No.363, No.362, No.361, No.360, No.359, No.358, No.3577件]

#ふたつの翼、ひとつの空
5.5話 幕間 4808文字


 次の日。風の誓約の日を結果的には無事に終えて、今日は振替の休日だった。
 久々にゆっくり眠れるからと遅くまで勉強をしていたサーヤは、珍しく、そう、本当に珍しく、七時を過ぎても眠りこけていた。穏やかな睡眠、まどろみ、このままこのベッドと一体化して泥のように眠り続けたい――――
「起きなさい、サーヤ!」
 ――――それを、シーアの大きな声に邪魔される。うるさい、と抵抗するように声を上げたが、既に目の覚めたシーアにとってはそんな ことは知ったことではない。
 無理矢理布団を剥がし、身体を起こさせればあっさりとサーヤは目を覚ます。朝に強い自分の身体を少しだけ恨んだ。
「なに、もう……。今日はいっぱい寝るつもりだったのに……」
「あら、そうなの? でも残念、私、良いことを思いついたのよ!」
 シーアはそう言いながら一枚の紙を掲げる。外出届、とプリントされたその紙には既に、シーアとサーヤ、リアム、マシューの名前が記入されていた。
「せっかくの休日だし、遊びに行きましょ。ほら、最近、リアムもマシューもなんだか大変そうだし」
 どうせあいつらも暇だろうし、きっと気分転換になるわよ。楽しそうに笑うシーアの突飛な発言は、これでもみんなのことを考えた結果らしかった。
 うーん、責められない……。そんなことを思いながら、ぼんやりと外出届を眺める。
「……外出届って、前日までじゃなかった?」
「大丈夫大丈夫、出し忘れましたって言って出せば、軽めの注意くらいで済むでしょ」
 必要なら私が怒られるから! 出掛けることはもうシーアにとっては決定事項のようで、サーヤは抵抗をやめ、大人しく外出の準備をすることにした。
 
 *
 
 サーヤが準備をしている間に、さっくりと外出届は提出された。シーアは、このために寮母さんと仲良くしていたのよ、とウィンクをした。
 マシューは乗り気だったが、リアムはしばらく噛み付いていた。いきなりすぎる、とか、なんでそれを先に相談せずに外出届を出したんだ、とか、他に予定があったらどうするんだ、とか。サーヤは全く持ってごもっともだ、と思ったが、シーアにはどこ吹く風だった。
「どうせ暇だったんだし、いいでしょ。それに、入学してからずっと勉強に身を詰めてたじゃない? たまには遊ばなくちゃ!」
 気分転換よ、良いでしょ? シーアがあまりに楽しそうに笑うので、リアムはそれ以上何も言えなくなって、黙ることにした。
 寮を出て、しばらく橋を伝っていくつかの島を渡る。そうすれば、王都セレスティアの商業区に辿り着いた。
 頑丈な建造物は大きめのテントたちによってカラフルに彩られている。ショッピングモールはそれなりに人で賑わっていた。シーアはこの場所が好きで、今までも、気分転換と称してたまにサーヤを誘ってはウィンドウショッピングをしていた。
「僕、初めて来たな。大きな建物だね」
 目を輝かせてそう言うマシューは、きょろ、と辺りを見渡しているさなか、見知った顔を見つけた。ジゼルだ。
 向こうもこちらに気づいたようで、こちらに寄ってくる。手には食べかけのチュロスが握られていた。一人で来ていたらしい。
「おー、お前ら、なにしてんすか?」
「げ」
「げ、ってなんすか」
 嫌そうな顔をしたシーアに、不服そうな顔でジゼルが言う。べつに、嫌われるようなことした覚えはないんすけど、と追撃。シーアはリアムとマシューもまとめて指さしこう言った。
「だってあんたたち、揃って私たちに隠し事するじゃない」
 言ってないこと、沢山あるでしょ。そう言えば、きょとん、と三人は顔を合わせた。たしかに。言わなかったことは、たくさんあるし、言ってないことも、たくさん――――
「……ま、それは僕たちの秘密、ってことに、なんとなくなってるよね」
「言ってやる理由もなくね?」
「おれのせいじゃなくねえすか、それ」
 三人揃って首を傾げる。なにが悪いのか分からなかった。この、こっちが心配してるのも知らないで。シーアはそう思ったが、それを言ってやるのもなんだか癪で、ただただ不満そうな顔をすることしか出来なかった。
「ま、まあまあ、みんな……。とりあえず、なにか見に行こうよ。今日は気分転換、だもんね」
 振り上げた拳をどこに下ろせばいいか分からなくなっているシーアを見かねて、サーヤが助け舟を出す。シーアは助かったと言うように頷いた。
「そうよ、今日は気分転換なんだから。来たいって言うなら別に同行も許可してあげるわよ」
「なんでそんな偉そうなんすか、あんたって」
 不服なジゼルはそれでも着いてくることにしたらしい。シーアは手を上げてこう宣言した。
「私、新しいお洋服が欲しいわ」

 *
 
 ショッピングモールの中は、寮なんかよりもさらに大きく、広い。なんせ、王都セレスティア唯一のショッピングモールだ。
 まずはお洋服! というシーアの強い希望により、手頃な店にチラホラと入ってはこれが可愛い、あれが可愛い、これはサーヤに似合いそう、だの、好き勝手歩き回る。
 そういうものに興味のないリアムとジゼルは、ただただ着いていくのに必死だった。
「シーア、これも似合うと思うよ」
 サーヤはさすが双子というところか、平然とそれについて行っている。
 マシューの方を見れば、それを穏やかに眺めては、二人の発言をたまに拾って意見を出しているのだから、手慣れたもののようだった。
「お前、すげーな……」
「見直したっすよ……」
 ようやく会計に進み、会計待ちの中マシューにそう言うと、マシューは小さく苦笑いを浮かべた。
「あはは……。昔から姉ちゃんによく付き合わされてたんだよね」
 だから、慣れだよ。そう言ってから会計の終わったシーアとサーヤの荷物を持つ。どこまでもスマートだった。
 なるほど、慣れか。仮にそうなのだとしても、しばらくは慣れなさそうだな、とリアムは思った。その隣で、ジゼルがゲームセンターを指さした。
「おれ、ああいうゲームがどんなもんか、見てみたいっす」
 見たこともあんまないんで。そう言ったジゼルに、なるほど、と頷いて、次はゲームセンターに行くことにした。
 
 *

「ほへえ、こんなほっせえアームでこんなでけ~ぬいぐるみがとれるんすか」
 思わず、といったようにジゼルはまじまじとそのアームを観察した。まあぬいぐるみって意外と軽いか? と首を傾げて、シーアたちに向き直る。
「おれ、ぬいぐるみとか持ってたことないんすけど、これはかわいいすね」
 そう言って指差すのは彼のウィンドグライダーに似たぬいぐるみだ。
「ラスカリオンに嫉妬されない?」
 シーアがからかうようにそう言う。
「おれとラスカリオンの絆をなめないでくださいよ」
 ジゼルはふん、と胸を張った。
「そ~お? でもあたし、そんなにお金使えないわ」
「僕もあんまりやったことないなあ」
「ぼくも……」
 自然と視線がリアムに集まる。リアムはぬいぐるみの位置を改めて確認して、財布を確認してから、
「……俺、取れると思う」
 ジゼルの表情がパッと明るくなる。が、とリアムの肩を組んで、バシバシと背中をたたいた。
「流石おれの舎弟! かっこいい! 認めてやるっすよ~!」
「うるせえな、舎弟じゃねえっての!」
 ぱっとそれを振り払うと、リアムはクレーンゲームにお金を入れた。
 軽快な音楽が鳴りだす中、アームを操作する。一回目。二回目。三回目で惜しいところまで行って、見事、四回目でそれを確保した。
「うおお~ッ、すげえ!」
 はい、とぬいぐるみを渡したリアムによくやったすよ、とジゼルが受け取る。その反応に、お前も大概上からだよな、と思ったが言わなかった。
「上手いじゃない、リアム。こういうの好きなの?」
「別に、妹にせがまれることが多かっただけだ。まあでもなんやかんや楽しいとは思うよ」
 ふうん。シーアがニヤニヤこちらを見ているのを見て、しまった、と思った。
「じゃあ私たちの分も取ってよ、リアム!」
「はあ!? なんでそうなんだよ、自分で取ればいいだろ!」
「私たち、やったことないもの」
 ね、とサーヤの方を見る。後ろからマシューが僕も、と声を掛けた。
「リアムお兄ちゃん、僕も欲しいな~」
「うわやめろ、誰だよ!」
「ぼくもほしいのあるんだけど、だめかな」
「……」
 後ろでジゼルが大変すねえ、と傍観を決め込んでいる。結局三人分の期待の視線に抗えずに、三人分のぬいぐるみを取る羽目になった。
 
 *
 
 リアムがぬいぐるみを取っている間、シーアはその輪を少し抜け出して、彼の分のぬいぐるみを取ることにした。
「きっと喜ぶわよ~」
 まあ、ノーヴァには嫉妬されるかもしれないけど。そんなことを考えながらご機嫌にお金を入れる。一回目。二回目。三回目。シーアは忘れていた。自分が極端に不器用であることを。
 そもそもアームがぬいぐるみに引っかからない。四回目。五回目。ここまでくると後には引けない気持ちになって、躍起になってクレーンゲームと格闘した。
 十回に行くか行かないか。そろそろ諦める選択肢を考え始めた頃、
「なにやってんだよ、下手くそ」
「げ」
 とっくに全員分のぬいぐるみを取ってしまったリアムたちは、帰りの遅いシーアを心配して探していたらしい。げってなんだよ、と言いながらリアムがお金を入れる。一回目。二回目。
「なんで取れるのよ……」
「歴がちげーな」
 ふん、とぬいぐるみを取り出してシーアに渡そうとするリアムに、もう、とシーアはふてくされた。
「あんたのに決まってるでしょ、馬鹿」
 リアムは、そのぬいぐるみとシーアの顔を交互に見た。ああ、もう! シーアはなんだか恥ずかしくて、わっと大きな声を出した。
「ノーヴァに似てるなと思ったから取りたかったの! あんたなんか、ノーヴァにそれ見せつけて嫉妬されちゃえばいいんだから!」
 シーアはふん、とそっぽを向いて、サーヤの後ろに逃げた。サーヤがヴァルカに似たぬいぐるみをわたせば、ぎゅっと抱きしめてからシーアは言う。
「さっさと帰るわよ!」
 もう話を聞く気のないシーアはサーヤを連れて一緒に歩き出す。
 お礼も、なにもかもを言うタイミングを無くし、引き留められず行き場のない手をそっと下げたリアムに、マシューとジゼルがポン、と肩をたたいた。
 
 *
 
 寮に戻ってきた。寮母さんに挨拶して、帰ってきたことを報告する。
「昨日の夜は急な嵐だったから、少し心配してたのだけど……。何もなくてよかったわあ」
 サーヤはそれで昨夜の嵐のことを思い出した。やっぱり変でしたよね、といえば、そうねえ、と寮母さんは頷く。
「きっと大人の誰かが解明してくれるわ。気になるようだったら気に留めておくわね」
 そう言いながらハンコを押して、よし、大丈夫よ、と解放される。
 ありがとうございます、と礼をしてから、全員で寮母室を出た。
「よしよし、各々気分転換になったかしら! じゃあ今日は解散!」
「うん。また明日ね、三人とも」
 シーアとサーヤはそう言って部屋に戻ろうとする。
「うす」
「……」
「良いの?」
 ジゼルはさっさと部屋に戻った。マシューはリアムに声を掛ける。
「……、や、……よくない」
 先に戻っててくれ、と、リアムはシーアを追うことにした。マシューはなんだかそれがうれしくて、少し上機嫌に部屋に戻った。
「シーア!」
 部屋の前ギリギリで追いついたリアムは、とりあえず声を掛けて言葉を探す。それを見て、サーヤは先に部屋に戻ることにした。
「……なによ」
 さっきのことなんてとっくに忘れているシーアは、怪訝そうな顔を向けている。それがなんだかさらにいたたまれなくて、リアムはがしがしと頭を掻いた。
「あー……ええと、あれだ、」
 心配かけて悪い、ありがとう。
 聞こえるか聞こえないか。とても小さな声でそう言うものだから、シーアもきょとんとしてしまった。
「ああ、もう! なんでもねえ、こんなの柄じゃねえんだよ!」
 おやすみ! それだけ言い残して、逃げるようにリアムは走って行った。
「あ、ちょ、ちょっと!?」
 取り残されたシーアは、なんなの、と思いながら、確かに聞こえた言葉を反芻した。
 なんだ、ずいぶん素直じゃない。
 少し機嫌がよくなったシーアは、ベッドにぬいぐるみを飾って、今日こそめいいっぱい眠ることにした。
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文章,ふたつの翼、ひとつの空

#ふたつの翼、ひとつの空
5話 5029文字


 朝方。サーヤは、ふと、目が覚めた。授業が始まってから数週間。今日は、風の誓約の日だ。ぐうぐうと寝息が聞こえる。シーアはまだ寝ているようだった。相変わらず肝が据わっている。緊張感がないとも言うだろう。
 なんだか緊張するから、少し、散歩でもしようかな。そうして、サーヤはベッドから出て歩き出した。なんとも静かだ。まだみんな寝ているのだろう。足音を立てぬよう廊下を歩いて外に出る。朝の空気が気持ち良かった。
 ふと、裏庭の方から声が聞こえた。顔を出してみれば、リアムだった。ウィンドグライダーと一緒にいる。彼の手元には、ウィンドグライダーのための食べ物がたくさん入った籠があった。
「お前、全部好きじゃん。なんかないの、特別にこれが好き、とか」
 普段の彼とは違い、落ち着いていて、少し困ったような声色だった。ウィンドグライダーは呆れたように彼の頭を小突いた。だからいてえって。
 そういえば、彼がウィンドグライダーと仲良しているのなんて見たことがなかった。
 飛べなくても、実は仲良しなんだな。少し安心したサーヤは、邪魔してもよくないな、と踵を返した。

 今日は、風の誓約の日。
 彼のために与える名前を、リアムはまだ決めあぐねていた。

   *

 大聖堂に向かい、風の神に祈りを捧げる。中心で祈りを捧げているのはフェリシア先輩だった。
 儀式として形式が決まっているとはいえ、信仰に熱くない生徒だってそれなりだ。それはシーアとサーヤもそうで、サーヤがあくびをかみ殺した横で、シーアがふわあ、と大きなあくびをした。
「ゼフィル・ラ・カイラ・ト・アーラ・ス」
 フェリシアが祈りの言葉を捧げる。それに続いて全員で復唱。ヴェルタ先生は、これを昔から続く伝統の言葉なのだと生徒に教えた。
「ウィスカ・ナ・リファル・ラ・ルミナ・ト・フォーレ・ス」
 文字も少し教わったが、授業の本筋には関係ないからと、ヴェルタ先生はその話をさっさと畳んでしまった。
「ヴィナ・ラ・エテルナ・ル・タリア・カレン・アルナ」
 風の神よ、流れを空へ。そよ風の舞は星へと進め。絆は永遠へと、信じる仲間とともに。
「ヴェリア・オフィラ・ス、ヴェリア・オフィラ・ス。タリア・ソルナ・トゥリア・ドナリア」
 祈りを捧げよ。祈りを捧げよ。信じる者に試練は与えられる。授業で教わった言葉の意味を反芻しながら言葉を紡ぐ。
 紡ぎ終えた。そう気づけば、風が吹き抜けていった。しばらく風を感じていれば、静かに空気を震わす音楽が、最期の旋律に入る。フェリシア先輩は静かに礼をして、その舞台から降りて行った。

「――――それでは」
 校長先生が一歩前に歩み出る。
「諸君。今日は、風の誓約の日だ。喜ばしいことに、今日は風に恵まれている。これより、風翼の誓いのための儀式を開始する!」
 わっと、それを見に来た人々が拍手をした。王都セレスティアの民にとって、風の誓約の日は、数少ない催しごとだった。
 ざわめきが広がる中、一人ずつ前に呼ばれていく。ウィンドグライダーに認められる者、そうではない者。反応も結果も様々だった。
 シーア、サーヤ、ジゼル、マシューはあっさりと認められた。常日頃彼に尽くしているマシューなんかは、ウィンドグライダーにキスをもらってしまって、たいそう喜んでいる様子だった。
 
「これからもよろしくね、ヴァルカ!」
 会場の外に出て、シーアは彼女のウィンドグライダー――――もとい、ヴァルカに声を掛けた。ヴァルカはすり、とシーアに寄り添った。
「ぼ、ぼくも、よろしくね、ティネラ」
 ティネラはサーヤの周りをぐるりと軽快に回った。
「素敵な名前だね、二人とも」
 そう声を掛けたマシューの隣でアルヴィがふわりと漂っている。
「おれのラスカリオンには負けるな」
 会話に参加してきたのはジゼルだった。長いんじゃないの、とシーアが抗議すれば、その方がかっこいいだろ、ロボットみたいで、と返事が来る。呆れたように肩をすくめるシーアの隣で、マシューは分からなくもないな、と思った。
 そうしていれば、ふと会場の方が騒がしくなる。
 なんだなんだと見に行けば、騒ぎの中心にいるのはリアムだった。

   *

 少し時は遡る。顔馴染みの面々が次々とウィンドグライダーに認められていて、リアムは不安で唾をのんだ。隣にいるウィンドグライダーを見ても、まったく目が合わない。何を考えているのかもわからなくて、それがさらに不安を助長させた。
 こいつの、名前。
 名前を付けるのは決して強制ではなく、特につけないでそのままにしている生徒も多くはないが存在している。
 名前なんか、ねえ。俺なんかが、わざわざ付けてやるのもなんだかかわいそうだし、と、そんな思考の最中、リアムの名前が呼ばれた。

 儀式の進行を務めるのもフェリシアの役目だった。彼女はリアムの目をまっすぐ見て、それから、問いかける。
「……あなたは、ウィンドグライダーを信じますか」
 信じます、と答える。本心だった。
 フェリシアがウィンドグライダーの方に目を向ける。彼はものは言わないが、それでも殊更静かにリアムを見ていた。
 其れでは、と儀式は続く。
「あなたのウィンドグライダー――――パートナーに、命名を」
 リアムはウィンドグライダーの方を見た。まっすぐ目を見て、こう言った。
「彼には、名前はつけません」――――と。

 それからは、なぜだか怒ったようにウィンドグライダーが暴れ出して、会場がにわかに騒がしくなる。その会場の中、こんな状況でようやくリアムは自身の祖母を見つけた。
 見に来てたのか、と思ったのも束の間、ウィンドグライダーは外へと飛び立っていってしまった。
 残されたリアムは、ただ、惨めな気持ちで退場するしかなかった。

「リアムくん!」
 いの一番にサーヤが声を掛けた。シーアは声はかけなかったが、うしろで見守っていた。
「振られてやんの。なにしたんすか」
「うるせえ」
 リアムはもう相当参っているようで、反発する声は小さかった。
「……リアム」
「だって、あいつ、好きな食べ物だって教えてくんねえし」
 幼い子供がぐずるような、拗ねたような声だった。誰も何も言えなくなる。いや、言いたいことはたくさんあったが、そのどれもが彼を傷つける気がした。
「俺、騎士になりてえのは確かだけど、空飛ぶの、怖いんだよな。はは、こんな奴に名前つけられたって、あいつだって困るだろ……!」
 吐き出すように彼は言葉を口にした。そんなことないよ、も、そうじゃなくていいんだよ、も届かない気がして、サーヤは言葉を選ぼうとした。
 言葉を吐き切ったことによって、リアムがいちばん傷ついたような顔をしていた。
 と、その時。
「それは違うんじゃないかい、リアム」
 後ろから声がかけられた。リアムが振り向けば、自身の祖母が、イズミ先生に付き添われて、そこに立っていた。
「あれは自分の名前が正式になる日を待っておったはずだよ、ほら、覚えておらんのか」
 リアムは狼狽したように黙りこくる。焦れた彼の祖母は、ああもう、というと、イズミ先生にカバンを開くよう指示した。
「わたしはね、あんたのこんな姿を見るためにここに来たんじゃないよ」
 そういいながら取り出したのは、汚い字で書かれたノートだった。男の子が、ドキドキのまま乱雑に書き殴ったであろうそれは、一見すると読めないが――――書いた本人には、分かった。ノーヴァの研究ノート、と題されている。
 思い出す。ああ、そうだ。ノーヴァ――――ウィンドグライダーと出会ってすぐ、空を飛べるのがうれしくて、リアムは彼に名前を付けた。
 彼にノーヴァを預けた、元パートナーだった祖父は、それを聞いて、きっとおまえは立派な騎士になるのだろうとリアムの頭をよく撫でた。
 だからだ。
 女の子は守るべきものだと祖父に教わった。祖母がその横で呆れた顔をしていたのをよく覚えている。
 だからこそ、女の子に――――シーアに負けるのが悔しかった。
 守られておけばいいのに。自分の周りには強くたくましい人しかいなくて、誰も守られてくれやしない。
 むしろ、守られてばかりだった。それが悔しくて、いろんなものに反発した。
 そうしてまた空で競い合っていたある日、無理な飛び方をしてふいに落下した。
 誰も間に合わなかった。唯一それについていけたシーアが雲の中に入りかけたリアムをさらって、それからだ。
 空を飛ぶのが、怖くなった。

 リアムは、震える手でそれを受け取った。開けば、好きな食べ物から、苦手な物、嫌いなこと、全部書いてあった。ああ、俺はもう、忘れていただけで、全部、ぜんぶ、知っていた。
「――――……」
「リアム」
 おばあちゃんはそっと手を重ねた。暖かった。
「あんたなら、できるさ」
 信じているよ、おばあちゃんも、きっと、――――おじいちゃんも、ね。

 風が吹き抜けた。リアムは、その風に押されるように頷いた。

「ふん、お友達に心配かけるんじゃないよ」
 そう言ってから、大きな指笛を吹いた。ピューッ。ピューッ。ピューッ。と、三回。
 そうすれば、ばさばさとはためかせてウィンドグライダーが飛んでくる。――――ノーヴァだ。
「おまえ、これ覚えてたのか」
 と、リアムが問う。ノーヴァは呆れたように、いつもよりも強めにリアムを小突いた。いてえって、とよろけたリアムを、シーアが支えた。
「ふん、情けない顔」
「……うるせえなあ!」
 態勢を立て直して、リアムはノーヴァの方を見た。この名前を正式なものにする火を、彼が待ち望んでいるというのなら。
「いこうぜ、相棒」
 待っててくれてありがとう。早くしねえと、今日が終わっちまう。そう言って走り出したリアムを追って、ノーヴァもまた、飛び立った。

   *

「いつも孫をありがとうねえ、あんたがシーアで、あんたがサーヤだろう」
 そしてあんたがマシュー。生徒全員が、とはいかなかったが、少なくともリアムも含むシーアたちは無事、風翼の誓いを結び、和気あいあいとした祭りの雰囲気の中。そうして一人一人を正しく指差したリアムのおばあちゃんは、ジゼルを見てこう言った。
「あんたは騎士学校でできた友達かい? 初めまして」
「おう、ジゼルって言います。俺が親分なんすよ」
「ちげーよ、誰が舎弟だ!」
 リアムが不満そうに突っ込む。ジゼルはどこ吹く風だった。ばあちゃんも、とリアムは祖母を指さした。
「もういいだろ、挨拶とか! 気まずいって、もうそろそろ暗くなるしさっさと帰れよ」
「そんなそんな、ねえ。わたしゃまだまだ動けるよ」
 そう言いがら彼女は杖をひょいとあげてみせた。おお、と小さく感心の声が上がって、リアムは頭を抱えた。四面楚歌だ。
「うちのは素直じゃないからねえ。たまにはこうやって挨拶しとかないと」
 ね、と祖母はシーアに同意を求める。完全におちょくっているのが分かったので、シーアも頷いた。
「そうね、たまには素直に感謝の言葉でも吐いたらどう?」
「何に対してだよ!」
「しいていうなら心配をかけてること、かしら」
 ねえ、とサーヤを見る。サーヤはそれを困り笑いで流した。
「まあまあ。でもほら、僕たち、そろそろ寮に帰らなくちゃだよ」
「そ、そうだよな!」
 マシューが助け舟を出せば、リアムがそれに食いつく。シーアが不満そうな声を漏らしたが、門限は門限だった。
「ちぇっ、残念。でもそうね、帰りましょ」
「そ、そうだね……」
 リアムのおばあちゃんは、もうそんな時間かい、と驚いてから、そのまま見送る姿勢を取った。
「じゃあ、リアムのおばあちゃん。またねー!」
「また!」
「はいはい、またね」
 そうして、全員が歩き出す。リアムはついていかずに、三人と距離ができたあたりで、祖母に声を掛けた。
「来てくれて、ありがとう……それと、」
 心配かけてごめん。小さな声で紡がれたその言葉を、祖母は鼻で笑った。
「当然だろ、馬鹿!」
 ほら早く帰んな、と背中を押される。リアムがいないことに気づいたシーアたちが呼びながら待っている。
 リアムはそれがなんだかうれしくて、でも素直に認められなくて、それ以上は言葉にせず帰路についた。
 祖母であり育て親の彼女は、そんなリアムの心境なんかとっくに知っていて、素直じゃないねえ、と笑い飛ばしながら、その背中を見送った。

   *

「もう一度お聞きしますが、あなたは何者ですか? 何か、身分を証明できるものは……」
 ヴェルタ先生がそう問う。部屋の中には、一人の中性的な容姿の子供と、騎士学校の先生たちが全員、集まっていた。
「ボクはナユタ。身分を証明できるものは特に持ってない。でも、信じてもらえないかもしれないけど、お願いがあるんだ。」
 逃げてきたんだ。あの分厚い雲の下から、この空の上まで。役目も、期待も、全部を置いて。そう言う子供―――便宜上、彼、と表記する―――に、先生たちは顔を見合わせた。
「お願いだ。ボクをこの雲上の世界に置いてほしい」
 それ以上には何も求めないから。

 誰もが困ったように首を傾げる室内で、ヴェルタ先生だけが、真剣なまなざしをしていた。
 外ではびゅうびゅうと風が吹き荒んでいて、まるで嵐の様相だった。

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文章,ふたつの翼、ひとつの空

#ふたつの翼、ひとつの空
4話 6873文字


 朝を告げる鐘が鳴る。同時に、目覚まし時計がわんわんと騒ぎ出した。シーアは慌てて目を覚まし、目を擦りながらベッドから出る。サーヤは先に起きていたようで、起きてきたシーアに挨拶をした。
「おはよう、シーア」
「おはよー……。サーヤはいつも早いわね」
「シーアが寝坊助なんだよ」
 朝弱いもんね、と付け足したサーヤに、うるさいなあ、とシーアはぼやきを返した。頭は働いていなさそうだ。
 顔を洗いに行ったシーアのために、サーヤは櫛を用意して待つことにした。出てきたシーアをこっち、と手招いて髪の毛を梳かし、結ぶ。いつものシュシュをつけてやれば、シーアも目が覚めてきたようだった。これも、もはやいつものことだった。
「今日から授業が始まるね~」
「そうね。どう、サーヤ。楽しみ?」
 シーアが振り返ってサーヤを見れば、に、と笑ってサーヤは言った。
「そりゃもちろん、楽しみだよ!」

 *
 
 リアムとマシューとも合流して、学校に向かう。そわそわした空気の中、しばらく教室で待っていれば、ガタガタガタ! と音を立てて教室の扉が開かれた。
 知らない子だ。入学式の時にも見なかったような気がするが……? 教室を間違えたのだろうか。
 その少年はずかずかと入って来ては、ぐるりとあたりを見渡す。見渡して、ばちり、と目のあったリアムに近づいてきた。
「なああんた、ここって一年の教室であってる?」
「……合ってるけど。あんた、誰だよ」
 その少年が答える前に、ぱたぱたとイズミ先生が教室に入ってきた。
「ああ。いたいた、ジゼル! 急にどこかに行ったから心配したよ」
 ジゼルと呼ばれた少年は、特に悪びれもせず先生の方を見た。
「えー、でも、先生。授業を受けるのってここじゃないんすかあ? 間違ってはないでしょ~」
「だとしても、だよ。まだ話さなきゃいけないことがあったんだから」
 イズミ先生は呆れたようにそう言った。ジセルははいはい、とそれを流した。
「分かってるって、迷惑かけなきゃいいんすよね」
 イズミ先生はちょっと困った顔をして、一瞬だけ押し黙ってしまった。そうではなくて、と改めて説明しようとしたのを、ジゼルは面倒くさそうに聞き流す体制をとった。
 それを見た先生は、諦めたように首を横に振った。
「まあ君はよほど下手なことはしないだろうけどね」
 それから、他の生徒たちに向けて彼の紹介を始めた。
「彼はジゼル。ちょっと事情があって入学式には来れなかったけど、この学校の生徒だよ」
「ジゼルで~す」
 へら、と笑った彼――――ジゼルは、先生の方を見てこう言った。
「あれは言わなくていいの?」
「……どれ?」
 そんな発言を聞き返したはいいものの、なんとなく嫌な予感がして、止めようとするよりも先にジゼルが口を開いた。
「ほら、最近捕まった空賊の首領の息子さんだよって」
 みんな、もっと警戒したほうがいいすよ、ねえ。けたけたと笑いながらあっさりと大きな暴露をしたジゼルにイズミ先生は頭を抱えた。
 生徒たちといえば、ぽかん、と口を開けてジゼルを見ていたが、しばらくして理解が追いついたのかざわざわと騒ぎ出す。え、空賊ってあの? 首領の息子って言った? ――――であればどうして騎士学校に?
 そんな生徒たちの前でイズミ先生は仕切り直すように大きく咳払いをした。
「はあ、だからまだ話さなきゃいけないことがあるって……。まあいいや、ええと、説明するね」
 先生の話をまとめると、こうだった。騎士学校の先生方の努力で一つの大きな空賊の集団が解散となった。大人たちは全員捕まったが、ジゼルはまだ子供だったため、更生のためという名目で騎士学校に入ることになった。
「これでも授業はちゃんと受けるつもりっすよ。だってそうじゃないと捕まるらしいし」
 あっさりとそう言ったジゼルは、に、と笑って、よろしく、と言葉を続けた。
 シーアとサーヤは顔を合わせて、お互いを何とも言えない顔をしているな、と思った。
 
 *
 
 ホームルームを終えて、初めての授業はティア先生のウィンドグライダーの扱いだった。本来は操縦、と題されているらしいが、ティア先生が操縦はちょっとね、と言って勝手に時間割の名称を変えているらしい。
「みんなは今、それぞれのウィンドグライダーに子供向けの装備を搭載して飛んでいると思うんだけど、今日からはそれを外して、戦闘用の装備を載せて飛んでもらうからねー」
 ティア先生はそう言って自身のウィンドグライダーを呼んだ。戦闘用の装備は大きくて硬そうだった。重たくないんですか、と生徒の一人が問えば、負担にならないように作られてるから大丈夫よ、と先生は答えた。
「子供向けの装備は落ちにくいようになっているけど、その分、戦闘用の装備はかなり落ちる可能性が上がるからね。飛ぶときは一人ずつ飛ぶように!」
 そう言って先生はひとまずと生徒たちにウィンドグライダーの装備を配った。装備のつけ方を順に説明していった。無事に全員が装備を終え、さて飛んでみよう、と、先生が見守る列にシーアとサーヤは並んだ。
「上手く飛べるかしらね~」
「ね、楽しみだね」
 そんなほのぼのとした二人の後ろで、ふと、こんな声が聞こえた。
「え、なに。あんた、怖いんすか!」
 ジゼルだった。振り向けば、リアムとマシューとなにやら話しているようだった。
「ちげーし! 馬鹿! んなわけねえだろうが!」
「え~、でもだってあんた、ずっとあの列に並ばないために言い訳してるじゃないすか。怖い以外の何でもなくないすか? それは素直に認めた方が……」
「ッはア!? うるせえなあ、そうじゃないって言ってんだろ!」
「ええ~~~……」
 リアムはずかずかとこちらに近づいてくる。シーアは不思議そうな顔をしていたが、サーヤはなんとなく思い当たる節があってリアムに声を掛けた。
「リ、リアムくん」
「んだよ」
「……」
 そのままサーヤは言葉が見つからず黙ってしまった。大丈夫かと聞いてもやめた方がといっても今の彼には意味がないだろう。それに、――――彼も騎士になりたいはずだ。
「なに、あんた。ほんとに怖いの? やめたって笑いやしないわよ」
 シーアがそう言ったのと、次の生徒を呼ぶ先生の声が同時だった。
「だから……ッ うるせえな、見てろよ!」
 そういってリアムは空へ走り出して行ってしまった。
「お、いい勢いだねえ!」
 先生が笑いながら追いかける。リアムはしばらく安定して飛んでいたので、なーんだ、とその場の全員が安心したのも束の間、彼はぐらり、と姿勢を崩した。
 それを後ろを飛んでいた先生がとっ捕まえて、彼のウィンドグライダーと共に戻ってくる。
 戻ってきたリアムの顔色は相当で、心配していたサーヤとマシューは慌てて彼に駆け寄った。先生は、少し考えてからマシューにリアムを任せ、他の生徒の指導に戻って行った。
「おれも着いてっていい?」
 ジゼルがそう聞いたのを、マシューは断ろうとした、が、リアムがそれを制した。マシューは少し悩んでから、好きにさせることにした。
 
 *

「なーにもあんな無茶に飛ぶことねえすよ」
 訓練所の隅っこ。逸る鼓動を落ち着かせるように水を飲んで、リアムは答えた。
「飛べねえと、騎士にだってなれねえだろ」
 不服そうだった。悔しさ故かもしれないし、それ以上の何かでもある気がした。ジゼルは不思議そうに首をかしげた。
「騎士になりたいんすか」
「じゃなきゃこんなとこに居ねえって」
「じゃ、なにがそんなダメなんすか?」
「……」
 こいつ。なにかしらでは覚えてろよ、と、リアムはいつかの逆襲を誓った。マシューが口をはさむ。
「ジゼルくんは、飛ぶの得意なの?」
「ンえ、まあ、得意というか、飛べないと賊出来ないっしょ」
 これでもある程度の訓練は受けてますよ、とジゼルは言った。ああ、だからか、と一人納得して言葉を付け加える。
「おれなら、あんたのそれ、なんとかできるかもよ」
 ほら、おれって、落ちるのも別に怖くないし。そう付け加えたジゼルにリアムは瞠目した。思ってもない言葉だった。
「……なんの真似だよ」
「えー。別に、興味本位? おれも舎弟がほしいんすよね」
「誰が舎弟だ」
「あんた」
「……」
 ああ、もう。話にならない、とリアムは頭を抱えた。空ではシーアが訓練として飛んでいて、あいつはいいよな、と拗ねるような気持ちが湧いた。
 しばらく無言の時間が流れた。空を飛ぶシーアはなんだか楽しそうで、高笑いがここまで聞こえてくるようだった。いや、実際に楽しくなっているのかもしれない。あんまりにも縦横無尽に飛ぶので、先生さえルートを定めておけばよかったかもしれない、と思っていた。
 と、そんなとき、ぐらりとシーアが体勢を崩した。
「!」
「あ、」
 落ちるっすねえ、あれ。ジゼルがつぶやいた声がやけに大きく聞こえた。先生がそばを飛んでいるのだから、大丈夫だと知っている。それなのに、なんだかすごく不安になった。
 自分が今から飛んでも先生の速さには間に合わない。そもそもあそこまでたどり着けるか怪しい。危うく雲の中を突っ込みかけたシーアを、先生が拾った。当然だ。戻ってきたシーアは楽しそうにしたまま、サーヤに話しかけに行った。
 それを見て、少し安心して息をつけば、それを見ていたジゼルがさらに声を掛けた。
「優しいっすねえ、そんなすか」
「……なにがだよ」
「え、だって、怖いんでしょ」
 自分が落ちるのも、誰かが落ちるのも。自己責任だと思いますけどねえ、とジゼルが言うのはあまり聞こえなかった。その通りだな、と思考にふけってしまったからだ。
 ウィンドグライダーの乗り方の本を、片っ端から集めて読んでいる。落ちないために。みじめな姿を晒さなくていいように。
 それでも、落ちた。そうであるのなら、この恐怖には、慣れるしかないのだろうか。
 いつか、慣れる日が来るだろうか。
「リアム」
 マシューの声で我に返る。彼は少し悩んで、言葉を続けた。
「ジゼルくんの言う通り、なんで怖いのか、僕も知りたいな。それを知れば、解決できる何かがあるかもしれない」
「……」
 人を頼るなんてごめんだと思っていたが、一人では手詰まりなのも事実だった。……確かに、そうかもしれない。納得すれば、言葉は自然と出てきた。
「……本当に誰もいないところで落ちたら、見つけてもらえねえんじゃねえかなって、思ったことがあるんだ」
 スカイラヴィスの世界の人々にとって、雲の下は未知だ。しかし、雲は雲だ。突っ切って落ちれば、何かにはぶつかるだろう。
 それがとても恐ろしく思えた。実は何も無いかもしれないのが怖くて、本を読み漁った。
 分かったのは、地上、と呼ばれるなにかがあること。そこにたどり着けば、もう帰ってこれないことだけだった。
 未知は怖い。もし、先生のいないところで飛んで、落ちて、見つけてもらえなかったら。
 一人ぼっちになるのだとしたら。
 そんなリアムの話を、二人は静かに聞いていた。やがてジゼルが口を開く。
「へえ、想像力豊かすねえ、たしかに」
 なるほど、と彼は頷いた。頷いてから、こう言った。
「リアムって、ウィンドグライダーのこと、あんま信用してないでしょ」
「……え」
 思ってもない言葉だった。思わず自身のウィンドグライダーの方を見る。目は合わなかった。
「おれはあいつが拾ってくれると思ってるから」
 な、と彼は自身のウィンドグライダーを見る。彼のウィンドグライダーは嬉しそうにパタパタと近くに寄ってきた。
「おれらって、二つで一つだからさ。なんせ、落ちたら拾ってもらえるのなんて、子供の時まで、すからね」
 そう言ってから、ウィンドグライダーを撫でる。喜びを表現するように、彼もくるる、と震えた。
「だからあんたも交流増やしたら? 見た感じ、まだあんまお互いのこと知らないでしょ」
 思ったよりも有用なアドバイスだった。意外な気持ちが勝ってしまって、リアムが唖然としていると、後ろからマシューが口を開いた。
「悔しい……ッ」
「は?」
 珍しい声だった。思わず振り返る。わなわなと手を震わせた彼は、ジゼルに噛みつくように近づいた。
「どうやってそこまでの信頼関係を築いたの!? 手入れはどうやってしてる? 好きな食べ物と嫌いな食べ物の把握ってどうやってしてる!? うちの子ほんとに表情が変わらなくて困ってるんだよ、ちょ、ちょっと、ああもう、聞きたいことがありすぎる!!」
 矢継ぎ早だった。さすがのジゼルも目を白黒とさせていたので、仕方なくリアムが止めに入る。
「お、おい、マシュー。少し落ち着けよ」
「落ち着けないよ! 答えてくれるまでこの手を離さないから」
「えー、それは困るすねえ……?」
 首を傾げてからジゼルは答えだした。
「でもあんたら別に仲悪くないでしょ。それくらいわかりますよ。表情が分かりにくいのはそういう個性なんじゃないすかねえ」
 ジゼルがそう言えば、マシューはなるほど、と納得したように手を離した。それから、少し恥ずかしそうに照れ笑いをした。彼のウィンドグライダーは気づけばマシューのそばにいて、一気に詰め寄りすぎだと軽く頭突きをした。
「そこの男ども――――!! 休憩が終わったなら戻ってきなさーい!!」
 ティア先生が叫ぶ。思ったよりも時間を使ってしまった。全員ではーい、と返事をして、授業に戻ることにした。
 
 *
 
 その後の授業では、マシューもジゼルも訓練として飛んだが、二人は落ちることなく戻ってきた。シーアは、サーヤがうまく飛べたのをまるで自分ごとのように自慢していた。
「うんうん。このように、ウィンドグライダーたちはその人その人との関係性で飛びやすくなることもあるからね。今回の訓練で一回でも落ちた子たちは、彼らとの関係性を見直してみるのも手だよ~」
 相談は適宜受け付けるからねー、と、そう言ってティア先生は授業を締めた。
「楽しかったわね、サーヤ!」
「そ、そうだね、シーア」
 マシューはリアムの方をちらと向いたが、リアムは何かを考えこむように、ティア先生の方には向かわなかった。
「あ、リアム。大丈夫だったの、あんた」
「……おー」
 シーアが声を掛けてもリアムの返事はほとんど上の空で、シーアとサーヤは顔を合わせ首を傾げた。
「大丈夫かな、リアムくん」
「ねえ」
 そんなシーアとサーヤの後ろからマシューが声を掛けた。
「大丈夫だよ、多分ね……」
「まあ何とかする気はあるみたいすよ」
 ジゼルも後ろから声を掛けてくる。シーアは、本当に怖かったのか、あれ、とリアムに思いを馳せて、まあでもそんなこともあるか、と考え直した。空の上で彼を煽るのはやめようと思った。
 
 *
 
 次の授業はヴェルタ先生だった。
「あら、あらら、出席簿はどこに行ったかしら……?」
 あわ……あわ……、という効果音が似合いそうな、ゆったりした動きで出席簿を探し、あ、あった、とその小さな袋の中から大きさに見合わない出席簿を取り出した。
「よしよし、見つかりましたね」
 そういって出席を取り、うんうん、と頷きながらそれをしまう。それから、こちらを向いてにこりと微笑み、はじめまして、と自己紹介を始める。
「ヴェルタです。歴史とか、文化とか、教養とかの授業を担当しています。担当授業が多いのは、私がいちばん秀でているからよ」
 今日はねえ、風の誓約の日の話をしようと思ってねえ、と彼女が話す傍ら、黒板にさらさらとペンで書き記されていく。
「みなさんはまだご自身のウィンドグライダーに、正式には名前をつけていませんね」
 はい、と生徒たちが頷く。ヴェルタ先生は続ける。
「みなさんの中には知ってる方も多いと思いますが、彼らの名前は風の誓約の日、正式に命名することができます。要するに、ウィンドグライダーと風翼の誓いを結ぶ日、ですね」
 風翼の誓いのことはご存じかしら。先生はあたりを見渡した。マシューがはい、と手を上げる。
「ウィンドグライダーを武装させて乗るための免許みたいなもの、ですよね。ウィンドグライダーたちが僕たちを選んでくれたら結べるもので、彼らとの絆が試されたりもすると聞いています」
 ヴェルタ先生は頷く。素晴らしい、その通りです。とマシューを褒めた後、補足として説明を始めた。
「風翼の誓いを結んだ人々には、彼らからの承認を得たことを証明するためのピンバッチが配られます。それがこれね」
 ヴェルタ先生は自身の胸についたピンバッチを掲げた。教室内がおお、とどよめく。シーアもサーヤも知ってはいたが、いざ説明されて見せられると、なんだかいっそうかっこ良く見えた。
「先生も飛べるんすねえ」
 ジゼルが声を掛ける。先生は笑って、これでも冒険者で研究者だったのよ、と言った。
 
 *
 
 その後の授業は何事もなく、無事に楽しく終えられた。
 その帰り道、リアムはそそくさと訓練所に向かった。自身を選んだウィンドグライダーが飛んでいる。リアムが来たのを見て、彼は飛び近づいてきた。
「お前、何が好きなの」
 突然の問いかけに、彼は首を傾げた。リアムは言葉を重ねる。
「何の食べ物が好きなのかだけでも、知れれば」
 歩み寄れるかなって。彼の声は小さくて、聞き取れるかもわからなかったが、それでも聞き取ったらしい彼は、リアムの頭にとん、と自身の頭を乗せた。
 リアムは困り果てたようにそれを受けて、思い出す。そういえば、昔はよく林檎を持ってきてやっていた。空を飛ぶのが楽しくて、こいつと一緒にどこまでも行けると思っていた頃のことだ。こいつはこれが好きだった。大人になってから、いつしか振り払うようになって、――――そういえば、昔は仲が良かったっけ。
「お前、変わんないんだな」
 もう俺は、空が怖くて、お前に乗ることなんて、いつか夢のまた夢になるかもしれないのに。そんなことを思えば、何かを察した彼は、乗せていた頭をごん、とぶつけた。いて、とよろけたリアムを放置して、彼は飛び去って行った。
 今からでも、歩み寄ったとして。自分はまた空を飛べるだろうか。
 とりあえず次は、好きそうな食べ物を持ってきてみよう、と心に決めて、リアムは寮に戻ることにした。
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文章,ふたつの翼、ひとつの空

#ふたつの翼、ひとつの空
3話 6130文字


 風が、吹き抜けて行った。
 
 セレスティア騎士学院の大広間に、盛大な音楽が流れ始める。高い天井から差し込む光が、整列した生徒たちの上に降り注いで、まるで祝福のようだった。
 
 その光景に、シーアとサーヤは思わず息を飲んだ。
 
 今日は、記念すべきセレスティア騎士学院の入学式だ。
 おじいちゃんもおばあちゃんも、ウィンドグライダーに乗って王都まで見に来てくれているようだった。
 彼らに小さく手を振ってから辺りを見渡す。クラスメイトたちはみんな、まっすぐ前を向いていた。
 
 ここにいる人たちはみんな、強くなりたくてここにいるんだ。
 
 そう思うとわくわくして、今にも走り出したくなった。
「続いては、校長先生のお話です」
 アナウンスが流れて、校長先生らしき細身の綺麗な女性が壇上に上がった。少しの驚きが、空気をざわつかせた。
 少しばかりマイクの確認をしてから、ふう、と一つ息をついた彼女は、声を出す。
「風は、行き先を選ばない」
 強く、芯のある声だった。校長先生――――セラ校長は、壇上からゆっくりと生徒たちを見渡した。
「どんな者にも等しく吹き、どんな者にも等しく翼を与える。強い者にも、弱い者にも。正しい者にも、そうでない者にも」
 一拍。
「だから、風に恥じない騎士になりなさい。それだけでいい」
「――――アタシを失望させないように」
 以上。彼女はその言葉でスピーチを締めた。ぱちぱちと拍手がおきて、来賓の挨拶、校歌斉唱、その後に先生方の紹介。
 一年生の授業を担当する先生はイズミ先生を含め四人だった。
「レナードだ。戦術や作戦の立案の授業を担当をしている。最も、そんなことは必要にならない方がいいんだが……」
 ガタイの良い怖い顔の先生がそう語り出そうとして、ひとつ咳払いをした。
「こほん。この話は長くなりそうだ。えーと、一年生の諸君、よろしく頼む」
「相変わらずお堅いなあ、レナード先生は!」
 隣で楽しそうに笑う女性につつかれて、レナード先生は少し眉間に皺を寄せた。
 気にも止めない彼女は前に出る。
「ティアです! ウィンドグライダーの操縦の授業をします。操縦って言うと機械みたいでやだよねえ、彼らは生き物なのにね~」
 あっはっは。そんな言葉も一人で笑い飛ばして、よろしくね、と言葉が付け加えられた。
 その隣で、穏やかな表情をした先生が一歩前に出る。
「ヴェルタです。座学的なところはおおよそ担当なんじゃないでしょうか」
 うーん、そうですね、と首を捻ってから、言葉がまとまったのかこちらに向き直る。
「歴史や文化、教養、あと魔法の授業を担当しています。よろしくお願いしますね」
 最後にイズミ先生が前に出た。
「はあい、イズミで~す。先に寮に入ってる子達には言ったけど、今年の一年生の担任の先生をやります。あと武道・剣道の授業もやるからね~」
 ひと呼吸。
「分かってる子もいるかもしれないけど、君たちが今日から学ぶ技術は人を殺す技術だからね。授業は真面目に受けること。そうじゃないと、自分の命が守れないからね」
 よろしくね、と念を押して、先生方の自己紹介は締められた。拍手が響く。
 その空気のまま入学式は終わり、新入生の生徒、そしてその保護者たちは、先生に連れられて教室に行くことになった。
 
 シーアとサーヤはそわそわと辺りを見渡した。今年の一年生は一クラスだけのようだった。
 席順はみんなバラバラで、サーヤはなんだか少し寂しかったが、いやいや、でも、と思い直す。イズミ先生の言う通り、真面目に授業を受けるための計らいなのだろうと思うことにした。
 ざわざわと騒がしい教室の中、イズミ先生がパチリと手を叩く。
「はい、静かに! 色々と話したいことがあるかもしれないけど、一旦僕の話を聞いてねー」
 静かになった生徒たちを見て、イズミ先生はうんうんと頷いた。
「さて、今日からこのクラスのみんなで授業を受けてもらいます。なので、まずは自己紹介からだよね」
 生徒一人一人の顔を見て、にっこりと先生は笑った。
「仲良くするにはある程度をお互いを知ってもらうことが一番! じゃあ君から、どうぞ」
 席の端っこに座っていた生徒が指され、自己紹介をしていく。みんながみんな堂々と自己紹介するので、慌てて自分の自己紹介を考える羽目になった。
「シーアよ。いつかお父様のように立派な冒険者になるために騎士学院に入ったわ! よろしくね」
 シーアがサーヤにウィンクを飛ばした。
「マシューです。ウィンドグライダーと沢山触れ合いたくて騎士学院に入りました。よろしくお願いします」
「俺はリアム。……そんな大それた理由はないけど、戦えたらかっけえなと思って騎士学院に入りました。よろしく」
 二人もあっさりと自己紹介をこなした。
 そうしているうちに、気付けばサーヤの番になってしまっていて、慌てて立ち上がる。
「ええっと、サーヤです! シーアと一緒で、いつか立派な冒険者になるために騎士学院に入りました。よろしくお願いします!」
 無事、自己紹介を終えて座る。自分の自己紹介考えるのに必死で、他の子達の自己紹介はあまり頭に残らなかった。
 あとでシーアに教えてもらおう。そう静かに決心していれば、全員の自己紹介が終わっていた。
 よしよしと満足気なイズミ先生は、その後の連絡事項をさっさと済ませて、パタリと出席簿を畳んだ。
「さて、今日はこれでおしまい! 明日から授業だから気を引き締めて来るように。それじゃあね~」
 手をひらひらと振ってイズミ先生は生徒を解散させる。シーアとサーヤは真っ直ぐにおじいちゃんとおばあちゃんの元に駆け寄った。
「おじいちゃん! おばあちゃん!」
 彼らは嬉しそうに顔を綻ばせ、二人を穏やかに迎え入れた。
「見てたかしら! 私たち、無事に入学したのよ!」
「ええ、ええ、見てたわよ~」
「……」
 おばあちゃんがニコニコ笑ってそう言った横で、無言で立っているおじいちゃんの目元は少し赤かった。
「おじいちゃんたら、入学式の時ずっと泣いてたんだから。私も泣きそうになっちゃったわ~」
「こ、こら、その話はいいだろう」
 シーアとサーヤは顔を見合せて笑った。しばらくの寮暮らしであまり会えていなかったが、彼らは変わらずだった。
 寮の部屋が広くて嬉しいこと。それでも屋根裏部屋が恋しいこと。おじいちゃんとおばあちゃんがいなくて寂しいこと。でも、楽しみな気持ちが勝っていること。そんな話を次々二人でしていれば、おじいちゃんもおばあちゃんも安心したように笑った。
「二人とも、楽しそうねえ。私たちまで寂しくなっちゃうわ~」
「先生方に迷惑はかけないようにするんだぞ」
「もちろん!」
「当然だわ」
 まあ、なんだ、二人なら大丈夫だろう。とおじいちゃんが言ったあたりで、帰りのウィンドグライダーのタクシーが来たことを告げるアナウンスが鳴る。
「ああ、そろそろね。」
「ああ……。それじゃ、二人とも、また」
「うん、おじいちゃん、おばあちゃん!」
「またね!」
 おじいちゃんとおばあちゃんを見送れば、二人だけ、というのが急に寂しく感じた。
 それでも、きっと、大丈夫だ。
「ねえ、サーヤ! せっかく学園に来たことだし、少しだけ探検してから帰らない!?」
「え、あ、それって良いのかな!?」
「だって、もう私たちの学校でしょ!」
 に、と笑ってシーアが駆け出す。サーヤはそれを慌てて追うことになった。
 シーアがぱたぱたと廊下を走っていけば、どん、と誰かにぶつかる。わ、とシーアがよろけたのを受け止めて、その人は、安心したように微笑んだ。
「ああ、良かった。すみません、よそ見をしていたもので」
 大丈夫でしたか? と、シーアに問う。ふと、思い出した。試験の日、リアムが落ちかけた時に駆けつけてくれた先輩だ。
「だ、大丈夫です! こちらこそ、すみません」
 自然と敬語になったシーアに、先輩はこう言った。
「廊下を走るのは危ないので、なるべくやめましょうね」
 その綺麗な所作に見惚れていたシーアとサーヤにそうやって念を押す。すみません、と答えれば、彼女はまた微笑んだ。
「あの時は受験生でしたね。入学おめでとうございます、わたくしはフェリシア。」
「は、はい! 私はシーアです」
「ぼくはサーヤです」
「いつかきっとなにかで一緒になる日も来るでしょう、頼もしい一年生のおふたりさん。その時はよろしくお願いいたしますね」
 それでは、とフェリシアが去ろうとしたところで、
「ああ、あなたは本当に馬鹿な子!」
 と、近くから怒鳴り声が聞こえた。
 眉根を潜めたフェリシアは、ため息をひとつ着いて、二人に向き直る。
「……念の為、先生を呼んできてもらえますか」
「は、はい!」
 誰かに何かがあったら大変だからと、指示通り、シーアとサーヤは先生を呼びに行くことにした。
 
 *
 
 フェリシアがその声の方に向かえば、一人の生徒とその母親であろう人物が立っていた。揉めているようだ。怒鳴り声がきんきんとしていて耳に悪い。
「本当にこんな場所に通うなんて! あなたは本当は絵を描くべきだって、なんで分かってくれないのかしら」
 生徒――――マシューは事態を悪化させたくないのか、ただ、黙りこくっていた。
 母親の方を見る。フェリシアも見たことがある。確か、著名な画家だったはずだ。あまり良い噂は聞いたことがない。こんなところで人目もはばからず喚いているのだから、おおよそは真実なのかもしれない、と思った。
 だとしても、自身の顔くらいは知っているだろう、と判断して、フェリシアはひとつ、前に出る。
「ご家族でのご歓談中、失礼いたしますわ。今、わたくしの通う学院に何と?」
 突然の乱入に眉を顰めてフェリシアの方を見た彼の母親は、分かりやすく慌てて笑顔を浮かべた。
「姫様!? ど、どうして……、ふふ、いえ、嫌だ、姫様ともなれば、私たちのことだってご存知でしょう。この子に言ってやってくれないかしら、我が家に生まれておきながら、ゼフィルアート学院に入らないのはおかしい、って」
 この子は才能に恵まれているんです、他の子達と違って。彼女はそう言って笑った。噂通りだな、と思った。
 フェリシアは小さくため息をついた。ああ、波風を立ててしまう。しかし、火のないところに煙は立たない。フェリシアは意を決して、口を開いた。
「失礼、わたくしは彼の意思が尊重されるべきと思いますわ」
 あなたはどうしたいの。そうしてマシューに視線を向ければ、彼はまっすぐ母親を見てこう言った。
「母さん、前々から言ってるけど、僕はここで学びたいことがあるんだ」
 彼の母親は口元をひくりと引き攣らせた。
「家系、血筋問わず、子供にはやりたいことをやらせるのが一番、とわたくしは考えます。それが本当にやりたいことなら、尚更。彼の人生はあなたがたのものではございませんよ」
 ところで、とフェリシアはマシューの方を見る。
「貴方のことを先生がお呼びです。ついてきてくださるかしら」
 マシューは慌てて頷いた。それじゃあ、と両親に断りを入れて、踵を返す。
 残された母親の方はなんだかんだと騒いでいたが、そのうち先生方が駆け付け、騒ぎは半ば無理矢理な形で収束した。
 
 *
 
「マシュー!」
「マシューくん!」
 シーアとサーヤがイズミ先生を連れてきた頃には、騒ぎは終わっていた。
「あちゃあ、ごめんね。ちょっと用事があって出ていたんだ、他の先生方が対応してくれて良かったよ」
 大丈夫だった? とイズミ先生は二人――――フェリシアとマシューに問う。フェリシアは頷いた。マシューは静かに頭を下げた。
「ごめんなさい、先生。うちの家族が……」
「ああ、いやいや、いいんだよ。顔を上げて」
 イズミ先生にそう言われて顔を上げたマシューは、心底困り果てているようだった。
「僕、どうしたらいいんでしょうか」
 フェリシアがひとつ、息をついた。
「あなたがやりたいことは明確なんでしょう」
「……はい、ですが」
 マシューは彼女に視線を合わせずに頷いた。続く言葉を制して彼女は話す。
「困っている子供を助けるのが大人の役目、ですよね、先生」
「……そうだね。強いて言うなら、君も子供だよ、ということくらいかな」
 笑って頷いたイズミ先生は、フェリシアに釘を刺すことも忘れない。フェリシアは少し不満気な顔をしたが、特に何も言わなかった。
「沢山迷惑をかけてくれよ、マシューくん。先生たちは大丈夫だから」
 マシューは少し迷ってから頷いた。シーアとサーヤは、その光景を見ていることしか出来なかった。
 
 そのうち、今日の終わりを告げる鐘が鳴る。イズミ先生は、もうそんな時間か、と零した。
「じゃあ、今日は解散! 疲れたでしょう、寮でいっぱい休んでね」
 そうだ、と良いことを思いついたと言わんばかりに先生は指先を振った。
「ゼフィ・ドラヴァン・フォーレ・ス!」
 その言葉と共に、ふ、と身体が軽くなる。翼が生えたよう、とはこのことだろうか。
 本物の魔法だ。おじいちゃんとおばあちゃんが使っていたみたいな。シーアとサーヤは驚いて、イズミ先生の方を見た。
「イズミ先生って魔法使えるんですか!?」
「使えるよー。君たちもそのうち学ぶことになるからね」
 それじゃ、先生は仕事してくるから。そう言って手を振って去っていく彼の背を見送ってから、フェリシアは三人に向き直った。
「寮まで送りましょう。どうせ目的地は同じですから」
 
 *
 
 寮に戻れば、大広間でリアムが待っていた。
 読んでいた本から顔を上げて、咎めるようにリアムは言う。
「どこ行ってたんだよ」
 俺一人ですげ~気まずかったけど。言葉の外にそんな雰囲気を醸しつつ彼はこちらを見た。
「それ、何読んでるの?」
 そんなことは知ったことでは無いシーアが強引に話題を変えた。
「話聞けよ。……別に、何読んでてもいいだろ」
 む、としたリアムは、それでも深入りはしなかった。
「えー! 気になるじゃない、教えなさいよ」
「嫌だよ! シーアには絶対教えてやらないね」
「なんでよ!」
 ぎゃんぎゃん。いつも通りやり合い始めた二人をよそに、サーヤはマシューに声をかけた。
「マシューくん」
「なに?」
「ぼくたちにも頼ってね。リアムくんも、シーアも、きっとその方が嬉しいから」
 マシューは一瞬だけ驚いたような表情を浮かべたが、すぐに破顔して頷いた。
「ありがとう。そうさせてもらおうかな」
 サーヤはそれに頷いてから、シーアとリアムにご飯を食べようと誘いに行った。
 フェリシアは、しばらくそれを眺めてから、ああいう距離の近さが、自分にはまだ分からなくて、少し羨ましい気がした。
 
 *
 
「リアム」
 夕食を済ませ、寮の部屋に戻ったマシューは、リアムに声を掛けた。
 なんだよ。言葉にせずに視線だけを寄越したリアムに、マシューは苦笑してからこう言った。
「気を回してくれてありがとう」
「はあ?」
「踏み込まなかったでしょ」
 別に、お前のためじゃない、と、リアムはそっぽを向いた。ああ、拗ねているなあ、とマシューは思った。
「いつか解決したら、笑い話として聞いてくれたら嬉しいよ。今は、……ちょっと情けなくてね」
 リアムはそっぽを向いたままだ。
 しばらくの沈黙。後、リアムが口を開いた。
「マシューだって、踏み込んで来ねえじゃん」
 だから、これはお前のためじゃない。そう言ったリアムは、マシューがリアムの読んでいる本の内容とその意味を理解していることを知っていた。
 再び沈黙。マシューは何を言うか悩んで、結局何も言わずに、おやすみ、と声をかけた。
 帰ってくる声は、なかった。
畳む

文章,ふたつの翼、ひとつの空