No.354

#ふたつの翼、ひとつの空
2話 10823文字

 目覚まし時計がやかましく音を鳴らす。シーアはまだまだこの暖かい布団の中でくるまっていたくて、目覚まし時計を止め、二度寝をしようとする――――。
「シーア! もう、早く起きてよ! 間に合わなかったら寮に入れなくなっちゃうよ~!」
「はっ」
 そうだった。
 あの合格発表から数週間。今日は寮に入る日だ。シーアは慌てて起き上がる。
 合格してからというもの、シーアはすっかり気が抜けてしまっていてダメだった。毎朝サーヤに起こされ、荷造りを後回しにし、昨晩もつい遅くまで起きていたせいで、このザマだ。
「そ、そうよ! ああ、急いで準備しなくちゃ、おばあちゃ~ん!」
 微睡んでいたのが嘘のように立ち上がったシーアは、慌てて階段を駆け下りた。駆け下りたせいで、どすん。と、大きな音。
「シーア!」
「いった~~い!! もう! なんだっていうのよ!」
「あらあら……」
 サーヤが救急キットを持ってすっ飛んでくる。悔しそうにシーアは呻いた。膝に綺麗な擦り傷が出来ていた。
「慌てるからだよ、もう……」
「まさかこんなに綺麗に擦り傷作るなんてねえ」
「うう……」
 おじいちゃんが心配そうにこちらを見ている。今日はめでたい門出だというのにねえ、とおばあちゃんが笑った。その隣で、サーヤは大きくため息をついた。
 
 荷造りは昨晩のうちに終わっている。身支度を整え、大きなカバンを引っ掴んで、二人は玄関から外に出た。
「おじいちゃん、おばあちゃん、行ってきます!」
「行ってきま~す!」
 おじいちゃんとおばあちゃんは家の外まで出て見送りをしてくれた。おばあちゃんはあっさりと手を振り、見送る姿勢をとってくれたが、おじいちゃんは、忘れ物が無いかとか、先生たちに失礼のないようにするんだぞだとか、そんな小さな心配をいっぱいいっぱいまでしていて、ずいぶんと落ち着かなさそうにしていた。
「大丈夫よ、おじいちゃん。私たち、きっと立派な騎士になって帰ってくるわ!」
「そうだよ。定期的に手紙出すからね。ちゃんと受け取ってね」
 シーアとサーヤがそう言えば、おじいちゃんは少し照れたように咳払いをして、ようやく手を振り、見送ってくれた。
 騎士学校まで、寮の部屋のことを二人で話しながら飛んだ。部屋が綺麗だといいね。広いと嬉しいよね。ちゃんと片付けができるか不安だな。そんな話をしながら飛んでいれば、あっさりと王都が見えてきた。白い塔の群れが朝の光に照らされていて、今日からあそこに住むのだと思うと、不思議な気持ちになった。二人が王都に来るのは、試験の時以来だった。
「あっ、シーアさん! サーヤさん!」
「ふん、不合格じゃなかったか」
 王都のグライダー広場には、リアムとマシューが二人で立っていた。どうやらシーアとサーヤを待っていたらしい。
 二人の顔には、分かりやすく安堵が滲んでいた。随分と心配をされていたらしかった。
「マシュー! リアムもいるじゃない!」
「良かった~! 二人も合格したんだね……!」
「当たり前だろ!」
 リアムがそう吠えるのをはいはいと聞き流して、ウィンドグライダーから降り、お疲れ様、とひとつ撫でる。彼らはふるりと身体を震わせてみせた。
「でも僕もほんとに良かったと思ってるよ、リアム。試験の日のこと、忘れたわけじゃないよね?」
「うっ」
 マシューが呆れたように窘める。ぐぬぬ。リアムが悔しがれば、シーアが勝ち誇ったように笑った。
「ふふん、この私に感謝することね!」
「うるせえな、感謝はしてるよ!」
 ふん。リアムは一度そっぽを向いて、ふ、となにかに気づいたかのように慌ててこちらを振り向いた。
「のんびりしてっけどそろそろ集合時間来るんじゃねえの!?」
「あっ、そうだ、そうだよ! シーアが寝坊するから……」
「はあ!? サーヤが起こしてくれないからじゃない!」
「何度も起こしたよ!」
「あはは。はいはい、ほら、シーアさん、サーヤさん。急ぐよ」
 マシューが二人の背中をぽんと叩く。シーアとサーヤは揃って慌て、「分かった!」と返事をし、バタバタと走り出した。
 
 *
 
「さて、これで全員かな。みんな優秀だね~」
 生徒を到着順に並べて、点呼を取る。シーアとサーヤ、リアムとマシューは最後の到着だったので、四人固まって列に並んでいた。
 名簿を見ながら、全員到着していることを確認したイズミ先生は、うんうん、といくつか頷いてからこちらを見た。
「今年の一年は僕が担当することになってるんだよね~。はい、今日のみんなの入寮及び案内を担当します。イズミだよ~。気軽にイズミ先生って呼んでね」
 これは前回も言ったか、と笑ってから、ちらりと横を見る。イズミ先生とは対称的に、目付きの悪い先生が立っている。彼はああ、と頷いた。
「ガロウです。エアリス魔法学院で薬草学を教えています。今日は、イズミ先生のお手伝いをしに来ました」
「この人数を一人で見るのは厳しいだろうと思ってね。騎士学校の先生方にも声を掛けたんだけど、ちょっとこの時期忙しいみたいだったから」
 顔は怖いけどいい先生だよ、とイズミ先生は笑う。そんなイズミ先生をじと、と睨んでから、よろしくお願いします、とガロウ先生は頭を下げた。イズミ先生は全く気にせず話を続ける。
「さて、まず、寮の部屋分けだけど……」
 イズミ先生によると、寮の部屋はある程度近しい仲の人と組まれているらしい。どこでそんな情報を、と質問した生徒に、「いつでも見てるってことだよ」と先生はウィンクをした。
「鍵に書いてある部屋番号が同じ人を探してみてね。おそらくは、おおよそ隣同士になってるはずだよ」
 そう言われて改めて確認してみれば、シーアとサーヤは同じ部屋のようだった。ということは、と振り返ると、リアムとマシューも同じ部屋のようだ。
 周りの生徒たちも同じように確認し終わったのを見計らって、イズミ先生は笑って手を叩き、視線を集めた。
「今日は記念すべき一日目だからね。部屋に荷物を置いて、一息ついたら大広間に集合するように。今から案内するからね。さ、善は急げって言うし、今から行こうか」
 はーい。生徒たちは揃って返事をして、先生のあとをついて歩き出した。
 
 寮は広かった。広すぎて迷子になるのではないかと不安になるほどだ。
 入ってすぐに大広間があり、大広間を通り過ぎて食堂、食事を作るための大きなキッチン、文房具などを取り扱う売店、階段を登れば居住スペース。
 案内中、後ろからガロウ先生が怖い顔で生徒たちをずっと見ていたので、下手なことは出来ない、と変な緊張感を持ったまま案内は終えられた。
 シーアとサーヤの部屋番号は二〇六だった。リアムとマシューは階が変わって三〇四。イズミ先生は生徒を解散させ、荷物を置きに部屋に行くよう促した。
「はーっ、広いよな。俺らはさっさと荷物を置いてくるよ」
「うん。シーアさん、サーヤさん。また後で!」
 リアムとマシューが走っていくのを見送ってから、シーアはキラキラとした顔でサーヤを振り返った。
「さ、私達も行きましょ!」
 シーアは意気揚々と部屋とは反対方向に歩き出した。それをサーヤが止める。
「シーア、違う違う、こっちだよ!」
「あ、あれ!? そうだったかしら」
「そうだよ。……荷物片付けたら、しばらく探索して道覚えようね」
「うう……どうせ方向音痴ですよ~だ」
「シーア、いつもちゃんと慣れたら分かるようになるじゃん。大丈夫だよ」
 サーヤに慰められて、シーアは悔しそうな、拗ねたような顔をした。それでもそれ以上に何も言えずに、大人しくサーヤについていくことにした。
 
 寮が広ければ部屋も広い。二人の自慢の屋根裏部屋よりも、寮の部屋の方が少し大きく見えた。
「わくわく感は屋根裏部屋の勝ちね」
「そうだね、ぼくもそう思う」
 そんな会話をしながら自分たちのベッドに荷物を放る。備え付けの収納に持ってきた大切なものたちを並べたり、服をしまったりしていれば、慣れない部屋も少しずつ自分たちに馴染むような気がした。
「さっさと終わらせて探検しましょ!」
 と、最初に言ったシーアはサーヤよりも荷物が多く、どこに何をしまうか苦労しているようだったので、サーヤは自分の分をさっさとしまってシーアを手伝うことにした。
 シーアが持ってきた思い出の品の数々。おじいちゃんとおばあちゃんの写真、父からもらったお守り、二人でお揃いで作った栞。それらを棚に並べていれば、早くもホームシックになりそうだった。
 
 *
 
 二人が荷物の整理を終えたタイミングで、コンコン、と部屋がノックされた。時間をかけすぎただろうかと慌てて時計を見たが、集合時間にはまだ早いようだ。
 扉を開けば、ガロウ先生が立っていた。
「シーア、サーヤ、……合ってるか?」
「そうよ」
 サーヤが息を飲む。シーアも少し緊張しているようだった。それを感じ取ったのか、ガロウ先生は困ったように頭をひとつかいて、こちらに向き直る。
「いや、なにか困ったことはないか、と……聞いてこいって」
「へ」
 イズミ先生が、と付け加えられた言葉があまりにも小さくて、シーアとサーヤは二人で目を見合わせた。
 意外と怖くないかも。そうかも。目線だけで頷きあっていれば、ガロウ先生は居心地が悪そうに視線を彷徨わせてこう言った。
「……特にないなら、別に」
「今のところは大丈夫だと思います……! あ、でも、一応なにかあった時のために防災設備は確認しておきたくて」
 サーヤがそう答えれば、ガロウ先生はぱちくり、と目を瞬かせてから、頷いた。
「ああ、分かった。……いや、なんだ、ちゃんとそういうものを確認するのは、とても良いことだと思う。他の部屋の子たちにも確認させよう」
 ありがとう、と彼は二人の頭を撫でて、はっとする。
「……これ、セクハラとかになるか?」
 すまない、そういうくせなんだ、つい、と慌てて弁明するガロウ先生を、もうとっくに緊張なんて解けてしまったシーアが笑い飛ばした。
「あははっ、大丈夫よ、先生!」
「褒めて貰えるのは嬉しいので。私たちは好意として受け取りますね」
 サーヤもそう付け加える。ガロウ先生は安心したように頷いて、部屋の防災設備を説明した後、あっさりと部屋から出て行った。騎士学校なだけあって、防災設備や、防犯の設備は充実していたが、なるべく先生を頼るように、と念を押された。
 顔が怖いだけで、真面目な良い先生なのだろう。そんなことを二人で話してから、寮の探検に出た。
 
 *
 
 入ってすぐに大広間があり、大広間を通り過ぎて食堂、食事を作るための大きなキッチン、文房具などを取り扱う売店、階段を登れば居住スペース。
 
 大広間から全部をぐるりと回って、最後に売店に寄れば、こちらに気付いたリアムとマシューが手を振った。
「おーい! シーア、サーヤ、これ見ろよ」
「ちょうど、こういうの好きそうだよねって話してたの」
 二人の手元を見れば、ふたつの鍵が握られていた。繊細な意匠が施された、ちょっとアンティークっぽい鍵。持ってみると思ったより軽くて、でもどことなく冒険心がくすぐられるものだった。
「どっかの遺跡の鍵だって言い伝えられてるんだってさ。これはレプリカらしいんだけど」
「その遺跡から雲の下の世界に行けるんだって! なんだかわくわくするよね」
「そうか?」
 リアムとマシューがそう話しかけてくるのをそっちのけに、シーアとサーヤはその鍵に見とれてしまった。鍵から、わくわくがふわふわと溢れてくるようだった。
 分厚い分厚い雲の下。一体、そこにはどんな世界が広がっているのだろう!
「ああ、ああ、とっても素敵よ! いつか雲の下に行けたらいいわね~!」
「あ、危ないかもしれないけど……、ちょっとワクワクしちゃうな……!」
「ふふ、二人は冒険が好きだもんね」
「は~、よく分かんねえの」
「あら、怖いの?」
「はァ!?」
 リアムが食いついてこないのが意外だったので、ちょっと煽ってみる。素直じゃないんだから、とシーアは思った。
「そんなんじゃねーよ! 子供っぽいなって思ってんのさ。雲の下なんて、なにもないかもしれないだろ」
「行ってみなくちゃ分からないでしょ! ロマンがないんだから~」
「ぐぐ……」
 行ってみなくちゃ分からないのは事実、そうだ。言い返す言葉が見つからずに悔しそうにするリアムを見て、もっと素直になればいいのに、と三人は顔を見合せた。
「それ、買うの?」
「うわあっ」
 そんな四人の後ろからひょこりと顔を出したのはイズミ先生だった。
「あはは、ごめんごめん。びっくりした?」
 何ら反省してないような声色でひら、と手を振ってみせたイズミ先生は、その鍵に視線を戻した。
「それはレプリカだけど、風の鍵は本当にあるんだよ」
 じ、と鍵を見つめながら話すイズミ先生の声はどこまでも穏やかだった。
「でも、遺跡の場所はまだ分かってないんだ。古い言い伝えだから、本当かどうかも怪しいくらいだけど……。僕たちはそれがあるって信じて、冒険し、旅をする」
 調査の役目は、時に騎士とはちょっとズレるかもしれないけど。そう言ってから、イズミ先生は四人に目を合わせた。
「意外と、君たちみたいなのがあっさりと遺跡を見つけちゃったりしてね」
 話を聞きながら、シーアとサーヤはわくわくが止まらなくなって、目をきらきらと輝かせてしまった。
「先生、私たち、きっといつかその遺跡を見つけてみせるわ!」
「ま、まだ、そうやって言い切るには早いと思うけど……冒険の日々が待ちきれないな……!」
 うんうん、とイズミ先生は頷いた。そんな話をしていると、奥から売店の管理をしているらしいおばちゃんが出てきて、二人にこう言った。
「あらあら、懐かしいお話が聞こえると思ったら。可愛いお二人さん、それを買うのかい?」
「はっ」
 二人は顔を見合わせた。おやつを買うためにとお金は持たせてもらったが、ここでこれを買ってしまっては、歯止めが効かなくなって無駄遣いが増えてしまうのではないか。
 そんなことを二人同時に考えて、困り果てたように黙り込む。
 おばちゃんもイズミ先生もそれを分かっていたかのように頷いた。
「彼女は一人で売店をやっているんだけど、一人だと大変なことも多いらしくてね。学校が始まってからになるけど、たまにお仕事を募集することがあるんだよ」
 おばちゃんも頷いてにこやかに付け加える。
「もちろん、手伝ってくれたらお小遣いが出るよ。それを貯めれば、心置き無く買えるかもしれないねえ」
 シーアとサーヤの表情が分かりやすく明るくなる。リアムが「鍵ひとつで一喜一憂しすぎだろ」と呟いたのを、シーアが睨んで黙らせた。
「それじゃ、いっぱいお手伝いするわ!」
「まかせて! ぼくたち、お手伝いは得意だから」
「頼もしいねえ。それじゃ、この風の鍵はふたつ、取っておこうかな」
 うんうんと頷きながら、おばちゃんは風の鍵と呼ばれたそれをふたつ手に取った。
「手に入るのが楽しみね!」
「うん!」
 マシューもニコニコと見守っている。リアムは態度こそ悪いものの静かに見守っていた。イズミ先生は楽しそうに笑って、将来が楽しみだな、なんて呑気に考えているのだった。
 
 *
 
  気付けばそこそこの時間が過ぎていたようで、そのままシーアたちは大広間に集まった。パンパンと手を叩いてイズミ先生が注目を集める。
「はいはい、静かに! 今日は記念すべき入寮の日だからね。ここからの流れを説明します」
 こほん。わざとらしく咳払いをしてから、先生は話を進めた。
「まずご飯ね。今日は特別に豪華な食事になっているから、沢山堪能すると良いよ。この後すぐ、食堂に行って食べることになるから、楽しみにしててね」
 ぱちり、ウィンク。室内が少しだけ浮ついた空気になった。
「それで、それが終わったら……なんと! 肝試し大会だよ~!」
「ええ――――っ」
 ここでいくつか生徒から抗議の声が飛んだ。シーアとサーヤも声を上げたうちの一人だった。イズミ先生はそれを笑って流し、話を続ける。
「まあまあ、大丈夫だって! 肝試しって言っても隠れるのは僕らと何人かの先輩方だから! 幽霊なんて居ないよ」
 まさかね、と笑い飛ばしてから、す、と挑戦的な目つきになる。
「騎士になるのに、幽霊が怖いなんて言ってられないよね?」
 それを言われてしまっては弱い。ぐ、と黙り込んだ生徒たちを見て楽しそうに笑った先生は、テキパキと班を分けて、じゃあ僕は準備があるから、とその後をガロウ先生に任せて行ってしまった。
 ガロウ先生はガロウ先生で、呆れたように首を横に振ってからそれ以上には特に何もせず、生徒を食堂に案内して最低限の説明を済ませたと思ったらあっさり居なくなってしまった。
 イズミ先生のこと止めてくださいよ、と絡んだ生徒には、あれはもう俺じゃ止まらん、と答えを返していた。彼らは付き合いが長いらしい。
 食事の席は特に決められていなかった。シーアとサーヤ、リアムとマシューはなんとなく近くに座って食事を取った。
 肝試しのことを思うと食事の味はしない……とでも言いたいところだったが、寮の食事はとても美味しくて、それがまた悔しかった。
「肝試しか。初めて参加するからなんだか緊張するな」
「とか言って、余裕の構えじゃん。シーアとサーヤを見てみろよ」
「ええっ、別になんでもないよ! これは……武者震いだから!」
「そ、そうよ、リアム! 別に怖くなんてないけれど、特別に前を歩かせてあげるんだから」
「な」
「……うーん、この中だと余裕な方かもね」
 おばけなんてよく分からないもの、攻撃できるかも分からないのに出てこられたら困るじゃない。シーアがそう喚くのを全力で揶揄うリアムは意外にも平気そうだった。
 マシューはそれに少し安堵しながら、サーヤに声をかけた。
「サーヤさん、そんなに怯えなくても、大丈夫だよ。おばけなんていないさ。いるのは先生だけ」
「うう……分かってはいるんだけど、やっぱどうしても怖くて……。マシューくんはすごいね、怖くないの?」
「いいや、怖いよ。平気そうに見えるだけだと思う。そう振る舞ってるからね」
「……」
 笑ってマシューはそう言った。あまりにもあっさりしている。でも、嘘をついているようには見えなかった。
「まあ、確かにシーアさんとサーヤさんよりはマシかもしれないけど」
 人並みにはね、と付け加えられた言葉を咀嚼する。そうか、ちゃんと怖いのか。
「……じゃあ、びっくりすることもあるかもね」
「ふふふ、大きな声が出ちゃうかもしれないね。驚かせたらごめんよ」
「いいよ、きっとお互い様だし……」
 話していれば、サーヤの緊張も落ち着いてきたらしい。
「安心した?」
「え? ああ、うん。そう言われてみれば、ちょっとマシかも……」
 ありがとう、とサーヤはマシューに笑いかける。マシューはこの花のような笑顔が好きだった。
「ちょっと、マシュー、サーヤ! リアムったら、おばけなんて全然怖くないって言うのよ!」
「そりゃそうだろ、この世に存在しないものに怯えても仕方ないんだから」
 は、と鼻で笑ったリアムを指さしてシーアはぎゃんぎゃん騒ぐ。マシューとサーヤは顔を見合せて少し笑った。
 
 *
 
 寮は広い。この広い寮の中を一周して、大広間に戻ってくること。大きな声は出してもいいが、基本的には先生や先輩がお化け役をやるので、なるべく無闇に攻撃はしないこと。それが肝試しのルールだった。
 暗い廊下を、リアムとマシューを先頭にして恐る恐る進む。多少マシになったとはいえ怖いものは怖いので、シーアとサーヤは後ろで手を繋いでいた。
 二人が恐る恐る歩いていく先、リアムとマシューは平然とお喋りなんかしながら歩いていく。
 そんな二人を見て、シーアが「なんで怖くないのよ、ありえない……」と恨み言を漏らしていた。
 
 ひたり、ひたり。足音が聞こえる。
「お、先生かな」
「会ったことない先生も隠れてたりするのかな。楽しみだね」
「楽しみ!? そんなわけないでしょ、こんな状況じゃなければ素直に楽しみにしたのに!」
「そ、そうだよ! 肝試しなんかじゃなければ……っ うわあっ、シーア、後ろっ」
「な、何よ……ぎゃ――――!!」
 ばあ、と出てきた先輩にシーアが遠慮なく拳をとばす。うわっ、と、先輩の声が漏れて、その拳はあっさりと捉えられた。冷たい。
「シーア!」
「コラ、あんま暴力振るうなよー。生きてたらどうすんだ」
 おそらくは先輩らしき人影はそのままシーアの手を解放する。そんな言葉とは裏腹に、彼は楽しそうだった。おばけジョーク付きだ。
「私を驚かすからでしょ!? でも、怪我させなくて良かった……です」
 慣れない敬語を使って、シーアがそう言う。
「後輩に怪我させられるほど生半可な訓練は受けてないからね」
 先輩はあっさりとそう言って、満足げに笑うとその場を離れた。しばらくして、後ろの方から他の班のものであろう悲鳴が聞こえた。
「かっこいい……!」
「くっ、そうね……。私たちもいつかああなりたいわね……」
「……今の」
「……」
 羨望の眼差しを向けるシーアとサーヤとは裏腹に、今度はリアムとマシューが真っ青な顔をしていた。
「なによ、どうしたの」
「……いや……」
「ふん、まあ、見間違いだろ」
 リアムが鼻で笑う。強がりだ、と思った。
「ええー! なに!? 気になるんだけど」
「……いや、」
「リアムくん、マシューくん、顔色悪いよ」
 サーヤがそう言えば、リアムとマシューは二人して顔を見合せた。
 観念したようにマシューが口を開く。
「……今の人、足、なかったなって」
「……」
 シーアとサーヤは目を見開いて、さっきの人が歩いていった方を見る。が、もう既にそこは暗闇が広がるばかりで、特に何も見えないのだった。
「もしかして、本当に」
「……生きてたらどうすんだ、って言ってた」
 ぽつり。シーアが呟く。そういえば、触れた手は冷たかった。
「で、でも、触れられる幽霊なんているわけないじゃない、馬鹿ねえ!」
「そ、そうだよね、きのせい……」
「……」
 四人全員顔を合わせて沈黙していれば、ふと影が落ちた。
「……お前たち、」
「ぎゃ―――!!」
 大きな背丈の、ツギハギの顔。頭に刺さったネジ。昔、父に聞いた話を思い出す。まさか、本物のフランケンシュタイン!?
「……」
「いや、ガロウ先生じゃん」
 リアムに言われて改めてまじまじと観察する。フランケンシュタイン――――もとい、ガロウ先生は、シーアとサーヤが悲鳴を上げたので、申し訳なさそうに縮こまっていた。
「……いや、これは、イズミ先生が……」
 しどろもどろな言い訳つきである。
「な、なんだ、ガロウ先生だったんだ……! ビックリした、イズミ先生ってメイクがお上手なんですね……」
「そんなことより、ガロウ先生、大変よ! 私たち、本物の幽霊を見たの、ねえ、リアム、マシュー!」
 マシューがそれにうんうんと頷く。リアムは呆れた素振りで首を横に振った。それを聞いて、ガロウ先生もひとつ頷いた。
「ああ……、エアリス魔法学院にいるやつらだ。イズミ先生にこの役を頼まれた時に、盗み聞きしていたらしくて……」
 ガロウ先生は、困ったようにポリポリと頬をかいた。
「あんまり本気で驚かすことはしないだろうが、楽しくなってしまっては良くないから。釘を刺しに行こうかと思って」
 そうなれば、うちの生徒も困るだろうから、と先生は言った。
「……先生、幽霊って触れるんですか?」
「ん? ああ……聞いたことはあるが、そうでなければポルターガイストを起こせないだろう、と答えられた」
 じゃあ、シーアは本当に幽霊に拳を……。シーアの方を見れば、顔を真っ青にして自分の手を見てから、
「私、殴ろうとしちゃったわ。祟られたりしない?」
 ガロウ先生は吹き出すように笑ってから首を横に振った。
「そこまで悪い奴らじゃないから、大丈夫だ」
 そうして、ガロウ先生が暗闇の奥に消えていくのを見届けた四人は顔を見合わせた。
 
 しばらくして、遠くの方でけたけたという笑い声が聞こえた気がしたが――――気のせいだということにした。
 
 *

「さて、これにて今日の肝試しを閉幕といたします!」
 しっかり怖いメイクを施して、ノリノリで生徒をおどかし回ったイズミ先生が、楽しかったと言わんばかりの笑顔で高らかに宣言する。疲れた生徒達にもしっかりと拍手を求めてきたので、多少間を置いてからまばらな拍手が起こった。一番楽しんだであろう幽霊は、一体どこから取り出したのか、ピロピロと笛を吹き回っていた。
「今日はゆっくり休んで。授業が始まるまでしばらく間があるから、その間にここでの生活に慣れること。先生もたまに顔出すようにするし、寮の管理人さんはいつでもいるから、なにかあれば大人を頼ること。分かったね?」
 それじゃ、解散! 先生が手をパン、と叩いたのをきっかけに、辺りがゆるやかに騒がしくなる。
「お、終わった~!」
「シーア、今日は早く寝よう……」
「そうね……」
「俺らも部屋戻るか」
「そうだね、そうしよう」
 四人が解散しようかといったところに、イズミ先生が近付いてくる。
「マシューくん。ちょっとだけ先生と話せるかな」
「あ、はい! じゃ、リアム、後で」
「おー」
「また明日、マシューくん!」
「また明日~」
 シーアとサーヤが声を掛ければ、マシューは控えめに手を振って去っていった。
 
 *
 
「マシューくん。君の家族のことなんだけれど」
「ああ……」
 マシューは遠い目をした。イズミ先生はひとつ頷いて、事情の説明を始めた。
「学校に対してさんざん連絡が来ているんだ。君を返してくれ、と。でもこの学校への入学は君が決めたことなんだろう」
「そう、ですね。……すみません、ご迷惑を」
「いやいや、大丈夫だよ。いくらでも頼って。……それで、こちらとしても僕たちができる限りの対応をしようと思うんだ」
 イズミ先生はひとつ息をつく。そして、真剣な眼差しでマシューを見た。
「君はどうしたいかな。なるべく、解決してやりたいんだ」
「……」
 マシューは少し黙って考えた。どうしたい。どう、したい?
「僕は、ウィンドグライダーが好きなんです。彼らと触れ合いたいから騎士になりたいと思いました」
「だから、……家族には、感謝しているけど、僕は、」
「……」
 そこで、マシューは言葉に詰まった。
「……うん。そうだよね」
 イズミ先生が言う。
「ありがとう、じゃあ、君がここに居られるように全力を尽くすよ」
「ありがとうございます」
「ただ、ね」
 イズミ先生は、その声に少しの心配を乗せてこう言った。
「ご家族の理解を得るためには、きっと僕一人じゃ足りないと思うんだ。君の力ももちろん必要だと思う」
「はい、もちろんです」
 マシューは頷く。イズミ先生はため息をついて、あんまり力になれなくてごめんね、と笑った。
 
 
 部屋に戻れば、リアムが本を読んで待っていた。
「起きてたの?」
「ん、や、気使われるのもだりいなって」
「あはは、そう」
「寝る?」
「うん、寝よっか」
 そうして、それぞれのベッドに潜り込んで、目を瞑る。
 家族のことを考えて、先生方の苦労のことを考えて、それから、自分がいますべきことを考える。
 考えれば考えるほど、よく分からなくなりそうだった。
 もう、さっさと寝てしまおう。布団を深く被り直して、マシューは目を瞑った。
畳む

文章,ふたつの翼、ひとつの空