No.434

#TrendSync 一話
7136文字

 ――――お姉ちゃん。
 幼い声がした。今よりはるかに低い視点、姉と手をつないで帰る途中。翼は姉に声を掛けた。
 ――――なあに、翼。
 翼の声に応えるように微笑みを返し振り返る姉の顔はぼやけている。よく見えない、よく思い出せないけれど、姉のことだから、きっと笑顔だった。
 ――――いつか一緒に、あのステージに立とうね。
 TrendSync Perform。歌とダンスとファッションを組み合わせた、この世界における最も重要な未来を紡ぐ手段であり、競技のこと。姉は、その世界でも頂点である『トップシンカー』を目指していた。小さな間の後、姉は息を大きく吸った。
 ――――もちろん!
 嬉しそうな声だったと、思う。もう思い出せない。ああ、これは過去の夢だ、だって、姉は、今――――……

「……ばさ、翼! 起きなさい!」
 は、と目を覚ます。目の前には呆れた顔をした母親が立っている。頭が回らない。なんだか怒っているようだった。ぼんやりした翼を前に、母は、す、と時計を掲げてみせた。時間は遅刻ギリギリを示している。
「えっ、うわあ!」
「もう桃音ちゃんたちには先に行ってもらったからね。アンタも早く支度なさい」
 ご飯はできてるから早く降りてくるのよと母は部屋を出て行った。翼も、慌ててベッドから出て支度をする。顔を洗って歯を磨き、雑に髪を整え制服に着替える。
 先日買ったばかりのかわいいヘアピンを今日こそつけていくか悩んで断念する。顔が幼い方とはいえ、男である自分がこれをつけるという違和感がどうしても拭えなかった。
 ふと、さっきまで見ていた夢を思い出して、そっと姉の部屋の扉を開けた。
 静かだった。部屋に翼が入ってきて尚、視線は窓の外を向いている。
「お姉ちゃん、おはよう」
 声を掛けても反応はなかった。普段だったらもう少し、一方的にでもおしゃべりをしてから行くのだが、今日はそうも言ってられない。行ってきます、とだけ声を掛けて、ご飯を済ませるべく階段を下りた。

   *

「お、遅かったな、寝坊助さん」
 教室に入れば、クラスメイト兼幼馴染の正城朱希が真っ先にこちらに気付いた。よう、と手を振ってくる彼の隣で、同じく幼馴染の結城桃音がぱあっと顔を明るくした。
「おはよう、ゆうちゃん!」
 夕空翼の夕をとってゆうちゃん。その呼び方は幼稚園の頃から変わっておらず、いつも通りの教室内になんだか少し気が解けていくような気がした。
「おはよう。まさか遅刻するなんて思わなかったよ~……」
「なんだか珍しいよね、遅刻するの」
 ちょっと心配したんだよ、と言う桃音の横で、朱希が意地悪気にこう言った。
「とか言って、授業中居眠りしがちじゃん。ちゃんと夜に眠らないと駄目だぜ」
「う……」
 何も言い返せなかった。言葉に詰まった翼を見て、桃音は首を傾げた。
「夜、あんまり眠れてないの?」
「う~ん……」
 眠れている、と言えば嘘になる。最近は、自分がステージに上がるための衣装デザインに苦戦しっぱなしで、夜更かしをしがちだった。そのせいで、授業もおろそかになっている、自覚がある。
「良くないってわかってるんだけどね」
「自分でデザインもやらなきゃなんねえのか。そりゃ大変だな」
 翼の描いたデザイン画を見て朱希が唸る。そのまま、無理、専門外、と言いながら桃音にスライドした。桃音が言う。
「ゆうちゃん、トップシンカーになりたいんだもんね……」
 まじまじとデザインを見ながら桃音も困った顔をした。それから少し悩んで、意を決したようによし、と気合を入れる。
「えっとね、ゆうちゃんさえ良ければなんだけど」
 そう言いながらごそごそとカバンを漁る。カバンから出てきたのは一つの携帯端末だった。
「それは?」
「トレンドフォージ! これで衣装をデザインして、スタイルコード――――ええと、カードに印刷するの」
 こうやって、と、桃音は一つのデータを選択して印刷する。朱希は興味深げにそれを眺めていた。
「へえ、桃音もそういうの持ってたのか」
「ボクでさえ自分のは持ってないのに……」
 えへへ、と照れたように笑った桃音は、印刷したカードで口元を隠してこう言った。
「ゆうちゃんの役に立ちたくて。あのね、ゆうちゃん」
 桃音はそのまま、そのカードを翼に差し出す。翼は、どこからどう見ても女の子のための服が印刷されたそれと、桃音の顔を見比べた。
「私のデザインを着て、オーディションのステージに立ってみてくれないかな!?」
「……え、」
 再びスタイルコードに視線をやる。女の子の服だ。桃音の顔を見る。冗談を言っているようには見えなかった。
「あー、いいんじゃね? 似合うだろ」
 朱希の他人事みたいな声がその後ろから響く。キーンコーンカーンコーン……と、そのタイミングでチャイムが鳴った。いけない、と桃音はスタイルコードを翼に押し付けた。
「考えておいて!」
「え、ちょっ」
 桃音がバタバタと自分の教室に戻って行く。一人取り残されっぱなしの翼は、それを引き留めることも、朱希に助けを求めることも出来ずに、先生が入ってきて、授業が始まった。
 
   *
 
 トレンドシンカーになるには、レゾナンスマイクを手に入れる必要がある。レゾナンスマイクは、オーディションに参加することで手に入れられる、トレンドシンカーの証明だ。翼は、そのオーディションに、二回落ちている。
 桃音の考えた衣装を着て、オーディションのステージに立つ。何度スタイルコードを確認してもそこに描かれているのはかわいいふわふわのスカートと大きなリボンで、翼は小さくため息をついた。
 かわいいものは好きだ。でも、身に纏いたいと思うかと言われたら、分からない。だって、男がこんな服を着るのは、変だ。ううん、と声が漏れる。
「何悩んでんの。授業ちゃんと聞いてたか?」
 スタイルコードを眺めてぼうとしていると、後ろから朱希が声を掛けてきた。開いている椅子をがたがたと引きずって隣に座る。翼は、少し悩んでから言葉を口にした。
「いや、ボクは男なのになあって……。授業は、あとでももちゃんに教えてもらうよ」
「贅沢な奴。んで、服だっけ、でもお前、可愛いの好きだろ」
「好きだけどさ……」
 間髪入れずに入った言葉に尻込みする。朱希は、しばらく黙ってから、改めて口を開いた。
「俺は好きな物を好きだ! って堂々としてた方がかっこいいと思うぜ」
「……わかってるけど」
「それに、今更じゃね?」
 じ、とこちらを見据える朱希はいたって真面目な顔をしていてなんだか居心地が悪い。
「今更?」
「トップシンカーになりたいなんて、笑われても仕方ないだろ」
 それでもなるんだろ、翼は。そう言われてみて、考える。確かに、同じことかもしれない。トレンドシンカーになることは比較的簡単だが、トップシンカーとなると唯一だ。夢物語と笑われてもおかしくないだろう。
「利用できるもん利用したらいいんじゃねえの。俺はその辺、よく分かんねえけど」
「朱希ってこういうの興味ないもんね」
「裏方の方が性にあってんだよな。曲作るだけ~とかさ」
 確かに、それで良いのかもしれない。可愛いものが好きだから、可愛い服を着る。そう言葉にすると、ごく単純な話のように思えた。
「ゆうちゃん、朱希、帰ろ~!」
 がたがた、と扉が開かれ桃音が現れる。おう、と返事をして朱希も荷物をまとめ始めた。桃音が近づいてくる。
「何話してたの?」
「えーと……」
 桃音はちら、とスタイルコードに目をやった。翼は、少し悩んで、思い切って聞いてみることにした。
「ももちゃんは、どうしてボクにこの衣装が似合うと思ったの?」
「えっ、そうだなあ……」
 桃音は少し悩んだ。言葉を選んでいるようだったので、大人しく待つことにした。
「……、ゆうちゃんが、喜んでくれたらいいな、が一番だったの。もちろん、かっこいいのが似合わないと思ってるわけじゃなくて……。ゆうちゃんなら、こっちの方が喜んでくれるかなって」
 違った? と小さく首を傾げて見せる桃音は翼のなりたい女の子の形をしていて、なんだか複雑だった。言葉が足りなかったのを察した桃音が、慌てて言葉を付け足す。
「ゆうちゃんに似合うと思ったからデザインしたんだよ! ゆうちゃんは世界一可愛いもの。私を信じて」
 ね、と念を押す。翼は困ってしまって、スタイルコードに視線をやった。
「……えっと、まずね。嬉しいのは本当なんだ。ももちゃんがボクのためにデザインを持ってきてくれるなんて思ってなかったから……。でも、戸惑いと不安が強くて。だって、これを着て、ボクが失敗したら……」
「翼」
 そんな言葉を、後ろから朱希が止めた。押し黙った翼に、桃音は少し考えてから言葉を発した。
「大丈夫よ、ゆうちゃん。私を信じて。ダメでもいいの、ゆうちゃんが心ときめくかどうかが一番大事なの」
「心ときめく……」
「そう。私、ゆうちゃんのステージが好き! 楽しく歌って踊ってるゆうちゃんが好き。見てると楽しくなって、嬉しくなって、がんばれーって、いっぱい応援したくなるの。ゆうちゃんなら、もしなにか失敗したとしても楽しいステージにできるって、信じてるから」
 桃音はふわりと笑みを浮かべた。花のような笑みだった。
「だから、大丈夫。大丈夫よ、ゆうちゃん。それにほら、可愛い服は心の鎧だもの」
「……ももちゃん」
「俺もそう思うぜ」
 桃音の言葉に、朱希も頷いた。
「一回やってみりゃいいじゃん。今までダメだったのが嘘みたいに楽しいかもしれないぜ」
 かわいい感じの曲を作り直さなきゃな、と朱希は笑った。確かに、と桃音は頷く。翼は、少しだけ自分を――――ひいては、自分を信じてくれている二人を、信じてみることにした。
「……二人とも、ありがとう」
 スタイルコードを掲げて、翼は宣言した。
「ボク、やってみる。最高に可愛いトップシンカーになってみせるよ!」
 朱希と桃音は、目線を合わせて頷いた。ただ、その信頼が嬉しかった。
 
   *
 
 朱希が爆速で曲を作り、なんとか振り付けを完成させた頃にはオーディションが数週間後に迫っていた。
 TrendSync Performのオーディションは一大イベントだ。未来のスターがここから生まれるかもしれない、と、大きなホールで未来のファンたちの視線の元、行われる。
 オーディションでは、一次審査で書類を見、二次審査で課題曲をやり、最後にステージに立つ。観客のときめきがそのまま得点となり、それが1000を越せばレゾナンスマイクを手に入れられる。
 だから、出来うる限り完璧に仕上げなければならない。翼は、小さくて華奢とはいえ男だ。女性らしい立ち振る舞いを習得するのにそこそこの時間がかかった。
 朱希がダンスを見てくれたり、桃音が歌の練習を手伝ってくれたり。
 最大限使えるものを使い、利用出来るものを利用し、そうして目まぐるしく時は過ぎ――――

 ――――気付けば最終審査の当日だった。
「頑張ってね、ゆうちゃん……!」
「ここまで残ったの初めてじゃね? すげえな」
 変わらず応援してくれる桃音と朱希がそんなふうに見送ってくれる。翼は頷いて、親指を立てて二人に突き出した。
「ちゃんと寝たし、体調も万全! それに、ボクには二人がついてる。必ずレゾナンスマイクを手に入れて、トレンドシンカーになってみせるよ!」
 だから、見てて。そう言って笑ってみせれば、笑顔が硬かったのか、桃音は仕方ないなと言うように笑って、翼の頬に指を当て、ぐいと上にあげた。
「でも緊張してる? 大丈夫、ゆうちゃん。今まで頑張ってきたもん、今まで通り、歌って踊るだけ、だよ」
 そのままぐにぐにと顔をもみくちゃにされる。なんだかそれがおかしくて、思わず自然に笑みがこぼれた。
「うんうん、ゆうちゃんは自然体で笑ってるのがいちばんかわいいんだから」
「……緊張するなは無理な話かもしんねえけど、ま、信じろよ。積み上げてきた経験をさ」
「そうそう! あ、これはお守りね」
 そう言いながら、桃音は翼に紙袋を突き出した。
「……これは?」
「ふふん。開けてみて!」
 言われるがまま開けるとそこには羽根のヘアピンがふたつ、収まっていた。よくよく見れば少し縫い目がブレていたりするところがあって、手作りなのだろうと察することができた。
「……これ」
「朱希と一緒に作ったの! 朱希ったら玉留めもできないのよ。めちゃくちゃ苦戦したんだから」
「それは別にいいだろ、高校生男子の裁縫力なんてそんなもんだって」
 二人はそこまで言ってから、オーディション開演の時間が迫っているのに気づいて目を合わせた。
「じゃあ、頑張ってね、ゆうちゃん!」
「見てるからな、ちゃんと」
「あ、……ありがとう!」
 朱希と桃音はその言葉に誇らしげな顔をしてから客席に急ぐ。翼は、安心した心持ちで二人に手を振り、ステージへと向かった。

 ――――お姉ちゃん。
 ボクは、お姉ちゃんの代わりに、トップシンカーになる。
 トップシンカーになって――――お姉ちゃんを、助けるから。

 どこか覚悟を決めた面持ちで、翼は貸し出されたレゾナンスマイクを起動した。

「レゾナンスマイク!」
 手順は何度も動画で見たから知っている。翼にとって長く憧れだった、変身の手順。
「スタイルコードセット!」
 マイクのボタンを押してからカードを読み込ませる。淡く光ったカードがその衣装を投影した。
 息を吸う。吐く。想いはひとつだった。
「――――最高のステージを目指して!」
 二人の気持ちを無駄にしないように。
「オン・ステージ!」
 視線を上げれば、一面にピンクのサイリウムが広がっていた。


   *

 曲が流れ出す。朱希が翼のために作ってくれた曲だ。手拍子が多めの、リズムの取りやすい曲。翼はリズム感あんまないからこの方がいいだろ、と言った朱希の思惑は正しくて、翼でもそれなりに踊れるようになった。
「みんな! 今日は楽しんで行ってねー!」
 わああ、と歓声が上がる。音に合わせて腕を運び、足を運び、歌う。
 観客の顔が見える。楽しんでくれている人、そっぽを向いている人、様々だ。この視線を、全て、自分のものにしなければ、――――トップシンカーになんて、なれない!
 指先まで綺麗に運ぶよう意識しながら、声を出す。歌え、歌え、誰にも負けぬように。
 ああ、それにしたって、ステージがこんなに楽しいものだなんて知らなかった。
 人の前で歌って踊るのがこんなに楽しいなんて知らなかった!
「みんなっ、もっともっと声を出して! もっともっと――――楽しんで!」
 手拍子を誘導する。今なら何でもできる気がした。ぱち、ぱち、ぱち、手拍子が合って行く。観客の前にノーツが現れた。
 光が見える。降り注ぐ星のノーツは観客の元に届き手元で弾ける。リズムを取りやすいよう夢中で誘導した。

 そうしているうちに、
 鮮烈。そんな言葉が似合うような、爆発的な光とともに、――――圧倒的なステラ・ノーツ!

 翼の背後に羽が生えたように思えた。みにくいアヒルの子は、白鳥の真似をして美しく羽ばたいた。
 あと少し頑張れば、光に届く。ぐうっと手を伸ばした翼の、光に届いた手の、先――――
「すごいよ、ゆうちゃん!」
 そこにいたのは小さな生き物だった。マスコット、と言っても差し支えないだろう。
「いいなあ、ゆうちゃんの光は、希望って感じですごいなあ!」
「――――君は?」
 そのマスコットは、その身体をふるりとさせてから答えた。
「ぼくはルミィ、メロディアに住んでいる、おとだまさ!」
 おとだま――――ルミィは、翼の頬にすり、と頬擦りをして、笑った。
「ああ、君ならきっと、いつか壊れてしまった未来も紡げる……」
 ――――そんな言葉を最後に、翼の意識はステージに戻った。
 わああ、と大歓声が響く。得点は――――1340点。1000点を、こえている。
「……嘘」
 信じられない。
「合格……?」
 呆然と呟いてから、はっとした。まだステージの上だ。慌てて観客に向き直り、丁寧に頭を下げた。そのままステージを下りれば、あのステージの光も、大歓声も、まるで夢だったかのように静かだった。
 
   *
 
 その後はすごくあっさりしていた。おめでとうございます、と頭を下げたのはレゾナンスマイクを製造する会社の社員さんで、桃音の作ってくれた衣装に合わせた装飾を頼めば快く快諾してくれた。
 それが届くまで、数週間いただきますね。この度は本当におめでとうございます。と、そんな言葉を貰って外に出れば、朱希と桃音が駆け寄ってきた。
「ゆうちゃん!」
「翼! おっまえ、すげえなあ!」
 朱希がばしばしと背中を叩く。桃音も翼の手を取りぶんぶんと振り回した。
「わ、わ、朱希、痛いし、ももちゃんもちょっと落ち着いて……」
「落ち着いてられないよー!」
 そのまま桃音は翼に抱きついた。翼が固まったのを良いことに、桃音は話し出す。
「ゆうちゃん、本当に可愛かったし、本当に凄かった! 本当にステージに立つの初めてなの!? ってくらい、最強だった。私の見立ては正しかった!」
 ぐう、と抱きしめて、離す。それから桃音は、心から嬉しそうに笑った。
「ゆうちゃんがトレンドシンカーになるお手伝いが出来て嬉しい! おめでとう、ゆうちゃん」
「ももちゃん……」
 翼は、もう、夢なのではないかとばかり思っていたから、桃音の言葉で現実感がようやく追いついてきて、なんだかとても嬉しくなった。
「いや……」
 朱希がぽつりと声を出した。少し悩んで、唸って、それからようやく話し出す。
「改めて、めちゃくちゃ良かったと思う。良かった、から……」
 それからしばらく、沈黙。焦れた桃音が急かしてようやく、朱希は言葉を続けた。
「あー、えっと、……あのさ」
 頬をかいて、朱希は首を傾げてこう言った。
「俺でもトレンドシンカーになれると思う?」
 久々に踊りたくなっちゃって。そう続いた朱希の言葉を何度か反芻する。おれでもとれんどしんかーになれるとおもう?
「え――――っ!?」
 言葉を咀嚼しおわってようやく、翼と桃音は顔を見合せて、それから二人で大きく声を上げた。
 夢への道は始まったばかりだ。
畳む

TrendSync!,文章