。この星は僕の星であるはずだよ。君はこの星にいるべきじゃない」
あくまで穏やかにその男は言った。ギ、と睨めば、きょとん、とした表情が返ってくる。
「この星は、私が作ったはずなんだけど」
「……、そうなのかい? すごいねえ」
呑気なものだ。すごいねえ、の言葉に拍手まで添えてくる。苛立ちがピークに来ている私は思わず用意された机をだん、と叩いた。
「あーもう! なんで私の星に知らない人がいるの! 勝手に入ってこないでよ!!」
「そうは言われても」
困った顔を微塵も見せずに優雅に苦いそのお茶を飲む男はまるで幼い頃夢見た王子様の様相だった。こんな状況でさえなければ。そう、ここに板が1枚挟まっていて、これがアニメや漫画の世界であれば。楽しく鑑賞でもなんでもできたかもしれないのに。
「この星を君が作ったのなら、確かに、ここは君の星でもあるんだろうな。でも、同時に、僕の星でもあるんだよ」
少しの間、ようやくこちらに視線を向けた男は、困ったように笑ってこう言った。
「帰る場所が無くなるのは、困るな」
少し、心臓がどきりとした。それでも、引く訳には行かなかった。
「それでも、ここは私の星よ」
「うーん……」
そしてここは、私の帰る場所でもあるのだから。知らない人になんか、踏み荒らされてたまるものか。負けじと睨めば、男は苦笑してからこう言った。
「でも君、地球人だろ」
「……」
「地球に君の家族や友人はいないのかい」
友人。
「居ないわけないでしょ」
「じゃ、帰らなくちゃならないよ」
あっけらかんとその男は言う。私は目を伏せる。帰らなくちゃならない。分かっている。
「それでも、ここは私の帰る場所なの」
「……」
「私の、私だけの……」
堂々巡りだと男がそのお茶を啜る。私は用意された椅子に行儀悪く体育座りをしてしばらく黙っていた。男は何も言わなかった。
「……君は、家族や友人は好きだよね」
「なによ」
男は言葉を紡ぐ。
「人の記憶や感情を見ることが出来るんだ」
びく、と私の肩が震えたのが分かった。恐る恐るその男を見上げる。涼しい顔をした男は、小さく小首を傾げてみせた。
「違った?」
「……違わ、ない、けど」
うんうん、と頷く。今、この男は、記憶や感情を見ることができる、と言った?
「それ以上は――」
「君には好きな子がいるよね」
私の言葉を遮るように男が言う。ああ、時すでに遅しだ。知られている。
「……だったら、なによ」
「その子のために帰りたいとは?」
「あの子は私なんか好きじゃないもの」
探るような視線がこちらを覗いている。居心地が悪くて膝に顔を埋めた。
「……そんなことは」
「ないって言う?」
「ないように思うけどねえ」
暗闇の中で、男の呑気な声だけがする。ああ、出来れば思い出させないで欲しかった。
「あの子のために、帰らないのよ」
言ってから、涙を堪えるように唇を噛み締める。涙は出なかった。
「あの子は、優しいから、私の相手もしてくれるけど――それが良くないの」
男は黙っている。
「どんどん、あの子のこと、好きになっちゃう。私、あの子の負担にはなりたくないの。――ともだち、だから」
男が小さく息を吐いたのが分かった。それに思わずむ、として顔をあげる。
「だからここまで来たの。それなのに私の星に勝手に住み着いて勝手に踏み荒らして、どういうつもり?」
「そんなこと言われてもなあ」
男は困ったように頬をかく。
「まあでも――自分の力じゃ、どうにもならないことがある、っていうのは、分かるよ。困ったね」
「一人でこの星に住んでるくせに?」
「僕にも『ともだち』がいたんだよ」
ふうん。私は喉が乾いた気がして改めてそのお茶に口をつけた。相変わらず苦い。美味しくない。
「君のこともどうにもならなさそうだな」
「そうよ。早く出ていって」
「それは出来ないよ。どうしてもって言うなら、君が僕の移住するための星を作らないと」
ぱちくり。私は瞳を瞬かせた。男は言う。
「僕はこの星と一緒に産まれたんだ。覚えてないかい」
「……どういうこと?」
「うーん、前途多難だなあ」
男は腕を組んで困った困ったというようなポーズをとった。それから、真っ直ぐな目でこちらを見やる。
「僕は君に作られたんだ。君の味方であるようにって」
「……作られた、って……、味方なんかじゃないくせに。信じられるわけないでしょ」
「そりゃまあ、君の意思だろ。僕は君に動かされているんだから、僕の知った事じゃないさ」
男はそんな意地悪を言う。思い出したくない。耳を塞ぐ。
「あんなこと言いながら、君自身が帰る理由を探してるんじゃないのか? 分かっているんだろう」
うるさい。
「だから、帰らなくちゃだめだよ」
「うるさい!」
ああ、ダメだ。
「作り物のお前に何が分かるんだよ! ああそうだよ、辛いことも苦しいこともほとんどないぬるま湯みたいな環境で、一人で勝手に自分の首を締めて動けなくなって、挙句の果てには宇宙まで逃げてきちゃった!」
男は静かにこちらを見ている。
「うるさいな、分かってるよ、分かってるけど帰りたいよ、死ぬのって怖いから! でも、帰りたくないよ、怖いんだもん、だって、仕方ないじゃん……」
涙が溢れて止まらない。男は静かにこちらを見ている。
「私の味方だって言うなら、ちゃんと助けてくれなきゃ嫌だよ、どうしてそんなに意地悪言うの……」
静かな宇宙に私一人のしゃっくりが木霊する。しばらく男は何も言わなかった。
「……君は僕で、僕は君だからだよ」
男がぽつり、と呟いた。それが『意地悪』の理由だとすぐに分かった。小さくため息を着いて男は続ける。
「助けて欲しい?」
男が聞く。
「君が望むなら、ここを君の星にしよう。ここは恒星だから、誰にも邪魔されないように惑星を作ってくれたら、僕が君に仇なす物は全部倒してあげる。でも、そこに君の友人がいても分からないかもね」
は、と目を開く。男を見る。私の答えなんか分かりきっている、と言わんばかりの顔をしていた。
「それでも、君が寂しい時に君を一人にはしない。名前を呼んでくれたらすぐに駆けつけるし、優しい言葉だけをかけ続けてあげよう。永遠に、二人だけの小さな箱庭で生きていくんだ」
それは確かに私が望んだことなのに、男の選ぶ言葉のせいで酷く恐ろしいものに思えた。
「どうする?」
ああ、それが答えだ。これが、帰る理由であり、言い訳だ。彼は言い訳を私にくれている。
帰って欲しいと、思っているのだろう。ああ、そうだ、そうだった。
「……わかった、よ」
震える手を握り締めて、私は彼に目を合わせた。
「私はこの星には残らない。けど、いつか絶対に帰ってくる場所はここ。それまで、貴方はこの星を守っていてくれるのね?」
だって私はあなたを、この星を守る王子様として作ったのだから。
「もちろんだとも、まかせて」
男は穏やかに微笑んだ。光の中で、私の名前を呼ぶ声がする。ぱちぱちと光が弾けた。
なにかを言おうとして、何も言えなかった私の代わりに、男が口を開く。
「あいしているよ、僕の主人、いつか、また会う時は――」
君の友だちも、紹介してね。
そんな声は光にかき消される。私の返事もきっと、その光に飲まれて、届かなかった。
――絶対に嫌だ!
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