No.360

#ふたつの翼、ひとつの空
5話 5029文字


 朝方。サーヤは、ふと、目が覚めた。授業が始まってから数週間。今日は、風の誓約の日だ。ぐうぐうと寝息が聞こえる。シーアはまだ寝ているようだった。相変わらず肝が据わっている。緊張感がないとも言うだろう。
 なんだか緊張するから、少し、散歩でもしようかな。そうして、サーヤはベッドから出て歩き出した。なんとも静かだ。まだみんな寝ているのだろう。足音を立てぬよう廊下を歩いて外に出る。朝の空気が気持ち良かった。
 ふと、裏庭の方から声が聞こえた。顔を出してみれば、リアムだった。ウィンドグライダーと一緒にいる。彼の手元には、ウィンドグライダーのための食べ物がたくさん入った籠があった。
「お前、全部好きじゃん。なんかないの、特別にこれが好き、とか」
 普段の彼とは違い、落ち着いていて、少し困ったような声色だった。ウィンドグライダーは呆れたように彼の頭を小突いた。だからいてえって。
 そういえば、彼がウィンドグライダーと仲良しているのなんて見たことがなかった。
 飛べなくても、実は仲良しなんだな。少し安心したサーヤは、邪魔してもよくないな、と踵を返した。

 今日は、風の誓約の日。
 彼のために与える名前を、リアムはまだ決めあぐねていた。

   *

 大聖堂に向かい、風の神に祈りを捧げる。中心で祈りを捧げているのはフェリシア先輩だった。
 儀式として形式が決まっているとはいえ、信仰に熱くない生徒だってそれなりだ。それはシーアとサーヤもそうで、サーヤがあくびをかみ殺した横で、シーアがふわあ、と大きなあくびをした。
「ゼフィル・ラ・カイラ・ト・アーラ・ス」
 フェリシアが祈りの言葉を捧げる。それに続いて全員で復唱。ヴェルタ先生は、これを昔から続く伝統の言葉なのだと生徒に教えた。
「ウィスカ・ナ・リファル・ラ・ルミナ・ト・フォーレ・ス」
 文字も少し教わったが、授業の本筋には関係ないからと、ヴェルタ先生はその話をさっさと畳んでしまった。
「ヴィナ・ラ・エテルナ・ル・タリア・カレン・アルナ」
 風の神よ、流れを空へ。そよ風の舞は星へと進め。絆は永遠へと、信じる仲間とともに。
「ヴェリア・オフィラ・ス、ヴェリア・オフィラ・ス。タリア・ソルナ・トゥリア・ドナリア」
 祈りを捧げよ。祈りを捧げよ。信じる者に試練は与えられる。授業で教わった言葉の意味を反芻しながら言葉を紡ぐ。
 紡ぎ終えた。そう気づけば、風が吹き抜けていった。しばらく風を感じていれば、静かに空気を震わす音楽が、最期の旋律に入る。フェリシア先輩は静かに礼をして、その舞台から降りて行った。

「――――それでは」
 校長先生が一歩前に歩み出る。
「諸君。今日は、風の誓約の日だ。喜ばしいことに、今日は風に恵まれている。これより、風翼の誓いのための儀式を開始する!」
 わっと、それを見に来た人々が拍手をした。王都セレスティアの民にとって、風の誓約の日は、数少ない催しごとだった。
 ざわめきが広がる中、一人ずつ前に呼ばれていく。ウィンドグライダーに認められる者、そうではない者。反応も結果も様々だった。
 シーア、サーヤ、ジゼル、マシューはあっさりと認められた。常日頃彼に尽くしているマシューなんかは、ウィンドグライダーにキスをもらってしまって、たいそう喜んでいる様子だった。
 
「これからもよろしくね、ヴァルカ!」
 会場の外に出て、シーアは彼女のウィンドグライダー――――もとい、ヴァルカに声を掛けた。ヴァルカはすり、とシーアに寄り添った。
「ぼ、ぼくも、よろしくね、ティネラ」
 ティネラはサーヤの周りをぐるりと軽快に回った。
「素敵な名前だね、二人とも」
 そう声を掛けたマシューの隣でアルヴィがふわりと漂っている。
「おれのラスカリオンには負けるな」
 会話に参加してきたのはジゼルだった。長いんじゃないの、とシーアが抗議すれば、その方がかっこいいだろ、ロボットみたいで、と返事が来る。呆れたように肩をすくめるシーアの隣で、マシューは分からなくもないな、と思った。
 そうしていれば、ふと会場の方が騒がしくなる。
 なんだなんだと見に行けば、騒ぎの中心にいるのはリアムだった。

   *

 少し時は遡る。顔馴染みの面々が次々とウィンドグライダーに認められていて、リアムは不安で唾をのんだ。隣にいるウィンドグライダーを見ても、まったく目が合わない。何を考えているのかもわからなくて、それがさらに不安を助長させた。
 こいつの、名前。
 名前を付けるのは決して強制ではなく、特につけないでそのままにしている生徒も多くはないが存在している。
 名前なんか、ねえ。俺なんかが、わざわざ付けてやるのもなんだかかわいそうだし、と、そんな思考の最中、リアムの名前が呼ばれた。

 儀式の進行を務めるのもフェリシアの役目だった。彼女はリアムの目をまっすぐ見て、それから、問いかける。
「……あなたは、ウィンドグライダーを信じますか」
 信じます、と答える。本心だった。
 フェリシアがウィンドグライダーの方に目を向ける。彼はものは言わないが、それでも殊更静かにリアムを見ていた。
 其れでは、と儀式は続く。
「あなたのウィンドグライダー――――パートナーに、命名を」
 リアムはウィンドグライダーの方を見た。まっすぐ目を見て、こう言った。
「彼には、名前はつけません」――――と。

 それからは、なぜだか怒ったようにウィンドグライダーが暴れ出して、会場がにわかに騒がしくなる。その会場の中、こんな状況でようやくリアムは自身の祖母を見つけた。
 見に来てたのか、と思ったのも束の間、ウィンドグライダーは外へと飛び立っていってしまった。
 残されたリアムは、ただ、惨めな気持ちで退場するしかなかった。

「リアムくん!」
 いの一番にサーヤが声を掛けた。シーアは声はかけなかったが、うしろで見守っていた。
「振られてやんの。なにしたんすか」
「うるせえ」
 リアムはもう相当参っているようで、反発する声は小さかった。
「……リアム」
「だって、あいつ、好きな食べ物だって教えてくんねえし」
 幼い子供がぐずるような、拗ねたような声だった。誰も何も言えなくなる。いや、言いたいことはたくさんあったが、そのどれもが彼を傷つける気がした。
「俺、騎士になりてえのは確かだけど、空飛ぶの、怖いんだよな。はは、こんな奴に名前つけられたって、あいつだって困るだろ……!」
 吐き出すように彼は言葉を口にした。そんなことないよ、も、そうじゃなくていいんだよ、も届かない気がして、サーヤは言葉を選ぼうとした。
 言葉を吐き切ったことによって、リアムがいちばん傷ついたような顔をしていた。
 と、その時。
「それは違うんじゃないかい、リアム」
 後ろから声がかけられた。リアムが振り向けば、自身の祖母が、イズミ先生に付き添われて、そこに立っていた。
「あれは自分の名前が正式になる日を待っておったはずだよ、ほら、覚えておらんのか」
 リアムは狼狽したように黙りこくる。焦れた彼の祖母は、ああもう、というと、イズミ先生にカバンを開くよう指示した。
「わたしはね、あんたのこんな姿を見るためにここに来たんじゃないよ」
 そういいながら取り出したのは、汚い字で書かれたノートだった。男の子が、ドキドキのまま乱雑に書き殴ったであろうそれは、一見すると読めないが――――書いた本人には、分かった。ノーヴァの研究ノート、と題されている。
 思い出す。ああ、そうだ。ノーヴァ――――ウィンドグライダーと出会ってすぐ、空を飛べるのがうれしくて、リアムは彼に名前を付けた。
 彼にノーヴァを預けた、元パートナーだった祖父は、それを聞いて、きっとおまえは立派な騎士になるのだろうとリアムの頭をよく撫でた。
 だからだ。
 女の子は守るべきものだと祖父に教わった。祖母がその横で呆れた顔をしていたのをよく覚えている。
 だからこそ、女の子に――――シーアに負けるのが悔しかった。
 守られておけばいいのに。自分の周りには強くたくましい人しかいなくて、誰も守られてくれやしない。
 むしろ、守られてばかりだった。それが悔しくて、いろんなものに反発した。
 そうしてまた空で競い合っていたある日、無理な飛び方をしてふいに落下した。
 誰も間に合わなかった。唯一それについていけたシーアが雲の中に入りかけたリアムをさらって、それからだ。
 空を飛ぶのが、怖くなった。

 リアムは、震える手でそれを受け取った。開けば、好きな食べ物から、苦手な物、嫌いなこと、全部書いてあった。ああ、俺はもう、忘れていただけで、全部、ぜんぶ、知っていた。
「――――……」
「リアム」
 おばあちゃんはそっと手を重ねた。暖かった。
「あんたなら、できるさ」
 信じているよ、おばあちゃんも、きっと、――――おじいちゃんも、ね。

 風が吹き抜けた。リアムは、その風に押されるように頷いた。

「ふん、お友達に心配かけるんじゃないよ」
 そう言ってから、大きな指笛を吹いた。ピューッ。ピューッ。ピューッ。と、三回。
 そうすれば、ばさばさとはためかせてウィンドグライダーが飛んでくる。――――ノーヴァだ。
「おまえ、これ覚えてたのか」
 と、リアムが問う。ノーヴァは呆れたように、いつもよりも強めにリアムを小突いた。いてえって、とよろけたリアムを、シーアが支えた。
「ふん、情けない顔」
「……うるせえなあ!」
 態勢を立て直して、リアムはノーヴァの方を見た。この名前を正式なものにする火を、彼が待ち望んでいるというのなら。
「いこうぜ、相棒」
 待っててくれてありがとう。早くしねえと、今日が終わっちまう。そう言って走り出したリアムを追って、ノーヴァもまた、飛び立った。

   *

「いつも孫をありがとうねえ、あんたがシーアで、あんたがサーヤだろう」
 そしてあんたがマシュー。生徒全員が、とはいかなかったが、少なくともリアムも含むシーアたちは無事、風翼の誓いを結び、和気あいあいとした祭りの雰囲気の中。そうして一人一人を正しく指差したリアムのおばあちゃんは、ジゼルを見てこう言った。
「あんたは騎士学校でできた友達かい? 初めまして」
「おう、ジゼルって言います。俺が親分なんすよ」
「ちげーよ、誰が舎弟だ!」
 リアムが不満そうに突っ込む。ジゼルはどこ吹く風だった。ばあちゃんも、とリアムは祖母を指さした。
「もういいだろ、挨拶とか! 気まずいって、もうそろそろ暗くなるしさっさと帰れよ」
「そんなそんな、ねえ。わたしゃまだまだ動けるよ」
 そう言いがら彼女は杖をひょいとあげてみせた。おお、と小さく感心の声が上がって、リアムは頭を抱えた。四面楚歌だ。
「うちのは素直じゃないからねえ。たまにはこうやって挨拶しとかないと」
 ね、と祖母はシーアに同意を求める。完全におちょくっているのが分かったので、シーアも頷いた。
「そうね、たまには素直に感謝の言葉でも吐いたらどう?」
「何に対してだよ!」
「しいていうなら心配をかけてること、かしら」
 ねえ、とサーヤを見る。サーヤはそれを困り笑いで流した。
「まあまあ。でもほら、僕たち、そろそろ寮に帰らなくちゃだよ」
「そ、そうだよな!」
 マシューが助け舟を出せば、リアムがそれに食いつく。シーアが不満そうな声を漏らしたが、門限は門限だった。
「ちぇっ、残念。でもそうね、帰りましょ」
「そ、そうだね……」
 リアムのおばあちゃんは、もうそんな時間かい、と驚いてから、そのまま見送る姿勢を取った。
「じゃあ、リアムのおばあちゃん。またねー!」
「また!」
「はいはい、またね」
 そうして、全員が歩き出す。リアムはついていかずに、三人と距離ができたあたりで、祖母に声を掛けた。
「来てくれて、ありがとう……それと、」
 心配かけてごめん。小さな声で紡がれたその言葉を、祖母は鼻で笑った。
「当然だろ、馬鹿!」
 ほら早く帰んな、と背中を押される。リアムがいないことに気づいたシーアたちが呼びながら待っている。
 リアムはそれがなんだかうれしくて、でも素直に認められなくて、それ以上は言葉にせず帰路についた。
 祖母であり育て親の彼女は、そんなリアムの心境なんかとっくに知っていて、素直じゃないねえ、と笑い飛ばしながら、その背中を見送った。

   *

「もう一度お聞きしますが、あなたは何者ですか? 何か、身分を証明できるものは……」
 ヴェルタ先生がそう問う。部屋の中には、一人の中性的な容姿の子供と、騎士学校の先生たちが全員、集まっていた。
「ボクはナユタ。身分を証明できるものは特に持ってない。でも、信じてもらえないかもしれないけど、お願いがあるんだ。」
 逃げてきたんだ。あの分厚い雲の下から、この空の上まで。役目も、期待も、全部を置いて。そう言う子供―――便宜上、彼、と表記する―――に、先生たちは顔を見合わせた。
「お願いだ。ボクをこの雲上の世界に置いてほしい」
 それ以上には何も求めないから。

 誰もが困ったように首を傾げる室内で、ヴェルタ先生だけが、真剣なまなざしをしていた。
 外ではびゅうびゅうと風が吹き荒んでいて、まるで嵐の様相だった。

畳む

文章,ふたつの翼、ひとつの空