メイドの日


ふたつの翼、ひとつの空
11話 9549文字
ジゼルが大慌てで寮に戻ってきたのと、フェリシア含む先輩方が二人の捜索に出ようとするタイミングは同じだった。
「……ッ、はあ、はあ、なあ!」
「貴方……!?」
フェリシアが目を丸くする。ジゼルはいてもたってもいられずに彼女に縋った。
「くそ、あいつ、俺を囮にするつもりだったみたいで……おれの代わりにシーアとサーヤが……!」
どこに行くのかも、何が目的なのかも、満足に知れなかった。おれなんか放っておけば良かったのに! と駄々をこねたい気持ちも、今は邪魔でしかない。
「……分かりました」
ざわめく先輩方の中で、フェリシアは唯一冷静だった。それぞれを班に分け的確に指示を飛ばす。それに従って全員が飛び立っていったのを見て、信頼されているんだなとぼんやり思った。
「ジゼルさん。ひとまず先生方のもとへ向かいましょう。あなたの知っていることを話してもらいます」
ジゼルは頷いた。今回ばかりは、自分でどうにもならなかった手前、大人しく従わなければならないと思った。
*
―――あいつ、多分、俺の父さんを嵌めた張本人だ。
ジゼルの話はそこから始まった。
ジゼルの家系はもともと貴族だったらしい。らしい、というのは、ジゼルはもう覚えていないからだった。
父は豪胆だったが、まじめな人だった。仕事仲間からの信頼も厚かったのだと本人は酒を口にしながら語った。そこに現れた父の友人が、今回の事件の首謀者だ、とジゼルは言う。
最初は友人として。やがてはビジネスパートナーとして。信頼できるやつだと思ったから、家の財産の管理を任せたのだ、とジゼルの父は悔しそうに何度も話した。
男は少しずつ資産を横領していった。気づいた時にはもう手遅れで、家の財産はほとんど空になってしまった。手順を踏んで抗議しようとすれば、今度は逆に証拠を捏造された。
横領したのは父の方だ、という話を貴族社会に広められて、どれだけ違うと主張しても、誰も父の言葉を信じなかった。母は気づけば居なかったらしい。逃げられたのだと父はずっと悔しそうだった。最愛の人だった、と、何度も話す父の言葉を、今でもよく覚えている。
地位も財産も失った父は、それでも家族を養うために空賊団に入るしかなかった。仕事ができる人だったからか、気付けば空賊団の中での地位が確かなものになっていた。
沈黙が落ちる。―――部屋にいる大人たち全員が、思い当たる事件があった。それを振り切るようにジゼルは話した。
「あいつ、貴族だったはずなんすよ。でも身なりは整ってなかった。あいつも没落したのかもしれないっすね……」
「……そうか、分かった」
レナード先生が話を受け取った。話してくれてありがとう、と置いてから、共有も兼ねて話し出す。
「イズミ先生が、『金が目的なのかもしれない』と言っていたから、君の推測は正しいかもしれないな」
「そうですね……」
ヴェルタ先生も唸っている。だとしても、所在が分からなければ意味がない。今は捜索班を信じて待ちましょう、とジゼルをなだめて、それから、彼を部屋に送るように、とフェリシアに指示した。先生方だけで話したいことがあるのかもしれない。
分かりました、とだけ言って部屋を出る。ジゼルは珍しく大人しくて、なんだか心配だった。
「……おれが、もっと賢くて、強かったら、こんなことになってないんすかね」
思わず漏れてしまったような独り言だった。フェリシアはその感情に覚えがあった。目を伏せる。それでも、前を向かねばならないのだ、今は。
風が強くなっている。窓ががたがたと音を立てていて、フェリシアは、今日は少しだけ悪い子になると決めた。
「……作戦を立てましょう」
ジゼルが顔を上げる。フェリシアは目も合わせず言い放った。
「わたくしたち子供が、良いように手のひらで転がされ続けるばかりじゃないって、証明しなくちゃ」
なめられては困るでしょう、と言う彼女の瞳には、確かに怒りが籠っていた。
*
使えるものは何でも使いましょう、とフェリシアが言うので、ジゼルは絶対に裏切らない味方として、リアムとマシューを指名した。使えるかどうかはさておき、あの二人のこととなると過保護だから、居ても立っても居られないだろう、というのが、指名の理由だった。
リアムとマシューの部屋に行けば、二人して携帯端末を持って何やら話し合っているようだった。ジゼルの顔を見てほかん、とした後、矢継ぎ早に何かを聞こうとした二人を制してフェリシアはこう言った。
「二人を助けに行くの。先生方には内緒で。―――協力してくれますね」
有無を言わさない口調に、二人は思わず顔を見合わせ頷いた。ジゼルとともに扉を締めれば、作戦会議が始まる。
「―――これが、ことの顛末」
フェリシアは簡単に要約して二人に今までのことを共有した。二人は難しい顔をして黙り込んだ。
実は、とマシューが手を上げる。フェリシアとジゼルは黙って聞く体制を取った。
「ついさっき、シーアさんから連絡が来て……それが、これ」
それは、電話の録音だった。ジゼルはその男の声に眉をひそめた。会話には、覚えがある。
それと一緒にメッセージが一通。―――何かあったら先生に伝えて、と、座標のメールのスクショ、GPS機能共有のURL。
「たぶん、予約機能を使って送ってくれたんだと思う。今から先生に見せに行くところだったんです」
「抜けがねえすね……」
フェリシアは頷いた。それでは同じようにしましょう、とデータをもらい、先生方の連絡先に転送する予約を―――一時間後。
「GPSは今どちらに?」
「それが……」
マシューが画面を見せる。どうやら同じところをゆったりと飛び回ってるらしい。何かを待っているようにも思えた。今、この条件で、何かを待っている―――?
ふと、フェリシアは思い出した。イズミ先生は、彼が地上の話をしていたことを。
不意に、部屋にノックが響く。端末を隠してリアムが出れば、ナユタが顔をのぞかせた。
「誰にも言わないからボクもいれてくれない? きっと役に立つ情報を持っているよ」
フェリシアは少し悩んだが、今は情報が欲しい。仕方なく招き入れることにした。ありがとう、と扉を締めながら、ナユタは話す。
ひとつのいのちわかたれた
ふたつの子らが出会うとき
我が一対のつばさとなりて
閉ざされし道解き放たれん
地上の空が語る声
雲上の海の紡ぐ音
今ふたたびひとつとならん
なにかの詩のようだったが、リアムたちにはさっぱりだった。フェリシアだけが、その意味を理解していた。
「嵐の日は、風の力で地上の魔法は不安定になる。だからきっと、誰かが地上の扉を開けようとしているんだろうね」
「それって……」
「……めっちゃまずい状況、ってことか?」
ナユタは頷く。それから、静かに目を伏せた。
「地上から雲上への出入りは鍵さえあれば扉が開くんだけど―――雲上からは違う。必要なのは双子の心なんだ」
ナユタ曰く。地上と雲上それぞれに同じ顔の子どもが1人ずつ産まれるのが一般的なのであって、同じ地に双子が生まれるのはとても珍しい。だから、特別仲の良かった風の民と地の民の生まれ変わりとされていた。しかし、争いが起きてから、双子は災いをもたらすとされ差別の対象になった。これは確か雲上も同じだったはずだと、ナユタは言った。
「そもそもその希少性が、扉を開かないようにさせていたんだ、今までは」
だけど、とナユタはそこで言葉を止めた。フェリシアは、その言葉を継いで話し出す。
「雲上でその言い伝えは、王家や一部の貴族しか知らないはず。その一部に彼がいたのでしょう。彼は二人を使って扉を開け、希少な財産を搔っ攫ってお金を儲けようとしているのでしょうね……」
沈黙が落ちる。振り切るように、フェリシアは言った。
「作戦はこう―――」
その説明に全員が頷いた。納得のできる策だった。それじゃあ、向かいましょう、とフェリシアの言葉を皮切りに、彼らは外に飛び立っていった。
*
「―――こんなことになるんだったら、魔法の使い方を習っておくべきだったわね」
シーアが悪態をついた。嵐の中、ゆっくりと遺跡が出現して、その中で転がされたのがついさっきのこと。サーヤは心底不安だった。
「僕らを使って扉を開ける、って言ってたけど……」
「……」
シーアは難しい顔をしてしばらく考え込んだが、やがてため息をついた。
「もう、信じるしかないわね。はーあ、嫌になっちゃう!」
そんな折、別の部屋にいた男がこちらにやってくる。不敵な笑みを浮かべて彼はこう言った。
「こんな嵐の中、まともな大人は飛ばないだろうね」
勝利を確信しているようだった。シーアがぎり、とそれを睨む。そんな視線もどこ吹く風の男は、楽しそうに笑ってこう言った。
「風で扉が開きそうなくらいの嵐だ。上手いこと行ったら、君たちも解放してやるさ」
最も、嵐が晴れたらこの遺跡を見つけるのはウィンドグライダーでも難しいだろうが。それを聞いて空を見上げるが、遺跡の中、見えるのは重苦しい天井ばかりで不安が増すばかりだった。
遺跡の中を移動していき、大きな空間に出た。祭壇には重苦しい空気が漂っている。
「ほら、ここに立って、心を合わせるんだ。それだけでいいんだって、これが封印っていうのもちゃちだよねえ」
シーアとサーヤは顔を見合わせた。なんとかして時間を稼がなければ、この扉は簡単に開いてしまう気がした。だって、今も、同じことを考えて―――
「見つけた!」
ふと、声がした。ジゼルの声だ。遅れて、リアム、マシュー、ナユタとフェリシア。
「シーアさん、サーヤさん、魔法を使うんだ! 呪文は君たちが知っているはず!」
ナユタが叫ぶ。サーヤは思わず戸惑ったが、シーアはやってみることにしたらしい。ええい、ままよ、とサーヤも叫ぶ。
「―――トゥラン・ヴォラ・ス!」
「―――トゥラン・リファル・ヴィノ・ス!」
拘束が外れる。なんだ、簡単なことじゃないかと安心したのも束の間、リアム、ジゼルと戦っていた男がシーアにぶつかり、……その衝撃で、祭壇に倒れこんだ。サーヤは慌ててシーアに駆け寄ったが、―――それが良くなかった。
魔法陣が光る。これが地上の魔法なのだろう。地響きがして、……あっさりとその扉は開かれていく。―――シーアとサーヤを乗せたまま。
「サーヤさん!」
「シーア!」
ここに二人のウィンドグライダーは居ない。落ちる、と覚悟を決めて受け身の体勢を取ろうとする二人のもとに、リアムとマシューが飛び出した。
マシューはあっさりとサーヤを抱えたが、リアムは一歩遅かった。恐怖が勝っている。このスピードでシーアを助けるのは無理だ。
「シーア……!」
サーヤの慌てた声がする・ノーヴァはリアムを気遣ってかそれ以上の速度を出さない。―――間に合うためには。
「……、信じてるぜ、相棒!」
そう叫び、リアムはノーヴァから飛び降りた。この方が早い。今本気で飛ばなくて、いつ飛ぶっていうんだ! シーアに手を伸ばす。シーアは目を見開いていたが、それでもリアムに手を伸ばした。
手をつかむ。ぎゅ、とその手を確かに握りこんで、そこでノーヴァが二人を拾った。
そのまま遺跡に戻れば、男はナユタとジゼルの手によって完全に鎮圧されていた。バクバクとなる心臓を抑えつけて、リアムとシーアは地面に足を付けた。
「は~~~~……」
「リアム!」
マシューとサーヤが駆け寄ってくる。リアムはその場に座り込んだ。
「あ、ありがとう……。大丈夫?」
「……おう」
シーアは戸惑ったように礼を言った。リアムからはそっけない返事が返ってくる。いてもたってもいられず、サーヤはシーアを抱きしめた。
「シーア~~~……良かった……」
「わ、サーヤ……。もう、心配かけたわね」
苦笑するシーアたちのもとにナユタが近づいてきた。盛り上がっているところに申し訳ないんだけれど、と前置いて話出す。
「扉を封印しなくてはならなくてね。力を貸してくれるかい」
「もちろん」
そう返事をして、シーアとサーヤはそちらに駆け寄った。男はずっと何事かを喚いていたが、そのうち、フェリシアとジゼルの魔法によって黙らされていた。
*
「本当は、二人でこの鍵を開けないと開かないはずなんだけれど」
ナユタはそういいながら風の鍵を二人に渡した。本物だ、と顔を見合わせる。
「昔の魔法だし、ひどい嵐だから、この魔法も緩んでるんだろうね」
後でかけ直さないとな、とナユタは言った。サーヤはふと疑問に思ったことを口にした。
「ナユタさんはこっちに来た時、どうやってここを封印したの?」
ナユタは寂しそうな顔で答えた。
「兄に協力してもらったんだ。多分、もういないんだけれどね」
「……え」
そんな話は後だよ、と笑って、彼は封印のために魔法陣を描きなおした。そのまま、その中央に立って、二人に指示をする。
「扉が閉まったら、鍵をかけてね。鍵穴は真ん中にある。あんま長くかかるとまた落ちちゃうかもだから注意して。ボクは魔力がそう多くないんだ」
頷く。そばでリアムとマシューがウィンドグライダーを呼び寄せてるのが見えた。
「じゃあ、いくよ」
「―――オルナ・メイ・ゼア・ス!」
魔法陣が淡く光る。ゴゴゴゴ、と音がして、大きな扉が閉まっていく。完全にしまったところで、二人はその鍵穴に駆け寄った。鍵を差し込んで、回す―――、回らない。
「……なんで?」
シーアが慌てて零す。サーヤはちら、とシーアの表情を窺った。顔色が悪い。表情も硬い。ああ、怖いのだろう、と思った。―――それもそうか。
地上に落ちれば、どんな扱いを受けるか分からない。だけれどあの時、助からなかった時のために一度覚悟を決めたのだろう。
しかし、今、それが揺らいでいる。シーアとサーヤで、違うことを考えていた。
「……シーア」
あいているシーアの手をきゅっ、と握る。手は震えていた。シーアがこちらを見た。サーヤは微笑みかけた。
「ぼくも怖いけど……きっと大丈夫。また落ちても、リアムくんも、マシューくんも、きっとちゃんと助けてくれる」
それに、と続ける。
「落ちるときは一緒だよ、シーア」
「―――……!」
シーアが目を見開いた。しかし、すぐにぱっと目を逸らす。
「馬鹿なこと言わないで!」
差し込んだ鍵がゆっくりと回り出す。
「そんなことにはならない。ならないのよ」
言い聞かせるような言葉だったが、それで覚悟が決まったようだった。かちり。鍵がかかったような音。
「ヴィナ・ガルナ・ス」
「―――セルナ・ノウ・ト・クロザ・ス!」
ナユタが声を張り上げた。魔法陣がひときわ光って、―――ぐわん、と大きな揺れ。それからしばらくして、魔法陣派から光が失われる。
「終わったよ」
シーアとサーヤは顔を合わせて抱きしめ合った。リアムとマシューが安堵したのを見て、ジゼルが過保護っすねえ、と零す。フェリシアもそれには同意だった。
ふいに、遺跡内が騒がしくなる。人の声だ。今度はなんだと全員が警戒すればセラ校長が先頭を切って室内に突入してくる。レナード先生、ティア先生、イズミ先生も一緒だった。
「こら―――!! 先生に相談もせず無茶したガキども!! 怪我はないか!?」
ティア先生が真っ先に全員の怪我の心配をしつつ怒った。イズミ先生とレナード先生が男を連行して行き、セラ校長はティア先生の説教に時折茶々を入れつつ見守る。
ぷんぷんと怒るティア先生に、状況の説明を求められたフェリシアは、あくまで冷静に事実を答えた。自分が全員を引き連れていったことも含めて、綺麗に事実を並べ立てる。
「馬鹿! 先生、めっちゃ心配したんだからね!! 今回は何事もなかったからいいけど、何事もなかったのは運が良かったに過ぎないってこと、忘れないで。もうこんなことしちゃだめだからね」
「そうだよ~」
後ろからイズミ先生が戻って来る。
「これからレナード先生に詰められるだろうから甘く言うけど、本当に危ないから。君たちはまだ成長中の身なんだから、こういうことは大人に任せてくれよ。まあ、とはいえ―――」
そこでイズミ先生は言葉を切った。ふ、と笑って彼は言う。
「みんなが無事でよかったよ。よく頑張ったね」
「イズミ先生は甘すぎなんですよ!!」
すかさずティア先生が噛みつく。その勢いにイズミがたじろいだのをセラ校長は高らかに笑った。
「人のこと言えないものな、君は!」
「ちょっと校長! 校長もなんとか言ってくださいよ」
「それはレナードくんの役目だろう」
校長は悪びれもしない。疲れたと言わんばかりにティア先生がため息をついたので、セラ校長はシーアたちにウィンクを飛ばした。
「たまに冒険してほどほどに痛い目に合うのも子供の役目だとも。ま、ほどほどで済んだのは結果論だが」
帰ろうか。そう言った先生方に連れられて、全員で寮に帰ることとなった。嵐の中を飛ぶのは骨が折れたが、そんなことよりもその後に待っていたレナード先生の説教の方が余程だったと、後にリアムは語った。
*
「よっす」
「わ、」
後日。フェリシアが廊下を歩いていると、上からジゼルが降ってきた。
「あ、あなた……!?」
「へへ~ん、びっくりしたっすか?」
なぜか得意げなジゼルに、フェリシアはため息をついた。彼の態度は軟化したが、それでも扱いにくいことに変わりない。
「今日はなんですか……」
「ン? ああ、そう、お礼言ってねえなって」
お礼。思っても見なかった言葉にフェリシアは目を丸くした。ジゼルはがしがしと頭を掻きながら言いにくそうに話し出す。
「いや、なんか、色々? あんなこと言って悪かったっすよ~っていうのは先に言わなきゃっすよねえ。アンタは違ったんだな」
違った、といった言葉の真理は分からなかったが、ひとまず黙って聞くことにした。続きを促す。
「あと……、あの時、連れてってくれてありがとう。おれまたなんも出来ねえんだって落ち込むとこだったっすよ~」
へら、と笑う。フェリシアは目を伏せた。
「いいえ。結局わたくしはなにも出来ませんでしたし」
「……」
ジゼルはしばらく顔色を窺ってから、うーん、としばらく唸った。
「アンタって、頭良さそうなのにな」
「はあ?」
かちん。思わずフェリシアからガラの悪い言葉が飛び出したが、全く気にせずジゼルは続ける。
「策を練れるのも、情報をまとめられるのも、頭がいいからでしょ。俺一人じゃ出来なかったっすよ。アンタ一人でも無理だったかもしれませんけど」
うーん、ともう一回唸る。
「まあ、だから、おれも勉強頑張んなきゃな〜って思ったんすよねってだけなんすけど。人一人変えてんだから、何もできてないは嘘でしょ」
そもそもアンタは人に信頼される方じゃないすか。彼にとっては正直な言葉なのだろうが、フェリシアは以前との落差に面食らってしまった。
「まあ……それなら良かったのかしら……」
「うんうん、そう思うといいすよ」
上から目線だ。なんなんだ、と思っていると、授業開始のチャイムが鳴る。やべ、とジゼルは零した。
「あれすよ、一人でできることには限りがあるんで。あんま背負い込んだら大変すよ〜ってことで! じゃ!」
「は、あ、ちょっと!」
フェリシアが声を掛けてもジゼルは止まらない。あっさりと姿を消した彼に唖然としながら、それでも悪い気はしなかった。
フェリシアも授業を受けねばならない、と、気を取り直して走り出す。以前と比べて、少し気分が軽いような気がした。
*
ナユタは一人、教室のベランダでぼんやりとしていた。クラスメイトは外にいる。授業時間中だから、要するに、さぼりだった。
シーアとサーヤが一緒に扉を封印したのを見て、双子の兄のことを思い出した。きっともう、この空にはいないだろう、兄。
兄は、遺跡を封印した後に、地上に設置していたワープゲートを繋げて地上に戻った。それが使命だと、兄は言った。もうとっくに燃えただろう記録を守るために、そこまでする理由が、ナユタには分からなかった。
はたして、地上でどんな扱いを受けているのかは、―――考えたくないから、考えない。首を横に振って嫌な想像を誤魔化す。
彼は賢いから、きっと何とかする術を残しているのだろう、と、信じることしかできない。
寂しくないと言ったら嘘になる。悲しくないかと言ったら、嘘になる。
ボクたちは違う道を行くことになった。ずっと一緒に過ごしてきた兄のことを想って、彼女たちが、こんな気持ちになるようなことがなければ良いと祈った。
風はどこまでも穏やかで、地上の兄も同じものを感じていたらいいと思うのだった。
*
大人たちの間では、遺跡が見つかったことが大きなトピックになっているようだった。
とはいえ、知っているのはごく一部だ。そのごく一部で、次の嵐の日に、調査のためと銘打って同じ場所に飛んだが、遺跡は見つからなかったらしい。
では、なぜ男は遺跡の場所を知っていたのか。大人たちは問い詰めたが、帰ってきた答えはこうだった。
「嵐の中を飛び回ることを避けるようなお利口さんの頭じゃ、わからんだろうね」
結局答えは分からずじまいで、大人たちはそのまま調査を続けることにしたようだった。
遺跡の扉が開かれぬように。
「でも地上って、ロマンあるわよね」
「なんだよ、藪から棒に」
やめろよ、とリアムがじとりと睨んだのをものともせず、シーアは言葉を続けた。
「だって! お父様だってきっとまだ冒険したことないはずよ! そんな場所がこの世にあるなんて、考えただけでわくわくするわ!」
何があったら嬉しいかしら、と自分の世界に入り込んだシーアを見ながら、サーヤはぽつりと呟いた。
「怖かったくせに……」
「ま! 実際行くのと考えるのでは違うでしょ!」
むすくれたシーアにリアムが言う。
「実際、行くとしてもお前ひとりじゃ無理だろうな」
「なんですって!?」
あんただって一人じゃ無理でしょうに! 俺はそもそも行く気はないからな、と、いつも通りぎゃんぎゃんやりだした二人の後ろで、マシューが声を掛ける。
「ちなみに、サーヤさんは大丈夫だったの?」
「? ぼくは大丈夫だよ。怖かったのはそうだけど……隣にはシーアがいたし、みんな助けてくれるって、信じてたから」
なるほど、と頷く。確かにな、と思いながら、マシューは言った。
「それなら、僕の方が怯えてたかもね。本当に不安だったよ」
「そうなの? でもマシューくんは飛ぶの上手じゃん」
あはは、と笑ってマシューは答えた。
「大切な友人だからね、君も、彼らも」
サーヤはきょとんとしてから、なんだかそれが嬉しくなって、顔を綻ばせた。
「うん、ありがとう」
気づけばシーアとリアムも静かにこっちを見ていた。シーアが意外そうに言う。
「マシュー、あんた、サーヤにはそういうこと言うのね」
「えっ」
あー……。しばらくごまかしの言葉を考えてから、マシューはようやく言葉を吐いた。
「ほら、サーヤさんは素直に受け取ってくれるから……」
「ふうん」
シーアはサーヤの隣に立って、サーヤの手を取る。手を取って、―――走り出した。
「アンタなんかにサーヤはあげないんだから! サーヤは私の大切な妹だもの!」
「ちょ、ちょっとシーア! 絶対そういうことじゃないって!」
サーヤの言葉もろくに聞かず、シーアはマシューにべ、と舌を出した。そのまま二人を置き去りにして、彼女たちは寮へと帰っていく。
「あー……。フ、どんまい」
「……」
唖然とするマシューに半笑いのリアムが肩をポンとたたいた。マシューはなんだかそれが腹立たしくなったので、払いのけて走り出す。
「リアムがシーアさんを想って最近あんま眠れてないってちくってやる……!」
「はあ!? おい待てお前、お前もそういう類の弱みいっぱいあるだろ!」
バタバタと走り出した二人を、空を飛ぶウィンドグライダーたちが眺めていた。まだまだ先は長いようだ、と呆れたように飛んでいく。
風は君たちを祝福するように穏やかで、きっと明日もこんな日が続いていくのだろうと思った。
畳む
11話 9549文字
ジゼルが大慌てで寮に戻ってきたのと、フェリシア含む先輩方が二人の捜索に出ようとするタイミングは同じだった。
「……ッ、はあ、はあ、なあ!」
「貴方……!?」
フェリシアが目を丸くする。ジゼルはいてもたってもいられずに彼女に縋った。
「くそ、あいつ、俺を囮にするつもりだったみたいで……おれの代わりにシーアとサーヤが……!」
どこに行くのかも、何が目的なのかも、満足に知れなかった。おれなんか放っておけば良かったのに! と駄々をこねたい気持ちも、今は邪魔でしかない。
「……分かりました」
ざわめく先輩方の中で、フェリシアは唯一冷静だった。それぞれを班に分け的確に指示を飛ばす。それに従って全員が飛び立っていったのを見て、信頼されているんだなとぼんやり思った。
「ジゼルさん。ひとまず先生方のもとへ向かいましょう。あなたの知っていることを話してもらいます」
ジゼルは頷いた。今回ばかりは、自分でどうにもならなかった手前、大人しく従わなければならないと思った。
*
―――あいつ、多分、俺の父さんを嵌めた張本人だ。
ジゼルの話はそこから始まった。
ジゼルの家系はもともと貴族だったらしい。らしい、というのは、ジゼルはもう覚えていないからだった。
父は豪胆だったが、まじめな人だった。仕事仲間からの信頼も厚かったのだと本人は酒を口にしながら語った。そこに現れた父の友人が、今回の事件の首謀者だ、とジゼルは言う。
最初は友人として。やがてはビジネスパートナーとして。信頼できるやつだと思ったから、家の財産の管理を任せたのだ、とジゼルの父は悔しそうに何度も話した。
男は少しずつ資産を横領していった。気づいた時にはもう手遅れで、家の財産はほとんど空になってしまった。手順を踏んで抗議しようとすれば、今度は逆に証拠を捏造された。
横領したのは父の方だ、という話を貴族社会に広められて、どれだけ違うと主張しても、誰も父の言葉を信じなかった。母は気づけば居なかったらしい。逃げられたのだと父はずっと悔しそうだった。最愛の人だった、と、何度も話す父の言葉を、今でもよく覚えている。
地位も財産も失った父は、それでも家族を養うために空賊団に入るしかなかった。仕事ができる人だったからか、気付けば空賊団の中での地位が確かなものになっていた。
沈黙が落ちる。―――部屋にいる大人たち全員が、思い当たる事件があった。それを振り切るようにジゼルは話した。
「あいつ、貴族だったはずなんすよ。でも身なりは整ってなかった。あいつも没落したのかもしれないっすね……」
「……そうか、分かった」
レナード先生が話を受け取った。話してくれてありがとう、と置いてから、共有も兼ねて話し出す。
「イズミ先生が、『金が目的なのかもしれない』と言っていたから、君の推測は正しいかもしれないな」
「そうですね……」
ヴェルタ先生も唸っている。だとしても、所在が分からなければ意味がない。今は捜索班を信じて待ちましょう、とジゼルをなだめて、それから、彼を部屋に送るように、とフェリシアに指示した。先生方だけで話したいことがあるのかもしれない。
分かりました、とだけ言って部屋を出る。ジゼルは珍しく大人しくて、なんだか心配だった。
「……おれが、もっと賢くて、強かったら、こんなことになってないんすかね」
思わず漏れてしまったような独り言だった。フェリシアはその感情に覚えがあった。目を伏せる。それでも、前を向かねばならないのだ、今は。
風が強くなっている。窓ががたがたと音を立てていて、フェリシアは、今日は少しだけ悪い子になると決めた。
「……作戦を立てましょう」
ジゼルが顔を上げる。フェリシアは目も合わせず言い放った。
「わたくしたち子供が、良いように手のひらで転がされ続けるばかりじゃないって、証明しなくちゃ」
なめられては困るでしょう、と言う彼女の瞳には、確かに怒りが籠っていた。
*
使えるものは何でも使いましょう、とフェリシアが言うので、ジゼルは絶対に裏切らない味方として、リアムとマシューを指名した。使えるかどうかはさておき、あの二人のこととなると過保護だから、居ても立っても居られないだろう、というのが、指名の理由だった。
リアムとマシューの部屋に行けば、二人して携帯端末を持って何やら話し合っているようだった。ジゼルの顔を見てほかん、とした後、矢継ぎ早に何かを聞こうとした二人を制してフェリシアはこう言った。
「二人を助けに行くの。先生方には内緒で。―――協力してくれますね」
有無を言わさない口調に、二人は思わず顔を見合わせ頷いた。ジゼルとともに扉を締めれば、作戦会議が始まる。
「―――これが、ことの顛末」
フェリシアは簡単に要約して二人に今までのことを共有した。二人は難しい顔をして黙り込んだ。
実は、とマシューが手を上げる。フェリシアとジゼルは黙って聞く体制を取った。
「ついさっき、シーアさんから連絡が来て……それが、これ」
それは、電話の録音だった。ジゼルはその男の声に眉をひそめた。会話には、覚えがある。
それと一緒にメッセージが一通。―――何かあったら先生に伝えて、と、座標のメールのスクショ、GPS機能共有のURL。
「たぶん、予約機能を使って送ってくれたんだと思う。今から先生に見せに行くところだったんです」
「抜けがねえすね……」
フェリシアは頷いた。それでは同じようにしましょう、とデータをもらい、先生方の連絡先に転送する予約を―――一時間後。
「GPSは今どちらに?」
「それが……」
マシューが画面を見せる。どうやら同じところをゆったりと飛び回ってるらしい。何かを待っているようにも思えた。今、この条件で、何かを待っている―――?
ふと、フェリシアは思い出した。イズミ先生は、彼が地上の話をしていたことを。
不意に、部屋にノックが響く。端末を隠してリアムが出れば、ナユタが顔をのぞかせた。
「誰にも言わないからボクもいれてくれない? きっと役に立つ情報を持っているよ」
フェリシアは少し悩んだが、今は情報が欲しい。仕方なく招き入れることにした。ありがとう、と扉を締めながら、ナユタは話す。
ひとつのいのちわかたれた
ふたつの子らが出会うとき
我が一対のつばさとなりて
閉ざされし道解き放たれん
地上の空が語る声
雲上の海の紡ぐ音
今ふたたびひとつとならん
なにかの詩のようだったが、リアムたちにはさっぱりだった。フェリシアだけが、その意味を理解していた。
「嵐の日は、風の力で地上の魔法は不安定になる。だからきっと、誰かが地上の扉を開けようとしているんだろうね」
「それって……」
「……めっちゃまずい状況、ってことか?」
ナユタは頷く。それから、静かに目を伏せた。
「地上から雲上への出入りは鍵さえあれば扉が開くんだけど―――雲上からは違う。必要なのは双子の心なんだ」
ナユタ曰く。地上と雲上それぞれに同じ顔の子どもが1人ずつ産まれるのが一般的なのであって、同じ地に双子が生まれるのはとても珍しい。だから、特別仲の良かった風の民と地の民の生まれ変わりとされていた。しかし、争いが起きてから、双子は災いをもたらすとされ差別の対象になった。これは確か雲上も同じだったはずだと、ナユタは言った。
「そもそもその希少性が、扉を開かないようにさせていたんだ、今までは」
だけど、とナユタはそこで言葉を止めた。フェリシアは、その言葉を継いで話し出す。
「雲上でその言い伝えは、王家や一部の貴族しか知らないはず。その一部に彼がいたのでしょう。彼は二人を使って扉を開け、希少な財産を搔っ攫ってお金を儲けようとしているのでしょうね……」
沈黙が落ちる。振り切るように、フェリシアは言った。
「作戦はこう―――」
その説明に全員が頷いた。納得のできる策だった。それじゃあ、向かいましょう、とフェリシアの言葉を皮切りに、彼らは外に飛び立っていった。
*
「―――こんなことになるんだったら、魔法の使い方を習っておくべきだったわね」
シーアが悪態をついた。嵐の中、ゆっくりと遺跡が出現して、その中で転がされたのがついさっきのこと。サーヤは心底不安だった。
「僕らを使って扉を開ける、って言ってたけど……」
「……」
シーアは難しい顔をしてしばらく考え込んだが、やがてため息をついた。
「もう、信じるしかないわね。はーあ、嫌になっちゃう!」
そんな折、別の部屋にいた男がこちらにやってくる。不敵な笑みを浮かべて彼はこう言った。
「こんな嵐の中、まともな大人は飛ばないだろうね」
勝利を確信しているようだった。シーアがぎり、とそれを睨む。そんな視線もどこ吹く風の男は、楽しそうに笑ってこう言った。
「風で扉が開きそうなくらいの嵐だ。上手いこと行ったら、君たちも解放してやるさ」
最も、嵐が晴れたらこの遺跡を見つけるのはウィンドグライダーでも難しいだろうが。それを聞いて空を見上げるが、遺跡の中、見えるのは重苦しい天井ばかりで不安が増すばかりだった。
遺跡の中を移動していき、大きな空間に出た。祭壇には重苦しい空気が漂っている。
「ほら、ここに立って、心を合わせるんだ。それだけでいいんだって、これが封印っていうのもちゃちだよねえ」
シーアとサーヤは顔を見合わせた。なんとかして時間を稼がなければ、この扉は簡単に開いてしまう気がした。だって、今も、同じことを考えて―――
「見つけた!」
ふと、声がした。ジゼルの声だ。遅れて、リアム、マシュー、ナユタとフェリシア。
「シーアさん、サーヤさん、魔法を使うんだ! 呪文は君たちが知っているはず!」
ナユタが叫ぶ。サーヤは思わず戸惑ったが、シーアはやってみることにしたらしい。ええい、ままよ、とサーヤも叫ぶ。
「―――トゥラン・ヴォラ・ス!」
「―――トゥラン・リファル・ヴィノ・ス!」
拘束が外れる。なんだ、簡単なことじゃないかと安心したのも束の間、リアム、ジゼルと戦っていた男がシーアにぶつかり、……その衝撃で、祭壇に倒れこんだ。サーヤは慌ててシーアに駆け寄ったが、―――それが良くなかった。
魔法陣が光る。これが地上の魔法なのだろう。地響きがして、……あっさりとその扉は開かれていく。―――シーアとサーヤを乗せたまま。
「サーヤさん!」
「シーア!」
ここに二人のウィンドグライダーは居ない。落ちる、と覚悟を決めて受け身の体勢を取ろうとする二人のもとに、リアムとマシューが飛び出した。
マシューはあっさりとサーヤを抱えたが、リアムは一歩遅かった。恐怖が勝っている。このスピードでシーアを助けるのは無理だ。
「シーア……!」
サーヤの慌てた声がする・ノーヴァはリアムを気遣ってかそれ以上の速度を出さない。―――間に合うためには。
「……、信じてるぜ、相棒!」
そう叫び、リアムはノーヴァから飛び降りた。この方が早い。今本気で飛ばなくて、いつ飛ぶっていうんだ! シーアに手を伸ばす。シーアは目を見開いていたが、それでもリアムに手を伸ばした。
手をつかむ。ぎゅ、とその手を確かに握りこんで、そこでノーヴァが二人を拾った。
そのまま遺跡に戻れば、男はナユタとジゼルの手によって完全に鎮圧されていた。バクバクとなる心臓を抑えつけて、リアムとシーアは地面に足を付けた。
「は~~~~……」
「リアム!」
マシューとサーヤが駆け寄ってくる。リアムはその場に座り込んだ。
「あ、ありがとう……。大丈夫?」
「……おう」
シーアは戸惑ったように礼を言った。リアムからはそっけない返事が返ってくる。いてもたってもいられず、サーヤはシーアを抱きしめた。
「シーア~~~……良かった……」
「わ、サーヤ……。もう、心配かけたわね」
苦笑するシーアたちのもとにナユタが近づいてきた。盛り上がっているところに申し訳ないんだけれど、と前置いて話出す。
「扉を封印しなくてはならなくてね。力を貸してくれるかい」
「もちろん」
そう返事をして、シーアとサーヤはそちらに駆け寄った。男はずっと何事かを喚いていたが、そのうち、フェリシアとジゼルの魔法によって黙らされていた。
*
「本当は、二人でこの鍵を開けないと開かないはずなんだけれど」
ナユタはそういいながら風の鍵を二人に渡した。本物だ、と顔を見合わせる。
「昔の魔法だし、ひどい嵐だから、この魔法も緩んでるんだろうね」
後でかけ直さないとな、とナユタは言った。サーヤはふと疑問に思ったことを口にした。
「ナユタさんはこっちに来た時、どうやってここを封印したの?」
ナユタは寂しそうな顔で答えた。
「兄に協力してもらったんだ。多分、もういないんだけれどね」
「……え」
そんな話は後だよ、と笑って、彼は封印のために魔法陣を描きなおした。そのまま、その中央に立って、二人に指示をする。
「扉が閉まったら、鍵をかけてね。鍵穴は真ん中にある。あんま長くかかるとまた落ちちゃうかもだから注意して。ボクは魔力がそう多くないんだ」
頷く。そばでリアムとマシューがウィンドグライダーを呼び寄せてるのが見えた。
「じゃあ、いくよ」
「―――オルナ・メイ・ゼア・ス!」
魔法陣が淡く光る。ゴゴゴゴ、と音がして、大きな扉が閉まっていく。完全にしまったところで、二人はその鍵穴に駆け寄った。鍵を差し込んで、回す―――、回らない。
「……なんで?」
シーアが慌てて零す。サーヤはちら、とシーアの表情を窺った。顔色が悪い。表情も硬い。ああ、怖いのだろう、と思った。―――それもそうか。
地上に落ちれば、どんな扱いを受けるか分からない。だけれどあの時、助からなかった時のために一度覚悟を決めたのだろう。
しかし、今、それが揺らいでいる。シーアとサーヤで、違うことを考えていた。
「……シーア」
あいているシーアの手をきゅっ、と握る。手は震えていた。シーアがこちらを見た。サーヤは微笑みかけた。
「ぼくも怖いけど……きっと大丈夫。また落ちても、リアムくんも、マシューくんも、きっとちゃんと助けてくれる」
それに、と続ける。
「落ちるときは一緒だよ、シーア」
「―――……!」
シーアが目を見開いた。しかし、すぐにぱっと目を逸らす。
「馬鹿なこと言わないで!」
差し込んだ鍵がゆっくりと回り出す。
「そんなことにはならない。ならないのよ」
言い聞かせるような言葉だったが、それで覚悟が決まったようだった。かちり。鍵がかかったような音。
「ヴィナ・ガルナ・ス」
「―――セルナ・ノウ・ト・クロザ・ス!」
ナユタが声を張り上げた。魔法陣がひときわ光って、―――ぐわん、と大きな揺れ。それからしばらくして、魔法陣派から光が失われる。
「終わったよ」
シーアとサーヤは顔を合わせて抱きしめ合った。リアムとマシューが安堵したのを見て、ジゼルが過保護っすねえ、と零す。フェリシアもそれには同意だった。
ふいに、遺跡内が騒がしくなる。人の声だ。今度はなんだと全員が警戒すればセラ校長が先頭を切って室内に突入してくる。レナード先生、ティア先生、イズミ先生も一緒だった。
「こら―――!! 先生に相談もせず無茶したガキども!! 怪我はないか!?」
ティア先生が真っ先に全員の怪我の心配をしつつ怒った。イズミ先生とレナード先生が男を連行して行き、セラ校長はティア先生の説教に時折茶々を入れつつ見守る。
ぷんぷんと怒るティア先生に、状況の説明を求められたフェリシアは、あくまで冷静に事実を答えた。自分が全員を引き連れていったことも含めて、綺麗に事実を並べ立てる。
「馬鹿! 先生、めっちゃ心配したんだからね!! 今回は何事もなかったからいいけど、何事もなかったのは運が良かったに過ぎないってこと、忘れないで。もうこんなことしちゃだめだからね」
「そうだよ~」
後ろからイズミ先生が戻って来る。
「これからレナード先生に詰められるだろうから甘く言うけど、本当に危ないから。君たちはまだ成長中の身なんだから、こういうことは大人に任せてくれよ。まあ、とはいえ―――」
そこでイズミ先生は言葉を切った。ふ、と笑って彼は言う。
「みんなが無事でよかったよ。よく頑張ったね」
「イズミ先生は甘すぎなんですよ!!」
すかさずティア先生が噛みつく。その勢いにイズミがたじろいだのをセラ校長は高らかに笑った。
「人のこと言えないものな、君は!」
「ちょっと校長! 校長もなんとか言ってくださいよ」
「それはレナードくんの役目だろう」
校長は悪びれもしない。疲れたと言わんばかりにティア先生がため息をついたので、セラ校長はシーアたちにウィンクを飛ばした。
「たまに冒険してほどほどに痛い目に合うのも子供の役目だとも。ま、ほどほどで済んだのは結果論だが」
帰ろうか。そう言った先生方に連れられて、全員で寮に帰ることとなった。嵐の中を飛ぶのは骨が折れたが、そんなことよりもその後に待っていたレナード先生の説教の方が余程だったと、後にリアムは語った。
*
「よっす」
「わ、」
後日。フェリシアが廊下を歩いていると、上からジゼルが降ってきた。
「あ、あなた……!?」
「へへ~ん、びっくりしたっすか?」
なぜか得意げなジゼルに、フェリシアはため息をついた。彼の態度は軟化したが、それでも扱いにくいことに変わりない。
「今日はなんですか……」
「ン? ああ、そう、お礼言ってねえなって」
お礼。思っても見なかった言葉にフェリシアは目を丸くした。ジゼルはがしがしと頭を掻きながら言いにくそうに話し出す。
「いや、なんか、色々? あんなこと言って悪かったっすよ~っていうのは先に言わなきゃっすよねえ。アンタは違ったんだな」
違った、といった言葉の真理は分からなかったが、ひとまず黙って聞くことにした。続きを促す。
「あと……、あの時、連れてってくれてありがとう。おれまたなんも出来ねえんだって落ち込むとこだったっすよ~」
へら、と笑う。フェリシアは目を伏せた。
「いいえ。結局わたくしはなにも出来ませんでしたし」
「……」
ジゼルはしばらく顔色を窺ってから、うーん、としばらく唸った。
「アンタって、頭良さそうなのにな」
「はあ?」
かちん。思わずフェリシアからガラの悪い言葉が飛び出したが、全く気にせずジゼルは続ける。
「策を練れるのも、情報をまとめられるのも、頭がいいからでしょ。俺一人じゃ出来なかったっすよ。アンタ一人でも無理だったかもしれませんけど」
うーん、ともう一回唸る。
「まあ、だから、おれも勉強頑張んなきゃな〜って思ったんすよねってだけなんすけど。人一人変えてんだから、何もできてないは嘘でしょ」
そもそもアンタは人に信頼される方じゃないすか。彼にとっては正直な言葉なのだろうが、フェリシアは以前との落差に面食らってしまった。
「まあ……それなら良かったのかしら……」
「うんうん、そう思うといいすよ」
上から目線だ。なんなんだ、と思っていると、授業開始のチャイムが鳴る。やべ、とジゼルは零した。
「あれすよ、一人でできることには限りがあるんで。あんま背負い込んだら大変すよ〜ってことで! じゃ!」
「は、あ、ちょっと!」
フェリシアが声を掛けてもジゼルは止まらない。あっさりと姿を消した彼に唖然としながら、それでも悪い気はしなかった。
フェリシアも授業を受けねばならない、と、気を取り直して走り出す。以前と比べて、少し気分が軽いような気がした。
*
ナユタは一人、教室のベランダでぼんやりとしていた。クラスメイトは外にいる。授業時間中だから、要するに、さぼりだった。
シーアとサーヤが一緒に扉を封印したのを見て、双子の兄のことを思い出した。きっともう、この空にはいないだろう、兄。
兄は、遺跡を封印した後に、地上に設置していたワープゲートを繋げて地上に戻った。それが使命だと、兄は言った。もうとっくに燃えただろう記録を守るために、そこまでする理由が、ナユタには分からなかった。
はたして、地上でどんな扱いを受けているのかは、―――考えたくないから、考えない。首を横に振って嫌な想像を誤魔化す。
彼は賢いから、きっと何とかする術を残しているのだろう、と、信じることしかできない。
寂しくないと言ったら嘘になる。悲しくないかと言ったら、嘘になる。
ボクたちは違う道を行くことになった。ずっと一緒に過ごしてきた兄のことを想って、彼女たちが、こんな気持ちになるようなことがなければ良いと祈った。
風はどこまでも穏やかで、地上の兄も同じものを感じていたらいいと思うのだった。
*
大人たちの間では、遺跡が見つかったことが大きなトピックになっているようだった。
とはいえ、知っているのはごく一部だ。そのごく一部で、次の嵐の日に、調査のためと銘打って同じ場所に飛んだが、遺跡は見つからなかったらしい。
では、なぜ男は遺跡の場所を知っていたのか。大人たちは問い詰めたが、帰ってきた答えはこうだった。
「嵐の中を飛び回ることを避けるようなお利口さんの頭じゃ、わからんだろうね」
結局答えは分からずじまいで、大人たちはそのまま調査を続けることにしたようだった。
遺跡の扉が開かれぬように。
「でも地上って、ロマンあるわよね」
「なんだよ、藪から棒に」
やめろよ、とリアムがじとりと睨んだのをものともせず、シーアは言葉を続けた。
「だって! お父様だってきっとまだ冒険したことないはずよ! そんな場所がこの世にあるなんて、考えただけでわくわくするわ!」
何があったら嬉しいかしら、と自分の世界に入り込んだシーアを見ながら、サーヤはぽつりと呟いた。
「怖かったくせに……」
「ま! 実際行くのと考えるのでは違うでしょ!」
むすくれたシーアにリアムが言う。
「実際、行くとしてもお前ひとりじゃ無理だろうな」
「なんですって!?」
あんただって一人じゃ無理でしょうに! 俺はそもそも行く気はないからな、と、いつも通りぎゃんぎゃんやりだした二人の後ろで、マシューが声を掛ける。
「ちなみに、サーヤさんは大丈夫だったの?」
「? ぼくは大丈夫だよ。怖かったのはそうだけど……隣にはシーアがいたし、みんな助けてくれるって、信じてたから」
なるほど、と頷く。確かにな、と思いながら、マシューは言った。
「それなら、僕の方が怯えてたかもね。本当に不安だったよ」
「そうなの? でもマシューくんは飛ぶの上手じゃん」
あはは、と笑ってマシューは答えた。
「大切な友人だからね、君も、彼らも」
サーヤはきょとんとしてから、なんだかそれが嬉しくなって、顔を綻ばせた。
「うん、ありがとう」
気づけばシーアとリアムも静かにこっちを見ていた。シーアが意外そうに言う。
「マシュー、あんた、サーヤにはそういうこと言うのね」
「えっ」
あー……。しばらくごまかしの言葉を考えてから、マシューはようやく言葉を吐いた。
「ほら、サーヤさんは素直に受け取ってくれるから……」
「ふうん」
シーアはサーヤの隣に立って、サーヤの手を取る。手を取って、―――走り出した。
「アンタなんかにサーヤはあげないんだから! サーヤは私の大切な妹だもの!」
「ちょ、ちょっとシーア! 絶対そういうことじゃないって!」
サーヤの言葉もろくに聞かず、シーアはマシューにべ、と舌を出した。そのまま二人を置き去りにして、彼女たちは寮へと帰っていく。
「あー……。フ、どんまい」
「……」
唖然とするマシューに半笑いのリアムが肩をポンとたたいた。マシューはなんだかそれが腹立たしくなったので、払いのけて走り出す。
「リアムがシーアさんを想って最近あんま眠れてないってちくってやる……!」
「はあ!? おい待てお前、お前もそういう類の弱みいっぱいあるだろ!」
バタバタと走り出した二人を、空を飛ぶウィンドグライダーたちが眺めていた。まだまだ先は長いようだ、と呆れたように飛んでいく。
風は君たちを祝福するように穏やかで、きっと明日もこんな日が続いていくのだろうと思った。
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ふたつの翼、ひとつの空
10話 5264文字
寮に戻れば、険しい顔の先生方がロビーで話をしている最中だった。マシューに気付いたティア先生は、表情が和らげておかえり、と声を掛けてくる。
「サーヤさんたちは!?」
「部屋にいるよ~。リアムとジゼルも一緒じゃないかな? ほんとはだめだけど、今は特別にね」
ありがとうございます、とだけ答えて、マシューは彼女たちの部屋に急いだ。
「にしても、もっと早く相談出来たのでは?」
じと、とした顔でヴェルタが言う。イズミは気まずそうに目線をうろつかせた。
「いや……。すみません」
何も言えずに観念したように謝ると、ティアが助け舟を出した。
「でも私たちには共有してくれましたよ、彼」
「えっ」
レナードも頷く。
「……あなたは忙しくしているようだから、職員会議で改めて共有しようかと言っていた」
「ああ~……」
ヴェルタは頭を抱えた。イズミは気まずくて仕方なかった。フォローする言葉が見つからない。
「私も知っていたぞ、ヴェルタ」
いつの間にいたのか、後ろからセラ校長までやって来る。くつくつと笑う彼女はあまりにも楽しそうだった。
「君はいつもそういう役回りだよな。まあ、君はもう現役の騎士ではないわけだし、今回は対処できたんだろう? それはひとまず褒められるべきだ。まあ、対策を立てるべきでもあるが……、なあ、イズミ君」
「やめてくださいよ、先生……」
巻き込まれたイズミは困った顔をした。そうすることでやり過ごそうとしている。変わらないしぐさに、セラはわっはっはと大きく笑った。
「あ……貴方も現役じゃないでしょう……!! ふん、役立たずだと言いたいんですか! 私だって騎士だったわけです、知識であなたをぎゃふんと言わせることだって容易いんですから」
「あはは、悪かったって。ぎゃふんと言わされたくはないからこの辺でやめとくか」
セラの物言いに不満そうなヴェルタをあっさりといなして、セラは全員と顔を合わせた。
「さて、残業だよ、諸君。生徒のためを思うと腕が鳴るねえ」
全員が自然と姿勢を正して返事をした。彼女は不敵にほほ笑む。
「うちの生徒を攫おうととした不届き者の所在を突き止めてやろうじゃないか」
*
「二人とも!」
「うわっ、……なによ、マシューじゃない」
「びっくりした……」
大きく音を立てて扉を開けば、先生の言葉通り、シーアとサーヤ、リアム、ジゼルがいた。マシューは驚かせたことを謝りながらも、大慌てのまま問うた。
「なんか、襲われたって聞いたよ!? 大丈夫だったの、怪我とかは」
「先生方とジゼルがなんとかしてくれたから問題ないわよ」
「ま、慣れっこっすわな」
シーアが答えればジゼルが胸を張る。胸を張ってから、そのまま静かになった。何かを考え込んでいるようだった。
「オマエ、どうしたんだよ」
リアムが聞く。ジゼルはしばらく黙っていたが、リアムの視線が自分に向いていると気づいて顔を上げた。
「……あ、俺すか? いや、……」
そうしてしばらく考え込む。それから、改めてジゼルはこう言った。
「……確証が持てないことは言うべきではないと思うんすよね~。シーアとサーヤって、なんで襲われたかとか分かってんすか?」
ジゼルはそう言って首を傾げた。全員が怪訝そうな顔したが、彼に話す気は無いようだった。
「……まあ、それが分かってたらここで頭付き合わせて悩んだりしてないわよね」
シーアはうーん、と唸ってから答えた。
「ぼくたちも戸惑ってるんだ」
サーヤも困り顔だ。不安そうな二人は顔を見合わせて同時に首を傾げた。
「……」
ほかの四人がああじゃないこうじゃないと憶測を立てる中で、ジゼルだけが静かに何事かを思案していた。
四人ともそれに気付いていたが、深入りしても仕方ないだろうと分かっていたので、気付かないふりをして話を続けた。
*
「ごきげんよう、シーアさん、サーヤさん」
次の日の朝。シーアとサーヤが支度をして寮を出た先で、フェリシア先輩が待っていた。リアムとマシューも一緒だ。
「昨日は大変だったそうですね。お話は聞いております。先生方が悩まれていた様子だったので、わたくしが送迎を申し出ましたの」
疑問が顔に出ていたのか、フェリシアは二人が聞くより先にそう答えた。それに照れたように笑ったサーヤは、シーアと顔を合わせて言った。
「フェリシア先輩が一緒なら安心できるね、シーア!」
「そうね。よろしくお願いします、先輩」
フェリシアは頷いて、そのまま一緒に学校に向かうことになる。いつもなら後ろからジゼルが話しかけてくるのだが、フェリシア先輩が一緒だからか、今日はそれは無かった。
何事もなく校舎へ着く。二人を教室まで送り届けて、フェリシアはこう言った。
「校内には先生方がいらっしゃいますが、それでも十分にお気を付けて。帰りも迎えに参りますから」
「はい、先輩!」
それでは、とフェリシア先輩は上品に手を振って自身の教室へ向かって行った。ジゼルはいつのまにか教室にいたが、特に話しかけては来なかった。クラスメイト達の心配の言葉を受けていると、イズミ先生がホームルームにやって来る。
その日、ジゼルはずっと静かだった。リアムやマシューがそれとなく声を掛けても上の空で、なんだかずいぶんと嫌な予感がした。
*
昼休み。先生たちの監視の目を潜り抜け、屋上で昼食を食べるのがジゼルの日課だった。
「……」
ぼう、っと空を見上げるのは気持ちいい。授業では空の上には宇宙があるのだと言っていたが、どこまでも高く続く青に天井があるようには思えなくて、それをそのまま口にすれば、先生は空に天井はないのだと教えた。そのあとの話はよく分からなかった。
天井がないなら、上って概念もないんじゃねえの。どこからどこまでが俺たちの空で、どこを超えたら宇宙なんだろうか。
よく分からないことばかりだ、と思う。父はジゼルにいろいろなことを教えたが、それらは生きるために必要な技術でしかなかった。
よく分からないことは、知らなくても生きていける。だが、頭を使えたら状況が有利になることもある。これが、ジゼルにとって、新しい学びだった。
もし、自分の頭が良かったら。
今抱えている悩みも、父の後悔も、その他のたくさんのことが、上手くいったりするのだろうか。
ふと、見上げていた空に人の影が差す。―――気づかなかった。顔を上げる。
「やあ、ジゼル。久しぶりだね、覚えているかな」
「―――アンタ、あの時の」
それは、シーアとサーヤを襲った張本人だった。咄嗟にナイフを出そうとして武器の所持を禁止されていたことに気付く。
彼はそれを見てにんまりと笑った。
「覚えているわけではなさそうだね。まあどっちでもいのさ、そんなことは」
不意を衝いて、が、と胸ぐらを捕まれる。声が出せないよう手を口で覆われれば、もう後は何もできなかった。
「おとなしくしていてくれ。そうじゃなきゃ、痛い目に合うと思えよ」
男は小さな声で呪文を唱える。そうすれば、あっという間にジゼルは拘束されてしまった。ろくに抵抗も出来ぬまま、ウィンドグライダーに乗せられる。
「さあ、行こうか」
ね、と男はジゼルに微笑みかけ、ウィンドグライダーに跨ろうとしたところで、
「待ちなさい!」
「おっと」
フェリシアだった。だが一歩遅い、と男はそのまま飛び立った。フェリシアも負けじと飛び立つ。ああ、良い連携ができている、と場違いにもジゼルは思った。
「はあ、面倒だな」
男がぐんぐんと上に飛ぶ。それこそ、宇宙にでも届くんじゃないかと思うほどだった。
フェリシアもそれを追ってきたが、これは罠だった。
ぐい、と方向転換。男が呪文を唱えながらフェリシアに突っ込んだ。思いっきり吹っ飛ぶ。―――それも、地面がある方に。
こんな高さで落ちたら死んでしまう、とジゼルは焦った。その気持ちを汲んだのか、ジゼルのウィンドグライダーがそれを拾った。それに安心した自分がいるのがなんだか居心地悪かった。
フェリシアは態勢を立て直し、ジゼルのウィンドグライダーに跨ったまま負けじとこちらを追おうとする、が―――
「残念だったな、姫様」
一歩遅い。男はあっさりとそこに置いていたワープゲートに突っ込んで、
―――彼らの姿は見えなくなった。
*
ジゼルが攫われてしまったと報告を受けて、校内は騒然としていた。なるべく一斉に帰宅すること。できれば上級生と一緒に、ということで、その日は集団下校となった。
「お前ら、今日は寮から出るなよ」
「そうだよ、変なことがあったらすぐ先生に言ってね」
リアムもマシューも、特にリアムは珍しく素直に二人を心配してから部屋に戻って行った。
「どうする、シーア」
「ひとまず部屋に戻りましょ、サーヤ。きっと大丈夫よ」
そうだろうか。なんだかとっても不安な気持ちで部屋に戻る。部屋に戻っても二人とも落ち着かなくて、ずっとそわそわと過ごしていた。
ふと、着信が鳴る。おばあちゃんだろうかと顔をほころばせて二人が画面を見れば、そこにはジゼル、と表記があった。
顔を見合わせる。それから、スピーカーにして、録音しながらその電話を取った。
「もしもし?」
「誰よ、アンタ」
知らない声だ。男、だろうか。くつくつと笑う男は、それでもあっさりとネタバラシをした。
「学校、大変そうだね。ジゼル君は無事だよ。最も、生きているだけに過ぎないけれど」
「……要件は何ですか」
サーヤも表情が硬い。おや、と男は意外そうな声を出した。
「もしかしてそんなに心配じゃない? じゃあ別にいいか。このまま彼一人いなくなっても」
「馬鹿なこと言わないで。サーヤはあなたの用件を聞いたの。心配じゃないなんて一言も言ってない」
「おやおや……」
血の気が多いな。向こうはこちらを逆なでする言葉を選んでいるようだった。乗っては思うツボだとシーアは小さく息を吐いた。
「簡単さ、彼を無事に返してほしかったら二人だけでここまで来なさい。場所はメールで送ってあげようとも」
ぽこん、通知が鳴る。確かにメールには座標が表示されていた。
「ほかの人に伝えたり、万が一君たちが来ないようなら、彼はここで一人死んでしまうことになるだろうね」
ね、という声とともに鈍い音、呻き声。
「……っ、分かったからもうジゼルくんに触らないで!」
サーヤも限界のようだった。ふふ、と笑みをこぼした男は、最後に待ってるよと言い残して電話を切った。
「……行きましょ、サーヤ。窓から出ればきっとバレないわ」
「……うん」
不安そうにしながらも、シーアとサーヤは顔を見合わせて頷いた。窓を開けて、木々を伝って外に出る。ドジは踏まなかった。
そのままこそこそと座標の場所まで走った。着いた頃にはジゼルはもう、なんて想像が頭をよぎっては消える。それでも言葉にはせずに走った。言葉にしたら現実になってしまう気がした。
そんな頃。ナユタはなんだか唐突にものすごく嫌な予感がして、寮の中でサーヤを探し回っていた。ノックをする。返事はない。風の音がする。声を掛けてからドアを開ければ、窓が開けっぱなしだった。二人はいない。
「部屋にはいないか……」
開けっぱなしにするなんて、と窓を閉める。それから、リアムとマシュ―を探しに行った。
二人は部屋にいた。息を切らして訪問してきた思ってもいなかった客に目を丸くする。
「―――シーアとサーヤは?」
「は? ここにはいねえけど。部屋じゃね?」
遅かったかもしれない。ナユタの顔色が悪くなったのを見て、マシューが心配そうに声を掛けた。
「もしかして……」
「部屋にはいなかったんだ」
その言葉に、リアムとマシューは目を見合わせて立ち上がる。
「先生呼んできてくれ、俺らは寮の中をもう一度探してみる」
「僕、二階行くよ」
「まかせた」
そう言ってあっという間に走って行った。ナユタもなるべく早く先生方に伝えるべく走り出した。
*
「ああ、来たね」
「ジゼル!」
「ジゼルくん!」
のんびりとした動きで男は二人を制した。拘束されたまま驚いた顔をしているジゼルは思ったより元気そうだった。
「じゃあ、約束通りだ。こっちにおいで」
「……ジゼルを先に開放しなさいよ」
「おや、君たちはそんなことを言える立場じゃないだろう」
男はそう言って、ジゼルにナイフを突きつけた。
「……わかったわよ」
二人が近づいていけば、男は再び呪文を唱えた。身構えることも出来ずに拘束された二人とは反対に、ジゼルの拘束は外されていた。
「ほら、帰りたまえよ。君はもう必要ないから」
「お前……ッ」
「いいのか? この二人の命は今、私が握っているんだよ」
咄嗟に襲い掛かろうとしたジゼルをそんな言葉一つで制する。
「絶対に助けに行くんで。首洗って待ってろ」
悔しそうに言葉を吐いて、ジゼルはウィンドグライダーに乗って行った。不安そうにそれを眺める二人に、男はこう言った。
「いや、いや、みんなして馬鹿で助かるね。君たちには無事でいてもらわないといけないから乱暴はしないけれど、抵抗したら容赦しないよ」
男はそのまま、ウィンドグライダーに二人を乗せて、どこかに飛び立った。行く先も、男の目的も分からないまま飛んでいる中、シーアとサーヤは身を寄せ合うことで何とか恐怖を耐え忍んでいた。
外は風が強くて、嵐が近いことを予感させていた。
畳む
10話 5264文字
寮に戻れば、険しい顔の先生方がロビーで話をしている最中だった。マシューに気付いたティア先生は、表情が和らげておかえり、と声を掛けてくる。
「サーヤさんたちは!?」
「部屋にいるよ~。リアムとジゼルも一緒じゃないかな? ほんとはだめだけど、今は特別にね」
ありがとうございます、とだけ答えて、マシューは彼女たちの部屋に急いだ。
「にしても、もっと早く相談出来たのでは?」
じと、とした顔でヴェルタが言う。イズミは気まずそうに目線をうろつかせた。
「いや……。すみません」
何も言えずに観念したように謝ると、ティアが助け舟を出した。
「でも私たちには共有してくれましたよ、彼」
「えっ」
レナードも頷く。
「……あなたは忙しくしているようだから、職員会議で改めて共有しようかと言っていた」
「ああ~……」
ヴェルタは頭を抱えた。イズミは気まずくて仕方なかった。フォローする言葉が見つからない。
「私も知っていたぞ、ヴェルタ」
いつの間にいたのか、後ろからセラ校長までやって来る。くつくつと笑う彼女はあまりにも楽しそうだった。
「君はいつもそういう役回りだよな。まあ、君はもう現役の騎士ではないわけだし、今回は対処できたんだろう? それはひとまず褒められるべきだ。まあ、対策を立てるべきでもあるが……、なあ、イズミ君」
「やめてくださいよ、先生……」
巻き込まれたイズミは困った顔をした。そうすることでやり過ごそうとしている。変わらないしぐさに、セラはわっはっはと大きく笑った。
「あ……貴方も現役じゃないでしょう……!! ふん、役立たずだと言いたいんですか! 私だって騎士だったわけです、知識であなたをぎゃふんと言わせることだって容易いんですから」
「あはは、悪かったって。ぎゃふんと言わされたくはないからこの辺でやめとくか」
セラの物言いに不満そうなヴェルタをあっさりといなして、セラは全員と顔を合わせた。
「さて、残業だよ、諸君。生徒のためを思うと腕が鳴るねえ」
全員が自然と姿勢を正して返事をした。彼女は不敵にほほ笑む。
「うちの生徒を攫おうととした不届き者の所在を突き止めてやろうじゃないか」
*
「二人とも!」
「うわっ、……なによ、マシューじゃない」
「びっくりした……」
大きく音を立てて扉を開けば、先生の言葉通り、シーアとサーヤ、リアム、ジゼルがいた。マシューは驚かせたことを謝りながらも、大慌てのまま問うた。
「なんか、襲われたって聞いたよ!? 大丈夫だったの、怪我とかは」
「先生方とジゼルがなんとかしてくれたから問題ないわよ」
「ま、慣れっこっすわな」
シーアが答えればジゼルが胸を張る。胸を張ってから、そのまま静かになった。何かを考え込んでいるようだった。
「オマエ、どうしたんだよ」
リアムが聞く。ジゼルはしばらく黙っていたが、リアムの視線が自分に向いていると気づいて顔を上げた。
「……あ、俺すか? いや、……」
そうしてしばらく考え込む。それから、改めてジゼルはこう言った。
「……確証が持てないことは言うべきではないと思うんすよね~。シーアとサーヤって、なんで襲われたかとか分かってんすか?」
ジゼルはそう言って首を傾げた。全員が怪訝そうな顔したが、彼に話す気は無いようだった。
「……まあ、それが分かってたらここで頭付き合わせて悩んだりしてないわよね」
シーアはうーん、と唸ってから答えた。
「ぼくたちも戸惑ってるんだ」
サーヤも困り顔だ。不安そうな二人は顔を見合わせて同時に首を傾げた。
「……」
ほかの四人がああじゃないこうじゃないと憶測を立てる中で、ジゼルだけが静かに何事かを思案していた。
四人ともそれに気付いていたが、深入りしても仕方ないだろうと分かっていたので、気付かないふりをして話を続けた。
*
「ごきげんよう、シーアさん、サーヤさん」
次の日の朝。シーアとサーヤが支度をして寮を出た先で、フェリシア先輩が待っていた。リアムとマシューも一緒だ。
「昨日は大変だったそうですね。お話は聞いております。先生方が悩まれていた様子だったので、わたくしが送迎を申し出ましたの」
疑問が顔に出ていたのか、フェリシアは二人が聞くより先にそう答えた。それに照れたように笑ったサーヤは、シーアと顔を合わせて言った。
「フェリシア先輩が一緒なら安心できるね、シーア!」
「そうね。よろしくお願いします、先輩」
フェリシアは頷いて、そのまま一緒に学校に向かうことになる。いつもなら後ろからジゼルが話しかけてくるのだが、フェリシア先輩が一緒だからか、今日はそれは無かった。
何事もなく校舎へ着く。二人を教室まで送り届けて、フェリシアはこう言った。
「校内には先生方がいらっしゃいますが、それでも十分にお気を付けて。帰りも迎えに参りますから」
「はい、先輩!」
それでは、とフェリシア先輩は上品に手を振って自身の教室へ向かって行った。ジゼルはいつのまにか教室にいたが、特に話しかけては来なかった。クラスメイト達の心配の言葉を受けていると、イズミ先生がホームルームにやって来る。
その日、ジゼルはずっと静かだった。リアムやマシューがそれとなく声を掛けても上の空で、なんだかずいぶんと嫌な予感がした。
*
昼休み。先生たちの監視の目を潜り抜け、屋上で昼食を食べるのがジゼルの日課だった。
「……」
ぼう、っと空を見上げるのは気持ちいい。授業では空の上には宇宙があるのだと言っていたが、どこまでも高く続く青に天井があるようには思えなくて、それをそのまま口にすれば、先生は空に天井はないのだと教えた。そのあとの話はよく分からなかった。
天井がないなら、上って概念もないんじゃねえの。どこからどこまでが俺たちの空で、どこを超えたら宇宙なんだろうか。
よく分からないことばかりだ、と思う。父はジゼルにいろいろなことを教えたが、それらは生きるために必要な技術でしかなかった。
よく分からないことは、知らなくても生きていける。だが、頭を使えたら状況が有利になることもある。これが、ジゼルにとって、新しい学びだった。
もし、自分の頭が良かったら。
今抱えている悩みも、父の後悔も、その他のたくさんのことが、上手くいったりするのだろうか。
ふと、見上げていた空に人の影が差す。―――気づかなかった。顔を上げる。
「やあ、ジゼル。久しぶりだね、覚えているかな」
「―――アンタ、あの時の」
それは、シーアとサーヤを襲った張本人だった。咄嗟にナイフを出そうとして武器の所持を禁止されていたことに気付く。
彼はそれを見てにんまりと笑った。
「覚えているわけではなさそうだね。まあどっちでもいのさ、そんなことは」
不意を衝いて、が、と胸ぐらを捕まれる。声が出せないよう手を口で覆われれば、もう後は何もできなかった。
「おとなしくしていてくれ。そうじゃなきゃ、痛い目に合うと思えよ」
男は小さな声で呪文を唱える。そうすれば、あっという間にジゼルは拘束されてしまった。ろくに抵抗も出来ぬまま、ウィンドグライダーに乗せられる。
「さあ、行こうか」
ね、と男はジゼルに微笑みかけ、ウィンドグライダーに跨ろうとしたところで、
「待ちなさい!」
「おっと」
フェリシアだった。だが一歩遅い、と男はそのまま飛び立った。フェリシアも負けじと飛び立つ。ああ、良い連携ができている、と場違いにもジゼルは思った。
「はあ、面倒だな」
男がぐんぐんと上に飛ぶ。それこそ、宇宙にでも届くんじゃないかと思うほどだった。
フェリシアもそれを追ってきたが、これは罠だった。
ぐい、と方向転換。男が呪文を唱えながらフェリシアに突っ込んだ。思いっきり吹っ飛ぶ。―――それも、地面がある方に。
こんな高さで落ちたら死んでしまう、とジゼルは焦った。その気持ちを汲んだのか、ジゼルのウィンドグライダーがそれを拾った。それに安心した自分がいるのがなんだか居心地悪かった。
フェリシアは態勢を立て直し、ジゼルのウィンドグライダーに跨ったまま負けじとこちらを追おうとする、が―――
「残念だったな、姫様」
一歩遅い。男はあっさりとそこに置いていたワープゲートに突っ込んで、
―――彼らの姿は見えなくなった。
*
ジゼルが攫われてしまったと報告を受けて、校内は騒然としていた。なるべく一斉に帰宅すること。できれば上級生と一緒に、ということで、その日は集団下校となった。
「お前ら、今日は寮から出るなよ」
「そうだよ、変なことがあったらすぐ先生に言ってね」
リアムもマシューも、特にリアムは珍しく素直に二人を心配してから部屋に戻って行った。
「どうする、シーア」
「ひとまず部屋に戻りましょ、サーヤ。きっと大丈夫よ」
そうだろうか。なんだかとっても不安な気持ちで部屋に戻る。部屋に戻っても二人とも落ち着かなくて、ずっとそわそわと過ごしていた。
ふと、着信が鳴る。おばあちゃんだろうかと顔をほころばせて二人が画面を見れば、そこにはジゼル、と表記があった。
顔を見合わせる。それから、スピーカーにして、録音しながらその電話を取った。
「もしもし?」
「誰よ、アンタ」
知らない声だ。男、だろうか。くつくつと笑う男は、それでもあっさりとネタバラシをした。
「学校、大変そうだね。ジゼル君は無事だよ。最も、生きているだけに過ぎないけれど」
「……要件は何ですか」
サーヤも表情が硬い。おや、と男は意外そうな声を出した。
「もしかしてそんなに心配じゃない? じゃあ別にいいか。このまま彼一人いなくなっても」
「馬鹿なこと言わないで。サーヤはあなたの用件を聞いたの。心配じゃないなんて一言も言ってない」
「おやおや……」
血の気が多いな。向こうはこちらを逆なでする言葉を選んでいるようだった。乗っては思うツボだとシーアは小さく息を吐いた。
「簡単さ、彼を無事に返してほしかったら二人だけでここまで来なさい。場所はメールで送ってあげようとも」
ぽこん、通知が鳴る。確かにメールには座標が表示されていた。
「ほかの人に伝えたり、万が一君たちが来ないようなら、彼はここで一人死んでしまうことになるだろうね」
ね、という声とともに鈍い音、呻き声。
「……っ、分かったからもうジゼルくんに触らないで!」
サーヤも限界のようだった。ふふ、と笑みをこぼした男は、最後に待ってるよと言い残して電話を切った。
「……行きましょ、サーヤ。窓から出ればきっとバレないわ」
「……うん」
不安そうにしながらも、シーアとサーヤは顔を見合わせて頷いた。窓を開けて、木々を伝って外に出る。ドジは踏まなかった。
そのままこそこそと座標の場所まで走った。着いた頃にはジゼルはもう、なんて想像が頭をよぎっては消える。それでも言葉にはせずに走った。言葉にしたら現実になってしまう気がした。
そんな頃。ナユタはなんだか唐突にものすごく嫌な予感がして、寮の中でサーヤを探し回っていた。ノックをする。返事はない。風の音がする。声を掛けてからドアを開ければ、窓が開けっぱなしだった。二人はいない。
「部屋にはいないか……」
開けっぱなしにするなんて、と窓を閉める。それから、リアムとマシュ―を探しに行った。
二人は部屋にいた。息を切らして訪問してきた思ってもいなかった客に目を丸くする。
「―――シーアとサーヤは?」
「は? ここにはいねえけど。部屋じゃね?」
遅かったかもしれない。ナユタの顔色が悪くなったのを見て、マシューが心配そうに声を掛けた。
「もしかして……」
「部屋にはいなかったんだ」
その言葉に、リアムとマシューは目を見合わせて立ち上がる。
「先生呼んできてくれ、俺らは寮の中をもう一度探してみる」
「僕、二階行くよ」
「まかせた」
そう言ってあっという間に走って行った。ナユタもなるべく早く先生方に伝えるべく走り出した。
*
「ああ、来たね」
「ジゼル!」
「ジゼルくん!」
のんびりとした動きで男は二人を制した。拘束されたまま驚いた顔をしているジゼルは思ったより元気そうだった。
「じゃあ、約束通りだ。こっちにおいで」
「……ジゼルを先に開放しなさいよ」
「おや、君たちはそんなことを言える立場じゃないだろう」
男はそう言って、ジゼルにナイフを突きつけた。
「……わかったわよ」
二人が近づいていけば、男は再び呪文を唱えた。身構えることも出来ずに拘束された二人とは反対に、ジゼルの拘束は外されていた。
「ほら、帰りたまえよ。君はもう必要ないから」
「お前……ッ」
「いいのか? この二人の命は今、私が握っているんだよ」
咄嗟に襲い掛かろうとしたジゼルをそんな言葉一つで制する。
「絶対に助けに行くんで。首洗って待ってろ」
悔しそうに言葉を吐いて、ジゼルはウィンドグライダーに乗って行った。不安そうにそれを眺める二人に、男はこう言った。
「いや、いや、みんなして馬鹿で助かるね。君たちには無事でいてもらわないといけないから乱暴はしないけれど、抵抗したら容赦しないよ」
男はそのまま、ウィンドグライダーに二人を乗せて、どこかに飛び立った。行く先も、男の目的も分からないまま飛んでいる中、シーアとサーヤは身を寄せ合うことで何とか恐怖を耐え忍んでいた。
外は風が強くて、嵐が近いことを予感させていた。
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ふたつの翼、ひとつの空
9話 7521文字
耳元で、最大限に小さくされた目覚まし時計が鳴る。ウィンドグライダー―――アルヴィのため、相当早い時間に一度起きて世話をするのがマシューの日課だった。
この時間はまだリアムも寝ている。最近はたまに目を覚まして一緒に彼らの手入れをすることも増えたのだが……今日はそうじゃないらしかった。ぐっすりだ。
「おはよう、アルヴィ」
アルヴィは無口で不愛想なほうだった。それが個性ってやつなんじゃねえの、と、いつだかジゼルが言っていた。それまでは大きな反応を引き出すためにあれやこれやと頑張っていたが、そうじゃなくてもいいのだと気づいてからはそのままにしている。
「今日も林檎を持ってきたんだ。……そんな顔しないで、他のは売り切れてたんだよ」
連日林檎で不服そうなアルヴィは、それでも受け取りはするらしかった。そんなところがかわいいんだよなあ、と撫でる。特に嫌がられはしなかった。機嫌が良いようだ。
彼とも随分仲良くなったものだ。その一方で、アルヴィと関わるたび思い出すのは母親のことだ。はあ、と思わずため息を吐けば、アルヴィがそれに反応してこちらを見た。なんでもないよ、と笑っても、彼はしばらくこちらをじっと見ている。―――ああ、アルヴィのこういうところはすごく分かりやすい。心配をかけているなあ、と思わず苦笑した。
「はよー。毎日毎日はえーな……」
「わ、おはよう。もう習慣だからね」
後ろから声がかかる。リアムだ。ふわあ、と大きく欠伸をした彼のもとに、ノーヴァがやってきて頭を乗せる。リアムももう慣れたもので、朝の挨拶をしながらその頭を撫でてやるのだった。
「なんか落ち込んでた?」
そのままリアムがこちらに問う。アルヴィとの会話を見られていたのだろう。
「いや、落ち込んでたっていうか……。両親のことを考えてたんだよ、どうしたらわかってくれるのかなあって」
「ふうん」
それからしばらくリアムは静かだった。ノーヴァにご飯を渡し、簡単に毛づくろいをする。その隣でマシューもアルヴィの体を綺麗にしてやる。わざわざ深入りしてこない空気が心地よかった。
「そういえば、」
リアムが口を開く。
「サーヤが心配してたぜ。お前のお母さんのこと」
「えっ」
「なんつったかなあ、なんか気がかりなことがあるんだとよ。―――ああ、あれだぜ、こないだの授業で話す機会があったから知ってるだけ」
なんでそれを知ってるのがリアムなんだよ。少しだけ漏れそうになった疑問はあっさりバレて、訂正されたのが少し恥ずかしくなった。そういえば、サーヤとは最近あまりゆっくり話していない。
「母親にも母親の苦労があんのかねえ、それでも俺にはわかんねえや」
それだけ言って、リアムはもうひと眠りするからとその場を去った。それを見送ってから、マシューは母親のことを考えながら、アルヴィと並んで、ぼうっと空を見ているのだった。
*
「おはよう、マシュー。ちょっといいかな」
教室に着いた矢先、イズミ先生はマシューを呼び出した。不思議そうな顔をした四人を置いて立ち上がる。なんかしたんすか、と野次を飛ばすジゼルに否定を返す。
イズミ先生は隣の空き教室までマシューを連れて行くと、小さくため息をついた。
「マシュー。お母さんがね、授業を見学したいんだってさ」
「えっ」
どういう心境の変化なんだ。彼女の意図を図りかねていれば、だよねえ、とイズミ先生も同調する。
「でも、今までに比べるとなんだか随分しおらしかったよ。君が嫌ならもう少し交渉してみるけど」
早朝のリアムの言葉が頭をよぎった。マシューは意を決してイズミと目を合わせる。
「いえ……。一度、母と話してきてもいいですか?」
イズミ先生は頷いた
「君がそう言うならそうしよう。応接室にいるよ、今はレナード先生が対応してくれてる」
わかりました、と頷く。マシューは、そのまま教室を出て、応接室まで行くことにした。
*
「失礼します」
カタン、と音を立ててマシューが扉を開ければ、イズミ先生の言葉通りレナード先生と目が合った。
「おお、マシュー」
レナード先生が椅子を勧めてくれたのをありがたく受け取って座る。その間、母は一言も発さなかった。
「マシュー、貴方は……」
母は何かを言おうとしては口を閉ざす。マシューは静かにそれを待った。
「いえ、……お父さんがね、あの、姫様と会った日からおかしいの。マシューにはマシューの人生がある、って……。だけど私、やっぱりあなたには絵を描いて欲しいの、あなたの絵が好きだったから。それは、……お父さんも、きっとそうだった」
でも、と、再び口を閉ざす。しばらくして、再び口を開いた。
「あなたは、そうじゃないって言うから……」
困ったように視線をうろつかせて、母は問う。
「あなたは、もう絵は描きたくない?」
「そんなことないよ」
「じゃあどうして、」
沈黙。静かに息を吸って、マシューは答えた。
「もっと好きなことがあるからだよ」
「……」
何度も話したのに、まだ分かってくれないのだろうか。どうすれば分かってくれるのだろうか。マシューが悲しい顔をしているのを見て、母親は首を横に振った。
「違う、そうじゃないのよ、そうじゃない」
落ち着かせるように母はしばらく深呼吸をして、マシューに目を合わせた。
「私、あなたには才能があると思ってるの。いつでも絵に戻ってきて欲しい。―――これは、私にとっては変わらない。私たちの家柄なら、騎士になるより楽に幸せになれると思ってる。これも、本当」
けれど。目を合わせたまま、彼女は言う。
「あなたがやりたいこと、何も知らないまま否定するのは違うって、……言われて」
そうして彼女は気まずそうに目を逸らした。
「だから、知ろうと思ったの」
最大限、歩み寄ろうとしてくれているのだろう。マシューは思った。信じられないくらいの進歩だった。先生方は、後ろで静かに見守っている。
「……分かった」
母は顔を上げた。マシューは立ち上がる。
「先生方の迷惑にならないなら……僕も、そのほうが嬉しい」
どうですか、と先生方を振り返れば、うんうんと頷かれた。
「子供が迷惑なんて考えなくていい。……ここの先生方は、みんなそう言って歓迎してくれるはずだ」
ヴェルタ先生も頷いている。マシューもなんだか安心して、照れたように笑った。
そうしているうちに、授業開始のチャイムが鳴る。今彼でも準備をしてきなさいとマシューを教室に返した後、ヴェルタ先生は茫然とそれを見守る彼女に声を掛けた。
「彼の……確実な幸せを願ってのことだったんですね」
「……」
「親って、そういう生き物ですよね。親の心子知らず、なんて言葉がありますが……子の心親知らず、でもあります。ちゃんと知ろうとしてくれるなら、私たちも歓迎しますよ」
大変だったでしょう、認めるまで。
素直な労いだった。悪意がないのはなんとなく分かったので反発はしなかったが、なんだかむずがゆくて、自身の親のことを―――彼女が子供だった頃を、思い出した。
*
「―――というわけで、今日はウィンドグライダーちゃんたちのお手入れがしっかり出来てるかをチェックするよー!」
ティア先生が高々と宣言する。曰く、彼らも生き物なので、ちゃんと必要な世話を出来ているかは上手く飛ぶのに大切な要素らしい。
とはいえ、マシューの母親に配慮した授業内容であることも間違いないのだろう。
「お前のかーちゃん、今度はどういう風の吹き回しなの」
見学に来ている母を視線だけで指しながらリアムが言う。マシューは、さあ、と答えながら首を傾げた。彼女の急な心境の変化に戸惑っているのは、マシューも同じだった。
サーヤは心配そうにマシューを見た。シーアも同じように様子を伺う。マシューは二人を安心させるように微笑んだ。大丈夫だと頷く。シーアはそれで視線を元に戻したが、サーヤは心配そうなままだった。
「まあ。でも。話を聞いてくれる気にはなったみたいだよ」
よく分かんないけど。それを聞いたリアムはふうん、と頷いて視線を戻した。こんな会話の間もティア先生は次々に生徒たちの間を回りウィンドグライダーの様子をチェックしてはアドバイスをしている。彼女のアドバイスは的確だった。
シーアはちょっと無茶をさせすぎ。サーヤは偏ったご飯を食べさせすぎ。ジゼルはもっと甘やしてあげなさいと言われて首を傾げていた。
「ハイ次、リアム!」
呼ばれたリアムが少し姿勢を正す。ふむふむとティア先生は上から下までノーヴァを見た。
「思ったより良い感じじゃん? 入学して飛び始めた当初はもうほんとにどうなることかと思ってたけど……」
最近は結構仲良くしてるもんね。はあ、そうですかね、と愛想のない返事をしたリアムの頭にはノーヴァの頭が乗っている。照れちゃって、とからかわれて居心地が悪かった。
「しいていうなら栄養バランスとか考えてあげなさいね。まだ全然詳しくないだろうから、また今度授業で教えてあげるよ」
リアムはありがとうございます、と一礼をした。うんうんと頷いたティア先生は、ナユタの方にも歩いていく。
「ナユタは……、あらあなたも、思ったよりいい感じね。彼との付き合いには慣れた?」
「はい、それなりには」
うんうんと頷く。大切にしてるのがよく分かるわ、と彼女が言えば、ナユタはどこか嬉しそうに顔をほころばせた。
「今は言うことないかな。いっぱい大切にしてあげてね」
「はい」
そして、とマシューの方へと歩いてくる。自信はあったが、心配でもあった。ティア先生はそれを感じ取ったのか、安心させるように微笑んだ。
「貴方は心配いらないと思ってたけど、本当に問題なさそうね? むしろ何か困ってることはない?」
「……最近は……。彼らのためのご飯の争奪戦が激しくて、なかなかバランスを取るのが難しいですね。それくらいかな」
「分かる~!! もっと市場広げてくれたっていいのにねえ。うんうん、まあいつか慣れるわ。よくなついているみたいだし、問題なし!」
よしよし。と言いながら他の生徒たちにも確認を取っていく。終わった生徒たちは好きなように(とはいえウィンドグライダーの話題が多いが)話していて、ふう、とため息をつく。
いつの間にか近くにいたサーヤがそれに反応した。
「マシューくん、あの……」
「ああ、サーヤさん。……リアムから聞いたよ、心配してくれてたんだってね」
「うん。リアムくんも心配してたよ」
頷く。あれは素直じゃないだけだと、長い付き合いでようやくわかってきたことだった。
「あのね、お母さんのことなんだけど。……もしかしたら、ちゃんと追い詰められてるのかもしれないなと、思って」
サーヤはそう前置いて、以前の彼女の様子について話した。
―――あなたも、私が悪いって言うの?
そんなことを、言っていただろうか。少なくともマシューの記憶にはないが、彼女が言うならそうなんだろう。彼女がこんなところで嘘をつくような性格でないのはちゃんと知っていた。
そうしているうちに授業が終わる鐘が鳴る。ティア先生は慌てて生徒たちに休憩を取るように伝えた。
次の時間はこのまま飛行訓練だ。とりあえず一息つこう、と、水を取りに行くことにした。
*
子供の頃、父は、あんまり家に帰ってくるような人ではなかったと記憶している。
重要な行事の日だけ帰ってきて、気づいたらどこかに旅立っている。聞くたびにお仕事よ、と教えてくれる母は、いつも何かに追われていた。
それでも、母はよくマシューに画材を与え、一緒に絵を描く時間をひときわ大切にしてくれていた。
マシューが描いた絵を褒めてくれる時の、母の嬉しそうな顔を、よく覚えている。
「貴方には才能がある。いつか立派な画家になるのね」
きっと私たちも追い越すような、素敵な画家に。今思えば、あれは彼女なりの祈りだったのだろう。
ある日。本当になんでもない日に父が突然帰ってきて、マシューをウィンドグライダーに乗せ、少しの間、空の散歩をした。それまでは、王都ほどではないにしろ、そこそこ大きな家の立ち並ぶ住宅街に住んでいたので、飛ぶ必要がなかった。
その分、衝撃は大きかった。
父にあれやこれやと質問した。この風はどこから来るの。あの飛んでる花はなんで飛んでるの。この乗り物は生きてるの。生きてるってことはご飯を食べるの。好きなご飯は何?
ちょこっと景色の話をした。その方が喜ばれると知っていたからだった。でも好奇心に負けて、気付けばウィンドグライダーの話ばかりを聞いていた。
帰り際、父はこう言った。
「その気持ちを忘れないうちに絵を描きなさい。おまえには絵の才能がある。ほかにやりたいことができるならその時は、母さんには隠すようにしなさい」
どうして、と問うても答えは返ってこなかった。静かに頭を撫でて、飛び去って行く父を、姿が見えなくなるまで見守った。
その背中が少しかっこよく見えたのと同時に、父が自分たちを置いてどこまでも飛べてしまうことが、なんだか寂しかった。
その日の授業の終わりを知らせる鐘が鳴る。ヴェルタ先生は、ちょっと時間が足りなかったですね、なんて言いながら授業を終えた。いつも通りだ。
授業が終わるや否やリアムはしれっと教室を抜け出した。お手洗いだろう、と判断して、近くにいたシーアとサーヤに声を掛ける。
「シーアさん、サーヤさん。リアムとジゼルに先に帰ってって伝えといてくれる?」
「え、それ俺に直接言えば良くないすか」
ジゼルがひょいと姿を現す。面倒だったのでマシューは笑顔のままその場から抜け出した。シーアとサーヤは目線を合わせてからシーアが口を開き、ジゼルにこう言った。
「先に帰ってって、マシューが言ってるわよ」
「はー!? 無視すか、ちょっと!」
不満たらたらなジゼルの声が後ろからついてくるのを無視して母親のほうに歩いていく。母親は心配そうにマシューを見た。
「良かったの?」
「うん、いつもこんなだし、彼も分かってるよ」
「そう、そうなの……」
母は何を言ったものか迷っているようだった。マシューも何を言えばいいかわからなくて、ひとまず、と切り出す。
「疲れてない? まだ体力が残ってるなら、見てほしいものがあるんだ」
母は少し悩んでから、ついてくることに決めたようだった。頷く。
マシューも頷いて、教室の外に出た。アルヴィのことを知って欲しかった。
*
「アルヴィ」
呼びかければ、バサバサと音を立てて彼はマシューの近くに降り立った。
「近くで見ると思ったより大きいわね……」
母は少し瞠目して、それからまじまじと見た。確かに、彼女はウィンドグライダーを毛嫌いしていたので、近くで見ることは少なかったかもしれない。
―――彼女にとっては。
ウィンドグライダーは父を奪っていく邪魔者だったのかもしれない。いつかの自分と同じようなことを、母も思っていたのかも。
ぼんやりとそんなことを考えた。
そうであるなら、彼女にとっては、僕も、同じなのだろう。
「……紹介するよ。彼はアルヴィ、僕のウィンドグライダー。―――パートナーだ」
母は戸惑ったようにしてから、会釈をした。アルヴィもそれを真似る。彼は彼なりに、マシューたちの関係性を心配してくれていたので、気を使ってくれているのがマシューには良く分かった。
「彼は、林檎よりは、蜜柑とか、柚子とか、柑橘系のおやつをとても好むよ」
アルヴィを撫でながら、ポツリ、ポツリ、言葉をこぼす。撫でられるのは首周りが好きなこと。こちらを心配する時はじっと様子を伺ってくること。感情表現が少し分かりにくくてたまにちょっと困ること。彼らも生き物で、僕らも生き物だ。でも、ちゃんと違う個体だから、知ろうと思わなければ分からないことがあることを。
「……―――」
母は黙っていた。相槌を打ちながら、なんだか目の前のマシューが知らない人のように楽しそうなのを見て、彼とアルヴィが確かにお互いを信頼しているのを見て、悔しくなっていた。
ああ、わたしのマシュー。あなたは一人で勝手にどこかに行ってしまうのね……。
悔しくて目を伏せる。それでも、前を向かなければならないことは分かっていた。
「―――分かったわ」
マシューと目を合わす。マシューは少し緊張した面持ちになった。それがなんだか嫌で、でも、自業自得であるのも事実だった。
「私、あなたのこと何も知らなかった。彼……アルヴィと遊ぶのが好きなのは知ってたけど、あなたたちがこんなに仲良くなってるなんて」
そして、息をつく。
「ウィンドグライダーが好きだなんて、ありえないと思っていたの。お父さんはそれを口実にあなたを置いていくから」
でも、と顔を上げる。
「それは私の尺度だった」
悔しいけれど、事実だった。
「ごめんなさい、マシュー。私、もうあなたの夢に口は出さないわ。一人で好きなところに飛び立てばいい。それがきっと、私に求められることなのね」
マシューはしばらく黙って何事か考えてから、口を開いた。
「……、僕、母さんのことも、父さんのことも守れるようになりたいんだ」
突拍子も無い言葉だった。マシューは続ける。
「空賊の取り締まりは強化され続けているし、それ以外の脅威は、少なくとも王都セレスティアには無い。それでも、人が織り成す歴史の中で、争いは沢山あったから」
目を伏せる。王都セレスティアは大きな都市だ。―――それは、今まで、争いに勝ってきたからでもある。
「父さんと母さんが自由に絵を描く場所を守りたいんだ。父さんと母さんの絵が好きだから。もちろん自分の絵も好きだけど……」
しばらく言葉を探す。やがてマシューは口を開いた。
「自由に絵が描けない世界になって欲しくない。少なくとも、僕が生きている限りは。いつだって他人のことは分からないし、情勢だってどう変わっていくか分からない」
だから、と言葉を続けた。
「僕は騎士になりたい。―――でも、母さんを一人にするつもりでもない。そのつもりだよ」
母はしばらく言葉を失っているようだった。しばらく視線をうろつかせて、少し困ったように微笑んだ。
「……子供の成長は早いっていうものね」
それだけ言って、母はあっさり帰って行った。
マシューが安心して教室に戻る。誰もいないかと思ったが、ヴェルタ先生がマシューを待っていた。いつもよりどこか険しい顔つきのヴェルタ先生は、落ち着いて聞いてくださいね、と前置いてからこう言った。
「―――シーアさんとサーヤさんが襲われたらしくて」
頭が真っ白になる。襲われた? 誰が? ―――二人が?
「もちろん、事態はイズミ先生が把握していたみたいで、無事ではあるんですが……」
念のためね、と話すヴェルタ先生は、マシューの帰り支度を促した。慌てて支度をして教室を出る。怪我はしていないだろうか。尋常じゃない事態がなんだかとても心配で、心臓がばくばくとしていた。
畳む
9話 7521文字
耳元で、最大限に小さくされた目覚まし時計が鳴る。ウィンドグライダー―――アルヴィのため、相当早い時間に一度起きて世話をするのがマシューの日課だった。
この時間はまだリアムも寝ている。最近はたまに目を覚まして一緒に彼らの手入れをすることも増えたのだが……今日はそうじゃないらしかった。ぐっすりだ。
「おはよう、アルヴィ」
アルヴィは無口で不愛想なほうだった。それが個性ってやつなんじゃねえの、と、いつだかジゼルが言っていた。それまでは大きな反応を引き出すためにあれやこれやと頑張っていたが、そうじゃなくてもいいのだと気づいてからはそのままにしている。
「今日も林檎を持ってきたんだ。……そんな顔しないで、他のは売り切れてたんだよ」
連日林檎で不服そうなアルヴィは、それでも受け取りはするらしかった。そんなところがかわいいんだよなあ、と撫でる。特に嫌がられはしなかった。機嫌が良いようだ。
彼とも随分仲良くなったものだ。その一方で、アルヴィと関わるたび思い出すのは母親のことだ。はあ、と思わずため息を吐けば、アルヴィがそれに反応してこちらを見た。なんでもないよ、と笑っても、彼はしばらくこちらをじっと見ている。―――ああ、アルヴィのこういうところはすごく分かりやすい。心配をかけているなあ、と思わず苦笑した。
「はよー。毎日毎日はえーな……」
「わ、おはよう。もう習慣だからね」
後ろから声がかかる。リアムだ。ふわあ、と大きく欠伸をした彼のもとに、ノーヴァがやってきて頭を乗せる。リアムももう慣れたもので、朝の挨拶をしながらその頭を撫でてやるのだった。
「なんか落ち込んでた?」
そのままリアムがこちらに問う。アルヴィとの会話を見られていたのだろう。
「いや、落ち込んでたっていうか……。両親のことを考えてたんだよ、どうしたらわかってくれるのかなあって」
「ふうん」
それからしばらくリアムは静かだった。ノーヴァにご飯を渡し、簡単に毛づくろいをする。その隣でマシューもアルヴィの体を綺麗にしてやる。わざわざ深入りしてこない空気が心地よかった。
「そういえば、」
リアムが口を開く。
「サーヤが心配してたぜ。お前のお母さんのこと」
「えっ」
「なんつったかなあ、なんか気がかりなことがあるんだとよ。―――ああ、あれだぜ、こないだの授業で話す機会があったから知ってるだけ」
なんでそれを知ってるのがリアムなんだよ。少しだけ漏れそうになった疑問はあっさりバレて、訂正されたのが少し恥ずかしくなった。そういえば、サーヤとは最近あまりゆっくり話していない。
「母親にも母親の苦労があんのかねえ、それでも俺にはわかんねえや」
それだけ言って、リアムはもうひと眠りするからとその場を去った。それを見送ってから、マシューは母親のことを考えながら、アルヴィと並んで、ぼうっと空を見ているのだった。
*
「おはよう、マシュー。ちょっといいかな」
教室に着いた矢先、イズミ先生はマシューを呼び出した。不思議そうな顔をした四人を置いて立ち上がる。なんかしたんすか、と野次を飛ばすジゼルに否定を返す。
イズミ先生は隣の空き教室までマシューを連れて行くと、小さくため息をついた。
「マシュー。お母さんがね、授業を見学したいんだってさ」
「えっ」
どういう心境の変化なんだ。彼女の意図を図りかねていれば、だよねえ、とイズミ先生も同調する。
「でも、今までに比べるとなんだか随分しおらしかったよ。君が嫌ならもう少し交渉してみるけど」
早朝のリアムの言葉が頭をよぎった。マシューは意を決してイズミと目を合わせる。
「いえ……。一度、母と話してきてもいいですか?」
イズミ先生は頷いた
「君がそう言うならそうしよう。応接室にいるよ、今はレナード先生が対応してくれてる」
わかりました、と頷く。マシューは、そのまま教室を出て、応接室まで行くことにした。
*
「失礼します」
カタン、と音を立ててマシューが扉を開ければ、イズミ先生の言葉通りレナード先生と目が合った。
「おお、マシュー」
レナード先生が椅子を勧めてくれたのをありがたく受け取って座る。その間、母は一言も発さなかった。
「マシュー、貴方は……」
母は何かを言おうとしては口を閉ざす。マシューは静かにそれを待った。
「いえ、……お父さんがね、あの、姫様と会った日からおかしいの。マシューにはマシューの人生がある、って……。だけど私、やっぱりあなたには絵を描いて欲しいの、あなたの絵が好きだったから。それは、……お父さんも、きっとそうだった」
でも、と、再び口を閉ざす。しばらくして、再び口を開いた。
「あなたは、そうじゃないって言うから……」
困ったように視線をうろつかせて、母は問う。
「あなたは、もう絵は描きたくない?」
「そんなことないよ」
「じゃあどうして、」
沈黙。静かに息を吸って、マシューは答えた。
「もっと好きなことがあるからだよ」
「……」
何度も話したのに、まだ分かってくれないのだろうか。どうすれば分かってくれるのだろうか。マシューが悲しい顔をしているのを見て、母親は首を横に振った。
「違う、そうじゃないのよ、そうじゃない」
落ち着かせるように母はしばらく深呼吸をして、マシューに目を合わせた。
「私、あなたには才能があると思ってるの。いつでも絵に戻ってきて欲しい。―――これは、私にとっては変わらない。私たちの家柄なら、騎士になるより楽に幸せになれると思ってる。これも、本当」
けれど。目を合わせたまま、彼女は言う。
「あなたがやりたいこと、何も知らないまま否定するのは違うって、……言われて」
そうして彼女は気まずそうに目を逸らした。
「だから、知ろうと思ったの」
最大限、歩み寄ろうとしてくれているのだろう。マシューは思った。信じられないくらいの進歩だった。先生方は、後ろで静かに見守っている。
「……分かった」
母は顔を上げた。マシューは立ち上がる。
「先生方の迷惑にならないなら……僕も、そのほうが嬉しい」
どうですか、と先生方を振り返れば、うんうんと頷かれた。
「子供が迷惑なんて考えなくていい。……ここの先生方は、みんなそう言って歓迎してくれるはずだ」
ヴェルタ先生も頷いている。マシューもなんだか安心して、照れたように笑った。
そうしているうちに、授業開始のチャイムが鳴る。今彼でも準備をしてきなさいとマシューを教室に返した後、ヴェルタ先生は茫然とそれを見守る彼女に声を掛けた。
「彼の……確実な幸せを願ってのことだったんですね」
「……」
「親って、そういう生き物ですよね。親の心子知らず、なんて言葉がありますが……子の心親知らず、でもあります。ちゃんと知ろうとしてくれるなら、私たちも歓迎しますよ」
大変だったでしょう、認めるまで。
素直な労いだった。悪意がないのはなんとなく分かったので反発はしなかったが、なんだかむずがゆくて、自身の親のことを―――彼女が子供だった頃を、思い出した。
*
「―――というわけで、今日はウィンドグライダーちゃんたちのお手入れがしっかり出来てるかをチェックするよー!」
ティア先生が高々と宣言する。曰く、彼らも生き物なので、ちゃんと必要な世話を出来ているかは上手く飛ぶのに大切な要素らしい。
とはいえ、マシューの母親に配慮した授業内容であることも間違いないのだろう。
「お前のかーちゃん、今度はどういう風の吹き回しなの」
見学に来ている母を視線だけで指しながらリアムが言う。マシューは、さあ、と答えながら首を傾げた。彼女の急な心境の変化に戸惑っているのは、マシューも同じだった。
サーヤは心配そうにマシューを見た。シーアも同じように様子を伺う。マシューは二人を安心させるように微笑んだ。大丈夫だと頷く。シーアはそれで視線を元に戻したが、サーヤは心配そうなままだった。
「まあ。でも。話を聞いてくれる気にはなったみたいだよ」
よく分かんないけど。それを聞いたリアムはふうん、と頷いて視線を戻した。こんな会話の間もティア先生は次々に生徒たちの間を回りウィンドグライダーの様子をチェックしてはアドバイスをしている。彼女のアドバイスは的確だった。
シーアはちょっと無茶をさせすぎ。サーヤは偏ったご飯を食べさせすぎ。ジゼルはもっと甘やしてあげなさいと言われて首を傾げていた。
「ハイ次、リアム!」
呼ばれたリアムが少し姿勢を正す。ふむふむとティア先生は上から下までノーヴァを見た。
「思ったより良い感じじゃん? 入学して飛び始めた当初はもうほんとにどうなることかと思ってたけど……」
最近は結構仲良くしてるもんね。はあ、そうですかね、と愛想のない返事をしたリアムの頭にはノーヴァの頭が乗っている。照れちゃって、とからかわれて居心地が悪かった。
「しいていうなら栄養バランスとか考えてあげなさいね。まだ全然詳しくないだろうから、また今度授業で教えてあげるよ」
リアムはありがとうございます、と一礼をした。うんうんと頷いたティア先生は、ナユタの方にも歩いていく。
「ナユタは……、あらあなたも、思ったよりいい感じね。彼との付き合いには慣れた?」
「はい、それなりには」
うんうんと頷く。大切にしてるのがよく分かるわ、と彼女が言えば、ナユタはどこか嬉しそうに顔をほころばせた。
「今は言うことないかな。いっぱい大切にしてあげてね」
「はい」
そして、とマシューの方へと歩いてくる。自信はあったが、心配でもあった。ティア先生はそれを感じ取ったのか、安心させるように微笑んだ。
「貴方は心配いらないと思ってたけど、本当に問題なさそうね? むしろ何か困ってることはない?」
「……最近は……。彼らのためのご飯の争奪戦が激しくて、なかなかバランスを取るのが難しいですね。それくらいかな」
「分かる~!! もっと市場広げてくれたっていいのにねえ。うんうん、まあいつか慣れるわ。よくなついているみたいだし、問題なし!」
よしよし。と言いながら他の生徒たちにも確認を取っていく。終わった生徒たちは好きなように(とはいえウィンドグライダーの話題が多いが)話していて、ふう、とため息をつく。
いつの間にか近くにいたサーヤがそれに反応した。
「マシューくん、あの……」
「ああ、サーヤさん。……リアムから聞いたよ、心配してくれてたんだってね」
「うん。リアムくんも心配してたよ」
頷く。あれは素直じゃないだけだと、長い付き合いでようやくわかってきたことだった。
「あのね、お母さんのことなんだけど。……もしかしたら、ちゃんと追い詰められてるのかもしれないなと、思って」
サーヤはそう前置いて、以前の彼女の様子について話した。
―――あなたも、私が悪いって言うの?
そんなことを、言っていただろうか。少なくともマシューの記憶にはないが、彼女が言うならそうなんだろう。彼女がこんなところで嘘をつくような性格でないのはちゃんと知っていた。
そうしているうちに授業が終わる鐘が鳴る。ティア先生は慌てて生徒たちに休憩を取るように伝えた。
次の時間はこのまま飛行訓練だ。とりあえず一息つこう、と、水を取りに行くことにした。
*
子供の頃、父は、あんまり家に帰ってくるような人ではなかったと記憶している。
重要な行事の日だけ帰ってきて、気づいたらどこかに旅立っている。聞くたびにお仕事よ、と教えてくれる母は、いつも何かに追われていた。
それでも、母はよくマシューに画材を与え、一緒に絵を描く時間をひときわ大切にしてくれていた。
マシューが描いた絵を褒めてくれる時の、母の嬉しそうな顔を、よく覚えている。
「貴方には才能がある。いつか立派な画家になるのね」
きっと私たちも追い越すような、素敵な画家に。今思えば、あれは彼女なりの祈りだったのだろう。
ある日。本当になんでもない日に父が突然帰ってきて、マシューをウィンドグライダーに乗せ、少しの間、空の散歩をした。それまでは、王都ほどではないにしろ、そこそこ大きな家の立ち並ぶ住宅街に住んでいたので、飛ぶ必要がなかった。
その分、衝撃は大きかった。
父にあれやこれやと質問した。この風はどこから来るの。あの飛んでる花はなんで飛んでるの。この乗り物は生きてるの。生きてるってことはご飯を食べるの。好きなご飯は何?
ちょこっと景色の話をした。その方が喜ばれると知っていたからだった。でも好奇心に負けて、気付けばウィンドグライダーの話ばかりを聞いていた。
帰り際、父はこう言った。
「その気持ちを忘れないうちに絵を描きなさい。おまえには絵の才能がある。ほかにやりたいことができるならその時は、母さんには隠すようにしなさい」
どうして、と問うても答えは返ってこなかった。静かに頭を撫でて、飛び去って行く父を、姿が見えなくなるまで見守った。
その背中が少しかっこよく見えたのと同時に、父が自分たちを置いてどこまでも飛べてしまうことが、なんだか寂しかった。
その日の授業の終わりを知らせる鐘が鳴る。ヴェルタ先生は、ちょっと時間が足りなかったですね、なんて言いながら授業を終えた。いつも通りだ。
授業が終わるや否やリアムはしれっと教室を抜け出した。お手洗いだろう、と判断して、近くにいたシーアとサーヤに声を掛ける。
「シーアさん、サーヤさん。リアムとジゼルに先に帰ってって伝えといてくれる?」
「え、それ俺に直接言えば良くないすか」
ジゼルがひょいと姿を現す。面倒だったのでマシューは笑顔のままその場から抜け出した。シーアとサーヤは目線を合わせてからシーアが口を開き、ジゼルにこう言った。
「先に帰ってって、マシューが言ってるわよ」
「はー!? 無視すか、ちょっと!」
不満たらたらなジゼルの声が後ろからついてくるのを無視して母親のほうに歩いていく。母親は心配そうにマシューを見た。
「良かったの?」
「うん、いつもこんなだし、彼も分かってるよ」
「そう、そうなの……」
母は何を言ったものか迷っているようだった。マシューも何を言えばいいかわからなくて、ひとまず、と切り出す。
「疲れてない? まだ体力が残ってるなら、見てほしいものがあるんだ」
母は少し悩んでから、ついてくることに決めたようだった。頷く。
マシューも頷いて、教室の外に出た。アルヴィのことを知って欲しかった。
*
「アルヴィ」
呼びかければ、バサバサと音を立てて彼はマシューの近くに降り立った。
「近くで見ると思ったより大きいわね……」
母は少し瞠目して、それからまじまじと見た。確かに、彼女はウィンドグライダーを毛嫌いしていたので、近くで見ることは少なかったかもしれない。
―――彼女にとっては。
ウィンドグライダーは父を奪っていく邪魔者だったのかもしれない。いつかの自分と同じようなことを、母も思っていたのかも。
ぼんやりとそんなことを考えた。
そうであるなら、彼女にとっては、僕も、同じなのだろう。
「……紹介するよ。彼はアルヴィ、僕のウィンドグライダー。―――パートナーだ」
母は戸惑ったようにしてから、会釈をした。アルヴィもそれを真似る。彼は彼なりに、マシューたちの関係性を心配してくれていたので、気を使ってくれているのがマシューには良く分かった。
「彼は、林檎よりは、蜜柑とか、柚子とか、柑橘系のおやつをとても好むよ」
アルヴィを撫でながら、ポツリ、ポツリ、言葉をこぼす。撫でられるのは首周りが好きなこと。こちらを心配する時はじっと様子を伺ってくること。感情表現が少し分かりにくくてたまにちょっと困ること。彼らも生き物で、僕らも生き物だ。でも、ちゃんと違う個体だから、知ろうと思わなければ分からないことがあることを。
「……―――」
母は黙っていた。相槌を打ちながら、なんだか目の前のマシューが知らない人のように楽しそうなのを見て、彼とアルヴィが確かにお互いを信頼しているのを見て、悔しくなっていた。
ああ、わたしのマシュー。あなたは一人で勝手にどこかに行ってしまうのね……。
悔しくて目を伏せる。それでも、前を向かなければならないことは分かっていた。
「―――分かったわ」
マシューと目を合わす。マシューは少し緊張した面持ちになった。それがなんだか嫌で、でも、自業自得であるのも事実だった。
「私、あなたのこと何も知らなかった。彼……アルヴィと遊ぶのが好きなのは知ってたけど、あなたたちがこんなに仲良くなってるなんて」
そして、息をつく。
「ウィンドグライダーが好きだなんて、ありえないと思っていたの。お父さんはそれを口実にあなたを置いていくから」
でも、と顔を上げる。
「それは私の尺度だった」
悔しいけれど、事実だった。
「ごめんなさい、マシュー。私、もうあなたの夢に口は出さないわ。一人で好きなところに飛び立てばいい。それがきっと、私に求められることなのね」
マシューはしばらく黙って何事か考えてから、口を開いた。
「……、僕、母さんのことも、父さんのことも守れるようになりたいんだ」
突拍子も無い言葉だった。マシューは続ける。
「空賊の取り締まりは強化され続けているし、それ以外の脅威は、少なくとも王都セレスティアには無い。それでも、人が織り成す歴史の中で、争いは沢山あったから」
目を伏せる。王都セレスティアは大きな都市だ。―――それは、今まで、争いに勝ってきたからでもある。
「父さんと母さんが自由に絵を描く場所を守りたいんだ。父さんと母さんの絵が好きだから。もちろん自分の絵も好きだけど……」
しばらく言葉を探す。やがてマシューは口を開いた。
「自由に絵が描けない世界になって欲しくない。少なくとも、僕が生きている限りは。いつだって他人のことは分からないし、情勢だってどう変わっていくか分からない」
だから、と言葉を続けた。
「僕は騎士になりたい。―――でも、母さんを一人にするつもりでもない。そのつもりだよ」
母はしばらく言葉を失っているようだった。しばらく視線をうろつかせて、少し困ったように微笑んだ。
「……子供の成長は早いっていうものね」
それだけ言って、母はあっさり帰って行った。
マシューが安心して教室に戻る。誰もいないかと思ったが、ヴェルタ先生がマシューを待っていた。いつもよりどこか険しい顔つきのヴェルタ先生は、落ち着いて聞いてくださいね、と前置いてからこう言った。
「―――シーアさんとサーヤさんが襲われたらしくて」
頭が真っ白になる。襲われた? 誰が? ―――二人が?
「もちろん、事態はイズミ先生が把握していたみたいで、無事ではあるんですが……」
念のためね、と話すヴェルタ先生は、マシューの帰り支度を促した。慌てて支度をして教室を出る。怪我はしていないだろうか。尋常じゃない事態がなんだかとても心配で、心臓がばくばくとしていた。
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ふたつの翼、ひとつの空
8話 6194文字
朝。ナユタはなんだか落ち着かなくて、早くに登校してはベランダでぼんやりと風に当たっていた。
先生たちの話を思い出す。隠し通すのは、難しいかもしれない。―――ということは、つまり、彼には聞かれて、いただろうか。
風の鍵。隠された遺跡。雲の下の世界。この雲上では誰も知らない知識を、ナユタ一人が持っている。
だから先生方も丁重に扱う。分かっている。
孤独だ、と思った。
ここで感じているのも、地上で感じていたのも、似たような類のなにかだ。それに名前をつけるのなら孤独だ。ボクは、普通じゃないから。
言い聞かせるように思い出す。思い出してから、この行為にももう何ら意味がないことに気づいた。
ここは地上じゃない。
「おはようございます、ナユタさん」
後ろから声がかかる。ヴェルタ先生だ。
彼女が来ることは、風が教えてくれていたから、特に驚かない。振り返る。彼女には特にお世話になっていた。
「度々すみません。貴方も疲れているでしょう」
そんなことは無い。そう否定すれば、ヴェルタ先生は困ったように笑った。
「でも、疲れてるって顔してますよ。もしかしたら、これくらいは慣れてしまっているかもしれませんが」
そう、だろうか。顔に手を添えてみても、自分の表情はよく分からなかった。
「先生方はあなたの味方です。まだ、信頼は出来ないかもしれませんが……それでも、私たちにとっては、―――私にとっては、あなたも一人の子供なので」
ナユタは不思議に思った。自分が子供であることが、彼らにとって何になるのだろう。
それをそのまま伝えれば、先生はまた笑ってこう言った。
「大人は子供を守るものですよ、それが誰であっても」
彼女の周りは、どこまでも穏やかな風が吹いていた。
*
「なー、聞いてくれよ!」
シーアとサーヤ、リアムとマシューが登校する時間を狙い、わざわざ寮の前で全員を待ち伏せしていたジゼルが、わくわくとした様子でそう言った。
「なによ、わざわざ待ち伏せたりして」
「いや、オマエらもこういう話、聞きてえかなと思ったんだよなー! 聞きてえだろ、地上に関連する話」
つってもまだ詳しくは分かんねえんだけどさ。わはは。ジゼルがそう言うのに合わせて、シーアとサーヤは目を合わせた。
「詳しく分かんねえならそんな勿体ぶる必要もねえだろ」
「おっ、知りたいすか?」
「バカバカしいとは思うな」
「返答になってねえすよそれは!」
リアムが呆れたように肩を竦めた。ジゼルは少しの間拗ねたような態度を取ってから、誰も取りなしてくれる相手がいないので咳払いをする。
「聞いて驚け! あの変な時期に来た転入生、実は地上の民だったっぽいんすよね〜!」
シーアとサーヤは再び目を合わせた。やばい? やばい。名前をつけるなら双子テレパシー。そうして、目線だけで会話しているのを見たジゼルはあれ? と首を傾げる。
「もしかして知ってたっすか?」
「いや……」
「むしろなんでアンタも知ってるのよ」
じと、とシーアがジゼルを睨む。
「それに、変な時期に来た転入生に関してはアンタも人のこと言えないでしょ」
「だはは! それもそうすね」
リアムとマシューは置いてけぼりだった。マシューが、えっと、と言葉を挟む。
「それで、なんで急にそんな話になってるの?」
ジゼルは昨日のことを、時に脚色しながら事細かに話した。思ったよりなにも分かってないな、とシーアとサーヤは思ったが、言葉には出さないことにした。
「へえ、先生方すら巻き込んだドッキリは考えにくいし……、君が嘘をついてないなら、本当なんだろうね」
「嘘じゃねえっすよ!」
ふうん。マシューはそれだけ言って何事かを考え始めてしまった。
「でも、ナユタさん、あんまり言いふらしてほしそうな感じではなかったから……」
サーヤがそう言うと、それにジゼルが食いつく。
「そういや、なんでアンタらは知ってんすか」
「本人に聞いたの。ちょっと、そういうタイミングがあって……」
「ふうん、なに、逢い引き的な?」
「違う!」
慌ててサーヤが否定したのと同時、話半分に聞いていたマシューが酷く咳き込んだ。慌てて背中をさすろうとすれば、ごめん、大丈夫、とマシューはそれを手を上げて制した。
「……はあ、ジゼル、冗談でもそういうこと言うのは良くないよ」
ははん、さてはこいつ、サーヤに気があるんだな。ジゼルはそれで全てを察してニヤリと表情を変えた。
「なんすか、だって別に、マシューには関係がないでしょ」
「セクハラするおじさんみてーなこと言いやがって」
マシューに同情的なリアムがそう言ったのすらわはは! と笑い飛ばして、ジゼルはシーアとサーヤに向き直った。
「それで、やっぱ気になりません? あの人、多分もっと沢山隠してますよ」
シーアとサーヤは目を合わせた。二人ともどうするかを悩んで、ギリギリで好奇心が勝ったようだった。
「休み時間にでも聞きに行きましょうよ」
こうして、ジゼルにほとんど押される形で、その日の昼休みの予定が決まった。
*
いくら変わった出来事があったとしても授業はいつも通りだ。
ティア先生は手をパチリと鳴らして生徒の注目を集めた。
「今日からはレナード先生と一緒に授業していきますよ〜! 飛行の訓練と合わせて戦術の授業もやりますからね!」
隣でレナード先生が頷く。
「君たちはまだまだ飛行に不慣れだろうから、先輩方とも一緒に授業をすることになる。私たちも注意は払うが、もし誰かが落ちることがあったら各自助け合うように!」
はい! 生徒たちは一斉に返事をした。先輩方の中にはフェリシアもいて、シーアとサーヤと目が合うとにこりと微笑んだ。
それでは班に分けて訓練をします、とティア先生は言って、今日の班分けを発表した。シーアとリアム、ジゼル、フェリシアが同じ班、サーヤとマシュー、ナユタ、あとはもう一人知らない先輩が同じ班だった。
「ごきげんよう、シーアさん。お久しぶりです」
「はい! お久しぶりです、フェリシア先輩」
今回は切迫した状況じゃなくて嬉しいわ、と微笑んだフェリシア先輩は、リアムとジゼルにも向き直った。
「あなた方とは……初めまして、ですよね? わたくしはフェリシア。よろしくお願いします」
「俺はリアム。よろしくお願いします」
「……」
パッと返事を返したリアムの後ろで、ジゼルがまじまじとフェリシアを見ていた。少し首を傾げてみせれば、ジゼルは、あ! と何かを思い出したように声をあげる。
「どっかで見たことあると思ったら、オヒメサマじゃん」
ぴしり。フェリシアが固まる。リアムは眉をひそめた。
「おい、ジゼル」
「オヒメサマがこんなとこで訓練して大丈夫なの? おれらなんか気使った方が良い?」
窘めようとするリアムの言葉を遮って、あけすけな物言いをするジゼルのその態度に、流石のフェリシアの方もムッとして言い返した。
「お気遣いは結構ですよ。この立場だからこそ、皆さんと同じ環境で訓練がしたいのです。この国を、より良くするために」
「は〜ん」
ジゼルは話半分、といった態度だった。完全になめている。
「……はあ、まあいいでしょう。よろしくお願いしますね、ジゼル」
ため息を着いて、フェリシアは手を差し出し握手を求めた。ジゼルはその手を取らなかった。
「なんか上からじゃん? 気に入らないすね〜、守られてばかりのオヒメサマはなにかを成し遂げたんすか」
「ちょっと!」
再びフェリシアが固まった。シーアが仲裁に入ろうとはしたが、それよりも先にジゼルは何も言い返せないフェリシアを鼻で笑った。
「ま、おれらにも立場がありますもんね〜。よろしくお願いしますよ、オヒメサマ」
フェリシアはどうにもできずに、ジゼルはそのまま彼女に背を向けた。
「……集中できなくない?」
シーアがぼやく。リアムも流石に素直に頷かざるを得なかった。―――ただでさえ空中戦の訓練、飛ばねばならないというのに。
ジゼルが勝手に刺々しい態度を取っているので、フェリシアも困っているようだった。普段の彼からは想像もできない態度だった。
「次の班〜! 準備して!」
ティア先生が声を掛ける。シーアたちの番だ。はい、と返事して四人は準備を始める。
「リアム、大丈夫よ」
「うるせーな、分かってるよ」
緊張で少しカチコチなリアムにシーアが声を掛ける。それをリアムは跳ねのけた。
「はい、行きますよー!」
ティア先生が笛を吹く。―――訓練の始まりだ。
*
飛び立ってしばらく、シーアとリアムが前衛、フェリシアが後衛、ジゼルが好き勝手飛び回って翻弄、という形で落ち着いた。戦術としてはまだまだぎこちないシーアとリアムを、フェリシアがサポートする。ジゼルに指示は飛ばなかったが、ジゼルの意図を汲んで二人に指示をしているのか邪魔なく飛びやすくて、それがなんだか悔しかった。
リアムも意外と上手くやっているようだった。フェリシアは彼に無理をさせないことを選んだらしい。正解だ、と思う。たまに体が浮くと焦ったように声を出すので、ノーヴァはなるべく彼を怯えさせないようにしているようだった。
それにしても。なんとかフェリシアに一泡吹かせてやりたい。このまま何もなく終わってしまうのは嫌だ。
ジゼルはもはや意地になっていた。どこまで突飛な飛び方をしても対応してくるフェリシアに悔しさを募らせて、くそ、と誰にも聞こえぬように、吐き捨てるように言葉を吐く。
「―――シーアさん、後ろ!」
ふと、フェリシアが焦ったように叫ぶ。
シーアの方を見る。いつのまにかそこにいた生徒は、容赦なくシーアを吹き飛ばした。
「シーア!」
リアムが慌ててシーアを追う。受ける体制も整っていなかったシーアはあらぬ方向に飛んでいく。彼女のウィンドグライダーもぐんと速度を上げて受け取りに行く―――が、あれでは間に合わない。先生方も飛び出した、が―――……。
今、確実に間に合うのは、ジゼルしかいない。
「ジゼルさん!」
フェリシアの声がする。それよりも先に飛び出していたジゼルは、あっさりとシーアを受け止めて、陸地に戻ってきた。
「―――……アンタの指示に従ったわけではないすからね」
ジゼルは戻ってくるなりこれだった。シーアが咎めようと口を開いたのを、フェリシアが制した。
「分かっています。でも、今は彼女が無事だったことが大事です。ありがとう、ジゼルさん」
「……」
ジゼルは拗ねたような顔をして返事をしなかった。リアムが戻ってくる。
「お前、すげーな」
「そりゃ、実戦経験が違うんで」
そうかよ。リアムはなんだか悔しそうだった。
「ありがとう、ジゼル。認めたくないけど、助かったわ」
シーアが礼を言う。ジゼルはなんだか居心地が悪かったが、それをごまかすようにふざけることを選んだ。
「あんた、素直に礼とか言えるんすね。おれの舎弟にしてやってもいいすよ!」
「なんですって!? 誰が!」
フェリシアはそんな様子をぼうっと見ていた。ジゼルの言葉を反芻する。
―――守られてばかりのオヒメサマはなにかを成し遂げたんすか。
何も言い返せない。まだなにも成し遂げていないから。それが悔しくて、ぎゅっと手を握り締めた。
*
気づけば昼休みになっていた。サーヤはなんだか気が重くてため息をついた。
「ナユタさん! ちょっといいすか」
とっくにいつも通りのジゼルがナユタに話しかけている。やっぱり今からでも止めたほうがいいだろうか。立ち上がろうとしたところでナユタが言う。
「ああ……。いいよ。場所を移そうか、気になるなら、君たちも来ると良い」
ナユタはシーアたちを見ていた。バレている。これも風向きというやつなのかもしれない。どうするか悩んだようにみんなで顔を見合わせて、結局全員外に出ることにした。
「どこまで聞いていたのかな、君は」
「意外とあっさり認めるんすね」
「言わなかったら勝手に調べるだろう」
ジゼルは照れたように頭を掻いて、それほどでも、と言った。褒めてねえだろとリアムが突っ込む。
「ごめん、ぼく……」
サーヤが言いかけたのを、ナユタが止める。
「君のせいじゃないさ、ボクの不注意だ。ごめんね」
そう言われては、サーヤは何も言えなかった。それで、とマシューが間に入る。
「地上から来たって、本当?」
「―――ああ、本当さ」
ナユタは本当にあっさりと頷いた。ジゼルが得意げに胸を張る。
「やっぱ地上って存在するんすねえ」
「じゃあ、何で雲上まで来たんだ? 地上の話は、こっちではほとんど言い伝えられてないけど、行き帰りができるなんてもっと聞いたことがない」
リアムがそう問う。ナユタは困ったように頬を掻いた。
「それは、……」
沈黙。しばらく言葉を探して、ナユタはこういった。
「君たちは、勝ったからじゃないかな」
「勝った……?」
シーアのつぶやきに反応して、ナユタは語り始める。要約すると、こうだ。
かつて。大きな争いがあった。争いの種は―――地上の食糧難。地上から争いを仕掛けたが、地上と雲上では技術の差も大きく、また土地の高さが功を成したか、雲上の人々は抵抗として地上を焼いた。
そのため、地上の……ナユタの先祖たちは、互いを行き来するための道を封鎖した。そうして時は過ぎ去り、―――気づけばその歴史は忘れ去られ……今に至る。
「地上では雲上には近づかないほうがいいってことになってるんだ。恐ろしい目にあうから、って。過度に高い建物を作るのも禁止されているね。僕がこういう歴史に詳しいのは、たまたま僕が鍵を守る種族だったからだ」
「鍵を守る種族?」
「雲上と地上の鍵を、ね」
聞いたこともない話だった。唖然としているシーアたちを置いて、ナユタは続ける。
「地上の技術も発達している。雲上を焼くための計画がひそかに進められていて、ボクはそれが嫌だったから、記録をすべて燃やして逃げてきたんだ。―――復讐のための争いなんて無意味だ」
だから、と一呼吸おいてナユタは言う。
「地上に行く、なんて、馬鹿なことを考えるのはやめたほうがいいよ」
ナユタはそう言って、それじゃあ、と去って行った。
「なんか……とんでもない話だったな」
「聞いてよかったのかな」
「少なくとも、好奇心は満たされたっすね」
「そりゃ良かった」
シーアとサーヤは目を合わせた。お互いが懐に入れていた鍵のレプリカを取り出す。
「―――地上、ねえ」
言葉は見つからなかった。少なくとも今、彼の言葉が確かなことだけはなんとなく感じていて、不穏な空気を振り払うように首を横に振った。
*
「お兄さん。何してるの」
その陰で。イズミ先生は不審な動きをする男性に声を掛けた。
「うわっ、びっくりした。いやちょっと、見てくださいよ!」
イズミがその人の視線の先、手元を辿る。―――虫?
「俺、コイツの研究者だったんすけど……久々に飛んでるのを見てしまって。ここって、騎士学院の敷地内でしたっけ、すみません!」
「ああ、なるほど? じゃあ今回は見逃すけど、次はちゃんと申請してね」
ありがとうございます! 元気に返事をした男性は、そのまま悠々と歩きだした。
「そうだ先生、知ってますか?」
―――こいつ、地上にもいるらしいですよ。高値で売れるんですって。
は、としてイズミが振り返ってももうそいつはいなくて、逃がしたか、と一人舌打ちをする。彼がしゃがんでいた場所に行けばシーアたちの声が聞こえた。どうやら手を打つのが遅かったようだ。
「こら、君たち~! もうそろそろ昼休み終わるよ~」
イズミが声を掛ければ慌てたように返事が返ってくる。どうしようもなく嫌な予感を抱えながら、午後の授業の準備に取り掛かるのだった。
畳む
8話 6194文字
朝。ナユタはなんだか落ち着かなくて、早くに登校してはベランダでぼんやりと風に当たっていた。
先生たちの話を思い出す。隠し通すのは、難しいかもしれない。―――ということは、つまり、彼には聞かれて、いただろうか。
風の鍵。隠された遺跡。雲の下の世界。この雲上では誰も知らない知識を、ナユタ一人が持っている。
だから先生方も丁重に扱う。分かっている。
孤独だ、と思った。
ここで感じているのも、地上で感じていたのも、似たような類のなにかだ。それに名前をつけるのなら孤独だ。ボクは、普通じゃないから。
言い聞かせるように思い出す。思い出してから、この行為にももう何ら意味がないことに気づいた。
ここは地上じゃない。
「おはようございます、ナユタさん」
後ろから声がかかる。ヴェルタ先生だ。
彼女が来ることは、風が教えてくれていたから、特に驚かない。振り返る。彼女には特にお世話になっていた。
「度々すみません。貴方も疲れているでしょう」
そんなことは無い。そう否定すれば、ヴェルタ先生は困ったように笑った。
「でも、疲れてるって顔してますよ。もしかしたら、これくらいは慣れてしまっているかもしれませんが」
そう、だろうか。顔に手を添えてみても、自分の表情はよく分からなかった。
「先生方はあなたの味方です。まだ、信頼は出来ないかもしれませんが……それでも、私たちにとっては、―――私にとっては、あなたも一人の子供なので」
ナユタは不思議に思った。自分が子供であることが、彼らにとって何になるのだろう。
それをそのまま伝えれば、先生はまた笑ってこう言った。
「大人は子供を守るものですよ、それが誰であっても」
彼女の周りは、どこまでも穏やかな風が吹いていた。
*
「なー、聞いてくれよ!」
シーアとサーヤ、リアムとマシューが登校する時間を狙い、わざわざ寮の前で全員を待ち伏せしていたジゼルが、わくわくとした様子でそう言った。
「なによ、わざわざ待ち伏せたりして」
「いや、オマエらもこういう話、聞きてえかなと思ったんだよなー! 聞きてえだろ、地上に関連する話」
つってもまだ詳しくは分かんねえんだけどさ。わはは。ジゼルがそう言うのに合わせて、シーアとサーヤは目を合わせた。
「詳しく分かんねえならそんな勿体ぶる必要もねえだろ」
「おっ、知りたいすか?」
「バカバカしいとは思うな」
「返答になってねえすよそれは!」
リアムが呆れたように肩を竦めた。ジゼルは少しの間拗ねたような態度を取ってから、誰も取りなしてくれる相手がいないので咳払いをする。
「聞いて驚け! あの変な時期に来た転入生、実は地上の民だったっぽいんすよね〜!」
シーアとサーヤは再び目を合わせた。やばい? やばい。名前をつけるなら双子テレパシー。そうして、目線だけで会話しているのを見たジゼルはあれ? と首を傾げる。
「もしかして知ってたっすか?」
「いや……」
「むしろなんでアンタも知ってるのよ」
じと、とシーアがジゼルを睨む。
「それに、変な時期に来た転入生に関してはアンタも人のこと言えないでしょ」
「だはは! それもそうすね」
リアムとマシューは置いてけぼりだった。マシューが、えっと、と言葉を挟む。
「それで、なんで急にそんな話になってるの?」
ジゼルは昨日のことを、時に脚色しながら事細かに話した。思ったよりなにも分かってないな、とシーアとサーヤは思ったが、言葉には出さないことにした。
「へえ、先生方すら巻き込んだドッキリは考えにくいし……、君が嘘をついてないなら、本当なんだろうね」
「嘘じゃねえっすよ!」
ふうん。マシューはそれだけ言って何事かを考え始めてしまった。
「でも、ナユタさん、あんまり言いふらしてほしそうな感じではなかったから……」
サーヤがそう言うと、それにジゼルが食いつく。
「そういや、なんでアンタらは知ってんすか」
「本人に聞いたの。ちょっと、そういうタイミングがあって……」
「ふうん、なに、逢い引き的な?」
「違う!」
慌ててサーヤが否定したのと同時、話半分に聞いていたマシューが酷く咳き込んだ。慌てて背中をさすろうとすれば、ごめん、大丈夫、とマシューはそれを手を上げて制した。
「……はあ、ジゼル、冗談でもそういうこと言うのは良くないよ」
ははん、さてはこいつ、サーヤに気があるんだな。ジゼルはそれで全てを察してニヤリと表情を変えた。
「なんすか、だって別に、マシューには関係がないでしょ」
「セクハラするおじさんみてーなこと言いやがって」
マシューに同情的なリアムがそう言ったのすらわはは! と笑い飛ばして、ジゼルはシーアとサーヤに向き直った。
「それで、やっぱ気になりません? あの人、多分もっと沢山隠してますよ」
シーアとサーヤは目を合わせた。二人ともどうするかを悩んで、ギリギリで好奇心が勝ったようだった。
「休み時間にでも聞きに行きましょうよ」
こうして、ジゼルにほとんど押される形で、その日の昼休みの予定が決まった。
*
いくら変わった出来事があったとしても授業はいつも通りだ。
ティア先生は手をパチリと鳴らして生徒の注目を集めた。
「今日からはレナード先生と一緒に授業していきますよ〜! 飛行の訓練と合わせて戦術の授業もやりますからね!」
隣でレナード先生が頷く。
「君たちはまだまだ飛行に不慣れだろうから、先輩方とも一緒に授業をすることになる。私たちも注意は払うが、もし誰かが落ちることがあったら各自助け合うように!」
はい! 生徒たちは一斉に返事をした。先輩方の中にはフェリシアもいて、シーアとサーヤと目が合うとにこりと微笑んだ。
それでは班に分けて訓練をします、とティア先生は言って、今日の班分けを発表した。シーアとリアム、ジゼル、フェリシアが同じ班、サーヤとマシュー、ナユタ、あとはもう一人知らない先輩が同じ班だった。
「ごきげんよう、シーアさん。お久しぶりです」
「はい! お久しぶりです、フェリシア先輩」
今回は切迫した状況じゃなくて嬉しいわ、と微笑んだフェリシア先輩は、リアムとジゼルにも向き直った。
「あなた方とは……初めまして、ですよね? わたくしはフェリシア。よろしくお願いします」
「俺はリアム。よろしくお願いします」
「……」
パッと返事を返したリアムの後ろで、ジゼルがまじまじとフェリシアを見ていた。少し首を傾げてみせれば、ジゼルは、あ! と何かを思い出したように声をあげる。
「どっかで見たことあると思ったら、オヒメサマじゃん」
ぴしり。フェリシアが固まる。リアムは眉をひそめた。
「おい、ジゼル」
「オヒメサマがこんなとこで訓練して大丈夫なの? おれらなんか気使った方が良い?」
窘めようとするリアムの言葉を遮って、あけすけな物言いをするジゼルのその態度に、流石のフェリシアの方もムッとして言い返した。
「お気遣いは結構ですよ。この立場だからこそ、皆さんと同じ環境で訓練がしたいのです。この国を、より良くするために」
「は〜ん」
ジゼルは話半分、といった態度だった。完全になめている。
「……はあ、まあいいでしょう。よろしくお願いしますね、ジゼル」
ため息を着いて、フェリシアは手を差し出し握手を求めた。ジゼルはその手を取らなかった。
「なんか上からじゃん? 気に入らないすね〜、守られてばかりのオヒメサマはなにかを成し遂げたんすか」
「ちょっと!」
再びフェリシアが固まった。シーアが仲裁に入ろうとはしたが、それよりも先にジゼルは何も言い返せないフェリシアを鼻で笑った。
「ま、おれらにも立場がありますもんね〜。よろしくお願いしますよ、オヒメサマ」
フェリシアはどうにもできずに、ジゼルはそのまま彼女に背を向けた。
「……集中できなくない?」
シーアがぼやく。リアムも流石に素直に頷かざるを得なかった。―――ただでさえ空中戦の訓練、飛ばねばならないというのに。
ジゼルが勝手に刺々しい態度を取っているので、フェリシアも困っているようだった。普段の彼からは想像もできない態度だった。
「次の班〜! 準備して!」
ティア先生が声を掛ける。シーアたちの番だ。はい、と返事して四人は準備を始める。
「リアム、大丈夫よ」
「うるせーな、分かってるよ」
緊張で少しカチコチなリアムにシーアが声を掛ける。それをリアムは跳ねのけた。
「はい、行きますよー!」
ティア先生が笛を吹く。―――訓練の始まりだ。
*
飛び立ってしばらく、シーアとリアムが前衛、フェリシアが後衛、ジゼルが好き勝手飛び回って翻弄、という形で落ち着いた。戦術としてはまだまだぎこちないシーアとリアムを、フェリシアがサポートする。ジゼルに指示は飛ばなかったが、ジゼルの意図を汲んで二人に指示をしているのか邪魔なく飛びやすくて、それがなんだか悔しかった。
リアムも意外と上手くやっているようだった。フェリシアは彼に無理をさせないことを選んだらしい。正解だ、と思う。たまに体が浮くと焦ったように声を出すので、ノーヴァはなるべく彼を怯えさせないようにしているようだった。
それにしても。なんとかフェリシアに一泡吹かせてやりたい。このまま何もなく終わってしまうのは嫌だ。
ジゼルはもはや意地になっていた。どこまで突飛な飛び方をしても対応してくるフェリシアに悔しさを募らせて、くそ、と誰にも聞こえぬように、吐き捨てるように言葉を吐く。
「―――シーアさん、後ろ!」
ふと、フェリシアが焦ったように叫ぶ。
シーアの方を見る。いつのまにかそこにいた生徒は、容赦なくシーアを吹き飛ばした。
「シーア!」
リアムが慌ててシーアを追う。受ける体制も整っていなかったシーアはあらぬ方向に飛んでいく。彼女のウィンドグライダーもぐんと速度を上げて受け取りに行く―――が、あれでは間に合わない。先生方も飛び出した、が―――……。
今、確実に間に合うのは、ジゼルしかいない。
「ジゼルさん!」
フェリシアの声がする。それよりも先に飛び出していたジゼルは、あっさりとシーアを受け止めて、陸地に戻ってきた。
「―――……アンタの指示に従ったわけではないすからね」
ジゼルは戻ってくるなりこれだった。シーアが咎めようと口を開いたのを、フェリシアが制した。
「分かっています。でも、今は彼女が無事だったことが大事です。ありがとう、ジゼルさん」
「……」
ジゼルは拗ねたような顔をして返事をしなかった。リアムが戻ってくる。
「お前、すげーな」
「そりゃ、実戦経験が違うんで」
そうかよ。リアムはなんだか悔しそうだった。
「ありがとう、ジゼル。認めたくないけど、助かったわ」
シーアが礼を言う。ジゼルはなんだか居心地が悪かったが、それをごまかすようにふざけることを選んだ。
「あんた、素直に礼とか言えるんすね。おれの舎弟にしてやってもいいすよ!」
「なんですって!? 誰が!」
フェリシアはそんな様子をぼうっと見ていた。ジゼルの言葉を反芻する。
―――守られてばかりのオヒメサマはなにかを成し遂げたんすか。
何も言い返せない。まだなにも成し遂げていないから。それが悔しくて、ぎゅっと手を握り締めた。
*
気づけば昼休みになっていた。サーヤはなんだか気が重くてため息をついた。
「ナユタさん! ちょっといいすか」
とっくにいつも通りのジゼルがナユタに話しかけている。やっぱり今からでも止めたほうがいいだろうか。立ち上がろうとしたところでナユタが言う。
「ああ……。いいよ。場所を移そうか、気になるなら、君たちも来ると良い」
ナユタはシーアたちを見ていた。バレている。これも風向きというやつなのかもしれない。どうするか悩んだようにみんなで顔を見合わせて、結局全員外に出ることにした。
「どこまで聞いていたのかな、君は」
「意外とあっさり認めるんすね」
「言わなかったら勝手に調べるだろう」
ジゼルは照れたように頭を掻いて、それほどでも、と言った。褒めてねえだろとリアムが突っ込む。
「ごめん、ぼく……」
サーヤが言いかけたのを、ナユタが止める。
「君のせいじゃないさ、ボクの不注意だ。ごめんね」
そう言われては、サーヤは何も言えなかった。それで、とマシューが間に入る。
「地上から来たって、本当?」
「―――ああ、本当さ」
ナユタは本当にあっさりと頷いた。ジゼルが得意げに胸を張る。
「やっぱ地上って存在するんすねえ」
「じゃあ、何で雲上まで来たんだ? 地上の話は、こっちではほとんど言い伝えられてないけど、行き帰りができるなんてもっと聞いたことがない」
リアムがそう問う。ナユタは困ったように頬を掻いた。
「それは、……」
沈黙。しばらく言葉を探して、ナユタはこういった。
「君たちは、勝ったからじゃないかな」
「勝った……?」
シーアのつぶやきに反応して、ナユタは語り始める。要約すると、こうだ。
かつて。大きな争いがあった。争いの種は―――地上の食糧難。地上から争いを仕掛けたが、地上と雲上では技術の差も大きく、また土地の高さが功を成したか、雲上の人々は抵抗として地上を焼いた。
そのため、地上の……ナユタの先祖たちは、互いを行き来するための道を封鎖した。そうして時は過ぎ去り、―――気づけばその歴史は忘れ去られ……今に至る。
「地上では雲上には近づかないほうがいいってことになってるんだ。恐ろしい目にあうから、って。過度に高い建物を作るのも禁止されているね。僕がこういう歴史に詳しいのは、たまたま僕が鍵を守る種族だったからだ」
「鍵を守る種族?」
「雲上と地上の鍵を、ね」
聞いたこともない話だった。唖然としているシーアたちを置いて、ナユタは続ける。
「地上の技術も発達している。雲上を焼くための計画がひそかに進められていて、ボクはそれが嫌だったから、記録をすべて燃やして逃げてきたんだ。―――復讐のための争いなんて無意味だ」
だから、と一呼吸おいてナユタは言う。
「地上に行く、なんて、馬鹿なことを考えるのはやめたほうがいいよ」
ナユタはそう言って、それじゃあ、と去って行った。
「なんか……とんでもない話だったな」
「聞いてよかったのかな」
「少なくとも、好奇心は満たされたっすね」
「そりゃ良かった」
シーアとサーヤは目を合わせた。お互いが懐に入れていた鍵のレプリカを取り出す。
「―――地上、ねえ」
言葉は見つからなかった。少なくとも今、彼の言葉が確かなことだけはなんとなく感じていて、不穏な空気を振り払うように首を横に振った。
*
「お兄さん。何してるの」
その陰で。イズミ先生は不審な動きをする男性に声を掛けた。
「うわっ、びっくりした。いやちょっと、見てくださいよ!」
イズミがその人の視線の先、手元を辿る。―――虫?
「俺、コイツの研究者だったんすけど……久々に飛んでるのを見てしまって。ここって、騎士学院の敷地内でしたっけ、すみません!」
「ああ、なるほど? じゃあ今回は見逃すけど、次はちゃんと申請してね」
ありがとうございます! 元気に返事をした男性は、そのまま悠々と歩きだした。
「そうだ先生、知ってますか?」
―――こいつ、地上にもいるらしいですよ。高値で売れるんですって。
は、としてイズミが振り返ってももうそいつはいなくて、逃がしたか、と一人舌打ちをする。彼がしゃがんでいた場所に行けばシーアたちの声が聞こえた。どうやら手を打つのが遅かったようだ。
「こら、君たち~! もうそろそろ昼休み終わるよ~」
イズミが声を掛ければ慌てたように返事が返ってくる。どうしようもなく嫌な予感を抱えながら、午後の授業の準備に取り掛かるのだった。
畳む