灯利うみ
@ao_kzr
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雑記置き場

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    2026/05/13 19:20:34
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ふたつの翼、ひとつの空
10話 5264文字

 寮に戻れば、険しい顔の先生方がロビーで話をしている最中だった。マシューに気付いたティア先生は、表情が和らげておかえり、と声を掛けてくる。
「サーヤさんたちは!?」
「部屋にいるよ~。リアムとジゼルも一緒じゃないかな? ほんとはだめだけど、今は特別にね」
 ありがとうございます、とだけ答えて、マシューは彼女たちの部屋に急いだ。
「にしても、もっと早く相談出来たのでは?」
 じと、とした顔でヴェルタが言う。イズミは気まずそうに目線をうろつかせた。
「いや……。すみません」
 何も言えずに観念したように謝ると、ティアが助け舟を出した。
「でも私たちには共有してくれましたよ、彼」
「えっ」
 レナードも頷く。
「……あなたは忙しくしているようだから、職員会議で改めて共有しようかと言っていた」
「ああ~……」
 ヴェルタは頭を抱えた。イズミは気まずくて仕方なかった。フォローする言葉が見つからない。
「私も知っていたぞ、ヴェルタ」
 いつの間にいたのか、後ろからセラ校長までやって来る。くつくつと笑う彼女はあまりにも楽しそうだった。
「君はいつもそういう役回りだよな。まあ、君はもう現役の騎士ではないわけだし、今回は対処できたんだろう? それはひとまず褒められるべきだ。まあ、対策を立てるべきでもあるが……、なあ、イズミ君」
「やめてくださいよ、先生……」
 巻き込まれたイズミは困った顔をした。そうすることでやり過ごそうとしている。変わらないしぐさに、セラはわっはっはと大きく笑った。
「あ……貴方も現役じゃないでしょう……!! ふん、役立たずだと言いたいんですか! 私だって騎士だったわけです、知識であなたをぎゃふんと言わせることだって容易いんですから」
「あはは、悪かったって。ぎゃふんと言わされたくはないからこの辺でやめとくか」
 セラの物言いに不満そうなヴェルタをあっさりといなして、セラは全員と顔を合わせた。
「さて、残業だよ、諸君。生徒のためを思うと腕が鳴るねえ」
 全員が自然と姿勢を正して返事をした。彼女は不敵にほほ笑む。
「うちの生徒を攫おうととした不届き者の所在を突き止めてやろうじゃないか」

 *

「二人とも!」
「うわっ、……なによ、マシューじゃない」
「びっくりした……」
 大きく音を立てて扉を開けば、先生の言葉通り、シーアとサーヤ、リアム、ジゼルがいた。マシューは驚かせたことを謝りながらも、大慌てのまま問うた。
「なんか、襲われたって聞いたよ!? 大丈夫だったの、怪我とかは」
「先生方とジゼルがなんとかしてくれたから問題ないわよ」
「ま、慣れっこっすわな」
 シーアが答えればジゼルが胸を張る。胸を張ってから、そのまま静かになった。何かを考え込んでいるようだった。
「オマエ、どうしたんだよ」
 リアムが聞く。ジゼルはしばらく黙っていたが、リアムの視線が自分に向いていると気づいて顔を上げた。
「……あ、俺すか? いや、……」
 そうしてしばらく考え込む。それから、改めてジゼルはこう言った。
「……確証が持てないことは言うべきではないと思うんすよね~。シーアとサーヤって、なんで襲われたかとか分かってんすか?」
 ジゼルはそう言って首を傾げた。全員が怪訝そうな顔したが、彼に話す気は無いようだった。
「……まあ、それが分かってたらここで頭付き合わせて悩んだりしてないわよね」
 シーアはうーん、と唸ってから答えた。
「ぼくたちも戸惑ってるんだ」
 サーヤも困り顔だ。不安そうな二人は顔を見合わせて同時に首を傾げた。
「……」
 ほかの四人がああじゃないこうじゃないと憶測を立てる中で、ジゼルだけが静かに何事かを思案していた。
 四人ともそれに気付いていたが、深入りしても仕方ないだろうと分かっていたので、気付かないふりをして話を続けた。
 
   *

「ごきげんよう、シーアさん、サーヤさん」
 次の日の朝。シーアとサーヤが支度をして寮を出た先で、フェリシア先輩が待っていた。リアムとマシューも一緒だ。
「昨日は大変だったそうですね。お話は聞いております。先生方が悩まれていた様子だったので、わたくしが送迎を申し出ましたの」
 疑問が顔に出ていたのか、フェリシアは二人が聞くより先にそう答えた。それに照れたように笑ったサーヤは、シーアと顔を合わせて言った。
「フェリシア先輩が一緒なら安心できるね、シーア!」
「そうね。よろしくお願いします、先輩」
 フェリシアは頷いて、そのまま一緒に学校に向かうことになる。いつもなら後ろからジゼルが話しかけてくるのだが、フェリシア先輩が一緒だからか、今日はそれは無かった。
 何事もなく校舎へ着く。二人を教室まで送り届けて、フェリシアはこう言った。
「校内には先生方がいらっしゃいますが、それでも十分にお気を付けて。帰りも迎えに参りますから」
「はい、先輩!」
 それでは、とフェリシア先輩は上品に手を振って自身の教室へ向かって行った。ジゼルはいつのまにか教室にいたが、特に話しかけては来なかった。クラスメイト達の心配の言葉を受けていると、イズミ先生がホームルームにやって来る。
 その日、ジゼルはずっと静かだった。リアムやマシューがそれとなく声を掛けても上の空で、なんだかずいぶんと嫌な予感がした。
 
   *
 
 昼休み。先生たちの監視の目を潜り抜け、屋上で昼食を食べるのがジゼルの日課だった。
「……」
 ぼう、っと空を見上げるのは気持ちいい。授業では空の上には宇宙があるのだと言っていたが、どこまでも高く続く青に天井があるようには思えなくて、それをそのまま口にすれば、先生は空に天井はないのだと教えた。そのあとの話はよく分からなかった。
 天井がないなら、上って概念もないんじゃねえの。どこからどこまでが俺たちの空で、どこを超えたら宇宙なんだろうか。
 よく分からないことばかりだ、と思う。父はジゼルにいろいろなことを教えたが、それらは生きるために必要な技術でしかなかった。
 よく分からないことは、知らなくても生きていける。だが、頭を使えたら状況が有利になることもある。これが、ジゼルにとって、新しい学びだった。
 もし、自分の頭が良かったら。
 今抱えている悩みも、父の後悔も、その他のたくさんのことが、上手くいったりするのだろうか。
 ふと、見上げていた空に人の影が差す。―――気づかなかった。顔を上げる。
「やあ、ジゼル。久しぶりだね、覚えているかな」
「―――アンタ、あの時の」
 それは、シーアとサーヤを襲った張本人だった。咄嗟にナイフを出そうとして武器の所持を禁止されていたことに気付く。
 彼はそれを見てにんまりと笑った。
「覚えているわけではなさそうだね。まあどっちでもいのさ、そんなことは」
 不意を衝いて、が、と胸ぐらを捕まれる。声が出せないよう手を口で覆われれば、もう後は何もできなかった。
「おとなしくしていてくれ。そうじゃなきゃ、痛い目に合うと思えよ」
 男は小さな声で呪文を唱える。そうすれば、あっという間にジゼルは拘束されてしまった。ろくに抵抗も出来ぬまま、ウィンドグライダーに乗せられる。
「さあ、行こうか」
 ね、と男はジゼルに微笑みかけ、ウィンドグライダーに跨ろうとしたところで、
「待ちなさい!」
「おっと」
 フェリシアだった。だが一歩遅い、と男はそのまま飛び立った。フェリシアも負けじと飛び立つ。ああ、良い連携ができている、と場違いにもジゼルは思った。
「はあ、面倒だな」
 男がぐんぐんと上に飛ぶ。それこそ、宇宙にでも届くんじゃないかと思うほどだった。
 フェリシアもそれを追ってきたが、これは罠だった。
 ぐい、と方向転換。男が呪文を唱えながらフェリシアに突っ込んだ。思いっきり吹っ飛ぶ。―――それも、地面がある方に。
 こんな高さで落ちたら死んでしまう、とジゼルは焦った。その気持ちを汲んだのか、ジゼルのウィンドグライダーがそれを拾った。それに安心した自分がいるのがなんだか居心地悪かった。
 フェリシアは態勢を立て直し、ジゼルのウィンドグライダーに跨ったまま負けじとこちらを追おうとする、が―――
「残念だったな、姫様」
 一歩遅い。男はあっさりとそこに置いていたワープゲートに突っ込んで、
 ―――彼らの姿は見えなくなった。
 
    *
 
 ジゼルが攫われてしまったと報告を受けて、校内は騒然としていた。なるべく一斉に帰宅すること。できれば上級生と一緒に、ということで、その日は集団下校となった。
「お前ら、今日は寮から出るなよ」
「そうだよ、変なことがあったらすぐ先生に言ってね」
 リアムもマシューも、特にリアムは珍しく素直に二人を心配してから部屋に戻って行った。
「どうする、シーア」
「ひとまず部屋に戻りましょ、サーヤ。きっと大丈夫よ」
 そうだろうか。なんだかとっても不安な気持ちで部屋に戻る。部屋に戻っても二人とも落ち着かなくて、ずっとそわそわと過ごしていた。
 ふと、着信が鳴る。おばあちゃんだろうかと顔をほころばせて二人が画面を見れば、そこにはジゼル、と表記があった。
 顔を見合わせる。それから、スピーカーにして、録音しながらその電話を取った。
「もしもし?」
「誰よ、アンタ」
 知らない声だ。男、だろうか。くつくつと笑う男は、それでもあっさりとネタバラシをした。
「学校、大変そうだね。ジゼル君は無事だよ。最も、生きているだけに過ぎないけれど」
「……要件は何ですか」
 サーヤも表情が硬い。おや、と男は意外そうな声を出した。
「もしかしてそんなに心配じゃない? じゃあ別にいいか。このまま彼一人いなくなっても」
「馬鹿なこと言わないで。サーヤはあなたの用件を聞いたの。心配じゃないなんて一言も言ってない」
「おやおや……」
 血の気が多いな。向こうはこちらを逆なでする言葉を選んでいるようだった。乗っては思うツボだとシーアは小さく息を吐いた。
「簡単さ、彼を無事に返してほしかったら二人だけでここまで来なさい。場所はメールで送ってあげようとも」
 ぽこん、通知が鳴る。確かにメールには座標が表示されていた。
「ほかの人に伝えたり、万が一君たちが来ないようなら、彼はここで一人死んでしまうことになるだろうね」
 ね、という声とともに鈍い音、呻き声。
「……っ、分かったからもうジゼルくんに触らないで!」
 サーヤも限界のようだった。ふふ、と笑みをこぼした男は、最後に待ってるよと言い残して電話を切った。
「……行きましょ、サーヤ。窓から出ればきっとバレないわ」
「……うん」
 不安そうにしながらも、シーアとサーヤは顔を見合わせて頷いた。窓を開けて、木々を伝って外に出る。ドジは踏まなかった。
 そのままこそこそと座標の場所まで走った。着いた頃にはジゼルはもう、なんて想像が頭をよぎっては消える。それでも言葉にはせずに走った。言葉にしたら現実になってしまう気がした。
 
 そんな頃。ナユタはなんだか唐突にものすごく嫌な予感がして、寮の中でサーヤを探し回っていた。ノックをする。返事はない。風の音がする。声を掛けてからドアを開ければ、窓が開けっぱなしだった。二人はいない。
「部屋にはいないか……」
 開けっぱなしにするなんて、と窓を閉める。それから、リアムとマシュ―を探しに行った。
 二人は部屋にいた。息を切らして訪問してきた思ってもいなかった客に目を丸くする。
「―――シーアとサーヤは?」
「は? ここにはいねえけど。部屋じゃね?」
 遅かったかもしれない。ナユタの顔色が悪くなったのを見て、マシューが心配そうに声を掛けた。
「もしかして……」
「部屋にはいなかったんだ」
 その言葉に、リアムとマシューは目を見合わせて立ち上がる。
「先生呼んできてくれ、俺らは寮の中をもう一度探してみる」
「僕、二階行くよ」
「まかせた」
 そう言ってあっという間に走って行った。ナユタもなるべく早く先生方に伝えるべく走り出した。
 
   *

「ああ、来たね」
「ジゼル!」
「ジゼルくん!」
 のんびりとした動きで男は二人を制した。拘束されたまま驚いた顔をしているジゼルは思ったより元気そうだった。
「じゃあ、約束通りだ。こっちにおいで」
「……ジゼルを先に開放しなさいよ」
「おや、君たちはそんなことを言える立場じゃないだろう」
 男はそう言って、ジゼルにナイフを突きつけた。
「……わかったわよ」
 二人が近づいていけば、男は再び呪文を唱えた。身構えることも出来ずに拘束された二人とは反対に、ジゼルの拘束は外されていた。
「ほら、帰りたまえよ。君はもう必要ないから」
「お前……ッ」
「いいのか? この二人の命は今、私が握っているんだよ」
 咄嗟に襲い掛かろうとしたジゼルをそんな言葉一つで制する。
「絶対に助けに行くんで。首洗って待ってろ」
 悔しそうに言葉を吐いて、ジゼルはウィンドグライダーに乗って行った。不安そうにそれを眺める二人に、男はこう言った。
「いや、いや、みんなして馬鹿で助かるね。君たちには無事でいてもらわないといけないから乱暴はしないけれど、抵抗したら容赦しないよ」
 男はそのまま、ウィンドグライダーに二人を乗せて、どこかに飛び立った。行く先も、男の目的も分からないまま飛んでいる中、シーアとサーヤは身を寄せ合うことで何とか恐怖を耐え忍んでいた。
 外は風が強くて、嵐が近いことを予感させていた。
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ふたつの翼、ひとつの空 
9話 7521文字

 耳元で、最大限に小さくされた目覚まし時計が鳴る。ウィンドグライダー―――アルヴィのため、相当早い時間に一度起きて世話をするのがマシューの日課だった。
 この時間はまだリアムも寝ている。最近はたまに目を覚まして一緒に彼らの手入れをすることも増えたのだが……今日はそうじゃないらしかった。ぐっすりだ。
「おはよう、アルヴィ」
 アルヴィは無口で不愛想なほうだった。それが個性ってやつなんじゃねえの、と、いつだかジゼルが言っていた。それまでは大きな反応を引き出すためにあれやこれやと頑張っていたが、そうじゃなくてもいいのだと気づいてからはそのままにしている。
「今日も林檎を持ってきたんだ。……そんな顔しないで、他のは売り切れてたんだよ」
 連日林檎で不服そうなアルヴィは、それでも受け取りはするらしかった。そんなところがかわいいんだよなあ、と撫でる。特に嫌がられはしなかった。機嫌が良いようだ。
 彼とも随分仲良くなったものだ。その一方で、アルヴィと関わるたび思い出すのは母親のことだ。はあ、と思わずため息を吐けば、アルヴィがそれに反応してこちらを見た。なんでもないよ、と笑っても、彼はしばらくこちらをじっと見ている。―――ああ、アルヴィのこういうところはすごく分かりやすい。心配をかけているなあ、と思わず苦笑した。
「はよー。毎日毎日はえーな……」
「わ、おはよう。もう習慣だからね」
 後ろから声がかかる。リアムだ。ふわあ、と大きく欠伸をした彼のもとに、ノーヴァがやってきて頭を乗せる。リアムももう慣れたもので、朝の挨拶をしながらその頭を撫でてやるのだった。
「なんか落ち込んでた?」
 そのままリアムがこちらに問う。アルヴィとの会話を見られていたのだろう。
「いや、落ち込んでたっていうか……。両親のことを考えてたんだよ、どうしたらわかってくれるのかなあって」
「ふうん」
 それからしばらくリアムは静かだった。ノーヴァにご飯を渡し、簡単に毛づくろいをする。その隣でマシューもアルヴィの体を綺麗にしてやる。わざわざ深入りしてこない空気が心地よかった。
「そういえば、」
 リアムが口を開く。
「サーヤが心配してたぜ。お前のお母さんのこと」
「えっ」
「なんつったかなあ、なんか気がかりなことがあるんだとよ。―――ああ、あれだぜ、こないだの授業で話す機会があったから知ってるだけ」
 なんでそれを知ってるのがリアムなんだよ。少しだけ漏れそうになった疑問はあっさりバレて、訂正されたのが少し恥ずかしくなった。そういえば、サーヤとは最近あまりゆっくり話していない。
「母親にも母親の苦労があんのかねえ、それでも俺にはわかんねえや」
 それだけ言って、リアムはもうひと眠りするからとその場を去った。それを見送ってから、マシューは母親のことを考えながら、アルヴィと並んで、ぼうっと空を見ているのだった。

   *

「おはよう、マシュー。ちょっといいかな」
 教室に着いた矢先、イズミ先生はマシューを呼び出した。不思議そうな顔をした四人を置いて立ち上がる。なんかしたんすか、と野次を飛ばすジゼルに否定を返す。
 イズミ先生は隣の空き教室までマシューを連れて行くと、小さくため息をついた。
「マシュー。お母さんがね、授業を見学したいんだってさ」
「えっ」
 どういう心境の変化なんだ。彼女の意図を図りかねていれば、だよねえ、とイズミ先生も同調する。
「でも、今までに比べるとなんだか随分しおらしかったよ。君が嫌ならもう少し交渉してみるけど」
 早朝のリアムの言葉が頭をよぎった。マシューは意を決してイズミと目を合わせる。
「いえ……。一度、母と話してきてもいいですか?」
 イズミ先生は頷いた
「君がそう言うならそうしよう。応接室にいるよ、今はレナード先生が対応してくれてる」
 わかりました、と頷く。マシューは、そのまま教室を出て、応接室まで行くことにした。

   *

「失礼します」
 カタン、と音を立ててマシューが扉を開ければ、イズミ先生の言葉通りレナード先生と目が合った。
「おお、マシュー」
 レナード先生が椅子を勧めてくれたのをありがたく受け取って座る。その間、母は一言も発さなかった。
「マシュー、貴方は……」
 母は何かを言おうとしては口を閉ざす。マシューは静かにそれを待った。
「いえ、……お父さんがね、あの、姫様と会った日からおかしいの。マシューにはマシューの人生がある、って……。だけど私、やっぱりあなたには絵を描いて欲しいの、あなたの絵が好きだったから。それは、……お父さんも、きっとそうだった」
 でも、と、再び口を閉ざす。しばらくして、再び口を開いた。
「あなたは、そうじゃないって言うから……」
 困ったように視線をうろつかせて、母は問う。
「あなたは、もう絵は描きたくない?」
「そんなことないよ」
「じゃあどうして、」
 沈黙。静かに息を吸って、マシューは答えた。
「もっと好きなことがあるからだよ」
「……」
 何度も話したのに、まだ分かってくれないのだろうか。どうすれば分かってくれるのだろうか。マシューが悲しい顔をしているのを見て、母親は首を横に振った。
「違う、そうじゃないのよ、そうじゃない」
 落ち着かせるように母はしばらく深呼吸をして、マシューに目を合わせた。
「私、あなたには才能があると思ってるの。いつでも絵に戻ってきて欲しい。―――これは、私にとっては変わらない。私たちの家柄なら、騎士になるより楽に幸せになれると思ってる。これも、本当」
 けれど。目を合わせたまま、彼女は言う。
「あなたがやりたいこと、何も知らないまま否定するのは違うって、……言われて」
 そうして彼女は気まずそうに目を逸らした。
「だから、知ろうと思ったの」
 最大限、歩み寄ろうとしてくれているのだろう。マシューは思った。信じられないくらいの進歩だった。先生方は、後ろで静かに見守っている。
「……分かった」
 母は顔を上げた。マシューは立ち上がる。
「先生方の迷惑にならないなら……僕も、そのほうが嬉しい」
 どうですか、と先生方を振り返れば、うんうんと頷かれた。
「子供が迷惑なんて考えなくていい。……ここの先生方は、みんなそう言って歓迎してくれるはずだ」
 ヴェルタ先生も頷いている。マシューもなんだか安心して、照れたように笑った。

 そうしているうちに、授業開始のチャイムが鳴る。今彼でも準備をしてきなさいとマシューを教室に返した後、ヴェルタ先生は茫然とそれを見守る彼女に声を掛けた。
「彼の……確実な幸せを願ってのことだったんですね」
「……」
「親って、そういう生き物ですよね。親の心子知らず、なんて言葉がありますが……子の心親知らず、でもあります。ちゃんと知ろうとしてくれるなら、私たちも歓迎しますよ」
 大変だったでしょう、認めるまで。
 素直な労いだった。悪意がないのはなんとなく分かったので反発はしなかったが、なんだかむずがゆくて、自身の親のことを―――彼女が子供だった頃を、思い出した。

   *

「―――というわけで、今日はウィンドグライダーちゃんたちのお手入れがしっかり出来てるかをチェックするよー!」
 ティア先生が高々と宣言する。曰く、彼らも生き物なので、ちゃんと必要な世話を出来ているかは上手く飛ぶのに大切な要素らしい。
 とはいえ、マシューの母親に配慮した授業内容であることも間違いないのだろう。
「お前のかーちゃん、今度はどういう風の吹き回しなの」
 見学に来ている母を視線だけで指しながらリアムが言う。マシューは、さあ、と答えながら首を傾げた。彼女の急な心境の変化に戸惑っているのは、マシューも同じだった。
 サーヤは心配そうにマシューを見た。シーアも同じように様子を伺う。マシューは二人を安心させるように微笑んだ。大丈夫だと頷く。シーアはそれで視線を元に戻したが、サーヤは心配そうなままだった。
「まあ。でも。話を聞いてくれる気にはなったみたいだよ」
 よく分かんないけど。それを聞いたリアムはふうん、と頷いて視線を戻した。こんな会話の間もティア先生は次々に生徒たちの間を回りウィンドグライダーの様子をチェックしてはアドバイスをしている。彼女のアドバイスは的確だった。
 シーアはちょっと無茶をさせすぎ。サーヤは偏ったご飯を食べさせすぎ。ジゼルはもっと甘やしてあげなさいと言われて首を傾げていた。
「ハイ次、リアム!」
 呼ばれたリアムが少し姿勢を正す。ふむふむとティア先生は上から下までノーヴァを見た。
「思ったより良い感じじゃん? 入学して飛び始めた当初はもうほんとにどうなることかと思ってたけど……」
 最近は結構仲良くしてるもんね。はあ、そうですかね、と愛想のない返事をしたリアムの頭にはノーヴァの頭が乗っている。照れちゃって、とからかわれて居心地が悪かった。
「しいていうなら栄養バランスとか考えてあげなさいね。まだ全然詳しくないだろうから、また今度授業で教えてあげるよ」
 リアムはありがとうございます、と一礼をした。うんうんと頷いたティア先生は、ナユタの方にも歩いていく。
「ナユタは……、あらあなたも、思ったよりいい感じね。彼との付き合いには慣れた?」
「はい、それなりには」
 うんうんと頷く。大切にしてるのがよく分かるわ、と彼女が言えば、ナユタはどこか嬉しそうに顔をほころばせた。
「今は言うことないかな。いっぱい大切にしてあげてね」
「はい」
 そして、とマシューの方へと歩いてくる。自信はあったが、心配でもあった。ティア先生はそれを感じ取ったのか、安心させるように微笑んだ。
「貴方は心配いらないと思ってたけど、本当に問題なさそうね? むしろ何か困ってることはない?」
「……最近は……。彼らのためのご飯の争奪戦が激しくて、なかなかバランスを取るのが難しいですね。それくらいかな」
「分かる~!! もっと市場広げてくれたっていいのにねえ。うんうん、まあいつか慣れるわ。よくなついているみたいだし、問題なし!」
 よしよし。と言いながら他の生徒たちにも確認を取っていく。終わった生徒たちは好きなように(とはいえウィンドグライダーの話題が多いが)話していて、ふう、とため息をつく。
 いつの間にか近くにいたサーヤがそれに反応した。
「マシューくん、あの……」
「ああ、サーヤさん。……リアムから聞いたよ、心配してくれてたんだってね」
「うん。リアムくんも心配してたよ」
 頷く。あれは素直じゃないだけだと、長い付き合いでようやくわかってきたことだった。
「あのね、お母さんのことなんだけど。……もしかしたら、ちゃんと追い詰められてるのかもしれないなと、思って」
 サーヤはそう前置いて、以前の彼女の様子について話した。
 ―――あなたも、私が悪いって言うの?
 そんなことを、言っていただろうか。少なくともマシューの記憶にはないが、彼女が言うならそうなんだろう。彼女がこんなところで嘘をつくような性格でないのはちゃんと知っていた。
 そうしているうちに授業が終わる鐘が鳴る。ティア先生は慌てて生徒たちに休憩を取るように伝えた。
 次の時間はこのまま飛行訓練だ。とりあえず一息つこう、と、水を取りに行くことにした。

   *

 子供の頃、父は、あんまり家に帰ってくるような人ではなかったと記憶している。
 重要な行事の日だけ帰ってきて、気づいたらどこかに旅立っている。聞くたびにお仕事よ、と教えてくれる母は、いつも何かに追われていた。
 それでも、母はよくマシューに画材を与え、一緒に絵を描く時間をひときわ大切にしてくれていた。
 マシューが描いた絵を褒めてくれる時の、母の嬉しそうな顔を、よく覚えている。
「貴方には才能がある。いつか立派な画家になるのね」
 きっと私たちも追い越すような、素敵な画家に。今思えば、あれは彼女なりの祈りだったのだろう。

 ある日。本当になんでもない日に父が突然帰ってきて、マシューをウィンドグライダーに乗せ、少しの間、空の散歩をした。それまでは、王都ほどではないにしろ、そこそこ大きな家の立ち並ぶ住宅街に住んでいたので、飛ぶ必要がなかった。
 その分、衝撃は大きかった。
 父にあれやこれやと質問した。この風はどこから来るの。あの飛んでる花はなんで飛んでるの。この乗り物は生きてるの。生きてるってことはご飯を食べるの。好きなご飯は何?
 ちょこっと景色の話をした。その方が喜ばれると知っていたからだった。でも好奇心に負けて、気付けばウィンドグライダーの話ばかりを聞いていた。
 帰り際、父はこう言った。
「その気持ちを忘れないうちに絵を描きなさい。おまえには絵の才能がある。ほかにやりたいことができるならその時は、母さんには隠すようにしなさい」
 どうして、と問うても答えは返ってこなかった。静かに頭を撫でて、飛び去って行く父を、姿が見えなくなるまで見守った。
 その背中が少しかっこよく見えたのと同時に、父が自分たちを置いてどこまでも飛べてしまうことが、なんだか寂しかった。

 その日の授業の終わりを知らせる鐘が鳴る。ヴェルタ先生は、ちょっと時間が足りなかったですね、なんて言いながら授業を終えた。いつも通りだ。
 授業が終わるや否やリアムはしれっと教室を抜け出した。お手洗いだろう、と判断して、近くにいたシーアとサーヤに声を掛ける。
「シーアさん、サーヤさん。リアムとジゼルに先に帰ってって伝えといてくれる?」
「え、それ俺に直接言えば良くないすか」
 ジゼルがひょいと姿を現す。面倒だったのでマシューは笑顔のままその場から抜け出した。シーアとサーヤは目線を合わせてからシーアが口を開き、ジゼルにこう言った。
「先に帰ってって、マシューが言ってるわよ」
「はー!? 無視すか、ちょっと!」
 不満たらたらなジゼルの声が後ろからついてくるのを無視して母親のほうに歩いていく。母親は心配そうにマシューを見た。
「良かったの?」
「うん、いつもこんなだし、彼も分かってるよ」
「そう、そうなの……」
 母は何を言ったものか迷っているようだった。マシューも何を言えばいいかわからなくて、ひとまず、と切り出す。
「疲れてない? まだ体力が残ってるなら、見てほしいものがあるんだ」
 母は少し悩んでから、ついてくることに決めたようだった。頷く。
 マシューも頷いて、教室の外に出た。アルヴィのことを知って欲しかった。

   *

「アルヴィ」
 呼びかければ、バサバサと音を立てて彼はマシューの近くに降り立った。
「近くで見ると思ったより大きいわね……」
 母は少し瞠目して、それからまじまじと見た。確かに、彼女はウィンドグライダーを毛嫌いしていたので、近くで見ることは少なかったかもしれない。
 ―――彼女にとっては。
 ウィンドグライダーは父を奪っていく邪魔者だったのかもしれない。いつかの自分と同じようなことを、母も思っていたのかも。
 ぼんやりとそんなことを考えた。
 そうであるなら、彼女にとっては、僕も、同じなのだろう。
「……紹介するよ。彼はアルヴィ、僕のウィンドグライダー。―――パートナーだ」
 母は戸惑ったようにしてから、会釈をした。アルヴィもそれを真似る。彼は彼なりに、マシューたちの関係性を心配してくれていたので、気を使ってくれているのがマシューには良く分かった。
「彼は、林檎よりは、蜜柑とか、柚子とか、柑橘系のおやつをとても好むよ」
 アルヴィを撫でながら、ポツリ、ポツリ、言葉をこぼす。撫でられるのは首周りが好きなこと。こちらを心配する時はじっと様子を伺ってくること。感情表現が少し分かりにくくてたまにちょっと困ること。彼らも生き物で、僕らも生き物だ。でも、ちゃんと違う個体だから、知ろうと思わなければ分からないことがあることを。
「……―――」
 母は黙っていた。相槌を打ちながら、なんだか目の前のマシューが知らない人のように楽しそうなのを見て、彼とアルヴィが確かにお互いを信頼しているのを見て、悔しくなっていた。
 ああ、わたしのマシュー。あなたは一人で勝手にどこかに行ってしまうのね……。
 悔しくて目を伏せる。それでも、前を向かなければならないことは分かっていた。
「―――分かったわ」
 マシューと目を合わす。マシューは少し緊張した面持ちになった。それがなんだか嫌で、でも、自業自得であるのも事実だった。
「私、あなたのこと何も知らなかった。彼……アルヴィと遊ぶのが好きなのは知ってたけど、あなたたちがこんなに仲良くなってるなんて」
 そして、息をつく。
「ウィンドグライダーが好きだなんて、ありえないと思っていたの。お父さんはそれを口実にあなたを置いていくから」
 でも、と顔を上げる。
「それは私の尺度だった」
 悔しいけれど、事実だった。
「ごめんなさい、マシュー。私、もうあなたの夢に口は出さないわ。一人で好きなところに飛び立てばいい。それがきっと、私に求められることなのね」
 マシューはしばらく黙って何事か考えてから、口を開いた。
「……、僕、母さんのことも、父さんのことも守れるようになりたいんだ」
 突拍子も無い言葉だった。マシューは続ける。
「空賊の取り締まりは強化され続けているし、それ以外の脅威は、少なくとも王都セレスティアには無い。それでも、人が織り成す歴史の中で、争いは沢山あったから」
 目を伏せる。王都セレスティアは大きな都市だ。―――それは、今まで、争いに勝ってきたからでもある。
「父さんと母さんが自由に絵を描く場所を守りたいんだ。父さんと母さんの絵が好きだから。もちろん自分の絵も好きだけど……」
 しばらく言葉を探す。やがてマシューは口を開いた。
「自由に絵が描けない世界になって欲しくない。少なくとも、僕が生きている限りは。いつだって他人のことは分からないし、情勢だってどう変わっていくか分からない」
 だから、と言葉を続けた。
「僕は騎士になりたい。―――でも、母さんを一人にするつもりでもない。そのつもりだよ」
 母はしばらく言葉を失っているようだった。しばらく視線をうろつかせて、少し困ったように微笑んだ。
「……子供の成長は早いっていうものね」
 それだけ言って、母はあっさり帰って行った。
 マシューが安心して教室に戻る。誰もいないかと思ったが、ヴェルタ先生がマシューを待っていた。いつもよりどこか険しい顔つきのヴェルタ先生は、落ち着いて聞いてくださいね、と前置いてからこう言った。
「―――シーアさんとサーヤさんが襲われたらしくて」
 頭が真っ白になる。襲われた? 誰が? ―――二人が?
「もちろん、事態はイズミ先生が把握していたみたいで、無事ではあるんですが……」
 念のためね、と話すヴェルタ先生は、マシューの帰り支度を促した。慌てて支度をして教室を出る。怪我はしていないだろうか。尋常じゃない事態がなんだかとても心配で、心臓がばくばくとしていた。
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ふたつの翼、ひとつの空 
8話 6194文字

 朝。ナユタはなんだか落ち着かなくて、早くに登校してはベランダでぼんやりと風に当たっていた。
 先生たちの話を思い出す。隠し通すのは、難しいかもしれない。―――ということは、つまり、彼には聞かれて、いただろうか。
 風の鍵。隠された遺跡。雲の下の世界。この雲上では誰も知らない知識を、ナユタ一人が持っている。
 だから先生方も丁重に扱う。分かっている。
 孤独だ、と思った。
 ここで感じているのも、地上で感じていたのも、似たような類のなにかだ。それに名前をつけるのなら孤独だ。ボクは、普通じゃないから。
 言い聞かせるように思い出す。思い出してから、この行為にももう何ら意味がないことに気づいた。
 ここは地上じゃない。
「おはようございます、ナユタさん」
 後ろから声がかかる。ヴェルタ先生だ。
 彼女が来ることは、風が教えてくれていたから、特に驚かない。振り返る。彼女には特にお世話になっていた。
「度々すみません。貴方も疲れているでしょう」
 そんなことは無い。そう否定すれば、ヴェルタ先生は困ったように笑った。
「でも、疲れてるって顔してますよ。もしかしたら、これくらいは慣れてしまっているかもしれませんが」
 そう、だろうか。顔に手を添えてみても、自分の表情はよく分からなかった。
「先生方はあなたの味方です。まだ、信頼は出来ないかもしれませんが……それでも、私たちにとっては、―――私にとっては、あなたも一人の子供なので」
 ナユタは不思議に思った。自分が子供であることが、彼らにとって何になるのだろう。
 それをそのまま伝えれば、先生はまた笑ってこう言った。
「大人は子供を守るものですよ、それが誰であっても」
 彼女の周りは、どこまでも穏やかな風が吹いていた。

   *

「なー、聞いてくれよ!」
 シーアとサーヤ、リアムとマシューが登校する時間を狙い、わざわざ寮の前で全員を待ち伏せしていたジゼルが、わくわくとした様子でそう言った。
「なによ、わざわざ待ち伏せたりして」
「いや、オマエらもこういう話、聞きてえかなと思ったんだよなー! 聞きてえだろ、地上に関連する話」
 つってもまだ詳しくは分かんねえんだけどさ。わはは。ジゼルがそう言うのに合わせて、シーアとサーヤは目を合わせた。
「詳しく分かんねえならそんな勿体ぶる必要もねえだろ」
「おっ、知りたいすか?」
「バカバカしいとは思うな」
「返答になってねえすよそれは!」
 リアムが呆れたように肩を竦めた。ジゼルは少しの間拗ねたような態度を取ってから、誰も取りなしてくれる相手がいないので咳払いをする。
「聞いて驚け! あの変な時期に来た転入生、実は地上の民だったっぽいんすよね〜!」
 シーアとサーヤは再び目を合わせた。やばい? やばい。名前をつけるなら双子テレパシー。そうして、目線だけで会話しているのを見たジゼルはあれ? と首を傾げる。
「もしかして知ってたっすか?」
「いや……」
「むしろなんでアンタも知ってるのよ」
 じと、とシーアがジゼルを睨む。
「それに、変な時期に来た転入生に関してはアンタも人のこと言えないでしょ」
「だはは! それもそうすね」
 リアムとマシューは置いてけぼりだった。マシューが、えっと、と言葉を挟む。
「それで、なんで急にそんな話になってるの?」
 ジゼルは昨日のことを、時に脚色しながら事細かに話した。思ったよりなにも分かってないな、とシーアとサーヤは思ったが、言葉には出さないことにした。
「へえ、先生方すら巻き込んだドッキリは考えにくいし……、君が嘘をついてないなら、本当なんだろうね」
「嘘じゃねえっすよ!」
 ふうん。マシューはそれだけ言って何事かを考え始めてしまった。
「でも、ナユタさん、あんまり言いふらしてほしそうな感じではなかったから……」
 サーヤがそう言うと、それにジゼルが食いつく。
「そういや、なんでアンタらは知ってんすか」
「本人に聞いたの。ちょっと、そういうタイミングがあって……」
「ふうん、なに、逢い引き的な?」
「違う!」
 慌ててサーヤが否定したのと同時、話半分に聞いていたマシューが酷く咳き込んだ。慌てて背中をさすろうとすれば、ごめん、大丈夫、とマシューはそれを手を上げて制した。
「……はあ、ジゼル、冗談でもそういうこと言うのは良くないよ」
 ははん、さてはこいつ、サーヤに気があるんだな。ジゼルはそれで全てを察してニヤリと表情を変えた。
「なんすか、だって別に、マシューには関係がないでしょ」
「セクハラするおじさんみてーなこと言いやがって」
 マシューに同情的なリアムがそう言ったのすらわはは! と笑い飛ばして、ジゼルはシーアとサーヤに向き直った。
「それで、やっぱ気になりません? あの人、多分もっと沢山隠してますよ」
 シーアとサーヤは目を合わせた。二人ともどうするかを悩んで、ギリギリで好奇心が勝ったようだった。
「休み時間にでも聞きに行きましょうよ」
 こうして、ジゼルにほとんど押される形で、その日の昼休みの予定が決まった。

   *

 いくら変わった出来事があったとしても授業はいつも通りだ。
 ティア先生は手をパチリと鳴らして生徒の注目を集めた。
「今日からはレナード先生と一緒に授業していきますよ〜! 飛行の訓練と合わせて戦術の授業もやりますからね!」
 隣でレナード先生が頷く。
「君たちはまだまだ飛行に不慣れだろうから、先輩方とも一緒に授業をすることになる。私たちも注意は払うが、もし誰かが落ちることがあったら各自助け合うように!」
 はい! 生徒たちは一斉に返事をした。先輩方の中にはフェリシアもいて、シーアとサーヤと目が合うとにこりと微笑んだ。
 それでは班に分けて訓練をします、とティア先生は言って、今日の班分けを発表した。シーアとリアム、ジゼル、フェリシアが同じ班、サーヤとマシュー、ナユタ、あとはもう一人知らない先輩が同じ班だった。
「ごきげんよう、シーアさん。お久しぶりです」
「はい! お久しぶりです、フェリシア先輩」
 今回は切迫した状況じゃなくて嬉しいわ、と微笑んだフェリシア先輩は、リアムとジゼルにも向き直った。
「あなた方とは……初めまして、ですよね? わたくしはフェリシア。よろしくお願いします」
「俺はリアム。よろしくお願いします」
「……」
 パッと返事を返したリアムの後ろで、ジゼルがまじまじとフェリシアを見ていた。少し首を傾げてみせれば、ジゼルは、あ! と何かを思い出したように声をあげる。
「どっかで見たことあると思ったら、オヒメサマじゃん」
 ぴしり。フェリシアが固まる。リアムは眉をひそめた。
「おい、ジゼル」
「オヒメサマがこんなとこで訓練して大丈夫なの? おれらなんか気使った方が良い?」
 窘めようとするリアムの言葉を遮って、あけすけな物言いをするジゼルのその態度に、流石のフェリシアの方もムッとして言い返した。
「お気遣いは結構ですよ。この立場だからこそ、皆さんと同じ環境で訓練がしたいのです。この国を、より良くするために」
「は〜ん」
 ジゼルは話半分、といった態度だった。完全になめている。
「……はあ、まあいいでしょう。よろしくお願いしますね、ジゼル」
 ため息を着いて、フェリシアは手を差し出し握手を求めた。ジゼルはその手を取らなかった。
「なんか上からじゃん? 気に入らないすね〜、守られてばかりのオヒメサマはなにかを成し遂げたんすか」
「ちょっと!」
 再びフェリシアが固まった。シーアが仲裁に入ろうとはしたが、それよりも先にジゼルは何も言い返せないフェリシアを鼻で笑った。
「ま、おれらにも立場がありますもんね〜。よろしくお願いしますよ、オヒメサマ」
 フェリシアはどうにもできずに、ジゼルはそのまま彼女に背を向けた。
「……集中できなくない?」
 シーアがぼやく。リアムも流石に素直に頷かざるを得なかった。―――ただでさえ空中戦の訓練、飛ばねばならないというのに。
 ジゼルが勝手に刺々しい態度を取っているので、フェリシアも困っているようだった。普段の彼からは想像もできない態度だった。
「次の班〜! 準備して!」
 ティア先生が声を掛ける。シーアたちの番だ。はい、と返事して四人は準備を始める。
「リアム、大丈夫よ」
「うるせーな、分かってるよ」
 緊張で少しカチコチなリアムにシーアが声を掛ける。それをリアムは跳ねのけた。
「はい、行きますよー!」
 ティア先生が笛を吹く。―――訓練の始まりだ。

   *

 飛び立ってしばらく、シーアとリアムが前衛、フェリシアが後衛、ジゼルが好き勝手飛び回って翻弄、という形で落ち着いた。戦術としてはまだまだぎこちないシーアとリアムを、フェリシアがサポートする。ジゼルに指示は飛ばなかったが、ジゼルの意図を汲んで二人に指示をしているのか邪魔なく飛びやすくて、それがなんだか悔しかった。
 リアムも意外と上手くやっているようだった。フェリシアは彼に無理をさせないことを選んだらしい。正解だ、と思う。たまに体が浮くと焦ったように声を出すので、ノーヴァはなるべく彼を怯えさせないようにしているようだった。
 それにしても。なんとかフェリシアに一泡吹かせてやりたい。このまま何もなく終わってしまうのは嫌だ。
 ジゼルはもはや意地になっていた。どこまで突飛な飛び方をしても対応してくるフェリシアに悔しさを募らせて、くそ、と誰にも聞こえぬように、吐き捨てるように言葉を吐く。
「―――シーアさん、後ろ!」
 ふと、フェリシアが焦ったように叫ぶ。
 シーアの方を見る。いつのまにかそこにいた生徒は、容赦なくシーアを吹き飛ばした。
「シーア!」
 リアムが慌ててシーアを追う。受ける体制も整っていなかったシーアはあらぬ方向に飛んでいく。彼女のウィンドグライダーもぐんと速度を上げて受け取りに行く―――が、あれでは間に合わない。先生方も飛び出した、が―――……。
 今、確実に間に合うのは、ジゼルしかいない。
「ジゼルさん!」
 フェリシアの声がする。それよりも先に飛び出していたジゼルは、あっさりとシーアを受け止めて、陸地に戻ってきた。
「―――……アンタの指示に従ったわけではないすからね」
 ジゼルは戻ってくるなりこれだった。シーアが咎めようと口を開いたのを、フェリシアが制した。
「分かっています。でも、今は彼女が無事だったことが大事です。ありがとう、ジゼルさん」
「……」
 ジゼルは拗ねたような顔をして返事をしなかった。リアムが戻ってくる。
「お前、すげーな」
「そりゃ、実戦経験が違うんで」
 そうかよ。リアムはなんだか悔しそうだった。
「ありがとう、ジゼル。認めたくないけど、助かったわ」
 シーアが礼を言う。ジゼルはなんだか居心地が悪かったが、それをごまかすようにふざけることを選んだ。
「あんた、素直に礼とか言えるんすね。おれの舎弟にしてやってもいいすよ!」
「なんですって!? 誰が!」
 フェリシアはそんな様子をぼうっと見ていた。ジゼルの言葉を反芻する。
 ―――守られてばかりのオヒメサマはなにかを成し遂げたんすか。
 何も言い返せない。まだなにも成し遂げていないから。それが悔しくて、ぎゅっと手を握り締めた。

   *

 気づけば昼休みになっていた。サーヤはなんだか気が重くてため息をついた。
「ナユタさん! ちょっといいすか」
 とっくにいつも通りのジゼルがナユタに話しかけている。やっぱり今からでも止めたほうがいいだろうか。立ち上がろうとしたところでナユタが言う。
「ああ……。いいよ。場所を移そうか、気になるなら、君たちも来ると良い」
 ナユタはシーアたちを見ていた。バレている。これも風向きというやつなのかもしれない。どうするか悩んだようにみんなで顔を見合わせて、結局全員外に出ることにした。

「どこまで聞いていたのかな、君は」
「意外とあっさり認めるんすね」
「言わなかったら勝手に調べるだろう」
 ジゼルは照れたように頭を掻いて、それほどでも、と言った。褒めてねえだろとリアムが突っ込む。
「ごめん、ぼく……」
 サーヤが言いかけたのを、ナユタが止める。
「君のせいじゃないさ、ボクの不注意だ。ごめんね」
 そう言われては、サーヤは何も言えなかった。それで、とマシューが間に入る。
「地上から来たって、本当?」
「―――ああ、本当さ」
 ナユタは本当にあっさりと頷いた。ジゼルが得意げに胸を張る。
「やっぱ地上って存在するんすねえ」
「じゃあ、何で雲上まで来たんだ? 地上の話は、こっちではほとんど言い伝えられてないけど、行き帰りができるなんてもっと聞いたことがない」
 リアムがそう問う。ナユタは困ったように頬を掻いた。
「それは、……」
 沈黙。しばらく言葉を探して、ナユタはこういった。
「君たちは、勝ったからじゃないかな」
「勝った……?」
 シーアのつぶやきに反応して、ナユタは語り始める。要約すると、こうだ。
 かつて。大きな争いがあった。争いの種は―――地上の食糧難。地上から争いを仕掛けたが、地上と雲上では技術の差も大きく、また土地の高さが功を成したか、雲上の人々は抵抗として地上を焼いた。
 そのため、地上の……ナユタの先祖たちは、互いを行き来するための道を封鎖した。そうして時は過ぎ去り、―――気づけばその歴史は忘れ去られ……今に至る。
「地上では雲上には近づかないほうがいいってことになってるんだ。恐ろしい目にあうから、って。過度に高い建物を作るのも禁止されているね。僕がこういう歴史に詳しいのは、たまたま僕が鍵を守る種族だったからだ」
「鍵を守る種族?」
「雲上と地上の鍵を、ね」
 聞いたこともない話だった。唖然としているシーアたちを置いて、ナユタは続ける。
「地上の技術も発達している。雲上を焼くための計画がひそかに進められていて、ボクはそれが嫌だったから、記録をすべて燃やして逃げてきたんだ。―――復讐のための争いなんて無意味だ」
 だから、と一呼吸おいてナユタは言う。
「地上に行く、なんて、馬鹿なことを考えるのはやめたほうがいいよ」
 ナユタはそう言って、それじゃあ、と去って行った。
「なんか……とんでもない話だったな」
「聞いてよかったのかな」
「少なくとも、好奇心は満たされたっすね」
「そりゃ良かった」
 シーアとサーヤは目を合わせた。お互いが懐に入れていた鍵のレプリカを取り出す。
「―――地上、ねえ」
 言葉は見つからなかった。少なくとも今、彼の言葉が確かなことだけはなんとなく感じていて、不穏な空気を振り払うように首を横に振った。

   *

「お兄さん。何してるの」
 その陰で。イズミ先生は不審な動きをする男性に声を掛けた。
「うわっ、びっくりした。いやちょっと、見てくださいよ!」
 イズミがその人の視線の先、手元を辿る。―――虫?
「俺、コイツの研究者だったんすけど……久々に飛んでるのを見てしまって。ここって、騎士学院の敷地内でしたっけ、すみません!」
「ああ、なるほど? じゃあ今回は見逃すけど、次はちゃんと申請してね」
 ありがとうございます! 元気に返事をした男性は、そのまま悠々と歩きだした。
「そうだ先生、知ってますか?」
 ―――こいつ、地上にもいるらしいですよ。高値で売れるんですって。
 は、としてイズミが振り返ってももうそいつはいなくて、逃がしたか、と一人舌打ちをする。彼がしゃがんでいた場所に行けばシーアたちの声が聞こえた。どうやら手を打つのが遅かったようだ。
「こら、君たち~! もうそろそろ昼休み終わるよ~」
 イズミが声を掛ければ慌てたように返事が返ってくる。どうしようもなく嫌な予感を抱えながら、午後の授業の準備に取り掛かるのだった。

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ふたつの翼、ひとつの空 
7話 6357文字

 その日の夜、なんだか寝付けなくてサーヤはそっと部屋を抜け出した。シーアは一度寝たらそう簡単には起きない。食堂で少し水を飲んで、また寝よう。
 食堂まで向かえば、珍しく先客がいるようで、明かりがついていた。そういえば、今日は寮母さんの代わりにヴェルタ先生が入っていた。なんでも、睡眠がおろそかになりがちだからと無理矢理入れられることがあるらしい。お恥ずかしい、困ったものです、とヴェルタ先生は笑っていた。
 ヴェルタ先生が眠れずにいるのかもしれない。こんこん、軽くノックをして、食堂に入る。
 そこに居たのは、予想通り、ヴェルタ先生と、ナユタだった。きょとん、とした顔で二人はこちらを見る。
「サーヤさん。どうしましたか、こんな時間に」
「こちらのセリフですが……」
 机の上には紙が散らばっていた。その横に、制服らしき衣服がちょこん。机を追いやられるように置かれていた。
「ああ……、制服が届いたのと、勉学が遅れているから教えてくれとナユタさんから希望がありましてね。あら? いけない、もうこんな時間ですか」
 ヴェルタ先生は時計を見て、慌てて紙を整理しだした。
「ナユタさん、続きはまた学校で。大丈夫、あなたは賢いから、すぐに慣れるわ」
「はい、ありがとうございます」
 ナユタもそれを整理するのを手伝い始めたので、流れでサーヤもお手伝いをすることにした。
「あ、これ」
 ぱっと手に取ったそこに書かれていたのは古代文字だった。たどたどしく書かれた古代文字がいくつか。文章を紡ぐのにも慣れたように紡がれている古代文字がいくつか。サーヤには読めないが、二人には読めるのだろうか。
「ああ、授業でも少しお話しましたが……。興味深く聞いてくれるので、楽しくなってしまって。悪い癖です」
 お恥ずかしい、と笑いながら、彼女は頬をかいた。
「これ、なんて書いてあるんですか?」
 ヴェルタ先生にそう聞けば、彼女は少し固まる。隣からナユタが声を掛けた。
「風の誓約の日に使う祈りの言葉なんだって先程先生が仰られたよ。風の誓約の日って、君も経験があるの?」
 なるほど。頷いてから、サーヤは答えた。
「あるよ。もう、大変だったんだから……」
 そう言ってから、気づく。騎士学校に入ったとはいえ、彼は風の誓約の日を経験していない。
「先生、ナユタさんのウィンドグライダーって、どういう扱いになるんですか?」
「ああ、ええと、風の誓約の日に風翼の誓いを結べなかった生徒と同じ扱いになりますね。簡単に言うと、補習みたいな感じで。またフェリシアさんにお願いしないといけませんね」
 そのままの話の流れてで、そういえばサーヤさんはどうして食堂に? と、ヴェルタ先生は改めてサーヤに聞いた。眠れなかったのでなにか飲もうと思って、と答えれば、なるほど、と納得したようだった。
 散らばっていた紙たちを整理して、よいしょ、と抱える。
「じゃあ、お二人も早く眠られてくださいね。私も早く眠らないと怒られちゃうわ」
 にこ、と微笑んで、ヴェルタ先生は部屋を出ていった。
「……きみも、寝れそう?」
 サーヤはなんとなくナユタに声をかけた。
「うーん、慣れない土地では眠りづらいね」
 困ったような返答が返ってきた。サーヤは、彼の分の水も汲んで渡した。ありがとう、と返答が返ってきた。
 それからしばらく静かな時間が続いた。サーヤにとっては、聞きたいことは沢山あったが、聞いていいのか分からなくて思案している時間だった。
「何も聞かないの?」
 座ったままのナユタが言った。
「聞いていいの?」
 サーヤが言った言葉に、失言だったと気付いたのか、ナユタは困った顔をした。
「聞いて欲しくないなら聞かないよ」
 ナユタはさらに困ったといったふうに頭をかいて、思考を巡らせ始めた。沈黙。
「……、人と関わるのは難しいね」
 沈黙の末、ナユタはそう言った。
「ボクは今まで、本当に、人と関わってこなかったから。人と話す、ということそのものに戸惑っているんだ」
 多分ね、と付け加えてナユタが話す。
「それは、聞いてもいいやつ?」
「うーん、聞いて欲しいやつ」
 サーヤが聞けば、そう答えが返ってくる。ならいいか、とサーヤは椅子を引いて座った。
「……、サーヤさん、ボクは、雲の下から来たんだよ」
 少し視線を彷徨わせてから、意を決したように、ナユタはそう言った。サーヤは、少し目を開いて、続きを促した。
「ボクも……、こんなふうになるとは思っていなかったけれどね。この風向きが悪いようには感じないんだ」
 しばしの沈黙。サーヤは、少し悩んでから、聞きたいことを聞くことにした。
「雲の下には、どんな世界が広がってるの?」
 ナユタは思い出すように目を細めた。
「うーん、でも、想像通りかな。陽の光の当たらない、真っ暗な土地さ。その分、人工の灯りがよく映えて綺麗なんだよ」
「……じゃあ、どうして雲の上まで?」
 ナユタは再び困った顔をした。そうして、なにか言葉を探すように悩んでから、こう言った。
「地上は、ボクには合わなかったんだよ」

 そうして、サーヤに目を合わせて、さらに言葉を重ねる。
「あそこには、きっとここの誰もが行かない方がいい」
 サーヤは何も言えなくなった。そんなサーヤにふと微笑んで、ナユタは立ち上がる。
「もう遅いから眠ろう。きっとまた話す時が来るさ」
 おやすみ、と出て行ったナユタをなんとなく引き止められなくて、サーヤも仕方なく部屋に戻ることにした。

   *

 次の日。寝ぼけ眼を擦ってサーヤは目を覚ました。シーアはまだ寝ている。いつも通りの時間だ。
 ナユタの言葉を思い出す。わくわくでどきどきの大冒険を想像していたが、彼の言葉は重かった。きっとそれだけではないのだろう。
 あの雲の下に、行けるとしたら。
 父や祖父母へののお土産話には大きすぎる大冒険が、待っているのかもしれない。
 それだけではないとしても、好奇心が駆り立てられて抑えられなかった。
 シーアであれば。
 シーアであれば、どうしただろうか。
 なんとなく誰かに話すのは憚られる気がして、サーヤはぼうっと彼の言葉を思い返すことしか出来なかった。
 そんなタイミングで、目指し時計が鳴る。シーアが起きる時間だ。
「んん……、うるさあい」
 バチン。目指し時計を勢いよく止めて、いつも通りシーアは二度寝をしようとした。
「シーア、起きて」
「んえ〜ん……」
 布団を剥がせば、渋々とシーアは目を覚ます。目を覚まして、ぱちぱちと瞬きをして、サーヤと目を合わせた。
「あんま眠れなかった?」
「えっ」
 なんで。なんとなく。ふああ、と大きく欠伸をして、そのままシーアは顔を洗いに行った。
 いつも通りシーアの髪を結う準備をしながら、サーヤはぼんやりと考える。
 シーアになら、話しても良いかもしれない。ナユタへの言い訳を心の中で述べながら、顔を洗って戻ってきたシーアに声を掛けた。
「シーア、あのね……」

   *

「それってとんでもないことじゃないの!?」
 朝の寮にシーアの声はよく響いた。
「シ、シーア、声がでかい!」
「あら、ごめんなさい」
 慌ててシーアは声を小さくしたが、それでも興奮は抑えられないようだった。
「でも、だって、それって確かに雲の下の世界があるってことでしょ」
「うん……」
「鍵の伝説も本当なのかしら」
「どうだろう、そこまでは聞けなかったな」
 ふうん、とシーアは少し考え込んだ。そうして、サーヤに向き直って、
「これは私たちだけの秘密にしましょ。間違ってもアイツらには教えてやんないんだから!」
「うーん、そうだね。そもそもあんまり勝手に話すようなことじゃないし……」
「そうそう。それに、アイツら最近隠し事が多いのよ、全く……」
 同じようなこと隠してたりしてないかしらね。そう言うシーアはもう冒険のことで頭がいっぱいらしかった。
「でも、地上には行かない方がいいって言ってたよ」
「そうねえ、それについては、機を伺って問いただしましょ。気になるもの」
「問いただす……かはさておき、気になるのには同意だな」
 シーアとサーヤは目を合わせて頷いた。それから、シーアは何かを思い出したように慌てて自分の荷物を漁り始めた。
「そうだ、これ、サーヤにあげるわ!」
 そう言って取り出したのは、入寮の時に売店で見かけた風の鍵のレプリカだった。
「最近の頑張りのおかげで、無事お小遣いが目標まで届いたのよ! だからこれは私からの入学祝い。自分の分も買ってるから安心して受け取りなさいね」
 シーアはとても嬉しそうだった。サーヤは、ありがとう、と受け取って、少し悩んで、こう言った。
「シーア、ぼく、出来れば一緒に頑張りたかったよ」
 シーアは少しきょとんとした。そうして、少しばつが悪そうな顔をした。
「あー……。そ、そうよね! ごめんなさい、私、これが早く欲しくて……」
 もう少し待つべきだったわね、とシーアは言った。そうじゃない。
「ぼく、ちゃんと体力もついたし、昔の弱い身体のままじゃないもん。それに、ちゃんと自分で体調の管理くらいできるよ」
 シーアは困った顔をした。
「それは、知っているけれど……」
 少し悩んで、シーアは言葉を重ねた。
「それでもなんだか心配だったのよ、ただそれだけで」
 言い訳だ、とシーアは思った。でもそれ以上に言葉が浮かばなくて困ってしまった。
「ぼくのこと、もっと信頼してほしいよ、シーア」
 サーヤはなんだかむっとして、少し語気を強めてそう言った。シーアは何も言えなかった。何も言わなかった。それが更に良くなくて、サーヤは先に外に出ることにした。お互いに、冷静になるべきだと思った。
 シーアは、自分の手元にある鍵と、静かに閉められた扉の先を交互に見て、なんだか少し途方に暮れてしまった。

   *

 サーヤが寮の外に出て、一人で学校に向かっていると、リアムとマシューにバッタリと出会った。
「おはよう、サーヤさん」
「はよ。シーアは?」
「おはよう。別に、いつも一緒じゃないもん」
 自分でも分かるような、拗ねたような口調だった。リアムとマシューは顔を見合せた。
「……あ、俺、ペンケース忘れたかも」
 リアムが唐突にそんなことを言った。マシューもサーヤもきょとんとしたが、マシューがそれに乗っかった。
「じゃあ、取りに戻らないと。今からならまだギリギリ間に合うよ」
「おー、走るわ。んじゃ」
 行ってらっしゃい。マシューがそれを見送って、じゃあ行こっか、とサーヤを促した。
 気を使われているのが分かって、なんだかそれが情けなかった。
「大丈夫だよ」
 唐突にマシューが言った。サーヤに目を合わせて、彼は笑った。
「僕もリアムも好きでやってるから」
 それに、と付け加える。
「すぐ仲直りするでしょ。いつもみたいに」
 シーアさんもちゃんと考える人だから、大丈夫だよ。マシューはそれだけ言って、いつも通り雑談を始めた。
 それに少し安心したのと同時に、無くしていた冷静さが戻ってきた気がした。

   *

「あ」
「おっ、舎弟」
 マシューとサーヤが見えなくなったあたりで、リアムは足を止めてシーアを待つことにした。そこで、登校中のジゼルと鉢合わせた。
「何してんすか、こんなとこで立ち止まって」
「別に関係ねえだろ」
「授業に遅れるっすよ〜」
「そうなったら走るって」
 ふうん。不審そうに頭からつま先までじろじろと見たジゼルは、特に変わった点が見つけられなくて首を傾げた。
「えー。やっぱなんかあったんすか?」
「なんもねえって」
「嘘だ〜」
 こいつが居るとややこしくなる、と判断したリアムは断固として教えたくはなかったが、ジゼルもその身を引かなかった。
 むむむ。睨み合いっ子をしていると、後ろからシーアに声をかけられた。
「なにしてんの」
「げ」
「あ」
「げって何よ」
 一人で登校しているシーアに、ジゼルは納得したような顔をした。リアムはなんだかばつが悪くて目を逸らした。
「あんた、喧嘩でもしたんすか」
「うるさいわね」
「だから心配して待ってたんだ!」
 ジゼルがリアムを指さしてそう言った。全力で揶揄っている。
「うるせーよ! そんなんじゃねえって」
「ほんとすか? どう考えたってそんなんでしょ」
「ちげーって、ああもう!」
 てんやわんやだった。シーアもぱちくりと目を丸くしている。リアムは時計を見るふりをした。
「急ぐぞ、授業が始まるから!」
「誤魔化しっすかあ!?」
「うるせえってお前なあ!」
 やいのやいの。騒がしく道を走り出した二人に釣られてシーアも慌てて走り出した。
 いつも二人の通学が、一人じゃなくて少しだけ安心していた。

   *

 最後の授業はイズミ先生の剣術だった。タイミングの悪いことに、二人一組でそれぞれ戦ってみる、という内容だった。
 更に、シーアとサーヤはペアだった。間が悪い。気まずいったらありゃしないしない。たどたどしく礼をして、武器を構える。相手の生徒もそれぞれ武器を構え、先生の合図で訓練が始まった。

 シーアが双剣で突っ込んでいく。突っ込まれた生徒はそれを避けて槍でシーアを吹き飛ばした。
 それに追い討ちをかけようとしたもう片方の生徒の双剣をサーヤが盾で受け止めた。
 その影からシーアが飛び出て迎撃し、一人落とし、二人落とした。
 笛の音が鳴る。礼をして、二人目を合わせ、拳を合わせて、気付く。
 そうだ、今、喧嘩してたんだった!
 慌てて目を逸らしたシーアを見てサーヤなんだかおかしくなって笑ってしまった。
 それを見てシーアはしばらく拗ねたような顔を作ったが、それもなんだかおかしくて、そのうち二人で笑い始めた。なんだか全部がおかしかった。
 リアムとマシューは、それを見て少し安心したように顔を見合せた。世話のやける奴らだな、とリアムが言ったのに、どの口が、とジゼルが突っ込んで、こっちも騒がしくなる。
 最後に、仲が良いのは良いことだけど、授業はちゃんと受けてね、とイズミ先生に名指しで注意をされて、少し恥ずかしい思いをしながら、その日の授業は終わっていった。

   *

「サーヤ」
 放課後。シーアはサーヤに声を掛けた。
「ごめんなさい、私、反省したわ。信頼してない訳じゃないつもりだったの、本当よ」
 困ったようにシーアは目線をうろつかせる。
「いいよ、シーア」
 そんなつもりじゃなかったことなんて、とっくに知っていた。分かっていて、拗ねたかったから、拗ねた。シーアは頷いて、言葉を続けた。
「でも、これからは信頼できるように努めるわ。今のサーヤは今のサーヤだもの」
 サーヤも頷いた。
「帰ろう。今日は私も売店のお手伝いしちゃおうかな」
「良いと思うわ、私、随分慣れたのよ! 教えてあげるから一緒に頑張りましょ」
 そう笑って、扉を開ける。帰路に着く。
 色んなことがあるけれど、その日も、穏やかな日常の延長線で、二人がその事実になんだか少しだけ、安心しているのも事実だった。

   *

「では、風の鍵は封印してきたのですね?」
 ジゼルが校内をふらついていると、そんな声が聞こえた。彼はその身に染み着いた気配を隠す術をフル活用して、その会話を聞くことにした。
「はい。地上にとっても、ここ、雲上にとっても、その方が良いかと思いまして」
 会話の相手はナユタだった。地上。地上って言ったか、今。じ、と息を殺して会話に集中する。
「ジゼル?」
「うわっ」
 声を掛けてきたのはイズミ先生だった。何してるの、と怪しむ視線にべ、と舌をだす。
「なんもしてないすよ、ほんとほんと」
「……まあ、信じるけれど」
 この先生もなんだかんだお人好しだな。そんなことを思いながら、そそくさとその場を去った。
 地上。やっぱりこの雲の下には、大きななにかが隠れている!
 リアムたちにも教えてやろう。そんなことを考えながら、上機嫌でジゼルも帰路に着いた。

 その傍ら、イズミ先生と、音に気付いて出てきたヴェルタ先生は困った顔をしていた。
「隠し通すのは難しいかもしれないね」
「そうですね……」
 ナユタは、なにか、とんでもないことが起きる前のような風向きを感じて不安になった。
 刻一刻と嵐は近付いている。
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