#TrendSync 二話 7864文字 続きを読む 「昔、それこそ小学校までダンス習ってて。その頃、俺も、トレンドシンカーを目指してたんだ」 翼や桃音と出会う前の朱希の夢は、トレンドシンカーだった。色々あって、諦めてしまったそれを、憧れという感情を、翼のステージを見て、思い出した。 「俺、翼に、『好きなもんは好きだ、って、堂々としてた方がかっこいい』って言ったけど、どの口がって話だよな。それが、なんだか恥ずかしくなっちゃって」 そんな自分の言葉を、空気が重くならないよう軽く笑い飛ばしてから、朱希は言った。 「俺ももっかいトレンドシンカーを目指したい。歌って踊って、みんなに元気を与えるトレンドシンカーが好きだから!」 そこまで言って翼と桃音の反応を伺うと、多少なりとも驚いている様子だった。そんな二人を見て、朱希は急に急になんだか恥ずかしくなった。何かを訂正しようと開けた口が音を発する前に、翼がふ、と笑った。 「いいんじゃない?」 「……!」 「堂々としなよ。好きなものは好きだって堂々としてた方がかっこいい、んでしょ」 自分が発した言葉が返ってくる。ああ、そうだ。確かに自分はそう思っている。 「きっとなれるよ。朱希って普通にかっこいいし、なんでも器用にこなしちゃうんだもん、これは強力なライバルが増えちゃったな」 ね、と、翼は言葉を押した。言葉とは裏腹に心底嬉しそうで、朱希はなんだかむず痒かった。 「す、すごいね……!」 桃音も隣から声をかけてくる。 「朱希も、トレンドシンカーを目指すんだ……! 私、どっちを応援していいか分からなくなっちゃいそうだよ!」 そんなことを言う桃音の声は少し上擦っていて、朱希は思わず怪訝な顔になった。なんだか少し様子が変だ、と思った。 「さて、もう夜も遅いし、ひとまず帰ろう! ゆうちゃんも疲れてるだろうし、今日はゆっくり休まなくちゃでしょ?」 それについて追求しようと口を開けたところで、桃音にそう言われてしまって、朱希は思わず口を閉ざした。先に歩き始めてしまった桃音の表情は見えなくて、それが静かに不安を煽った。 * ずっと、朱希の言葉がぐるぐると回っている。もし彼も、彼までトレンドシンカーになってしまったら、私は一人になってしまうのではないかと、嫌な想像ばかりが桃音の頭に浮かんでいた。 あまりにも長いこと上の空だったせいで、母親にまで心配されてしまった。これでは良くないと、なんとか思考を逸らすため、時間を勉強に費やす。 翼のことは良いのだ。いつか置いていかれることの覚悟を、決めていたから。でも、朱希は違う。 なんとなく、ずっと一緒にいてくれると思っていた。 そうじゃないかもしれないことが怖くて、ペンが止まる。集中出来ないからとベッドに倒れ込むと、なんだかとても眠たくなった。 ああ、今日ももう寝てしまおう。明日には、いつも通りの朝が来るのだから。 * 「おはよう、翼」 「おはよう朱希。ももちゃんは?」 「LINE見てねえの? 風邪だってよ」 そう言われて慌ててLINEを見ると、数分前に連絡が来ていた。了解、のスタンプをぽんと押して、じゃあ行こうか、と鞄を持ち直した。 学校に行く道すがら、朱希がううん、と唸る。 「なあ、こないだから桃音、変じゃないか」 「……そう?」 翼はピンとこなくて首を傾げた。翼の前では隠してるもんな、と、眉をひそめたまま、朱希は続ける。 「……下手に抱え込んでないといいけどな」 ま、気のせいだって思っとくよ。朱希はそう言って笑って、いつも通り雑談を始めた。 朱希の様子から冗談を言っている訳では無いのだろうと察した翼は、桃音のことが心配になった。すぐに話すことができないことがもどかしくて、翼は朱希に声をかける。 「ねえ、じゃあ、今日は放課後お見舞いに行こうよ」 「でも翼、今日は手続きあるって言ってたろ」 「あ」 そうだった。 「……じゃあ、朱希だけで行ってきて。ちゃんと大丈夫だったか教えてね」 「それも問題じゃね? いくら桃音とはいえ俺だけで行くの意味分かんねえだろ」 「なんで?」 「なんでって……」 なんで、と言われると答えられなかった。翼は呆れたように肩を竦めてみせた。 「いいじゃん、気になるならボクがお願いしたんだってことにしたらいいよ」 「……分かったよ」 朱希は渋々、というようにそう頷いた。よろしい、と翼が頷いた頃には学校が見えていた。 心配なのはお互い一緒だろうに、素直じゃないヤツ。そんなふうに思いながら、校舎へと歩を進めた。 * 「とはいえさあ……」 男女の区別くらいは朱希にもあった。確かに桃音は距離が近いところがあるが、それはそれ、これはこれだ。 女性の家に恋人でもない男性が一人で入るのってどうなんだよ。そんなことを思いながらチャイムを鳴らす。はい、と桃音の母親のものであろう声がして、扉が開いた。 「お見舞いです。翼は用があって来れなかったんですけど」 「あら、朱希くん。お見舞いありがとう、良ければ上がっていって」 そう言って、桃音の母親は朱希をリビングに案内した。 「桃音は風邪って言ってたけど……、多分、そうじゃないと思うの」 紅茶を入れながら、母親は話した。お菓子どれがいい? あ、どれでも大丈夫です。じゃあクッキーにしましょう。そんな雑談も挟みつつ、朱希は口を開いた。 「仮病? って、ことすか? 珍しいですね」 「そうなの。よければ会ってやってくれないかしら」 そう言いながらクッキーと紅茶をトレーに乗せた。桃音が仮病を使うことは、本当に珍しいので、何かを勘ぐりそうになってしまう。例えば、――――自分に会いたくなかったんじゃないか、とか。 「このまま仮病を続けられても困るもの。一日くらいは休んでも良いけど、勉強についていけなくなったら困るじゃない」 それもそうだ。もしそうであるのなら、向き合うのは早い方がいいだろう。 「分かりました」 朱希は頷いてトレーを受け取った。よろしくね、と彼女の母親は微笑んで、朱希を見送った。 * 「桃音? 入るぞ」 声をかけても応答はなかった。代わりにバタバタバタ、と音がしたのでしばらく待つ。 「どうぞ!」 そうしていると、そのうちに上擦った声が聞こえた。そこでようやく、朱希は扉を開けた。 「仮病だって?」 「……朱希」 茶化すように笑いながら部屋に入れば、困った顔をした桃音が目に入る。と言うよりは、なにか、思い詰めているような。 「なんか嫌なことでもあったか」 「……」 桃音は押し黙った。 「俺が……トレンドシンカー目指すって言ったのが、嫌だった?」 「……!」 びくり、と身体が動く。やっぱりな、と思った。ため息をつくと、怯えたような目が朱希を見上げた。 「ち、違うの」 「何が違うって?」 再び沈黙。これでは埒が明かない、と朱希は踏み込むことにした。 「なんで嫌なの」 責めるような物言いになってしまっているな、と自分でも思った。でも嫌だった。翼のことはちゃんと応援するのに、俺のことは応援してくんねえのか、と、拗ねた気持ちがそこにある。 「……置いていかれるみたいで」 観念したように、ポツリ、と言葉を漏らした。ぽつり、ぽつり、言葉が漏れる。 「ゆうちゃんはいいの。私、いつ置いていかれてもいいって思ってる、覚悟を決めてるの」 「でも、朱希は……一緒に置いて行かれてくれるって思ってた、から」 朱希は黙って聞いていた。ショックの方が近かった。 「そんなふうに……」 思っていたのか、ずっと。 でも、言われてみれば、と考える。 翼も朱希も男だ。トレンドシンカーになる以上、女性である上に一般人である桃音がそばに居続けるのは、あまり宜しくないだろう。 「わ、私は……トレンドシンカーには、なれないから」 「それは、そんなことないと思うけど」 「なれないよ」 桃音は首を横に振る。 「……なんで断言できんだよ。まだやったことないだろ」 「……それは」 そう、だけど。桃音は視線を逸らした。 「桃音もやってみたらいいじゃん、なれないって言葉が出るってことは、ちょっとはなりたいんだろ」 帰ってきたのは沈黙だった。桃音は下を向いていて表情が見えない。ぐす、と鼻をすする音がした。 「えっ」 「朱希には、分からないよ」 視線を上げた桃音の頬は涙に濡れていて、やってしまった、と思った。 「……悪い、でも」 「私、完璧じゃないとダメなの」 ぽつり。その言葉を、朱希は黙って聞くことにした。 「完璧じゃないと怒られちゃうから」 それは、誰にだろうか。相槌だけを打った。 「トレンドシンカーって、そもそもが不安定じゃない。そりゃなれるものならなりたいよ……!」 ず、と鼻をすするので、その辺にあったティッシュを渡した。ありがとう、と桃音が受け取る。律儀なやつ、と思った。 「怒られたくない……、見捨てられるのは怖いの」 「……」 朱希は困りきって何も言えなかった。何も言えないなりに考えて、考えた上で言葉が出てこなかった。 桃音のことはそれなりに、知っているつもりでいた。知らなかったんだ、知らなかったから傷つけたんだ、というショックが朱希の頭でぐるぐるとしていた。 「……ごめん、俺」 「いいの」 桃音の言葉はキッパリとしていた。 「私が勝手に怯えてるだけなの、分かってる、分かってるの」 それでも、と言葉は続く。 「私は誰にも見捨てられたくない……」 朱希は少し悩んで言葉を探した。何も言えないなりに、何も知らないなりに、桃音を安心させたかった。 「……俺らは」 少なくとも、俺と翼は、 「完璧じゃないお前も好きだよ」 別に完璧になりたいなら止めないけど。翼も同じことを言うはずだ、と確信があった。 桃音の目が少し見開かれて、それから笑みの形を作った。 「変なの。二人ともお人好しだよね」 でも、ありがとう。涙を拭って朱希に目線を合わせる。 「ごめんね、困らせちゃった」 「別に、いいよ、そんなの」 そんなことで謝らないでくれ、までは言えなかった。分かっている、というように頷いた桃音は多分、分かってはいないのだろう。 「そろそろ帰った方がいいんじゃない? 色々忙しいだろうし」 「……そうだな」 朱希は桃音が心配だったが、それ以上何かを言えるとも思えなかった。 「なあ」 「うん?」 桃音が首を傾げる。朱希は少し躊躇ってから、それでも言葉にした。 「いつでも相談しろよ」 なんでもいいから。見捨てるつもりはないぞ、という意思表示のつもりで言ってから、朱希は言葉を待たずに部屋を出た。 「……なんなの?」 桃音は、びっくりして言葉が出ないうちに部屋を出ていかれてしまって、思わずそんな言葉が漏れた。 でも、少しだけ気が楽になったのは確かだった。明日はちゃんと学校に行くから、安心してね。と朱希に連絡を送れば、OKのスタンプだけが返ってきた。 * 次の日、桃音は宣言通り学校に登校した。 「おはようももちゃん。体調は大丈夫?」 「あ……、うん、平気! 心配かけてごめんね」 「いいって、そんなことで謝らないでよ」 なんだか気まずくて、朱希に視線を合わせることは出来なかった。それを翼に悟られないよう話題を作る。 「そういえば、ゆうちゃん、今日レゾナンスマイク受け取るんでしょ!?」 「うん! ちょうど昨日必要な手続きはだいたい終わったからね。今日受け取って、希望者はお披露目のライブが出来るんだって」 もちろん、ボクも希望者の一人! と、翼は心から嬉しそうに笑った。桃音はその笑顔を見てなんだか心苦しくなった。 「……」 「下手くそな、お前」 後ろから朱希が声をかけてくる。じと、とした視線が桃音に刺さって、翼も眉をひそめた。 「ももちゃん、やっぱりまだ体調が……」 「ご、ごめん! そうじゃないの、そうじゃなくて」 何かを言おうとして、悩んで、は、と気付く。 「が、学校が始まっちゃうから! また後で話させて!」 そう言って桃音は翼と朱希を置いて走り出した。翼は、朱希をじと、と睨んだ。 「やっぱなんかあったでしょ」 「いやあ、そりゃねえ……」 桃音はお前には隠したがると思ったんだよな、と言えば、翼は少し傷ついたような顔をした。 「……そっか」 「そうなんだよ。あいつお前のこと大好きだからなあ」 ボクからすれば。そうして本音を話されていたり、頼られていたりする朱希の方が余程、羨ましいけど、と思って、言わなかった。 不安を抱えながらも、学校は始まる。大人しく授業を付けることにした。 * 授業が終わり、放課後。鞄を引っ掴んで朱希と二人、桃音のクラスへと迎えば、困った顔をした桃音が帰り支度をしていた。 「……ももちゃん」 「ゆうちゃん……」 桃音が鞄を持つ。視線が合わない。何かを言おうとしているのに、何も言えないような。翼は少し悩んで、自分から切り出してみることにした。 「言いたくないなら言わなくてもいいよ」 「えっ」 あ、目が合った。桃音は、どうしていいか分からないような顔をしている。 「その変わり、言いたくなったら教えてね。ボク、ももちゃんの話なら聞きたいから」 桃音は、少し迷ってから、口を開いた。 「……あのね!」 口を開けて、閉じる。しばらく迷って、小さく言葉を落とした。 「私、ゆうちゃんにも朱希にも置いていかれたくないって思ってる……!」 翼の目が見開かれる。桃音は言葉に詰まりながらも、少しずつ、しっかりと話した。 「置いていかれたくないよ、捨てられるのは怖いことだもん……、でも、でも、私、何も出来ないから……!」 翼は、そんなことないでしょ、と言おうとして、やめた。ひとまず黙って聞くことが先決な気がした。 「わ、私、デザインだって、そんなに上手くないし、……歌もダンスも、完璧には、出来ないから」 言葉が止まる。しばらくの沈黙の後、翼が口を開いた。 「……だから、置いていかれるって、思ってる?」 「……うん」 そうか、そんなふうに思っていたんだ。翼は確かなショックを頭に抱えながら、少しずつ言葉を続ける。 「……ももちゃん。ステージの上で、歌もダンスも完璧じゃなきゃダメだと思ってるの?」 「……うん」 翼は桃音の手を取った。桃音の肩がびくりと震えたのに苦笑して、翼は続ける。 「でも、ももちゃんはボクに、もしなにか失敗したとしても、楽しいステージだったらいいんだって教えてくれたよね」 「それは……、ゆうちゃんのステージだから」 「同じだよ、ももちゃん」 桃音の視線が上がる。目線が合う。翼は微笑んだ。 「ももちゃんのステージも、みんなが楽しければいいんだよ」 桃音が戸惑ったように視線を逸らした。翼は桃音の手を離して、よし、と気合いを入れるように頬を叩いた。 「ももちゃん、朱希、今日のステージ、ちゃんと見てくれるよね?」 「おう」 「えっ、あ、……うん」 頷く。翼は桃音を真っ直ぐ見て、にい、と笑った。 「ちゃんと見ててね、ももちゃん。ももちゃんは絶対大丈夫なんだって、ボクが証明するから」 突拍子も無い言葉に、桃音はきょとんとしていたが、翼はその答えも聞かずに歩き出した。 朱希に促されて、桃音も歩き出す。翼の言葉の真意は、はかれなかった。 * ステージの裏。翼は、受け取ったばかりのレゾナンスマイクを握り締めて、一度、深呼吸した。 今日の衣装も、桃音のデザインしてくれたもの。オーディションの時とは違ってピンクを全面に出し、差し色に青を入れた、ヒラヒラのかわいい服。ふう、と息を整えてから、レゾナンスマイクを起動した。 「レゾナンスマイク!」 桃音が言ったのだ、「可愛い服は心の鎧だ」と。 「スタイルコードセット!」 だから、自分を信じて欲しいのだ。自分のことを、自分の思う可愛いものを、心の鎧を! 「――――心ときめくステージを目指して!」 ももちゃんの何かを変えられますように。 「オン・ステージ!」 * 曲が流れ出す。この曲は、オーディションの時と変わらない。手拍子を取りながら、光の中に躍り出る。 サイリウムの光、観客の期待に満ちた瞳、そのすべてがキラキラしていて眩しかった。その中に、――――桃音を見つけた。 * 「ゆうちゃん……」 桃音はなんだかとても不安だった。自分の考えた衣装を着て、翼がステージに立つ。あれだけ豪語しておいて、実感が追い付くと不安が勝った。 覚悟は決めたはずなのに。 「大丈夫だよ」 祈るような気持ちでステージを眺めていれば、朱希が隣であっさりと言った。なにがよ、と返せば、朱希は桃音を真っ直ぐ見て答えた。 「俺は翼を信じてるからさ」 そう言われてしまえば、桃音もそうするしかない。それでも不安は拭えずに、翼のステージが始まった。 光の中に現れた翼の、楽しそうな表情ときたら! 何回見たってなぜだか羨ましくて、まともに直視できなくなりそうで、その反面、とても綺麗だと思うのだ。桃音は、自分のこういうところが好きではなかった。そんなことを考えていたら、翼がこちらを見たような気がして、桃音は息を飲んだ。 ふわり。まさしく天使みたいに微笑んだ翼は、そのまま何事も無かったかのように歌い出す。 ひらりと衣装が揺れる。大きなリボンがふわりふわりと弛んで、誰よりも可愛いという言葉が似合う幼馴染に、この衣装をあてがったのは間違いじゃなかった、と桃音は少し安心した。 「あの衣装かわいいー!」 「リボン大きいのいいねえ」 ふと、そんな言葉が聞こえた。それでも自分がすごいとは思わなかった。 着こなしている翼がすごいのだ。誰よりも可愛くて、誰よりもかっこいい、私の幼馴染。 伸ばした指が、ひらめくフリルが、弾んだ声が、桃音を魅了する。ああ、これは私が好きなステージだ。――――私は、ゆうちゃんのステージが、好きだ。 翼が手拍子を誘導する。ぱち、ぱち、観客がリズムに乗って、星のノーツが現れる。 気付けば夢中になってそれを叩いていた。翼の、レゾナンスマイクを手に入れた初ステージだ。楽しまなければ、翼に失礼だ。 ステラ・ノーツが発動する間際―――― 翼と目が合った気がした。 ステラ・ノーツが発動した瞬間、光の中に滲み出すように――――溢れたのは、たくさんの衣装。あれは、桃音がデザインしたものたちだ。翼は、たくさんの衣装の中から、ひとつの衣装を手に取った。それは、今着ているのとは違う、――――初めて、桃音がデザインしたもの。 なんで。 なんでそんなもの、 美しい光の中で、翼はその衣装を抱きしめて―――― * 翼のステージは圧倒的だった。翼は、誰よりもステージを楽しみ、誰よりも美しい光を放って、ステージをおりた。 桃音は、しばらく呆然として動けなかった。それを分かっているのかいないのか、朱希も何も言わなかった。 完璧でなければダメだと思っていた。でも、幼馴染である彼らは、きっと、桃音が完璧じゃなくても許してくれていた。今までも、ずっと。 簡単なことだ。簡単なことだったから、すっかり忘れていた。いいのだ、完璧じゃなくても。 「私も、トレンドシンカーになれるかなあ……」 ぽつり、と漏れた言葉。本心だった。あの光に焦がれている。あの光の中心に、立ってみたかった。 朱希は、仕方ないなと言うように笑った。 「桃音次第だろ、それは」 * その後、結局翼とは会えなかった。感想は上手く言葉にならなかったから、それで良かったかもしれない。 帰ってきてからしばらく悩んで、ようやく桃音は決意した。LINEを開いて、翼と朱希のグループラインをタップする。 「私もトレンドシンカーになりたい。練習、付き合ってくれない?」 すぐに既読が着いた。OK、のスタンプが二人から送られてくる。翼からは、嬉しい、のスタンプも送られてきた。 ――――お母さんに、なんて説明したらいいかな。 母は桃音に完璧を求める。トレンドシンカーという職は、そう簡単に認められるものではないだろう。 しばらくは何も言わなくてもいいか。 天井を見上げ、桃音はそう思った。そのまま目を閉じた。心は比較的穏やかだった。 畳む 2026.7.6(Mon) 01:27:53 文章,TrendSync!
7864文字
「昔、それこそ小学校までダンス習ってて。その頃、俺も、トレンドシンカーを目指してたんだ」
翼や桃音と出会う前の朱希の夢は、トレンドシンカーだった。色々あって、諦めてしまったそれを、憧れという感情を、翼のステージを見て、思い出した。
「俺、翼に、『好きなもんは好きだ、って、堂々としてた方がかっこいい』って言ったけど、どの口がって話だよな。それが、なんだか恥ずかしくなっちゃって」
そんな自分の言葉を、空気が重くならないよう軽く笑い飛ばしてから、朱希は言った。
「俺ももっかいトレンドシンカーを目指したい。歌って踊って、みんなに元気を与えるトレンドシンカーが好きだから!」
そこまで言って翼と桃音の反応を伺うと、多少なりとも驚いている様子だった。そんな二人を見て、朱希は急に急になんだか恥ずかしくなった。何かを訂正しようと開けた口が音を発する前に、翼がふ、と笑った。
「いいんじゃない?」
「……!」
「堂々としなよ。好きなものは好きだって堂々としてた方がかっこいい、んでしょ」
自分が発した言葉が返ってくる。ああ、そうだ。確かに自分はそう思っている。
「きっとなれるよ。朱希って普通にかっこいいし、なんでも器用にこなしちゃうんだもん、これは強力なライバルが増えちゃったな」
ね、と、翼は言葉を押した。言葉とは裏腹に心底嬉しそうで、朱希はなんだかむず痒かった。
「す、すごいね……!」
桃音も隣から声をかけてくる。
「朱希も、トレンドシンカーを目指すんだ……! 私、どっちを応援していいか分からなくなっちゃいそうだよ!」
そんなことを言う桃音の声は少し上擦っていて、朱希は思わず怪訝な顔になった。なんだか少し様子が変だ、と思った。
「さて、もう夜も遅いし、ひとまず帰ろう! ゆうちゃんも疲れてるだろうし、今日はゆっくり休まなくちゃでしょ?」
それについて追求しようと口を開けたところで、桃音にそう言われてしまって、朱希は思わず口を閉ざした。先に歩き始めてしまった桃音の表情は見えなくて、それが静かに不安を煽った。
*
ずっと、朱希の言葉がぐるぐると回っている。もし彼も、彼までトレンドシンカーになってしまったら、私は一人になってしまうのではないかと、嫌な想像ばかりが桃音の頭に浮かんでいた。
あまりにも長いこと上の空だったせいで、母親にまで心配されてしまった。これでは良くないと、なんとか思考を逸らすため、時間を勉強に費やす。
翼のことは良いのだ。いつか置いていかれることの覚悟を、決めていたから。でも、朱希は違う。
なんとなく、ずっと一緒にいてくれると思っていた。
そうじゃないかもしれないことが怖くて、ペンが止まる。集中出来ないからとベッドに倒れ込むと、なんだかとても眠たくなった。
ああ、今日ももう寝てしまおう。明日には、いつも通りの朝が来るのだから。
*
「おはよう、翼」
「おはよう朱希。ももちゃんは?」
「LINE見てねえの? 風邪だってよ」
そう言われて慌ててLINEを見ると、数分前に連絡が来ていた。了解、のスタンプをぽんと押して、じゃあ行こうか、と鞄を持ち直した。
学校に行く道すがら、朱希がううん、と唸る。
「なあ、こないだから桃音、変じゃないか」
「……そう?」
翼はピンとこなくて首を傾げた。翼の前では隠してるもんな、と、眉をひそめたまま、朱希は続ける。
「……下手に抱え込んでないといいけどな」
ま、気のせいだって思っとくよ。朱希はそう言って笑って、いつも通り雑談を始めた。
朱希の様子から冗談を言っている訳では無いのだろうと察した翼は、桃音のことが心配になった。すぐに話すことができないことがもどかしくて、翼は朱希に声をかける。
「ねえ、じゃあ、今日は放課後お見舞いに行こうよ」
「でも翼、今日は手続きあるって言ってたろ」
「あ」
そうだった。
「……じゃあ、朱希だけで行ってきて。ちゃんと大丈夫だったか教えてね」
「それも問題じゃね? いくら桃音とはいえ俺だけで行くの意味分かんねえだろ」
「なんで?」
「なんでって……」
なんで、と言われると答えられなかった。翼は呆れたように肩を竦めてみせた。
「いいじゃん、気になるならボクがお願いしたんだってことにしたらいいよ」
「……分かったよ」
朱希は渋々、というようにそう頷いた。よろしい、と翼が頷いた頃には学校が見えていた。
心配なのはお互い一緒だろうに、素直じゃないヤツ。そんなふうに思いながら、校舎へと歩を進めた。
*
「とはいえさあ……」
男女の区別くらいは朱希にもあった。確かに桃音は距離が近いところがあるが、それはそれ、これはこれだ。
女性の家に恋人でもない男性が一人で入るのってどうなんだよ。そんなことを思いながらチャイムを鳴らす。はい、と桃音の母親のものであろう声がして、扉が開いた。
「お見舞いです。翼は用があって来れなかったんですけど」
「あら、朱希くん。お見舞いありがとう、良ければ上がっていって」
そう言って、桃音の母親は朱希をリビングに案内した。
「桃音は風邪って言ってたけど……、多分、そうじゃないと思うの」
紅茶を入れながら、母親は話した。お菓子どれがいい? あ、どれでも大丈夫です。じゃあクッキーにしましょう。そんな雑談も挟みつつ、朱希は口を開いた。
「仮病? って、ことすか? 珍しいですね」
「そうなの。よければ会ってやってくれないかしら」
そう言いながらクッキーと紅茶をトレーに乗せた。桃音が仮病を使うことは、本当に珍しいので、何かを勘ぐりそうになってしまう。例えば、――――自分に会いたくなかったんじゃないか、とか。
「このまま仮病を続けられても困るもの。一日くらいは休んでも良いけど、勉強についていけなくなったら困るじゃない」
それもそうだ。もしそうであるのなら、向き合うのは早い方がいいだろう。
「分かりました」
朱希は頷いてトレーを受け取った。よろしくね、と彼女の母親は微笑んで、朱希を見送った。
*
「桃音? 入るぞ」
声をかけても応答はなかった。代わりにバタバタバタ、と音がしたのでしばらく待つ。
「どうぞ!」
そうしていると、そのうちに上擦った声が聞こえた。そこでようやく、朱希は扉を開けた。
「仮病だって?」
「……朱希」
茶化すように笑いながら部屋に入れば、困った顔をした桃音が目に入る。と言うよりは、なにか、思い詰めているような。
「なんか嫌なことでもあったか」
「……」
桃音は押し黙った。
「俺が……トレンドシンカー目指すって言ったのが、嫌だった?」
「……!」
びくり、と身体が動く。やっぱりな、と思った。ため息をつくと、怯えたような目が朱希を見上げた。
「ち、違うの」
「何が違うって?」
再び沈黙。これでは埒が明かない、と朱希は踏み込むことにした。
「なんで嫌なの」
責めるような物言いになってしまっているな、と自分でも思った。でも嫌だった。翼のことはちゃんと応援するのに、俺のことは応援してくんねえのか、と、拗ねた気持ちがそこにある。
「……置いていかれるみたいで」
観念したように、ポツリ、と言葉を漏らした。ぽつり、ぽつり、言葉が漏れる。
「ゆうちゃんはいいの。私、いつ置いていかれてもいいって思ってる、覚悟を決めてるの」
「でも、朱希は……一緒に置いて行かれてくれるって思ってた、から」
朱希は黙って聞いていた。ショックの方が近かった。
「そんなふうに……」
思っていたのか、ずっと。
でも、言われてみれば、と考える。
翼も朱希も男だ。トレンドシンカーになる以上、女性である上に一般人である桃音がそばに居続けるのは、あまり宜しくないだろう。
「わ、私は……トレンドシンカーには、なれないから」
「それは、そんなことないと思うけど」
「なれないよ」
桃音は首を横に振る。
「……なんで断言できんだよ。まだやったことないだろ」
「……それは」
そう、だけど。桃音は視線を逸らした。
「桃音もやってみたらいいじゃん、なれないって言葉が出るってことは、ちょっとはなりたいんだろ」
帰ってきたのは沈黙だった。桃音は下を向いていて表情が見えない。ぐす、と鼻をすする音がした。
「えっ」
「朱希には、分からないよ」
視線を上げた桃音の頬は涙に濡れていて、やってしまった、と思った。
「……悪い、でも」
「私、完璧じゃないとダメなの」
ぽつり。その言葉を、朱希は黙って聞くことにした。
「完璧じゃないと怒られちゃうから」
それは、誰にだろうか。相槌だけを打った。
「トレンドシンカーって、そもそもが不安定じゃない。そりゃなれるものならなりたいよ……!」
ず、と鼻をすするので、その辺にあったティッシュを渡した。ありがとう、と桃音が受け取る。律儀なやつ、と思った。
「怒られたくない……、見捨てられるのは怖いの」
「……」
朱希は困りきって何も言えなかった。何も言えないなりに考えて、考えた上で言葉が出てこなかった。
桃音のことはそれなりに、知っているつもりでいた。知らなかったんだ、知らなかったから傷つけたんだ、というショックが朱希の頭でぐるぐるとしていた。
「……ごめん、俺」
「いいの」
桃音の言葉はキッパリとしていた。
「私が勝手に怯えてるだけなの、分かってる、分かってるの」
それでも、と言葉は続く。
「私は誰にも見捨てられたくない……」
朱希は少し悩んで言葉を探した。何も言えないなりに、何も知らないなりに、桃音を安心させたかった。
「……俺らは」
少なくとも、俺と翼は、
「完璧じゃないお前も好きだよ」
別に完璧になりたいなら止めないけど。翼も同じことを言うはずだ、と確信があった。
桃音の目が少し見開かれて、それから笑みの形を作った。
「変なの。二人ともお人好しだよね」
でも、ありがとう。涙を拭って朱希に目線を合わせる。
「ごめんね、困らせちゃった」
「別に、いいよ、そんなの」
そんなことで謝らないでくれ、までは言えなかった。分かっている、というように頷いた桃音は多分、分かってはいないのだろう。
「そろそろ帰った方がいいんじゃない? 色々忙しいだろうし」
「……そうだな」
朱希は桃音が心配だったが、それ以上何かを言えるとも思えなかった。
「なあ」
「うん?」
桃音が首を傾げる。朱希は少し躊躇ってから、それでも言葉にした。
「いつでも相談しろよ」
なんでもいいから。見捨てるつもりはないぞ、という意思表示のつもりで言ってから、朱希は言葉を待たずに部屋を出た。
「……なんなの?」
桃音は、びっくりして言葉が出ないうちに部屋を出ていかれてしまって、思わずそんな言葉が漏れた。
でも、少しだけ気が楽になったのは確かだった。明日はちゃんと学校に行くから、安心してね。と朱希に連絡を送れば、OKのスタンプだけが返ってきた。
*
次の日、桃音は宣言通り学校に登校した。
「おはようももちゃん。体調は大丈夫?」
「あ……、うん、平気! 心配かけてごめんね」
「いいって、そんなことで謝らないでよ」
なんだか気まずくて、朱希に視線を合わせることは出来なかった。それを翼に悟られないよう話題を作る。
「そういえば、ゆうちゃん、今日レゾナンスマイク受け取るんでしょ!?」
「うん! ちょうど昨日必要な手続きはだいたい終わったからね。今日受け取って、希望者はお披露目のライブが出来るんだって」
もちろん、ボクも希望者の一人! と、翼は心から嬉しそうに笑った。桃音はその笑顔を見てなんだか心苦しくなった。
「……」
「下手くそな、お前」
後ろから朱希が声をかけてくる。じと、とした視線が桃音に刺さって、翼も眉をひそめた。
「ももちゃん、やっぱりまだ体調が……」
「ご、ごめん! そうじゃないの、そうじゃなくて」
何かを言おうとして、悩んで、は、と気付く。
「が、学校が始まっちゃうから! また後で話させて!」
そう言って桃音は翼と朱希を置いて走り出した。翼は、朱希をじと、と睨んだ。
「やっぱなんかあったでしょ」
「いやあ、そりゃねえ……」
桃音はお前には隠したがると思ったんだよな、と言えば、翼は少し傷ついたような顔をした。
「……そっか」
「そうなんだよ。あいつお前のこと大好きだからなあ」
ボクからすれば。そうして本音を話されていたり、頼られていたりする朱希の方が余程、羨ましいけど、と思って、言わなかった。
不安を抱えながらも、学校は始まる。大人しく授業を付けることにした。
*
授業が終わり、放課後。鞄を引っ掴んで朱希と二人、桃音のクラスへと迎えば、困った顔をした桃音が帰り支度をしていた。
「……ももちゃん」
「ゆうちゃん……」
桃音が鞄を持つ。視線が合わない。何かを言おうとしているのに、何も言えないような。翼は少し悩んで、自分から切り出してみることにした。
「言いたくないなら言わなくてもいいよ」
「えっ」
あ、目が合った。桃音は、どうしていいか分からないような顔をしている。
「その変わり、言いたくなったら教えてね。ボク、ももちゃんの話なら聞きたいから」
桃音は、少し迷ってから、口を開いた。
「……あのね!」
口を開けて、閉じる。しばらく迷って、小さく言葉を落とした。
「私、ゆうちゃんにも朱希にも置いていかれたくないって思ってる……!」
翼の目が見開かれる。桃音は言葉に詰まりながらも、少しずつ、しっかりと話した。
「置いていかれたくないよ、捨てられるのは怖いことだもん……、でも、でも、私、何も出来ないから……!」
翼は、そんなことないでしょ、と言おうとして、やめた。ひとまず黙って聞くことが先決な気がした。
「わ、私、デザインだって、そんなに上手くないし、……歌もダンスも、完璧には、出来ないから」
言葉が止まる。しばらくの沈黙の後、翼が口を開いた。
「……だから、置いていかれるって、思ってる?」
「……うん」
そうか、そんなふうに思っていたんだ。翼は確かなショックを頭に抱えながら、少しずつ言葉を続ける。
「……ももちゃん。ステージの上で、歌もダンスも完璧じゃなきゃダメだと思ってるの?」
「……うん」
翼は桃音の手を取った。桃音の肩がびくりと震えたのに苦笑して、翼は続ける。
「でも、ももちゃんはボクに、もしなにか失敗したとしても、楽しいステージだったらいいんだって教えてくれたよね」
「それは……、ゆうちゃんのステージだから」
「同じだよ、ももちゃん」
桃音の視線が上がる。目線が合う。翼は微笑んだ。
「ももちゃんのステージも、みんなが楽しければいいんだよ」
桃音が戸惑ったように視線を逸らした。翼は桃音の手を離して、よし、と気合いを入れるように頬を叩いた。
「ももちゃん、朱希、今日のステージ、ちゃんと見てくれるよね?」
「おう」
「えっ、あ、……うん」
頷く。翼は桃音を真っ直ぐ見て、にい、と笑った。
「ちゃんと見ててね、ももちゃん。ももちゃんは絶対大丈夫なんだって、ボクが証明するから」
突拍子も無い言葉に、桃音はきょとんとしていたが、翼はその答えも聞かずに歩き出した。
朱希に促されて、桃音も歩き出す。翼の言葉の真意は、はかれなかった。
*
ステージの裏。翼は、受け取ったばかりのレゾナンスマイクを握り締めて、一度、深呼吸した。
今日の衣装も、桃音のデザインしてくれたもの。オーディションの時とは違ってピンクを全面に出し、差し色に青を入れた、ヒラヒラのかわいい服。ふう、と息を整えてから、レゾナンスマイクを起動した。
「レゾナンスマイク!」
桃音が言ったのだ、「可愛い服は心の鎧だ」と。
「スタイルコードセット!」
だから、自分を信じて欲しいのだ。自分のことを、自分の思う可愛いものを、心の鎧を!
「――――心ときめくステージを目指して!」
ももちゃんの何かを変えられますように。
「オン・ステージ!」
*
曲が流れ出す。この曲は、オーディションの時と変わらない。手拍子を取りながら、光の中に躍り出る。
サイリウムの光、観客の期待に満ちた瞳、そのすべてがキラキラしていて眩しかった。その中に、――――桃音を見つけた。
*
「ゆうちゃん……」
桃音はなんだかとても不安だった。自分の考えた衣装を着て、翼がステージに立つ。あれだけ豪語しておいて、実感が追い付くと不安が勝った。
覚悟は決めたはずなのに。
「大丈夫だよ」
祈るような気持ちでステージを眺めていれば、朱希が隣であっさりと言った。なにがよ、と返せば、朱希は桃音を真っ直ぐ見て答えた。
「俺は翼を信じてるからさ」
そう言われてしまえば、桃音もそうするしかない。それでも不安は拭えずに、翼のステージが始まった。
光の中に現れた翼の、楽しそうな表情ときたら! 何回見たってなぜだか羨ましくて、まともに直視できなくなりそうで、その反面、とても綺麗だと思うのだ。桃音は、自分のこういうところが好きではなかった。そんなことを考えていたら、翼がこちらを見たような気がして、桃音は息を飲んだ。
ふわり。まさしく天使みたいに微笑んだ翼は、そのまま何事も無かったかのように歌い出す。
ひらりと衣装が揺れる。大きなリボンがふわりふわりと弛んで、誰よりも可愛いという言葉が似合う幼馴染に、この衣装をあてがったのは間違いじゃなかった、と桃音は少し安心した。
「あの衣装かわいいー!」
「リボン大きいのいいねえ」
ふと、そんな言葉が聞こえた。それでも自分がすごいとは思わなかった。
着こなしている翼がすごいのだ。誰よりも可愛くて、誰よりもかっこいい、私の幼馴染。
伸ばした指が、ひらめくフリルが、弾んだ声が、桃音を魅了する。ああ、これは私が好きなステージだ。――――私は、ゆうちゃんのステージが、好きだ。
翼が手拍子を誘導する。ぱち、ぱち、観客がリズムに乗って、星のノーツが現れる。
気付けば夢中になってそれを叩いていた。翼の、レゾナンスマイクを手に入れた初ステージだ。楽しまなければ、翼に失礼だ。
ステラ・ノーツが発動する間際――――
翼と目が合った気がした。
ステラ・ノーツが発動した瞬間、光の中に滲み出すように――――溢れたのは、たくさんの衣装。あれは、桃音がデザインしたものたちだ。翼は、たくさんの衣装の中から、ひとつの衣装を手に取った。それは、今着ているのとは違う、――――初めて、桃音がデザインしたもの。
なんで。
なんでそんなもの、
美しい光の中で、翼はその衣装を抱きしめて――――
*
翼のステージは圧倒的だった。翼は、誰よりもステージを楽しみ、誰よりも美しい光を放って、ステージをおりた。
桃音は、しばらく呆然として動けなかった。それを分かっているのかいないのか、朱希も何も言わなかった。
完璧でなければダメだと思っていた。でも、幼馴染である彼らは、きっと、桃音が完璧じゃなくても許してくれていた。今までも、ずっと。
簡単なことだ。簡単なことだったから、すっかり忘れていた。いいのだ、完璧じゃなくても。
「私も、トレンドシンカーになれるかなあ……」
ぽつり、と漏れた言葉。本心だった。あの光に焦がれている。あの光の中心に、立ってみたかった。
朱希は、仕方ないなと言うように笑った。
「桃音次第だろ、それは」
*
その後、結局翼とは会えなかった。感想は上手く言葉にならなかったから、それで良かったかもしれない。
帰ってきてからしばらく悩んで、ようやく桃音は決意した。LINEを開いて、翼と朱希のグループラインをタップする。
「私もトレンドシンカーになりたい。練習、付き合ってくれない?」
すぐに既読が着いた。OK、のスタンプが二人から送られてくる。翼からは、嬉しい、のスタンプも送られてきた。
――――お母さんに、なんて説明したらいいかな。
母は桃音に完璧を求める。トレンドシンカーという職は、そう簡単に認められるものではないだろう。
しばらくは何も言わなくてもいいか。
天井を見上げ、桃音はそう思った。そのまま目を閉じた。心は比較的穏やかだった。
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