#ふたつの翼、ひとつの空 4話 6873文字 続きを読む 朝を告げる鐘が鳴る。同時に、目覚まし時計がわんわんと騒ぎ出した。シーアは慌てて目を覚まし、目を擦りながらベッドから出る。サーヤは先に起きていたようで、起きてきたシーアに挨拶をした。 「おはよう、シーア」 「おはよー……。サーヤはいつも早いわね」 「シーアが寝坊助なんだよ」 朝弱いもんね、と付け足したサーヤに、うるさいなあ、とシーアはぼやきを返した。頭は働いていなさそうだ。 顔を洗いに行ったシーアのために、サーヤは櫛を用意して待つことにした。出てきたシーアをこっち、と手招いて髪の毛を梳かし、結ぶ。いつものシュシュをつけてやれば、シーアも目が覚めてきたようだった。これも、もはやいつものことだった。 「今日から授業が始まるね~」 「そうね。どう、サーヤ。楽しみ?」 シーアが振り返ってサーヤを見れば、に、と笑ってサーヤは言った。 「そりゃもちろん、楽しみだよ!」 * リアムとマシューとも合流して、学校に向かう。そわそわした空気の中、しばらく教室で待っていれば、ガタガタガタ! と音を立てて教室の扉が開かれた。 知らない子だ。入学式の時にも見なかったような気がするが……? 教室を間違えたのだろうか。 その少年はずかずかと入って来ては、ぐるりとあたりを見渡す。見渡して、ばちり、と目のあったリアムに近づいてきた。 「なああんた、ここって一年の教室であってる?」 「……合ってるけど。あんた、誰だよ」 その少年が答える前に、ぱたぱたとイズミ先生が教室に入ってきた。 「ああ。いたいた、ジゼル! 急にどこかに行ったから心配したよ」 ジゼルと呼ばれた少年は、特に悪びれもせず先生の方を見た。 「えー、でも、先生。授業を受けるのってここじゃないんすかあ? 間違ってはないでしょ~」 「だとしても、だよ。まだ話さなきゃいけないことがあったんだから」 イズミ先生は呆れたようにそう言った。ジセルははいはい、とそれを流した。 「分かってるって、迷惑かけなきゃいいんすよね」 イズミ先生はちょっと困った顔をして、一瞬だけ押し黙ってしまった。そうではなくて、と改めて説明しようとしたのを、ジゼルは面倒くさそうに聞き流す体制をとった。 それを見た先生は、諦めたように首を横に振った。 「まあ君はよほど下手なことはしないだろうけどね」 それから、他の生徒たちに向けて彼の紹介を始めた。 「彼はジゼル。ちょっと事情があって入学式には来れなかったけど、この学校の生徒だよ」 「ジゼルで~す」 へら、と笑った彼――――ジゼルは、先生の方を見てこう言った。 「あれは言わなくていいの?」 「……どれ?」 そんな発言を聞き返したはいいものの、なんとなく嫌な予感がして、止めようとするよりも先にジゼルが口を開いた。 「ほら、最近捕まった空賊の首領の息子さんだよって」 みんな、もっと警戒したほうがいいすよ、ねえ。けたけたと笑いながらあっさりと大きな暴露をしたジゼルにイズミ先生は頭を抱えた。 生徒たちといえば、ぽかん、と口を開けてジゼルを見ていたが、しばらくして理解が追いついたのかざわざわと騒ぎ出す。え、空賊ってあの? 首領の息子って言った? ――――であればどうして騎士学校に? そんな生徒たちの前でイズミ先生は仕切り直すように大きく咳払いをした。 「はあ、だからまだ話さなきゃいけないことがあるって……。まあいいや、ええと、説明するね」 先生の話をまとめると、こうだった。騎士学校の先生方の努力で一つの大きな空賊の集団が解散となった。大人たちは全員捕まったが、ジゼルはまだ子供だったため、更生のためという名目で騎士学校に入ることになった。 「これでも授業はちゃんと受けるつもりっすよ。だってそうじゃないと捕まるらしいし」 あっさりとそう言ったジゼルは、に、と笑って、よろしく、と言葉を続けた。 シーアとサーヤは顔を合わせて、お互いを何とも言えない顔をしているな、と思った。 * ホームルームを終えて、初めての授業はティア先生のウィンドグライダーの扱いだった。本来は操縦、と題されているらしいが、ティア先生が操縦はちょっとね、と言って勝手に時間割の名称を変えているらしい。 「みんなは今、それぞれのウィンドグライダーに子供向けの装備を搭載して飛んでいると思うんだけど、今日からはそれを外して、戦闘用の装備を載せて飛んでもらうからねー」 ティア先生はそう言って自身のウィンドグライダーを呼んだ。戦闘用の装備は大きくて硬そうだった。重たくないんですか、と生徒の一人が問えば、負担にならないように作られてるから大丈夫よ、と先生は答えた。 「子供向けの装備は落ちにくいようになっているけど、その分、戦闘用の装備はかなり落ちる可能性が上がるからね。飛ぶときは一人ずつ飛ぶように!」 そう言って先生はひとまずと生徒たちにウィンドグライダーの装備を配った。装備のつけ方を順に説明していった。無事に全員が装備を終え、さて飛んでみよう、と、先生が見守る列にシーアとサーヤは並んだ。 「上手く飛べるかしらね~」 「ね、楽しみだね」 そんなほのぼのとした二人の後ろで、ふと、こんな声が聞こえた。 「え、なに。あんた、怖いんすか!」 ジゼルだった。振り向けば、リアムとマシューとなにやら話しているようだった。 「ちげーし! 馬鹿! んなわけねえだろうが!」 「え~、でもだってあんた、ずっとあの列に並ばないために言い訳してるじゃないすか。怖い以外の何でもなくないすか? それは素直に認めた方が……」 「ッはア!? うるせえなあ、そうじゃないって言ってんだろ!」 「ええ~~~……」 リアムはずかずかとこちらに近づいてくる。シーアは不思議そうな顔をしていたが、サーヤはなんとなく思い当たる節があってリアムに声を掛けた。 「リ、リアムくん」 「んだよ」 「……」 そのままサーヤは言葉が見つからず黙ってしまった。大丈夫かと聞いてもやめた方がといっても今の彼には意味がないだろう。それに、――――彼も騎士になりたいはずだ。 「なに、あんた。ほんとに怖いの? やめたって笑いやしないわよ」 シーアがそう言ったのと、次の生徒を呼ぶ先生の声が同時だった。 「だから……ッ うるせえな、見てろよ!」 そういってリアムは空へ走り出して行ってしまった。 「お、いい勢いだねえ!」 先生が笑いながら追いかける。リアムはしばらく安定して飛んでいたので、なーんだ、とその場の全員が安心したのも束の間、彼はぐらり、と姿勢を崩した。 それを後ろを飛んでいた先生がとっ捕まえて、彼のウィンドグライダーと共に戻ってくる。 戻ってきたリアムの顔色は相当で、心配していたサーヤとマシューは慌てて彼に駆け寄った。先生は、少し考えてからマシューにリアムを任せ、他の生徒の指導に戻って行った。 「おれも着いてっていい?」 ジゼルがそう聞いたのを、マシューは断ろうとした、が、リアムがそれを制した。マシューは少し悩んでから、好きにさせることにした。 * 「なーにもあんな無茶に飛ぶことねえすよ」 訓練所の隅っこ。逸る鼓動を落ち着かせるように水を飲んで、リアムは答えた。 「飛べねえと、騎士にだってなれねえだろ」 不服そうだった。悔しさ故かもしれないし、それ以上の何かでもある気がした。ジゼルは不思議そうに首をかしげた。 「騎士になりたいんすか」 「じゃなきゃこんなとこに居ねえって」 「じゃ、なにがそんなダメなんすか?」 「……」 こいつ。なにかしらでは覚えてろよ、と、リアムはいつかの逆襲を誓った。マシューが口をはさむ。 「ジゼルくんは、飛ぶの得意なの?」 「ンえ、まあ、得意というか、飛べないと賊出来ないっしょ」 これでもある程度の訓練は受けてますよ、とジゼルは言った。ああ、だからか、と一人納得して言葉を付け加える。 「おれなら、あんたのそれ、なんとかできるかもよ」 ほら、おれって、落ちるのも別に怖くないし。そう付け加えたジゼルにリアムは瞠目した。思ってもない言葉だった。 「……なんの真似だよ」 「えー。別に、興味本位? おれも舎弟がほしいんすよね」 「誰が舎弟だ」 「あんた」 「……」 ああ、もう。話にならない、とリアムは頭を抱えた。空ではシーアが訓練として飛んでいて、あいつはいいよな、と拗ねるような気持ちが湧いた。 しばらく無言の時間が流れた。空を飛ぶシーアはなんだか楽しそうで、高笑いがここまで聞こえてくるようだった。いや、実際に楽しくなっているのかもしれない。あんまりにも縦横無尽に飛ぶので、先生さえルートを定めておけばよかったかもしれない、と思っていた。 と、そんなとき、ぐらりとシーアが体勢を崩した。 「!」 「あ、」 落ちるっすねえ、あれ。ジゼルがつぶやいた声がやけに大きく聞こえた。先生がそばを飛んでいるのだから、大丈夫だと知っている。それなのに、なんだかすごく不安になった。 自分が今から飛んでも先生の速さには間に合わない。そもそもあそこまでたどり着けるか怪しい。危うく雲の中を突っ込みかけたシーアを、先生が拾った。当然だ。戻ってきたシーアは楽しそうにしたまま、サーヤに話しかけに行った。 それを見て、少し安心して息をつけば、それを見ていたジゼルがさらに声を掛けた。 「優しいっすねえ、そんなすか」 「……なにがだよ」 「え、だって、怖いんでしょ」 自分が落ちるのも、誰かが落ちるのも。自己責任だと思いますけどねえ、とジゼルが言うのはあまり聞こえなかった。その通りだな、と思考にふけってしまったからだ。 ウィンドグライダーの乗り方の本を、片っ端から集めて読んでいる。落ちないために。みじめな姿を晒さなくていいように。 それでも、落ちた。そうであるのなら、この恐怖には、慣れるしかないのだろうか。 いつか、慣れる日が来るだろうか。 「リアム」 マシューの声で我に返る。彼は少し悩んで、言葉を続けた。 「ジゼルくんの言う通り、なんで怖いのか、僕も知りたいな。それを知れば、解決できる何かがあるかもしれない」 「……」 人を頼るなんてごめんだと思っていたが、一人では手詰まりなのも事実だった。……確かに、そうかもしれない。納得すれば、言葉は自然と出てきた。 「……本当に誰もいないところで落ちたら、見つけてもらえねえんじゃねえかなって、思ったことがあるんだ」 スカイラヴィスの世界の人々にとって、雲の下は未知だ。しかし、雲は雲だ。突っ切って落ちれば、何かにはぶつかるだろう。 それがとても恐ろしく思えた。実は何も無いかもしれないのが怖くて、本を読み漁った。 分かったのは、地上、と呼ばれるなにかがあること。そこにたどり着けば、もう帰ってこれないことだけだった。 未知は怖い。もし、先生のいないところで飛んで、落ちて、見つけてもらえなかったら。 一人ぼっちになるのだとしたら。 そんなリアムの話を、二人は静かに聞いていた。やがてジゼルが口を開く。 「へえ、想像力豊かすねえ、たしかに」 なるほど、と彼は頷いた。頷いてから、こう言った。 「リアムって、ウィンドグライダーのこと、あんま信用してないでしょ」 「……え」 思ってもない言葉だった。思わず自身のウィンドグライダーの方を見る。目は合わなかった。 「おれはあいつが拾ってくれると思ってるから」 な、と彼は自身のウィンドグライダーを見る。彼のウィンドグライダーは嬉しそうにパタパタと近くに寄ってきた。 「おれらって、二つで一つだからさ。なんせ、落ちたら拾ってもらえるのなんて、子供の時まで、すからね」 そう言ってから、ウィンドグライダーを撫でる。喜びを表現するように、彼もくるる、と震えた。 「だからあんたも交流増やしたら? 見た感じ、まだあんまお互いのこと知らないでしょ」 思ったよりも有用なアドバイスだった。意外な気持ちが勝ってしまって、リアムが唖然としていると、後ろからマシューが口を開いた。 「悔しい……ッ」 「は?」 珍しい声だった。思わず振り返る。わなわなと手を震わせた彼は、ジゼルに噛みつくように近づいた。 「どうやってそこまでの信頼関係を築いたの!? 手入れはどうやってしてる? 好きな食べ物と嫌いな食べ物の把握ってどうやってしてる!? うちの子ほんとに表情が変わらなくて困ってるんだよ、ちょ、ちょっと、ああもう、聞きたいことがありすぎる!!」 矢継ぎ早だった。さすがのジゼルも目を白黒とさせていたので、仕方なくリアムが止めに入る。 「お、おい、マシュー。少し落ち着けよ」 「落ち着けないよ! 答えてくれるまでこの手を離さないから」 「えー、それは困るすねえ……?」 首を傾げてからジゼルは答えだした。 「でもあんたら別に仲悪くないでしょ。それくらいわかりますよ。表情が分かりにくいのはそういう個性なんじゃないすかねえ」 ジゼルがそう言えば、マシューはなるほど、と納得したように手を離した。それから、少し恥ずかしそうに照れ笑いをした。彼のウィンドグライダーは気づけばマシューのそばにいて、一気に詰め寄りすぎだと軽く頭突きをした。 「そこの男ども――――!! 休憩が終わったなら戻ってきなさーい!!」 ティア先生が叫ぶ。思ったよりも時間を使ってしまった。全員ではーい、と返事をして、授業に戻ることにした。 * その後の授業では、マシューもジゼルも訓練として飛んだが、二人は落ちることなく戻ってきた。シーアは、サーヤがうまく飛べたのをまるで自分ごとのように自慢していた。 「うんうん。このように、ウィンドグライダーたちはその人その人との関係性で飛びやすくなることもあるからね。今回の訓練で一回でも落ちた子たちは、彼らとの関係性を見直してみるのも手だよ~」 相談は適宜受け付けるからねー、と、そう言ってティア先生は授業を締めた。 「楽しかったわね、サーヤ!」 「そ、そうだね、シーア」 マシューはリアムの方をちらと向いたが、リアムは何かを考えこむように、ティア先生の方には向かわなかった。 「あ、リアム。大丈夫だったの、あんた」 「……おー」 シーアが声を掛けてもリアムの返事はほとんど上の空で、シーアとサーヤは顔を合わせ首を傾げた。 「大丈夫かな、リアムくん」 「ねえ」 そんなシーアとサーヤの後ろからマシューが声を掛けた。 「大丈夫だよ、多分ね……」 「まあ何とかする気はあるみたいすよ」 ジゼルも後ろから声を掛けてくる。シーアは、本当に怖かったのか、あれ、とリアムに思いを馳せて、まあでもそんなこともあるか、と考え直した。空の上で彼を煽るのはやめようと思った。 * 次の授業はヴェルタ先生だった。 「あら、あらら、出席簿はどこに行ったかしら……?」 あわ……あわ……、という効果音が似合いそうな、ゆったりした動きで出席簿を探し、あ、あった、とその小さな袋の中から大きさに見合わない出席簿を取り出した。 「よしよし、見つかりましたね」 そういって出席を取り、うんうん、と頷きながらそれをしまう。それから、こちらを向いてにこりと微笑み、はじめまして、と自己紹介を始める。 「ヴェルタです。歴史とか、文化とか、教養とかの授業を担当しています。担当授業が多いのは、私がいちばん秀でているからよ」 今日はねえ、風の誓約の日の話をしようと思ってねえ、と彼女が話す傍ら、黒板にさらさらとペンで書き記されていく。 「みなさんはまだご自身のウィンドグライダーに、正式には名前をつけていませんね」 はい、と生徒たちが頷く。ヴェルタ先生は続ける。 「みなさんの中には知ってる方も多いと思いますが、彼らの名前は風の誓約の日、正式に命名することができます。要するに、ウィンドグライダーと風翼の誓いを結ぶ日、ですね」 風翼の誓いのことはご存じかしら。先生はあたりを見渡した。マシューがはい、と手を上げる。 「ウィンドグライダーを武装させて乗るための免許みたいなもの、ですよね。ウィンドグライダーたちが僕たちを選んでくれたら結べるもので、彼らとの絆が試されたりもすると聞いています」 ヴェルタ先生は頷く。素晴らしい、その通りです。とマシューを褒めた後、補足として説明を始めた。 「風翼の誓いを結んだ人々には、彼らからの承認を得たことを証明するためのピンバッチが配られます。それがこれね」 ヴェルタ先生は自身の胸についたピンバッチを掲げた。教室内がおお、とどよめく。シーアもサーヤも知ってはいたが、いざ説明されて見せられると、なんだかいっそうかっこ良く見えた。 「先生も飛べるんすねえ」 ジゼルが声を掛ける。先生は笑って、これでも冒険者で研究者だったのよ、と言った。 * その後の授業は何事もなく、無事に楽しく終えられた。 その帰り道、リアムはそそくさと訓練所に向かった。自身を選んだウィンドグライダーが飛んでいる。リアムが来たのを見て、彼は飛び近づいてきた。 「お前、何が好きなの」 突然の問いかけに、彼は首を傾げた。リアムは言葉を重ねる。 「何の食べ物が好きなのかだけでも、知れれば」 歩み寄れるかなって。彼の声は小さくて、聞き取れるかもわからなかったが、それでも聞き取ったらしい彼は、リアムの頭にとん、と自身の頭を乗せた。 リアムは困り果てたようにそれを受けて、思い出す。そういえば、昔はよく林檎を持ってきてやっていた。空を飛ぶのが楽しくて、こいつと一緒にどこまでも行けると思っていた頃のことだ。こいつはこれが好きだった。大人になってから、いつしか振り払うようになって、――――そういえば、昔は仲が良かったっけ。 「お前、変わんないんだな」 もう俺は、空が怖くて、お前に乗ることなんて、いつか夢のまた夢になるかもしれないのに。そんなことを思えば、何かを察した彼は、乗せていた頭をごん、とぶつけた。いて、とよろけたリアムを放置して、彼は飛び去って行った。 今からでも、歩み寄ったとして。自分はまた空を飛べるだろうか。 とりあえず次は、好きそうな食べ物を持ってきてみよう、と心に決めて、リアムは寮に戻ることにした。 畳む 2026.3.15(Sun) 13:25:59 文章,ふたつの翼、ひとつの空
4話 6873文字
朝を告げる鐘が鳴る。同時に、目覚まし時計がわんわんと騒ぎ出した。シーアは慌てて目を覚まし、目を擦りながらベッドから出る。サーヤは先に起きていたようで、起きてきたシーアに挨拶をした。
「おはよう、シーア」
「おはよー……。サーヤはいつも早いわね」
「シーアが寝坊助なんだよ」
朝弱いもんね、と付け足したサーヤに、うるさいなあ、とシーアはぼやきを返した。頭は働いていなさそうだ。
顔を洗いに行ったシーアのために、サーヤは櫛を用意して待つことにした。出てきたシーアをこっち、と手招いて髪の毛を梳かし、結ぶ。いつものシュシュをつけてやれば、シーアも目が覚めてきたようだった。これも、もはやいつものことだった。
「今日から授業が始まるね~」
「そうね。どう、サーヤ。楽しみ?」
シーアが振り返ってサーヤを見れば、に、と笑ってサーヤは言った。
「そりゃもちろん、楽しみだよ!」
*
リアムとマシューとも合流して、学校に向かう。そわそわした空気の中、しばらく教室で待っていれば、ガタガタガタ! と音を立てて教室の扉が開かれた。
知らない子だ。入学式の時にも見なかったような気がするが……? 教室を間違えたのだろうか。
その少年はずかずかと入って来ては、ぐるりとあたりを見渡す。見渡して、ばちり、と目のあったリアムに近づいてきた。
「なああんた、ここって一年の教室であってる?」
「……合ってるけど。あんた、誰だよ」
その少年が答える前に、ぱたぱたとイズミ先生が教室に入ってきた。
「ああ。いたいた、ジゼル! 急にどこかに行ったから心配したよ」
ジゼルと呼ばれた少年は、特に悪びれもせず先生の方を見た。
「えー、でも、先生。授業を受けるのってここじゃないんすかあ? 間違ってはないでしょ~」
「だとしても、だよ。まだ話さなきゃいけないことがあったんだから」
イズミ先生は呆れたようにそう言った。ジセルははいはい、とそれを流した。
「分かってるって、迷惑かけなきゃいいんすよね」
イズミ先生はちょっと困った顔をして、一瞬だけ押し黙ってしまった。そうではなくて、と改めて説明しようとしたのを、ジゼルは面倒くさそうに聞き流す体制をとった。
それを見た先生は、諦めたように首を横に振った。
「まあ君はよほど下手なことはしないだろうけどね」
それから、他の生徒たちに向けて彼の紹介を始めた。
「彼はジゼル。ちょっと事情があって入学式には来れなかったけど、この学校の生徒だよ」
「ジゼルで~す」
へら、と笑った彼――――ジゼルは、先生の方を見てこう言った。
「あれは言わなくていいの?」
「……どれ?」
そんな発言を聞き返したはいいものの、なんとなく嫌な予感がして、止めようとするよりも先にジゼルが口を開いた。
「ほら、最近捕まった空賊の首領の息子さんだよって」
みんな、もっと警戒したほうがいいすよ、ねえ。けたけたと笑いながらあっさりと大きな暴露をしたジゼルにイズミ先生は頭を抱えた。
生徒たちといえば、ぽかん、と口を開けてジゼルを見ていたが、しばらくして理解が追いついたのかざわざわと騒ぎ出す。え、空賊ってあの? 首領の息子って言った? ――――であればどうして騎士学校に?
そんな生徒たちの前でイズミ先生は仕切り直すように大きく咳払いをした。
「はあ、だからまだ話さなきゃいけないことがあるって……。まあいいや、ええと、説明するね」
先生の話をまとめると、こうだった。騎士学校の先生方の努力で一つの大きな空賊の集団が解散となった。大人たちは全員捕まったが、ジゼルはまだ子供だったため、更生のためという名目で騎士学校に入ることになった。
「これでも授業はちゃんと受けるつもりっすよ。だってそうじゃないと捕まるらしいし」
あっさりとそう言ったジゼルは、に、と笑って、よろしく、と言葉を続けた。
シーアとサーヤは顔を合わせて、お互いを何とも言えない顔をしているな、と思った。
*
ホームルームを終えて、初めての授業はティア先生のウィンドグライダーの扱いだった。本来は操縦、と題されているらしいが、ティア先生が操縦はちょっとね、と言って勝手に時間割の名称を変えているらしい。
「みんなは今、それぞれのウィンドグライダーに子供向けの装備を搭載して飛んでいると思うんだけど、今日からはそれを外して、戦闘用の装備を載せて飛んでもらうからねー」
ティア先生はそう言って自身のウィンドグライダーを呼んだ。戦闘用の装備は大きくて硬そうだった。重たくないんですか、と生徒の一人が問えば、負担にならないように作られてるから大丈夫よ、と先生は答えた。
「子供向けの装備は落ちにくいようになっているけど、その分、戦闘用の装備はかなり落ちる可能性が上がるからね。飛ぶときは一人ずつ飛ぶように!」
そう言って先生はひとまずと生徒たちにウィンドグライダーの装備を配った。装備のつけ方を順に説明していった。無事に全員が装備を終え、さて飛んでみよう、と、先生が見守る列にシーアとサーヤは並んだ。
「上手く飛べるかしらね~」
「ね、楽しみだね」
そんなほのぼのとした二人の後ろで、ふと、こんな声が聞こえた。
「え、なに。あんた、怖いんすか!」
ジゼルだった。振り向けば、リアムとマシューとなにやら話しているようだった。
「ちげーし! 馬鹿! んなわけねえだろうが!」
「え~、でもだってあんた、ずっとあの列に並ばないために言い訳してるじゃないすか。怖い以外の何でもなくないすか? それは素直に認めた方が……」
「ッはア!? うるせえなあ、そうじゃないって言ってんだろ!」
「ええ~~~……」
リアムはずかずかとこちらに近づいてくる。シーアは不思議そうな顔をしていたが、サーヤはなんとなく思い当たる節があってリアムに声を掛けた。
「リ、リアムくん」
「んだよ」
「……」
そのままサーヤは言葉が見つからず黙ってしまった。大丈夫かと聞いてもやめた方がといっても今の彼には意味がないだろう。それに、――――彼も騎士になりたいはずだ。
「なに、あんた。ほんとに怖いの? やめたって笑いやしないわよ」
シーアがそう言ったのと、次の生徒を呼ぶ先生の声が同時だった。
「だから……ッ うるせえな、見てろよ!」
そういってリアムは空へ走り出して行ってしまった。
「お、いい勢いだねえ!」
先生が笑いながら追いかける。リアムはしばらく安定して飛んでいたので、なーんだ、とその場の全員が安心したのも束の間、彼はぐらり、と姿勢を崩した。
それを後ろを飛んでいた先生がとっ捕まえて、彼のウィンドグライダーと共に戻ってくる。
戻ってきたリアムの顔色は相当で、心配していたサーヤとマシューは慌てて彼に駆け寄った。先生は、少し考えてからマシューにリアムを任せ、他の生徒の指導に戻って行った。
「おれも着いてっていい?」
ジゼルがそう聞いたのを、マシューは断ろうとした、が、リアムがそれを制した。マシューは少し悩んでから、好きにさせることにした。
*
「なーにもあんな無茶に飛ぶことねえすよ」
訓練所の隅っこ。逸る鼓動を落ち着かせるように水を飲んで、リアムは答えた。
「飛べねえと、騎士にだってなれねえだろ」
不服そうだった。悔しさ故かもしれないし、それ以上の何かでもある気がした。ジゼルは不思議そうに首をかしげた。
「騎士になりたいんすか」
「じゃなきゃこんなとこに居ねえって」
「じゃ、なにがそんなダメなんすか?」
「……」
こいつ。なにかしらでは覚えてろよ、と、リアムはいつかの逆襲を誓った。マシューが口をはさむ。
「ジゼルくんは、飛ぶの得意なの?」
「ンえ、まあ、得意というか、飛べないと賊出来ないっしょ」
これでもある程度の訓練は受けてますよ、とジゼルは言った。ああ、だからか、と一人納得して言葉を付け加える。
「おれなら、あんたのそれ、なんとかできるかもよ」
ほら、おれって、落ちるのも別に怖くないし。そう付け加えたジゼルにリアムは瞠目した。思ってもない言葉だった。
「……なんの真似だよ」
「えー。別に、興味本位? おれも舎弟がほしいんすよね」
「誰が舎弟だ」
「あんた」
「……」
ああ、もう。話にならない、とリアムは頭を抱えた。空ではシーアが訓練として飛んでいて、あいつはいいよな、と拗ねるような気持ちが湧いた。
しばらく無言の時間が流れた。空を飛ぶシーアはなんだか楽しそうで、高笑いがここまで聞こえてくるようだった。いや、実際に楽しくなっているのかもしれない。あんまりにも縦横無尽に飛ぶので、先生さえルートを定めておけばよかったかもしれない、と思っていた。
と、そんなとき、ぐらりとシーアが体勢を崩した。
「!」
「あ、」
落ちるっすねえ、あれ。ジゼルがつぶやいた声がやけに大きく聞こえた。先生がそばを飛んでいるのだから、大丈夫だと知っている。それなのに、なんだかすごく不安になった。
自分が今から飛んでも先生の速さには間に合わない。そもそもあそこまでたどり着けるか怪しい。危うく雲の中を突っ込みかけたシーアを、先生が拾った。当然だ。戻ってきたシーアは楽しそうにしたまま、サーヤに話しかけに行った。
それを見て、少し安心して息をつけば、それを見ていたジゼルがさらに声を掛けた。
「優しいっすねえ、そんなすか」
「……なにがだよ」
「え、だって、怖いんでしょ」
自分が落ちるのも、誰かが落ちるのも。自己責任だと思いますけどねえ、とジゼルが言うのはあまり聞こえなかった。その通りだな、と思考にふけってしまったからだ。
ウィンドグライダーの乗り方の本を、片っ端から集めて読んでいる。落ちないために。みじめな姿を晒さなくていいように。
それでも、落ちた。そうであるのなら、この恐怖には、慣れるしかないのだろうか。
いつか、慣れる日が来るだろうか。
「リアム」
マシューの声で我に返る。彼は少し悩んで、言葉を続けた。
「ジゼルくんの言う通り、なんで怖いのか、僕も知りたいな。それを知れば、解決できる何かがあるかもしれない」
「……」
人を頼るなんてごめんだと思っていたが、一人では手詰まりなのも事実だった。……確かに、そうかもしれない。納得すれば、言葉は自然と出てきた。
「……本当に誰もいないところで落ちたら、見つけてもらえねえんじゃねえかなって、思ったことがあるんだ」
スカイラヴィスの世界の人々にとって、雲の下は未知だ。しかし、雲は雲だ。突っ切って落ちれば、何かにはぶつかるだろう。
それがとても恐ろしく思えた。実は何も無いかもしれないのが怖くて、本を読み漁った。
分かったのは、地上、と呼ばれるなにかがあること。そこにたどり着けば、もう帰ってこれないことだけだった。
未知は怖い。もし、先生のいないところで飛んで、落ちて、見つけてもらえなかったら。
一人ぼっちになるのだとしたら。
そんなリアムの話を、二人は静かに聞いていた。やがてジゼルが口を開く。
「へえ、想像力豊かすねえ、たしかに」
なるほど、と彼は頷いた。頷いてから、こう言った。
「リアムって、ウィンドグライダーのこと、あんま信用してないでしょ」
「……え」
思ってもない言葉だった。思わず自身のウィンドグライダーの方を見る。目は合わなかった。
「おれはあいつが拾ってくれると思ってるから」
な、と彼は自身のウィンドグライダーを見る。彼のウィンドグライダーは嬉しそうにパタパタと近くに寄ってきた。
「おれらって、二つで一つだからさ。なんせ、落ちたら拾ってもらえるのなんて、子供の時まで、すからね」
そう言ってから、ウィンドグライダーを撫でる。喜びを表現するように、彼もくるる、と震えた。
「だからあんたも交流増やしたら? 見た感じ、まだあんまお互いのこと知らないでしょ」
思ったよりも有用なアドバイスだった。意外な気持ちが勝ってしまって、リアムが唖然としていると、後ろからマシューが口を開いた。
「悔しい……ッ」
「は?」
珍しい声だった。思わず振り返る。わなわなと手を震わせた彼は、ジゼルに噛みつくように近づいた。
「どうやってそこまでの信頼関係を築いたの!? 手入れはどうやってしてる? 好きな食べ物と嫌いな食べ物の把握ってどうやってしてる!? うちの子ほんとに表情が変わらなくて困ってるんだよ、ちょ、ちょっと、ああもう、聞きたいことがありすぎる!!」
矢継ぎ早だった。さすがのジゼルも目を白黒とさせていたので、仕方なくリアムが止めに入る。
「お、おい、マシュー。少し落ち着けよ」
「落ち着けないよ! 答えてくれるまでこの手を離さないから」
「えー、それは困るすねえ……?」
首を傾げてからジゼルは答えだした。
「でもあんたら別に仲悪くないでしょ。それくらいわかりますよ。表情が分かりにくいのはそういう個性なんじゃないすかねえ」
ジゼルがそう言えば、マシューはなるほど、と納得したように手を離した。それから、少し恥ずかしそうに照れ笑いをした。彼のウィンドグライダーは気づけばマシューのそばにいて、一気に詰め寄りすぎだと軽く頭突きをした。
「そこの男ども――――!! 休憩が終わったなら戻ってきなさーい!!」
ティア先生が叫ぶ。思ったよりも時間を使ってしまった。全員ではーい、と返事をして、授業に戻ることにした。
*
その後の授業では、マシューもジゼルも訓練として飛んだが、二人は落ちることなく戻ってきた。シーアは、サーヤがうまく飛べたのをまるで自分ごとのように自慢していた。
「うんうん。このように、ウィンドグライダーたちはその人その人との関係性で飛びやすくなることもあるからね。今回の訓練で一回でも落ちた子たちは、彼らとの関係性を見直してみるのも手だよ~」
相談は適宜受け付けるからねー、と、そう言ってティア先生は授業を締めた。
「楽しかったわね、サーヤ!」
「そ、そうだね、シーア」
マシューはリアムの方をちらと向いたが、リアムは何かを考えこむように、ティア先生の方には向かわなかった。
「あ、リアム。大丈夫だったの、あんた」
「……おー」
シーアが声を掛けてもリアムの返事はほとんど上の空で、シーアとサーヤは顔を合わせ首を傾げた。
「大丈夫かな、リアムくん」
「ねえ」
そんなシーアとサーヤの後ろからマシューが声を掛けた。
「大丈夫だよ、多分ね……」
「まあ何とかする気はあるみたいすよ」
ジゼルも後ろから声を掛けてくる。シーアは、本当に怖かったのか、あれ、とリアムに思いを馳せて、まあでもそんなこともあるか、と考え直した。空の上で彼を煽るのはやめようと思った。
*
次の授業はヴェルタ先生だった。
「あら、あらら、出席簿はどこに行ったかしら……?」
あわ……あわ……、という効果音が似合いそうな、ゆったりした動きで出席簿を探し、あ、あった、とその小さな袋の中から大きさに見合わない出席簿を取り出した。
「よしよし、見つかりましたね」
そういって出席を取り、うんうん、と頷きながらそれをしまう。それから、こちらを向いてにこりと微笑み、はじめまして、と自己紹介を始める。
「ヴェルタです。歴史とか、文化とか、教養とかの授業を担当しています。担当授業が多いのは、私がいちばん秀でているからよ」
今日はねえ、風の誓約の日の話をしようと思ってねえ、と彼女が話す傍ら、黒板にさらさらとペンで書き記されていく。
「みなさんはまだご自身のウィンドグライダーに、正式には名前をつけていませんね」
はい、と生徒たちが頷く。ヴェルタ先生は続ける。
「みなさんの中には知ってる方も多いと思いますが、彼らの名前は風の誓約の日、正式に命名することができます。要するに、ウィンドグライダーと風翼の誓いを結ぶ日、ですね」
風翼の誓いのことはご存じかしら。先生はあたりを見渡した。マシューがはい、と手を上げる。
「ウィンドグライダーを武装させて乗るための免許みたいなもの、ですよね。ウィンドグライダーたちが僕たちを選んでくれたら結べるもので、彼らとの絆が試されたりもすると聞いています」
ヴェルタ先生は頷く。素晴らしい、その通りです。とマシューを褒めた後、補足として説明を始めた。
「風翼の誓いを結んだ人々には、彼らからの承認を得たことを証明するためのピンバッチが配られます。それがこれね」
ヴェルタ先生は自身の胸についたピンバッチを掲げた。教室内がおお、とどよめく。シーアもサーヤも知ってはいたが、いざ説明されて見せられると、なんだかいっそうかっこ良く見えた。
「先生も飛べるんすねえ」
ジゼルが声を掛ける。先生は笑って、これでも冒険者で研究者だったのよ、と言った。
*
その後の授業は何事もなく、無事に楽しく終えられた。
その帰り道、リアムはそそくさと訓練所に向かった。自身を選んだウィンドグライダーが飛んでいる。リアムが来たのを見て、彼は飛び近づいてきた。
「お前、何が好きなの」
突然の問いかけに、彼は首を傾げた。リアムは言葉を重ねる。
「何の食べ物が好きなのかだけでも、知れれば」
歩み寄れるかなって。彼の声は小さくて、聞き取れるかもわからなかったが、それでも聞き取ったらしい彼は、リアムの頭にとん、と自身の頭を乗せた。
リアムは困り果てたようにそれを受けて、思い出す。そういえば、昔はよく林檎を持ってきてやっていた。空を飛ぶのが楽しくて、こいつと一緒にどこまでも行けると思っていた頃のことだ。こいつはこれが好きだった。大人になってから、いつしか振り払うようになって、――――そういえば、昔は仲が良かったっけ。
「お前、変わんないんだな」
もう俺は、空が怖くて、お前に乗ることなんて、いつか夢のまた夢になるかもしれないのに。そんなことを思えば、何かを察した彼は、乗せていた頭をごん、とぶつけた。いて、とよろけたリアムを放置して、彼は飛び去って行った。
今からでも、歩み寄ったとして。自分はまた空を飛べるだろうか。
とりあえず次は、好きそうな食べ物を持ってきてみよう、と心に決めて、リアムは寮に戻ることにした。
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